作品

概要

作者109
作品名長門有希の一冊
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-08-26 (日) 23:55:40

登場キャラ

キョン不登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

   
 三学期も終わりに近づき、上級生たちが卒業式の準備だなんだと慌しい中、一年というもっともヒマな学年である俺は期末試験を無事とは云い難いレベルでクリアし、あとは春休みをぼーっと待つだけの生ぬるい日々を送っていた。
 放課後になっていつものように部室へ顔を出すと、部屋には長門しか居なかった。訊けば古泉は卒業式の準備とやらで生徒会長の手伝い、朝比奈さんは鶴屋さんと出かける約束があるらしく各々パスしたとのこと。因みにハルヒのやつは、新学期以降のSOS団活動計画を立てるため、HR終了のチャイムと共に早々と帰宅した。
「今までの活動内容の反省も踏まえて、SOS団をもっともぉ〜っとでっかくする方法を考えるから、楽しみにしてちょうだい!」
 と、俺の不安をレッドゾーンへ突入させるような言葉を残して。
「…ま、あいつのこった。反省なんざ碌にしちゃいないだろうが…」
 すでに春休みのスケジュールは、SOS団絡みの活動でびっしりと埋め尽くされている。思わずため息が出そうだが、もはやそういった生活に慣れてしまったのも、この一年間の無駄な努力のおかげというべきか。どこかに俺のレベルアップを正当に評価してくれる人、居てくれませんかね?

 いつものパイプ椅子に腰を下ろした俺を、顔も上げずに長門が迎える。相変わらずの本の虫だ。この宇宙人製アンドロイドの主食は実は本で、読み続けないと餓死してしまう体質じゃないだろうな。
 読書に耽っている長門の目の前の長机に、似たようなハードカバーの本が三冊積んである。背表紙に書かれたドイツ語かなんかの硬質な文字は俺には読めんが、同じようなタイトルにローマ数字が振られているのを見るときっと続き物なんだろう。この間も英語の本を読んでいたが、近頃のこいつは原書ブームなのか?
「なあ、なに読んでんだ?」
 俺の声に、まるでたったいま気付いたと云わんばかりに顔を上げた長門が、本のタイトルを流暢に発音した。流暢と感じたのは俺が聴き取れなかったからで、意味どころか何という単語なのかも分からない題名をここに書き記すことが出来ないのは、ひとえに俺の語学力の無さだ。
「あーすまん。さっぱりわかんねえわ。長門にとっては面白い本なのか?」
 長門は何か沈考するようにわずかに首を傾げ、少しして、
「ユニーク」
 と、いつぞや聞いたような感想を漏らした。
「たしかお前、初めて会ったとき読んでいた本にもそんなこと言ってたよな」
「そう」
 その洋モノSFは、後で長門から半強制的に貸し出され、二週間かかってやっと読了した。
「あの本さ、わりと面白かったよ」
 とか言いつつも、一巻だけで続きは読んでないのだが。
「そう…」
 長門は領収書のように無愛想なあいづちだけ返すと、膝上の本へ視線を戻した。あれ以降続きを借りようとしないから、適当な感想を述べてるとでも思われたんだろうか?いや、わりと面白かったというのは嘘じゃないぞ。だが俺のような本読みジュニア級にとって、あの分厚さは敷居が高すぎて跨ぐのに苦労するんだ。古泉ほど股下が長ければ余裕なのだろうが。
 そういえば、あの本に挟んでいた栞のメッセージがいまの生活の始まりだった気がする。ハルヒが消えたあの世界でも、鍵となったのはやはり、同じ本に挟まれていた栞だった。本の内容とはまるっきり関係ないにしろ、俺にとって最も印象深い一冊ではある。少なくても、内容は忘れてもタイトルと表紙は一生記憶してるだろう。

「…なあ長門、お前が読んできた中で一番印象に残ってるっていうか、忘れられない本はあるか?」
 何気なくそう尋ねると、ページを捲ろうとした長門の指が静止した。視線を何も無い空間に向けてフリーズしたまま、深海のような時間が流れる。宇宙人スペックの全能力を思考に注ぎ込んでいるかのような横顔に、気軽な質問を投げたのが申し訳なくなった。
「すまん、ちょっと聞いてみただけだ。そんなに悩むことじゃ…」
 もういい、と言おうとした俺を遮るように、長門が顔を上げた。

「いま、ここにない」
「…ええっと……その本が、って意味か?」
「そう。家にあるから」
 頷いた長門はパタンと本を閉じると、唐突に立ち上がった。…えーと、もしかして今から取りに帰るとか、そこまでしなくていいんだぞ?
「家に来れば見せられる」
 いや、単にお前の感想を聞こうと思っただけで読みたいわけじゃ……などと断るのも悪い気がするほど、まっすぐな瞳を俺に向ける。しょうがない、あれだけ真剣に長門を考えさせた俺にも責任があるしな。
 どうせこの後は家に帰るだけだし、本意とは言い難いが長門のご好意に甘えることにした。
   
*****
   
 リビングに案内されて座ると、長門は俺にお茶を振舞ってからすぐ本を探し始めた。そんな急ぐ必要は無いって。別に今日見つからなくても構いやしないからさ。
 他にすることも無いのでお茶を啜っていると、長門は思いのほか早く戻ってきた。薄っぺらい一冊の本を片手に持って。
「……それか?」
 半信半疑がそのまま表情に出た俺に、長門が頷き返す。彼女の手にあるのは俺の予想と違い、B4のコピー用紙を半分に折って綴じただけの、本というより表紙の無いノートと云っていい代物だった。手渡されてパラパラと捲ったが、タイトルも作者名も入ってない。本当にこれが、長門が最も印象に残っているという本だろうか?
「…読んでいいか?」
 俺のネクタイの結び目に視線を固定したまま、長門は僅かに顎をひいた。薄いので、俺ですら読了するのに一時間と掛からないだろう。
   
 …舞台は、とある高校。そこに通う女の子が主人公らしい。といっても、その少女に関する描写はほとんどない。すべて ”私” の一人称視点なのに、自分の起こした行動や考えが書かれてないからだ。”私”だけでなく、登場人物の名前も外見も明記されていない。
 静か、というより平坦な日々を黙然と過ごしていた少女の前に、ひとりの男子生徒が現れる。彼とは同じ学校に通いながらも、まったく交流がなかった。だが、彼女は知っていた。彼のことを――。
   
 最初の数ページを読んだ俺は、ある事に気付いて愕然とした。
   
 少年と出会ったのは学外の図書館だった。本を借りる方法が分からず困っている少女の代わりに、たまたま居合わせた彼が手続きをしてくれた。二人はそこで別れたが、ある日突然、たったひとりの文芸部員である少女の前にあのときの少年が姿を現した。
   
 読み進むにつれ、心のどこかで早鐘が鳴っている。喉が渇いたが、湯呑みに手を伸ばす気が起こらない。
   
 少女の想いと裏腹に、少年は彼女に用があったわけではなかった。失望を感じつつも、少女は勇気を出して文芸部への入部を勧める。少年は回答を保留しつつも、時折り部室へ顔を見せるようになった。ふたりの交流は淡々としたものだが、彼が彼女の家へ遊びに行く程度には親しくなった。
 だが、ふたりが再会したのと同じぐらい唐突に、彼は彼女の前から姿を消した――。
   
 話はそこで終わっていた。いや、途切れていた。この続きが別にあるのだろうか?それとも、書くことが出来なかったのだろうか?最後のページを開いたまま目で問いかけたが、長門は微かに首を左右に振った。続きはない、ということだ。
 心臓の動悸が、ズキズキと痛みを伴う。忘れかけていた、でも忘れることの出来なかった痛み。
「長門、これは――」
 胸につっかえてなかなか出てこなかった質問を、カラカラに乾上った喉から絞り出した。
「――この本を書いたのは、おまえか?」

 ほんのわずか伏せた睫毛で目線を隠したまま、長門の唇が神託を告げるように開いた。
「厳密には、違う。昨年の12月18日に改変された世界の、わたしという個体の異次元同位体」
 ドクン、耳の奥で高鳴りが響く。涼宮ハルヒが俺の知るハルヒでは無くなった世界。眼鏡をかけた内気な少女。ゆっくり差し出された真っ白な紙。白紙のまま戻した俺から受け取る、震えた指先。
 俺は思い出す。旧館の片隅にある部室の更に隅っこで大人しく本を読んでいるだけの少女が、本人以外の目に触れることの無いであろう小説を書いていたことを。
「……なぜ……」
 それがここにある?何故、お前はそれを選んだ?俺に見せた?
 矢継ぎ早に湧き上がる疑問は雪だるまを転がすように膨れ上がり、巨大な塊になって俺の喉を塞ぐ。

 あの世界の、いや、あの長門への未練がまるで無いわけじゃない。未練とは言い換えれば、後悔だ。此処が俺の居場所だという思いは変わらないが、もしもあのまま残ってたらと夢想したことも一度や二度ではない。
 たとえ俺にとって仮初めの場所だったとしても、あの世界の住人はどこかで、いまも変わらず暮らしているとしたら?力を失ったハルヒ、彼女への恋心だけでハルヒに付き添う古泉、何も知らない無垢な朝比奈さん、本を読むだけの静かな生活に突風のような闖入者を向かえる羽目になった……。
「長門」
 俺の言葉に、身じろぎひとつ返さない。それでも、続ける。
「長門、あの世界はまだ消えてないのか?おまえが世界を元に戻しても、あいつらはまだそこに居て、おまえも――」
 訊ねたいことはそれこそ、整理券を配るくらい山とある。だが、俺が一番知りたいのは…
「あいつはいま、独りなのか?誰も周りに居てくれないのか?お前と違って……」
 目の前の長門は人間ではない。情報統合ナントカが生み出した、ヒューマノイド型インタフェース。それでも、こいつの周りには仲間がいる。俺やSOS団の面子はもちろん、鶴屋さんだって、同じインタフェースである喜緑さんもそうだろうし、コンピュータ研の連中だってそこに加えてもいいだろう。
 だが、あいつはどうだ?同じ一人暮らしなのに、唯一の友人だった朝倉が消え、迷惑だけ押し付けた俺も居なくなっちまって、女の子ひとりで広過ぎるあの部屋へ、訪問してやれる人物は居ないのか?
「分からない」
 表情を変えずに、長門。無機質には慣れっこになったこいつの顔が、今ほど冷たく見えたことはない。
 よほど頭に血が昇っていたんだろう。力の籠もった指先がページの隅をくしゃくしゃに潰しそうになっているのに気付き、慌てて手を離す。薄い本が机の上に落下し、ぱさりと乾いた音を立てた。

「…すまん」
 本を拾い上げ、すこし皺になった紙を指先で伸ばす。あまり目立たなくなったが、完全に元に戻すことは出来ない。あの世界だって同じだ。元に戻すことなど出来やしない。俺はこちら側を選び、改変された世界をリセットするため時空を駆けずり廻ったのだから。…ああ、分かってるさ。そんなこと、分かりきってるはずだったさ。
 重い想像が圧し掛かり、目線を手元へと押し下げる。本の最後のページは、目の前で少年が消えるのをまの当たりにして、成すすべも無く呆然と立ち尽くす少女の姿で終わっている。彼女の心情は、これまで通り記されていない。
 が、無くたって見える。空色の水彩絵の具が淡く水に滲むように行間を濡らす、悲しみの色が。
 いまの世界を選んだのは間違いじゃない。だが、それですっぱり割り切れるほど人間は二進数で出来ちゃいないんだ。改変された世界へ残る選択はあの時点じゃ有り得なかったし、いまでもそうだ。俺が居れば何かをしてやれたなんて、自惚れた台詞を吐くつもりもない。
 けど、あいつは笑ってくれたんだ。後にも先にも、初めて見ることができた長門の笑顔。あの控え目な微笑をあいつが見せることはもう、二度と無いのだろうか。
   
 俯いたまま本の重みに耐えていた俺の手元に、長門の視線がすべり落ちる。
「その本の作者は――」
 続けようとした言葉を、一旦切って言い直した。
「…いえ、この物語の主人公は、幸福だったと思う」
 およそ俺が思ってもみなかった言葉に、まじまじと長門の顔を見つめる。磨かれた黒翡翠のような瞳は、どこまでも冷静だった。
「短いストーリーの中で、彼女はさまざまなものを手に入れた。それまで感じることのなかった、心の動きを」
 この話の冒頭は、単調な日常の描写だった。一人で起きて、学校に行って、誰とも話さず、放課後は部室に篭って本を読む毎日。
「たとえ、この物語で得たものが悲しみや喪失感であったとしても、それは必ず、彼女にとって有益なこと。なにより…」
 長門の視線が、俺とぶつかった。瞳の奥底に強い光を宿して。
「なにより、彼女は人を想う心が持てた。それはきっと、彼のおかげ」
 ”彼” が誰を指すのかより、長門の言葉に心を傾けた。
「だからわたしは、この後どのような結末を迎えても、幸せな物語だと、そう思う」
 長門の一言一句を、俺は自分の中で噛み締めながら咀嚼してみた。長門の云う幸福が感情の変化に基づくものだとしたら、悲しみまでもが ”幸せ” なのだと、本当に言い切れるだろうか?
 題名も作者名もない真っ白なだけの表紙を眺めて、もう一度最初からページを開いた。読み返して気付いたが、ところどころが事実と違っている。実話を基にした私小説、もしくは学園物という体裁を採ったのだろうか。
 精読していくと、主人公なのに一行たりとも書かれていない少女の気持ちが、読み進むにつれ何となく想像出来るようになった。ときに不安に襲われたり、ときに期待を持ったり、失望したりと、揺れ動く感情の機微が文章を淡く彩る。その色彩は、冒頭の描写ではみられないものだった。モノトーン一色の生活が、”彼”の登場で確かに変わっていた。

 本から目を離した俺は、白熱した蛍光灯を仰ぎ、目を閉じる。あの世界の長門だって、内気なだけじゃない。積極的になったこともあったじゃないか。行動に移すのにどれだけの勇気が必要だったかは計れないが、実行出来たという事は、初めからその勇気を持ち合わせていたのだ。
 …そうだな、俺はあいつをただの可哀想な女の子にしちまうところだった。憐れみの気持ちを向けられることは、どの長門も欲しないだろう。
 そして長門、おまえの云いたいのは、この物語は決してここで終わりじゃない、そうだろう?

 目を開くと、出来の悪い生徒を見守る家庭教師のように長門が俺を見ていた。
「終わりのない物語は無くても、生き続けることは出来る」
 確かにその通りだ。この話に関った俺とおまえさえ忘れなければな。そして、そんなことは有り得ない。
   
「忘れない。決して」
   
*******
   
 ふと窓を見ると、外はとっくの昔に真っ暗だった。随分長居していたらしい。壊れた腹時計が鳴ってくれなかったのが原因かな。
「今日はもう遅い。泊まっていくのなら準備する」
 実に魅力的な提案だが、今回は遠慮しておくわ。家に何の連絡もしてないんで、これ以上遅くなって母上様のご機嫌を損ねたら、せっかくの春休みの予定がパァになりかねない。
「悪いな、邪魔しちまって」
「いい。呼んだのはわたし」
 無機質な口調が妙に安心感を誘う。長門のこの喋り方が変わるようなことが今後あったとして、それは恐らく、大した変化じゃないんだろう。成長という一言で済ますのは簡単だが、同じ時間を過ごしていても、長門は誰より経験と知識を学んでいるのだ。
   
 立ち上がってコートを羽織った俺を、長門は玄関まで見送ってくれた。明日また、学校で会おうぜ。
ああそれから、お前にひとつ頼みがあるんだが…。
「今日読ませてもらった本な、続きを手に入れたら、是非読ませてくれ」
 ドアを開けたまま俺が頼むと、長門はたっぷり三秒間、無表情を貫き通したが、
   
「必ず」
   
 平坦そのものの言葉に、ほんの僅かな喜びの色が滲んでいた。

   
   
END

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:03:57 (1867d)