作品

概要

作者富士恵那
作品名九曜と有希 ―第五章―
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-08-27 (月) 18:05:08

登場キャラ

キョン不登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

 ―第五章―

 

「あっ、そうだっ」
 もうすっかり日も暮れてしまっていたため、慌てて解散しようとした俺たちをハルヒが引き止めた。
 いったいなんだ。
「明日の市内探索は中止。その代わりに、有希の部屋を使わせてもらいたいんだけど…。いい?」
「構わない」
 長門が即答する。
「じゃあ、明日の4時にここに集合ね! 遅れたら罰金よ!」
 ちょっと待て、せめて何をするかくらい言え。
「あら、なーにアンタ、忘れてたの?」
 何をだ?
「明日は七夕でしょ!」

 
 

 急いで帰宅すると、時刻は既に午後7時半を回っていた。
 一人遅れた夕食をかっ込むと、俺は部屋に戻ってベッドに転がった。
 今日は本当にいろいろなことがあった。
 ハルヒが倒れたことから始まって、佐々木団との遭遇、朝倉涼子の出現、助っ人に駆けつけた喜緑さん、俺たちを護って死んだ九曜、そして長門の泣き顔…。
 あれこれ考えているうちに、一つ、胸の中に引っかかりがあったことを思い出した。
 過去に戻ることを申請し、却下された朝比奈さん。
 そして、藤原の嘆くような表情と、「変えられない運命」という言葉…。
 それらに思いをはせた瞬間、狙いすましたかのように俺の携帯が鳴った。
 表示窓の文字は「公衆電話」だ。
 だが、俺は出る前に誰からか予想がついた。
『もしもし…』
 甘く優しい声。予想どおりだ。
「朝比奈さんですね?」
 それも、未来の、大人の方だ。
『はい。少しお話したいことが…』
 俺もちょうど聞きたいことがある。
「いつものところでいいですか?」
『はい。待ってます…』
 それだけ告げて、電話は切れた。

 
 

 外へ出ると、さっきまで降っていたはずの雨は止んでいた。
 俺は自転車に跨り、夜道を突っ走った。
 向かう先は光陽園駅前公園。
 朝比奈さん(大)と密会をするときはお約束の場所だ。
 公園の中に入ると、いつものベンチに朝比奈さん(大)が座っていた。
 チャリを漕ぎながら、申請を却下されて号泣していた朝比奈さん(小)の姿を思い返していた俺は、朝比奈さん(大)に会うなり「あれはいったいどういうことなんですか!?」と怒鳴りつけてやるくらいの気持ちでいた。
 しかし、俺に気づき会釈した朝比奈さん(大)の何とも物悲しい微笑を見て、俺の怒りはどこかへ素っ飛んでしまった。
「お久しぶりです、キョンくん」
 朝比奈さん(大)の声は優しく穏やかで、どこか切ない。
「どうも、こんばんは」
 予定を狂わされた俺は不器用に挨拶し、朝比奈さん(大)の隣に腰を下ろした。
「今日は本当につらかったと思います。キョンくんも…長門さんも…」
 確かに、これほどの悲しみを味わったのは、飼ってた犬が死んだとき以来だ。
「きっと、私に言いたいこともたくさんあるでしょ?」
「そ、それは…」
 図星をつかれ、俺は思わず口ごもった。
「分かってます。何と言ってくれても構いません。好きなだけ罵って」
 銀河系一の美女にそんなことを言われたらあっち系のヤツは喜びに打ち震えるのだろうが、生憎俺にはそういう趣味はない。
「いえ、ただ、聞きたいことがあるんですが…」
「どうぞ。何でも聞いて。全てにとはいかないけれど、可能な限りお答えします。そのために来たんですから」
 慈愛に満ちた優しい声だ。
 この人に、長門と九曜を救うための朝比奈さん(小)の申請を却下するような冷酷さがあるとは、とても思えない。
「あのときの…却下の理由は…」
 この人には、これだけで質問の意味が通じるはずだ。
「この時間に滞在している私が言ったとおり、規定事項だからです」
 規定事項とは、いったい何なんですか?
 朝比奈さん(大)の未来にとって必要なこと、という意味ではないんですか?
「それは、少し違います。正確に説明することはできないんですが、簡単に言うと「運命で決まっていること」です」
 「運命」…、藤原の台詞にも出てきた。
 じゃあ、「運命」ってのはいったい何なんですか?
「それが、私たちの時代にもまだよく分かっていないの。私たちは、時間の流れについて全てを解き明かしたわけではないんです。TPDDの発明によって、私たちは時間平面を飛び越え、時間遡行を可能にしました。でもね、過去にいけたからといって、歴史を変えられるわけではないの」
 歴史を変えられない…。藤原の「変えられない運命」という言葉にも似ている。
「そう。運命には、変えられる運命と変えられない運命がある。より正確にいえば、未来の干渉が許された出来事とそうでない出来事があるということです」
 分からなくなってきた。
 未来の人が過去の出来事に関われば、未来が変わるんじゃないのか。
 現に、以前俺と朝比奈さん(小)は、朝比奈さん(大)の指示に従っていろいろと仕掛けを行った。
 あれは未来を変えたことにはならないんですか?
「あれは、未来の干渉が許された出来事。というより、初めから未来が干渉することが決定されていた出来事なんです」
 決定されていた? どういうこと?
「不思議に感じるかもしれないけど、時間の流れは過去から未来へ一直線じゃない。細かいループがいくつもあって、ループすることで初めて次の段階へ進むんです。ループの先の未来にいる私たちからいえば、ループは決定されていたこと、規定事項なんです」
 分かったような分からないような。
「んーと、例えば、ほら、長門さんが世界を造り変えてしまったとき、世界を元通りにしたのは未来から来た長門さんだったでしょ? 変だと思いませんか? だって、未来から来た長門さんは世界が元通りになっていたからこそ過去に戻れたのに、その長門さんが戻った過去ではまだ世界は改変されたままだったんですよ?」
 そういえばあのときは古泉がホワイトボードに矢印とループを書いてたっけな。よく分からなかったが。
「つまりそれは規定事項。初めからループすることが、未来が過去に干渉することが決定されていたんです」
 ちょっと分かった気がする。ちょっとだけ。
「逆にね、ループの存在が確認できない出来事については、未来が干渉することはできないんです」
 と言いますと?
「んー、これは少し難しいかなぁ。例えば、過去に戻って何かの事件に関わったつもりが、結果としては何も変わっていなかった。或いは、意図したものとは違う形で関わることになり、やはり結果は同じだった。さらには何らかの障害によって関わることすらできなかった。そういう事象が存在するんです。いえ、むしろ、歴史の大部分はそう。未来が過去に干渉できるのは、初めからそれが決定されていたときに限られる。それが私たちの考えです」
 なるほど…。では、九曜の件については、過去に戻ってあがいたところで結果は同じだったということですか?
「私の知る歴史では今日この日をもって天蓋領域は消滅しています。天蓋領域の消滅に際して、未来が過去に干渉したという事実も観測できません。事実がそうである以上、私たちには介入する余地はない。それに、広域帯宇宙存在の存亡に干渉するのは、世界のバランスを大きく狂わせる危険をともないますので…。万一のことを恐れ、あのような決断をせざるを得ませんでした」
 万一のこと? 規定事項なのに万一があるんですか?
「はい。さっきも言ったとおり、時間の流れについてはまだ謎が多いんです。規定事項とされる事象の中にも正体不明のノイズが含まれている場合があって、それが異なる未来へのきっかけと成り得るのではないかと」
 つまり、歴史を変えることができるかもしれない?
「はい。それらのノイズを解析することが、時間の流れを解明し、異なる未来を導くための糸口になるのではないかというのが私たちの見解です。そのため私たちは時間の流れに大きな刺激を与えないようにしながら観察を続けています。特に、涼宮さんの周囲には他では観測できないノイズが数多く存在し、彼女こそ時の流れを解く鍵であると思われますので」
 なるほど、それで朝比奈さん(小)がハルヒの近くにいて観察しているということか。
 でも、それが朝比奈さんたちの見解、ということは、別な見解の未来人もいると…。ああ、それが、
「そう。「藤原」と名乗っていたと思いますが、彼らの組織の見解は私たちとは異なります」
 あいつらは朝比奈さんの敵なんですか?
「………」
 …? 何だ、この間は?
「…いいえ。決して敵というわけではありません。ただ、考え方が違うだけで…」
 なぜか、朝比奈さんの表情は寂しそうだ。
「彼らは、ループの存在が確認できない事象においても、未来が干渉することが可能だと考えているんです」
 未来が過去に手を出す余地はあると?
「はい。彼らは、積極的に過去に介入することで時の流れに刺激を与え、そこから未来を変える可能性を探ろうとしているんです」
 朝比奈さんたちとは逆ってことか。
 それで、実際藤原たちによって歴史は変えられているんですか?
「いえ。私たちの知る限り、彼らがそれに成功した例はありません」
 藤原たちの行為も無駄に終わっていると。
「はい。私たちが彼らの目論見を事前に阻止する場合もありますし、彼らが過去への介入を果たしてたけれど歴史に変化が生じなかったという場合もあります。少なくとも今まで…私たちの時代での今までにおいては、彼らの説を証明するような事実は確認されていません。…ですが、時間の流れにもっと大きな刺激を数多く与えていけば、歴史の本流に変化が生じるという説もあるんです。もっとも、彼ら…藤原たちでも、歴史にあまりにも大きな刺激を与える行為は控えているようですが」
 朝比奈さん(大)が「藤原」と呼び捨てにしたことに違和感を感じた。らしくない? いや、何か違う…。むしろ…。
 いや、今はそんなことより、
「あまりに大きな刺激?」
「例えば、大国の首脳を暗殺するとか、まだ発明されていない強力な兵器を過去に持ち込むとか、そういったことです」
 なるほど、藤原たちもそれなりに考えているんだな。
「そう…。彼らも彼らなりに、時の流れを解明しようとしているんです。その…こんなことを言うのも何ですが…決して悪い人ではないんです。ただ、やり方が少し荒っぽいだけで…」
 何か、今日の朝比奈さん(大)はやけに藤原の肩をもつような印象があるな。
 しかしまあ、さっき目にした藤原の嘆くような表情からも、ヤツが悪人であるとは俺には言い難い。
「なんとなくですが、だいたい分かりました。つまり、今日の九曜の件に関しては、朝比奈さんたちにも藤原たちにも「介入の余地のない過去」または「介入を控えるべき大きな事件」だったということですか?」
「はい。その、こんなことで慰めになるとは思わないんですが、少しでもキョンくんの悲しみを癒してあげることができればと思って」
 いえ、朝比奈さん(大)の口からこれだけのことを聞かせてもらえれば、それなりに納得できますよ。少なくとも、朝比奈さん(大)や藤原が自分に都合の良いように過去を操っているわけではないと分かりましたから。
「まあ。キョンくんは私をそんなズルイ女だと思っていたの? 私、ショックだなぁ」
 いや、今のその弥が上にも同情を誘うような表情の方がよっぽどズルイですって。
「それにしても、朝比奈さんや藤原は、いったい何のために時の流れを解明しようとしているんですか? 単なる科学者としての探究心からとはとても思えないんですが…」
 言った途端、朝比奈さん(大)は悲しみに暮れるような顔を見せた。
「それは……ごめんなさい。禁則事項です」
 女神の瞳に、悲しみとも恐怖ともつかない、とてつもない何かが映った気がした。
 俺の時代の人間が知ってはいけないことなのか。
 それとも、言うのもはばかれるような理由があるのか。
「それにしても、時の流れを解明するってスゴイですよね。いつか全てが解明されたら、もっと過去ともっと未来が繋がったりするんですかね。…あれ?」
 自分で言いつつ、何かが引っかかった気がして、朝比奈さん(大)に訊ねようと振り向くと、
「………」
 既に朝比奈さん(大)の姿はなかった。
 ――それ以上は聞かないで。
 静寂が、そう言っているように聞こえた。

 
 

 翌日、土曜日、七夕。
 昨日までの梅雨空がウソのように晴れ渡った。絶好の七夕日和だ。
 これを、「ハルヒが望んだからそうなった」などというのは無粋だな。
 今夜、美しい星空に感謝してやればいい。
「それには三とおりの理由が考えられる」
 言ったのは長門だ。
 理由とは、今日が晴れたことの理由ではない。
 実は今日、俺はハルヒの言った集合時間より1時間早く、午後3時に長門のマンションにやってきた。
 どうしても、長門と二人で話したかったからだ。
 俺の狙いどおり、他の三人はさすがにまだ到着していない。
 長門に聞きたかったのは次のようなことだ。
「もし、いずれ時の流れの全てが解明され、自由に時間を行き来できるようになるとして、例えば朝比奈さんよりもっと未来において時の流れを解明した人が朝比奈さんの時代にやってくれば、朝比奈さんの時代に既に時の流れが解明されたことになるわけだよな? でも、未来の、大人の朝比奈さんや藤原は、時の流れを解明するために努力しているらしい。これって変じゃないか?」
 それに対する答えが、先の長門の発言だったというわけだ。
 ちなみに、昨夜朝比奈さん(大)に会ったこと、彼女が語った内容については、まず最初に俺が掻い摘んで話した。
 朝比奈さん(大)が時間遡行の申請を却下したことについても、長門は彼女の意図を既に分かっていたようで、特別なリアクションは見せなかった。
 そして問題の部分に至り、次のように述べた。
「まず一つには、地球人は未来永劫時間の流れを解明できない、ということが考えられる。解明できないことが証明されたか、或いは解明を諦めたか、それらの理由によって時の流れの解明への道が閉ざされたという可能性がある。だが、私が人間を観察した上での個人的な意見を言えば、これは考えにくい。なぜなら、人間は知的好奇心を主たる欲求の一つにしているからである。その人間が未知なるものへの探求を止めるとは私には思えない」
 なるほど、それは確かに長門の言うとおりのような気がする。っていうか、長門自身、有機アンドロイドなのに人間以上の好奇心を持っているからな。情報統合思念体の束縛がなければ、きっともっと冒険しまくりだろう。ハルヒと二人、静と動のいいコンビになるに違いない。
「二つめに考えられるのは、遠い未来の地球人は時の流れを解明したが、何らかの理由、例えば世界の安定を崩すなどの理由で、それを過去に伝えること禁忌としたということ。これを守るには全人類共通の非常に厳しい倫理観が必要とされるが、これは必ずしもないとはいえない」
 ほほう、それも確かに長門の言うとおりだが、まあ世の中には悪いヤツがいるからなぁ。誰かしらタブーを犯すヤツがいそうな気もするが。
「そして三つめは…」
 言いかけて、長門は口を噤んだ。
 …どうやら、俺の考えと同じようだ。
 昨夜、時の流れの解明を望む理由を朝比奈さん(大)に訊ねたところ、彼女は悲しみの表情とともに「禁則事項」とだけ言った。
 そして今の長門の様子で、残念なことに俺は確信してしまった。
「人類の歴史が………終わるのか?」
 それしか考えられない。
「………」
 長門は口を閉ざしたまま、肯定も否定もしない。
 確かに、今の段階では俺たちの仮説に過ぎない。
 しかし、朝比奈さん(大)の悲しげな顔に加え、藤原の嘆くような表情、藤原を「悪人ではない」という朝比奈さん(大)の言葉、それら全てが一本の線でつながった気がした。
 TPDDの発明によって時間移動を可能にした朝比奈さんたち未来人は、その時代から見て近い将来、何らかの大災厄によって人類が滅亡の危機に瀕することを知ってしまった。それを回避するために、人類の運命を変えるために、朝比奈さんも藤原も戦っているのかもしれない。
 俺の天使である朝比奈さん(小)は、将来全未来人の命を救う女神になるのだろうか。
「け、けどよ、それにしたって、人類が助かるなら助かるで、それを朝比奈さんたちが知ってもいいわけだよな? そうでないってことは、やっぱりどう頑張っても人類の滅亡は免れない、規定事項だってことなのか? だったら、朝比奈さんや藤原はいったい何のために苦労をしょい込んでるんだ?」
 無駄だと知りながら必死であがいてるってのか?
 そんな辛いことってあるのか?
 俺の問いに答えるように、長門がゆっくりと口を開いた。
「おそらく、朝比奈みくるや藤原のいた未来の人間たちにとって、彼らは――」

 

「――。考え方ややり方に多少の違いはあれど、彼らの目指すところ、背負っているものは同じだと思われる」
 朝比奈さん(大)は言った。「時の流れについては謎が多い」と。その謎を解く鍵を握っているのはハルヒであり、だからこそ慎重に観察していると。
 そして、藤原は過去に介入することで未来を変えられると信じているらしい。
 それぞれの思惑は違えど、人類の未来を救うための僅かな可能性に賭け、運命に必死で抗っているのかもしれない。
 なんだか、二人とも応援したくなってきた。朝比奈さんはもちろんだが、藤原のヤツもな。
 ああ、そうだ、そういえば前に一人、自分の運命を知ってしまいながら、必死で抗い続けたやつがいたじゃないか。こんなにも身近にな。
「………」
 長門はあのとき、自分の暴走を抑えることはできなかったが、最後の可能性を俺に預けることはできた。
 あれも規定事項だった?
 いや、そうかもしれんが、俺はやっぱり長門自身の努力の結果だと信じたい。
 そしてもう一人…。
「周防九曜は…」
 長門が静かに語り出した。
「彼女は、もって生まれた宿命から自らを解き放ち、自由を得た。それは他でもない彼女自身が望んだこと。運命の呪縛から脱け出す可能性を、彼女は見せてくれた。私は、周防九曜が生きていたことを、彼女が遺したものを、決して忘れない」
 長門の自分自身への誓いの言葉だ。
 その表情には、昨日見せたような悲しみの色は既にない。
 むしろ、決意めいたものが感じられる。吹っ切れた、という感じもしないでもない。
 ひょっとしたら、こいつも昨夜人知れず泣き明かしていたんじゃないだろうか。
 いや、そんな風に勘ぐるのはよそう。
 長門は、九曜の思いを受け継ぐ決心をしたんだ。
 いつの日かインターフェイスとしての立場を離れ、普通の人間として生きてみせるという決意を。
 長門の黒く輝く瞳に揺ぎ無い想いが秘められているを感じて、俺の胸に熱い何かが込み上げてきた。
「長門、お前がいつか情報統合思念体の束縛を離れて自由の身になるってんなら、俺も嬉しい。だがな、俺はもう悲しいのはゴメンだ。お前は生きたまま自由を得て、生きたまま幸せになってくれ。そのためにできることなら、俺は何でもする」
 感情が高まるとついデカイことを口走っちまうのが俺の悪いクセだ。
「………」
 動揺しているのか、わずかに大きく見開かれた長門の両目が俺を見つめている。
「いや、その、俺なんかにはあんまり大したことはできないんだがな…」
 思わず熱いことを口にしちまったのが急に恥ずかしくなり頭をポリポリかいていると、長門は不意に表情を隠すように顔を背け、
「…うん」
 珍しく、声を出して頷いた。明るく、控えめで、可愛らしい声だった。
 ――笑っている。
 長門は、笑顔を堪えられなかったのだ。
 思わずこぼれた微笑を俺に見られまいと、顔を背けたのだ。
 まったく、こいつも素直じゃないな。
 変なところばかりハルヒに似やがって。
「………」
 長門は後頭部を俺に向けたまま何も言わない。
 いったいどんな笑顔をしているんだろう。
 あの、消失世界の長門のような、誰もが護ってやりたくなるような儚げな微笑だろうか。
 ――見たい。
 俺は長門の笑顔を何としても見てやりたくなった。
 ただ友達の顔を見るだけのはずなのに、俺の胸は異常なほどドキドキしている。
 胸の高鳴りを必死に抑えつつ、俺は顔を背けうつむく長門のそばににじり寄り、こちらへ振り向かせようと長門の小さな肩に恐る恐る手を伸ばした――。

 

 ぴんぽーん。
 ビビクンッ!
 突如静寂を引き裂いた音に仰天し体を跳び上がらせたのは俺だけじゃない。
 長門は飛び上がった体を両脚で支え、インターホンに向かった。
『来たわよーっ!』
 数メートル離れた俺の耳にまでハッキリ聞こえるデカイ声だ。
「………」
 インターホンを操作し自動ドアを開錠した後も、長門は壁に手を当てたまま突っ立っている。
 乱れた呼吸を整えているようだ。
 だいぶ人間らしくなってきたじゃないか。それは嬉しいが、笑顔を見損ねたのは何とも残念だ。
 しかしまあ、長門の自然な笑顔を見られる日も、そう遠くないのかもしれない。
 気長に待ってやるさ――。

 
 

「去年は欲張って二つも書いちゃったからね。今年は一つずつにしましょ! そうすれば彦星と織姫で願いを叶える力も倍になるはずよ!」
 結局欲張ってるじゃねーか。
「うっさいわね! 二兎を追うものは一兎も得ず。虻蜂取らずよ! 願いは一つに絞るのが最上の策なのよ!」
 示し合わせたかのようなタイミングで現れたハルヒ、古泉、朝比奈さんの三人を部屋に迎え入れ、俺たちは七夕の願い事を短冊に書き始めた。
 ちなみに、どうでもいいことだが、どこからか笹を持ってきたのは古泉だ。古泉の『機関』とやらは催し物の準備も承るらしいな。
 ベランダで、笹の葉がサラサラと涼しげな音をたてている。
「書けたわっ!」
 ハルヒの声に振り向き、覗き込むと、
『世界をもっと良くしなさい』
 取りようによっては案外まともと思われることが書いてあった。ただし、彦星、織姫ではなく政治家や財界の人間にでも言うべきだろう。
 もっとも、ハルヒの思う「良い世界」がどんなだかは甚だ疑問だが。
 古泉のヤツは、
『安寧秩序』
 と、あまり秩序だっていない雑な字で書いていた。
 「世の中が平穏で安らかな状態」ってことか。古泉が書くとやけに切実な願いに思える。
『みんなみんな幸せでありますように』
 朝比奈さんの願い事を見て、俺は胸がつまった。
 この方は彼女にとっての近い将来、絶望的な未来を知り、全人類の運命を背負って勝ち目の薄い勝負に挑むことになるのかもしれない。
 朝比奈さんの願いが叶うことを、俺は心から祈った。
「あんたは何て書いたの?」
 ハルヒが俺の短冊を覗き込む。
『俺と家族と周りの人間を健康にしろ』
 あまり欲張らずに書けば、この辺が妥当なところだろう。体さえ丈夫ならどうにかできるってことは結構ありそうだからな。
「ふ〜ん。意外とまともね」
 お前が言うな。
 笹に短冊を吊るしていると、願い事を書き終えた長門が俺の横にやってきて、同じように短冊を吊るし始めた。
「お前は何て書いたんだ?」
 長門は昨日、親友を失ったばかりだ。
 どんな願いであれ、叶ってほしいと思う。
「………」
 俺の問いには答えず、長門は決意を秘めた眼差しで、自分の吊るした短冊をただじっと見上げていた。
 俺は長門の短冊を覗き込んだ。
 そこには――。

 
 
 
 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:03:58 (2624d)