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#navi(SS集)

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* 作品 [#t58f7105]

** 概要 [#c435aac4]

|~作者      |富士恵那  |
|~作品名    |長門有希の驚愕、憤慨、動揺、そして…暴走 |
|~カテゴリー|長門SS(一般)|
|~保管日    |2007-08-03 (金) 23:03:57   |

** 登場キャラ [#r6162719]

//////////

|~キョン    |不登場    |
|~キョンの妹|不登場  |
|~ハルヒ    |不登場  |
|~みくる    |不登場  |
|~古泉一樹  |不登場 |
|~鶴屋さん  |不登場 |
|~朝倉涼子  |不登場 |
|~喜緑江美里|不登場|
|~周防九曜  |不登場   |
|~思念体    |不登場  |
|~天蓋領域  |不登場  |
|~阪中      |不登場|
|~谷口      |不登場|
|~ミヨキチ  |不登場    |
|~佐々木    |不登場  |
|~橘京子    |不登場   |

** SS [#v705f44a]

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#setlinebreak(on)

―プロローグ―
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長門と九曜による天地を揺るがすゲーム対決が行われてから数日後。金曜日の夕方。
場所は長門の部屋。
二人の宇宙人が静かに食卓を共にしていた。
「………」
「―――」
ちなみに、今晩の夕食はカレーライスだ。ただし、レトルトではなく二人で選んだ食材をルーにふんだんに放り込んだ具だくさんカレーである。もちろん調理したのは長門。その間九曜は本を読みながら待っていた。味は九曜の舌に合わせて辛さ控えめである。
「明日…」
長門が切り出した。
「一緒に来てほしい」
「―――」
九曜は長門を見つめたままもぐもぐと小さな口を動かし、ごっくんと飲み込むと、
「―――明日は―――約束がある」
と静かに言った。
「そう」
と、長門。
「―――それと」
九曜が続ける。
「―――明日の夜―――外食する………」
晩飯はいらないということだ。
「…分かった」
長門が応える。
――食事が終わった。
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食器を片付けると、九曜が玄関に向かう。
「お風呂が沸いている」
長門が九曜を呼び止める。
「―――明日―――朝………早いから」
「そう」
九曜は長門の部屋を後にした。
長門は一人、脱衣所に向かう。
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お風呂。
湯船の中で長門が両膝を抱えている。
「………」
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―本章―
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「暑いな…」
五月も終わりに近づき、太陽が入梅前の最後の輝きを放っている今日は土曜日。毎度バカバカしいSOS団週末恒例市内探索ツアーの日だ。
俺はみんなに奢るのを覚悟しつつ、いつもどおり9時ギリギリに北口駅前にやってきた。
先週の探索ツアーを欠席した長門も今日はちゃんと来ているであろう。
月曜日に部室で長門が突っ伏しているのを見たときにはさすがに肝を冷やしたが、本人が言うには何やら寝不足気味だったとかで、ホッとしつつも宇宙人端末が寝不足を起こすことに疑問を抱き、何か良からぬことが起こっているのではないかと長門にたずねたところ、
「大丈夫」
と長門は言い、
「何も問題はない」
と言葉を重ねた。
まあ長門が大丈夫と言うなら大丈夫だろう。周防九曜とも仲良くしているようだし。文学仲間ができたことが嬉しくて、ついつい読書に夢中になってしまったとかそんなとこだと思う。
そうそう、九曜といえば、なんと今日の探索ツアーには周防九曜も参加することになっていた。
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「九曜って子も連れて来なさいよ」
ハルヒが突然言った。昨日、金曜日のことだ。
「有希、最近九曜さんと仲良くしてるんでしょ? どんな娘なのか興味あるわ。団員の交友関係を把握しておくのも団長の務めだしね」
おいおい、SOS団の意味不明な活動に他人を巻き込む気か?
「あら、いいじゃない。九曜って子も有希と似たタイプみたいだし。有希が楽しんでやってることなら九曜さんも楽しいに違いないわ」
ちょっと待て、長門が探索ツアーを楽しんでるなんて聞いたことねーぞ。
「うっさいわね。アンタは楽しくないってーの? 有希はちゃーんと楽しんでるわよ。ねー、有希」
ハルヒはそう言って背後から長門の小さな肩に両腕を回す。
長門は肯定も否定もしない。
「ね、だから明日九曜さんを誘ってみてよ」
すると長門は、
「彼女は人見知りをする」
と、反論と取れることを言った。
「だーいじょーぶよ。人見知りなら有希だってみくるちゃんだって負けてないでしょ。みんな一緒ならへーき」
よく分からない理屈を述べるハルヒ。
「ね、とりあえず誘ってみて。そんでどうしても嫌だって言うならしょーがないわ」
ハルヒが言い出したら引かないことをよく知っているからか、九曜の判断に任せればよいと思ったのか、長門はとうとう、
「分かった」
と言って、
「誘ってみる」
という言葉でハルヒをにんまりさせた。
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…そんな昨日の出来事を思い出しながら俺は自転車を止め、いつもの待ち合わせ場所に向かった。
予想通り、ハルヒ、長門、朝比奈さん、古泉と、SOS団の四人は既に到着していた。しかし――。
おや?
九曜の姿が見えない。
九曜のことだからまた気配を消しているのではないかと思い、四人の周囲、特に長門の左右、前後を目を凝らして確認してみたが、やはり九曜の姿はない。
なんだ、やっぱり来なかったのか。
ちょっとガッカリしつつ、ガッカリするということは俺は九曜が来るのを楽しみにしていたのか、などと思いつつ俺を待つ団員達のそばに駆け寄ると、
「またアンタが最後!? たまには早く来てみせなさいよ」
団長の罵声が飛んだ。
「九曜は?」
一応聞いておこうと思い、俺が長門にたずねると、
「先約があるんだって。まあ、しょーがないわね」
ハルヒが代わりに答え、
「そうなのか?」
俺が確認すると、長門は黙って頷いた。
先約か。あの九曜も土日にはお出かけするのだろうか。
「まあ、また次の機会に誘ってみましょ。んじゃ、いつも喫茶店で今日の予定たてるわよ」
そう言ってハルヒはずかずかと歩き出した。俺たちも後に続く。
――が、一人だけ付いて来ない。
長門だ。
俺が振り返ると、長門は駅の改札の方を見つめたまま立ち尽くしている。
実に珍しいことに、ほとんど変化していないものの、立ち尽くす長門の表情には驚きの色が見て取れた。
「どうした? 長門…」
俺の声で、ハルヒたちも足を止める。
長門は依然改札口の方を見つめている。
俺たちは地面と一体化してしまったような長門のところに歩み寄る。
向こうに誰かいるのか?
駅の改札に目を向けて、俺は驚愕した。
「あら? あれ…九曜さんじゃない」
ハルヒが言った。
そう、長門が見つめていたのは駅の改札に向かう周防九曜の姿だった。
しかも、いつもの光陽園女子の制服姿ではなくカジュアルな服装に身を包んでいる。
九曜の長く波打つ黒髪とふんわりと柔らかな白の長めのプリーツスカートが絶妙なコントラストを作り、レースをあしらった白の半袖カットソーがさわやかな中にも華やかさを醸し出し、その上に羽織った半袖カーディガンのピンク色が九曜の白く透き通るような肌に映え、そのコーディネートは全体的に幼い印象を与えるものの、それが九曜の純粋無垢な性格を強調するようで、ロリータとはいわないまでもガーリーなファッションに身を包んだ九曜の姿は、まあそのなんと言おうかそのなんだ…とにかく可愛かった。
しかし、俺を、そして恐らく長門をも驚愕させているのは、九曜のお洒落な姿だけではなかった。
驚くべきことに、九曜の傍らには楽しげに九曜に話しかける若い男の姿があった。
男はさりげなく九曜の肩や背中に手を当てつつ、九曜と駅の改札へ向っている。
「うわぁ…」
朝比奈さんが思わず感嘆の声を上げる。確かに、仲睦まじいカップルがデートしているように見える。
男は大学生くらいであろうか。派手でもなく地味でもなく、いかにも爽やかな好青年といった感じだ。
九曜を自動改札に待たせたまま、男は切符を買いに行き、戻ってくると九曜に切符を渡し、二人で駅の中へ消えていった。
「彼氏かしら?」
ハルヒがそう言った瞬間、俺の視界の隅で長門の小さな耳がピクリと動いたような気がした。
九曜に彼氏か…。考えにくいが、実際お洒落をした九曜がどれだけ可愛くなるかは今目にした通りだし、図書館などで男に声をかけられることがあっても不思議ではないかもしれない。
そんなことを考えていると、ハルヒがいかにも合点がいったというふうに、
「なーんだ、先約があるって、デートだったのね」
その瞬間、
――ズオッ!
という空気を震わす効果音が聞こえた気がして振り向くと、依然として改札口を見つめる長門の小さな体からメラメラと何か炎というかオーラのようなものが立ち上っているように見えた。俺の目の錯覚か、それとも初夏の日差しに熱せられたアスファルトが陽炎を上らせているだけだろうか。
「有希、九曜さんに彼氏がいるって聞いてた?」
ハルヒが長門にたずねる。
「聞いてない」
寝耳に水だ、とでも言わんばかりに長門が答える。
「や、優しそうな人でしたね」
朝比奈さんが何やら場を繕うようなコメントをする。何で朝比奈さんが困った顔をしてるんだ?
「ま、いいわ。行くわよ」
ハルヒは再び喫茶店へ向かって歩き出す。俺たちも後へ続く。
オーラを上らせたままの長門が最後について来た。駅の改札に未練を残しつつ。
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「今日は五月最後の週末だからね。不思議現象だって梅雨に入る前に発生しておこうとするはずよ! みんな見逃さないようにね!」
グラスの水を一息で飲み干すと、ハルヒが相変わらず意味不明な理屈を述べた。ハルヒの言う謎やら不思議現象やらには発生ノルマがあるのか。
そうこうする内に、ウェイトレスがドリンクを持ってきた。今日は喜緑さんはいないようだ。
ウェイトレスが去るのを待ってハルヒが説明を続ける。
「それで、今日重点的に調査する地域だけど…」
――チュルッ、チュゴゴゴゴゴッ! チュゴッ!
ハルヒの言葉を騒音が遮った。
長門がオレンジジュースを一瞬で飲み干した音だ。
俺の向かいに座る長門は、顔は真正面――つまり俺に向けられているが目の焦点が合っておらず、虚空を眺めているようだった。
「ん、うんっ…えっと、重点的に調べてほしいところは…」
ハルヒが言葉を続ける。
――バリッ、バリバリバリボリ。
長門がグラスに残った氷を口に放り込み、豪快に噛み砕いている。
相変わらず中空に向けられた両目は何もとらえていないようだ。
口の中の氷を砕き終えると、長門はグラスを持ち、次なる氷を口に含んだ。
「こらっ! 有希! ちゃんと聞きなさい!」
ハルヒが長門の背後から両腕を回し、氷を含んでふくれた長門の頬を両手でパチンと挟んだ。
プッ――。
長門の小さな口から飛び出した氷は弧を描き、まだ口を付けていない俺のアイスコーヒーのグラスへポチャンと落ちた。
ホールインワンというべきか。池ポチャというべきか。
#br
「それじゃ、班分けするわよ」
ひと通り説明を終えたハルヒがいつものように五本の爪楊枝を握った。
朝比奈さんは無印、古泉も無印、俺は印付き、そして――。
長門は印付きだった。当然ハルヒは無印。
「この班分けね…」
そう言ってハルヒが口をつぐむ。
古泉がいつになく神妙な面持ちを見せ、朝比奈さんもちょっと困ったような表情をした。
長門はいつもの無表情だ。
#br
#br
「キョン! デートじゃないのよ!」
ハルヒはそう言うと伝票を俺の前に叩きつけ、店の外に出ていった。
古泉と朝比奈さんも俺と長門に会釈し、ハルヒの後を追う。
さて、どうするか。
長門は俺の傍らに黙って立っている。先ほど待ち合わせ場所で感じたオーラは既に消えている。やはり俺の気のせいだったのだろうか。
「図書館でも行くか」
俺が長門と時間をつぶすところといったら、他に思い浮かばん。
長門はゆっくりと頷いた。
#br
#br
長門を伴っていつもの図書館にやってきた俺は軽そうなノベルスを選び、ソファに腰を下ろした。
パラパラとページをめくっていると、俺の目の前に分厚いハードカバーが差し出された。それを持っているのは長門の白い小さな手だ。
「読んで」
俺が? これを?
「そう」
長門に頼まれるとどうにも断れない俺は読んでいたノベルスを脇に置き、長門が持ってきた哲学書を読み始めた。
すると、長門も自分の持ってきたやはり分厚いハードカバーを、なぜか俺のすぐ左隣に座って読み始めた。
…?
時間が早いせいか、図書館の中にはまだ空席もいくつかある。
何も、こんなにくっついて座らなくてもいい気がするが。
横目でチラリと長門を見ると、既に本の世界に入り込んでいるようだ。
まあ、親しい仲なんだし、そんなに気にすることもないか。
…と思ったが、長門がページをめくるたびに動く長門の小さな肩や細い腕から、見た目からは想像もつかない意外なほどの柔らかさが俺の左腕に伝わり、集中力を奪おうとする。
おまけに、ソファに深く腰掛けているせいか、長門の制服のスカートは脚の付け根に向かってたくし上げられたような状態になり、細いながらも張りと柔らかさを感じさせる長門の白く滑らかな太腿を露わにしていた。
こっ…これはけしからん!
俺は長門の太腿が視界に入らないよう本を顔に近づけ、左腕で感じる長門の細い腕のふんわりとした優しい柔らかさと闘いつつ、必死に目で文字を追った。
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長門が俺に読ませようとした哲学書はドイツだかどこだかの哲学者が著したもので、何やら現存在だの時間性がどうたらだのと難解な単語が並んでおり、正直、俺には何が書いてあるのかさっぱり分からず、いったい長門は何のためにこんな難しい本を俺に読ませようとしたのか、などと考えつつも、とりあえず長門が読めと言うなら読んでやるかと目を動かしていたが、やはり10ページも進まない内に瞼が落ちてきた。
#br
「…ん?」
心地よい眠りから覚め、俺は自分の左頬に何やら柔らかいものを感じた。
まどろみつつ顔を左に向けた俺は、自分が枕にしていたのが長門の肩だったことに気付き、慌てて顔を上げた。
「すっすまん…つい寝ちまって…」
「別にいい」
長門は本に目を下ろしたまま応えた。
時計を見ると、もう11時45分だ。
ここに来たのが9時半過ぎだったから、たっぷり2時間寝てたことになる。
長門の肩を枕にして…。
ん?
ふと微かな疑念が起こり長門の読んでいる本に目をやると、どうもここに来てから読み始めた本をまだ読み続けているようだ。
長門ならこのくらいの厚さの本は2時間もあれば充分読み終えてしまいそうに思うが。
いや、それどころかページが最初の方に戻っているような気もする。洋書だというわけではない。
長門ですら読むのに時間が掛かるほどの難解な書物なのだろうか。
などと考えていると、携帯のバイブレーションが着信を告げた。
団長からの集合命令だ。
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「サボッてたんじゃないでしょうね!」
集合場所に戻るとハルヒが俺を怒鳴りつける。まあ、いつものことか。
イタリアンレストランで昼食を終えた後、ハルヒはお約束のように爪楊枝を取り出した。再度の班分けだ。
朝比奈さんは無印、古泉も無印、俺はまた印付き、そして――。
長門も印付きだった。
ハルヒが眉を吊り上げ自分の手の中の爪楊枝を睨み付ける。
「ご…午前中とおんなじになっちゃいましたね…」
朝比奈さんがちらちらと長門を横目で見ながら、ハルヒをなだめるように言う。
「もう一度やったら如何ですか?」
古泉が提案する。
うんうんと何度も頷く朝比奈さん。
長門は無表情のまま。
俺は別にこのままでもいいんだが。
「そ…そうね。午前中と同じじゃつまんないもんね」
そう言って、ハルヒが爪楊枝を集める。
「もう一回だけよ。今度で決めるからね」
そして、また朝比奈さんから順番に引いていった。
朝比奈さんは無印、古泉も無印。
俺はまた印付き。
「あわわ…」
朝比奈さんが可愛らしくオロオロしながら長門とハルヒを交互に見ている。
そして――。
長門もまた印付きだった。
「ひゃああ…」
朝比奈さんがさらに困った顔をして長門を見る。
古泉のヤツもごくりと唾を飲み込み、長門を見る。
これだけ条件が揃えばさすがの俺でも分かった。
長門が情報操作をしてるってことか。
しかしいったい何のために?
「も、もも、もう一度やったら…」
朝比奈さんがオロオロマックス状態で言う。
「もういーわよ! これで! くじで決まったんだから文句言わないの!」
「ひゃいいっ!」
今にも泣き出しそうな朝比奈さん。
古泉はいつものように肩をすくめてみせる。
長門は沈黙を保ち無表情のまま。
ハルヒはグラスに残った氷をバリバリと噛み砕いている。
#br
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「今度こそ何か見つけてきなさいよ! 図書館とかでサボッてたら絶対許さないからね!」
ハルヒはガニ股で八つ当たりするかのようにドスンドスンと地面を踏みしめ去っていく。
古泉は平然を装い、朝比奈さんは肩を落としトボトボとハルヒに続く。
「さて、どうする? また図書館行くか?」
俺が尋ねると意外にも長門は首を左右に振り、
「こっち」
と言ってスタスタと歩き出した。
俺は長門に従う。
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トコトコと前を歩く長門についてやって来たのは、例の河川敷だった。一年前、朝比奈さんの仰天未来人告白を聞いた、あの…。
初夏の休日ということもあって、家族連れやらカップルやらの姿がところどころに見られる。
「ここに何かあるのか?」
俺が尋ねると長門は、
「………」
答えを探しているかのような様子でしばし沈黙した後、
「…歩く」
と小さく言った。
歩く? 散歩ってことか?
「あ、ああ…天気も良いし、散歩するのもいいかもな」
長門から散歩などという提案がなされたことに驚きを禁じえず、少々動揺しつつ同意したのだが、
「………」
長門は沈黙を保ったままその場から動こうとしない。
「ま、まあ適当にフラフラするか」
そう言って俺が歩き出すと、長門はコクリと頷き、俺の左に並んでついて来た。
新緑を青々と茂らせた桜並木を目的もなく二人でノンビリと歩く。
長門が俺の横にピッタリくっついているせいで俺と長門の肩や手が何度となく触れ合い、そのたびに長門の小柄な体の心地よい弾力が俺の左半身を刺激し、俺は慌てて肩をすくめる。
「い…いい天気だな…」
沈黙に息がつまり、俺はさっき言ったセリフを繰り返す。
「………」
長門は何も答えない。
俺が横目でチラリと長門を見た瞬間、木洩れ日に照らされた長門のショートカットが爽やかな風になびき、その名の音が表すとおりの雪のように白いうなじが俺の目に飛び込んで、俺は思わず息を呑んだ。
長門と出会って一年ちょっと、数々のトラブルを切り抜けてきた結果、俺と長門との間には一つの信頼関係が築かれ、長門のほんの僅かな表情の変化から感情が読み取れるほどにもなり、俺はこいつとなら一言もしゃべらずとも何時間でも共に過ごせるように思っていたのだが――。
今日は違う。
俺の目に映る長門の姿が、長門の何気ない仕草の一つ一つが、そして僅かに触れ合うたびに感じる長門の肉体の柔らかさが――、俺に「長門有希は女である」ということを否応なく意識させる。
いったい何が長門をそうさせているのだ?
#br
#br
川沿いをしばらく北上すると橋にぶつかった。
長門は、
「こっち」
と言って橋を渡る。
俺も長門に従う。
橋を渡りきった長門は向きを変え、南下を始める。
俺も同様。
テコテコと川沿いを歩き、やがて橋にぶつかった。
「こっち」
と、長門。
橋を渡りきり、再び北上する。
…一周してしまった。
えーと、まだ歩き続けるのかい?
「………」
長門は何も言わず足を進める。
そのとき、正面からカップルらしい若い男女が歩いてきた。
「ちょっと休もうか」
カップルの男の方が女をエスコートし桜の木の下のベンチに座らせた。
「なんか飲む? 買ってくるよ」
男がベンチに腰を下ろした女に言う。
「んーと…お茶系ならなんでもいいよ」
女が答える。
そんな男女のありふれた姿を横目に、俺と長門はその場を通り過ぎる。
チラリと長門に目をやると、長門はカップルに向けていた視線を素早く前に戻した。
そしてまたしばらく歩くと、同じような桜の下のベンチに男が一人で座っていた。
いや、オッサンが転がっていたと言った方が良さそうだ。
俺が何気なく長門の顔を見て、その目がベンチのオッサンに向けられていることに気付いた次の瞬間、
「うわっ! 汚ねぇっ!」
寝っ転がっていたオッサンが大きな声を上げ、跳ね起きた。
どうやら投下された鳩の糞が寝ていたオッサンの顔面を直撃したようだ。
「このクソッたれ!」
まことに適切な罵声を放ちつつオッサンが落ちていた木の枝を放り投げると、木の上の鳩がバタバタと飛び去っていった。
「…ちくしょう」
ブツブツと文句を言いながらオッサンがその場を後にする。
…ううむ。
何か、あまりにも上手い具合に俺たちの目の前でベンチが空いた気がする。
「す、座るか?」
俺が尋ねると長門は、
「………」
黙って首肯し、ベンチに腰を下ろした。
「ふぅ」
何か肉体的というよりは精神的な疲れを感じて、俺はベンチに腰を落とし溜息を一つついた。
まったく今日の長門はどうしたってんだ。
「………」
妙な視線を感じ振り向くと、長門がじっと俺の目を見つめている。俺が何か言うのを待っているかのように。
「あ…ああ、何か飲み物でも買ってこようか?」
「お茶系」
長門は間髪入れずに答えた。
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#br
俺が近くの自動販売機でドリンクを二本買って戻ってくると、長門はベンチに腰掛けたままどこか物憂げな表情で川の流れを見つめていた。
木洩れ日の差す川原のベンチで物思いにふける少女が一人。
俺が画家やカメラマンであればすぐさまこの光景を切り取って額縁に収めたであろうほど、憂鬱そうに居座る長門の姿は絵になっていた。
しばしの間、俺は見とれていた。
「待たせたな。緑茶でいいか?」
長門の隣に腰を下ろし尋ねると、長門は黙って頷き俺の手からペットボトルを取ろうと手を伸ばした。
俺はペットボトルのふたを開け、
「ほらよ」
長門に渡した。
「暑いな…」
俺は自分用に買ってきたペットボトルのふたを開け、飲もうとして、口の開いたボトルを受け取ったままの状態で長門が顔をこちらに向けているのに気付き、
「どうした。飲まないのか?」
すると長門はやや不自然な速さでぎこちなく正面を向き、
「飲む」
そう宣言してゴクゴクと緑茶を喉に流し込んだ。
「…おいしい」
そりゃよかった。
#br
#br
買ってきた緑茶を飲み終えた後も、長門はベンチを動こうとしない。
だんだんと空気が重苦しくなってくる。
「て…天気がいいなぁ…」
もう何度目か分からないセリフを吐く。
「………」
長門は川の水面に視線を落としたまま、何も言わない。
気まずい沈黙が続く。
「さ…最近、体の調子はどうだ…?」
俺はムリヤリ話題を探す。
「特に問題はない」
長門は淡々と答える。
「そ…そうか…」
再び沈黙。
俺はまた話題を探す。
「あ…そうだ…いつも九曜とは何して遊んでるんだ?」
という俺のセリフの「九曜」を言い終わった辺りで長門の小さな耳がピクリと動き、ゴゴゴゴゴという擬音とともに再び長門の体からオーラが立ち上ってきた。
なんだなんだ? ひょっとして「九曜」がキーワードなのか?
俺が思った瞬間、長門は勢いよく立ち上がり、
「歩く」
静かに、しかし強く言い放った。
#br
#br
その後も川縁の並木道をぐるぐると回っては、ベンチで休憩を繰り返す。
時刻は既に四時半を回り、日もだいぶ傾いてきた。
いったい何周しただろう。
「そ…そろそろ集合場所に戻らないか?」
棒のような脚をさすりつつ、俺は言った。
長門は、
「………」
しばらく俺の目を見つめた後ゆっくりと頷き、北口駅方面へ向きを変えた。
…やれやれ。
#br
#br
集合場所に戻ると、既にハルヒ達が来ていた。
「ちゃんと探してたんでしょうね!? デートしてたとか言ったら絶対許さないわよ! フン!」
なんだか分からないがハルヒが怒り狂っている。
古泉のヤツはやや疲労感を感じさせる微笑を浮かべ、朝比奈さんは困り果てて泣き出しそうな顔をしている。
おそらく荒れ狂うハルヒに引き回されていたのだろう。
朝比奈さんを困らせるとはふてぇ野郎だ。
「もういーわよ! 今日は解散! 帰りましょ!」
そういってハルヒは俺たちに背を向けた。
団長様がそう言うんだから帰るとするか。
と、思ったのだが、
「あ…あのあの…もしよかったらみなさん……今日は外でお夕飯をご一緒しませんか?」
朝比奈さんが提案した。
もちろんいいですとも。
できれば朝比奈さんと二人きりの方が理想なんですが。
だが俺の思いも空しく、
「…そうね。たまにはそういうのもいいわね。ナイスアイディアよ、みくるちゃん!」
ハルヒはそう言って朝比奈さんを抱きしめ、至高の芸術品のような可愛らしい頭を撫で回す。
ちっ…朝比奈さんだけでいいのに。
「いいですね。僕も是非ご一緒させて頂きます」
古泉もか。
まあ、朝比奈さんが「みなさん」と言うのだから仕方ないか。
「有希もいいでしょ?」
ハルヒがたずねる。
「………」
長門が僅かに顎を引いた。肯定だ。
ん? でもお前、晩飯は九曜と一緒に食ってるんだろ? 家で待ってるんじゃないか?
「今日は外食すると言っていた」
長門が表情を変えずに答える。
「ああ…あの男と食ってくるのか」
と、俺が言った途端、
「キ、キョンくんっ!!」
朝比奈さんが芸術的なほどに美しい眉を吊り上げ、愛くるしい頬を膨らませて俺を可愛らしく睨みつけた。
な、なんかマズいことでも言ったのだろうか。しかし朝比奈さん、そんな可愛らしい顔で怒られると余計に怒らせてみたくなっちゃいますよ。
――ズズズズズ。
大地が揺れ動くかのような気配を感じ俺が振り返ると、長門が一段と激しさを増したオーラを立ち上らせていた。スパークまで見えそうだ。
責めているかのような眼差しを俺に向け、古泉が肩をすくめる。
#br
#br
俺たち五人は近くのファミレスに向かった。
途中、いくぶん機嫌の直ったハルヒに代わって、今度は無言のプレッシャーを辺りに撒き散らす長門を朝比奈さんが必死になだめている。
もしかして俺が悪いのか?
ファミレスに入った俺たちは窓際の六人掛けのテーブルについた。
席順は向こうが窓側から朝比奈さん、ハルヒ、長門、手前が窓側から古泉、俺だ。
ごく普通に注文し、ごく普通に食事をする。
ハルヒが次から次へと話を持ち出し、俺はそのたびにネタにされ、古泉がハルヒの話を上手く盛り上げ、朝比奈さんが可愛く笑い合いの手を入れる。
どうやらハルヒの機嫌も良くなってきたようだ。
まったくこいつのご機嫌を取るのも楽じゃないな。古泉に同情してやりたくなる。
長門はというと、いつも以上の食欲で次々と追加注文をしていた。
こいつにとっては「食う」ってのも趣味の一つかもしれないな、などと考えていると突然――、
ガシャン。
グラスの倒れる音がして振り返ると、
「やっべ、濡れちまったよ」
俺たちと通路を挟んで斜め向かいのテーブルに座っていた男が声を上げた。
すると、
「もう、何やってんのよぉ。…すみませーん!」
男の向かいに座っていた女――男の彼女だろう――が、店員を呼びとめ布きんを持ってきてもらう。
「ったく、しょうがないわねぇ」
女が苦笑しながら、水に濡れた男の太腿を布きんで拭いてやる。
「あはは…ごめんごめん」
男が照れくさそうに笑っている。
優しい彼女がいて羨ましいねぇ。
俺が前へ向き直ると、長門はラブラブなカップルをじっと見つめていた。
#br
その数分後。
――ガシャン。
俺のグラスが手も触れていないのに突然倒れた。
「うおっ。冷てぇっ!」
テーブルから流れ落ちた氷水が俺のズボンを濡らす。
「コラッ! 何やってんのよバカキョンッ!」
ハルヒが怒鳴り散らす。
知るかよ。いきなり倒れやがったんだ。
「あっ! すみま…」
ハルヒが通りかかった店員を呼び止めるより早く、長門の細い腕が店員の前に差し出され、
「布きん」
長門が言った。
「あっ、はいっ、今すぐお持ちします」
すぐさま戻ってきた店員から布きんを受け取り、長門が俺の太腿を拭う。
「わ…悪いな…」
「別に」
俺の太腿を這う長門の手つきは、優しく、時に強く、そして細やかで、マッサージを受けているような心地よさを、いやむしろそれ以上の危険な何かを感じさせる。
「も…もういいんじゃないかな」
そんなに丁寧にやってもらわなくても…。っていうか、これ以上続けられると俺の体の一部がヤバイことに…。
「まだ濡れている。もう少し」
長門は布きんを取替え、俺の太腿を擦り続ける。
う…むぅ。
歯を食いしばり快感と闘う俺。
「フンッ!」
ハルヒが不機嫌そうに顔をそむけ、バリバリと氷を噛み砕く。
「あわわわわ…」
朝比奈さんが今日何度目かのオロオロモードに入る。
――ププッ、ピープー。
テロリスト対策ユニットで使われてそうな呼び出し音が鳴った。
古泉の携帯だ。
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「明日も市内探索やることにしたわ! 9時集合だからね! 遅刻したら許さないわよ!」
ファミレスから出るとハルヒはそう言い放ち、ズンズンと地面を踏み鳴らしつつさっさと立ち去ってしまった。
明日は日曜日だってのに…。
「じゃあ僕はこれで」
古泉がやや急ぎ足で去っていく。
「じゃあね…キョンくん…」
朝比奈さんは疲れた顔で俺にそう言うと、長門に無言で会釈し、トボトボと歩き出した。
お、俺は何か悪いことをしたんでしょうか…。
肩を落として歩く朝比奈さんを見ていると、追いかけていって抱きしめてやりたくなるような衝動に駆られる。
「んじゃ、俺も帰るわ。また明日な」
「…そう」
それだけ言って背を向けた長門の後姿から、何か名残惜しさが漂っているように感じた。
長門も追いかけていって抱きしめた方が良いんだろうか。
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帰宅後、部屋に入りベッドに転がると、俺は今日の長門のことを思い出していた。
どう考えても今日の長門はおかしかった。あの改変された世界の内気な眼鏡っ娘とは逆に、今日の長門からは積極的な、というか扇情的なほどの女らしさを感じた。いったいなぜ…。
などと考えていると突然、俺の携帯が人気アイドルの大ヒット曲のメロディーを奏で出した。誰あろう、マイエンジェル朝比奈さんからのラブコールだ。「ラブ」の部分は多分に妄想だが。
俺はベッドから転がり落ちるようにして携帯に飛びつく。姿勢を正し、ボタンを押す。
「はいっ。どうもどうもこんばんは。朝比奈さんですね?」
『あ、はい、こんばんは…キョンくん』
麗しの女神のお声が携帯越しでも俺の心を癒す。
「今日はお疲れだった様子でしたが…大丈夫ですか?」
『あ、はい、大丈夫ですよ…ありがとう』
ああそんな、朝比奈さんに「ありがとう」などと言って頂けるのであれば私は巨大戦艦の弾幕の中へでも突っ込んでご覧にいれますよ。
「そ、それで…どんな御用でしょうか?」
いや、朝比奈さんだったら用なんかなくたっていつでも掛けて下さってオーケーなんですけどね。
『あ、あのあの…な、長門さんのことなんですけど…』
長門? 朝比奈さんから長門のことで電話?
『あ、えと、さっき古泉くんから電話があって…』
古泉ぃ!? あいつ何勝手に俺の朝比奈さんに電話してやがんだ。
『えとえと、古泉くん、バイトが入っちゃったらしくて…』
ああ、さっきの携帯はそれだったのか。
ということは、またハルヒのヤツが閉鎖空間を発生させてるってことか。
でも、それでなんで古泉が朝比奈さんに電話するんだ?
『あ、あの、私から話した方がその、キョンくんだと…その…』
な、何です? 何のことか分かりませんが、お、俺はそんなに信用がないんでしょうか…。
『い、いえいえ! 違うんです。その、やっぱり女の子の気持ちは女の子の方がよく分かるでしょうからって、古泉くんが』
なんだか分かったような分からないような。
それで、問題はハルヒなんですか? それとも長門なんですか?
『あ、えと、涼宮さんのことは古泉くんにお任せして、お話したいのは長門さんのことなんですが…』
ほうほう。
『あの…今日はキョンくんずっと長門さんと一緒でしたよね…。長門さん…どんな様子でしたか?』
それについてはついさっきも考えていたところだ。
俺は午前中の図書館でのこと、午後の河川敷を散歩していたときのことなどを話した。もちろん、「今日の長門は妙にエロくって」などとは朝比奈さんには言えない。
『そうですか……やっぱり…』
やっぱり? 長門の異変について何か心あたりがあるんですか?
『えっ? ……キョンくん……はぁ…』
溜息をつかれた。それほど分かって当然のことなんだろうか。
『えと…その…今朝…九曜さんを見ましたよね』
ああ、なんとなく「九曜」がキーワードなのは感じていたけど、やっぱりそうなんですね。しかし九曜がどうかしたんですか?
『……九曜さん…男の人と一緒にいたでしょ?』
いましたね。デートか何かかと。
『長門さんは…その…九曜さんから何も聞いてなかったみたいだから…その…驚いたと思います』
そうですね。そういえば驚いた表情に見えた気が。でも、それが今日の長門の行動と関係があるんですか?
『キョ…キョンくん…はぁ…』
また溜息だ。なんか呆れられているようだ。
『長門さんは九曜さんが男の人と仲良くしているのを見て…その…ヤキモチに近い感情を持ったんだと思います』
ヤキモチ!? あの長門がですか?
『もう…キョンくん! …長門さんだってお年頃の女の子なんですよっ』
ついに怒られてしまった。
『ヤキモチとは言わないまでも、いつも仲良くしている友達が自分に内緒で彼氏を作っていたり、自分の誘いを断って男の人とデートしていたりしたら、やっぱり気になるだろうし、自分もそういうことしてみたいなあ…って思うと思います』
あの…長門がねぇ。
『でも…その…きっと長門さんは実際どうしたらいいのか分からなくて…』
喫茶店で虚空を眺めていたり、図書館で同じ本をいつまでも読んでいたり、河川敷の公園を何周もしてみたりしている長門の姿が思い起こされる。
「あの、朝比奈さん、今日の班分けはやっぱり長門の仕業なんでしょうか?」
『そうだと思います。…九曜さんと同じような状況になりたかったんだと…』
男と二人っきりってことか。
しかし、それならちょっとシャクだが古泉の方が俺より女の扱いには慣れているだろうし、もっとデートっぽいこともできただろうに。何で二回とも俺なんですか?
『………キョンくん………はぁ』
今日朝比奈さんに溜息をつかれるのは何回目だろう。
「そ…それで…長門をこのまま放っておくのはやっぱりまずいんですよね」
『そう思います…。長門さんが今のままだと…涼宮さんにも良い影響を与えないでしょうし…そうなると古泉くんも大変でしょうから…』
まあ古泉のヤツにも今回は同情してやるか。今日は一日ハルヒのご機嫌を取っていたのだろう。
「で…具体的にどうしたらいいんでしょう。長門はデートをしてみたいんですよね? 明日の探索のとき古泉に長門を誘わせるとかすればいいんでしょうか」
『え?…いや、だから、長門さんはやっぱりキョンくんと…あ、っていうか…んん〜〜』
ん? なぜかは分からんが俺が誘ってやった方がいいんですか?
『えと、いや、でも、キョンくんと二人じゃ今日と同じだろうし、それに涼宮さんが…んんん〜〜〜〜』
俺じゃ頼りないって言うんですか…。それにハルヒが何だって?
『あっそうだっ。じゃあこうしましょう。明日の市内探索は中止にして、みんなでお買い物でもしましょっ。「グループデート」ってことにして』
俺としてはデートするなら朝比奈さんと二人っきりの方がいいんですが、というかそれで長門は満足なんですか?
『ん〜、たぶん大丈夫だと思います。「彼氏とデート」とまではいかなくても、普通の女子高生っぽいことをするだけでもきっと気分転換になると思います』
そういうもんなんだろうか。
「では、長門のために明日はグループデートってことをハルヒのヤツに伝えればいいんですね」
『あっダメっ! 涼宮さんには私から伝えますから!』
とことん信用されてないようだ。
『あっ、ごっごめんなさい。その、やっぱり女の子のことは女の子にまかせて。…ね、キョンくん』
あぁ、そんな可愛らしくお願いされたら何だって許して差し上げますよ。
『あ、えっと、それから、明日はなるべく私に合わせて下さい。お願いしますね』
合わせる? 何のことかよく分かりませんが、朝比奈さんにお願いされたら引き受けざるを得ませんね。
『ありがとう。それじゃあね。おやすみなさいっ』
今日一日の疲労感を全てふっ飛ばす女神の言葉だ。
今夜は良い夢見れそうだ〜。
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残念なことに、朝比奈さんの「おやすみなさい」の余韻に浸ったまま心地よく眠りに就こうという俺の計画は一つの電話によって脆くも崩れ去った。
『明日は11時集合にするわ!』
バカでかい声でそれだけ伝え、電話は切れた。
コイツだって優しい声で「おやすみ」とか言えばそれなりに可愛いだろうに。ちっとはおしとやかになるように調教してやりたいぜ、まったく。
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翌朝、11時に集合場所の北口駅前に着くと、既にSOS団の連中は来ていた。
「遅いわよ! 罰金!」
へいへい。いつものことでござんすね。…と思ったのだが、今日は時間的にランチを奢るはめになりそうだ。…ぬかったか。
「今日は不思議を求めて市外に遠征するわよ!」
朝比奈さんが考えた「グループデート」も、コイツにかかると「不思議探索市外遠征ツアー」になっちまうのか。
今日のハルヒはニーソックスにデニムのミニスカート、上半身はTシャツの上に薄手の半袖パーカーを羽織っている。珍しいことに首にネックレスを掛けており、「市外遠征」とは言いつつも、今日のハルヒの服装はいつもより弱冠力が入っているような気がする。これで街を歩けば結構な数の男が声を掛けてくるんじゃないだろうか。猛々しい性格をどうにかすれば良い男はいくらでも捕まえられるだろうに、もったいないことこの上ないぜ。
「みんなでお出掛けするみたいで楽しいですね」
本日の計画の黒幕である朝比奈さんは、そう言って輝かしいほどの笑顔を見せた。朝比奈さんのファッションはいつも素敵だが、今日はお洒落な街に出かけるとあって格別に素晴らしい。白地に花柄のワンピースにピンクの半袖カーディガンを羽織り、バッグやサンダルにも可愛らしいモチーフが付いていて、朝比奈さんの女の子らしさを強調している。この姿を写真に撮って雑誌の表紙にしたら全国の書店で品切れが続出することだろう。
「今日は晴れ渡っているものの適度に風があって涼しく、絶好の行楽日和ですね」
昨夜は遅くまで神人退治に狩り出されていたのだろうか、幾分顔に疲れの見える古泉が不愉快になるほど白い歯を輝かせ言った。コイツはコイツで毎度のごとく隙のない服装をしていやがる。俺も一応は考えて服を選んできたつもりだが、コイツや朝比奈さんと並ぶと自分のファッションセンスが恨めしく思えてくる。
「………」
………。
長門は、いや、実に俺を安心させてくれることに、いつもどおりの制服姿だった。いいんだぞ、長門。俺はそんなお前が大好きだ。お前はお前らしくあってくれ。
「何、一人で腕組んで頷いてんのよ。さ、みんな、電車乗るわよ」
ハルヒはスタスタと駅の改札に向かう。俺たちも後に続いた。
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俺たちが電車に乗ってやってきたのは、休日には近隣の府県からやってきた多数の若者客で賑わうショッピングエリアだった。
「まずは有希の服を買いましょ!」
着いて早々、腹ごしらえをしようと入った小さな洋食屋で少し早めの昼食をとっていると、ハルヒが言った。
「せっかくの市外遠征なんだから、気分換えてもっとカジュアルなカッコしましょうよ」
ハルヒにはあらかじめ朝比奈さんから上手く言い含めてある。
「いいですねっ。どうです? 長門さん。涼宮さんと私と一緒にお洋服選んでみませんか?」
朝比奈さんが気弱な子どもを遊びに誘う保母さんのように長門を促す。
「大変結構なご提案かと思います。如何でしょう、長門さん。私たちもお付き合いさせて頂きますよ」
古泉が如才ない笑みを浮かべている。
「………」
返事を探していたのか、しばらく沈黙していた長門の眼が一瞬俺に向けられ、また戻った。
と同時に、朝比奈さんが視線を俺に向け、パチリと目配せをした。これが恋人に向けられたウインクだったら、俺は腰砕けになっていたはずだ。しかし、今は違う。昨夜の電話で朝比奈さんが言っていた「私に合わせて」の合図だ。
「いいんじゃないか。朝比奈さんが一緒なら間違いないだろう。選んでもらうといい。俺も付き合うぜ」
長門はゆっくりと顔をこちらに向け、
「そう」
そして、
「そうする」
ハルヒたちに向けて言った。
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食事を終えた俺たちは店を出てフラフラと街を歩いていた。
「っつーかよぉ。それがマジすんげーの。今度オレと一緒に行かね?」
「えーっ! マジ〜? も、チョーサイコーってカンジ〜。イクイク〜」
ジャラジャラと光モノをぶら下げたパンク・ロック系のファッションに身を包んだ男と、フリフリがいっぱいのゴスロリ系のコスチュームを身にまとった女が、体をベタベタとくっつけながら歩いてきて俺たちと擦れ違った。まったく、ああいうのはコスプレ喫茶か何かでしか見られないと思ってたが、普通にいるもんなんだねぇ。
「有希にはどんな服が似合うかしらねぇ」
ハルヒが腕を組み、不敵な笑みを浮かべている。長門を着せ替え人形にして遊ぶつもりだろうか。
「そうですねぇ。…長門さんは何か着てみたい服とかありますか?」
朝比奈さんが長門に尋ねる。
「………」
歩きながらしばしの間沈黙していた長門は、ふいに足を止め、
「あれ」
店先に飾られていた服を指さした。
長門が指し示したのは、先ほど擦れ違った女が着ていたものとそっくりなゴシック・セットだった。
あのな、長門、あれはその……なんだ、まあ、意外とお前に似合うかもしれないが、その、ちょっと……違うんじゃないかな〜。
「なあに? 有希、あんなのがいいの?」
おいおい、長門にあれを着せる気か。ちゃんとアドバイスしてやれよ。
「えっ、えとえと、あれはちょっと街を歩くには向かないんじゃないでしょうか」
さりげなく却下を勧めた朝比奈さんが、チラリと俺を見る。
「ああ、もうちょっと普通のがいいんじゃないか」
「…そう」
長門はゴスロリ服に向けていた指を残念そうに下ろす。
「ゴスロリかぁ…。そういえば、みくるちゃんもまだゴスロリは着たことなかったわよねぇ」
ハルヒがニヤリと笑う。
「ひぇええぇっ!?」
蛇に睨まれたハムスターのように朝比奈さんが身を縮こまらせて震える。
「やめとけ。まずは長門の服を選ぶんだろ。朝比奈さんのゴスロリはまた今度でいいじゃないか」
「…分かったわよ。でもみくるちゃんにはそのうち絶対ゴスロリ着てもらうからね」
ああ、俺も是非見てみたい。
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長門の興味に任せていたのではどんな奇抜なファッションが飛び出すか分かったものではないので、俺たちはベーシックな洋服がひと通り揃いそうなブティックを選び、中へ入った。
「これなんかどうかしら?」
ハルヒが白い襟のついた重ね着風の赤のカットソーと黒のショートパンツを持ってきて長門に合わせる。
「わぁ、素敵ですねぇ。…けど、長門さんにはちょっと大人っぽ過ぎる感じかなぁ」
確かに朝比奈さんの言うとおりだと俺も思う。
「そうかしら? 有希はどう思う?」
ハルヒが顔が長門に向けられた瞬間、朝比奈さんが俺を見て目配せをした。「私に合わせろ」ってか。
「う〜ん、悪くはないが長門の雰囲気にはちょっと合わないようにも思うが…」
俺が控えめに却下の意を表明すると、
「何よ。アンタには聞いちゃいないわ。私は有希に聞いてるの」
ハルヒが眉を吊り上げる。
「…他の」
長門が小さな声で答えた。
「あら、そう。じゃあどういうのがいいのよ」
ハルヒがアヒル口を突き出す。
「えとえと、長門さんは髪の毛短めだし、線が細いから…、その…爽やかで落ち着いた感じの服が似合うと思うんですが」
朝比奈さんがハルヒの機嫌を伺いつつ提案する。
「そーお? じゃあみくるちゃんが選んでみてよ」
「えっ、は、はいっ。……ん〜と………これ…ううん……こっちかな…うん…」
ブツブツと呟きながら真剣そのものの表情で朝比奈さんが店内を巡り服を選んでいる。一生懸命服を選別している朝比奈さんの姿を見ていると、つくづく女の子は大変なものだと思う。まあ、それが同時に楽しみであるんだろうが。っていうか、俺も古泉に負けないくらいにはファッションに力を入れてみようか。
「こんな感じでどうでしょうか」
朝比奈さんが持ってきた服を長門に合わせる。朝比奈さんのチョイスは、下は裾をロールアップさせたハーフ丈のデニムパンツ、上はブルーのタンクに胸元にかぎ針編みがあしらわれた半袖のシフォントップスを重ねた、涼しげなコーディネートだ。シフォンの白とかぎ針編みの胸元から覗くタンクの青が爽やかな調和を作り、青、黄、白の三色で織り込んだベルトがポイントとなって明るさを与えている。
…見事だ。長門の持つクールな雰囲気を壊さず、それでいて暗くならず、むしろ心地よい明るさと爽やかな可愛らしさを感じさせ、長門の魅力を大いに引き立てている。「美」に関することとなると、朝比奈さんの右に出る者などどこにもいないのではないだろうか。彼女こそ、この時代に舞い降りたヴィーナスに違いない。
「あら、いいじゃない。すごい似合ってるわよ、有希。さすがみくるちゃんね!」
ハルヒも満足している。
「素晴らしいですね。よくお似合いですよ」
古泉のセリフは感情がこもってんだかこもってないんだか分からん。
「いいじゃないか。似合うと思うぞ」
俺は本音を言ったのだが、
「ん〜、青はよくないかなぁ〜」
朝比奈さん自身はまだ不満な様子だ。
「そうですか? すごく似合ってると思いますが」
俺がそう言うと、
「これにする」
長門も同意したのだが、朝比奈さんは、
「え、えと、似合うと思うんですけどぉ、長門さん肌が真っ白だから、胸元が青だと顔に映って暗い感じになっちゃう気がするんです」
そんなもんでしょうか。そこまで気にしなくてもいいような…。
「そーお? これでいいんじゃない?」
ハルヒも朝比奈さんが選んだ服を薦める。
「あっそうだっ。うん。これにしましょ。これでいいと思います」
突然何かを閃いたのか、朝比奈さんは持ってきた服をそのまま長門に差し出した。
「わかった」
長門は朝比奈さんのコーディネートした服一式を持ってレジに向かった。
「みくるちゃん、何か思いついたの?」
「はいっ。長門さん、お顔が白すぎるから、ちょっとお化粧してあげたら、もっともっと可愛くなると思うんです」
長門に化粧か…。駄目だ、想像がつかん。
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早速長門は試着室を借り、購入したばかりの服に着替えた。
「あはっ、いいじゃない! 有希、すっごい似合ってるわよ!」
「長門さん、すごく可愛いですよ」
た、たしかに。
これは予想以上だった。やはり谷口がAマイナーにランクするだけのことはある。朝比奈さんが衣装を選んだとなれば尚更だ。今の長門を見れば谷口もAプラスぐらいに評価を改めるかもしれん。いや、俺としては谷口曰くAAプラスの朝倉涼子よりもこっちの長門の方が…。いやいや、そう思うのはきっと俺の眼に感情的な補正が掛かっているからだろう。
「………」
長門は鏡の前でチョコチョコと体の向きを変えながら、カジュアルな衣装に身を包んだ自分の姿を観察していた。その様子が、お出掛け前にお母さんにおめかししてもらった少女のようで、実に微笑ましい。
「じゃあ、有希、今度はコスメよ。コスメ」
ハルヒが店の外に向かう。
「コスメって何?」
長門が小さな頭をわずかに傾けた。
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ブティックを出た俺たちはハルヒと朝比奈さんの先導の下、コスメショップへ向かった。ちなみに、長門が脱いだ制服は袋に入れられ、持たされているのは俺だ。
「でもアタシ化粧ってほとんどやったことないのよねー。みくるちゃん分かる?」
「あ、はい。私も普段お化粧することはないんですけど、いちおうお勉強はしてみました」
こういうところでもハルヒに比べて朝比奈さんは格段に女の子らしいな。朝比奈さんならすっぴんのままで十分過ぎるくらいに可愛らしいのに。朝比奈さんがメイクなどして街を歩いたら、車やバイクのわき見運転を誘発して交通事故の遠因になるに違いない。
そんなことをしゃべっているうちに俺たちはコスメショップを見つけて中に入った。いやいや、男の俺にはまったく縁の無いところだな。
「長門さん、ここに座って」
長門を鏡の前に座らせると、朝比奈さんはファンデーションやらアイライナーやらのサンプル品をいくつか持ってきた。
「しばらくじっとしてて下さいね」
朝比奈さんはにこやかに笑い、女神の御手で長門の顔に装飾を施し始めた。
「ふーん、いろいろあるのね〜」
朝比奈さんが長門にメイクしている間、ハルヒは陳列されている化粧品の数々を手にとってはじろじろと見ていた。
「何だ。お前でも化粧品に興味を持つのか」
「うっ、うるさいわね! いっぱいあるから暇つぶしに見ていただけよ!」
持っていたリップグロスを叩きつけるように棚に戻すと、ハルヒはアヒル口を作って顔をそむけた。
ったく、気になるなら朝比奈さんに教えてもらえばいいじゃないか。化粧すればそのしかめっ面にも女の子らしさが少しは出てくるだろう。ハルヒの化粧した顔なら、まあ見てやっても損はない。
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「できたわっ。こんな感じでどうかしら?」
朝比奈さんが嬉しそうに声を上げた。
「みなさんも見てみてっ」
「うはっ! スゴイ可愛いじゃない! みくるちゃんやるわね!」
長門の顔を覗き込んだハルヒが満足気に言う。朝比奈さんの化粧の腕を褒めたのは偉いぞ。
「これはお見事ですね!」
古泉のヤツが、用意していたセリフに予定以上の感情がこもってしまったような驚きのまじった声を出す。
何だ? 朝比奈さんのお化粧はそんなにお上手なのか?
「長門さん、キョンくんにも見せてあげてっ。ほら見て見てキョンくん!」
朝比奈さんが座ったままの長門を椅子ごとこちらへ向ける。
振り向いた長門が顔を上げて俺を見た。
んぐっ…こ、これはヤバイ……元々白い長門の頬はうっすらと塗られたファンデーションによってその艶やかさを増し、さらにその上にほんの少し塗られたチークが普段の長門にはない明るさと朗らかさを醸し出し、薄い唇を控えめに彩る淡い色の口紅が大人の女性に憧れる少女が恥らいつつも背伸びしてみせたような何ともいえない愛くるしさを感じさせ、大きな眼を微かに縁取るアイラインが長門の澄んだ瞳の輝きを強調し、本来の形の良い眉はそのままに、朝比奈さんという女神の御手によって装飾を施された長門の小さな顔は、伝説の画聖よって描かれた名画のように何世紀にもわたって見るものの心をとらえ続けるかもしれないほどの可能性を秘め、この顔であの改変された世界で内気な眼鏡っ娘となっていた長門が見せたような柔らかく仄かで誰もが護ってやりたくなるような儚さを抱いた微かな笑顔をされた日には、俺の心と体と眼球を毎日癒してくださる朝比奈さんの極上スマイルをも上回る圧倒的な破壊力を生み出しそうで、いやはや、プロボクサーやスピードスケートの金メダリストや交通事故に遭った人が言うようなスポーツ科学で言うところのZONEとかいう状態が引き起こす所謂一つのスローモーション現象とはこれのことであろうかと思うほど、俺の網膜に焼き付いた長門の顔は視神経を伝わり脳細胞に刺激を与え副腎髄質にアドレナリンの分泌を促し、以上のことを一瞬で思考してしまうほどの処理能力を俺の頭脳に齎し、俺がふと我に返ったときには長門の化粧した顔を見てからまだ2秒と経っていなかった。
「あ、ああ…い、いいんじゃないですか、とても…」
トランス状態から舞い戻った俺が長門から目をそらし、目眩を起こしそうなのを必死に堪えつつムリヤリ賛辞を捻り出すと、
「でしょっ」
朝比奈さんは嬉しそうに可愛く笑って見せ、俺を再びZONEに叩き込もうとした。
まったくこんな美少女達がいつも身近にいる俺は、他の男から見たら隙あらば闇討ちしてやりたくなるほどの羨ましさなんだろうな、などと考えていると、
「キョ〜ン〜〜! アンタ鼻の下伸びてるわよぉ〜」
一人だけ綺麗なツラしてるのに可愛げのないヤツが、眉を吊り上げ引きつった笑いを見せた。
「…うるせぇ。お前だって褒めてたじゃねぇか」
そう言って、もう一度チラリと長門に目をやると、長門は鏡に映る自分の顔をまじまじと見ていた。
鏡を覗き込む長門の、朝比奈さんがチークを入れたことによって淡い紅色を宿した頬が、さっき俺が見たときよりもほんの僅かに赤みを増していたように見えたのは、俺の気のせいか、目の錯覚か、それとも光の加減てやつだろうか。
「何よ。有希が可愛いのは分かるけど、化粧ぐらいでいちいちデレデレしてたら将来大人の女に簡単に騙されちゃうわよ! ま、まあアンタが変な女に引っかかったってアタシは知ったこっちゃないけど! た、ただ団長として団員の気を引き締めておこうと思っただけよ! フンッ!」
ハルヒは大声でまくし立て、腕を組んでそっぽを向いた。
古泉が微妙に緊迫した表情で俺を見る。
「あ、あの、えと、えと…」
朝比奈さんがオロオロしながら俺に視線を送る。
「お前も朝比奈さんにやってもらったらどうだ?」
さっきから興味深そうにコスメグッズを見てたじゃないか。
「お前だって素材は悪くないんだし、朝比奈さんにやってもらえばいい感じになるんじゃないか?」
なんとなく思ったとおりのことを言ってみたつもりだったんだが、古泉と、朝比奈さん、そしてハルヒはキョトンとした顔で数瞬の間俺の顔を見て、
「なっ、何言ってんのよ! わっ、私は別にそんな化粧なんて面倒なことしたいとは思わないんだから!」
ハルヒは何故か顔を赤らめ怒鳴り散らした。
「僕も彼の言うとおりだと思いますよ。朝比奈さんにお願いされては如何でしょうか」
「そっそうですよっ。涼宮さんっ。お化粧したら、きっとすっごく素敵になると思いますよっ」
古泉と朝比奈さんが俺に同調し、ハルヒに化粧を勧める。
「いーったらいーの! 有希! 早く買ってらっしゃい! 次行くわよ!」
真っ赤な顔で喚くと、ハルヒはさっさと店の外に出てしまった。何だってんだ?
「………」
長門は朝比奈さんがひと通り揃えてくれたコスメグッズ一式を持ってレジへ向かった。
「実に見事な対応でした。期待以上です」
古泉のヤツが顔を耳元に近づけて囁く。暑苦しいぞ。
「何のことだ」
「化粧を勧めたことです。涼宮さんも年頃の女の子ですからね。興味を持って当然です。しかし、照れがあってなかなか手が出せないのでしょう」
そこまで分かってるならお前が勧めてやれば良かったじゃないか。それに、結局アイツは化粧を試さずに出ちまったぜ。
「いえいえ。他ならぬあなたが勧めたということに意味があるんですよ。僕ではとうてい力不足です。あなたが勧めたことで、きっと涼宮さんの中で「女らしく綺麗な自分になりたい」という思いが強くなったはずです。あなたが自分に期待を掛けてくれている、とも受け取れますからね」
ふん。そこまで言ったつもりはない。
「ふふっ。でも、それ以上に素晴らしかったのは涼宮さんの外見を褒めたことですよ。僕の記憶では、あなたが涼宮さんのルックスに対して賛辞を送ったのは初めてではないでしょうか」
ハルヒの見てくれを褒めた? そんなつもりはなかったが。
「いえいえ。さりげない一言で女の子は喜ぶものです」
何のことだかさっぱりだ。
「まあ、結果オーライですよ。先ほど長門さんの美しい顔を見てあなたがやにさがっていた時には、一瞬今夜もバイトかと思ったりしたのですが、あなたの一言で涼宮さんの精神状態はプラスに向かったようです。お礼を言わせて頂きますよ」
勝手に言ってくれ。
「あとは長門さんが満足してくれればいいんですが」
それが今日の課題だからな。
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コスメショップを出た俺たちは、再び街をフラフラと歩き出した。
擦れ違う男たちのほぼ全てが俺と同行する三人の女子に眼を向ける。その割合は、朝比奈さんがやはり一番多く約4割。ハルヒと長門が3割ずつといったところだろうか。
今朝集合したときには長門の制服姿を見て安心したものだったが、今や長門は朝比奈さんセレクションのファッションに身を包み、顔には朝比奈さんの手によって装飾を施され、野暮ったい雰囲気などどこにもない。朝比奈さんに選んでもらった小さなポシェットを両手で腰の前に抱えて歩く姿が実に可愛らしい。古泉のヤツもバッチリきまっているし、正直俺は肩身が狭くなってきた。
ハルヒのヤツも今日はお洒落をしているが、ファッションセンスで言ったら朝比奈さんや朝比奈さんのコーディネートによる長門には及ばない。これならハルヒと二人の方がまだマシだ。
そんな俺の愚痴を誰かが聞いてくれるわけでもなく、SOS団一行は買い物を続ける。
「せっかく来たんだからもっとたくさん服買いましょうよ。有希、お金あるでしょ?」
ハルヒが長門をそそのかす。
「ある」
なんだか自信タップリに聞こえたぞ。長門も買う気マンマンのようだ。そういや、こいつのお小遣いはいったいどこから出てるんだ? まさか喜緑さんのバイト代ってことはないだろうし、情報統合思念体は株の売買でもやって荒稼ぎしてるのだろうか。
「じゃあ今度はあそこのお店入ってみましょ」
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ハルヒと朝比奈さんは次から次へと服を選んでは、長門に着せている。実に楽しそうだ。長門も黙って着せられるがままになっているが、なんというか満更でもない様子だ。
「どう? 見てみなさい」
ハルヒが自分の選んだコーディネートを長門に着せ、俺と古泉に見せる。さっきの店でハルヒが選んだ服に比べると、こっちの方がずっと長門によく似合っていた。
すると、ハルヒの後ろで朝比奈さんが可愛らしくウインクしてみせた。ははぁ、朝比奈さんがアドバイスしつつハルヒがコーディネートしたのだろう。確かにそのセンスからして、ハルヒが選んだというよりは朝比奈さんが選んだといった方が納得がいく。
「素晴らしい、さすが涼宮さんですね! 長門さんの魅力を引き立てた見事なコーディネートだと思います」
古泉が朝比奈さんの意を察し、ハルヒを賞賛する。
「ああ…いいんじゃないか。ハルヒが選んだにしちゃ上出来だ」
「何よその言い方。なんか文句でもあんの!?」
ハルヒが笑ってんのか怒ってんのか分からない微妙な顔で言う。
「も…もうっ、キョンくんっ」
桃のような頬っぺたを可愛らしく膨らませる朝比奈さん。
「じょ、冗談ですよ。似合ってます。とっても似合ってます」
「良いなら良いってハッキリ言いなさいよねっ!」
顔を横へ向けて怒鳴りつつ、どこか満足気なハルヒだった。
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朝比奈さんが計画した「グループデート」のそもそもの趣旨は、「長門に普通の女子高生らしいことをさせよう」ということだったのだが、ハルヒの頭では「長門有希改造計画」になっているようで、洋服にとどまらず、靴、バッグ、アクセサリーや、部屋を飾る小物類まで、目に付いたものを片っ端から長門に薦めるのだった。黒幕の朝比奈さんもどうやら当初の目的を半分見失ってしまったのか、やはり女の子というのはこういうものなのか、ハルヒと一緒になって長門を装飾するグッズ選びに夢中になっていた。まあ当の本人の長門も、表情は変わらないが楽しんでいるようだし、昨日のように暴走して情報操作をしている様子もないので一安心といったところだ。
たった一つ問題があるとすれば、俺と古泉の両手に提げられた荷物の量が半端じゃないということぐらいだろう。長門の金遣いの荒さに驚かされる。
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その後も、カフェで休憩したり、ソフトクリームを食べたりしながら買い物を続けて、特別な事件が起こることもなく街は夕暮れ時を迎えていた。
「それにしてもたくさん買ったわねー。あんな高級マンションに娘を一人暮らしさせてるくらいだから想像はついていたけど、有希んちってよっぽど金持ちなのね」
まったく同感だ。
「そのうち有希の実家にも遊びに行ってみたいわね」
長門の実家っていうのはどこにあるんだろう。ブラックホールの中か。それともクェーサーの向こうか。
「………」
長門は黙っている。そりゃ、答えに困るよな。
「まあ、無理にとは言わないわよ。有希の家族の都合が良かったらね」
「…分かった」
ま、情報統合思念体がその気になりゃあインターフェイス一家をどこかに作ることくらい造作もないのだろう。
「それより有希、今日も晩ご飯一人なら、みんなで食べていかない?」
珍しくハルヒが気遣いを見せている。最近、こいつもこういうことをするようになってきたな。
「今日は、周防九曜が料理を作って待っているらしい」
「あら、そうなんだ」
九曜が料理をするのか。すごく興味があるな。
ん? しかし、「らしい」とはどういうことだ?
「先ほどメールが来た」
九曜もメールするのか。ああ、そういえば二、三週間くらい前、長門が携帯でメールしてたとかハルヒが騒いでたっけ。
あの九曜がいったいどんなメールを書くのか是非見てみたいもんだ。
すると、俺の要望に応えて長門が携帯を開いて見せた。
『ばんご半。私が津くる。』
九曜、よく頑張ったぞ。
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帰路についた俺たちは、山のような荷物を長門のマンションまで運んでやり、その場で解散となった。
「んじゃ、また明日ねー」
マンションを出るとハルヒはとっとと走り去っていった。
「お二人とも、今日は本当にお疲れ様でした」
朝比奈さんが深く頭を下げる。
「いえいえ、俺は別に何もしてませんし、っていうかむしろ楽しませてもらいましたし、一番頑張ってたのは朝比奈さんじゃないですか」
そんな風に頭を下げられるとなんだか申し訳ない気持ちになる。
「彼の言うとおりですよ。朝比奈さんが涼宮さんと長門さんの女心をよく分かってくれていたおかげです。今夜はバイトに行く必要もなさそうですし。長門さんも満足してくれたようですしね」
古泉にとってはハルヒの精神の安定が何よりの重大事項だからな。
「えへっ。そんな風に言ってもらえると嬉しいです。でもでも、私もキョンくんと古泉くんが一緒にいてくれて楽しかったですし、ホントに助かりましたよ」
そう言って朝比奈さんは本日最高の笑顔を見せる。
あ〜これで今日の疲れはぜ〜んぶ吹っ飛んだ〜。
「ではでは、また明日学校で」
何度も振り返って手を振りながら遠ざかっていく朝比奈さん。可愛らしいねぇまったく。
「それでは、僕も失礼させて頂きます」
ああ、じゃあな。
さて、俺も帰るか。と思ったところで気がついた。
チャリが北口駅前だ。
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北口駅までチャリを取りに戻った上で帰宅した俺は、晩飯を食い終えると部屋でゴロリと横になって考えていた。
俺も前から感じていたし、いつだか古泉も言っていたことだが、やはりハルヒだけでなく長門も普通の女の子に近づいている。
特に、この五月、九曜と親しくなってからの長門の変化は大きい。天蓋領域製インターフェイスとして生み出されてからまだ間もない九曜の面倒を見ているうちに、「自分がもっと人間のことを知らなければ」というような思いが長門の心に生まれたんだろう。そのことが長門に加速度的に人間らしさを齎しているんだと思う。
長門にとって周防九曜というのは、SOS団の連中とはまた違った、特別な存在なんだろうな。
…と、そこまで考えたところで思い出した。
昨日の男はやっぱり九曜の彼氏なんだろうか。
気になって仕方なくなった俺は、おもむろに携帯を取り出し、久しぶりにアイツに電話した。
『もしもし? キョンから僕に電話をかけてくるなんて実に珍しいね。明日は雪でも降るのかな?』
いちいち言葉数が多いのがいかにも佐々木らしい。
「ああ、いや、その、今大丈夫か?」
『大丈夫とはどういうことかな? 君は僕に用があって掛けてきたんだろう? つまらない用事でわざわざ君が僕に電話してくるとは考え難いからね。君の気遣いは有難いがそれほど大事な用なら僕の状況など気にせずしゃべってくれれば、僕は聞いて差し上げるよ』
相変わらず皮肉と理屈でいっぱいの言い回しだ。
「ああ、そんなら早速本題に入るが、お前の仲間の周防九曜っているよな。あいつにその、なんだ、彼氏はいるのか?」
『おやおや。こいつはびっくりだね。君が九曜さんの交友関係に興味を持つとは。君ってやつはまったく、涼宮さんという素敵な彼女がありながら九曜さんに手を出そうというのかい?』
お前は二つ勘違いをしている。まず、俺は九曜に手を出すつもりはない。それと、ハルヒは俺の彼女ではない。
『くっくっくっ。何を今さら。君たちほど素直になれないカップルというのも珍しいものだよ。分かっているかい? 高校生活というのはたったの三年間しかないんだよ。意地を張っていないでお互い素直になった方が…』
「くだらねぇ話はいいからとっとと質問に答えやがれ」
『これは失敬。九曜さんの彼氏だったね。彼女のような純真無垢な女の子を好む男性は少なくないと思うのだが、残念なことに九曜さんに特定の男性がいるという話は耳にしたことがないな。あるいは、ひょっとしたら僕や橘さんにも内緒で男女交際を楽しんでいるのかもしれないけどね』
少なくともお前はそんな話は知らないということだな。
『君も疑り深いね。僕は本当に聞いたことがないよ。それより何故君が九曜さんの男関係を知りたがるのかが聞きたいね』
「いや、実は昨日、九曜が若い男と仲良さげに歩いているのを見ちまってな。それでその、なんだ、ウチの長門がどうもヤキモチを焼いちまったらしいんだ。長門と九曜が仲良くしているのは知ってるだろ?」
『ああ、長門さんとの仲は九曜さんから聞いているよ。だけど、昨日と言ったかい? それは妙だね。昨日は僕と九曜さん、橘さん、それに藤原くんの四人でUSJに行っていたからね』
USJ? そんなとこに行くのはお前らの勝手だが、しかし凄いメンバーだな。九曜はまだしも、藤原のヤツも一緒だというのが驚きだ。
『最初は女三人で行こうとしたんだけどね。遠出するわけだし、一人は男性がいた方が何かと良いんじゃないかと思ってね。彼にお願いしたんだよ。他に橘さんや九曜さんの素性を知っている人もいないしね。案外あっさり付いてきてくれたんでホッとしたよ。行列に並ぶたびにブツブツと文句を言っていたけれども、彼もそれなりに楽しんでいたように見えたな』
あの野郎もあの野郎なりに佐々木たちに仲間意識を持っているんだろうか。
『どうなんだろうね。彼がふてぶてしいのは相変わらずだが、『ジョーズ』の前で入りたくないと駄々をこねる九曜さんをなだめたり、出てきてから放心状態になっている九曜さんにソフトクリームを買ってきてやったり、ああ、それから僕らに声を掛けてきた男を追い払ったり、結構活躍していたように思うけどなあ』
駄々をこねたり放心状態になっている九曜ってのを是非見たかったもんだな。それにしても藤原のヤツがなかなかの世話焼きだってのは意外だ。たしかに、佐々木はそれなりにツラがいいし、九曜もお洒落をすると可愛いようだし、橘京子もまあ平均以上ではあるし、女子高生三人を前にしたら格好つけたくなるのが男ってもんかもしれない。それは今も昔も、いや、今も未来も変わらんだろう。ん? そうだ。今ので思い出した。
「そういや、昨日の九曜はどんな格好をしていた? 光陽園女子の制服か? それとも白のスカートにピンクのカーディガンか?」
『おやおや、それは今君が後に言ったとおりだよ。橘さんが「せっかくお出掛けするんだからお洒落しましょう」と言ってね。前日に三人で慌てて買いに行ったんだよ。九曜さんは服装に頓着がなくてね。橘さんが上から下まで全部選んであげたということさ。それにしても、どこで見たんだい?』
あの九曜のお洒落の理由はそれだったのか。まるで今日の朝比奈さんと長門じゃないか。しかしまあ、橘京子もファッションセンスは悪くないらしいな。朝比奈さんほどではないが。
「昨日の朝、北口駅前でだ。9時頃だったな。そうだ。あれが九曜だったのなら、一緒にいた男は誰だ? あの男のせいで長門がヤキモチ焼いて、俺たちは大変な目に遭ったんだが」
『くっくっくっくっく。なるほどね。全部分かったよ。そういうことか』
分かったんなら早く種明かしをしてくれ。
『ごめんごめん。いや、実はね、昨日僕たちは8時半に北口駅で待ち合わせしていたのだよ。ところが時間を過ぎてもなかなか九曜さんが現れない。9時過ぎになって、漸く九曜さんが到着してね。くっくっく』
笑ってないで早く続きを言え。っていうか、その時間、駅前にお前たちの姿は無かったが。
『ああ、それはだね、橘さんは電車で北口駅まで来ると言うので、彼女が改札を出なくて済むように駅のホームで待ち合わせていたのだよ』
そうか、そんで九曜を連れていた男の正体は何だ?
『つまりね、九曜さんは北口駅に歩いてくる途中、道に迷ってしまったんだ。途方に暮れていたところに声を掛けてきて、駅まで案内してくれたのが、君の見た彼だったというわけさ。わざわざ九曜さんの切符を買って、ホームの待ち合わせ場所まで連れてきてくれたからね。実に親切で感じの良い好青年だったよ。彼はそのまま電車でどこかに行ってしまったけどね』
はあ…。思わず溜息が出た。そんなオチだったのか。
「だが待て、以前北口駅前の喫茶店でお前らと会ったとき、九曜は歩いてきてたじゃないか」
『ああ、たしかにそうなんだが、君も知っての通り、五月に九曜さんは光陽園駅前に引っ越したからね』
長門のマンションのことだ。
『どうもそこから北口駅まで歩いてくるのは初めてだったらしい』
んなアホな。せっかく光陽園駅前のマンションに住んでいるんだから、光陽園から電車に乗れば済む話じゃないか。
『くっくっく。まさしくその通りなんだけどね。彼女は切符の買い方が分からず、乗り換えにも自信が無かったらしい。いやいや、僕たちが前もって考えておくべきだったと反省しているよ』
まったくだ。そのおかげで長門が暴走し、古泉は寝不足になり、朝比奈さんは気を回しっぱなしだったんだからな。おまけに俺は荷物運びをやらされた。
『くっくっく。まったく君たち五人は仲良しでいいねぇ。まあ、僕ら四人も君らくらいの信頼関係を築けたらいいなと思っているよ。それにしても長門さんがねぇ。彼女も九曜さんと一緒で可愛らしいところがあるんだね。…くっくっく』
まあな、この一年でだいぶ変わったよ。今日のメイクした姿なんか本当に…。いや、これは言うまい。
『九曜さんはいろいろと長門さんの世話になっているようだね。実にありがたいことだよ。僕からも是非彼女にお礼を言いたい』
伝えとくよ。長門の方も気の合う友達が出来たんで喜んでいるみたいだしな。
『まったくだね。九曜さんも長門さんの話をするときは実に楽しそうだよ。一緒に食事をしてるとか、図書館に連れて行ってもらったとか、ゲームで対戦したとか』
楽しそうな九曜ってのはどんな顔をしているんだろうか。…ん? ちょっと待て。ゲームで対戦? それは初耳だぞ。
『おやおや、長門さんから聞いていないかい? 先週だったかな。なんでも長門さんが作った宇宙戦争のゲームで、徹夜で対戦したとか言っていたよ。眼を真っ赤にしていたけどね。くっくっく』
サンキュー。佐々木。お前のおかげでもう一つ謎が解けたよ。先週の長門のあの異常な雰囲気と月曜日の部室での居眠りはこれだったのか。
『くっくっく。長門さんは秘密にしていたのか。これは口を滑らせてしまったかな。まあ、そんな感じで九曜さんは長門さんと仲良くしているようだ。これからも宜しくお願いするよ』
ああ、長門の方もいろいろと良い影響を受けているみたいだしな。
「俺が聞きたかったのはそれだけだ。じゃあな」
『うん。おやすみ』
ひゅううううううう〜〜〜〜。
電話を切った途端、一気に力が抜けた。
結局のところ長門の、いや、俺ら五人の勘違いだったということか。
まあ、長門のメイクアップした顔も見れたことだし、悪くはなかったな。
種明かしをするために長門に電話してやろうと思って、俺は止めておいた。
別に今すぐじゃなくたっていい。明日、学校で話せばいいことだ。
それに、長門が言っていた。今日は、九曜が夕食を作って待っていると。
今頃は宇宙人二人で仲良くくつろいでいることだろう。
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――邪魔しちゃ悪いよな。
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#br
―エピローグ―
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朝比奈みくるの計画した「グループデート」が実行された日曜日の夕方。
SOS団の連中は長門有希のマンションに荷物を置くと、それぞれの家路に着いた。
長門は自室を出て、マンションの505号室に向かう。
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ぴんぽーん。
ガチャリ、とわずかにドアが開く。
「―――ご飯―――出来ている」
開いたドアの微かな隙間から、九曜が静かに告げた。
「そう」
そう言って長門がドアを開けると、既に九曜は部屋の奥に向かっている。
長門が後に続く。
ちなみに、九曜はいつもの光陽園女子の制服姿。長門は朝比奈みくるコーディネートによるカジュアルな姿だが、九曜は気にも留めない。
「―――座ってて」
九曜に言われたとおりに、長門がテーブルにつき待っていると、九曜が二枚の皿に山盛りのご飯を盛ってやってきた。九曜は二皿のご飯をテーブルに置き、キッチンに戻る。
再び現れた九曜は両手で大きな鍋を抱えている。
「………」
この時点で既に長門には九曜の料理の正体が匂いで分かっている。
九曜がテーブルに鍋を置き蓋を開けると、独特の香ばしい香りを放つ茶褐色のとろみのある液体が姿を見せた。
カレーだ。
「おととい食べたばかりなんだけど」
などとは、長門は言わない。
九曜が盛り付け終わると、
「いただきます」
「――いただきます」
長門が九曜に教えた日本人社会における食事の際の決まり文句を唱え、二人は食事を始めた。
九曜が用意したカレーはほとんどルーばかりで具が少ない。恐らくレトルトだろう。
だが長門は文句は言わず、九曜が作ったカレーライスを口に運ぶ。
二口ほど食してから長門は気がついた。
このカレーは辛い。
スパイシーな料理は長門の好み。一方の九曜は甘党である。
しかしながら、九曜が準備したこのカレーライスは、長門の口に合わせた辛口の味付けだ。
「…美味しい」
長門が微かに緩んだ表情で九曜の眼を見つめて言った。
「―――よかった」
九曜の声には仄かな明るさがあった。
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美味しい、と言ったわりには長門のスプーンの進みが遅い。
「―――?」
訝しがる九曜。
長門は片手で胸元を押さえながら、少しずつカレーライスを口へ運んでいる。
買ったばかりの服が汚れるのを気にしているのだ。
「―――これ―――使って」
九曜が差し出したのは、赤ちゃん用のよだれ掛けであった。何でこんなものが九曜の部屋にあるのかは分からない。橘京子あたりが冗談半分で買ったものかもしれない。九曜が普段使っている形跡もなかった。
「ありがとう」
長門はよだれ掛けを受け取り、首に装着する。
長門のスプーンがスピードをあげた。
「おかわり」
「―――まだまだ―――いっぱいある」
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#br
食事を終え、一緒に入浴し、就寝支度をする長門と九曜。
今夜はこのまま長門が九曜の部屋に泊まっていくようだ。
「………」
数日振りに足を踏み入れた九曜の寝室には、以前にはなかったぬいぐるみや小物類が置かれている。それらは、先日橘京子と佐々木が一緒に選んで買ったものだったが、長門はそんなことは当然知らない。
棚の上に三つ並んでいる写真立てを、長門は一つ一つ手にとってチェックする。どれも佐々木団と写っているものばかりだ。道案内をしてくれた男などとわざわざ写真を撮るはずがない。
「―――何?」
初めて入った部屋のような挙動を見せる長門に、九曜が尋ねる。
「あの……」
と言いかけて長門は、
「何でもない」
口を閉ざした。
「―――」
九曜は黙ってベッドに入る。
長門も九曜の横に並んで身を横たえる。
「おやすみなさい」
「―――おやすみなさい」
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「それと…」
「―――何」
「…おめでとう」
「―――???」
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首を傾げる九曜であった。
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―完―
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