作品

概要

作者富士恵那
作品名九曜と有希 ―第四章―
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-08-27 (月) 18:04:14

登場キャラ

キョン不登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

 ―第四章―

 

「助かったか」
 大きく溜息をつこうとした俺の眼の前で、九曜がガクリと膝をついた。
「九曜!」
 俺が言うより早く、長門が倒れこむ九曜を支え、ゆっくりと寝かせる。
「九曜さん!」
 橘が駆け寄ってきた。
 あのヘンテコ空間を出ると同時に、俺たちにかけられていた朝倉の呪縛も解けたようだ。
 長門の右手の傷も既に完治している。
「九曜さん! しっかりして!」
 橘が九曜に呼びかける。
 そういや、最初に九曜を見つけてきたのはこいつだったっけか。一応、一番付き合いが長いことになるんだな。
「はあ……はあ……」
 九曜の呼吸が荒い。見るからに苦しそうだ。
「長門…何とか助けてやれないのか?」
 愚問だったかも知れない。
 一番九曜を助けたいと思っているのは、長門自身に違いないからだ。
「無理…。天蓋領域は既に崩壊している。直に彼女も…」
 九曜の傍らに両膝をついて座り込んだまま、長門は静かに答えた。
「どうしようもないのか? お前の親玉の力を使えば何とかなるだろ?」
 情報操作能力とやらで今までだって色々な事件を解決してきたじゃないか。
 九曜一人救うくらい、お前の親玉なら難しいことじゃないだろ?
「どうしようもない。周防九曜は天蓋領域によって生み出されたインターフェイス。情報統合思念体は天蓋領域の情報構造を解析するには至らなかった。天蓋領域が崩壊した今、彼女の存在を維持することは、私の力では……不可能」
 淡々としゃべっているが、長門の声は悲しい響きを含んでいる。
「そ、そんなっ!」
 橘が嘆きの声を上げる。
「じゃあ…このまま九曜が消えるのを待つしかないっていうのか?」
「………」
 長門は答えない。頷きもしない。
 認めたくないのだ。
 ただじっと九曜の顔を見つめている。
 くそっ。どうにかできないものか…。
「―――いいの」
「!? 九曜さん!」
 九曜が眼を開け、ゆっくりと口を動かす。
「分かっていた―――ことだから」
 少し言葉を発しては、一、二度呼吸をして、また次の言葉を紡ぐ。
 もうほとんど力が残されていない、しゃべるのも精一杯といった感じだ。
「ごめんなさい」
 長門が口を開いた。
「私は…あなたを敵と疑った」
 うつむき、膝の上で両手を強く握り締める。
 心の底から後悔し、自分を責めているようだ。
「―――」
 九曜が震える小さな手を、そっと長門の拳に重ねた。
「………」
 長門が顔を上げ、九曜と眼を合わせる。
「気にしないで。―――私がやったのは―――事実」
「………」
 あどけなさを感じさせる九曜の手を、長門が両手で握る。
「あなたは友達。―――みんな友達。―――護れて………良かった」
 息も絶え絶えの九曜だが、その声はどこか誇らしげだ。
「ありがとう」
 九曜の手を握る両手に力を込め、長門が呟く。
「お礼を言いたいのは―――私。………一緒にいられて―――楽しかった」
 ゆっくりと静かに、しかし明るい声で九曜が言う。
 長門と一緒に図書館で本を読んだり、スーパーで買い物をしている九曜の姿が思い起こされる。
「私も…楽しかった」
 長門の言葉が真実なのは俺もよく知っている。
 九曜と親しくなってからのこの二ヶ月、長門は本当に活き活きとしていた。
「あなたは―――大切な―――友達」
 九曜の声が細く、小さくなってきた。
「私たちは友達。ずっと…友達」
 長門が身を乗り出し、九曜に顔を近づけて言う。
 その声は熱く、それでいて優しい。
「私は―――ここにいる。―――私は―――ここにいた。―――あなたの………そばに」
 言いながら、九曜のまぶたが下がってきた。今にも目を閉じそうだ。
「九曜さん! しっかりして! 九曜さん!」
 橘がボロボロと涙を流し叫ぶ。
「………」
 九曜の手をギュッと握り締める長門。
 握り返した九曜の手が………力を失い、弱々しく緩む。
「応援……してる…よ…」
 そう言って、九曜はニッコリと微笑んだ。
 誕生日プレゼントをもらって喜んでいる幼い子供のような、無邪気で屈託のない、愛くるしい笑顔だった。
 そしてそれは、俺の見た――いや、おそらく九曜の人生においてもそうであったろう――九曜の、最初で最後の笑顔となった。
 次の瞬間、九曜は音も無く、光を放つこともなく、ただ穏やかに、霧のように消え去った。

 
 

「九曜さああああああああああああん!」
 まだ温かいであろう一瞬前まで九曜がいたはずの地面に、橘京子がすがり付くように覆いかぶさり、号泣する。
「………」
 長門は、九曜の手を最期の瞬間まで握っていた両手を膝の上に置き、うつむいたまま何も言わない。
 表情は見えないが、俺には分かる。いや、分からないヤツなどいるわけがない。
 長門は悲しんでいる。悲しみを堪えている。
 あたりまえだ! 親友を失ったんだ。悲しいに決まっている!
 こんなときでさえ感情を表さないのか、表せないのか、表すべきでないと考えているのか――長門は必死に悲しみに耐えている。
 泣けばいいじゃないか!
 悲しいなら、涙を流し、大声上げて泣けばいいんだ。今、橘京子がそうしているように!
「………」
 長門は沈黙を保ったまま、両手を握り締めている。
 その手に九曜の温もりは残っているのか。
 言葉を発しようとしない長門の姿を見ていて、俺の方が我慢できなくなった。
「おい、長門」
 俺は長門のそばに片膝をつき、小さな肩に手を乗せた。
 長門はいつもの無表情のまま、視線だけを九曜の両目があったあたりに向けている。
「本当に、本当にもうどうにもできないのか? 何とかしてくれって、お前の親玉に頼んでくれないか? これは、俺からのお願いだ」
 長門と買い物を楽しむ九曜の姿を、遊園地に行くとかで可愛らしくお洒落した九曜の姿を、俺はもう一度見たい。
 九曜とのゲーム対戦に夢中になっていた長門の姿も、はは、そうだ、九曜に彼氏ができたと勘違いして妬いていた長門も、ぜひもう一度見たい。
 そして、悲しみを必死に堪える長門の姿を見ているのには、俺はもう耐えられない!
「私もそうしたい」
 長門が漸く、静かに口を開いた。
「でも…無理。…さっきも言ったとおり、天蓋領域は既に無い。存在が失われたものは、我々の力でも元に戻すことはできない」
 淡々と言っているように聞こえるが、ムリヤリ平静を装っているようにも感じられる。
「喜緑さん! 本当にどうしようもないんですか!?」
 派閥が違ったところで答えは一緒だろう。
 だがそれでも俺は、もう一人の宇宙人に期待を込めて問いかけた。
「ごめんなさい。…私たちにはどうしようもありません」
 清楚で穏やかな宇宙人の先輩は、長門の気持ちを思いやってか、実に残念そうな顔をした。
 場の雰囲気に見事に合わせたかのような喜緑さんの表情を見て、俺は、今は亡きもう一人の宇宙人の顔を思い出した。
「そうだ! 長門! さっきの朝倉涼子は天蓋領域が作ったんだったよな? 俺たちの記憶から情報を盗んで、だっけか? だったら、お前の親玉も同じことができるんじゃないのか? 俺や、お前や、ここにいる全員の記憶から九曜に関する情報を集めて、九曜を情報統合思念体製のインターフェイスとして甦らせることができるんじゃないのか!?」
 俺は興奮して早口でまくしたてた。
 我ながら名案だと思った。
「それは可能」
 長門はあっさりと答えた。
 やった! 俺の頭も役に立つときがあるじゃないか!
 できるんなら、とっととそうしちまえよ。
 しかし、
「………」
 長門は首を振った。
「なぜだ?」
「私たちの記憶から情報を集めて新たなインターフェイスのデザインに用いることは可能。しかし、そうして生み出されたインターフェイスは、周防九曜に似てはいても、周防九曜本人ではない。記憶も本人のものではなく、周囲の情報に従って構築されたものに過ぎない。私はそれを、周防九曜とは認めない」
 最後の一文に、やけに力が籠もっているように感じた。
 そうか、さっきの朝倉も戦っているうちに優等生らしさが失われ、徐々に殺人狂の面が強くでるようになった。あれは、俺の中の朝倉のイメージがそうであったからに違いない。
 どれだけ情報を集めて作ったところで、それは九曜のそっくりさんでしかないってことか。
 俺だって、もしも、万一、あくまでも仮定の上だけでの話だが、例えば、例えに過ぎないがハルヒを事故か何かで失ったとして、そっくりさんで納得できるわけがない。
「私にとって周防九曜はただ一人。…あなたなら…分かってくれるはず」
 そう言った長門の横顔を見て、猛烈な既視感とともにあのときの記憶が鮮明によみがえった。
 去年の12月、長門が世界を造り変えたとき、元の世界と改変された世界のどちらがいいかと問いかけられ、俺は元の世界を選んだ。
 おかしなプロフィールを奪われ、偽の記憶を植えつけられ、ただの一般人と化していた元SOS団の連中より、馴染みのある不思議度満点の四人を選んだのだ。
 長門はそのことを言っている。
 自分の大切な人が誰かの手で作り変えられたり、新たに生み出されたりなんてことは、あっていいことではないのだ。
 さっきのが名案? 我ながら馬鹿なことを思いついたものだ。
「死んだものは生き返らない。それも、私よりあなたたちの方がよく知っているはず」
 長門の言葉が切なく響く。
 確かにそうだ。そのとおりなんだ。
「だ、だけどよ…」
 悲しみと闘う長門の姿を見ていると、どうにかして助けてやりたくなる。
 まだ諦めるわけにはいかない。諦められない!
「わああああああああああん!」
 橘京子はさっきから泣きっぱなしだ。
 こいつも超能力者っていうくらいなんだから、アイディアの一つでも出しやがれってんだ。
「…そうか!」
 何も長門と喜緑さんだけじゃない。
 これだけ不思議メンバーが揃っているんだ。
 何か他に良い方法があるはずだ!
 俺は居並ぶ仲間の顔を見渡した。
 橘は泣き喚くだけ。
 古泉も同じ超能力者とはいえ、条件がつかなければ普通の高校生に過ぎない。
 では、朝比奈さんなら。
「そうだ! そうですよ! 朝比奈さん!」
「えっ、なっ何ですかっ?」
 ベソをかき長門を見つめていた朝比奈さんは、俺の突然の呼びかけにビクッと身を震わせた。
 何で気付かなかったんだ。ここに未来からやってきた天使がいらっしゃったじゃないか。
「お願いです! 朝比奈さん! 俺と長門を昨日か、あるいはもう少し前の過去へ連れて行ってください!」
「ええっ!?」
 そうさ。九曜がハルヒにハッキングを開始する前の過去に長門を連れていけば、どうにか対応できるはずだ。
 自分で言うのも何だが、未来にいるオトナの朝比奈さんも情報統合思念体も、俺が一緒の方が融通を利かせてくれるに違いない。
「あっ、そっ、そうですねっ。分かりましたっ。今、申請を出してみます!」
 朝比奈さんが耳に手をあて、目をつぶる。
「やったな! 長門! なんとかなりそうだぜ!」
 しかし長門は、
「………」
 表情を変えず、沈黙を保ったままだ。
「…えっ? ええっ!? そ、そんなっ! どうして!? どうしてなのっ!?」
 朝比奈さんが小さな頭を両手で抱え込み、嘆いている。
「ど、どうしたんですか?」
「し…申請が却下されたんです! これは規定事項だからと。…なんでダメなの!? どうしてなのっ!? うわああああああああん!」
 泣き叫び、座り込む朝比奈さん。
 そばにいた古泉が、朝比奈さんの小ぶりな肩を宥めつかせるようにそっと抱く。
 俺は激しい憤りを覚えた。
 古泉が朝比奈さんを抱いたことにではない。朝比奈さんの申請を却下した朝比奈さん(大)に対してだ。
 長門がどれだけ苦しもうが朝比奈さん(大)には関係ないってのか? 大事なのは自分たちの未来だけだってのか?
 もし、今ここに朝比奈さん(大)がいたら、その太陽系一美しい顔を前にしても俺は遠慮なく怒鳴りつけていただろう。
 くそっ! 朝比奈さんに頼めないのなら…。
「おい! 藤原! 頼む! 俺と長門を過去に連れて行ってくれ!」
 不本意だが、もう一人の未来人に頼むしかない。
 朝比奈さんのとこと違って、こいつらの組織なら多少の危険を冒してくれるような気がする。
「………」
 藤原は目を閉じ、腕を組んだまま突っ立っている。
「おい! 聞いてるのか!? 返事をしやがれ!」
 ジロリ、と藤原が俺を一瞬にらみ付け、また目を閉じた。
 もしかして、今、申請を出しているのか?
 焦れる気持ちを抑え返事を待っていると、藤原がゆっくりと目を開いた。
「…フン、これは僕らにとっても規定事項のようだ。…残念だったな」
 そう言うと藤原は肩をすくめ俺たちに背中を向けた。
 思わずカッとなった俺は藤原の肩につかみ掛かり無理矢理振り向かせると、胸ぐらを締め上げつつ叫んだ。
「ふざけるな! 何とかしやがれ! 朝比奈さんには規則があるんだろうが、テメェらはイリーガルな組織なんだろう! 過去に戻ってどうにかしてみせろ!」
 頭に血が上っていた俺は自分でも何を言っているのかよく分からなかったが、ふと藤原の目に今までコイツが見せた事のない感情の色がこもっているのに気付いて我に返った。
 このいけ好かないヒネクレ者の未来人野郎の目はいつもの冷ややかなスカした目ではなく、やり場の無い怒りを必死に押し殺しているかのようにその瞳に熱を帯びていた。
 誰に向けられた怒りか。…俺にではない。天蓋領域にでもない。無力な自分自身に、とも言えそうだが少し違う。
 藤原らしくない表情に動揺し俺が力を緩めると、藤原は俺の両手を荒々しく振りほどいた。
「あんまり都合良く考えるなよ、古代人! 時間移動さえできれば未来はどうにでもなると思ったら大間違いだ! 運命にはな、変えられる運命と、どうやっても変えられない運命ってのがあるんだ。僕は何度も時間遡行をして、歴史上の数々の場面を目の当たりにしてきた。抗えない運命に苦しむのは、これが初めてじゃない!」
 そう言って、藤原は歯を食いしばり、顔をそむけた。
 怒りとも嘆きともつかないような藤原の言葉に、そしてその表情に、俺は何かコイツのことを酷く誤解していたのではないかとさえ思った。
 …くそっ! くそっ!
 あと、残っているのは…。
「佐々木! 本当にお前は特別な能力を持っていないのか? 不思議空間を発生させられるんだろ? 橘の言うように、お前がその気になればいろんな力を発揮できるんじゃないのか?」
 つい両手に力が入りそうになるのをどうにか抑えながら、俺は佐々木の両肩に手を乗せた。
 …震えている。
 佐々木のほっそりとした肩は、胸が張り裂けそうなほどの悲しみを必死に押さえ込んでいるかのように、小さく苦しげに震えている。
「ごめんよ…キョン…。僕が九曜さんを助けてあげられるなら、とっくにそうしているところだが…。残念だが、僕に君が期待しているような力はないんだ。…本当に……残念だよ」
 佐々木はうつむき、頬に一筋の涙を光らせていた。
 くそっ! 佐々木にハルヒと同じトンデモ能力が備わっているって話はいったい何だったんだ。
 …待てよ。
 ハルヒと同じ能力?
 そうだ! もう、それしかない! こうなったら最後の手段だ!
「ハルヒの力を使うぞ!」
「えっ!?」
 驚いて顔を上げたのは古泉だ。
「長門! 俺がハルヒに頼んでやる! ハルヒに全てを明かして、あいつの力で九曜を復活させてもらうんだ!」
 そうさ、俺はハルヒの力を解放するための鍵を持っている。
 それを今使わずに、いったいいつ使うんだ。
「いけません! それだけは、涼宮さんに自分の能力を自覚させてしまうことだけは、絶対になりません! 危険すぎます!」
 古泉が全力で反論する。ハルヒの暴走を恐れているのか?
「うるせえっ! 他に方法がないんだ! アイツなら心配はいらない。ハルヒが本当のところ常識的なのは、一年付き合ってお前もよく分かっているだろう! アイツに神さまみたいな能力が備わっているなら、こういうときこそ役立てるべきだ!」
 大丈夫だ。ハルヒなら世界を無茶苦茶にするような真似は絶対にしない。長門のために、喜んで自分の力を使ってくれるはずだ。俺はそう信じてる。ハルヒのことを一番良く分かっているのは俺だ!
「同意できません! 涼宮さんが理性的であるのは僕も知っています。しかし、それと能力を自在に操ることとは別です! 一つ間違えれば、世界のバランスを崩しかねません! それに、涼宮さん自身のためにも…」
「うるせえうるせえうるせえっ!」
 古泉の理屈など聞いちゃいられない。俺はやるっつったらやるんだ!
「長門、もう大丈夫だ。ハルヒならきっと何とかしれくれるさ」
 俺は依然として座り込んだままの長門に駆け寄り、語りかけた。
「私も同意できない」
 長門から返ってきた言葉は、意外だった。
 なぜだ?
「一つには、古泉一樹の言ったとおり、世界の安定を損なう危険があるから。そしてもう一つ、涼宮ハルヒが自分の能力を自覚することは、彼女自身のためにならないから」
 ハルヒのためにならない、という言葉に、俺はドキッとした。
「あなたや古泉一樹が言うように、涼宮ハルヒはその根底においては非常に常識的かつ理性的な少女であると私も思う。そのようなごく一般的な少女が、世界を自由に作り変えてしまうほどの能力が自分に備わっているのを知ってしまうことは、彼女自身にとって大きな苦しみになりかねない」
 長門の口から実に人間的な意見が出てきたことに、俺は少々戸惑いを覚えた。
 そうだ、こいつは、長門は一度世界を改変する力を手にし、それを使っている。だけじゃない。三年以上も前から自分がそれをすること知っていて、そうならないように抗い、しかし結局自分の暴走を止められなかった。
 俺も古泉も、ハルヒと長門が普通の女子高生になりつつあるのを見て安心していた。
 今、俺がやろうとしていることは、それをブチ壊すことだ。
「けどよ、一度だけだ。たった一度だけ、アイツに意識的に能力を使ってもらうだけでいいんだ。九曜を復活させるとか、時間を巻き戻すとか、アイツなら何かできるだろ。後のことは、それから考えればいいじゃないか」
 俺の頭と心と口は完全に統制を失っていた。長門や古泉の意見を理解しつつも、長門のために何とかしてやりたい一心で、俺はムチャなことを口走っていた。
「一度存在が失われた以上、元々天蓋領域の存在を認識していなかった涼宮ハルヒに、それを復活させることは難しいと考えられる。我々の記憶を保ったまま時間を巻き戻すことなら可能かもしれないが、その場合、敵としての天蓋領域を復元することになる。それは非常に危険」
 さっき人情論を言ったかと思うと、今度はまた長門らしい論理的な意見だ。
「それならいっそ、天蓋領域なんか初めから存在しなかったことにして、九曜も普通の女の子だったことにしちまえばいいんじゃないか?」
 究極的にはそれが一番望ましいように俺には思えた。
 しかし、
「それではさっきも言ったとおり、私の知る周防九曜にはならない。周防九曜は天蓋領域のインターフェイスとして生み出され、我々に接触する使命をもっていたが故に私と知り合い、似た境遇におかれていたからこそ私と彼女はお互いに分かり合うことができた。周防九曜が初めから一人の人間として産まれてくることなど私は望んでいないし、それはきっと彼女自身も同じ」
 長門の声が熱く聞こえる。
 九曜のことは自分が一番分かっていると言いたげだ。
「けど…けどよ、お前は諦められるのか? せっかくできた気の合う友達をこんなかたちで失っちまって、お前はそれで納得できるのかよ。これで終わりにしちまっていいのかよ!?」
 この二ヶ月の長門と九曜の姿が、再び走馬灯のように俺の脳裏をよぎる。
「彼女には天蓋領域のインターフェイスとしての使命を全うし、存在し続けるという選択肢もあった。しかしながら彼女はそれを選ばず、私たちの命を助け、私たちの友達として死ぬことを選んだ。それは紛れもなく彼女自身の意志。私はその意志を尊重したい」
 長門の声はいつになく大きく、早口だ。まるで、自分自身に言い聞かせているかのように。
 必死に感情を押し殺しているのが見え見えだ。
「お前の言っていることは分かる。だがそれは理屈だ! 世の中理屈で割り切れることばかりじゃないのはお前にだって分かるだろう! 俺は九曜を取り戻したい! お前のためにだ!」
 言った瞬間、長門の膝の上で小さな拳がギュッと握り締められた。
「お前、九曜と一緒にいてあんなに楽しそうにしてたじゃないか! 読書仲間ができたって喜んでたじゃないか! 俺はな、お前に俺達以外の親しい友達ができたことを心の底から嬉しく思っていたんだ! 九曜と影響を与え合って、日に日に普通の女子高生らしくなっていくお前たちを見て、本当に微笑ましく思っていたんだ! 俺だけじゃねえ! ハルヒも、古泉も、朝比奈さんも、みんなそうだ! 九曜がお前にとってかけがえのない友達であることは分かってるんだ! お前が理屈で自分を納得させようとしたところで、お前が悲しんでいるのは、お前が辛くて仕方がないのは、俺たちには分かっちまうんだよ!」
 俺は溢れる感情に任せ、ただ叫んだ。
「………」
 長門は膝の上で拳を強く握り締めたまま、何も言おうとしない。
 言おうとしないんじゃない。言えないんだ。
 様々な思いが体から溢れ、言葉にできないでいるんだ。
 長門は堪えている。
 胸を引き裂かれそうなほどの悲しみを、ただ必死に堪えている。
 長門の、静かに苦しみ悶えるような姿を見て、俺の中で何かが切れた。
「もう限界だ! 俺はこれ以上お前が悲しむのを見ちゃいられない! 俺はハルヒを叩き起こしてくる! やるだけやってやるさ! そのあと世界がどうなろうが知ったこっちゃねえ!」
 そう叫びハルヒの元へ向かおうとした俺の腕を、熱く、強く、すがるように、何かが掴んだ。
 それは、震える脚で静かに立ち上がった長門の、か細く小さな手だった。
「もう…やめて……」
 振り返った俺は、長門のうつむいた横顔を見てとてつもない寂寥感に襲われ、言葉を失った。
 長門は、いつもの無表情だ。その小さな口は閉ざされたまま。ましてや、涙など流してはいない。
 それでも、俺には一目で分かった。
 表情を変えず、声も上げず、涙すら流さずに、だが間違いなく長門は―――泣いていた。

 

「わかった……。わかったよ、長門…」
 長門が初めて見せた泣き顔に、俺は心身の力を奪われた。
「うっ…うっ…うわあああああああん! うわはあああああああん!」
 切なさに満ち溢れる長門の姿に、朝比奈さんがうずくまって号泣する。
 橘京子も絶望に泣き叫び、佐々木も立ったまま静かに咽び泣いている。
 古泉も、藤原も、喜緑さんも、三者三様の表情で悲しみを表している。
「………」
 雨が強くなってきた――。
 長門のか弱い手は、支えを求めるかのように俺の手首を掴んだまま放さない。
 その小さな手の熱さを感じながら、俺は言うべき言葉を持たず、うつむき立ち尽くす長門の横顔をただじっと見つめていた。
 降りしきる雨に濡れた長門の髪から一粒のしずくが垂れ、雪のように真っ白な頬を流れて落ちた。

 
 

 喜緑さんや佐々木たちと別れ長門の部屋へ戻った俺たちは、何よりもまずハルヒの様子を見に行った。
「大丈夫。天蓋領域の消滅とともに彼女への精神攻撃も途絶えた。後遺症の心配もない」
 時間凍結を解除しベッドに横たわるハルヒの額に手を当てた長門は、落ち着いた声で診断結果を告げた。
 無事でなによりだ。
「間もなく、目を覚ます」
 ベッドの傍らに居並び、息を潜めて見つめていると、
「ん…んん…」
 ハルヒがゆっくりと目を開けた。
「大丈夫か? ハルヒ」
「ん? キョン? あれ? みんなも…。私、どうしたの?」
 自分に何があったか、まるで分かってないようだ。
「涼宮さん…無事で良かった…」
 朝比奈さんが心底ホッとしたような笑顔を見せる。
「え? 何よ、みくるちゃん、無事って…?」
「覚えておられませんか? あなたは下校途中に倒れられたんですよ」
 同じく安堵した様子の古泉が説明する。
「倒れた? 私が?」
 ガバッ、とハルヒが体を起こす。
「ここ…有希んちじゃない」
 キョロキョロと首をひねって部屋の中を見渡す。
「雨が降ってましたからね。ひとまず長門さんのお宅へ行こうと、彼があなたをおぶって連れてきたんですよ」
 ベッドの傍らに膝をつく俺を古泉が手で示す。
「キョンが? …そう」
 何か言いたげな眼を俺に向けるハルヒ。
「お前、本当に大丈夫なのか? 頭痛とか眩暈とかないか?」
 なにせ宇宙人に攻撃されたんだ、なにかしらの症状があってもおかしくない。
「ぜーぜんへーきよ! あんたこそどうしたの? 何か疲れきった顔してるけど? まさか、私が重かったからとか言ったらぶっ飛ばすわよ!」
 いつものハルヒだ。何ともなさそうだな。
 良かった。…本当に良かった。
「ちょ、ちょっと! 何よ、急に! どうしたっていうの?」
 俺は、親友を失った長門の手前、ハルヒが眼を覚ましても大きなリアクションはとらないつもりでいた。
「キョンくん…。ぐすっ…ぐすっ…」
 だが、ダメだった。
 俺は今日一日で、ハルヒの命を狙われ、一度は朝比奈さんと古泉を殺されたと思い込み、俺自身も長門と一緒に絶体絶命に追い込まれた。
「………」
 俺たちは助かったものの、最後には、大切な友達であり長門を大きく変えてくれた感謝すべき相手、九曜を失ってしまった。
「ふふ。大変心配なさってましたからね。ホッとされたんでしょう」
 そして今、いつもと変わらぬハルヒの姿を目にして、辛く苦しい一日がやっと終わったことを理解した俺は、
「も、もうっ、大げさなのよ! バカじゃないの! まったく!」
 不覚にも涙を流していた。
「うるせえっ! お前のせいだ! 心配かけやがって…!」
 どうにも止まらない。
 大粒の涙が後から後から溢れてくる。
「えーい! いつまで泣いてんのよ! しゃきっとしなさい! 男でしょ!」
 俺を叱りつけ、赤らめた顔を背けるハルヒ。
「………」
 長門は、ただ静かに、俺たちのやり取りを見つめていた。
 その胸中を察するほどの余裕は、今の俺にはなかった。

 
 
 
 


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