作品

概要

作者富士恵那
作品名九曜と有希 ―プロローグ―
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-08-27 (月) 18:00:06

登場キャラ

キョン不登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

 ―はじめに―

 

 この作品は「長門と九曜シリーズ」の第6弾となっております。
本作品を読まれる前に、同一作者による以下の作品をお読み頂くことを推奨致します。

 

 第1弾「二人の宇宙人」SS集/772
 第2弾「長門の恋人!?」SS集/773
 第3弾「射手座の日々」SS集/774
 第4弾「長門有希の驚愕、憤慨、動揺、そして…暴走」SS集/779
 第5弾「長門有希の『17歳』」SS集/780

 
 
 

 ―プロローグ―

 

 突然だが、あなたは「占い」というものを信じるだろうか。
 高名な占い師とやらの予言を有難く聞きその通りに行動しようという人もいれば、新聞や雑誌の占いコーナーなどには目もくれないという人もいるだろう。中には、「良い内容のときだけ信じる」という都合のいい人もいるかもしれない。
 ぶっちゃけ、俺はほとんど信じちゃいない。
 しかしながら、信じるか信じないかは別にして、テレビのニュースや情報番組で、或いは新聞の片隅で、我々が占いというものを目にしない日はほとんどない。ということは、取りも直さず、占いを求めている人が相当数いるということなのだろう。
 この占いに対する人々の関心というものは、古今東西を問わないようだ。古来より、占星術や、四柱推命、ルーン占いやタロット占い、人相占いや風水など、多種多様の占いがこの世界には存在してきた。
 宿曜道や陰陽道などにおいては「九曜」という九つの星を用いて行う占いもあるそうだ。
 そういえば、血液型占いなんてのもよく目にするが、俺は見るたびに「人間の運勢は四通りしかないのかよ」と突っ込みたくなる。
 しかし、なぜこうも人は占いを求めるのだろう。
 それはひとえに、「未来を知りたい」という気持ちからに違いない。
 占いとは、人の「運命」や「未来」など、通常の手段では計り知れないものを把握しようとする手段に他ならないからだ。
 もし、これから先に起こる何らかの災厄を事前に知ることで、回避することができるなら…。
 あるいは、自分の目の前に現れるチャンスを逃さず手にすることができるなら…。
 そういう思いが人々を占いへと駆り立てるのだろう。
 しかしながら、「未来を知る」ということは、その人にとって必ずしも好ましいことであるとは限らない。
 もしも、数日後に想像を絶する不幸が我が身に降りかかるということを知り、それが決して逃れられない出来事であると分かったのなら、あなたはどうするだろうか。覚悟を決めるという精神の強い人もいれば、「そんなことは知りたくなかった」と絶望の数日間を過ごす人もいるだろう。「変えられない未来」は知っても苦しむだけ、という場合もあるのだ。
 今、「変えられない未来」と言ったが、では「運命」というのは一体どこまで決定されているものなのだろうか。
 正直、そんなものはいくら考えたってキリがない。
 人はよく「運命は自分の手で切り開くもの」というが、そもそも「努力して道を切り開く」ことすら「運命」で決定されているのかもしれない。そうかと言って全く努力をせずにいれば何事に関してもあまり良い結果を得られないであろうが、それすら「自分は努力しない運命だった」と言っていいものだろうか。
 結局のところ、俺は「未来」は分からないからこそ面白いと思っているし、「運命」とやらの力もあまり意識してはいない。俺がバカなのは運命で決定されているのかもしれないが、かといって勉強しないことには成績は下降する一方だからな。
 しかし、人間として生まれた以上、確実な「未来」であり、決定されている「運命」というものがたった一つだけある。
 それは、「死」だ。
 有機生命体として生を受けた以上、いつか死ぬことからは決して逃れられないのだ。
 それについて異論を唱える人はそうはいないだろう。今のところ、「永遠の命」を獲得したという事実は耳にしたことがない。
 では、あなたは「死後の世界」や「魂の存在」、「輪廻転生」などについてはどうお考えだろうか。
 俺はというと、「人は死んだらあの世にいく」ということをガキの頃はそれなりに信じていたが、小学校の高学年の頃には既に「死んだら無になるに違いない」ということを漠然とではあるが考えていたように思う。
 そんな俺もただ一度だけ、何年も飼っていた犬が中学の頃死んだときは、犬の死を悲しむとともに、「無事にあの世に行っていてほしい」と願った。当時まだ小学校低学年の妹と一緒に、庭に埋めて、しっかりと墓を作ってやったものだ。墓を作ったことで、俺の悲しみは僅かながら癒すことができた。
 そのことがあって、俺は思った。
 やっぱりあの世なんてものはないに違いない。死んだ命は土に帰るだけだ。
 葬式に金を掛けるのも、立派な墓を立ててやるのも、死んだ人の為ではなく、残された人間たちが大切な者を失った寂しさを紛らわす為なのだ。
 日本社会における職業の多様さからいって珍しいことになるかどうかは分からんが、たまたま俺の中学の同級生に墓石屋のせがれがいて、俺が葬式や墓、魂やあの世についての考えを聞かせてやると、そいつは膝を叩いて言った。
「その通り! キョン、墓ってのはな、死んだ人のための物じゃない。残された人間が死んだ人を忘れないためにあるんだ」
 上手いこと言うものだと俺が感心していると、そいつは笑って「あの世も魂もありゃしねーよ」と言い切った。
 あの世や魂の存在を信じていないヤツが墓石を売っているというのは詐欺なんじゃないかと俺が突っ込むと、そいつは、
「薬の効き目が違うだけさ。客が思っているとおりの効果は無いが、客の幸せに貢献していることには間違いない」
 なんだか上手く丸め込まれた気もするが、たしかにその通りなんだろう。
 家族、友人など自分の大切な人たちとは、永遠に一緒にいたい、死んだ後もどこかでめぐり逢いたい。普段、あの世や魂の存在を信じていない人でも、大切な人を失った直後はそう願うのがほとんどだと思う。
 俺は「死んだら無になる」ということをほぼ確信しつつも、「あの世」とか「輪廻転生」ってのがあったらいいかもな、という期待を完全には捨てきれずにいた。
 阪中の犬の一件以来、シャミセンの頭には珪素構造うんたらかんたら情報生命素子とかいうある種の知性の源が入れられている。
 あのとき、俺は人間にも魂があるのか長門に尋ねたが、
「それは、禁則事項」
 長門はジョークで返しやがった。
 魂の存在を知って、あるいは逆に魂が存在しないことを知って、絶望してしまう人もいるかもしれない。
 人間はそれを知るべきではない。
 長門はそう判断したのだろう。長門なりの思いやりと俺は受け取った。
 そう、「未来」も「運命」も、「魂」も「あの世」も、分からないままでいいのだ。
 「運命」からは逃れられないのかもしれないし、「魂」も存在しないのかもしれない。
 だが、そこに何らかの期待を込めることや、努力することは、決して無意味ではないだろう。
 俺は、傍らで丸くなるシャミセンを見ながら、ふとそんなことを考えていた。
 ――ガチャッ。
 少々長くなってしまった俺のモノローグを強制終了させたのは妹である。
 トコトコと部屋に侵入すると、ベッドに横たわる俺には目もくれず、俺の机の引き出しを開けガサガサと漁りだした。
「なんだ?」
 何も言おうとしない妹に俺が尋ねると、
「カッター!」
 妹は俺の机の引き出しから取り出したカッターを俺に突きつけ、
「明日の図工で使うの!」
 キリキリと刃を出してみせた。
 勘弁してくれ。俺は刃物にはちょっとしたトラウマがあるんだ。
「人の部屋に用があるなら声をかけろと言ったろう」
 前にも言ったセリフを繰り返すと、
「てへっ」
 妹はカッターの柄で自分の頭を小突き、トコトコと出ていった。
 …くそっ。
 妹のせいで思い出したくないヤツの顔を思い出しちまった。

 

 …やっぱり本物の占いとか予言とかってのはあるのだろうか。
 後になって思ったことだが、ひょっとするとこの夜の妹の行動は何かの前兆だったのかもしれない。
 この翌日、まさかまたアイツの顔を見ることになろうとは、このときは思いもしなかった……。

 
 
 
 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:03:57 (3088d)