作品

概要

作者江戸小僧
作品名栞(勿忘草)
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-05-11 (金) 22:10:16

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹登場
ハルヒ登場
みくる登場
古泉一樹登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

※長門有希に萌えるスレ88冊目#339さんのアイデアとそのアイデアに対するレス等々から着想してます

 
 
 

 パイプ椅子から立ち上がったカーディガンを着た少女の右手には、ハードカバーの本。カタカナのタイトルが表紙に書かれている。
 それを、目の前の少年に差し出していた。
「……読んで」
 本を突きつけられた少年は驚いたような、しかしどこか嬉しげな顔を少女に向けた。
 少女は漆黒の瞳で相手を見つめる。それだけで、何かが伝わったらしい。
「お前のお勧めか。ゆっくり読ませてもらうぜ」
 少年は本を大事そうにテーブルに置いた鞄にしまった。
「……忘れないで」
 呟きが小さな口から漏れ出る。
「ん? 何だって?」
 振り返る少年。ブレザーの下のシャツは第一ボタンが外れ、シャツの裾も外に出ている。髪は手間をかけずに済むためにそれを選んだかのようなストレートヘア。
 少女は視線を外す。無言。
「帰ろう。全く、結局誰も来ないなんて明日は雪かな」
 少女は一瞬、少年の口元に注視する。言の葉を紡ぐ、口元を。しかしすぐに目を逸らし、自分の鞄を手に取る。肩にかからない短い髪が風に吹かれたように揺れた。
 遠くの方から、同じように帰ろうとしているらしい生徒達の声が届いてくる。
 2人は黙って玄関で靴を履き替え、黙って校門を出る。少年の斜め後ろを少女が寄り添うように付いていく。無理して歩調を合わせる風はない。初めからお互いのテンポを知っているかのように、ごく自然に、しかし言葉を交わさずに坂を下っていった。
 坂を下りきり、駐輪場が見えるところで2人は向き合った。
「じゃ、また明日な」
 少女は暫く少年を真っ直ぐ見つめた後、踵を返して歩き去っていった。
 少年は歩き去る少女の姿が小さくなるのを見つめていたが、やがて、駐輪場の中に入って1台の自転車を取り出した。

 

 少年の家は、そこから自転車で少しばかりかかる。住宅地の中の一軒家。
 夕食を終えた少年は、部屋で少女から借りた本を取り出した。その顔はあまり熱心そうではないが、それでもベッドに寝転がり、本を開く。
 ページをめくるごとに、徐々にその目の輝きが増していく。
 と、部屋のドアがいきなり開けられる。
「お風呂〜 キョン君、入っていいよ」
「わかったから、早く服着ろ。風邪ひいてもしらねえぞ」
「大丈夫だよ! でもねー、ミヨちゃん今日咳してたんだ。キョン君、心配――」
「ほら。お前もそうならないように早く服着なさい」
 少年は女の子を部屋から追い出し、本を開いたまま机に伏せようとして、気が付いたように本をパラパラとめくる。
 本の中から、飛び出すように栞が現れる。
 それを読みかけのページに挟もうとした手が止まった。
 栞を手に取り、顔に近づけてじっくりと眺める。少年の顔に、笑顔が広がった。
 和紙の栞の表面には、小さい青紫色の花が貼り付けてあった。5枚の花弁が美しい花だ。
「……押し花か。そうか、こんなことに興味あるのか」
 少年はそっとその栞をページに挟み、その本を大事な本のしまい場所――辞書のような本をいつも置く場所――にそっと差し入れ、部屋を出た。
 風呂上りの少年はいつものように両親から小言を言われ、それに横から口を挟む妹との言葉の応酬をしてリビングで寝るまでの時間を過ごした。

 

 少年と別れた少女は歩いて自分が帰るべき場所へ向かう。常識で言えば高級な部類に入るマンション。
 家に着くと、セーラー服を着替えることもなくキッチンに向かう。ヤカンに水を入れ、火にかけた。
 そのまま、まるで見張るようにヤカンを見続ける。
 小さな急須に沸いたお湯を注ぐ。緑茶の香りがキッチンに広がった。
 急須と湯呑を2個、リビングに運ぶ。
 リビングには季節外れのコタツ。他には、何もない。テレビも、雑誌の類も、窓を彩るカーテンも。
 部屋の呼び鈴が鳴ったのは、口をつけずにただ手に持ったお茶が冷めた頃だった。
 入口がオートロックになっているマンションの筈だが、呼び鈴はこの部屋の玄関の前のものだ。
 少女は相手を確かめる仕草もせずにドアを開ける。ドアの前には、中の少女と同じセーラー服を着た、翠の柔らかそうなウエーブヘアを肩より下まで垂らした少女が立っていた。
「こんばんは」
「喜緑江美里。作業を行うのに近距離空間にいる必要はない」
 短髪の少女から喜緑江美里と呼ばれた少女は柔らかい笑顔を浮かべた。
「人間の習慣を参考にしてみました。一緒に何かをすることはお互いの――」
 家の主は何も言わずに後ろを向き、奥へと戻っていった。喜緑江美里は気にする風もなく後に続く。
 廊下の奥にはリビング。短髪の少女はすでにコタツにつき、湯呑を両手で持っている。その向かい側にも、湯呑が1つ。
「誰かいらっしゃったんですか?」
 無言の応え。その目は、手に持った湯呑に注がれている。
「私の分じゃないですよね」
 短髪の少女は来訪した相手をじっと見つめる。一見無表情に見えるが、その瞳は、まるで挑むかのようだ。
 翠の髪の少女は穏やかに見つめ返す。
「もう、宜しいですか」
 喜緑江美里の声は、変わらずに柔らかい。
「問題ない」
 緑がかった瞳が短髪の少女を見つめる。心の裡をそっと探るように。
「時間がいるなら……まだ、もう少し先でもいいんですよ」
「必要ない」
 喜緑江美里の声にかぶせるように短髪の少女が固い声を出す。
「……早く」
 実行。
 翠の髪の少女は考える。この地に住まう誰が今の出来事を知り得るだろう。自分達の属する世界では珍しくもない事。しかし、ここの――この惑星の知性体、生きることにさえ矛盾を抱えた現時空の有機生命体には感知すらできないこと。
 やがて、喜緑江美里は短髪の少女の家を辞した。
 リビングのコタツに座り続ける薄い髪の少女が両手で固く包むようにしている湯呑からは、さざ波が消えない。
「あなたには……忘れないで欲しい」
 その言葉は、応える者のない空間に吸い込まれていった。

 

「おい、待てよ」
 坂の途中で、弾かれたように少女は振り返る。色の薄い髪が揺れた。
 下から急ぎ足で上がってくるのは、先週この少女から本を借り、そして少女と一緒に2人で下校した少年。
 少年は笑顔で手を上げる。
「こんな時間に登校とは、珍しいじゃねえか」
 少女の少し前を歩いていた髪をアップにした少年が顔だけ振り向けて口を歪める。
「おめえが今日はちょっと早いんじゃねえか。ははあ、オフクロさんに時計を勝手に進められたんだろ」
「お前じゃねえよ」
 少年は少女を追い越し、速足で坂を上っていった。
 少女の足取りは変わらない。ただ、瞳の色が一瞬翳っただけだった。
 セーラー服の少女達とブレザーの少年達が、同じ校舎に吸い込まれていく。
 いつもと同じ情景。あの時と違うのは、暦が変わったこと。人間にはそれしかわからない。
 しかし、人間ではない彼女にとってはそうではなかった。独りになった彼女には。
 昼休み、廊下を歩く彼女の足は途中で動かなくなった。
 教室から、2人の男女の会話が耳に聞こえてくる。
「早くしなさいよ。せっかく空き部屋見つけたんだから。あそこなら部室にピッタリよ」
「お前なあ、先月もそう言ってなかったか。あの時の部屋なんて――」
「うっさいわね! あんたは黙ってついてくりゃいいの!」
「やれやれ」
 少女は速足で歩き出した。一刻も早く、そこから離れたくて。

 

 グラウンドから精一杯張り上げられた声が響く。音楽室からは演奏の音が踊っている。もうすぐ下校時間となるが、まだこの学校から活発さは失われていない。
 こちらはあまり音のしない、決して新しくはないこの学校の中でも一際古びた校舎。
 短髪の少女は暗くなった階段を昇り、自分のいるべき場所――部室の前に立つ。1人きりの部室。自分がいない限りは誰もいない、自分しか用のない場所。
 しかし、今、その部屋から灯りが漏れている。
 有り得ない。
 しかし、それは幻ではない。
 いつ壊れてもおかしくない古びたドアが、乱暴に開けられた。
 いつもの本棚、テーブル。いつものパイプ椅子。そして、その椅子の1つに座る――
 短髪の少女はその姿を凝視した。
「慌てていますね」
 短髪の少女に向けるその瞳は固く、しかしその奥底には雪解けを促す春の陽のような熱が篭っていた。
「彼かと思いましたか?」
 ドアを閉めて部屋に入ると、真っ直ぐに椅子に腰掛ける少女を見つめる。
「スキャンによって事前確認可能。誤認することはない」
 翠の髪の少女は椅子から立ち上がった。
「あなたは――」
「ここに用は無い筈、喜緑江美里」
 そのまま目を逸らして窓際に向かう少女に、喜緑江美里は近づいた。
「ここに、人目はありません。思念体も、ここでの記録には関心がないでしょう」
 包み込むように、少女はその腕をそっと短髪の少女の体にまわした。
 短髪が、はじけるように揺れる。
 人の気配を感じさせないその部屋に、僅かな衣擦れと生まれたての子犬の鳴き声のような音が響いた。

 

 珍しくない一軒家に、珍しくない家族構成の一家。
 リビングで風呂上りの一杯のジュースを楽しむ少年の元に、妹が駆け寄った。
「キョン君、こんなの読むの?」
 小さな両手には、見慣れないハードカバーの本。
「それ、どこにあったんだ?」
「キョン君の本棚だよ。辞書のトコ」
 少年は女の子の頭を乱暴に撫でた。
「お前なあ。一言断ってから持ってけって言ってるだろ」
「だってー、キョン君辞書なんて全然使ってないでしょ」
 少年にとってはタイミング悪く、母親が顔を出した。
「全く、そんなことだから――」
「ちょっとその本貸してみろ」
 少年はわざとらしく本を広げるが、妹が勝手にページをめくる。
「まだここまでしか読んでないんでしょ」
 挟まっていた栞を上に持ち上げ、嬉しそうに目を輝かせる。
「うーん、そうだったっけ……」
 しかし、母親は栞の方に興味を示したようだった。
「その押し花、勿忘草じゃない」
「ふーん」
 少年は眠たげな声で応える。
「誰から貰ったの。 いつ、ここに連れてくる?」
 少年の顔が心持ち赤くなった。
「なんでそうなんだよ。大体、誰のものかもわからないのに」
 母親は睨むように自分の息子の前に仁王立ちになる。
「これの花言葉、知ってんの」
「さあ」
 盛大に鼻を鳴らす。
「勿忘草の花言葉はね、『私を忘れないで』『真実の友情』『誠の愛』 どう? ちょっとは相手の子、思い出す気になった?」
 顔を覗き込む母親は、その笑顔を消した。
 少年の目は、何も見ていなかった。そのくせ、失った大事な何かを嘆くように、目のふちが輝いている。

 

 放課後。大部分の者にとってはいつもと変わらぬ、息抜きの時間。好きなことをする時間。
 人の減った教室に、3人の男女がいた。
「読書ですか? 珍しいですね」
「ハルヒが掃除当番終えてここに来るまでだ」
 少年は顔を近づけて覗き込もうとする切れ長の目をした長髪の少年を睨んだ。
「それより顔が近いぞ、古泉」
「これは失礼。かわいらしい栞をお持ちだったもので」
 少年は右手を掲げて古泉と呼んだ少年に栞を見せる。
「押し花の栞ですか。素晴らしい感性の持ち主とお知り合いなんですね、あなたは」
「これ、勿忘草ですね。うふふ、花言葉、ご存知ですか」
「花言葉?」
 少年は柔らかく笑う栗色の髪をした少女の言葉に栞を改めて目の前にかざす。
「えーと、忘れ――」
 突然、少年は目を見開いた。
 次の瞬間、立ち上がると両手の拳を握り締め、歯を食いしばる。
「あの……キョン君?」
「俺ってヤツは、こんな大事なヒントを」
 そう呟く少年の目は潤んでいた。
「どうなさったんですか、急に」
「部員と部室を取り戻してくるんだよ!」
 少年は目の前の長身の仲間を突き飛ばすようにして教室を飛び出した。

 

 そこは、少女の城だった。誰も来ない。誰も呼ばない。彼女だけの空間。最後の拠り所。ここにいる間の最後の砦。彼女と、彼女の想い出の。
 少女は窓際で本を読み進める。本当に読んでいるのか、それともいないのか、ページはずっと同じ間隔でめくられ続け、少女の目は文字を追っているにしては動きがない。まるで、自動人形の動きのようだ。
 風が、窓を揺らす。その音に反応する者はいない。揺れる窓越しに聞こえるグラウンドの声援に頭をもたげる者も、遠く聞こえる演奏に耳を奪われる者もいない。
 ページをめくる少女の手が、止まった。
 すぐ傍の階段を乱暴に昇る足音。普通なら聞こえないかもしれない。しかし、少女はその音を聞いていた。一歩一歩を己が生きている証のように振り下ろす、その音。聞き覚えのある音。
 足音は、部屋の前で止まった。
 少女はじっとドアを見つめている。その瞳には、何の色も浮かんでいない。まるで、期待することが怖い、というように。
 部屋の前では、口で息をする音。男の野太い呼吸音。
 ノブが廻った。
 いやにゆっくりと、ドアが開く。
「や……約束……」
 そこで息が切れたように、声の主は暫く口での呼吸を続ける。
「約束だったな。それに」
 少女が立ち上がる。パイプ椅子は金属質の音を立てて転がった。しかし、少女も少年もそれに気が付いた風もない。
「無断の部活欠席は罰金だ。だから、今度の日曜――」
 声の主は、ゆっくりと少女に近づいた。
「図書館。昼はお前の奢りだぞ」
 少女の前で、右手を差し出す。
 そこには、カタカナのタイトルが書かれたハードカバー。
「ただいま。長門」
 少女の足元の古びた木のタイルに、水よりも暖かい粒が落ちた。いくつも、落ちた。

 

<終>

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:03:42 (2730d)