作品

概要

作者見守るヒト
作品名ある春の日のこと
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2008-01-02 (水) 21:26:03

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

 彼が珍しくも教室以外のところで人間の三大欲求の一つを満たそうと思ったのは、春もうららかなある日の昼のことだ。
 その日、常に彼を厄介ごとへと引きずりこむ後ろの住人が、たまたま八百万の神の宿る母の施しを忘れたとかで席を外したのがそのきっかけだ。
 いつもならばその住人と騒がしいひと時を過ごさざるを得ないのであるが、その人物がこの場にいない以上、此処に留まる確たる理由もないのである。
 それならばたまには違うところで食べるのも悪くないだろうと思い、一緒に食おうぜと言う友人の誘いも断って、彼は席を立ち教室を後にした。
 教室を後にした彼は、歩きながらどこで食べようかと少しの間視線を彷徨わせ、一つの候補を割り出した。そして彼はそこへと向かって歩を進めていった。
 彼が足を向けた先は校舎の別棟、通称旧館と呼ばれる部室棟だった。

 

 目的の場所へとたどり着き、いつからか習慣となったノックをする。それに『いつもどおり』の沈黙が返ってくるのを確認し、その扉を開けた。
 扉を開けた彼が視界に写したのは、今開けた扉の向かいの、広がる空を四角く刳り貫く流動する透けた壁の脇のその場所に、いつものようにいつもどおりにそこにいる少女の姿だった。
 ここに彼女がいることを予想していたものの、彼は改めてその姿を確認し、いつものように声をかけた。だが彼女の反応はまったく返ってこなかった。
 おかしい、と彼は思う。いつもならば声を返すことはせずとも、視線を向けるなり顔を向けるなりの何らかの挙動が見受けられるのだがそれが一向に姿を現さない。
 すぐ近くの机に持ってきた午後のエネルギー源を置いて、彼女へ数歩近づいたところで彼は先ほどの現象の原因をつきとめた。
 何故返事が返ってこないのか。当たり前だ。なぜならば、彼女は『寝ていた』のだから。

 

 一分か二分か、それよりも長い時間か、彼は動くことが出来なかった。あまりにも予想外の出来事に。
 幾たびにおいて彼の前でヒトを超えた能力を行使してきた彼女。そのイメージが強すぎるせいで目の前の光景を受け入れるのに少しばかり時間を要した。
 まるで夢を見ているかのようなな感覚の中、漸くの時間を経て、彼は拡散した意識を取り戻し彼女を見つめ直した。既に当初の目的などは頭の隅にも居場所はなった。
 あどけない寝顔。こうしていると本当にそこら辺にいる女の子と何も変わらない。
 雪のように白い肌にその凛々しい双眸を彩る長い睫毛。そして、ほんの少しだけ空けられた隙間から流れ込む風になびく藤色の髪。
本を読んでいるうちに眠ってしまったのか、膝に本を乗せたまま椅子に座って眠るその姿はまるで一枚の絵画のようだ。
 彼は近くの椅子を引き寄せるとそれに座り、机に頬杖をつきながら彼女を視界に納めると、その瞳を穏やかな色へと変えて優しく微笑む。
 いつからだったろうか。彼女とともにいる時間に安らぎを覚えるようになったのは。
 トクン、と鼓動が高鳴るのがわかる。胸にあたたかい何かが広がっていく。
 いつからだったろうか。この想いを彼女へ向けるようになったのは。
 時に痛いほどに胸を締め付け、時に信じられないくらいに気分を高揚させる、どこまでも溢れるこの想い。
 それに耐えられなくなってきている自分がいる。
 自分の心を埋める、それの名を知らないわけではなかった。けれど…
 それは伝えることの出来ない想い。
 どれだけ自分が望んでも、周りのものが許すことがないであろう願い。少なくとも、今は……
 彼は座っていた椅子から立ち上がるとまるで引き寄せられるかのように彼女の方へと歩み寄る。彼女の傍へとやってきた彼はその手を彼女の髪へと手を伸ばす。そしてそのまま彼女の髪を梳いていく。
 少しだけ癖のあるはずの彼女の髪の毛は、まるで水のように指の間を流れていく。たったそれだけのことで心が満たされていくのがわかる。ずっと、こうしていられればいいのに。
 しばらくの間そうしていた彼だったが、不意に彼女が身じろぎ、その幸福な時間も終わる

 

「ん…」
「あ、悪い。起こしちまったか」

 

 おそらく目を覚ましたであろう彼女に彼は声をかける。目が覚めきっていないのか、彼女はまだ半眼のままだ。

 

「…あ…『―――』?」
「!」

 

 彼女が呟いたのは、彼女からは呼ばれたことのない、自身の本名。それに彼は面食い、心が歓喜に包まれるが、それで彼は確信した。彼女がいるのは、いまだ夢と現の狭間なのだと。ならば、そこで位は自身の願いを叶えてもいいのだろうか。誰にも明かさない秘めたる想いを。

 

「…ああ、悪いな『有希』、起こしちまって。でもまだ寝てていいぞ。時間はまだあるから」
「……そう?」

 

 それはいつかの時を願う彼の想い。

 

「ああ、だから安心して寝てろ。時間になったら起こしてやるから」
「…わかった……」

 

 いつもよりも若干ゆったりとした口調でそう言った彼女は、再び安らぎの時間へと舞い戻った。

 

 わずかな、数十秒にも満たない一瞬の夢の時間。なぜ彼女が名前を呼んだのか。それはわからないけれど、それでも彼には十分だった。

 

 これでまだ、耐えられる。いつか全ての決着がつくその時まで、溢れかえることなく、蓋をすることが出来る。
 さあ戻ろう、いつもの自分に。夢の時間はこれで終わりだ。

 

 時間を見ればもうすぐ予鈴の時間。彼女を起こさなくてはならない。

 

 だから彼はいつものように彼女語りかける。溢れそうな想いに蓋をして。

 
 

「おい『長門』、いつまで寝てるんだ。予鈴が鳴っちまうぞ」

 
 

 いつか来て欲しいと願う、その時まで。

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:04:07 (2559d)