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作者 | 輪舞の人 |
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作品名 | 機械知性体たちの輪舞曲 第34話 『決別』 |
カテゴリー | 長門SS(一般) |
保管日 | 2007-04-24 (火) 22:38:28 |
キョン | 登場 |
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キョンの妹 | 不登場 |
ハルヒ | 不登場 |
みくる | 不登場 |
古泉一樹 | 不登場 |
鶴屋さん | 不登場 |
朝倉涼子 | 不登場 |
喜緑江美里 | 不登場 |
周防九曜 | 不登場 |
思念体 | 不登場 |
天蓋領域 | 不登場 |
阪中 | 不登場 |
谷口 | 不登場 |
ミヨキチ | 不登場 |
佐々木 | 不登場 |
橘京子 | 不登場 |
緊張していると思う。
十二月二十一日。彼が病院で目を覚ます日だった。
深夜零時。面会時間はすでに終了し、院内は閑散としていた。同じフロアの夜間帯担当看護師たちがささやく声が暗い廊下の向こうから響いてくる。
彼は今、ベッドの上にいる。古泉一樹の手配によるものだった。
改変が終了した十八日の昼に、彼は失われた三日間の「帳尻を合わせる」ために事故にあう事になっていた。
そして午後五時。つまりもうひとつの世界が消滅したあの時刻に合わせて彼は覚醒している。
それが決められた事だから。
病院の時計の針を確認する。わたしは静かに、できるだけ足音を消して彼の病室の前へと移動した。周囲に人の気配はない。
『機関』の監視は無力化されていた。他の情報端末たちの動きにも不穏なものはなくなっている。喜緑江美里の支援もあってわたしの行動に制限はない。
彼女はすでにいつもの調子に戻っていた。
ただひとこと。
「おふたりの邪魔をするつもりはありませんし、させませんから」
それだけを言ってわたしを送り出していた。
その時の彼女が浮かべた表情にどうにも意味ありげなものを感じたのは、わたしの気のせいだったのだろうか。
来てはみたもののドアの前に立ち尽くしたまま、思考した状態で動けないでいる。
ここでわたしは彼に謝らなければならない。
自分が起こした今回の事件に、彼を大きく巻き込んでしまった事。そしてこの入院。
彼を突き落とし、意識を消失させる手段を講じたのはわたしたちだったから。
全てを話すわけにもいかなかったが、それでもわたしは彼に謝罪をするべきだったし、可能な範囲で説明をするつもりでもいた。許してくれるかどうか、それはわからなかったが。
あの時に出会った未来の異時間同位体のわたしも、この事の詳細は何ひとつ教えてくれてはくれなかった。
自分が思うとおりの行動を取れ。
その言葉に同意した以上は、実行に移さなければならない。
病室のドアを開けそのまま中へ。室内を照らすのは窓辺からの月明かりだけだった。
彼の瞼は開いている。まだ起きてくれていた。すでに彼はわたしが来ることを予期していたのか、ベッドの上に横たわったままこちらに視線を向けてくる。
ほんのわずかなためらい。それを感じつつわたしは口を開いた。
「すべての責任はわたしにある」
厳密には今回の事件は思念体の主導する計画に伴うものではあったが、謝罪したいのはその事ではなかった。
融合したわたしが彼に託した事。その行動によって負傷し、また今の時間軸では「帳尻合わせ」の意識消失を強いている。
それを謝りたかった。
「あなたにはすまない事をしたと思う」
「おまえは、できるだけのことをしてくれてたんじゃないのか?」
気遣いと信頼。優しさに満ちた表情があった。
でも、うまく彼と視線を合わせる事ができない。
続く次の言葉も探し出せない。以前とは違う感情の動き。今までも経験はしていたが、しかしここまではっきりとしたものはなかった。明らかにわたしは変質している。
動揺していた。
事実だけを言おう。他にこの場を取り繕うものが見つからなかった。
「……わたしの処分が検討されている」
「誰が検討してるんだ?」
「情報統合思念体」
その名前を告げたあと、じっと何かを考え込むように彼は天井に目を向けた。
わたしを責める言葉はひとこともなかった。
「わたしとしては」
言い訳めいた事を話している自分に気づく。
それでも言わなければ、という思いだけが話を続けさせていた。
「今回の事件を回避すべく選択可能な行動はすべて行ってきたつもりではいた。だが、それに巻き込まれたあなたにはそれこそ何の関係もない」
「おまえが変わったのは、わかっていたつもりだった」
夏以降、わたしに向けられる彼の視線の変化がそれなのだろう。おそらく彼もわたしの変化を感じ取っていた。
「俺がそれに気づいてやれなかった」
「それはあなたのせいではない。すべてはこちらの――」
「だとしても」
彼はわたしの言葉を遮った。
「お前がバグることは3年前にはわかっていたんだよな。なら、いつでもいいから俺に言えば良かったじゃないか」
そう。わかっていた。あの七夕の日に全てはわかっていた事。あなたの言うとおり。
でも、わたしがあの夏休みの日に告げた事をあなたは覚えていない。
たった一度だけ、わたしがあなたに選ばれた瞬間。偽りの代価と共に告げた、わたしの気持ちだった。
もう昔と言っていい過去のものになってしまったけれど。
「文化祭の後でもいいし、何なら草野球以前でもいい。そうすりゃ俺だって十二月十八日の時点で素早く行動できたってもんだ。さっさと全員を集合させて、三年前に戻る事ができたのに」
「……仮に」
いつものように淀みなく説明できるか、この時は自信が持てなかった。
「わたしが事前にそれを伝えていても、異常動作したわたしはあなたから該当する記憶を消去した上で世界を変化させていただろう。また、そうしなかったという保証はない。わたしにできたのは、あなたを可能な限り基の状態のまま十八日を迎えるように保持するだけ」
「脱出プログラムも残してくれただろ。充分だよ」
深夜の静かな病室に彼の声が染みるように響く。
その声には、以前では感じられなかったように思われるものが含まれていた。
何だろう。
やはり怒っているのだろうか。そのように感じる。当然ではあったが。
むしろ叱責されてもおかしくはない。
「わたしが再び異常動作を起こさないという確証はない」
融合を果たしたとはいえ、今のわたしという存在は未知のものに変成してしまっている事実に変わりはない。
「わたしがここに存在し続ける限り、わたしの内部のエラーも蓄積し続ける。その可能性がある」
またいつか、何かを起こしてしまう可能性は排除できない。エラーという名の経験の蓄積。それは今この時も継続している。
そして何より、以前にはあり得なかった動揺をこうして感じているのだから。
喜緑江美里は楽観視していたようだったが、それでもわたしはまだ自分を信じることができないままでいる。
だから、言った。
「――それはとても危険なこと」
「くそったれと伝えろ」
――? 彼の言葉はあまりにも唐突過ぎた。
思わず首を傾げてしまう。
たぶん、彼にしかわからないくらいの動きだったと思うが。
「お前の親玉に言ってくれ」
彼はベッド上で上体をゆっくり起こしながらわたしに向き直った。
「お前が消えるなり、居なくなるなりしたら……いいか? 俺は暴れるぞ。何としてでもお前を取り戻しに行く。俺には何の能もないが、ハルヒをたきつけることくらいはできるんだ」
取り戻す? わたしを?
居なくなったら、取り戻す。
誰かがそんなことを言っていた……いや。
誰かではない。
わたしだ。
あのもうひとりのわたしが言い続け、思い続けていた事だった。
彼は静かに激高しているようだった。
「それでもつべこべぬかすなら、ハルヒと一緒に今度こそ世界を作り変えてやる。あの3日間みたいに、お前はいるが情報統合思念体なんぞはいない世界をな。さぞかし失望するだろうぜ。何が観察対象だ。知るか」
あの三日間。
ヒトの感覚で言うところの「おかしな事は何もない平穏であたりまえの世界」。
でも、本当に彼がそれを望んではいないのだということはすでに理解しているつもりだった。
今こうしてわたしが居るという現実がある。
そう言ってくれる事は純粋に嬉しいと感じていた。
わたしはあなたたちの側に居ても良いのだと、彼はそう言ってくれているのだから。
しかし、統合思念体は彼のこの言葉をどう評価するだろう。
彼らに……たぶんこの言葉は脅迫という概念で良いと思われるが、それが伝わるかどうかははなはだ疑問だった。でもわたしに出来うる限り、正確に伝えてみようと思う。
これがわたしの処分にどのように影響するかは予測できないものだけど、でも彼の言うことはできる限り実現させるように自分で決めていたから。
彼がわたしを見つめている。
自分の言葉を正確にわたしが理解しているのかどうか、それを知りたがっているのだろう。
「伝える」
わかっているつもり。
わたしもまた、あなたたちと共に居たいのだと願っている。
これからも、ずっと。
涼宮ハルヒとも。
朝比奈みくるとも。
古泉一樹とも。
そして他の多くの人たちと。
何より、あなたの側に居たいのだと。
それをあなたは許してくれた。
だから、彼の気持ちに対するひとつの言葉を伝えた。
朝倉涼子がそうしろと、消えてしまうその直前に言ってくれたその言葉を。
「……ありがとう」
こうして、わたしが生まれて初めて音声として生成した言語情報は、”彼”に対して伝えられた。
「長門」
退出しようとドアを開けた時、彼がわたしの名を呼んだ。
振り返ると彼は上体を起こした姿勢のまま、窓の方を向いていた。
顔は見えない。
「何?」
「………」
返答がない。
どうしたのだろう。
わたしがそのままの姿勢でいると、ぽつりと彼はつぶやいた。
「……俺は約束を守れたか?」
胸が一瞬大きく鼓動した。
約束?
彼がわたしに対して取り交わした約束は一度しかない。
今さっきのやり取りは、厳密にはわたしに対する約束と定義してよいものかは微妙なものだったから、おそらく……
あの夏の日。夕立の日のこと。
記憶は確かに抹消されている。慨視感はあったとしても、ただのヒトである彼が明確に記憶していることなどできるはずがないのに。
……覚えてくれていたの。
わたしの最初で最後の想いの、あの告白。偽りの行為を。
わたしは一瞬だけ下を向く。
でもそれは、叶わぬ事だった。
あなたは選択してしまった。この世界を。
わたしが機械知性体でいるこの世界を。
だから。
「……あなたが何を言っているのか、理解できない」
「……そうか」
窓を向いたまま、彼は言った。
「すまん。忘れてくれ。変なことを言ったな」
わたしは無言のままうなずいて、彼の病室を後にした。
忘れてくれと彼は言う。
でも、それは無理だと思う。
どんなことがあっても、あの時のことはわたしの大切な思い出として記録されている。
あれはわたしだけの思い出。あなたにはなくていい記憶。
消灯し、薬品の匂いをかすかに感じる病棟の廊下。靴音が小さく聞こえるその場を歩きながらひとつの事を考えていた。
あなたを愛している。
その事実があればそれでいい。
これからも、ずっと。
―第34話 終―
SS集/743 最終話『あなたがわたしにくれたもの』へ続く