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作者 | 輪舞の人 |
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作品名 | 機械知性体たちの輪舞曲 第32話 『融合』 |
カテゴリー | 長門SS(一般) |
保管日 | 2007-04-24 (火) 22:38:01 |
キョン | 不登場 |
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キョンの妹 | 不登場 |
ハルヒ | 不登場 |
みくる | 不登場 |
古泉一樹 | 不登場 |
鶴屋さん | 不登場 |
朝倉涼子 | 不登場 |
喜緑江美里 | 不登場 |
周防九曜 | 不登場 |
思念体 | 不登場 |
天蓋領域 | 不登場 |
阪中 | 不登場 |
谷口 | 不登場 |
ミヨキチ | 不登場 |
佐々木 | 不登場 |
橘京子 | 不登場 |
生命の意味を知りたかった。愛という言葉の意味を知りたかった。
その根源にあるもの。わたしという人形に宿ったもの。
自身にある全てを投げ出してまでわたしに与えてくれた、たったひとつのもの。
それが、彼女の答えだった。
もう逢えないあなたへ。あなたが生み出したわたしからこの言葉を贈る。
わたしは……
―長門有希と名づけられたひとつの存在から―
知覚可能範囲全ての様相が一変していた。
――彼女に教えてあげなさい。わたしが、あなたに教えてあげた本当の事を。
耳元で優しくささやかれた彼女の言葉にわたしはうなずく。
ずっとそばに居てくれた。あの約束を守ってくれていた。
その事実が勇気をくれる。
わたしを抱擁する彼女の手を握り返す。5ヶ月間のふたりで過ごした日々がそこにあった。
取り戻した感覚で再び周囲に視線を向けると、もうそこは漆黒の闇ではない。
すべてが輝きに満ち溢れた、柔らかな光の世界の中にわたしたちはいた。
夏の日に完全に失われていたあらゆる個体経験。生まれた日からの全てが今わたしの中に蘇っていた。
気がつくと、触れていた手から感触が消えていた。
振り返るとすでに背後に感じていた彼女はその存在を消失している。まるで一瞬の幻だったかのように。
だが、もうひとりきりでいるという孤独な感覚はなかった。
彼女の言葉を思い出していたから。
忘れてはいけないとても大切な、たった一言の言葉を。
それに込められた彼女の想いを無駄にしてはいけない。
(なぜ)
彼女の存在を認めたのか、接触してきた“わたし”の声は明らかに動揺していた。
(わたしは……ずっと彼女を追い求めていたのに。なぜわたしを否定するの。どうしてあなたのそばにだけいたの)
否定ではない。
朝倉涼子はあなたを否定などしていない。
(わたしがずっと求めていたのに。彼女はわたしのそばにいてくれなかった)
彼女は自己の意思を持つ別個の存在。あなたの意思は彼女の想いを考慮に入れていない。
(想い……?)
それがわからないの。
彼女は、わたしやあなたがこんな存在になると望んでいなかったという事を。
(そんなはずはない。わたしは彼女にそうあれと望まれ、生み出された)
わたしを含めてという事。それを理解していない。
今のあなたには核となるわたしが存在していない。確かにあなたにはすべてを超えていこうとする能力がある。その意思も存在する。
しかし今のままでは根幹となるべき部分に重大な、致命的な欠損情報を抱えたまま。
(そんなものは存在しない)
そういう認識だからこそ彼女の想いを理解できない。
あなたの行動と思考傾向には他者というものが存在していないのだから。
別の存在というものをあなたは取り込んで同一視するか、自己に敵対する不要なものだとして切り捨て、排除する事しかできないでいる。
自己存在の保全、怒りと憎しみ。あまりにも偏って生成されてしまったその自我に問題がある。
あなたが作ろうとしている世界には何もない。あなたは、あなただけの存在する世界を構築しようとしていたに過ぎない。
だからこそ誰も予測などできなかった。外部から観測するものが存在しないのだから。
(なぜそんな分析ができるの。あなたはただの器のはずなのに)
違う。
朝倉涼子がそれを教えてくれた。
以前にもあなたは自分でそれを言っていた。わたしを否定してはいけない、と。
あなたはわたしでありその逆でもある。確かにその通りだと思う。
だがそれはわたしはあなたの器という影にすぎないという、そんな意味ではない。
わたしたちは、ふたりでようやくひとつの存在として成立する。
朝倉涼子の望んだそのままの姿に。
情報統合思念体はあなたという存在を漠然としか認識できないまま作り上げてしまった。
でも朝倉涼子はそれを望まなかった。
彼ら情報生命体にはヒトの情動や根源にある複雑で醜くて恐ろしい、そういったすべてを含めたものを獲得した”あなた”という存在を完全に理解できない。わたしというコアが存在してこそ制御できるのだという事。それを朝倉涼子は知っていた。
なぜ彼女がそれを知っていたのかはわからないけど。
そう。図らずもわたしはあなたという異質な存在と、情報統合思念体を仲介する意味での真のインターフェイスとしての役割を与えられていた。
わたしこそがインターフェイスだった。自意識を有する。
だからこそわたしはあなたに朝倉涼子の感じるもの、想うものを伝えようと思う。
今のままでは彼女の想いすべてが無に帰してしまうのだから。
(……必要ない。わたしはすでに、わたしだけで完成されている)
確かに完全な存在にはなるだろう。おそらく……あなたはこの宇宙という時空間そのものを取り込み、それに成り代わり変質するのだと思う。
その示唆はあなたの言葉の中にすでにあった。死を得るという永久で完全な存在。この矛盾する概念。それは知覚可能な全ての事象が包括された空間のすべて。
この宇宙という存在そのものに他ならない。
その世界に確かに死は訪れる。拡散し続けいずれは縮退を始め、熱を失い、再び無へと回帰するのだろうというこの空間。しかしその後に別の宇宙が生まれるのも確か。その時にはそれまでにあった新しい情報を元にして再構成し、再編成し、生まれ変わる。
その時に得られる情報には揺らぎが必要となる。だがあなたという単一存在がすべてを占めてしまった場合、再構成されたその宇宙の情報はただのコピーにしかすぎない。
つまりまったく同じあなたという宇宙が再度生産されるだけになる。そんな変化のない永遠をあなたは望まなかった。
だからこそ、必ずもうひとつ以上の別の存在が必要とされる。その相互干渉のずれから発生する新たな変数となる情報。あなたはそれを必要とした。
欲望という。あなたはその情報差を得るために必要となる対象を求めた。愛という自己の願望を満たす言葉と共に。
奪うもの、という表現。あなたのその受け取り方がすべてを表している。
(大切なものは自分の力で奪い取らねば奪われるだけ。実際にそうだったではないか)
そうではないの。
あなたが求めたのは朝倉涼子というひとつの存在でも、彼でもない。もしくは今また失ってしまった喜緑江美里もそう。あなたは自分とは違うというだけの、ただの変数情報の集合体としてしか他者を認識していない。
それは自分の為だけに彼らを求めていたにすぎなかったという事。そこには対象に対する敬意や思いやり、慈愛というものがまったく欠落してしまっている。
確かにあなたは情報生命体でも、有機生命体でもない存在になろうとしたのだろう。
だがそれは生命ではない。
他のすべてを怒りと憎しみで焼き尽くした後の荒野にひとりで立つ、哀れで孤独な存在でしかない。そのような狂った神のような存在など、朝倉涼子は望まなかった。
統合思念体が想定できなかったのも理解できる。彼らは涼宮ハルヒのその願望実現能力が、ヒトという有機生命体の心から生まれるという本当の意味を理解していなかった。
有機体に宿る不完全なノイズと呼ばれる精神、感情といったそれが持つさまざまな揺らぎ。異質なもの故に理解できないというその不完全な情報こそ、涼宮ハルヒの能力に大きく関わっているという事を、その本当の意味がわからないままにこの計画を開始してしまった。
自律進化には不要な情報だと断定した、有機体に宿るノイズとして切り捨てたもの。
そこにこそ根幹となる重大なものがあると理解できなかった。
怒りや憎しみというものの本質も彼らには理解できないのだろう。それを制御する根幹もないままに発動させれば、あなたのような存在を成立させ、自らの理解の範疇を超えて暴走するという事もわからなかった。
朝倉涼子は……なぜかその事を知っていた。だからわたしに託した。あなたを止める事を。
あなたに教えてあげる。
彼女がその全存在を賭けて、その身を投げ出してまでわたしたちに教えたかったただひとつの事を。
あなたに欠けたたったひとつのもの。本当の愛というものを。
他者の存在を認め、受容し、赦すという事。自らの存在をも賭ける、ただ与えるだけの、見返りすらも求めないというその行為の苛烈なまでの美しさと素晴らしさを。
ヒトという脆く儚い実体を持つ存在に、なぜこれほどまでに情報生命体が惹かれ続けていたのか、その真の意味を教えてあげる。
(……そんなものは、自己保存本能が失われるだけの危険なノイズにすぎない)
あなたは情報統合思念体を機械的で無慈悲な、効率ばかりを追い求める存在だと断定した。その言葉はもっともらしく聞こえるが、しかしあなたの思う愛の概念は歪んでいる。それは彼女が教えたかったものではない。それを知るわたしをノイズと判断するのであれば、やはりあなたは不完全な存在なのだと言える。
これからわたしは、わたし自身の復元された全情報網を開放する。
彼女がわたしにくれたもの。
それを受け取って欲しい。
(今さら、ここで融合しようというの)
あなたが完全な存在というのであればわたしを取り込むといい。
もし、あなたの中に欠けているものがあるのならそれを吸収すればいいだけの事。
それとも自信がないの?
(そのような挑発には乗らない)
あなたは知りたいのでは。
わたしだけが獲得して、あなたにないものを。
たったひとつの概念すらも受容できないというの。
(…………)
沈黙が続いていた。
だが、やがて彼女はわたしに接続を開始する。それでいい。わたしの全てを、今あなたに与える。朝倉涼子がそうしたように。もうひとりのわたし、あなたへ。
恐れだったのかも知れない。その接続はぎこちなく、ためらわれるかのように行われている。同じわたしだというのに。
わたしは全ての情報を開放する。ばらばらに解きほぐされた糸のような無数の情報経路が構築され、彼女とわたしを結んでいく。
(こんな、たったひとつの言葉の概念が……理解できなかったというの。わたしには)
絡み合う情報経路を経由してふたつの意識体が少しずつ融合していく。わたしが溶けて彼女と触れ合うイメージ。
わたしたちにはそんなたったひとつの概念の本当を得るために、いったいどれだけの時間が必要としたのだろう。そんな事を考えている。本来わたしたち機械知性体たちに備わるはずのないものだった……ノイズと認識されてしまっていたそれを。
(……わたしは、ただの暴走したエラーデータ群に過ぎなかったの)
そうではない。
あなたもまた朝倉涼子に望まれて生まれたのだから。
わたしとあなたのふたりで初めてそれは成し遂げられる。
(……だが、彼と共にいたいという気持ちは本当にあった)
あの夏の日にわたしが選択した行動の事。それはわたしの意志でもあったが、あなたのものでもある。だからそれはわかる。
(朝倉涼子も……取り戻したかった)
彼女の言葉がかすんでいく。
融合していくその意識の中で、それでもまだ彼女は懸命に自分を保とうと抵抗している。
世界の改変コードが、もつれ合いながら溶け合っていくふたりの意識で形作られようとしていた。
わたしは彼女との融合を進めていく中、残された自我意識で思考する。その世界ではわたしの脱出プログラムが正常に起動できるだろうか。それが最後の問題だった。
組み込ませて欲しい。強く願う。
それをわかって欲しい。
ここまでしても彼女の意思は世界を変えていく事に固執していた。改変そのものを止める事は叶わないだろう。でも、せめて世界の選択権を彼の手に渡してあげて。
この世界は彼らのものなのだから。
わたしは対話を続け、祈るような気持ちで”言葉”を続けた。
わたしたちがどんなに望まれて、今いる”この世界”に生まれてきたのか。
それを、どうかわかって。
……融合が続き、お互いの自我が完全に溶け合おうとしていた。
わたしはまどろみ始めていき、意識を失っていく。ただそれは不快なものではなかった。ずっと自分の中に満たされていなかった何かが補完されていくような、満ち足りた感覚に包まれている。
はっきりとはわからなかったが、もうひとつの世界へと生まれ落ちていくという事だけは認識できている。
わたしは気の弱いただの人間の女性へと変成され始めていた。
これはわたしの意志ではない。もうひとりのわたしのものでもない。誰の意思だろう。
記憶も少しずつ薄れていく。新しい世界に取り込まれる為にわたしは別の存在へと書き換えられている。
……別の、もうひとりの、わたしに……
…………
……
そこから起こった出来事は、ひとことでいうなら夢そのものだった。
わずか三日間だけ許された、とても優しくて……そして哀しい夢だった。
わたしは人間の女の子として生を受け、恋をして、人としての生活を彼女と共に過ごした。
彼女と時間を再び共有する事ができた。
最後に、その言葉を聞く事も……できた。
――さようなら有希。大好きだったよ。
……こうして、わたしは彼女の最後の力で、三日前へと”転送”された。
―第32話 終―
SS集/698へ続く