作品

概要

作者ナナッシィ
作品名長門有希の座椅子
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2008-06-05 (木) 03:29:01

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹不登場
ハルヒ登場
みくる登場
古泉一樹登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木登場
橘京子不登場

SS

 

<1>

 
 

 長門が座椅子を買った。

 

 それもかなりデカいヤツだ。がっしりと大きく、しかも黒光りしているそれは、食卓もしくは卓袱台として長門宅のリビングに鎮座している小型のコタツより、遙かに大きい存在感を持って設置されている。
 ダークブラウンのフェイクレザー仕様のボディに、布製のオーバーカバーがセットになった高級品。確か何年か前に、通販CMで見た事があるような気がする。
 肘掛けのサイド部分にレバー式の無段階リクライニング機構がついていて、とにかくデカい。なんかこう悪の組織の親玉がブランデーとシャム猫セットとともに、ふんぞり返っていそうな感じだ。座椅子だけどな。
 そんな重量感MAXの座椅子だが、こいつは存在感としての意味だけではなく、実際の重量も大したもんだった。なにしろここまで運んできた俺が言うんだから間違いない。

 

 話は今から数時間前に遡る。
 ハルヒの一言で参加が決定した地元のフリーマーケット。早い話が、そこでコイツを買ったってわけなんだけどな。
 まーそれにしても朝から酷い目にあった。団員がそれぞれに様々なモノを持ち寄って出品したわけだが、まぁ我が団長殿は暴利としか思えない値札を次々とつけはじめたもんだから、俺は大慌てだ。
 車で持ち寄ったわけでもないから、持ってきたモノはできれば減らして帰りたいのが人情ってもんだろう? だったら買ってもらえそうな値段に、ある程度妥協しなくちゃいかんわけだ。
 そんなわけで俺は実と利と情と、周辺調査によるフリマ市場価格データとの対比まで持ち出して、なんとかハルヒを説得し、値札をまともな値段に書き換えたってわけさ。

 

 ちなみに店番はクジ引きでの交代制だった。ハルヒも朝比奈さんも、他のブースを回って、そこそこの買い物をしたらしい。
 だが、今回のフリマで一番盛り上がっていたのは、誰あろう古泉一樹その人だった。なにしろ、いつになくマジ顔になって交渉したり買い漁ったりしていたくらいだしな。
 俺には理解できないが、きっとあいつにはタカラの山というかトミーの山というか、そんな感じだったんだろう。うむ、上手い事言ったな俺。
 一度店番でペアになったときなんかは、どうも軍資金が尽きたらしくて、真剣な顔で「コンビニに行ってお金をおろしたいのですが……」と頼まれたしな。
 了解すると、物凄い速さで駆けて行ったっけ。あいつ普段は超能力使えないんじゃなかったっけか? まぁフリマでの出会いは、まさに一期一会だからな。気持ちはわからんでもないが。

 

 そんなこんなで俺も非番の時間帯には色々見て回ったわけなんだが、さしたる収穫もなしだった。
 長門と二人で見て回った時には古本なんかも物色したんだが、どうもあいつの興味を引くものはなかったらしい。そもそも長門は特にブースを覗き込んだりもせず、すたすたと通路を歩いているだけだったしな。
 長門よ。「見て回ってくれば?」っていうハルヒの言葉は、見回り巡回してくればってことじゃないんだぞ? なんかめぼしいものとかないのか?
「特に」
 三文字。
 ま、あんまり買い物とかには興味なさそうだもんな。お前の場合、こういう雑多なフリマじゃなくて古本市なんかの方がいいかもしれんね。

 

 そんなことを話しながらスタスタと歩き続ける俺と長門だったんだが、とあるブースの前で、俺の一歩半ほど先を歩いていた長門が、ぴたりと立ち止まったんだ。
 で、右舷方向に90度回頭。
 気のよさそうな白髪まじりのおっちゃんが店番をしていた、そのブースにコイツがあったってわけだ。
 長門はしばらく座椅子をじーっと見ていたが、やがて巡回コースに戻った。一回目はね。でもってスタート地点、つまり俺たちSOS団のブースまで戻ってくると、
「あ、有希! どう? なんか面白そうなものあった?」
 というハルヒの問いに、ほんの少しだけ思案顔をしてから、
「特に」
 と、例の三文字を返す。まぁこの時から俺には長門があの座椅子に興味を引かれているってことが、なんとなーくわかっていたんだがね。

 

 さて、まだ店番交代の時間では無かったこともあって、俺と長門はもう一回同じコースを回ることになった。長門の巡航速度が、さっきより少しだけ早足だったのは言うまでもない。
 で、目的地に着くとまた急停止。右舷方向に90度回頭。ヨーソローだ。
 店番のおっちゃんが「おや」という顔で長門を見上げ、それから俺にも目配せしてきたので、俺も愛想笑いを返す。すみませんね、何度も。
 それから俺は長門の肩に手をおいて言った。
 長門、その座椅子欲しいんじゃないのか? こういうところだし、欲しいと思ったら即決した方が良いぞ?
 割とデラックス風な座椅子。その値札を見ると……まぁ高校生の俺たちの財布の中身でも、なんとか出せない事はない金額が書いてある。
「……」
 長門は考えているようだった。部屋に置くなら問題ないサイズだろ? ひょっとして持ち合わせが足りないのか? それなら協力してもいいんだぞ?
 まぁコイツの宇宙的な財政状況とか収入とかが、どうなっているのかは、知り合って一年以上経った今もわからないわけなんだがな。
「金額は問題ない」
 そっか。じゃあいいんじゃないのか? 部屋で本読むときとか楽になるぞ?
「わかっている。以前もあなたに勧められた。この椅子なら形状・性能的にも十分」
 じゃ、なおさら問題ないじゃないか。
「問題は別のこと」
 そう言うと振り返った長門は、その磨き上げた石炭のような瞳で、まっすぐ俺の眼を見つめて続けた。
「……持って帰るのが困難……」
 あー……なるほどね。
「それに私たちに与えられた販売領域に仮設置するのも体積的に困難」
 確かに。俺たちのブースは遠足シート一枚分だもんな。既にそこにはズラっとガラクタが並べられているわけだし。
 まぁ座椅子を置いて、そこに座って店番するってのもアリっちゃアリなんだろうが、ハルヒがなんかガタガタ言いそうだよな。
『有希! この椅子いいわね! 部室において団長専用安楽椅子にしようかしら?』とかな。まぁ俺相手にならともかく、長門相手にそこまで傍若無人な事は言わなそうだが。
「だから、この椅子を購入するのは現実的ではない……」
 黒曜石の瞳、その上にある眉毛が0.5ミリほど下がる。長門表情解析検定一級保持者の俺判断で言うと、これは「残念そうな顔」だ。
 俺はちょっと考えてから、店番のおっちゃんに声をかけた。
「すみません。今日は何時まで出店している予定ですか?」
「そうだねえ。今日は最後までいるつもりだけど」
 今日のフリマは午後四時までだ。んじゃ問題ないな。俺たちのブースに陳列されたガラクタが、それまでの間に全部ハケるとも思えない。
 なにかあるとしたらハルヒが飽きて『もー今日は解散!』とか言い出すくらいだ。で、それならそれで特に問題はない。よし、じゃあ大丈夫だな。
 長門は俺とおっちゃんのやりとりを交互に眺めながら聞いていたが、思案顔の俺に視線を固定すると、瞬きを二・三度ほどして少しだけ首を傾げる。
 なんか小動物みたいだぞ長門。
 俺はそんな長門に不器用なウインクをして見せ、おさまりの悪い髪をぽむぽむと叩いてやってから、おっちゃんに座椅子の取り置きを頼んでみた。
 おっちゃんは快諾してくれたので、引き取りと支払方法、ついでに値引き交渉もしてみる。まぁ値引きに交渉はフリマのご愛敬ってやつだ。
 ありがたいことに(?)俺と長門をカップルと勘違いしたおっちゃんは、微笑ましそうに「彼氏さんに運んでもらうのかい? よかったねぇ」と長門に笑いかけると500円値引きしてくれた。
 ま、勘違いでもこの場合は結果オーライだ。とりあえずの手付け金ということで半額をおっちゃんに支払うと、座椅子にぺたりと『売約済み』と大書きしたコピー紙を貼ってくれる。よっし、これでOKだ。
 おっちゃんに礼を言うと、俺はまだきょとんとしている長門の手を引いてブースを後にする。そろそろ店番交代の時間だったからな。

 

 こうして店番に戻った俺たちだったが、長門はまだきょとんとしている。ちょっと強引だったかと思いつつ、俺は長門に状況を説明した。
 あの座椅子はここが解散になったら取りに行けばいい。とりあえず手付け金を払ってあるから、誰かに買われる心配もない。
 俺の説明に長門は小さくコク、コク、とあごを引いて理解を示していたが、まだ疑問に思っていることがあるようで、
「あの男性が言って『彼氏さん』という言葉が理解不能。私の周辺には該当する情報を持つ存在がいない。座椅子自体は重量情報を一時的に改竄することで私にも運搬可能だが、それは周囲に奇異な印象を与える事態を引き起こしかねない。問題……」
 と、少し困ったという感情を十倍に希釈したくらいの表情を浮かべてみせる。
 ああ、大丈夫だよ。俺が運んでやるから。
「あなたは『彼氏さん』……?」
 ぐ。いや、その、なんだ。そういうわけじゃないっていうか、まぁそこは気にしなくていい。あのおっちゃんは、俺が運んでくれるってことで売約をしてくれたんだ。俺ももちろんそのつもりで交渉したしな。
 まぁ俺たちの関係に多少(?)の誤解はあったみたいだけど、大きな問題じゃないしな。だから運ぶことは心配しなくていいぞ。ちゃんと責任もって運ぶからさ。
 それで問題ないだろ?
 そう一気に説明すると長門はまた思案顔になって、それから何かを口にしようと言葉を選ぶ様な仕草(俺判断だけどな)をすると、
「……ありがとう……」
 と、小さく言った。
 なんだ、今日はちょっと陽差しが強いんだろうか。どうにも暑くてかなわんね。

 
 

<2>

 
 

 さて、俺的通称・宇宙人マンションの708号室。
 つまり長門宅のリビングに設置されたデラックス座椅子。その上には現在、実に「ちんまり」といった感じで長門が座っている。

 

 4時ちょっと前に公園で解散した後、俺と長門はおっちゃんのところに走って座椅子を受け取りに行った。
 ちなみに珍しく反省会もなしにすんなり解散した理由は、大荷物を抱え込んだ古泉が原因だった。
 持ち帰るのも大変そうな量のボードゲームやらなんやらを買いこんだコイツは、手近なブースで巨大なバッグまで買って詰め込んでいたんだが、そのおかげで(?)、
「こんな大荷物を持ったままお店に入るのは、さすがに無理ねー」
 と、溜め息交じりに言ったハルヒの一声で、その場解散になったってわけだ。
 珍しくあのポーカーフェースのニヤケ面が、素の苦笑を浮かべてたのが印象的だったな。来週会ったらからかってやろうかね。

 

 まぁそんなこんなで、おっちゃんに残金を支払い、長門はめでたく、このデラックス座椅子の新しい持ち主となったわけだ。
 俺は用意しておいた荷造り用のスズランテープで座椅子を雁字搦めに縛りつけ、なんとか背中に担いだんだが、いやー重かった重かった。
 結局は会場の公園を出たところで、長門の宇宙パワーで軽くしてもらったんだけどな。
 人通りの少ないところ選んで通ってきたから大丈夫だとは思うが、さすがにこれだけ大きなもんを背負って移動してると人目は引いたなー。
 まぁでも、無事に運び込めたからよしとしておこう。

 

 で、運び込んだ後、雑巾がけをして埃や軽い汚れなんかを落としてリビングに設置。
 さっそく新しいオーナーに着席してもらったわけなんだが……。
 あー……現在の状況をなんと表現すればいいんだろうか?
 とりあえず客観的な状況をまとめると、長門の細身にして小柄な身体に対して、デラックス座椅子は少々大きすぎたようだ。
 予想の範疇ではあったけどな。着席というよりは鎮座、鎮座というよりは陳列って感じだもんな。
 しかも長門、座り方が違うぞそれ。なんで背もたれが着いた座椅子の上で、きっちりと背筋伸ばして正座してるんだ?
「……?」
 俺を見上げて、少し首を傾げる長門。えーと……この椅子はだな、足を伸ばして座るんだ。で、背もたれに寄りかかる。
「……」
 長門は座椅子の上でもぞもぞと身体を動かして、俺の指示通りにする。う……いや! 俺は見てないぞ。
 長門が足を伸ばそうとしたときにスカートがもそもそっとなって、その下の白い足がもにょもにょっとして、その先のなにかがアレしそうになったりしたのなんかは、まるで見ていない。
 見ていないぞ。断じてな。
「こう?」
 声をかけられて外していた視線を戻すと、そこには宇宙人謹製のショートカット文学美少女人形(1/1)が、ちょっと不安そうな顔で座椅子に埋もれていた。
 思わず口元が綻びそうになって口に手をあてる。いや、おかしくって笑いそうになったわけじゃないんだ。
 なんていうかその、でっかい座椅子に「座る」というよりは、文字通り「埋もれている」って感じの長門が、ええっと……その、なんだ。
 可愛くってな。思わずニヤケそうになっちまったってだけだ。うん。
「……おかしい?」
 いや、違うぞ。その座り方であってるぞ。これ以上ない正解だ。
「そう」
 だが落ち着くはずの座椅子の上で、長門はちょっと所在なさ気にしている。どうしたんだ?
「背もたれの角度が身体にあっていない」
 ふむ。確かにちょっと窮屈そうだ。
 このデラックス座椅子は背もたれにかなりの厚みのあるクッションが入っているみたいだからな。
 角度が垂直に設定されている今の状態だと、クッションが背中から覆い被さっているような感じになっちまっているようだ。
 腰の後ろにクッションでもあればいいんだろうけどなぁ。ここにはそんなもんはないしな。
 長門、右の肘掛けの外側にレバーがついてるだろ?
「ある」
 それをこう、手前に引いて、背もたれに体重かけてみろ。角度調整できるはずだから。
 ミリ単位で頤を引いて了解したかと思うと、俺の視界から長門の姿が消えた。
 いや、正確には倒れ込んでいっただけなんだが。
 レバーを引きながら思い切り体重をかけたんだろう、今や長門は簡易ベッドにジョブチェンジした座椅子に仰向けに寝ころんでしまっている。
 天井を見上げたまま瞬きを三度。それから俺に視線を移す。無表情見えるが、これはちょっと驚いた顔……かな?
 大丈夫かー長門? びっくりしただろ?
「……ユニーク」
……ちょっと楽しんでるだろ長門。えーと説明が足りなかったな。一気に体重をかけるんじゃなくて、ゆっくり少しずつやるんだ。
 で、丁度いいところでレバーを放す。そうすれば好きな角度で固定できるからな。
 仰向けになったまま肯く長門は、そのまま何事もなかったかのように身体を起こした。
 背もたれを失った座椅子に座り直して思案顔の長門。
 ああ、そのレバーをもう一度引けば元に戻……ばんっ……遅かったか。
 俺の足下には柔軟体操の前屈みたいな体勢になっている長門。背もたれのロック解除レバーをくいっと引いたものだから、バネ仕掛けの背もたれは結構な勢いで初期位置の垂直状態にまで戻ったのだ。
 どんな事態が起こったかは、ご想像の通りだ。たっぷりとウレタンが詰まった背もたれが長門の後頭部から背中にぶつかって……まぁ御覧の通りの有様ってわけだ。
 俺は、まだつっぷしたままの長門の隣にしゃがみ込んで声をかける。
 おーい、長門。大丈夫か? 頭とかどっか痛くしてないか?
「……平気……とてもユニーク」
 ウソつけ。ビックリしたんだろ。ちょっと顔赤くなってるぞ。
「してない。心拍も脈拍も正常。平気」
 はいはい、まーそういうことにしておくさ。
 そう言うと俺は、長門の後頭部の髪をさくさくとかき回す様に撫でてやった。
 他意はねーよ。クッションとはいえ、結構な勢いでぶつかったからな、たんこぶが出来てないか確認しただけだ。それだけだぞ。

 
 

<3>

 
 

 突然の情けない告白で恐縮だが、俺は今非常に困っている。
 昼休みになるやダッシュで教室を抜け出し、あいつのクラスを確認。姿が見えなかったんで、そのままダッシュで部室に来て、ここにいるのを見つけたわけだが……。
「……」
 顔をあわせてから今までの数分間、長門は一言も喋っていない。
 こっちからは何度となく声をかけているのだが、返ってくるのは三点リーダーの沈黙であり、ページをめくる音だけだ。
 相手が目の前にいるのに音信不通ってのは、なかなかに物悲しいものがあるもんだね。
「……」
 ぺらり。
 ああ、これはもう、墨痕鮮やかに明朝体で大書して掛け軸にしたってくらいの『無視』だ。
 状況を説明しよう。ええと、つまりその。長門は今ご機嫌斜めなのだと思う。いや、もうちょい上だな、ご立腹なんだと思う。それも多分、すごく怒ってる。
 普段から無口な長門だから、会話が少なかったり無かったりすることは、これまでにもたまーにあったが、それでもそういうときもコミュニケーションはあるんだ。俺の問いかけに首肯したり首を振ったり首を傾げたり、な。
 でも今日のこれは違う。これ以上なく明確な意思を持って俺は長門に無視されているのだ。
 何故かって? そりゃ……その、なんだ。俺が悪い。明らかに俺が一方的に悪い。
 なにしろ、日曜日に約束していた買い物に行くという重大行事を、俺はすっぽかしちまったんだから。

 
 

 土曜日、つまりフリマで長門が座椅子を買った日のことだ。
 運び込んで設置を終えたデラックス座椅子の使い方やら座り方なんかを長門にレクチャーしていたんだが、どうにもこうにも、いいポジションで落ち着いて座れなさそうだ、という結論になったんだ。
 機能的には十全なんだがね。長門にはやっぱり大きすぎたんだな。
 かといって、この座椅子が粗大ゴミになるかというと、まるでそんなことはない。
 背もたれと長門の間にクッションを入れてやれば全く問題ない程度の事だしな。
 実際、試しに枕をいれてみたんだが、かなり具合がよかったらしい。
 でも普段頭をおくべきものを尻の下に……じゃないか、腰の後ろに置くってのは、あんまり行儀がいいもんじゃないからな。
 そんなわけで俺はクッションを購入することを長門に提案した。
 そんなに大きなものでなくてもいいだろうし、発砲ビーズかなんかの安物でも十分だろう。それなら地元のホームセンターで買えるだろうしな。
 ついでに「乗りかかった船だ、明日一緒に行こうか」とも提案したんだ。
「行く」
 長門は、こいつにしちゃ珍しく誰にでもわかるくらいにコクリと肯きながら二つ返事で応えた。
 そして、その後にちょっとだけ間をおいてから、
「ありがとう」
 と言ってくれたんだ。
 つまり、この日の俺は一日に二回も長門に礼をいわれるという僥倖に恵まれたわけだ。
 こいつが喋るだけで一日の吉凶が決まるという噂の2−6の連中だったら、多分クラス全員で宝くじでも買いに行くかもしれんね。
 そこそこ付き合いの長い俺でも、飲み物を買うなら当たりクジつきの自販機を選ぶくらいはするだろう。それくらい珍しいことなんだからな。
 その後「晩ご飯、食べていく……?」という、控え目なカレーのお誘いに後ろ髪を引かれつつも宇宙人マンションを辞去した俺は、翌日曜に備えて早めにベッドに潜り込み、泥のように眠り込んだ。慣れないフリマと座椅子の運搬で、それなりに疲れていたんだろう。

 

 明けて日曜の朝。座椅子の上でサティの詩集を開いたまま、可愛らしい寝息を立てている宇宙人の夢を見ていた俺は、けたたましく鳴るケータイの呼び出し音で叩き起こされた。
 発信主はハルヒだったが、いつものハイトーンかつハイパワーな声で一方的にまくしたてられた後、
「ふんっ! なんか彼女も話があるらしいからかわるわ!」
 と引き継がれた受話口の向こうから聞こえてきた声の主は、俺の中学の同級生……つまり佐々木だった。
 まぁこの二人が揃った状態で電話をかけてくるというのは、なんというかまぁいわゆる一つの非常事態である。
 まだ寝ぼけた頭で状況を確認すると、ハルヒは朝一で俺を呼び出そうとしたらしい。用件がなんだか知らんが、まぁまたぞろロクでもないことだろう。
 で、「待ち合わせ場所に指定する予定だった」駅前から電話をかけてきたんだそうだ。……15分前に着こうがなんだろうが、いつも俺が最後になって奢らされていた理由が、たった今わかったぞ。コノヤロウ。
 ところが、そこで佐々木と出会い、今にいたるんだそうだ。
 一方で佐々木の方はというと、俺の家の近くから電話をかけて、俺を驚かせつつ誘いだそうと行動していたところハルヒに出会って声をかけ、今にいたるのだという。
――日曜の朝から、一体全体お前らは何をやっているんだ、と俺は言いたいね。
 二人の間でどんなやりとりがあったのかは、断片的なそれぞれの言い分からはわからんし、わかりたくもないのだが、統一する意見としては『今すぐ来い』ということだった。
 やれやれ。なーにを勝手な事を言ってやがる。とにもかくにも俺は今日買い物に行く予定があるから、そんな要求に応じることはできない。
 そう正直に返答したんだが、ハルヒは死刑だ磔だ市中引き回しの上だと、多分八回くらい死ななければならないほどの刑罰を喚きたてるし、佐々木はといえば、
「君はいつでも出来るであろう買い物という雑事と、今この時だけの親友の頼みとを天秤にかけるというのかい? くっくっ」
 と来たもんだ。口調は穏やかではあったが、電話越しにさえ静かな殺気を感じたね。多分、暗い森で狼の唸り声を聞いたら同じ感じがするんじゃないだろうか。
 古泉と橘にいわせれば、二人の女神。その両名からの迷惑この上ない命令だ。断ったらどんな目に遭うかわからん。
 その対象が俺一人って話じゃあなく『世界』ってのが困りもんだ。お前らは冷戦下の米ソ首脳か。多分、ハルヒは大統領で、佐々木が書記長だな。

 

 しばらくの思案と躊躇の後、俺は時計を見て、長門との待ち合わせにはまだ随分時間があることを確認すると、一端電話を切って長門に断りの電話を入れた。
 佐々木の言い分じゃないが、買い物はいつでもいけるからな。月曜の放課後でもいいわけだし……と、そんな調子のいい事を考えて、な。
 ワンコールで受話器を取り上げた宇宙人に、俺は何度も詫びながら事情を説明した。場合によっては世界の命運を分けかねない事態だ。それはこいつもわかってくれるはずだ。
 だが、長門は一通り話を聞くと、短く「そう」とだけ応じて、俺が埋め合わせの話をする前に電話を切った。それこそブチって感じにね。
 思えばこの時から、なんとなーくは気づいてはいたんだよな……長門を怒らせたかなって……。

 

 結局、俺は日曜の丸一日をハルヒと佐々木の間を、国連特使のような心情で奔走し、振り回され、針のムシロの上で詰り倒されたりすることで終えてしまった。
 まぁその成果として、米ソ両首相の指を戦略核兵器の緊急始動スイッチから離させることはできた、と思う。
 いや、それくらいの達成感で自分を慰めるくらいは許して欲しい。虎と狼に睨み続けられて、その爪や牙でつつきまわされ、俺の心身はボロボロだったからな……。

 
 

 さて、そんなわけで心身共に疲弊しまくって帰ってきた日曜夜。俺は再び長門に電話をかけたのだが、何コール待っても受話器の向こうに無言の応答は返ってこなかった。
 一応、時間を空けて二度三度と繰り返したのだが、時間が深夜に差し掛かってしまったので諦めてしまった(今思えばこれも失策だ。だがしつこいのも迷惑かと……)。
 ともあれ、長門にちゃんと謝らなければならん。その上で埋め合わせを――そう考えつつ、まんじりともしないまま月曜の朝を迎えた俺は、ちゃんと話す時間の取れる昼休みを待って校内を走り回り今に至る……というわけだ。
 長い説明ですまん。いや、これは説明じゃなくて言い訳でしかないよな……。
「……」
 ぺらり。
 長門は相変わらずの無視状態だ。
 どうすればいいんだろうか。いや、謝るべきなのはわかっている。今の俺には土下座とだって躊躇わないくらいの謝罪欲求もある。だがそんなパフォーマンスじみた謝罪を並べ立てても、長門の静かな怒りは解けないだろう。
 この対有機生命体コンタクト用インターフェースの『無視』というアピールは、どれだけの多言を持って示すよりも明確に、俺への怒りの深さを表している。
 そうだよな、そりゃ怒るよな。
 俺は一瞥もせず、無言のままページをめくっている長門の横顔に、土曜日の残像を重ねる。『ありがとう』、少し照れたように俺にそう言ってくれた長門の表情を。
 そして気づく。今の長門の表情、こいつをよく知らないヤツが一見しただけではわからないであろう無機質なそれは、怒りよりも悲しみの色が浮き出ていることに。

 

――あんなに喜んでくれたのに、あんなに楽しみにしてくれたのに。俺ってヤツは俺ってヤツは……。

 

「すまん! 長門!」

 

 音が出るほどの勢いで頭を下げて叫ぶ。声が震えそうになった。自分のバカさ加減に呆れ果ててな。
「……」
 ぺらり。
「自分で言い出したことなのに、それを破るなんて最低だよな。お前が怒るのはよくわかる。いや、お前がどれだけ怒ってるのかがわかるなんて大それた事を言うつもりはないが、怒って当たり前のことだと思う」
「……」
 ぺらり。ぺらり。
「だから、許してくれなんて言えるわけもない……だけど」
「……」
 ぺら……。
「……俺に出来る事なら、なんでもする。だから……一度だけチャンスをくれないか」
「……」
 ページをめくる音が止まった。
 そして沈黙が流れる。どこからか、はしゃいでいる生徒達の声が聞こえてくる。今の絶望的な気分の俺には遠い世界の出来事だ。

 

 パタン――本を閉じる音が聞こえる。まだ俺は顔を上げる事ができない。

 

「……そう」
 長門の声。静かで小さな声だったが、ようやく聞く事が出来た。ほんの少し、ほんの少しだけだが安堵する。
 頭を下げたままの俺の視界に、長門の上履きと黒いソックスが入ってきた。そして、まだ顔を上げる事はできないでいる俺を残して、それは視界を通り過ぎていく。
 部室のドアを開ける音。ああ、やっぱりダメか……そう思ったとき、背後から天使の福音が俺の耳に飛び込んできた。

 

「……一度だけ」
 その声に俺はまた音が出るほどの勢いで頭を上げ扉を振り返る。長門!
「……使って」
 そう言いつつ、ドアを後ろ手に閉めて部屋を出ていく小柄な後ろ姿。顔は見えないが、どうやらお許しを得る機会は手にする事ができたようだった。

 

 さて、長門が去っていった扉を前にしばらく固まっていた俺だが、使うって何をだろう? と再び振り返ると、部室の長机の隅には折りたたまれたハンカチがおいてあった。
 ありがたく使わせていただいたさ。
 なんに使ったかだって? 目薬を差したわけでもないのに眉毛の数センチ下が、ちょいと濡れてたようでな。それを拭かせてもらっただけさ。
……頼むから深くツッコむなよ?

 
 

<4>

 
 

 放課後。文芸部の部室でありSOS団のたまり場である部室棟2階の一室には、いつものメンバーがいつものように集まっていた。そりゃあもう帰巣本能が旺盛すぎる忠犬のようにね。
 こんな非常事態にあってまで通常行動を取らされるとは、我が事ながら習慣と習性と刷り込みという事象に対して思いを馳せざるを得ない。
 まぁ本日のケースでは、五時限が終わった時点で、長門の教室に行って沙汰を仰ごうとしたが、例によってその姿は教室から強風に煽られた雲霞の如く消え去っており、行く先の候補として部室をチョイスしたわけでもあるんだがね。
 いつも思う事なんだが、こいつはどうやっていつ移動してるんだろう。っていうか授業に出ているんだろうか?
 そんなわけで、先着していた長門に続き二番目の住人となった俺だったわけだが、その後の団活中の長門は特にいつもと変わった様子はなかった。
 常のように分厚いハードカバーを静かに読んでいるだけだ。時折、朝比奈さんの淹れたお茶に口をつける。
 掃除当番を終えたハルヒが部室にやってきて、昼休みに忽然と教室から消えた俺の行動について詰問し、日曜日の一件について言葉の殴打を加え、朝比奈さんは愛らしくおろおろし、古泉はフリマで手に入れたオールドスタイルのボードゲームをカバンから取りだす――そんないつも通りの風景が一段落したあたりのことだ。

 

 ぱたむ――。

 

 長門が本を閉じる。いつもより随分と早い時間だ。
「今日は、これで帰る」
「あら有希、もう帰るの?」
「そう。家の事で用事がある」
 それじゃ、やることも特にないし今日はこれで解散かしらね、との鶴の一声に俺も腰を上げたわけだが、そんな俺の背中に向かって、ハルヒは日曜の件について尋問が終わっていないから、あんたは残りなさいとか言い出した。
 部室を出ようとしていた長門の背中が、ぴくりと止まる。だが、そのまま後ろ手にドアを閉めると出て行ってしまった。
――わかってるよ長門。二度目はない。ちゃんとなんとかするさ。
 俺は腰に手を当てて威嚇のポーズをとっているハルヒに正対し、溜め息を一つつくと、今日はこの後、俺の将来に関わる超重大な用事があるということを説明した。
 そして場合によっては団活にこれまでのように参加できなくなるかもしれないくらい重大なことだ、と付け加える。
 ハルヒはアヒル口になりかけていたが、どうやら以前佐々木が話した俺の成績や予備校に放り込まれかねない家庭事情的な事だと考えたらしく、渋々了承した。
 若干心が痛まないでもないが、何一つウソはついていない。長門との関係を修復しない限り、団活に顔を出しにくくなるのは確かだからな……。

 

 そんなわけで、校門を出た俺は強制ハイキングコースを、タイムアップ寸前の陽気なイタリア人配管工の如くダッシュで駆け降り、自転車にまたがると、一路宇宙人マンションを目指した。
 第二着走者として部室に辿り着いた俺に、ぶっちぎりで先行していた長門に言われていたからな。
「今日、うちに来て」
 って。

 

 さて、どんな贖罪が俺に出来るのやら……。
 俺はおそるおそるといった体でインターフォンのルームナンバーを押し、無言の返答を待った。

 
 

 ◆ ◇ ◆

 
 

「座って」
「あ、ああ……」
 およそ3分後、部屋に上がったものの落ち着きなく立ちつくしている俺に長門が言った。
 殺風景なリビングにおかれたコタツ(今は布団がかかっていないので卓袱台か)、その向こうに見えるデラックス座椅子。
……もちろんその上には座布団もクッションも置かれていない。本来ならば日曜に買いに行くはずだったんだしな……。

 

 俺はカバンを降ろすと、コタツの一角に移動して座るべく身をかがめた。
「違う。そこじゃない」
 え? じゃ、どこに座ればいいんだ?
 長門は黙って白皙の細い指で、ある一点を指し示す。
 その先にあるのは長門宅の新参インテリア、つまり例のデラックス座椅子だ。
「そこ」
 俺に座椅子に座れっていうのか? いや、そうしろっていうなら否やはないが、なんかこう立場を考えても家主を差し置いて座るのは図々しいっていうかなんていうか……。
 長門はまごついている俺を放置して台所に向かった。お茶の支度でもするんだろう。まぁ今の俺はお茶を出してもらえるような立場じゃないんだがな……。
 俺は溜め息を吐きつつ長門の指示通り、デラックス座椅子に腰を下ろした。
 んー……やっぱり相当デカいんだなコレ。標準的な成人男性の体型といって差し支えないであろう俺が座っても、かなり余裕がある。
 しかし、座ってはみたものの、どうにも落ち着かんな。やっぱりクッションが必要だと思う。
 なんとなく背中を曲げてあぐらをかいてみる。座椅子の機能的意義をまるで無視した座り方だ。かといって足を放り出してリラックスできる立場じゃあないしな。

 

 気配を感じて見上げると、長門が戻ってきていた。その手には湯気を立てたマグカップが一つ。小脇には部室で読んでいたハードカバーを挟んでいる。
「少し、後ろに下がって」
 言われるまま、ずり下がるように背もたれとの隙間を潰す。ぴったりと背をつけて、これ以上は下がれない。
「その座り方は正しくない。足を伸ばして、背もたれによりかかるべき」
 土曜日に俺が長門に言ったことを、そのまま返される。俺は苦笑を浮かべそうになるのを堪えながら、言われたとおりに足を放り出し、レバーを調節して少しだけ寄りかかる姿勢になった。
 自然、長門を見上げる形になる。これでいいか? と表情で返すと、長門は無言のまま首肯し、
「持ってて」
 と、俺にマグカップとハードカバーを手渡した。
 俺は右手と左手で、それぞれを受け取り長門の表情を伺う。
 長門は少し移動して俺の正面に立つと人差し指を立て、そのまま足下を指し示す。なんだなんだ?
 誘導されるままに視線を降ろすと、だらしなく放り出した俺の足先が長門の足に、すこしだけ触れている。これか? 俺は「ああ、すまんすまん」と慌てて足を少し引っ込めた。
 するとどういうことか、俺が足を引っ込めた分、長門の黒いソックスが、つつっと前進してくる。
 再び足を引く俺。前進する長門の足。
 無表情な長門の顔を見上げるが、長門は下に向けた人差し指をちょんちょんと上下させて、無言の指令を下す。
 三度足を引く俺。同様に前進する長門の足。
 こうして数センチから15センチほどの攻防を数回繰り返したのだが、やがて限界が訪れた。右足も左足もこれ以上下がりようがない。
 いや、努力はしたんだが。これ以上はちょっと無理だ。

 

 今の俺? そうだな、コーヒーの入ったマグカップとハードカバーを持ったまま、折りたたんだ膝を若干左右に広げ気味にしている。
 俗な表現を使えばその、なんだ。いわゆる一つのM字開脚状態である。なんとも情けない格好だ。いやいや! 不可抗力だぞ! 長門の無言の指示に従っていたらこうなっただけだっ!
 一方の長門はというと、俺のM字の谷間に立って俺を見下ろしている。
 長門がそんなことをするわけがないとは思っているものの、俺のジョン・スミス居住区に、なんとなく悪寒が走ってしまう。両手にはそれぞれ荷物があるので、まさにノーガードだ。
 間近に長門のスカートと細い太腿があったりして、それもまた妙な感覚だ。俺は顔を上げたり下げたりしつつ、思わず喉を鳴らしてしまう。こりゃどういう拷問だ?
 えーと……長門さん? なんかこう……若干色々問題がありそうな間合いなんですが。一体なにをどうしろというんでしょうか……?
「そのまま」
 そのままっつっても……と俺がぼやくよりはやく、長門は回れ右して180度回頭。
 それから、すとん、と座椅子に腰を下ろした――。
 つまりその、俺の足の間に、だ。
 ゆっくりと迫ってくる背中とおさまりの悪いショートカット。俺は慌てて両手を上にあげて伸び上がる。が、そんなことをしても距離がとれるわけもなく。
 俺は長門の背中と後頭部を自分の胸で受け止める形になった。そして全く軽いものではあったが、確かな体重が俺の胸に預けられる。
――これは一体どういう状況なんだ。誰か説明しろ!
 俺は脳内にアラートビープを鳴り響かせながら、その向こう側に自分の耳やら顔やらが赤くなっていく音を聞いた気がした。
 長門! いくらなんでもこれは密着しすぎだ! なんのつもりかわからんが、その、なんだ、色々よろしくない!
「……静かに」
 別に俺は大声を出したわけじゃあない。なにしろ大声を出すまでもなく長門の頭っつーか耳は、数cmしか離れてないっつーか。頭はゼロ距離の位置にあるわけだからな。いやでもなー長門……。
「クッションは喋らない」
 まーそりゃ喋らないがさ……ってなんですと?
「あなたは、クッションの代わり」
……はい?
「日曜日にクッションを購入できていれば、今日私はクッションを装備した座椅子で読書できたはず。しかしあなたが約束を反故にした為、その計画は実施できなかった。あなたはその損失を補填すべき」
 いや……その、そりゃ、その、仰るとおりですし、そのつもりですが。
「だから、あなたは今日この後、私が寝るまでの時間、あなた自身がクッションの代わりになることで損失を補填して欲しい。それが、あなたがそこにいる理由。私が求める賠償」
 いつだったか別のセリフを聞いた事があるような口調でそう言われて、俺は頭を抱えたくなった。実際は手が塞がっていたんでできなかったがね。
 いやー……その、長門よ。そりゃお前の言ってることは間違っちゃいない。お前は賠償を請求できるし、俺はそれに応える義務がある。その気もある。
 でも、これは……その、なんだ、えーと。一応俺は若い男子であるわけで、お前もこう、若い女子なわけでだな。間違ってはいないが、間違いが起こりかねないっていうか、そのなんだ。俺は一体何を言っているんだろうね?
「あなたの発言の一部は理解不能。だが前提としてクッションは間違いなど起こさない。よって問題はない。それに……」
……それに?
「出来る事はなんでもする、あなたはそう言ったはず」
 はい、その通りです。
 これはもうチェック・メイトだ。俺は確かにそう言ったし、そのつもりだったし、それを果たすためにここに来たわけで、それを言われたら抗う術はない。
 英文にしたら関係代名詞が連続出現しそうな言い訳(誰へのだ?)を繰り返して、俺は現状を受け入れることにした。
 つまり『人間クッションの刑』執行の開始ってわけである。

 

「本、返して」
 あ、ああ。
 背中越しに出される指示に従い、本を手渡す俺。
 そのまま、しばらく本を読んでいる長門の文字通りの背後で、微動だにせず(っていうか出来ず)待機モードに入る。
 だが身体は動かさずとも、頭の中はフル回転だ。なにしろ生まれてこの方、十と六年プラス数ヶ月。こんな体勢でこんな状況でこんな女子とこんな密着をしたことなどないのだからな。
 しかし、長門の背中から俺の胸やらなんやらに制服越しに伝わってくる体温とか、髪とかのいい匂いとか、えーとその、なんだ。これはもう色々イカン。
 クッションは間違いを起こさない? そりゃそうだ。クッションは無機物だ。無機物だし無性別であって、思春期の有機生命体男子ではない。ところが人間クッションである、この俺というのはそれであって即ちこう
――もぞり
 ああああ、長門もただ座ってるだけじゃなくて、こうやってときどきもぞもぞと体勢を変えたりするもんだから、色々とこう接触とか刺激とかが、そのなんだ
「お茶……」
 あ、はいっ。
 マグカップを渡す俺。一口飲んでしばらくした後、肘掛けの上に置かれた俺の手をまさぐるようにして、無言でカップを戻す長門。
 えーと。どこまで考えたんだっけ。えーと。あ、そうだ、とにもかくにもよろしくないのだ、俺の精神的生理的肉体的に色々刺激が強すぎるのだ。だがこれは贖罪であって賠償であって刑罰であり。辛い目にあうのは当たり前というか、これ本当に辛い目か? いや、ある意味では辛い目なのかもしれないのだが、そのなんだ――。
 俺は今一度自問する。これ、本当に辛い目なのかね?

 
 

 ◆ ◇ ◆

 
 

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。
 今の俺は人間クッションとして必要最低限の動きしか許可されていないので、自分のケータイを取り出したりして時間を確認することはできないのだが、着いたときにはまだ暮れかけだった窓の外が、既にとっぷりと暮れていた。
 多分一時間かそこいらくらい経ったんだろうと思う。
 俺はその間に、悶えかけたり盛り上がりかけたり自己嫌悪しかけたり、まぁ様々な刺激やら煩悩やらと懸命に闘い、すっかり憔悴しきっていた。
 ただ、これまであらゆる生理現象に襲われなかったのは不幸中(?)の幸いといったところだろう。これを催したりしたら、それこそちょっとしたパニックだった……誤解するなよ? トイレのことだからな?
――ぱたん。もぞもぞり
 長門が本を閉じると、もぞもぞと動き始めた。
 あああああ、こればっかりは順応できない。色々こう、持てあましそうになる。むしろ既に持てあましまくっているんだが、それに歯止めが利かなくなりそうで困るのだ。
――もぞもぞもぞ。もぞもぞり。
 窓の外に視線を泳がせる事で遠い世界に思いを馳せて、肉体と精神を切り離す努力をしていた俺は、妙に長くもぞもぞと動いているアゴの下の存在に視線を落とした。
――もぞ……。
 二対四つの瞳が、その指向性を正面から交差させた。つまり本を読み終えた長門は、およそ90度程度の方向転換を行い、俺と目があったわけである。えーと……この状況は……。
「……なに?」
 い、いや、なんでもない。
「……そう」
 気ままな賠償相手であるオーナー様は、人間クッションとの会話を終えると、俺の胸に側頭部を預け、姿勢を固定させた。しかも、どうやらそのまま瞼を閉じたようだ。
――ってオイ。寝る気マンマンな姿勢じゃないか!
 いやいや、さすがにそれはちょっとアレだ。これまでは起こらなかった生理現象などが俺の身体に起きたたら、わざわざ長門を起こさねばならないわけだし、えーとその、この密着状況で、ね、寝顔なんか見ちまったら、今度こそ理性以外のナニかと肉体の接続状況表示が『直結』になってしまいかねない。そうならない自信がないし、そうなる自信ならある。
 そんなわけで、さすがに俺は長門に声をかけようとしたのだが。口に「なが」まで出かかったところで耳に聞こえてきたのは「すう……すう……」という穏やかな寝息。
……長門。いくらなんでも寝つき良すぎだろう……。
 それでも、一応小声で「長門、長門」と呼びかけてみたのだが応答はなく、俺の声が耳朶に届くのが気になったのか、頭を振る……というか、小さな子がイヤイヤをするように俺の胸に顔を埋めてきた。

 

 やばい。

 

 確かに多少なりともこいつの表情を読み取って解析することはできるようになった俺ではあるのだが、普段のコイツというのは何を考えてるんだかわからないような、そう、喩えるならば磨かれた鉱石の様に隙のない無表情をしているわけで。
 で、そんな表情を見慣れているだけに、今のこういう無防備な仕草や表情ってのはこう珍しいというか可愛いというか可愛いというか可愛いというか……。
 えーと……なんかもーどーにかなりそーなんである。勘弁してくれー長門……。
 だが、そんな風に色々持てあましたのは僅かな間だけだった。
 というのも、俺の胸の中で規則正しく肩と胸を上下させている宇宙人謹製のアンドロイド美少女を見ていると、次第にそんな思春期的なヨコシマだかタテジマだかな気分も薄れてきて、入れ替わりに違う感情が俺の中にゆっくりと広がっていったんだ。
 それは……そう、まだ幼かった妹を寝かしつけたり、ベッドに寝っ転がった俺の上で微睡むシャミセンを撫でている時と同じような……なんとも満ち足りた気分だった。
 おそらく、相手が気を許し身を委ねているという状態、つまり絶対的な信頼感を寄せられているという安心感なんだろうと思う。
 俺は、どういうわけだか、そんな自分にも安心しつつ、なんとなーく「やれやれ」と呟くと天井を仰いだ。
 それから座椅子のレバーを少しずつ引いて、長門が楽な姿勢になるよう、座椅子をほんの少しだけ倒す。一気に倒れ込まないようにと気張ったんで、多少腹筋が疲労したがね。どうにか上手く設定できた。

 

 長門はまだぐっすりと寝ている。背もたれの角度を変えたことで、尚更に寝顔がよく見えるようになった。
 横にすると瞼を閉じる西洋人形のような……実に穏やかな寝顔だ。
 でも、こいつは人形なんかじゃない。
 確かに生きていて、その証として、今俺の胸の上で、浅く、小さく、規則正しく寝息をたてている。
 コイツの親玉がどういう設計思想の元に、コイツを生み出したのかはわからない。わからないが、実際のところ――古泉の言葉を思い出すまでもなく――こいつはだんだんと普通の女子高生に近づいていっているんだ。出来ない事の方が少ないような万能宇宙人ではなく、な。
 そうだ。長門は確かに生きていて、生きている以上やっぱり感情もあるわけで……俺は、数時間前の昼休みに、あんな悲しみと怒りの表情をさせてしまったことを改めて思い出し、今更ながら酷く後悔した。
 こいつは俺からの電話を受けた日曜の朝、そしてその後。独りぼっちのこの部屋で一体どんな顔をしていたんだろう……。
 そう考えると、またぞろ罪の意識が鎌首をもたげ、俺の胸のどこかにある何かを思いきり締め付けて――俺は右手を長門の髪に滑らせると、起こさないよう静かに軽く頭を撫でながら
「ごめんな、長門……」
 と、小さく独りごちた。
――きゅ。
 ん?
 それは長門が、顔と一緒に俺の胸に埋もれさせていた細く小さな手で、俺のシャツを掴む感触だった。
「……もう、いい」
 お、起きてたのか長門。
「……今、起きた」
 急な出来事に、俺は頭を撫でていた手ごと身体を硬直させてしまう。なんとも気まずい。よく考えてみれば、長門はまだ俺を許してくれたわけではないんだよな。
 ええーと……その、俺はまだ人間クッションで、人間クッションは喋りもしなければ、命令された事以外、余計な動きもしないものであって……えーと。すまん! 長門!
 慌てて長門の頭から手をどけようとする俺を、長門の手が止めた。
「……それも、もういい。私が寝るまでの約束だったから。一時的にとはいえ私は眠ってしまった。だから、もういい」
 そ、そうか……じゃ、えーと……その……許して……くれた……のか?
「……」
 長門は応えない。
 ああ、やっちまったかなぁ。こんな性急に直球を投げるべきじゃなかった……などと脳内軍事裁判で数秒前の自分に絞首刑を宣告していると、長門はもぞもぞと俺の胸で動き、
「……もう少し、このままでいてくれたら……許してあげる」
 と、俺の胸のあたりのシャツを両手できゅっと握りしめて顔を伏せた。

 

 その終戦条件に俺が従ったかどうかなんて、言うまでもないことだろう?

 
 

<エピローグ>

 
 

 その後の事を少し話そう。
 色々惜しみつつ惜しまれつつも、人間クッションの役目から解放された俺は、なんとなく心地よい居心地の悪さに頭をかきつつ、長門にカレーを食べに行くことを提案。出かけることとなった。もちろん俺の奢りだ。
 食後には、そのままチャリで深夜営業の某ジャングル的陳列を誇るディスカウントストアまで足を伸ばしてクッションを見に行ったんだが、どうも長門が気に入るものがなかったらしい。
 時間も遅くなってきたので、さすがにその夜は宇宙人マンションを辞去したわけだが、後日、別の店に見に行く約束をして、それは次の放課後、また次の放課後、そのまた次の放課後も、しっかりと果たされた。
 が、一向に長門の宇宙的嗜好を満たすクッションは見つからず――今日も俺は長門の座椅子に座っている。
 既に二人だけでこの部屋いるときは、俺の指定席になっているんじゃないかという気がするんだが、これはどうしたもんかね。
 長門? ああ、長門なら俺の前に座っている。前、といっても距離は0cmだがね。
 つまり現在の俺は、長門が気に入るクッションが見つかるまで、相変わらず人間クッションの役目を負わされているってわけだ。やれやれだね。
 まぁ誰にも、どんなクッションにも、このポジションを譲る気がないのは、言うまでもない事だがな。
 余談だが、最近じゃ俺という人間クッションはスイッチ一つで頭部保護機能やシートベルト機能が動作するように設定されているらしい。これ以上機能を増やされたら、さすがに俺の理性もどうなるかわからん。
 そのあたりの突発的誤動作の危険性を、このオーナー様は理解してくださってるんだろうか。
――つん。
「……スイッチオン」
 えーと、このつつき方は頭部保護機能、つまり頭を撫でろってことでいいんだよな、長門?

 

「……違う、新機能」

 

――えぇっ?

 
 

<了>

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:04:20 (3094d)