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#navi(SS集)

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* 作品 [#ef6335f7]

** 概要 [#xbff63c0]

|~作者      |輪舞の人  |
|~作品名    |機械知性体たちの輪舞曲 第27話         『枯葉』 |
|~カテゴリー|長門SS(一般)|
|~保管日    |2007-03-10 (土) 00:06:54   |

** SS [#z1fb5dfd]

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 現在全話を修正中です。
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空を仰ぎ見る。
灰色の雲の向こうから降り注ぐ白く美しい結晶。それが舞い散る空。
青く輝く星の大気の底。
わたしは彼女を待つ。
再びやってくる。その奇跡のような光景と共に。
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―ある情報端末の見る光景―
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反応できなかった。
知っていて… なぜ5ヶ月の間、ああして笑えたの。
どうして、わたしとあんな風に過ごせたの。
どうして、あれほどまでに… 優しくしてくれたの。
それが、わたしにあの情報因子を組み込むことだったのだとしても…
感情が蘇ってくる。
あの存在が、思考制御ブロックの奥で活性化している。
泣いている。
わたしには解らない、感情の発露。それが封じられた領域の奥底で発生している。
そんな気がする。
#br
「やはり、知るべきではなかったのでは」
「…いや」
わたしは目眩に襲われているような、そんな視界の向こうの彼女に言う。
「そうではない。けど―」
「彼女は決意を固めていたと思われる」
冷たく感じられる言葉だった。
「あなたがそのように思考を混乱させることはない。規定事項に則した行動を朝倉涼子は取った。それだけのこと。端末であれば任務の性質上、躊躇なく実行したと―」
「―その事は、それ以上はいい」
わたしは彼女の言葉を遮った。これ以上は、自分がどうなるのかわからない。
胸の奥で何かが渦巻いている。
だが、ここでくじけるわけにはいかない、と気を取り直す。
初めて、知ることができる情報を彼女は持っている。
この機会を逃すわけにはいかない。
「話の続きを」
#br
「…わかった。続けよう」
彼女はほんの少しだけ間を置いてから、話を続けた。
「その規定事項の事だ。喜緑江美里も、今言った朝倉涼子のように同期している。各端末は生成後、ある一定の観測された分岐点に対して同期を実施している。あなただけがそれをしなかったのには理由がある。”可能な限り余分な情報を与えられない”という基本方針があった為だ」
「…あの7月7日に同期することが、それほど重要だったの」
「あなたがあの時点で同期を果たさなければ、3年後の時間平面から来た準観測対象の彼と、未来からの派遣観測員の彼女は、元の時間へと帰還する事が叶わなかっただろう。エマージェンシーモードへと切り替えて時間凍結を行う為には、その状況への完全な理解がなければ、なされなかっただろうから」
そうなのかも知れない。”前のわたし”はあの時、混乱するほどに状況を把握できていなかった。正体のわからない対象2体― いや、2人を相手にして。
あの未来からのメッセージがなければ― 本当にどうしていただろう。
「そして、再び巡りくる7月7日に、彼ら2人が3年前の涼宮ハルヒと接触するために時間の遡行を行わなければ、涼宮ハルヒは北高へ進学することもなく、SOS団なる団体の設立は行われず、今、わたしがいる光陽園学院にいたことだろう。結果、宇宙はあの『閉鎖空間』に飲み込まれた可能性もある。これは非常に重要な、避けることのできない事象だった」
…確かにそうなのだが。
彼と涼宮ハルヒが出会わなければ… そういう未来もあり得たのかも知れない。
「初めての同期から3年間、その間に起こり得る事象に対してあなたはよく抵抗した、といえる。特に5月25日のこと。朝倉涼子の消滅を回避したい、というあなたの行動は理解できる。わたしであれば」
「………」
「その時に、何かが起きていたはず。今も原因が不明の、あの事象」
「…時間の上書き現象のこと」
「そう。あなたが統合思念体に原因究明を求めたものの、結局解明されていない。あの異常現象の事だ」
彼女は身を乗り出す。
「なぜ、そんな事が起こり得たのか、分析したことはある?」
「それは、ない」
「ひとつだけ言えるのは、あのような不安定な発現ではなく、それが完全なものだった場合、規定事項を覆すことも可能だったかも知れないという事」
「でも、結局できなかった」
「当然ね。もしあなたの行動が完全に時空を超越していたのだとすれば、未来は崩壊する。時間というのは冷厳なもの。異端の存在の抵抗には自己修復という姿勢でねじ伏せてくる。パラドクスが守られなければ、それこそ宇宙は混沌としたものへと変質してしまうだろう。同期などというシステムを駆使する我々でも、それに対抗する手段は持たない。そのはずだった」
「はず… だった?」
「あなたが引き起こしたのよ。あの時間の上書きは」
「わたしが?」
「恐ろしい機能だといえる。本来、端末には感情など備わらない。同期というシステムを使用した端末が未来を知り得たとして、それを回避するなどという事を考えるはずがない。そういう前提で使用されるものなのだから。ヒトの感覚であれば、わたしたちはただの機械知性体にすぎない。それが、自分が望まない未来、などというものを持つはずがない」
「………」
「もし、あなたの中にあるものが完全に覚醒するのなら。そしてわたしたちが危惧するような存在に成り果てているのだとしたら、それこそ宇宙は崩壊するだろう」
「それは過大評価にすぎるのでは」
「そんな事はない。現在、統合思念体は未来を確定して観測できない事態に遭遇している。あの朝比奈みくるが、どのように未来と接続しているかは不明だが、わたしたちの観測する未来はいくつもの可能性に揺らぎ、安定していない」
「…確定できていない? そんな事はあり得ないのでは」
「わたしが、ここであなたとこうして会話をする。すでにこの事態そのものが規定事項に含まれていない」
彼女は言った。
「そしてわたしが、9月1日にあなたに姿を見せる、という行動。これすらも、わたしの規定事項にはないものだった」
「今、上書きが起こっているの。この時点で」
「あなたは7月7日以降、同期していないから気づいていないだろう。12月18日のことについては、ただ情報として知っているだけだろうから」
思索派端末は唇を軽く曲げる。苦いものを告げるような、そんな表情。
#br
「3年前のあなたの同期終了後、すべての端末の規定事項がすでに歪んでいるのだ」
#br
「まさか」
そんな事態になっているとは。容易に信じられない。
「喜緑江美里もそうだ。あなたは、本来あの場所で彼女と出会う予定ではなかったはず」
…確かにわたしはあの時、”会うはずのない彼女”と出会ったことで、時間の上書きが始まっていることを確信した。
もっとも、その後の事態は変えられなかったのだが。
「つまり、喜緑江美里の規定事項も歪んでいる、という事。それは解るだろう」
喜緑江美里は何も言わなかった。
では、初めて出会うのはいつだったのだろう。
あのマンションの前?
これが”歪んでいる”という事なのか。
わたしはいつ、彼女と会うはずだったのか、それが”わからない”。
「…これでわかるように、確実に今、わたしたちは不安定な情勢に置かれている。おそらく、統合思念体が宇宙に誕生してから初めての局面。未来を確定できない、という事象」
「しかし、その事自体、統合思念体が計画したことでは。自律進化の探求というものに付随する結果ではないのか」
「この計画には主だった3つの派閥が参加している。それぞれの思惑もあったろうが、派閥の立場、思念の方向性などで、求める結果は微妙に食い違ったままスタートしてしまっている。そのせいもあるのだろう。出ている結果を、評価しきれていない」
「では何を求めているの。統合思念体は。自律進化とはいったい何」
「未知のものを知る、という事かも知れない。この宇宙に未だ存在したことのない、何より”知覚可能な遥かな未来にすらも存在しないもの”を自ら生み出したいのかも知れない。機械知性のようなわたしたちと、有機知性体というわたしたちから見ればノイズにまみれた不完全な存在。それらではない、何者かを作り出したい、という事なのかも知れない」
あの存在も、似たような事を言っていた。
有機体でも、情報体でもない、まったく違うものになるだろう、と。
しかし。
#br
「では、誰もわからないものを? 誰も理解できない存在を作ろうというの。統合思念体は。そんなものを」
「わたしたちから、また”何か”へと進化を遂げるというのであれば、それは予測できるものであってはならない。予測できるという事は、すでにそれを知っているという事と同義であり、そんなものは統合思念体は簡単に生み出すことができるだろう」
それでは意味がわからない。
いったい、何をしようとしているの。
わたしはそれに該当する存在に思いあたる。
遭遇したことのある、その存在。
それを言ってみる。
「そんなものであれば、すでに存在している。広域帯宇宙存在がすでにある。あれこそ理解のできない、未知の存在そのものでは」
「確かにそうだ」
目の前の端末がわたしの言葉に同意する。真剣な表情で。
「それを作ろうとしているのかも知れない。だが、あれもまた情報生命体というカテゴリーに含まれるものだろう。違うのかも知れないが」
「不確定すぎる。そんな計画があっていいはずがない。本当は何をしようとしているの」
「それは伏せられている。主計画に参加していない思索派の、それも1個体のわたしにはこうして推測していることしかできない。その広域帯宇宙存在、というものについて言えるのは…」
「………」
「あの東京での遭遇。現時点で対抗できたのは、あなただけ、という事実」
「わたしだけ?」
「地球上に配置された情報端末の中で、あのように無力化が可能だったのは、ただ1体。長門有希、という個体だけだった。喜緑江美里から聞いているとは思うが、思念総体ですら為し得なかった事。現在、もっとも多くの接触・戦闘経験を与えられたあの喜緑江美里にですら、不可能だったことをあなたは成し遂げている」
「あれは… 偶然にできたこと」
「偶然ではない。必然だった。成功するだろうというその可能性は予見でき、その為にわざわざ観測任務を解いてまであなたに派遣命令が下された。本来、異質なものへの接触と相互理解は絶対に不可能。それにも関わらず、あなたはそれを成功させた。という事は、あなたはあの存在と共有する何かを内包した存在に変質しているという証明なのだ」
「…まさか」
「何より、あの”歪んだ鏡(ミラー)”と呼称される個体の覚醒も、規定事項ではあり得ないことだった」
わたしは口を閉ざす。
規定事項を外れている。その実感がまったくなかった。
同期していないのだから、当然のことと言えるのだが。
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「…なぜ、それがわたしでなければならなかったの」
わたしは情報制御空間の作り出す、無機質なコードが描かれる壁に視線を移しながら言った。
「”前のわたし”もそれを疑問として喜緑江美里に問いただしていた。なぜ」
「涼宮ハルヒという重要観測対象に選ばれたからだ」
「選ばれた… わたしが?」
「そう。そして接触をするうちに、彼女の願望が、あの能力が、あなたの中にあるものの成長を促進させている。それも目的のひとつだったと推測される」
彼女は深く息をついた。本当に人間らしい仕草だと思う。
こんな時に、それを思うなんて。
「彼女は、あなたに変わって欲しいと願った」
「何を… 願うというの」
「涼宮ハルヒは、あなたが人付き合いの下手な、孤独な、哀れな存在と思ったのかも知れない。そうではないのかもしれないが。とにかくあなたという存在が変わっていって欲しいと願ったのだと思われる。統合思念体はそれをも利用した、というよりは、それこそが狙いだったのかもしれない」
彼女の言葉を思い出す。わたしの名前を呼ぶ声。
有希、と呼ぶ。唯一の存在。
わたしを見ていた。ずっと。
朝倉涼子とは、また違う視点で。
…願っていた。わたしが変わることを。
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「無機物で構成された1体の人形、があったとする」
突然の言葉にわたしは我に帰る。人形?
「それに対して、どれだけの言葉をかけたら、その人形は返事をしてくれると思う? 100回、こんにちは、と言ったら挨拶を返してくれるだろうか。それとも1,000回。まだ足りないかも知れない。1万回? それとも10万回声をかけたらいい?」
「無意味」
わたしは即答する。
「無機物の人形に対して、仮に100万回声をかけたところで返事など戻ってはこない」
しかし、その答えに彼女は沈黙する。
どうしたのだろう。
わたしの答えに何か変なところがあったのだろうか。
「…いや、すまない」
初めて彼女がおかしな反応を示す。
だがそれもわずかの間。すぐに元の彼女へと戻る。
「つまり無機物の人形が、劇的に”何か別のもの”に変わるという異常事態がなければ無理、という話だ。その為の涼宮ハルヒの能力の利用と推測できる」
彼女は寂しげな表情を浮かべた。
「…そして、それを成し遂げようとしている個体がいる訳だが」
「何の話」
「…こちらの事。ともかく種は蒔かれ、その基本となる部分も、ある存在が懸命に作り上げ”続けた”。あとは本質を変容させる何者かの介入がいる。さきほども触れた涼宮ハルヒの能力と、”彼”だ」
彼のこと。また蘇る感触。
データでしか残っていないはずなのに。
夕立の日の、記録が勝手に呼び戻される。
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「…あなたの話は抽象的すぎて、理解しづらい」
「これでも、かなり解りやすく説明していると思うのだが…」
肩をすくめる仕草。
「とにかく言えることは、あなたはわたしたちでもない、ヒトでもない、なにものかに生まれ変わるだろう、という事。そしてそれを止める術は今のところない」
「それが結果として、統合思念体を消し去る、という事態に至ってもいいのというの」
「その可能性も検討されている。だからこそ、警戒レベルは引き上げられている。全派閥の注目があなたに注がれている。急進派と穏健派だけではない。全ての派閥が、だ」
「…主流派は」
一番聞きたい動静だった。わたしを生み出したはずの、もっとも関係の深いはずの創造主。
その意向がもっとも理解できないのだから。
「わたしの派閥は何を考えているの。生み出されてから、主だった支援がまったくないままでいる。わたしの現状にも、何も言ってこない」
「信頼されている、というのでは納得はいかないか」
「そんなあいまいな言葉では―」
「意外と本当の事なのかも知れない。現に主流派は、あなた以外の端末をこの計画に投入していない」
「…わたしは反抗するものと推測できる。現に思考ブロックを施された今でも、このような思考プロセスを有している。今夜、ここに来ているのも本来、あり得ない行動でもある」
「その思考ブロックについてだが」
彼女は話題を変えた。
「統合思念体があなたに施した思考制御ブロック。これも規定事項外のことだった」
「しかし、あの時点で申請する事はわかっていたように思える」
あの支配領域の拡大。どうしても、あの時点で思考制御ブロックを申請しなければ間に合わない。それができなければ、今頃どのような事態になっているのか、それこそ判断できない。
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「―今の時間平面の事態の進行は、過去のものとは違っている」
「過去の? 時間平面の過去?」
わたしは、言いよどんだ彼女の言葉に違和感を認める。
「時間平面そのものに揺らぎがあるという意味? それとも複数の時間平面が平行して存在しているという示唆?」
「…今は、まだそれはいい。いずれこの先、あなたはそれを知る事になるだろうから」
「ここまで説明しておいて、それは―」
「残念だが、それについては明言できない。今は」
少しだけ気まずそうな彼女の顔。
自分のミスを自覚したような、そんな態度だった。
「…とにかく事態はそのように進行している。そのコードネーム。地球のある神話の一節から取られ、命名されている。実に皮肉の効いた、ユーモアと評価すべきネーミングだ」
彼女の顔に歪んだような微笑が浮かぶ。
「…あなたの名前は美しい。とても。でも、望みが有る、というその意味を、あなたは本当に知ってつけたのか」
自分の名前? パーソナルネームのこと。
それは… あの時の光景からつけられた…
自分で命名した。そのはず。
「もし知らずにつけたというのなら、皮肉な運命と評されるべきね」
「運命。どういう意味」
「…さあ?」
おどけたような態度。そして告げる。
「パンドラの箱。この世の全ての災厄が封じ込まれた、という神話に出てくる箱だ」
「アーカイブにある。それはわかるが」
「…最後に残されたただひとつのもの。それがあなたの名前」
希望。それがわたしの名前。
希望が有る。
有希。
「そんな未来の話は当時に知りえたはずがない。ただの偶然」
「そうかも知れない」
彼女は哀しげに微笑む。
「だから、皮肉というのだ」
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わたしはようやく向かいのソファに座る。
結局のところ、知りえたことは多いが、この先の行動指針となり得るものはほとんどなかった。
もっとも衝撃が大きかったのは… やはり朝倉涼子のことだった。
自分が消滅することを、知っていた。それも、わたしの手で行われる、という事を。
その事実が重くわたしの肩にのしかかるような、そんな感触。
でも、こんな計画を果たすためだけに、あんなことをしたのか。
わたしとの生活。あの日々。
信じる、というより、釈然としない。
どんな… 「気持ち」だったのだろう。
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「まだ時間はある。何か飲まないか」
わたしはソファの上で、疲労をこの時に初めて感じる。
確かに、少し疲れている。立ったままの姿勢だったがそれは問題ではなかった。
思考することに疲れを感じていた。
彼女は情報制御されたこの部屋の中にある、オーディオ機器を操作する。
1枚のレコード。自動的にセットされ、楽曲が静かに響く。
クラシックだろう。
どこかで… 聞いたことがある。ピアノの演奏。
とても落ち着いた、きれいな音だと感じる。
「…この後、わたしはどうしたらいいの」
「その日が来るのを待つだけだろう。もはや」
紅茶のセットが低いテーブルに構成される。いとも簡単に。
それを出し終えると、眠りにつくような姿勢で彼女はソファにもたれかかる。
「いずれ、どんな事にも終わりは来るものだ。良かれ、悪しかれ」
「思索派は結論を出さないのでは」
「もう、わたしもだいぶ変わってしまった」
ティーカップを緩慢な動作で取ると、その香りを楽しむように鼻に近づける。
とても優雅な動作だと思う。
「そもそも、決断しないのが信条の思索派端末という立場で、あなたに自分の姿を見せに行ったこと自体が異常行動だ。そんなつもりはなかったのに」
「では、なぜ」
「わたし自身が相当に変質しているという証拠かも知れない。宇宙人というものが、彼女の中で違うものに認識されつつあるのでは、という意見もあるしね」
「地球人と仲良く暮らすような?」
「そういうことかも知れない。彼女の願望実現能力は底知れない。あなたたちを派遣して接触することも控えるべきだったのかも知れない。それも今となってはわからないが」
「他勢力への牽制もあったと思うが」
古泉一樹、朝比奈みくる。それらふたつの勢力。もっと存在するのかも知れない。
「本来はあなたが言ったように、それらの牽制を行いつつ、ただ観測するだけに留めるべきだったのでは」
「今はもう仕方のない話ではあるな」
思索派の端末は、少しずつまぶたを閉じる。
…眠いのだろうか。
#br
「あなたの事を聞いても?」
「わたしの?」
低い声。でもはっきりとしている。
「何を訊いても、おそらくつまらないと思うけど」
「どこで生まれたの。いつから、地球に」
「アフリカ大陸。何もない時代だった」
彼女は昔を思い出すように、ゆっくりと話し始めた。
「その頃の人類の知性といっても、本当に原始的なもの。最初にあったのは生存本能というものだけ。当時のわたしの姿は、今ではとても見せられない。年齢も性別も人種も、何度も書き換えられた」
「そう」
「少しずつ移動が繰り返された。世界中を移動し続けた。もっとも長くいたのはヨーロッパだった。わたしは主にブリトンに滞在している。ハイランド地方。野蛮で牧歌的で不衛生で… でも、あの頃が一番楽しかったのかも知れない」
とても、暖かい笑みだった。
何を感じているのだろう。それが知りたくなるような、そんな表情。
「もう、その頃にはわたしの同タイプの仲間たちは廃棄されていた。たったひとり、ずっと、どの端末群にも所属せずに世界を放浪していた」
「………」
「この曲、名前を知ってる?」
今かかっている曲のこと。
「アーカイブからであれば」
「味気のないこと」
「あまり音楽、というものには関心がなかった」
「秋に文化祭があるのでしょう。あなたは、もし規定事項が揺るがなければ、人前で演奏することになる。ステージがあるから」
「わたしが?」
彼女は微笑む。瞳を閉じたまま。
「とても多くの人々に囲まれて。たくさんの歓声にあなたは戸惑う。わたしはその観衆の中にいる。谷口、という人間に声をかけられるが、適当にあしらって体育館に向かった後の話」
彼女の規定事項か。
…それを、今、ここで言えるという事は、やはり揺らいでいるということ。
時間の上書きが今も行われている。
「とても素晴らしい音楽。その曲。あなたの事を歌っているようにも聞こえた」
「どんな、曲なの」
「とても好きだった人が、その純真さからあなたを傷つけるのを恐れて、去って行ってしまう。でも、あなたはそれを追いかけようと心に決める。どんな世界の果てであっても」
それがわたしのこと?
なぜ、そう感じるの。
好きな人、とは… 誰のことを。
#br
「エリーゼのために」
「…なに?」
声がぼやけている。眠りにつく、そんな感じがする。
「この曲。今聞いている音楽よ」
「これが?」
「…あなたたち3人が、奏でている。同じ旋律を何度も繰り返して。でも、その旋律は少しずつ違う要素を組み込んで変化していく…」
彼女の声が途切れそうになる。
眠りなのか。本当に。わたしは目を細める。
「輪舞曲(ロンド)。その形式。何度も繰り返される。朝倉涼子が、自分の意思でそれを続けている…」
朝倉涼子が…? 何を言っているのか、はっきりとわからない。
まるで、睡眠時に人間のつぶやく寝言のような… おかしい。
「どうしたの」
わたしは立ち上がる。
異常が発生している。彼女の様子が明らかに変調している。
呼びかけようとして… 彼女の名前を知らないことに気づく。
「いったい、何が」
「少し… ね。眠いのかも」
「何が起こっているのか、説明を」
「新しい葉が… 生い茂ろうとしている。古い葉は、枯れて堕ちて、後の為に大地に還元される… それでいい」
「何を… 言っているの」
「見てみたかった。あなたの、演奏する姿を。本当に」
今まで磐石のものだった、あの情報制御空間が、崩壊を始める。
突然の事態。
「待って。今、再構成を」
粒子が舞う。構成された情報が、次々と結合分離し始めている。
あまりにも早すぎる。
わたしはその複雑な組成を読み取り、再構成をかける。
間に合わない。
崩壊する壁の向こうから、わたしの知るあの声。
「長門さん」
喜緑江美里の声。
「急いで。こちらに」
手が伸びる。制御空間を越えて、彼女が侵入しているが、それも一部だけ。
その手しか見えない。
「待って。彼女が」
「もう、手遅れです」
真剣さを帯びた、切迫した声。でも。
「彼女が―」
「早く!」
叫ぶ。あの喜緑江美里が。
わたしの右手に暖かい感触。つかまれる腕。
崩壊を続けるその部屋の中で、ソファの上で眠り続ける、思索派端末の彼女の姿を見た。
笑顔を浮かべたままの、彼女。
#br
#br
照度の低い天井の明かり。
わたしは呆然としたまま、”何事もない”マンションの廊下で喜緑江美里に抱きかかえられていた。404号室のドアには何の変化もなかった。
「…いったい、何が」
わたしはそのドアを見つめたまま、つぶやく。
「彼女の意思でした」
「意思。何の」
「これは、明らかな違反行為です。独自に、あなたと接触をするために、自身の大半のリソースを使い尽くしてまで偽装情報網を構築した。他の情報端末にも、思念体にも秘匿したまま」
「だから、消去されたというの。彼女が」
「あなたがそれを求めた」
わたしは喜緑江美里に向き直る。
「こんな結果を求めたわけではない」
「公開されていない端末配置を、危険な行為だと知りながらシステムに侵入して掌握のはあなたです。彼女はそれに応じたに過ぎない」
「そんな…」
もう一度404号室のドアを振り返る。
何も変化はない。
再び、ドアを開ければそこに彼女がいる。そんな気すらする。
…もう、中は何もない部屋なのだと、理解していても。
あの彼女が、もういない。
その現実が受け入れることができないでいた。
#br
#br
わたしは喜緑江美里とマンションを出る。
無言のままだった。
すると、外ではひとりの男子学生が、あたりを見回している。
彼女と同じ、光陽園学院の生徒のようだ。制服でそれとわかる。
しかし自分が何をしているのか、理解できていないような、そんなように見受けられる。
「…あの方の、交際相手だったようです」
「交際…?」
喜緑江美里は視線を向けずに説明した。
「今日、彼女は消滅することを知っていた。そういう結果になるだろうと」
「彼は」
「…最後に、彼女がお別れの連絡をしたようです。それを確認しようとして、ここまで来ていました。自身の崩壊と共に、彼の記憶を抹消したようです」
男性は、しばらく自分の行動に釈然としないものを感じながら、それでも自転車に乗ってこの場を去って行った。
それを見送りながら、わたしは思う。
どうして、そこまでしてわたしに情報をくれたのだろう。それがわからない。
自分がそれを求めたというのに。
「わたしたちと同じアーキテクト」
喜緑江美里の声は、低いものだった。
「感情表現だけであれば、本当にあの方の個体経験は、他のどの端末よりも上だったでしょう。未練、というものもあったとすれば、ですが、感じていても不思議ではない」
「だから、お別れを言ったということ」
「そうです。本来であれば、朝倉涼子の時のような処理もできたし、そうでなければ、ただ記憶を改ざんするだけでも良かった」
“前のわたし”は、言えなかった。
朝倉涼子には。
#br
「…最後に変なことを言っていた」
「なんと言っていたのです?」
「輪舞曲(ロンド)。それをわたしたちが奏でているのだと」
喜緑江美里は目を閉じる。何も言わなかった。
知っている。そんな気がする。
でも、聞かなかった。いつかわかる、という予感もあったから。
「あと、枯れ葉という言葉。自分が朽ちるのは、後に続く者のためなのだと」
「…規定事項の呪縛は強いもの」
ぽつり、と彼女は言った。
「地球に配置されている全端末の中で、あの方の同期回数はもっとも多い。つまり、それだけ未来の確定事項を決める要因となるもの」
「だから」
「そうです。だから、自身が消滅することで、今後、あなたが規定事項を越えることを容易にしたかったのでしょう。縛りは少ない方が良いのだと、そう判断した」
#br
ここで起こったことは全て時間の上書きで、改変されたものなのだと彼女は言った。
踊る人形が、積極的に何かを変えようと動く時、こんな犠牲が伴う、という事なのだろうか。
報いというものなのか。これも。
#br
…そうやってわたしが抗えば、みんな、わたしのために消えてしまうのだろうか。
朝倉涼子も、名前も知らないまま消えていってしまった彼女も。
わたしの為に消えてしまった。
ふと、喜緑江美里の顔を見る。
漠然とした不安。
まさか。
「…どうかしましたか」
いつもの、変わらない微笑み。首を傾げるその動作。
いつまでも、変わらないでいて欲しいと思う、その笑顔。
かつて、わたしが朝倉涼子に対して思っていただろう、その記録。
#br
一緒にいてほしい。
いつまでも。
そう、願う。
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「さあ。帰りましょう」
彼女はそう言って手を取る。
とてもやわらかい、暖かい手。
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枯れ葉の舞う季節。
それを過ぎれば、もう、あの日がやってくる。
わたしたちの奏でるという、輪舞曲(ロンド)。
#br
その最終楽章が始まろうとしている。
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―終―
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