作品

概要

作者富士恵那
作品名射手座の日々
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-07-15 (日) 14:14:26

登場キャラ

キョン不登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

―プロローグ―

 

ハルヒと俺で長門を尾行し、長門と九曜の微笑ましい友好関係を目の当たりにしたあの日から十日ほどが過ぎた。
今日は月曜日。
朝、家を出た頃は晴れていた空が、正午前からどんよりと曇り、昼休みにはパラパラと雨を降らせ始めた。
ハルヒのヤツは五限目の開始と同時に俺の後ろの席で堂々と寝息を立て始め、食後の睡眠を貪っていたが、俺はというとそんな気分にはなれず、この暗い空ほどまでとはいかないものの何かモヤモヤとしたものが胸の中にあり、どうもこれから良くないことが起こりそうな、そんな悪い予感を必死に拭い去ろうとしていた。
――長門のことだ。
ここ一週間ほどだが、どうも長門の様子がおかしい。
九曜と仲良くなったことで長門にも変化が見られたが、ここ一週間はそれとはまるで違う。
何かこう、大きな問題を抱え、疲れきっているような雰囲気だった。

 

思い返してみると、事の発端は先週の月曜日だったのかもしれない。

 

今からちょうど一週間前の月曜日の放課後、珍しく長門がハルヒに要求していた。
「ノートパソコンを自宅に持ち帰りたい」
と。
SOS団の部室には、ハルヒがコンピ研から分捕ったデスクトップの他に、やはりコンピ研から掠め取ったノートが団員の数だけある。その内の一台は長門専用なので、それを持ち出すことにはハルヒも快くオーケーした。
しかし、さらに長門は、
「もう一台借り受けたい」
と申し出た。
するとハルヒはしばらく思案していたが、
「キョン、アンタどうせ使ってないでしょ? 貸してあげなさいよ」
まあハルヒの言ってることに間違いは無いし、俺も長門に協力することにやぶさかではないのだが、mikuruフォルダをどうしたものかと考えていると、長門がまるで俺の思考を読んだかのように、
「あなたの個人情報を閲覧するつもりはない」
と、IT企業の利用規約のようなことを述べたので、長門が約束を破ることは無いだろうと思い、俺は了承した。
まあどのみち長門には既にmikuruフォルダの存在はバレているのだろうしな。
「ところで、何に使うんだ?」
と俺が尋ねると、長門は、
「データの整理」
とだけ答えたのだったが、俺はその時、長門の黒飴のような瞳がほんの僅かに揺れ動いたような気がした。
ひょっとして、あの改変された世界で内気な文芸部員となっていた長門のように、自作の小説でも書く気なんだろうか、などと俺は暢気なことを考えていた。

 

驚いたことに、その日の下校前に長門はコンピ研の部室に行き、長門自作のPCを持ち帰ると言い出した。
コンピ研の部員達が長門に逆らえるはずもなく、結局、コンピ研部員が長門のマンションまでPCを運ぶことになった。
このときも理由について長門はただ一言、
「データの整理」
と言っただけだった。

 

火曜日。
この日は特に長門に異変は見られなかった。
強いて言えば、どことなく機嫌が良さそうに見えたという程度であろうか。

 

水曜日。
前日とは打って変わって長門は静かであった。
いや、元来寡黙なヤツではあるが、いつになく沈んでいる様子であった。
…かに見えたが、放課後、俺とハルヒが部室に行くと、ちょうどコンピ研の部室の前で、長門と部長氏が何やら話していた。
「ヨドバシ梅田では…」
「大阪日本橋まで行けば…」
以上はどちらも俺が僅かに聞き取った部長氏のセリフである。
いったい何を話していたんだろう。
数分後、SOS団部室のドアが開き、
「今日は用事がある」
長門の平坦な声がそれだけ告げると、再びドアが閉まった。
「………」
この三点リーダは俺とハルヒの分だ。ちなみに、マイエンジェル朝比奈さんと古泉のヤツはまだ来ていない。
「…ま、いっか。また九曜って子とどっか出掛けるのかもね」
妙に寛容なハルヒだった。

 

木曜日。
長門の様子が急変した。
昼休みに部室に行くと、長門が既にそこにいた。
何やら大量の本をテーブルに積み上げ、それらに囲まれるようにして分厚い本を読みふけっていた。
「ず、ずいぶん本が増えたな」
「………」
記号にすると同じ「…」だが、明らかにニュアンスが違う。
いつもの無言の返答ではなく、何かこう、プレッシャーを込めた言葉を放っているようだった。
――話しかけないで、と。
放課後もずっと、長門はそうして本を読み漁っていた。
ちなみに、この日長門がテーブルに積み上げ、読み崩していた本は、どうやらプログラム言語等、コンピュータ関連書籍のようだった。
帰り際、依然読書に没頭する長門の顔を覗き込んで、俺は驚いた。
目が赤い。
気のせいか、目の下に微かにくままでできているようだった。
下校途中も、長門はずっと本を開いていた。
この日、長門は結局一言も口にしなかった。

 

金曜日。
長門の様子が、いよいよおかしい。
昼休み、長門は部室に現れず、長門のクラスをちらりと覗いてみたが、やはり長門の姿はなかった。
…欠席してるのか?
と思ったが、放課後になると、前日と同じように部室で大量の本を読み漁っていた。
目は充血し、くまも目立ってきた。
無言のプレッシャーが全身からにじみ出ている。
ハルヒですら、話しかけるのを控えていた。朝比奈さんにいたっては、ぷるぷると身を震わせ怯えている。
この日長門が読んでいたのは、『孫子』、『六韜』、『三略』、『戦国策』、『三国志演義』などであった。
急に歴史物に目覚めたのだろうか。それにしては何か偏りがあるように思えたが。
そういや、クラウゼヴィッツの『戦争論』なんてのも読んでたような。
やはりこの日も、一言も口にしないまま、長門は下校した。

 

土曜日。
SOS団週末恒例市内探索ツアー。
なんと、長門は欠席した。
ハルヒによると、電話では、
「用事がある」
としか言わなかったそうだ。
「ん…まあ、しかたないわよね」
ハルヒは微妙な表情をしていた。
ちなみにこの日の班分けは、午前中は俺と古泉、午後は俺と朝比奈さんだった。
帰り際、ハルヒが妙に不機嫌だった。

 

日曜日。
何もなし。

 

…そして今日、月曜日というわけだ。
以上のようなことを考えているうちに、授業が終わった。
俺はハルヒと二人で部室へ向かっている。
「今日、長門に会ったか?」
「んーん、まだ」
「先週、あいつ変だったろ」
「そうだったかしら?……まあちょっと疲れてる感じだったわよね。何かに夢中になってるみたいだったけど……そういえば、昨日の夕方ね、あたし有希に電話したのよ。土曜日の市内探索の報告しとこうと思って」
そんなもん、いちいちしなくてもいいだろう。と思ったが、俺は黙って聞いている。
「そしたらね、コールはしてるんだけど出ないのよ。そんであたし、時間おいて掛け直したんだけど、そしたらコール中にいきなり切れてね。もう一度掛け直したら、「電源が入っていません」って」
…妙だ。やはり何かあるのだろうか。
そんなことを話しているうちに、俺達は部室に到着した。
ハルヒが部室のドアを勢いよく開け、室内の光景を目にして、俺は血の気が引いていくのを感じた。
長門が、椅子に座りテーブルに本を開いたまま、両手をだらりと垂らし、開いた本の上に突っ伏している。
俺は今までに何度か長門が倒れるのを見たことはあったが、部室でこんな長門を見るのは初めてだ。
「有希!」
「長門!」
俺達は叫んだ―――。

 
 
 

―本章―

 

一週間前の月曜日。夕刻。場所は長門の部屋。
夕食を共にする長門と九曜。
食後、いつもと同じように二人一緒に入浴する。
風呂からあがり、時刻は午後9時。
「……あれ」
長門が、コンピ研の連中に運ばせた自作PCを指さす。
「―――」
黙ってPCを見つめる九曜。
「それと……これ」
コンピ研製作のゲームソフト「The Day of Sagittarius 3」の取説を差し出す長門。
「―――」
九曜は何も言わず、それを受け取る。
「読んで」
「―――」
九曜がパラパラと取説のページをめくる間に、長門は自作PCとノート二台をつなぎ、電源を入れる。
「分かった?」
「―――概要は―――把握」
こたつ用テーブルにノートパソコンを載せ、向かい合って座る長門と九曜。
「準備は…いい?」
「―――」
マウスを操作し、スタートボタンをクリックする長門。
レトロなBGMが室内に響いた。

 

まだキータッチもおぼつかない九曜に対して、20の分艦隊を操作し、容赦なく攻撃をしかける長門。
まるでワールドシリーズを制覇したチームと、バットも持ったことの無い茶道部のように、実力差は歴然であった。
数分後、長門軍の勝利をモニターが告げていた。
「…続ける?」
「―――」
第二回戦開始。

 

時計の針は午後11時を回っていた。
幾度目かの戦闘の終了を告げるファンファーレが鳴り響いた。
「これで私の15勝無敗」
「―――」
長門が、チラリと九曜を見て言った。
「ハンデ…いる?」
その言葉に、九曜の暗黒の瞳が微かな熱気をおびた。
「―――無用」
「……続ける?」
「―――練習―――希望する」
「そう」
九曜を残し、長門は寝室に向かった。
「…おやすみなさい」
「―――おやすみなさい」

 

その夜、レトロなBGMとキーボードを叩く音が、明け方まで鳴り響いていた。

 

火曜日。
午前7時。
さわやかな目覚めを迎えた長門が寝室を出ると、先に起きていた――というよりは昨夜一睡もしなかった九曜が、自らの指先を舐めていた。
「…何?」
「―――」
九曜は咥えていない方の指で、キッチンに置かれたトースターを指し示す。焼きあがったパンが「チン!」と跳び上がるタイプの、シンプルなトースターだ。
長門がトースターを覗き込むと、パンが中に引っ掛かっている。
箸でつまみ上げてみると、それは一枚の食パンを16等分ほどにしたものだった。
「………」
九曜は口が小さい。食べやすいようにパンを切ったつもりなのだろう。
しかし、焼いてから切ればよいものを、先に切ってしまったようだ。
焼き上がったものの、細かすぎた食パンの破片は、トースター内部に引っ掛かって出てこない。
九曜は、とっさに指を突っ込み――火傷した。
「―――」
依然、右手の人差し指を咥える九曜。
「………」
九曜を見つめる長門が、そのガラスのような両目の端を微かに緩める。

 

その日の夜。
既に夕食と入浴を済ませた長門と九曜は、再びパソコンを挟んで向かい合っている。
ちなみに、九曜の右手の火傷は、既に完治している。
「準備はいい?」
「―――」
新たな対戦がスタートした。

 

――長門には油断があった。天蓋領域製端末の学習能力を、過小評価していたのだ。
「―――私の―――勝利」
「………」
前夜の九曜からは想像もつかない艦隊操作と戦術で、九曜は初勝利を収めた。
「……次」
「―――」
第二回戦開始。

 

あろうことか、長門は再度の敗北を喫した。
「―――うさぎと―――かめ」
ピクッ、と長門の小さな耳が微かに動いた。
「次は、本気」
長門の氷の瞳に、火が灯った。

 

続く三回戦、長門は辛うじて勝利をもぎ取った。
「………」
「―――」
空気が張り詰めていく。

 

この後、きっかり交互に勝敗を分け続ける二人。
しかし、最初の二勝分の差がいつまでたっても埋まらない。
そして――。

 

水曜日。
午前7時。
長門19勝、九曜21勝。
「……次」
勝負を続けようとする長門。
「―――学校」
九曜は拒絶する。
「―――私の―――勝ち」
「…私とあなたの実力は、互角と思われる」
反論する長門。
「―――勝ちは―――勝ち」
淡々と告げる九曜。
「………」
「―――」
この朝の食卓は、いつにも増して静かだった。

 

――長門は思った。
「The Day of Sagittarius 3」は自分や九曜のような宇宙的存在にとってはシステムが単純すぎる。
地球人の大人が○×ゲームをやっても勝負がつかないように、あのゲームでは我々の優劣はつけられない。
となれば、あのゲームの改良版を私自らが製作するべき――。
「おい長門。ちゃんと聞いてるか?」
教師の太い声が教室に響いた。
「………」
「ったく、成績良いからって油断してると、そのうち痛み目を見ることになるぞ。だいたいお前は…」
教師を無視し、ゲームの内容を思案する長門。
一応、顔は教師の方に向けられているが、目の焦点があっていない。
長々と続く教師の御託が長門の耳に届いていないのは、見て明らかだ。
クラスメートがくすくすと笑っている。

 

昼休み。
文芸部室に急ぐ長門。
棚に並ぶ本を見渡す。
プログラム関連の書籍など、ここにはない。
コンピ研との対戦の時は、「The Day of Sagittarius 3」を解析することで、使用されたプログラム言語を理解し、ハッキングすることができた。
しかし、新たに高性能なソフトを製作するには、情報が足りない。
長門にとって地球の現代技術レベルでのプログラムは、人間で言えば古代語のようなもの。
いくら長門でも、基本情報の入力無しには対応できない。
加えて、自作PCのスペックアップも必要だ。
長門は、コンピ研の部室に乗り込む。
――誰もいない。
長門は待ち続けたが、結局昼休みの間、コンピ研部員は誰も来なかった。

 

放課後。
コンピ研の部室前で待ち伏せる長門。
そこへ、コンピ研部長がやってきた。
パソコンの機材や関連書籍を手に入れるには、どこへ行けばよいか、長門はコンピ研部長に尋ねる。
「お…長門だ」
「何、話してんのかしら」
熱心に話すコンピ研部長と、じっと聞き入る長門を横目に、キョンとハルヒがSOS団部室へ入っていった。
情報を入手した長門。
さらに、コンピ研部員に買い物の手伝いを承諾させる。
「今日は用事がある」
キョトンとするハルヒとキョンを後に、長門は出発した。コンピ研部員をぞろぞろと引き連れて。

 

夕方――というにはもう遅い、午後8時。
大量の荷物を持たされたコンピ研部員を引き連れ、長門が帰宅した。
荷物を長門の部屋へ運び、帰ろうとするコンピ研部員たち。
「…待って」
立ち尽くすコンピ研部員たち。
――まさか、手料理でもご馳走してくれるのか。
などという彼らの甘い考えを、長門の次のセリフが見事に打ち砕いた。
「これらの本は、学校」
…へ持って行って欲しいということだ。
部員たちが顎を垂れる。
「明日でいい」
と、長門。

 

コンピ研部員たちが大量の本を抱え、長門のマンションを後にした直後。
ぴんぽーん。
「………」
「―――」
九曜だ。
長門が静かにドアを開ける。
九曜が、コンビニの袋を提げて立っている。
「―――帰りが―――遅かった。 ―――これ………晩ご飯」
そう言って、コンビニの袋を差し出す。
弁当を買ってきたようだ。それも、二人分。
「入って」
九曜を招き入れる長門。

 

九曜が買ってきたのは、「鶏の四川風甘酢あんかけ弁当」なるものだった。
香辛料の効いた味付けが好きな長門にも、甘党の九曜の口にも合いそうな、絶妙なチョイスだった。
自然と長門の箸が進む。
食事を終えると、長門は静かに語り始めた。
「The Day of Sagittarius 3」では、物足りない。だから、より複雑なゲームを製作し、それでもって再度対戦したいと。
「協力……してくれる?」
「―――」
ゆっくりと頷く九曜。
こうして、宇宙人二人によるゲーム製作が開始された。

 

木曜日。
午前7時。
一晩がかりの作業によって、ようやくPCの大幅なスペックアップと、長門特製OSのセットアップが終了した。
実のところ、九曜はほとんど何もしていない。
逐一指示を出す長門であったが、九曜の作業は遅々として進まず、それどころか部品の設置や接続を間違えるなど、長門の仕事を妨げるばかりであった。
九曜は、細かな手作業は苦手なようだ。
せめて――。
学校に行くため作業を切り上げる長門の前に、九曜がトーストと紅茶を二人分持ってきた。
今日は火傷しなかったようだ。
「………」
「―――」
徹夜明けの、穏やかな朝。

 

昼休み。
文芸部室に急ぐ長門。
コンピ研部員は、長門の命令、もとい、依頼どおりに、前日買ったコンピュータ関連書籍を持ってきていた。
怒涛の如く読み進める長門。
きーんこーん、かーんこーん。
昼休みの終わりを告げる予鈴の音が煩わしい。

 

放課後。
文芸部室に急ぐ長門。
積み上げた書籍群を次々に読み崩す。
後からやってきたキョンが何やら声をかけたようだったが、長門は無言のプレッシャーで撥ね退ける。
驚異的速読術で、大量のコンピュータ関連書籍を読破した長門。
ふと気がつくと、最後の一冊を読み終えたのは、下校途中の通学路上だった。
既にSOS団の連中とは別れた後のようだった。

 

午後7時。
ぴんぽーん。
九曜が呼び鈴を鳴らすが、長門は気付かない。
ドアの外で耳を澄ます九曜。
部屋の中からは、猛然とキーを叩く音が聞こえる。
ドアノブを回したところ、鍵は掛かっていない。
「―――」
黙って長門の部屋に滑り込む九曜。
長門はパソコンのモニターに視線を集中し、白魚のような指を爆走させている。
長門の背後に立つ九曜。
「―――晩ご飯」
ビクン、と長門の小柄な体が2ミリほど浮き上がり、同時に両手が動きを止めた。
ゆっくり振り返る長門。
「…そう」
「―――」
九曜の表情は変わらない。

 

この日の夕食も九曜が買ってきたコンビニ弁当だった。
メニューは昨日と同じ。
長門は文句は言わない。
あっという間に食事を済ませ、プログラミングを再開する長門。
九曜は横でそれをじっと見守る。

 

日付が変わった。

 

金曜日。
午前1時。
プログラミングに没頭する長門。
それを見守るだけの九曜。
「―――おなか―――空いた?」
九曜が静かに尋ねる。
「……平気」
キーボードを叩く手を止めずに長門が答える。
「――そう」
長門を横から見つめる九曜。
――グゥ。
と、何者かの腹が空腹を告げる。
「………」
長門が手を止め、向けた視線の先は、九曜の腹だ。
「おなか…空いた?」
「―――」
こくりと頷く九曜。
「―――私が―――つくる」
「…そう」
「―――あなたも―――食べる?」
「………」
ゆっくり頷き、長門はプログラミングを再開する。

 

滑るようにキッチンに向かった九曜は、棚から「どん兵衛きつねうどん」を二個取り出した。
ふたを開け、粉末スープを入れ、ポットのお湯を注ぐ九曜。
ジョロジョロジョロ…ジョボッ…ガボッガボボッ。
その音に反応し、長門が手を止めキッチンに目を向ける。
「―――お湯―――足りない」
九曜が注いでいたカップには、7分目ほどまでしかお湯が入っていない。
「―――沸かす」
ヤカンに水を入れる九曜。
依然、手を止めたままの長門。
「…できる?」
「―――」
いつになく、しっかりと頷く九曜。

 

長門の不安をよそに、九曜は無事湯を沸かし、ごく普通に「どん兵衛」にお湯を注いだ。ただし、片方は「注ぎ足した」というべきだ。
ふたを閉じた「どん兵衛」をキッチンに置いて、長門のそばに戻ってきた九曜。
長門が黙々とプログラミングしている様子をじっと見詰める。

 

「……?」
ふと、長門が違和感を感じ、九曜を見る。
長門の横に座ったまま九曜は――目を閉じていた。
「…どん兵衛は?」
長門の声にピクンと反応し、目を開ける九曜。
ただ今の時刻、午前1時50分。
九曜がお湯を注いでから、既に30分以上が経過していた。
何かに突き上げられるようにして九曜が立ち上がる。
「私も忘れていた。慌てなくていい」
と、長門は言おうとしたが、それより早く九曜はキッチンに急行する。
「………」
嫌な予感に沈黙する長門。
しかし、九曜は平然と、既に冷めきった「どん兵衛」をお盆に二つ載せ、キッチンから現れた。
長門は安堵して、再びパソコンに向かう。
九曜は「どん兵衛」を載せたお盆をしずしずと運ぶ。
長門のそばまで来たとき、九曜の小さな小さな可愛らしい右足の小指が、積み上げてあったパソコン関連書籍の角に激突した。
つんのめる九曜。
宙を舞う二機の「どん兵衛」。
一機は床へ。
もう一機から分離した麺の塊がパソコンと向かい合う長門の、白く柔らかな頬を直撃した。
「………」
手を止める長門。
「シールドが間に合わなかった」
頭の上には、たたんだ手拭いのように、油揚げが載っている。
30分かけてたっぷりスープを吸い込んだ油揚げが、長門の透き通るような頬に幾筋もの流れをつくる。
「ジューシー」
長門は、言おうと思って止めた。
長門を襲った「どん兵衛」は、長時間ほったらかしておいたおかげで、火傷するような熱さではなかった。
「…不幸中の幸い」
「―――不幸中の―――幸い」
九曜は、新たな慣用句を覚えた。

 

幸運は二つあった――。
「どん兵衛」が冷めていたこと!
そして、パソコンが奇跡的にも被害を免れたこと!
「―――私一人で」
そう言った九曜だったが、
「…気にしないで」
と、掃除を手伝う長門。
掃除を終えた長門は、服を着替え、再びプログラミングを始める。
長門のそばに、ちょこんと座る九曜。
「…どん兵衛」
「―――」
「もう一つあったはず」
「―――」
「食べていい」
と、長門。
「―――」
九曜は、静かにキッチンに向かう。

 

午前2時30分。
パソコンと格闘を続ける長門の横で、九曜はズルズルと「どん兵衛」をすすっていた。
「………」
ズルズルッ、ズルズルッ。
…ズルゴフッ!―ゴホッケホッ!
むせた。
ズルッ、ズルズルズルッ。
「………」
だしの香りと、九曜の唇が奏でる効果音が、いやが上にも食欲をそそる。
「………」
モニターに集中する長門。
「―――ふーっ、―――ふーっ」
九曜が麺に息を吹きかけ、冷ます。
「……?」
長門の口元に、箸でつままれた麺の束が差し出される。
「―――食べて」
「………」
キーボードに手を置いたまま、九曜が差し出す麺をパクリと咥える長門。
今まで食べた「どん兵衛」で一番おいしかった。

 

長門の奮闘は続く――。

 

「これからおやすみになる方も、そしてお目覚めの方も、時刻は4時になりました」
と、一部の地域のあるチャンネルから女性キャスターの声が聞こえてくる頃。
キーボードを打つ長門の手のスピードが衰えてきた。
万能宇宙人端末長門有希にも、疲れが見え始めたのだ。
「……?」
長門はふと、肩に柔らかいものを感じ、振り返る。
「―――凝っている。―――揉む―――そして………ほぐす」
九曜が長門の背後に立ち、両手を長門の肩に乗せている。
「…お願い」
と、長門。
「―――」
頷き、九曜は長門の肩を揉み始めた。
九曜の小さな手と細い指先は、見た目からは想像もつかない力で、適度な刺激を長門の凝った肩に与える。
「…いい」
長門の両手に、スピードが戻った。
九曜は長門の肩をせっせと揉む。
長門は順調にプログラムを続けている。
…かに見えたが、長門の両手のスピードが急激に衰え、やがて止まった。
「――?」
「…すう」
長門が安らかな寝顔を見せる。
九曜のマッサージが巧み過ぎたのだ。
「―――」
自分の両の掌を見つめる九曜。
九曜は、己の新たな可能性を発見した。

 

ピクン、と長門の小さな頭が揺れ、大きな目が開く。
「……?」
九曜の人差し指が、長門の頬に突き立っている。
「私…寝てた?」
「―――」
頷く九曜。
「…そう」
長門は再び視線をモニターに向ける。
「もう一頑張り」
軽やかに動き出す長門の両手。
九曜も再度長門の肩を揉み始める。
先ほどより僅かに強い力を込めて――。

 

さて、ここで一つ疑問なのだが、なぜ彼女たちは徹夜してまでゲームを製作しているのだろうか。
自分たちで楽しむ予定のゲームだ。期限などない。
毎日少しずつプログラムを進めていけば良いのではないか。
――否。
それは、長門の性に合わないのだ。
思い立ったが吉日。
すぐに実行に移さなければ気がすまないのだ。
思索だけを生命活動とする情報生命体が生み出したアンドロイドにしては、なんと行動的なことか。
ある種の優れた人間たちですら見出すのに何年もかかる答え――「行動する」。
それを長門は実践しているのだ。
ある意味、これこそが長門が宇宙的存在たる所以であろう。

 

そして――。

 

午前6時28分。
「終わった」
ついに長門有希製作・監修のゲームソフト、「The Day of Sagittarius 4」が完成したのだ。
長門が、長時間闘わせた両手を休める。
「―――お疲れさま」
九曜が大事業を成し遂げた友を労う。
「……あなたも」
長門が、常に近くで励まし支えてくれた仲間をいたわる。
幾多の苦難の末、今ここに誕生したものは、「The Day of Sagittarius 4」のソフトだけではなかった――。
しばし見つめ合う長門と九曜。

 

スーパー宇宙人端末長門有希の手によって製作された「The Day of Sagittarius 4」は、前作を圧倒的に上回る高度なゲームになっていた。
まず、マップについてだが、前作について朝比奈みくるが指摘した「宇宙って設定なのに行動範囲が二次元限定」という欠陥を改善し、広大な三次元空間がマップとして設定されていた。
しかも、三次元マップ上の全ての点は「重力場」「電磁場」など四種類の「場」なる値を持ち、「場」の値の高低差が、ユニットの移動力や戦闘時の地形効果に影響を及ぼすのだ。兵器によっては、「場」の高低差を利用することによって絶大な威力を発揮するものもあり、「場」が打ち消しあう点や強めあう点を上手く利用することが、戦闘を有利に運ぶ重要な要素となるのである。
加えて、四種の「場」の値も、時間の経過とともに刻一刻と変化するという、多次元的で複雑なマップシステムとなっていた。
さらに、前作と大きく異なる点として、前作では限られた船団同士による戦術シミュレーションであったゲーム内容が、今作では、マップ上の惑星、コロニー等を奪取し、最終的にはマップとなる恒星系の完全征服を目指すという、壮大な戦略シミュレーションへと進化していた。
奪取した惑星、小惑星を開発し、資源を調達。技術力を高め、より強力な兵器・宇宙船を製造。それらを操る兵士の訓練・育成など、様々な戦略的要素が新たに盛り込まれていた。

 

以上のようなゲーム内容を、長門は朝食をとりつつ九曜に説明した。
「詳しくはサーバ内のゲーム説明を読んで」
「―――」
九曜はこくりと頷く。
「同スペックのサーバにコピーを作成してある。あなたはそちらで練習」
長門が続ける。
「ゲーム開始は、明日、土曜日の午前9時」
「―――」
頷く九曜。
「念のために言っておくと…」
「―――インチキは無し」
九曜が返す。
「そう」
と、長門。
「質問は?」
「―――」
九曜は黙っている。
「では、明日」
「―――」
九曜がノートパソコンとコピーサーバを抱えて玄関に向かう。
「待って」
「―――」
「接続…できる?」
「―――」
首を振る九曜。
「私がやる」
長門が九曜の後を追う。
ちなみに、長門が九曜に貸したノートパソコンは、長門専用機の方だ。
キョンの秘密はしっかり守る。

 

学校。
二限目の授業中。
「おい長門。ちゃんと聞いてるか?」
教師の太い声が教室に響いた。
「………」
へんじがない。めをあけたままねているようだ。

 

昼休み。
文芸部室に急ぐ長門。
SOS団の連中はまだ誰も来ていない。
長門は本棚を見渡す。
求める本の類は一冊もない。
部室から跳び出す長門。
そのまま学校の外に出る。
風を切って坂を駆け下る小柄なセーラー服。
向かう先は図書館。
疾風の如く図書館にやってきた長門。
求めるものは、戦術、戦略に関する基礎。
基礎知識さえ入手すれば、長門はそれを自ら発展させることができるのだ。
もちろん、九曜との勝負を少しでも有利に運ぶため。
長門は、歴史物の本棚に急ぐ。
「!?」
軍記物、兵法書の類が、ことごとく棚から消えていた。
「……!」
気配を察知し、振り返る長門。
視線の先、読書用のテーブルの上に大量の本が積み上げられている。
本が造る壁の隙間から僅かに見える小柄な影。
――九曜だ。
「………」
「―――」
九曜の漆黒の瞳がキラリと光る。
駅前にある光陽園女子と、山の上にある北高との、立地条件の差が出た。
長門が求める書物は、既にあらかた九曜に借りられていた。
転がり出るように図書館を後にする長門。
近隣で一番大きな本屋を目指す。
たどり着いた本屋で、長門は目に付いた本を次々と抱え込む。
「37,580円になります」
チャリチャリチャリーーーン。
急ぐあまり小銭をぶち撒ける長門。
慌てて拾おうとする店員を制し、
「お釣りはいい」
と、福沢諭吉の肖像画四枚を叩きつける。
「し、しかし…」
店員が口を開いたときには、既に長門は店を出ていた。
風を巻いて走る長門。
超人的な脚力で坂を駆け登り、学校に到着。
一直線に部室を目指す。
部室には誰もいない。
購入した本を部室に置いて、教室へ走る。
きーんこーん、かーんこーん。
五限目の始業の鐘が鳴り始めた。
キキキキキキキキキキィ。
ブレーキを掛けた上履きの裏が摩擦熱で煙を上げる。
滑り込みセーフ。
遅刻は決してしない、どこまでも優等生な長門であった。

 

放課後。
文芸部室に急ぐ長門。
積み上げた書籍群を次々に読み崩す。
その姿から感じるのは、ハルヒですら声をかけるのを控える、圧倒的なプレッシャー。
まさに結界。
「…!?」
読書に夢中になっていた長門が、ふと顔を上げると――。
既に、自宅マンションの前だった。

 

午後7時。
一人、夕食をとる長門。
今日は、九曜も一人で食事をしているようだ。
ヴイーーーン。ヴイーーーン。
長門の携帯が着信を知らせる。
「………」
「有希? 明日、朝の9時から市内探索だからね!」
「用事がある」
「用事? 何よ、用事って」
「………」
「…ま、まあいいわ。じゃあ、後で報告するからね」
ハルヒは、そう言って電話を切った。

 

食事を終え、パソコンに向かう長門。
コンピュータを相手に、戦略を研究する。

 

この夜、この駅前高級マンションで、一晩中明かりの消えない部屋が二つあったそうだ。

 

そしてついに、決戦の朝がやってきた――。

 

土曜日。
午前8時。
普段より遅めの朝食をとる長門。
戦の前の腹ごしらえだ。

 

午前8時45分。
ぴんぽーん。
九曜がやってきた。
「………」
「―――」
長門に招き入れられ、九曜はテーブルのそばに座る。
九曜が持参したノートパソコンをサーバに接続し、電源を入れる長門。
二台のノートパソコンを挟んで向かい合う二人。
緊張感が高まる。

 

午前9時。
ゲームスタート。
長門と九曜がキーボードを打ち始めた。

 

ちなみに、このゲームのマップは、太陽系をモデルにしている。
ただし、地球に相当する第三惑星が、太陽を中心とした反対側にもう一つ存在し、この二つの「地球」がそれぞれ長門共和国、九曜帝国の本拠地となっている。これら二つの「地球」は、軌道をほぼ同じくし、公転周期も一致するため、相対的位置は常に変わらない。
二つの「地球」には、それぞれ一つの「月」と、数個のコロニーが初期設定として備わっていて、互いに、相手の「地球」、つまり敵の本拠地を制圧することが、勝利条件の一つとなっている。
また、ゲーム性を高めるため、地球の軌道と火星の軌道の間の空間に8個の準惑星が一つの軌道上に存在し、これらの準惑星と二つの地球との相対位置は変化しない。
便宜上、木星以遠の外惑星は縮小化され、軌道も小さくなっている。
8個の準惑星、火星を含めた外惑星と、アステロイドベルト上の小惑星群が、資源確保のための重要な鍵となるのである。

 

午後1時。
依然戦力増強に努める両国軍。
これまでに、両国ともそれぞれ直近の三つの準惑星を獲得している。
それぞれの「地球」の周辺には、コロニーが増設され、既に難攻不落の様相を呈している。
未だ戦線は開かれていないものの、前線の準惑星には多数の艦隊が待機している。
二人とも、昼食をとる気配はない。

 

午後2時30分。
ついに激戦の火蓋が切って落とされた。
未だどちらの領土ともなっていない二つの準惑星をめぐって、両軍の艦隊が戦闘を始めた。
互いの主力艦隊を戦場に向かわせる両国軍。
これ以後、この二つの準惑星が戦いの最前線となる。

 

午後5時。
新たな戦艦を建造しては次々と戦場に送り込む両国。
しかし、互いの戦力は拮抗し、一進一退の攻防を続けていた。

 

午後7時30分。
膠着状態を打破するため、長門共和国軍の艦隊が動き出した。
向かう先は火星。
数分遅れて、長門軍の動きを察知した九曜帝国軍が火星に急行する。
しかし、現在の火星の位置は「長門星」に近く、九曜には不利であった。
「………」
「―――」
二人とも夕食を忘れているようだ。

 

午後8時35分。
火星に向かった長門軍は、追ってきた九曜軍に押され、危機に陥ったが、後からやってきた長門軍の援軍と挟撃することで、これを殲滅した。
火星の奪取に成功した長門。
火星の開発を進めつつ、火星の衛星軌道上にコロニーの建設を始める。
しかし一方で、九曜は「長門星」とは対極の方角に艦隊を派遣し、既にアステロイドベルト上の小惑星をいくつか奪取していた。
「………」
「―――」
戦いの行方はまだ分からない。

 

午後11時。
依然、最前線の準惑星周囲では膠着状態が続いていた。
しかし、長門軍が火星を一大拠点とすれば、状況が一変する可能性は高い。
火星が「九曜星」側の領域に来るときを狙って、九曜軍が火星に艦隊を向かわせるが、そのたびに長門軍の必死の抵抗に遭い、撤退を余儀なくされていた。

 

そうこうしているうちに、いつの間にか日付が変わる。

 

日曜日。
午前2時。
食事もとらずゲームを続ける二人。
長門は前線では積極的な戦いを避け、防御に徹する一方で、火星に巨大基地を建設していた。
戦況は、長門側に傾きかけていた。
しかし、ここで九曜が暴挙に出た。
アステロイドベルトから引っ張ってきた小惑星に大量の核を搭載し、火星にぶつけたのだ。
火星衛星軌道上のコロニーの全軍を出撃させ、衝突を阻止しようとする長門。
だが、その努力も空しく、巨大な核爆弾と化した小惑星は火星に落ちた。
「………」
九曜の、この非人道的攻撃によって、火星の長門基地は壊滅した。
両軍の戦力は五分に戻った。
この後、両軍の戦いは激しさを増す。

 

午前8時。
戦いの主戦場は、アステロイドベルトへ移っていた。
最前線の戦力は依然拮抗しており、新たな戦艦・兵器の開発が戦況を一変させると思われた。
資源を求め、両国軍が小惑星をめぐって激戦を繰り広げる。

 

午後1時。
アステロイドベルト上では、両軍入り乱れての激戦が続いている。
両軍とも数十の小惑星を占領、拠点とし、資源を地球圏に送っていた。

 

午後3時。
依然、両軍の戦力は拮抗していた。
さらなる可能性を求め、両軍とも木星以遠の外惑星へ艦隊を派遣していた。
しかし、あくまでも資源の調達が目的であり、それらの外惑星が主戦場になることはなかった。

 

午後4時。
激戦は続く。
長門も九曜も、キーボードを激しく打ち、多数の艦隊を操作していた。
ヴイーーーン。ヴイーーーン。
突如、室内にガタガタと騒音が鳴り響く
床に置かれた長門の携帯が、着信を知らせる。
携帯の表示窓には「涼宮ハルヒ」の文字が。
「………」
「―――」
長門は出ない。
今、手を離せるわけがない。
一瞬の油断が命取りとなる。
やがて、電話は切れた。

 

午後4時30分。
ヴイーーーン。ヴイーーーン。
再び、室内にガタガタと騒音が鳴り響く
携帯の表示窓には、またも「涼宮ハルヒ」の文字が。
「………」
長門が、ガタガタと震える携帯を鋭い目でチラリと見る。
途端に長門の携帯は振動を止め、次の瞬間、キラキラと輝く微細な結晶となり、砕け散った。
「―――」
長門の処理能力が携帯の破壊に向けられた一瞬の隙を突いて、九曜の攻撃が激しさを増した。
「………」
長門の無表情が、僅かに緊迫する。

 

午後9時。
長門共和国軍と九曜帝国軍との戦いは最高潮を迎えていた。
夕方頃、一旦は押され気味になった長門軍であったが、木星から調達した資源を用いた新戦力によって、どうにか持ち直した。
今や、アステロイドベルト上の全ての小惑星が両国の基地、或いは戦場となり、最前線では常に一進一退の激戦が繰り広げられていた。
数百の艦隊を同時操作する長門と九曜。
一瞬の操作ミスが、戦況を分ける。
「のど…乾かない?」
キーボードを打つ手を止めることなく、長門が尋ねる。
「―――平気」
同じく、キーボードを乱れ打ちつつ、九曜が答える。
「ご飯にする?」
「――いらない」
「お風呂にする?」
「―入らない」
「それとも私?」
とは、長門は言わない。
「…宿題は?」
――ピクッ、と九曜の小さな頭が僅かに揺れる。
「―――あとで」
九曜の手は止まらない。

 

再度、日付が変わる。
月曜日。

 

午前2時。
ついに、両国本拠地の技術力が最大になり、ゲーム設定上最高戦力を誇る戦艦の建造が可能になった。
すぐさま、戦艦の建造に取り掛かる長門と九曜。

 

午前3時。
両国とも国力の全てを注ぎ込み、最新鋭戦艦を次々と建造する。
両国の最高戦力による決戦の時が近づいている。

 

午前3時30分。
長門が動いた。
最新の戦艦による最強の艦隊を、主戦場となる準惑星に向けて発進させたのだ。
ほぼ、時を同じくして九曜も、同等の艦隊を出撃させる。
既に占領済みの準惑星や、アステロイドベルト上の艦隊も、各地で小競り合いを続けつつ、主戦場へ向かう。
「………」
「―――」
二人の間に緊張が走る。

 

午前3時43分。
両国軍の主力艦隊は、決戦場となる準惑星域で、一触即発の時を迎えていた。
「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」
という東郷平八郎の伝説的な名口上を、涼宮ハルヒなら高らかに叫んだところであろうが、長門と九曜は、
「………」
「―――」
と、沈黙のプレッシャーを放つだけであった。
――そして、その時は来た。

 

午前3時45分。
両国総力を挙げての最終決戦が、幕を開けた。
両主力艦隊の最新鋭戦艦から発射された陽電子砲が、互いの戦艦を次々と消滅させていく。
この合戦がゲームの勝敗を決することは、もはや明白だ。

 

午前4時30分。
依然、両国の運命をかけたハルマゲドンは続く。
今や、両国軍のほぼ全ての戦力が、決戦場に集結しつつあった。
一進一退の攻防が続く。
「………」
「―――」
長門も九曜も、猛然とキーボードを打ち続ける。

 

午前5時。
チュン、チュンチュン。
窓の外では小鳥たちが朝の訪れを告げている。
両国死力を尽くしての激闘は続く。

 

そして――。

 

午前5時30分。
両国の命運を分けるかと思われた両主力軍による決戦であったが、両軍入り乱れた死闘の末、両主力軍共に壊滅し、長九関ヶ原の合戦は引き分けの形になった。
もはや両国には新たに最新鋭の戦艦を建造する資源も、兵士として前線に送り込む人口もほとんど残されておらず、前線で続く小競り合いによっていたずらに国力を疲弊させるだけの、泥沼の消耗戦の様相を呈していた。
結論を言ってしまえば、前作「The Day of Sagittarius 3」では物足りないと、長門が徹夜で製作した「The Day of Sagittarius 4」であったが、やはり宇宙人端末の優劣をつけるには内容が乏しかったということである。
このまま国力の削りあいを続けたところで、決着をつけられる見込みはない。
よしんば決着がついたとしても、マップ内の人類をほぼ絶滅に追い込んだ末のものでは結果は確率的なものに過ぎず、両者納得のいく勝敗ではない。
これ以上このゲームによる対戦を続けても意味がない。
ここは、引き分けで終わらせるべき――。
長門がそう判断し、引き分けによる終戦を提案しようと口を開きかけたその時――。

 

結末は突然に訪れた。
つい先刻まで猛然とキーボードを乱打していた九曜の手が、突如そのスピードを緩め、同時に九曜の頭がカクンカクンと前後に揺れ始めた。
数秒ほどその動きが続いた後、九曜の手が完全に止まった。
と、同時に、
「――おや―すみ―――なさ……い―」
長門から教わった言葉を呟いた次の瞬間、九曜の黒水晶のような瞳が僅かに残されていた輝きを失い、九曜は糸の切れたあやつり人形のようにカクリと頭を下げた。
さすがの宇宙人端末も、この過酷な消耗戦の末、ついにバッテリー切れを起こしたのだ。
キーボード上に突っ伏した九曜の小さな額が、画面に“g”を入力し続ける。
「…勝った」
長門の勝利を確信した呟きも、もはや九曜の耳には届かない。既に事切れている。
指導者を失い等速直線運動を続ける九曜帝国軍の艦隊に、長門は総攻撃を開始した。
九曜帝国本拠地めがけ突撃を敢行する長門共和国軍。
無抵抗の敵に対し、長門は情け容赦なく集中砲火を浴びせる。
やがて、死闘の終焉を告げるファンファーレが殺風景な長門の部屋に響いた。
「………」
沈黙を保ち、スクリーンを見つめる長門。
キーボードの上の左手が、ゆっくりと裏返り、小さな握りこぶしを作る。
しばしの間、勝利の余韻にひたる長門。
激闘を繰り広げたライバルの健闘を称えるため立ち上がろうとした瞬間、下半身に猛烈な違和感を覚え、長門はその場に崩れ落ちた。
長門は、脚が痺れていた。
脚をさすり、無表情で悶絶する。

 
 
 

―エピローグ―

 

「有希!」
「長門!」
俺達は叫んだ。
机に突っ伏したまま動かない長門に、ハルヒが駆け寄る。
「有希。大丈夫? 有希!」
ハルヒが呼びかける。
「……すう」
ん?
「あら?…もしかして…寝てるだけ?」
っぽいな。
長門は、開いた本の上で顔を横にして、気持ち良さそうに寝息を立てている。
しかし…なんてだらしないツラだ。
口を半開きにして、よだれまで垂らしている。
「キャハハハハッ」
ハルヒが思わず笑い出した。
「カメラカメラ! 有希のこんな寝顔、滅多に見らんないわよ!」
デジカメを探すハルヒ。
ったく。たまには静かに休ませてやれってんだ。
雨のせいで少し涼しくなってきた。
寝冷えするといけねぇな。長門でも寝冷えなんてするのかは分からんが。
俺はブレザーを脱ぎ、長門の背中にそっと掛けてやった。
ん? こいつ今、笑わなかったか?
長門の半開きの口が、微かに動いた気がした。
「すう…すう…」
長門は相変わらず寝息を立てている。
「あったわ! ほら、キョン! 早く撮んなさい! あら、アンタ、ブレザー…」
と、言いかけたハルヒは、長門の背中に掛けられた俺のブレザーに目をやった後、ニヤリと微妙な笑顔を見せ、
「ほら! 早く撮んなさい!」
と、俺にデジカメを突きつけた。
へいへい。
俺は無防備な寝顔を見せる長門にレンズを向ける。
それにしても、いったいこいつは今、どんな夢を見ているんだろうな。
だらりと垂れ下がった腕の先でゆっくり握られていく小さな手を見ながら、俺はそう思い、シャッターを切った。

 

―完―

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:03:52 (3090d)