作品

概要

作者にこ
作品名エンド・エンドレス
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-04-08 (日) 23:44:24

登場キャラ

キョン不登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

 誰に叩き起こされるわけでもなく俺は起床した。妹の大声に頼らずに目を覚ますなんて珍しい。俺は枕元の時計を見た。

 

 やばい。新年度早々遅刻だ。
というかすでに始業時間は過ぎている。

 

 俺は何も考えずに制服に着替え、歯を磨き、顔を洗って家を飛び出した。無心で全力疾走。しかし五分前までは布団の中で休息をとっていた体だ。すぐにへたりこんでしまう。
 反射的に家を出てしまったが、ここからいくら急いでも遅刻だ。いっそのこと休んじまうか。俺は膝に手をつき、荒い息を整えながら一時思案した。
 よし、学校に行こう。遅刻とはいってもサボリよりはましだ。しかも今日は進級初日。クラス割りも気になるしな。
 そのままの姿勢で心臓の鼓動が平常通りのリズムになるまで待ち、俺は開き直った者だけが会得できるスピードでダラダラと歩み始めた。校門をくぐっても人影は見えない。当然だ。今ごろみんなは教室の中だろうから。
 ……と思ったが違った。

 

 校庭の隅で野球部がいつもの感じで活動している。サッカー部や陸上部も同様だ。
 一体どうしたんだ?疑問を感じつつ校舎に入ると、人がいなかった。いや、ごくわずかはいるのだろう。しかし確実に全校生徒はこの建物内にはいない。校庭で部活をしている不可解な連中を差し引いてもな。

 

 もしかしておかしいのは俺か?

 

 始業式は九日だったのかもしれない。一日早とちりしてたかな。これは完全に春休みの雰囲気だ。俺は日付を確認するために携帯を見た。

 

 四月一日 午前十時五分
 まさか。
 一日くらいの間違いはあっても一週間はさすがにありえない。突然携帯が振動した。驚いて床に落としてしまう。ディスプレイには古泉一樹という表示。通話ボタンを押し、耳に当てた。
『お気付きですか?』
 こいつにしては珍しく、挨拶を省いて用件をきりだした。
「ああ、たったいま気付いたよ。またあの無限ループか?」
 俺はプールサイドで退屈そうな表情をする長門を思い出した。
『まだわかりません。とにかく全員で集まりましょう。もちろん、涼宮さんは抜きで』
 そこまで告げると通話は一方的に切れた。つくづく古泉らしくない。去年の夏休みのときは情緒不安定に見えたとはいえ、落ち着きだけは保っていたのに。

 
 
 

 集まるといったらここしかない。駅前の喫茶店に入ると、例によって俺以外の三人が揃っていた。
「あなたはこの異変に気付いたのですね?」
 俺が腰を下ろすと同時に古泉が念を押すように聞いてきた。俺は短く肯定する。
 やはりいつもの古泉と違う。なにやら焦っているようだ。
 朝比奈さんは心配そうに俺と古泉を交互に見つめている。長門は特に退屈そうではなかったし、別段変わった様子はなかった。
 そういや夏休みのときも古泉に電話で呼び出されて駅前に来たんだっけな。あの時は朝比奈さんが泣きじゃくっていたんだ。未来と連絡がつかなくなったとか帰れなくなったとかで。
 今の朝比奈さんの様子を見る限り、今回はその心配はなさそうだ。ってことは今も未来はあるのか?
「そこなんです。朝比奈さんによると、今でも以前と同様に未来との通信はできるそうです。しかも未来に問い合わせてみても異常な時間のループなどは確認できない、とのことでした」
 古泉の話を聞きながら朝比奈さんは一定のリズムで頷く。
「さらに大きな前回との相違点がありますね」
 なんだ?深刻な顔をしていても話題を小出しにする話し方は変わらないんだな。
「我々、つまり僕とあなたが時間のループを知覚している、という点です」
 そうだ。すっかり見落としていた。前回のループは一万五千四百九十七回繰り返した二週間の記憶が重ね録りしたように消えていた。しかし今回は違う。現在俺は二回目の四月一日を過ごしているが、一回目の四月一日を覚えている。そうか、今俺と古泉は前回の長門の立場にいると考えればわかりやすい。
 しかし――――今が本当に二回目の四月一日だとは限らない。記憶さえ書き換えればなんとでもなるのだ。
 テーブルの上を眺めるともなく眺めていた長門に尋ねる。
「じゃあ今は何回目のリピートの最中なんだ?」
 それが……といった感じに顔を上げ、
「わからない」
 と言って再び視線を下方に向けた。なにか聞いてはいけないことを聞いてしまったような気持ちになったのはなぜだろう。
「僕の知り得る限りではこの異変に気付いているのは、僕と、あなただけです」
 そんなに僕とあなたという部分を強調するな。
「機関も感知していないといいますし……」
 その台詞の後に沈黙が二分くらい続いた。
「しばし様子を見てみましょう。文字通り時間は掃いて捨てるほどありますからね」
 普段と違う自分の表情に気付いたのか、いつも以上にさわやかな笑顔を撒き散らしながら古泉は言った。
 まったく、また厄介なことになったもんだ。
「やっぱりハルヒの仕業なのか?」
「おそらくそうだと思われますが、よくわかりません。なにしろ気付いているのは、僕と、あなただけですから」
 事も無げに微笑む古泉は、すでに普段の調子を取り戻したようだ。しかしなぜそんなに僕とあなたを強調する?
「あの……そろそろ集合の時間ですよ?」
 今日はやけに口数の少ない朝比奈さんがやっと口を開いた。
 そうか。今日は四月一日。これから七日間SOS団の活動があるはずだ。またいつもの場所に集合しなければならない。俺は慣習に則って最後に登場すべきか?やっぱり。
「そうですね。ちょっと時間差で行きましょう。幸い、涼宮さんが現れる時間まで幾何か猶予がありますし」
 コーヒーカップを音も立てずに持ち上げながら古泉は言った。

 

 

 
 

「やれやれだな」
 春休みが一週間延びたとはいえ、気分は冴えなかった。このままだと一週間どころか永遠にこのぬるい季節が続く。別に嫌いじゃあないんだがな。シャミセンがぬくもりを求めて布団の中に潜り込んでこなくなったのはちと寂しいが。それでも布団の上で寝息をたてているシャミセンを戯れに一撫でして、俺もそろそろ寝ておかないと明日がきつくなることに気がついた。明日も今日と同様、SOS団の活動がある。
 やれやれ、と極力使いたくない台詞を発しつつ、言わざるを得ないほど心労が重なった我が身を寝床に横たえた。

 
 
 

 その後九日間は休みなくSOS団の活動――面倒なので『団活』としておく――をした。その間にも何度となく古泉や長門、朝比奈さんと話し合いを持ったが、何も新しい情報がもたらされることはなく、目下のところ座して時が過ぎ行くのを待つのみ。
 そして迎えた四月八日。
 いや、四月八日になっているべき「その日」。朝起きてすぐにあらかじめわかりやすいよう、日めくり式に変更しておいたカレンダーを見た。そこには事実無根の事象を捏造し、清らかで無垢な心を持つ人々を公然とあざむいても罪に問われないとする日付が俺を嘲笑するように朝日をうけ輝いていた。本当に冗談じゃないぜ。
 速やかに着替えやらを済ませて自転車で駅前を目指す。いつもの喫茶店には不必要なほどエレガントに紅茶をすする古泉がいた。
「おはようございます。長門さんと朝比奈さんには電話をしておきました」
 ってことは、
「やっぱりあの二人は記憶を失っちまったのか」
「そのようですね。先日お二人には集合場所と時間を伝えましたから」
「狂ってるのは時間じゃなくて俺達の方かもな」
 俺の分の注文を取りにきたウェイトレスが去っていくと古泉が言った。
「僕が以前話した人間原理の話を覚えていますか?」
 閉鎖空間行きのタクシーで聞いた話か。我観測す、故に宇宙あり、とかいう。
「ええ、そうです。それにしても一年前にした話をよく記憶していましたね」
 もうそれくらい経つか。いや、あまりにも自己中心的な内容だったからな。そんなどうでもいい話なんかとっとデリートして英単語の一つでも覚えたいぜ。
「幾度となくリピートされている今は良い勉強の機会ではないでしょうか…………冗談ですよ…………いずれにしろ時間を元に戻さなければ意味を成しませんからね」
 お前の冗談は判別しづらい。そんで人間さまご都合主義がどうした。
「あなたは人間原理を独りよがりだと言いましたがさらにミクロな定規で世の中を計ることもできるんですよ」
 なんだ?溜めずにさっさと吐け。
「自分の周りにいる人が全てプログラムなのではないか、と疑心暗鬼に捕らわれたことはありませんか?もしくは自分以外の世界はプログラムだと」
 ああ、あったね。小学校くらいのときかな。しかし俺の疑った世界はプログラムじゃなくて宇宙人に造られたものだったが。
「そうですね。小学生から中学生にかけて大抵の人が抱く考えです。そのうちに様々な現実を知り、次第に世界との折り合いをつけていくのです。自我の目覚め、とも言うでしょうか。積極的懐疑の第一段階にあたるでしょうね」
 うむ……で、それがどうした?
「いや、特に体系立てて考えていませんでしたから結論はありません」
 なんだそりゃ。ただでさえお前の口調はアカデミックで鼻につくというのに。
「そんな、おこがましいですよ」
「褒めたわけじゃない」
「まあ程度の差こそあれ世界は宇宙人が造ったという考えも完全な否定はできません」
 取って付けたような結びをするな。
 とにかく話が一段落ついたところで、俺の注文したブレンドコーヒーが弱々しく湯気を吐きながら運ばれてきた。何と何がブレンドされているのかよくわからないが。
「二人きりで喫茶店というのも良いものですね」
 さわやかスマイルの仮面の下に何やら恐ろしい表情があるような気がしたので黙殺。しかし死ななかったようで、
「ずっと夢見ていたのですよ」
 いつの間にやら古泉は真剣な顔つきで穴を開けんばかりに俺を見つめていたが、仮面の下ではよだれを垂らしながらニマニマしているように感じられる。テーブルの上にのせていた俺の手に古泉のきめの細かい肌がまとわりついた細長い手が近付く――
「ごめんなさぁい。遅れましたぁ」
 間一髪、朝比奈さんの心から申し訳なさそうな声で俺は救われた。何からって、それは俺もよくわからないのだが。
「できるだけ急いできたんですけど……」
 そう言いながら古泉の隣に座る朝比奈さん。テーブルの横には注文をとるウェイトレスのように長門が直立していた。何か言いたげな目で真っ直ぐに俺を見ている。
「ああ、すまん」
 コーヒーカップとソーサーごと端に移動すると、滑るように長門がとなりに座った。
「こんな早い時間にお呼びしたのは他でもありません」
 開店直後のため客は俺達だけだ。
「実は長門さんと朝比奈さんにこの話をするのは二度目なのですが……」
 古泉は説明を始めた。朝比奈さんは俺と古泉を心配そうに見つめながら話を聞き、長門はいつもどおりのほぼ無表情。
「……という事態に陥っているのです。改めてお聞きしますが、四月七日までの記憶をお持ちですか?」
 自分に質問されていることに気付かなかった朝比奈さんは少しびっくりした様子で、
「ごめんなさい……」
 やはりな。
「でっでも信じられません……未来も感知できない時空間の異常だなんて……」
 朝比奈さん(大)でも解決できないのだろうか。
「異常なのは時空間ではなくて……」
 俺達か?
「……いや、なんでもないです」
 なんとも形容のしがたい沈黙が流れる。
「長門さんは、いかがです?」
「未確認」
 いつもの抑揚が極端に少ない声で言った。一回目のときと反応が違う。案外未来ってのは、不安定なものなのかもしれないな。
「そうですか」
 台本どおりに驚くバラエティー番組の司会者のように古泉は言った。
 また長い沈黙。
「あの……そろそろ集合の時間ですよ?」
 それを破った朝比奈さん。
「ちょっと時間差で行きましょうか。幸い、涼宮さんが来る時間まで猶予がありますし」
 五分後に古泉、さらに五分後に長門、朝比奈さんが店を出ていった。俺はお湯を入れたカップ麺がシャミセンにやさしい温度になるくらいの時間が経過した後に席を立った。

 

 言うまでもないと思うが、その日から四月六日まで団活。俺はただ疲れた。

 

 三度目の一週間が終わった。そしてやってきたのは今年四度目のエイプリールフール。もうこれっきりしてくれよ。例によって俺は駅前の喫茶店を目指す。
「おはようございます」
「どうだ?」
 何がってわけでもないがとりあえず聞いてみる。声に出すのもめんどうだというように古泉は力なく笑って肩をすくめた。俺も全く憔悴しちまって、長門と朝比奈さんが来るまで古泉とは言葉を交わさなかった。二人が到着してから、もはや恒例の古泉による説明タイム。その後時間差で集合場所へ行き、いつもの通りのことをした。

 

 気が滅入るほどゆっくりと時は流れ、四度目の一週間が終わり、さらにもたもたとした早さで五度目が終わり、日増しに、いや、週増しに体感速度は遅くなっていき、気付けば今日は二十回目のエイプリールフール。回を重ねるごとに古泉の微笑みは薄くなり、会話も少なくなっていった。まっとうに時間が経過していれば、今頃扇風機に煽られながら配布されたままの状態で温存されている宿題に頭を痛めているところだろうな。俺は十五回目の四月一日からSOS団の活動に参加しなくなった。全てに対して無気力になり、部屋に閉じこもっていると、シャミセンからも「大丈夫かお前?」というような目で見られた。携帯にはひっきりなしに電話がかかってきたが、とりあえず風邪と言っておく。十五回目はそれで済んだのだが、十六回目と十八回目には俺の家の玄関までSOS団の連中が来やがったので、仕方なく部屋に入れた。どうやら俺の見た目は本当に病人のそれだったらしく、仮病がばれなかったのは良いが、ハルヒにはそれこそ病的なまでに俺の心配をさせてしまった。朝比奈さんも十分すぎるほどいたわりを与えてくれた。長門は特に普段と変わらない様子で、ただ俺の膝のあたりをずっと見つめていた。そして古泉は十八回目に姿を現さず、ハルヒ曰く親戚の不幸があったらしい。あいつも相当まいってるな。
 回想に浸っていると携帯が鳴った。古泉から。
『おはようございます。さっそくですがお願いがあります』
 精一杯弱っているところを隠そうとしているが、生気が感じられない。俺も同じようなものだろうが。
「なんだ?言ってみろ」
『今回からSOS団の活動に参加していただきたいのです。もちろん僕も参加します』
「それはどういった理由からだ?」
『どうやらあなたの病気は涼宮さんに思った以上の憂慮を与えているようです。ここ最近は二十四時間閉鎖空間が発生しており、全く対応が追いつかない状態です』
 知らない間に俺の体調と世界はリンクしていたようだ。風邪をひくたびに世界滅亡の危機とは、俺もたいそうな身分になったものだな。
「わかったいくよ」
 二言三言交わし電話を切った。正直なところ、誰にも会いたくない。ハルヒ達のお見舞いでさえ煩わしいと感じてしまった俺がいたのだ。あの連中の前で『俺』を演じることが出来るか――それがたまらなく不安だった。

 
 
 
 

 今日で例のループ四十五周目が始まった。まもなく観測開始から一年を迎える。彼は三十周程まで我々の要請に応じ、涼宮ハルヒらと行動を共にしていたが、ここのところは自らの部屋にこもって廃人寸前の生活を続けている。
 こんなことをいくら上に報告しても取り付く島もない。末端の僕と何一つ超自然的能力を有していない彼にしか感じられない無限ループ、と言っても信憑性は薄い。それはわかっているのだが……。現在、総員が《神人》の対応に当たっていて、その任務以外は現在全く機能していない。
 愚かだ。脆弱な組織だ。閉鎖空間は現在のところ、二十四時間発生し続け、その規模も以前とは比べ物にならないものになっている。どうせ全て処理しきれずに連鎖的に増え続けるに決まっている。世界の終わりは時間の問題だ。
「くそっ」
 僕は力任せに自動販売機を殴った。大きな音と共に強い衝撃が拳に走る。
「いけない……冷静になりましょう」
 そうだ……『この顔』だけは失ってはいけない。僕は無理やり笑みをつくった。自動販売機の安っぽい黄ばんだ明かりに照らされて、さぞ不気味だっただろう。自分ももはや狂人なのではないか……そんな恐ろしい考えを打ち消すために、再び自動販売機を殴った。
 雲により月が見事に濁っている夜だった。

 
 
 
 

 違う。狂っているのは俺じゃない。世界だ。もはや数えていなかったが、五十回くらいループしただろう。
自分の部屋で何もせずに寝そべっていると、ドアがノックされ、有無を言わせずにドアが開いた。そこにいたのは明らかに不自然な笑顔の古泉。
 またSOS団に復帰して欲しいととくとくと説得され、もはや断るのもわずらわしくなったので渋々承知してやった。
 
 何度も繰り返した例の団活は苦痛の極みだ。輪廻転生の煩悶。俺はそんなに業を重ねたつもりはないんだが。なんとか乗り切って今回のループも最終日。朝比奈さんが俺と古泉を心配そうに見ているのは古泉が説明をしたからだろうな。
 で、その日もなんとかやり過ごし、日も暮れかけた頃、それは起こった。
俺は心労の極みにいた。生きているのすら面倒だと考えるまでに。そんなときハルヒは何かを俺に言ったんだ。よく覚えていないのだが、そんな精神状態でなかったら、普通にスルーするような言葉だっただろう。とにかく俺は激怒した。ありたいていに言うと自分が何をしているのかわからなくなった。要するにキレちまったんだ。
 気付くと俺はハルヒを殴っていた。
 古泉は落胆の、朝比奈さんは憤懣の、ハルヒは虚無の目で俺を見ていた。長門はいつもの光沢のある黒曜石のような目。よくわからないが俺は逃げる。
 ああ、もうだめだ。

 
 
 

 彼が涼宮ハルヒに危害を加えた。終わりなく繰り返される日常というのは知性を持った有機生命体には苦痛なのだろう。彼は著しく衰弱していたようだ。彼はその場にいる全員の顔を眺めた後、走り去っていく。残されたわたしたちの間に会話はない。このあと彼がとると思われる行動は――。
「……!」
 気付くとわたしは走っていた。彼の姿を見つけることができなかったが、どこにいるかはわかる。わたしは最短距離でそこに向かう。急がなければ。彼は――彼は自らの生命活動を停止させるつもりだ。でも、それをおこなったところで、彼の目的は達成されることはないだろう。古泉一樹の話から推察すると、一回のシークエンスから次のシークエンスへ移行する際に保持されるのは、彼らの記憶のみで、肉体は上書きされる。つまり肉体が消失しようとも、情報として記憶自我は存在し続け、新たなシークエンス開始の際に肉体と融合する。彼が理解しやすいように言い換えると、
「死ぬことはできない」
 ここで一つの疑問が発生する。では、なぜわたしは彼を引きとめようとしているのだろうか。涼宮ハルヒにとっての鍵としての彼を、観察対象として保護するため……。
 いや、違う。与えられた任務を達成するインターフェースとしてではなく、わたしとして望んでいることだ。彼に無駄な苦痛を与えたくない。でも、本当に彼のことを考えるのなら?本当に彼が死を望むのなら?わたしは一体どうしたらいいのだろう。
 わたしは走るのをやめ、立ち止まった。胸が苦しくなって。ゆるやかな夕日が散り際の桜を照らしている。  人々は散華する桜の、その儚さに美を見るらしい。この国に受け継がれてきた美学。わたしにも少し理解できたかもしれない。でもわかりたくなかった。桜には、いつまでも咲いてほしいと思ったから。

 
 
 

 人の気配がしたので顔を上げると、そこには長門が立っていた。ベンチに座る俺の前にややうつむき気味に。暗くて表情はよくわからなかったが。
「長門……」
 俺は寂しかった。世界から拒絶されたという絶対的な孤独に支配されていた。俺は立ち上がって長門を抱き締める。うつむいたままの長門の額が俺の胸に押し当てられた。驚くほど長門は小さく、細く、小枝のようだ。
「俺は長門が好きだ」
 嘘だ。ただ、温もりが欲しかっただけ。誰でもよかったんだ。
 長門は震えているのだろうか。不意に俺は死にたくなるほどの罪悪感に襲われた。あ、どうせ俺は死ぬつもりだったのか。じゃあどうでもいいことだ。そんな恐ろしく黒々とした考えが俺をさらに汚らわしいものにしていく。
 ああ、やはり長門は震えているみたいだ。どういう感情の揺れ動きによるものかはわからないが。俺は力を緩めた。するとこぼれ落ちるように長門は俺の腕の中から消えた。そのまま何も言わずに反転し、走り去っていく。終始うつむいたままだった。
 俺はつい数秒前まで長門に触れていた自分の手を見た。どうやら俺が膝を地面につけているらしいことに気がつく。そのまま自然に力が抜けてゆき、はいつくばるようにして泣いた。泣きに泣いた。見苦しい嗚咽を押さえようともせずに泣いた。どのくらいそうしていたのかわからない。そして気付いた。ここは去年、長門に呼び出された公園であるということと、俺は長門が好きなのだということに。だってそうじゃないか。好きでもないやつに嫌われることが、世界から拒絶されることより寂しいわけがないだろう?
 しかし、もう遅すぎる。遅すぎるんだ。
 俺は泣くのをやめ、涙をぬぐってベンチに座る。夜風に吹かれて桜が散っていた。きれいだ。この美しさのためになら命も投げ出せる。
「長門……」
 俺は再び頭を抱えた。死ぬ前に一言わびたい。そして気持ちを伝えたい。しかしそれは叶わぬことだ。
「長門……」
 口にするたび胸が締め付けられる。
「長門…………長門?」
 さっきと同じように長門が俺の前に立っていた。長門は小さい歩幅で移動し、俺の隣に腰を下ろした。風でショートヘアを揺らしながら桜を見ている。表情はわからないが、それは暗さのせいではないと思う。
「長門、さっきは……すまん」
 長門は何も言わずに桜を見るのと同じ目で俺を見ている。
「俺は本気でお前が好きだ」
 それにも答えずに数十秒俺達は見つめ合う。
「死なないで」
 長門の答えはそれだった。
「死んでもあなたの苦しみは続く」
 やはりそうか。予想はしていたが。
「じゃあ俺はどうしたらいいんだ」
 長門に問うたわけではなかった。
「あなたは、生きているのがつらい?」
 ああ。
「わたしは、どうしたらいいかわからない」
 長門の目線は地面へと伸びていた。
 長い沈黙の後、
「情報連結の解除という方法がある……同時に情報操作も行い、あなたの記憶自我を消去する」
 理解できた。それこそ俺が望むことだ。
「しかし、あなたは涼宮ハルヒと同様、重要な保護対象。そんなことをすれば情報統合思念体は私の情報連結をも解除する」
「馬鹿な!つまりそれはお前も死んじまうってことだろう!」
「わたしにとって、あなたが死ぬということも同じくらいつらい」
 俺は言葉につまった。風が一つ吹き、桜の花びらと長門の髪を揺らした。
 長門の目が再び俺に向けられる。
「わたしもあなたが好き」
 ベンチに置いていた俺の手に、長門の細長い手が重なる。長門は表情こそいつもと同じだが、その真冬の夜空のような瞳からは涙がこぼれていた。それはあまりにも寂しい粒。
「だからって、お前が命を投げ出すことはないだろう!」
 俺の目からも同じ粒が流れていた。
「あなたの幸せは、わたしの幸せ」
 長門の手に力がこもる。落ちてきた桜の花が小刻みに震えるショートヘアについた。
「だけど……」
 その俺の言葉を遮るように長門は腕を伸ばし、俺の頭を抱いた。長門の声が俺の耳元で発せられる。
「わたしは、あなたの幸せのために生きたい」
 とても、とても温かかった。そうか、これが本当に俺の欲しかった温もりか。
「わかった、長門。やってくれ」
 手をほどいた長門はゆっくりとうなずき、桜を見た。ああ、きれいだ。いままで見たどんな桜よりも。
 俺のつまさきが白い光を放つ砂に覆われていた。長門も同じく。長門はとてもやわらかな微笑みを浮かべた。俺も自然と笑顔になる。
 桜の花が雪のように舞い落ち、長門は手を差し延べてそれを見ている。光る砂が二人の胸まで隠した。
「もうさよならだな。長門」
 長門の返事は微笑み。
「もし生まれ変わったら――」
 なに?と言うように首を傾ける長門。
「もし生まれ変わったら、結婚しよう」
 長門はうなずき、どんな光より眩く笑った。それっきり、俺はその眩さしか見えなくなった。
 
 雪のような花びらはいつまでも舞い落ちる。この世界には春しかやってこないからだ。

 
 
 
 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:03:31 (2710d)