作品

概要

作者NEDO
作品名小さな笑顔が消える時
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2008-07-30 (水) 18:45:32

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 
 
 

―― 恋愛とはなにか。私は言う。それは非常に恥ずかしいものである。

 
 

 わたしは自宅の居間でクリスマスパーティーの時に撮った偶然彼と隣り合わせになっている
お気に入りの写真を眺めながら、心の中で太宰治の言葉を引用していた。
こんなところを誰かに見られたら、きっと羞恥心に駆られて相手の記憶を消去してしまうに違いない。
恥ずかしいもの、とは素朴な表現ではあるがよく言ったものだ。

 

 わたしが一有機生命体の遺した言葉の的確さに改めて感心していると、
「綺麗に撮れてますね」
 背後から突然透き通るように細い女性の声がして、
思わず手の中にあった写真をこたつに叩きつけてしまった。

 

「インターホンを鳴らしても出ないなんて、よっぽどご執心みたいですね」
 わたしを見下ろしながら小憎らしい笑顔を浮かべている不法侵入者は、
わたしの監視役を勤めるインターフェイス、喜緑江美里だった。
玄関は施錠してあったはず。情報操作でこじ開けて侵入したに違いない。

 

「いつからここに?」
「十分ぐらい前かしら。いつわたしに気づいてくれるか待っていたのに
長門さんったら全然気づいてくれないんですもの」
「喜緑江美里の過去十分間の記憶データを消去する」
 恥ずかしい場面を目撃されたことと、わたしのプライベートに土足で侵入されたことに
頭が湯立つような思いと共に喜緑江美里に向かって記憶操作を施すための情報因子を
放出するものの、それを読んでいたかのようにタイミング良く展開する防護フィールドに
よってあっけなく遮られてしまった。
「ふふ、残念でした」
 余裕の笑顔。彼女にはいつも手玉に取られる。遺憾。

 

「観測対象に必要以上の好意を寄せるのはいかがなものかと思いますが、
待機時間中のプライバシーぐらいは認めてあげるのが人情というものでしょう」
 不法侵入した時点であなたにプライバシーという単語を使用する権限はない。
「もし必要でしたら微力ながら相談に乗って差し上げましょうか?」
 大きなお世話。ほっといて。

 
 

 そんな思い出したくないやりとりがあってからしばらく後、
学校から帰宅途中に自宅マンションの近くの公園のベンチに見慣れた姿を発見する。
いつも一言多い監視役、喜緑江美里である。

 

 わたしが知人と偶然会っても自分から歩み寄って声を掛けるなんてありえないことであり、
ましてやそれが喜緑江美里なら尚更なのだが、彼女の様子がいつもと違うように感じられたので
彼女の座るベンチの方まで近づくことにした。

 

「…はぁ」
 彼女は歩み寄るわたしに気づきもせず、手元にある何かを眺めながら
デフォルトの笑顔はどこへ行ったのか浮かない表情で溜息をついている。

 

 彼女の半径二メートルまで接近。しかし彼女の様子はかわらない。
ふとわたしは以前のやりとりを思い出し、彼女の背後にまわって物憂げな視線を送っている対象物を
確認することにした。
 彼女が手にしていたのは、細長い眼鏡をかけた北高の男子生徒が写ったスナップ写真。
その被写体の人物とは忘れもしない、以前わたしに文芸部の進退に関する因縁を突きつけてきた
生徒会長だった。
あの件は正確には古泉一樹ら機関による涼宮ハルヒを楽しませるための芝居だったのだが、
何の事前情報もなしに文芸部廃部の要求を突きつけられた時の憤りは忘れようにも忘れられない。

 

 喜緑江美里が何故生徒会長なる人物の写真を溜息混じりに眺めているのか、
考えられる理由は二つある。
生徒会書記の唐突な解任などの無理難題を押し付けられたか、
あるいはわたしが彼の写真を眺めるのと同様の理由か。
 前者とは考えにくい。嫌悪の対象となる人物の写真なんて普通は持ち歩かない。
その証拠にわたしは、クリスマスパーティーの後日にSOS団員全員に配られた記念写真の中で
古泉某が一人で写っている物をすべて廃棄した。

 

 喜緑江美里の行動の意味を確信し、以前の仕返しをすることにした。
「よく撮れている」
 目の前の少しウェーブのかかったロングヘアが威嚇状態の猫のように逆立つ。

 

「な、長門さん?」
 こちらの方を振り返り、目を丸くする。
「あなたと北高の生徒会長に該当する人物がそのような関係だとは知らなかった」
「い、いえ、これはその…」
 さぞかし驚いているのだろう、流暢な会話が売りの彼女が言い訳さえままならない様子だ。
「情報統合思念体に所属するあなたが古泉一樹の機関に雇われている人物に特別な感情を抱くのは
あまり推奨できる行為ではない」
「……」
 鬼の首を取ったような気分で追及の言葉を投げかけると、喜緑江美里は反論もせずに自分の足元に
視線を落として、またもとの憂鬱な表情に戻ってしまった。
彼女がここまで落ち込んでいるケースは記憶の中を検索しても見つからない。
どうやらわたしと滑稽劇のような喧嘩を演じる余裕もないほどに思い悩んでいるみたいだ。

 

「今のは、嘘。任務に支障が出ない範囲内なら多少の交友関係を築いても問題はない」
 調子に乗りすぎたことに反省して即座に前言を撤回する。
しかし彼女はうつむいたまま何の反応も見せない。

 

「何か問題が?」
 黙ってうなずく。
まるで寡黙なわたしと多弁な彼女の立場が逆転したような気分になる。
 
「あの、長門さん…」
 ふと、喜緑江美里は言葉をつまらせながら、祈るような仕草をして、
「相談に乗って頂けませんか」

 
 

 もうじき日が暮れてしまいそうな時間帯に公園で長話をするのはよくないと判断し、
喜緑江美里を自宅に招いて話を聞くことにした。
 
 何度か世話になっている彼女の頼みを断る気にはならなかったし、
何より彼女が持ちかける相談の内容に興味があった。
 以前浮上した喜緑江美里がコンピ研の部長の恋人であるという情報は
あくまでSOS団を巻き込むために使用した偽りの肩書きであり、
彼女が異性のことで頭を悩ませるのはこれが初めてである。

 

「飲んで」
 彼女を落ち着かせるためにほうじ茶を差し出す。
普段なら喜緑江美里相手にわざわざお茶を振舞ったりはしないのだが、
わたしだってこういう時ぐらいは気を遣う。

 

「実は先週…」
 喜緑江美里はお茶には手もつけずに語り始め、わたしはお茶を一口飲みながら傾注する。
「同じ学年の男子生徒から告白されたんです。写真の彼ではなく、見ず知らずの人でした」
 彼女の言葉に思うところがあり、湯飲みを傾ける手が止まってしまう。
彼女が動揺するのも無理はない。わたしも以前同じような経験をした。

 

 わたしは以前、彼の中学時代の友人である中河という人物からラブレターを受け取ったことがある。
わたしの気持ちなど微塵も考えずに他の男を紹介する彼の無神経さにあてつけるために
会ってみたのだが、それでも彼は嫉妬心の片鱗さえ見せてくれなかった。
彼の性格の良さは認めるが、あの超が付くほどの鈍感さだけはどうにかしてほしい。

 

 話が逸れてしまった。反省。

 

「その男子生徒からの告白は丁重にお断りしました。
そしてその日から、わたしがずっとある異性に好意を抱いていたことに気づいたんです」
「それが、生徒会長?」
「…ええ」
 喜緑江美里の表情に不安の色が漂う。
「どうしてその時告白してきたのが彼でなかったのか、彼はわたしに対してどういう感情を抱いているのか、
彼は誰に好意を寄せているのか、そればかりが気になって日常の作業が手に付かない状態が続いています」
 かつてわたしを苦しめた解析不能なエラーデータの集合体が喜緑江美里の思考領域にも発生し、
正常な思考活動を圧迫しているのだろう。

 

「このままでは能力不備を理由に統合思念体によって処分されるかもしれません。
わたし、どうしたらいいのでしょう…」
 喜緑江美里が消去されてしまうのはわたしとしても避けたい。
日頃から彼女に対する不満はあるが、消去されてしまうのを見過ごすほどではない。

 

 彼女のために状況の打開策を思案する。

 

 彼女の中にあるエラーデータを削除するにはどうすればよいか。
エラーデータは現在の我々には解析不能なため情報操作で直接削除することは出来ない。
削除するためには彼女本人が大規模な世界改変を伴わなければならず、
彼女のエラーデータは世界改変を行うのに充分なレベルまで達していない。
エラーデータが世界改変可能なレベルまで肥大化するのを待つというのはあまりに愚策である。
したがって、エラーの原因を取り除くのが有効かつ現実的な手段だろう。

 

 差し当たり、生徒会長の本心を知りたいという欲求がエラーの原因になっていると考えられる。
喜緑江美里本人が直接尋ねれば話が早いのだが、それが出来るなら始めから苦労はしない。
代理人を立てて尋ねるのが適切だが、その役はわたしでは勤まりそうもない。
あまり面識のない人物に込み入った質問をするなんて、考えただけで緊張してしまう。

 

 顔を伏せて沈黙する喜緑江美里を眺めながら逡巡していると、ふと名案が閃く。
「わたしに任せて」

 
 

 翌日の昼休み、文芸部室兼SOS団室にて。

 

 メールで呼び出した彼はいともすんなり来てくれた。
「それで、今度はどんな問題が起こったんだ?」
 通称キョンと呼ばれる彼は、これからわたしが持ちかける厄介事を察しているかのように
倦怠感に溢れた顔をした。
 正直、彼に余計な負担をかけるのは気が進まない。
でもこの問題はわたし一人の力では解決できない。
これまで数多の問題を解決に導いてきた彼の協力が不可欠。

 

 とはいえ、わたしがこれからする要求は口に出すのを躊躇われる内容だ。
どのように切り出すべきか迷ったわたしは軽い雑談から入ることにした。
「猫は元気?」
「ああ、元気だ。食っては寝てばかりのあいつに元気という形容が相応しいかどうかは疑問だが
いつもどおり変わりなく過ごしてるぞ」
「そう…」
「って、それだけかよ。わざわざ呼び出すぐらいだからてっきりあいつの頭の中に植え込んだ
珪素ナントカ生命体に異常が発生したのかと思ったじゃないか」
 そのことをすっかり忘れていた。ごめんなさい。でも元気なら問題ない。

 

「まさか雑談するために呼び出したのか?まあそれはそれで一向に構わないが」
 彼はまんざらでもなさそうな表情で、わたしの近くにある団長席に腰掛けた。
 彼がわたしとの雑談を希望していたとは知らなかった。意外。
 今度自宅に招いてゆっくり会話する機会を設けるべきだろうか。
 …じゃなくて。

 

「あなたに、頼みたいことがある」
「やっぱりそれか」
「迷惑?」
「まあ内容によっちゃ迷惑と思うかもしれないが、俺とお前の仲だ。遠慮せず言ってみろ」
 どういう仲だろう。同じSOS団員として?それとも友人として?あるいはそれ以外の…
 …また脱線している。思わせぶりな発言は控えて欲しい。

 

「ある男子生徒に接触してほしい」
「誰?」
「この学校の生徒会長に該当する人物」
「あいつか」
 露骨に嫌そうな顔をする。その気持ちはわからなくもない。でも今は嫌な顔をしないで、聞いて。

 

「あなたにその人物からある情報を聞き出して欲しい」
「何の情報だ?」
「彼の胸中」
「すまん、もっと具体的に頼む」
「……」
 覚悟を決めるために間を置いて、なるべく冷静な声で発声する。

 

「彼が好意を抱いている異性について」
 二人きりの部室内の空気が硬直する。
「マジか」
 彼は言葉通りにあっけにとられた顔をする。
 わたしにはうなずくことしか出来ない。
「しかし、なんでまたそんなことを…」
「知人に頼まれた」
 喜緑江美里から口止めされているため、彼にその名前を明かすことは出来ない。
「彼女は見知らぬ異性から告白されたことで生徒会長に抱いている感情に気づき、深い煩悶に陥っていた。
わたしには彼女の頼みを断ることは出来なかった。あなたにとっては迷惑なことかもしれない。でも…」
 ここで朝倉涼子のように巧妙な作り笑いを浮かべて「お願い」と言うことが出来たらどんなに楽だろう。
 不器用なわたしにはそれが出来ない。出来たとしても恥ずかしくて実行しない。

 

 彼はしばらく中空を眺めながら怪訝な表情で熟考した後、
「よし、分かった。やってみるよ」
 何を思ったのか含み笑いを浮かべてそう言った。何の笑顔だろう。本当に気になる。

 

「今日の放課後にでも会長室に行ってみるつもりだが、どういう結果になっても俺を恨まないでくれよ」
 大丈夫。あなたならきっと何とかしてくれる。

 
 

 同日の放課後。

 

 SOS団を早々に切り上げたわたしと生徒会の仕事を同じく切り上げた喜緑江美里は
人通りの少ない部室棟から屋上に続く階段の踊り場で密会していた。
「彼に任せて本当に大丈夫なんでしょうか」
「信じて」
「そう言われましても、長門さんの話を聞く限りでは彼にこういった問題を任せるのは少々不安が…」
 苦笑を浮かべる喜緑江美里。
 わたしに相談を持ちかけて以来、彼女はわずかながら笑顔を見せるようになった。
これがいい傾向であると思いたい。

 

「あらかじめ会長室の内壁に音声情報を収集するプログラムを埋め込んでおいた。
わたしと直接リンクすれば会長室の会話を傍受することが可能」
 情報操作能力を私事に使用するのは躊躇われるが、
喜緑江美里の機能保全のためと考えれば問題ない。多分。
「…お願いします」
 彼女は少し迷ってから、向かい合って差し伸べているわたしの手を恐る恐る握る。
 こうすれば統合思念体を仲介せずにインターフェイス間で観測データ等を共有出来るのだが、
人気のない場所で女同士手を握り合っている場面を他人に見られたら良からぬ誤解をされるかもしれない。
だからそんなに顔を紅潮させないで欲しい。

 

「音声情報収集プログラム、起動」
 形式ばった掛け声と共にプログラムを起動すると、聴覚から感じられる物とは別の音声が伝わってくる。
 シャープペンの走る音、紙をめくる音、そして小さな溜息。
 恐らく部屋に彼はまだ来ておらず、生徒会長が一人で書類仕事などをしているのだろう。
ふと、耳を傾ける喜緑江美里が瞳をうるませ、口元をわずかに綻ばせているのに気づく。
それは普段の彼女が見せる感情のない笑顔よりずっといい表情に感じられ、人が誰かのことに想いを
馳せるときはこういう顔をするのだろう、などととりとめもないことを考えてしまう。

 

 コンコン、というノックの音で我に返る。
「入りたまえ」
 かの生徒会長特有の高圧的な声だ。
「失礼しま〜す」
 ドアが開く音と共に聞こえてきたのは彼特有の間延びした挨拶だ。
わたしと喜緑江美里の頼みごとを果たしに来たと考えて間違いない。
喜緑江美里が握っている私の手に軽く力が加えられる。緊張しているのだろうか。

 

「誰かと思えばキミか、何の用だ?」
「会長氏に込み入った話があるんですが、時間はありますかね」
「珍しい来訪者のために多少なら時間を割いてやっても構わないが、
まさか涼宮ハルヒがどうこうといった話ではあるまいな?」
「ハルヒのハの字もSOS団のSの字も出てこないから、その点は安心してもらっていいかと」
「その手の話題でないとなると逆に怖い気もするがな。まあドアを閉めて適当にくつろいでくれ」
 眼鏡を外す音と共に生徒会長の毅然とした態度がやや砕けた物へと変化する。
 あの無意味に居丈高なキャラクターが涼宮ハルヒを退屈させないための仮面であることは
直接見ていなくても容易に想像できる。

 

「あぁっと、申し訳ない。いつも通りでお願いしても構いませんかね」
「…ふむ、どういうつもりかは知らないが、まあよかろう」
 眼鏡の装着音がして、いつもの生徒会長に戻る。
 恐らく喜緑江美里がこの会話を傍受している可能性を考慮して生徒会長の仮面を
被っていたままでいるよう示唆したのだろう。曖昧な言い方でも伝わったのは
ジェスチャーを交えていたためだと思われる。
彼らしい優しさの表れだが、わたしでも気づく生徒会長の裏の顔を彼女が気づかないわけがない。
 わたしと同じ事を考えているのか、喜緑江美里がクスリと笑みを漏らす。

 
 

「さて、本題に入ろう。込み入った話とは何かね」
「何というか、まあ、大変申し上げにくいことなんですけど…会長氏にちょっとした質問事項がありまして」
「回りくどいのは苦手だ。単刀直入に頼む」
「ええと、つまり…」
 彼は深呼吸を一つ入れて、申し訳なさそうな声で、
「会長氏が好意を抱いている異性はいらっしゃるのかと」
 会長室の音声が沈黙し、喜緑江美里の手にわずかに熱が篭る。

 

「…なるほど、涼宮ハルヒあたりの差し金で私の異性関係を暴いてさらし者にするつもりだな。
悪いがその手は食わんぞ」
 そう解釈してしまったか。猜疑心が強そうなのは顔だけではないようだ。
「いやいや、ドッキリやペテンにかけようという不純な意図は断じてないです。大マジです」
「まさかキミにそっちの気があるわけではないだろうな」
「まさかとはこっちのセリフですよ。古泉の奴と一緒にされるのは勘弁願いたい」
 やはり古泉一樹はここで引き合いに出される性癖の持ち主なのだろうか。あまり想像したくはない。

 

「これは知り合いの知り合いの女子から頼まれたことでして、
その子は会長氏のことで深く悩んでいたみたいで、
俺以外にツテがなかったから仕方なく引き受けたわけです」
 再び長い沈黙。彼の質問を真剣に受け止めて考えているのだろう。

 

「具体的に誰から頼まれたのかね」
「それは…俺の口からは言えません。口止めされているので」
「そもそも私とキミの間に気さくに恋愛話を交わすほどの信頼関係があるとは思えないが」
「言い分はごもっともなんですが、あくまで俺はメッセンジャーだと思ってください。
ここでの会話は知り合いの二人以外には絶対に話しませんよ」
 生徒会長の頑なな態度に、聞き出すのは無理だと思い始めた矢先、
「よかろう、キミの質問に答えてやろう」
 意外にもあっさりと折れる。しかし安心したのも束の間…
「ただし、一つだけ条件がある」
「条件?」
「現在キミが好意を抱いている異性の名前を挙げてもらおう。私が答えるのはそれからだ」
 体が思わず硬直する。あろうことか彼に矛先が向いてしまったのだ。
「マジっすか」
 わたしの胸中を彼が代弁する。
そんな事を急に言われても、こちらも心の準備というものが…

 

「私は本気だ。キミは自分で答えられない質問を私に投げかけてきたのかね」
「いや、俺は…」
 彼が言葉を濁し、再三長い沈黙が訪れる。
 喜緑江美里から心配そうな眼差しが私に向けられる。
 わたしは会長室からの音声情報だけに知覚能力を集中する。
 彼の口から『な』以外の音が発せられたら即座に音声情報収集プログラムを終了しよう。
 特に『す』と『は』の音には警戒したい。

 

 固唾を呑んで耳を傾けていると、彼の声紋が空気を振るわせる。
「『な』」
 彼から発せられた最初の一音に心臓の鼓動が急激に跳ね上がる。
一瞬が数秒にも感じられるほどに圧縮された時間感覚の中で、その後に『が』の音が続く事を必死に懇願する。
「んていうか…」
 思わぬ肩透かしに急激に脱力する。

 

「『す』」
 不意に発せられた彼の言葉に今度は心臓の鼓動が止まる。
スローモーションの世界で次の音が『ず』なら音声情報収集プログラムを強制終了することを決意する。
「いませんが…」
 安堵と共に心臓の機能が回復する。わたしに寿命があったら五年は縮んでいるだろう。

 

 馬鹿みたいに一喜一憂するわたしとは裏腹に、彼と生徒会長の会話は真剣みを帯びていく。

 

「その質問には俺は答えられません」
「どういう意味だ?やはりキミは私に自分に出来もしない事を押し付けていたと判断していいのか?」
「そういう悪気はないんです。ただ…」
 彼に自分の胸中を晒す気はないらしい。
 残念でないといえば嘘になるが、救われた気分でもある。

 

「今のはほんの冗談だ。私の質問返しに対するキミの回答は至極真っ当なものだ。
回答できない、それも立派な回答だろう」
 不意に生徒会長の口調が棘のないものに変わる。

 

「考えてみたまえ。この世の誰もが想いの丈をありのままに伝えることが出来たなら
恋愛相談室に寄せられる悩みは半分以下に減少するだろう」
 席を立ち、革靴が床を鳴らす音がする。
「それが出来ないのは何故か?自分の想いが受け入れられなかった時にその相手との間に
培ってきた交友関係が断たれてしまうのが怖いからだ」
 生徒会長の言葉は核心を突いていた。

 

 喜緑江美里が生徒会長に直接想いを打ち明けることが出来なかったのは何故か?
 生徒会長との関係が壊れる事を恐れていたからだろう。
 彼女を臆病と批難することは出来ない。
 何故なら、わたしにも思い当たる部分があるのだから。

 

「キミの質問には答えられない。それが人一倍に臆病者である私の回答だ」

 

 生徒会長が静かに結論付けると、喜緑江美里は諦めるようにわたしの手を離した。
それは会長室からの音声の傍受を中断することを意味していた。
「待って、まだ充分な情報は得られていない」
「もういいんです。あの人もわたしと同じように悩んでいる、それが分かっただけでも充分です」
 少し寂しそうに、それでも満足したように彼女は微笑んだ。

 

「長門さん、ご協力ありがとうございました。彼にも感謝していたと伝えておいてください」
 目じりを指で拭って、喜緑江美里は階段の踊り場から走り去っていった。

 

 わたしはただ黙って遠ざかる彼女の足音を聞いていた。

 
 

 二日の休日をはさんで、翌週。
 彼からの結果報告は未だにない。
 無回答という生徒会長の言葉を報告するのに躊躇しているのかもしれない。

 

 喜緑江美里からもあれ以来連絡がない。
 今回の結果でエラーデータの原因を排除したとは言い切れないが、
 彼女なりに吹っ切れたと判断して、また相談を持ちかけて来たら乗るつもりでいた。

 

 昼休みになり、部室棟へ向かう途中の廊下で二人の男女が目に止まる。喜緑江美里と生徒会長だ。
生徒会長が何かしら話しながら眼鏡を押さえて、喜緑江美里が微笑みを返すといったやりとりをしている。
先週末までの二人の様子と比べると随分と親しそうにしているように見えるのは気のせいだろうか。
二人とすれ違う時に、こちらに気づいたのか喜緑江美里がいつもの淀みのない笑顔で軽く会釈をし、
生徒会長がわたしから目を逸らしてわざとらしく咳払いをした。
 前者はともかく、後者が何の合図なのか全く理解できなかった。

 
 

 それから部室にて、何らかの進展を待ちながらひとりSF小説を流し読みしていると、
「ちわ〜っす」
 期待通り彼が現れてくれた。いつもより上機嫌で、何故か学生鞄を持っているのが気にかかる。

 

「いやぁ、あの生徒会長相手に色恋話をすることになるとは、流石の俺も緊張したね」
 などと満足そうに切り出す彼。喜緑江美里は一応納得したものの、
目的を達成したとは言い難いあの程度の結果に満足するほど志の低い人だったろうか。
「どういう結末になったか、お前の所には伝わってるのか?」
「だいたい」
 と言ってうなずく。喜緑江美里と会話の一部始終を盗聴していたとは言えない。
「それにしても、この年にして仲人の気分を味わうとは思わなかったな。長門もそうだろ?」
 ちょっと待って。結婚してもいないのに何故仲人という例えが出てくるの?
「情報の伝達に齟齬が」
「齟齬ときたか…どうやら一から説明した方が良さそうだな」
 彼は学生鞄からいかにも高級そうな菓子折りを取り出した。
「これは?」
「今朝喜緑さんから貰ったんだよ。今回のお礼にお前と二人で食べてくれって。
俺としては謝礼なんていらなかったんだが、お前に食わせろと言われると断れなくてな」
 何故謝礼を?それより喜緑江美里は彼に名前を明かしてもいいのだろうか。
「喜緑さんのことなら問題ない。お前の言う知り合いが彼女だってことはかなり前から察しが付いてたからな」
 彼は読心術でも備わっているかのようにわたしの心の疑問に回答した。
 わたしにはあまり知人がいないと思われているんだろうか。心外。

 

 それからわたしは粗茶を入れて、わらび餅と呼ばれる柔らかくて甘い和菓子を二人で味わいながら
彼の話に耳を傾けた。二人きりで甘い物を食べるという状況に密かに心を躍らせていたことは内緒だ。

 

 彼の話は生徒会長が無回答を告げるまでは一致していたが、そこから先があった。
「…とまあ、話はそこでひと段落したんだが、お前の知り合いこと喜緑さんが別の男から告白されたことを
言い忘れてて、それを伝えたんだよ。
するとそれに焦ったのか会長の態度が一変して、喜緑さんの名前は出さないという約束があったから、
彼女に関する名前以外の情報を外堀を埋めるようにあれこれと尋ねてきた」
 思わぬ方向に話が進んでいく。音声の傍受を中断したのは早計だったようだ。

 

「ある程度情報を集めたところでその知り合いが誰であるのか確信したみたいで、
『予定が出来たからこれで失礼させてもらう』なんてことを言いながら俺を置いて出て行きやがった」
 彼が眼鏡を押さえる真似をする。ユニーク。

 

「で、今朝になって喜緑さんが、『わたしと彼から』という名目で俺に和菓子を差し出してきた。
金土日の三日間で彼らの間に何があったか想像できるだろ?」
 まるで推理小説の名探偵がトリックを暴くように誇らしげに彼は語った。

 

 つまり、自称臆病者な生徒会長がもともと好意を抱いていた人物が喜緑江美里であり、
自分に好意を寄せているのが彼女であることがわかるなり会いに行き、何らかの意思疎通を経て
彼とわたしの為に和菓子を一緒に買いに行く仲になったということだ。
 なるほど、さっき廊下ですれ違った二人が親しげに見えるわけだ。

 

「めでたいかどうかは知らんが、今回の厄介事は無事解決したということだ」

 

 とにかく、これで喜緑江美里がエラーデータの肥大化に悩まされる心配も、
存在を消去される心配もなくなったのだ。
 いつもとは違うしおらしい喜緑江美里を見れなくなるのは少々残念だが、
やはり普段通りの微笑みを絶やさない彼女で居てもらいたい。
「よかった」
 思わず本心がこぼれ出てしまうと、
「まあ、そうだな。俺達が手を貸さなくてもそのうちなるようになっていた気がしないでもないが、
さっさとくっついて貰った方が面倒がなくていいだろう。恋のキューピットの真似事をやらされるのは
俺もお前も性分じゃないし、しばらくは勘弁願いたいからな」
 そう言って、彼は少し悪びれた表情でわらび餅を口に放り込んだ。

 
 

 余談。

 

 食べ終わった和菓子の包みを片付ける私を、彼は含み笑いで眺めてきた。
わたしが依頼を持ちかけた時にも似たような顔をしていたから、
ただ今回の件が上手くいったことだけに喜んでるようではなさそうだ。

 

「その表情は、何?」
「あ、そんな変な顔してるのか?」
「いる」
「いや、なんというかさ、お前が変わっていくのが嬉しいというか…」
 変わる?どういう風に?
「お前も人様の恋愛事に興味を持つようになったんだなぁ、なんてね」
 呆れた人だ。
 わたしの気持ちに気づくどころか、彼の中でわたしは恋愛にまるで無関心な女ということに
なっていたらしい。かつてのわたしが何のために世界改変を行ったのか、
改変された世界を嫌というほど走り回っていたのにまるで理解していなかったのか。

 

「鈍感」
 わたしは彼に対する率直な評価を告げて、部室から足早に立ち去った。

 

「お、おい長門、急にどうしたんだ?本忘れてるぞ!長門ぉ!?」

 
 

 わたしの不機嫌は、週末に彼からチョコレートパフェを奢ってもらうまで継続したのだった。

 
 

                        〜おわり〜
 

 
 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:04:26 (1834d)