作品

概要

作者仮帯
作品名朝倉涼子の再生
カテゴリー女子高生3人SS
保管日2007-03-28 (水) 07:43:24

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子登場
喜緑江美里登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

朝倉涼子の再生

 
 

「キョンくぅ〜ん」

 

 甘ったるい声。
 そして半瞬後身体を襲う衝撃。特に肺の辺り。

 

「ごふっ」

 

 思わず呻く俺を、さも満足そうに胸許から覗き込んで来るのは、何の前振りもなくフライングボディアタックをかましてくれた我が妹である。妹よ、もうこの起こし方は勘弁してくれ、もう初等教育の最上級生になろうというお前の体重を、プロレスラーでもない俺はいつまでも受け切れないからな。まだまだ見た目は幼いと言っても、このことは今のうちから厳重に注意しておかなければなるまい。

 

「退屈なんだも〜ん、キョン君たらいつまでもごろごろしているし」

 

 依然として兄の身体の上から動こうという気配も見せずに、あっけらかんと言い返す妹。
 もう年頃だというのに兄に変わらず懐いてくれることを嬉しく思わない訳じゃないが、妹すらからも本名で久しく呼ばれていないことに一抹の悲哀を覚えてもいるんだ。とにかく重いからどけ。

 

「はーい」

 

 妹が間延びした返事をして、ようやく我が呼吸器系が楽になったところで、俺は上半身を起こして傍のデジタル時計で時刻を確かめる。
 10:04a.m.。
 なぬっ。
 見間違いではないことを繰り返し確認する。

 

「どうしたの、キョン君?」

 

 どうしてこんな時刻まで起こしてくれなかったんですか、お母さん!?

 

「お母さん、朝から法要とかで出かけてるよー」

 

 言われてみれば、前にそんなことを言っていたような気がしないでもないような……。

 

「朝ごはんは食パンがあるから勝手に食べてね、だって」

 

 お前のその暢気さが心底羨ましいぜ、マイシスター。

 

「あー、またハルにゃん? 私も行く〜♪」
「ハズレだ」
「え〜、じゃあ誰?」

 

 妹のなかでの俺の交友範囲というのはハルヒ絡みしかないのかと不満を覚えつつ、俺は勘繰る妹を無視する。何となく、妹に知れたら状況が悪化しそうな気がするからだ。ほら、人の口には戸を立てられないって昔から言うだろ。
 そのとき、玄関のインターホンが鳴った。
 同時に俺の脳内でも、エマージェンシーがけたたましく響き出した。

 
 

「こんにちは」

 

 俺はもうご臨終してしまったのかなと思うほどに、天使のような微笑が、おひとり。

 

「…………」

 

 意地でも、その能面の如き相貌を崩さないという無言の佇まいでいるのが、ひとり。

 

「来ちゃった」

 

 恋人が押しかけて来たような錯覚を起こしたくなる、はにかみ顔が、またひとり。
 三者三様の宇宙人3人娘御一行様、我が家に襲来である。尚、俺の正面で直立しているのが喜緑さんで、その一歩分後ろに、長門と朝倉が並んでいるという編隊を組んでいらっしゃる。

 

「わーい、有希ちゃんだぁ。あれー、でも今日はハルにゃんたちと一緒じゃないんだぁ?」

 

 何も知らずに俺と一緒に玄関まで来た妹は、一貫して無邪気だ。
 長門は無言のままだが、妹のはしゃぐ姿を認めてから、俺たち兄妹に対し、時計の秒針で言うと10秒くらいの角度で会釈した。
 その傍らでは朝倉が、長門のそれよりもう少し角度をつけて首を横に傾げている。妹が発した「ハルヒ」を指す呼称に反応したように見えるが、どこか腑に落ちなそうな顔つきだ。そういえば、今のこいつはハルヒのことを知らないんじゃないのか。

 

「おねーさんたち誰?」

 

 よしいいぞ、妹。その見上げるあどけない仕種、いくら喜緑さんでも毒気抜かれるだろう。少しでも、そのスマイル仮面のおねーさんの怒りを和らげてくれ。

 

「私たちはね、貴女のお兄ちゃんに勉強教えに来たんですよ」
「へー、そうなんだー」

 

 妹が納得したように明るい声を上げているが……教えに“来た”ですか? いやまあ、予想していなかったことはないですけね、杞憂に終わって欲しかったですよ。

 

「お兄ちゃんがね、約束の時間になっても来ないから逃げたのかなぁって思って」

 

 おしとやかに膝の前に両手で鞄を提げながら喜緑さんは、俺に言葉の刃が突きつけて来る。やっぱり怒っていますね、すいません。

 

「午前9時」

 

 全身の汗腺から冷たいものがどっと噴き出す、長門の無慈悲なる一言。
 わかっています。わかっていますとも。約束の時間は、午前9時。はい、60分強の遅刻ですよね。ひたすら平身低頭で謝ります。

 

「でも、キョン君も、昨日の突然の勉強会で疲れていたんだろうし、今日も朝の9時って言われて困るよね」

 

 とりなしてくれるのか、朝倉。こういうところを見ると、学級委員長を務めてクラスで人望もあった朝倉の一面を思い出す。まあ、当時は演技であった訳だが……。
 それはさておき、大方の見当はつくだろうが、前日に引き続き勉強会と称した朝倉涼子社会復帰ボランティアが喜緑さんによって俺の本日のスケジュールに組まれていたにも関わらず、俺は寝過ごしてしまったということだ。思わぬ昨日のハプニングに、ハルヒに振り回された並に精神疲弊がひどかったというのも言い訳にならないだろうな。仮にも学校の先輩を、ハルヒと比べるのも失礼な話だと思うし。
 で、それに業を煮やしたという風は微塵も面に出さなかったので真相は藪の中なれど、喜緑さんに引き連れられて長門と朝倉が、俺の家までお出ましに相成ったという事実は揺るがない訳で。
 礼儀正しく我が家に上がる朝倉を視界の端に捉えながら、俺は声を潜めて言葉も短めに長門に尋ねる。長門はまだ玄関に佇んだままなので段差があるので、いつもより更に腰を曲げながら。

 

「朝倉に外を出歩かせて大丈夫なのか?」

 

 うちのクラスで委員長をやっていた記憶のない朝倉を、ウチのクラス、ましてやハルヒなんかが見かけて声をかけるなんてことになったら面倒だ。

 

「大丈夫。私と喜緑江美里で注意している」

 

 この返答以上に説得力があるものはないだろうね。長門だけでもおつりが来るほどなのに、喜緑さんまで周囲の目に気を配っているのなら、どんな監視網だってくぐり抜けられるに違いない。国外脱出だってお茶の子さいさいってレベルだろう。逆に言えば、ふたりが一緒だったら外出もできる訳だ。
 ふと宇宙人3人娘が連れ立ってショッピングしている光景が頭の中に浮かんだ。はしゃぐ朝倉が長門の手を引っ張って、朝倉に便乗した喜緑さんがニコニコ顔で長門の背を押して進む珍道中の画がさ。ついつい顔が緩む。

 

「安心したよ、軟禁状態ってワケじゃないんだな」

 

 さて、喜緑さんはというと、有難いことに、ウチの妹のとりとめのない話に対し嫌な顔ひとつせずに相手をして下さっている。単に笑顔を装って聞き流しているだけという疑いもあるが、そんな印象すら抱かせないんだ。
 喜緑さんの微笑は、何か隠し事があっても打ち明けやすい雰囲気を醸し出す類のものなんだよな。その点が、同じスマイル仮面の古泉とは一線を画すところだ。案外、会長の愚痴とかも聞かされているのかもしれない。
 ん、待て、妹よ。喜緑さんの手を引っ張って何処行こうってんだ? 逆方向だろ、そっちはドア――っていつの間にか靴をしっかりと履いてやがるし。

 

「キョン君は、あの眉の太いおねえちゃんと色々勉強するから邪魔しちゃいけないんだって」

 

 眉の太い――妹ながら遠慮のない言い方を。身体的特徴をあげつらうことは、時に相手の気分を害することもあるからやめなさい。

 

「はーい」

 

 うむ。素直でよろしい。
 朝倉も目くじらを立てることはないと思うものの、兄として妹の躾には責任があるからな。
 それはさておき、朝倉はさっさと家の奥に進んじまったし、妹は妹で外出準備万端整えているし、そういえば、家に上がったのって朝倉だけで、長門と喜緑さんは靴を履いたままで……となると、この事態がいかなる方向に収束するかは火を見るより明らかになって来る。
 簡単なことだ。

 

「では、妹さんは私と長門さんと外に遊びに行きますから。貴方は朝倉さんと“色々”お勉強して下さい、ごゆるりと」

 

 やっぱりな……。
 「色々」にやけに力が篭もっていた喜緑さんの申し出に、俺は内心やれやれと呟いた。
 せっかく妹の面倒を見てくれると仰っているのに、俺が素直に喜ばないのは仕方ないことだと思って下さい、喜緑さん。昨日が昨日なので……。

 
 

 妹を体良く連れ出した喜緑さんアンド長門を見送って、俺は家中へと戻る。
 何やら台所で物音がする。
 ハルヒじゃあるまいし、他人様の家の冷蔵庫を漁るなんて真似に朝倉が走るとは思えないが、我が家にさっさと潜り込んだ朝倉の位置はとりあえず特定できたようだ。

 

「何やっているんだ?」
「お寝坊さんは、まだ朝食食べていないんでしょ」

 

 台所を覗き込んだ俺に、朝倉は気さくな物言いで図星を突いて来た。
 ここで腹の虫が鳴るなんてベタな展開はさすがに起きないが、俺の表情を読み取って朝倉はしたり顔になる。
 その右手には真っ白な卵が1個握られ、左手で袋の封が開いたスライスチーズ1枚及び真ん丸のハム1枚をつまみ出す。冷蔵庫から物色したての新鮮なヤツだということは状況からして明白である。

 

「待っててね」

 

 冷蔵庫の中を一瞥するに、必要以上に漁った形跡は見て取れない。このシチュエーションがハルヒだったとしたら、団員の食生活を確かめるのも団長の責任とか何とか言って無遠慮に冷蔵庫の中を混ぜ返して放ったらかしにして、俺が母親に余計な心労を与える前に整理する羽目になるんだろうな。
 両手が前述の食品で埋まっている朝倉の、冷蔵庫の戸に向けて腰を捻り閉める仕種に気を取られないように俺はそんなことを考える。何と言うか、谷口レベルまで無節操になるのは、朝比奈さんの様々なコスプレを堪能して来たという矜持が許さんのだよ、そこまで大層なものではないような気がしないでもないが。
 一方で朝倉は、アルミホイルの上に用意しておいた食パン1切れの真ん中に、手近にあったコップの底を布巾で丁寧に拭いてから押し当て、丸くへこませる。そこに手際良く殻を片手で割って、生卵を落とす。手馴れたもんだ、片手で卵を割るのを見ると料理上手って気がする。
 それから準備していたケチャップをかけてハムとチーズを千切って乗せて、オーブンでこんがり出来上がるまで、待つことたった数分。
 朝倉がグラスに冷えた牛乳を注いで、にっこり笑う。

 

「お待たせ」

 

 妹が言及していた母のお情けの食パンは、立派なピザトーストに変貌した。俺ひとりなら、マーガリンでも塗って質素に終わるはずだったブレックファストがエライ出世をしたもんだ。
 迷わず手を伸ばした俺だが、そのまま立って食べるのは行儀が悪いと朝倉に窘められ、自室に運んで、有難く頂戴することにする。いやはや、今日の朝食がこんな味気あるものになるとは嬉しい誤算と言っていいだろう。

 

「朝倉はいいのか?」
「私は食べて来たもの」

 

 そうは言われてもさ。ひとりで食べていて、それをじっと見られているのって、きまりが悪いもんなんだぜ。せめて視線を外して欲しいんだが。

 

「だって、気になるじゃない。おいしいかどうか」

 

 谷口ならば朝っぱらから朝倉の手料理を食えるだけで、感涙のあまり脱水症状ぐらい起こすと容易に想像できるほど、今の俺のポジションは男にとって“おいしい”と思うけどな。

 

「手料理って言うほどのものじゃないでしょ」
「俺の朝食としては、充分うまいからOKだ」

 

 息を飲む気配がした。一瞬の空白。

 

「そ、そう……あ、ありがとう」

 

 俺が思わず面と向かってストレートな感想を言っちまったせいか、朝倉は顔を赤らめている。そんな想定外に大袈裟な反応をされると、こっちだって正直な感想を言っただけなのに照れ臭くなる。
 俺は気分を紛らわせるのにグラスから牛乳を喉に流し込む。よし、クールダウンにちょうどいい。

 

「えと……妹さん、可愛いわね」

 

 朝倉のほうも強引な感は否めないが、話題を変えようと試みる。さすがに全てに亘って器用にこなすという訳にはいかんらしい。
 しかし、この手のコメントにはいつも対処に困る。兄として俺はどう返せばいいのか悩むところだ。

 

「まあ……いまどきの11歳にしては、いい子の部類に入るんじゃないか」
「兄馬鹿」

 

 それを言うな、朝倉。俺も自覚しているから。可愛いと兄の口から言わなかっただけ、かろうじて抵抗したのだと認めて欲しい。
 けれど、愉快そうに笑っている割には、朝倉の面持ちに何処か浮かないものを感じるのは何故だろうか。
 俺の疑問に朝倉は肩を竦めた。

 

「ちょっと羨ましかっただけ」
「羨ましい?」
「うん……私よりもずっと広い世界にいる貴方が羨ましかった。積み重ねて来た人間関係って言うのかな……記憶のない私には、そういうの無いから」

 

 あったのに失くしちゃったから、と言う朝倉は淋しそうに笑顔を繕った。
 ひょっとすると、妹の口からハルヒの呼び名が出たとき、朝倉の顔色が翳ったのは、そのためだったのか。俺は顔の広いほうじゃないが、今の朝倉の、長門や喜緑さん、そして、精々俺ぐらいしかいなかろう交友関係よりは広いと思う。そこに朝倉は思い至ったのかもしれない、俺にも朝倉の知らない知り合いがいると実感して。
 そう、俺の眼前にいる朝倉は、喪失を嘆いているのだ。
 以前のこいつは、死の概念を理解できずにいた。だから、笑って長門に消されたんじゃなかったのか。けど、今、目の前にいる女は違うのだと痛感せざるを得ない。

 

「喜緑さんからはね、私の家族は事故で死んだって聞いている……私だけ一命を取りとめたんだって、ショックで記憶を失っちゃったけどね」

 

 記憶と家族がないことに関して、朝倉に対しそういう説明をしている訳か。
 確かに朝倉が普通の人間として暮らすには、虚偽の設定を差し挟むことは免れないことだが、チクリと胸の内が微かに痛んだ。朝倉が、信頼している喜緑さんや長門に欺かれているってことに。

 

「家族が死んだのに、そのことで私は悲しむことができないの……だって、思い出がないんだもの。今の私が気付いたときには最初からなかったんだもの」

 

 ようやく俺は、朝倉の笑みが諦観による自棄から来ているのだと悟った。
 何故、本当の意味で最初からいやしない家族に思いを馳せて朝倉が、こんな思いをしなければいけないのだろう。
 やるせない怒りに駆られる。
 こんな形でしか、こいつは人間になれなかったのか。どうして最初から長門や喜緑さんのように出会って、関係を築いていくという選択が有り得なかったのか。
 朝倉の生みの親をとにかく罵倒してやりたい気分だ。それですっきりしないことはわかっているんだが。

 

「ごめん、暗い話しちゃったね、こんなこと話すつもりなかったのに」

 

 朝倉は詫びるが、そんなことないさ。むしろ、

 

「いや、俺こそ気が利かなかった」

 

 人間として当然の感情を朝倉から想像できなかった俺の色眼鏡ぶりこそ謝罪に値する。
 ただそれを口に出すと、以前の朝倉を俺が知っていると勘付かれるかもしれない。今の朝倉は知らないほうがいいことだと思う俺は、それ以上言えやしなかった。
 その代わり、

 

「気を取り直して勉強するか」

 

 大きく口を開けて、朝倉謹製ピザトーストの残りを頬張って、朝倉が新たな思い出作りに貢献することにした。
 それが勉強会というのもビミョーだけどさ。

 

「うんっ」

 

 我が妹やハルヒに負けぬ100ワットの元気良い明るさで答えた朝倉を見ると、満更でもないみたいだ。
 そして、いざ勉強を始めてみれば、俺のほうも、楽しそうに俺に勉強を教える朝倉の様子を眺めていることで、慣れない頭脳労働に見合う対価を支払ってもらっている心持ちになったのだから、我ながら現金なもんだよな。
 ま、そういうささやかな幸せを積み重ねることが人生を有意義に送るコツだと俺は主張させてもらおうか。

 
 

 だけど、平和も束の間ってヤツさ。
 それから数日後に、こんなことになるなんて夢にも思いたくなかったぜ。
 さあ、いきなりだが、俺がどうしてこんな状況にいるのか説明してくれる奴はいないかい?
 こんな状況というのが、どんな状況かというと、思春期真っ盛りの健全な男子高校生のモラルを試すにしても、もっと穏便な方法はないのかと文句が言いたい状況下にいることは確かだ。
 ということで、その理由を教えてくれる人、今すぐ俺のケータイにメールを頼む。
 のんびり通話していられそうにないんでな。何故なら、あんまり音を立てたくない状態なんだ。それじゃ着メロは大丈夫なのという心配は無用だ。ケータイのほうはちゃんとバイブレーションに切り替えているからな。だから、俺の周囲に気を遣う必要は無いぞ。

 

「そんなに焦らずとも、私が教えてあげますのに」

 

 人間必死になると、誰もが古泉の仲間になるのかね。いつの間にやら、俺の心の叫びはテレパシーにでもなっていたのかと素直に喜べないタイミングで、“彼女”は言った。

 

「説明責任ぐらい心得ていますよ」

 

 なら、こんなコトになる前に説明して欲しかったですよ、喜緑さん。どこかの顔も知らない不特定多数の誰かにSOS信号送るところでした。SOS団なんて危なっかしい団体にいても、現実にSOSを出すような羽目には陥りたくないんで。
 喜緑さんは聡明な目つきを細めた。
 寝転がる俺を見据えるこの人の不純物のない眼差しを見ていると、本当に人の心ぐらい読めるんじゃなかろうかと真剣に思う。

 

「声を出してもOKですよ。情報隔離済みですから、ぐっすり眠っているのを起こす心配はありません」

 

 情報隔離って局所的防音システムとでも考えればいいんですかね。

 

「最初に貴方を505号室にお呼びして協力をお願いした際、朝倉さんの前で禁則事項的なお話をしたことを覚えていらっしゃいますか? それは今回の情報隔離の応用です」

 

 禁則事項って未来人ばかりか宇宙人にも大流行だな、おい。今年の流行語大賞にノミネートされそうな勢いだ。
 それはさておき、思い返してみると、普通の人間だと思っている朝倉に聞かれちゃまずいようなことを平気で話していたよな。その後の波乱の展開のせいで、すっかり忘却していたが。

 

「漠然とした話の流れは朝倉さんにもわかるようにしておきましたから」

 

 つまり、「情報統合思念体」というごく普通の暮らしには関係皆無の単語が出て来ても、あのときの朝倉は「ふうん。それがどうしたの」と生返事して終わっていたということなのだと喜緑さんは言い足した。
 俺は身体をベッドに横たえたまま視線を下げた。
 話題の人物の寝顔が、俺の視界いっぱいを占める。そう、朝倉涼子だ。
 さて、せっかくだから俺の状況説明も、ちと捕捉しよう。ベッドに寝転がっているという体勢の俺の、文字どおり眼前に朝倉がいるということだ。

 

「添い寝に腕枕という羨ましい構図なのに、ご不満がおありですか?」

 

 喜緑さん……。人がなるべくオブラートに包んで言い表そうと努力していたのに、一発で水の泡です。
 ぶっちゃけ、喜緑さんの言うとおりになっている。無論、俺が腕枕している側だ。十中八九朝倉のほうが頑丈で力がありそうな気がしても、男には男の譲れぬ体面というものがある。

 

「朝倉さんで不足でしたら私もお供しましょうか?」
「結構ですっ」

 

 冗談でもやめて下さい。いつ宗旨替えするかわかりませんから、据え膳食わぬは男の恥って勧誘がうるさいもんで。だけど、ふらふら〜とそれに従おうとすると、何故かハルヒの罵声がガンガンとフルボリュームで頭の中に再生されちゃって。ホント、たまったもんじゃありません。
 という訳で、これ以上頭痛の種を増やさないで下さい。

 

「残念です」

 

 そう仰っている割には、喜緑さん、御尊顔が実に楽しそうですよ。まあ、不機嫌な顔をされるよりか、今の癒し効果3割増しのほうが断然いいですけども。

 

「それより、何で俺がこんな目に遭わなきゃいけないのか説明してもらえますか?」

 

 ここまでの春休み、朝倉先生の春期講習皆勤賞の俺としては、せめて寝るときぐらい心安らかに夢を見させて欲しいんですが。

 

「涼宮さんのお誘いが貴方にあったときには、こちらから勉強会をお休みにしてあげているからでしょう」

 

 喜緑さんはにこやかに告げた。
 それを言われると分が悪い。同じSOS団員である長門が口添えしてくれているようで、ハルヒの緊急招集がかかった日には、事前に朝倉のほうから勉強会の休みを言い出してくれている。俺に気を遣ってくれているのは確かだろう。
 講習があるからSOS団のミーティングを欠席するなんて言い訳はハルヒに通用しないのは、火を見るより明らかだからな。それどころか「団員の頭の出来でよそに迷惑かけるくらいならあたしが面倒見てあげるわ」とか言い出して、鬼教官ハルヒ復職なんて薮蛇になりかねない、しかも、学年末の実績があるだけに手に負えなくなりそうだ。
 まあ、誤解がないように言っておくが、ハルヒの家庭教師としての実力は認めている。一方で、朝倉との勉強会も嫌な訳じゃないんだ。
 ましてや、さっき、朝倉自身の口からあんな科白を聞かせられたら、ますます放っておけない。

 

「朝倉さんの安眠に協力して欲しくて、夜分、お邪魔したんですが……さすがですね」

 

 そう、今を去ること20分近く前、喜緑さんは、まだ起きていた朝倉を連れて、いきなりベッドに寝ている俺の身体の上に乗っかって来たのである。玄関やら俺の部屋のドアやらの途中経過は一気に省略してな。どうせ、情報操作とかいうのをやらかしたんだろう。これ自体には今更驚いたりしないが、さすがに女子高生のふたり分の負荷はきつかったね。妹のボディプレスに慣れていようがいまいが、苦しいものは苦しいんだ。
 それはそうと、今の朝倉に超常体験は刺激が強過ぎるんじゃないかと不審に思っていたら、どうやら喜緑さんは朝倉を、これは夢だと言いくるめて、ここまで引っ張って来たらしい。確かに長門より喜緑さんのほうが口達者だからして適任だな。
 考えてみれば尤もな話で、常識ある人間だったら、瞬間移動して男の部屋に来るなんてこと現実だとは思うまい。それに疑問を抱かない俺は、すっかり非日常に毒されてしまっているんだろう……それすら別段嘆かわしく思わないくらいに。
 それに、いくら朝倉が夢の中のことだと思っていたとしても、長門が夢であろうと現実であろうといたら、あんなことを告白できなかったろう。

 

「いつも私が一緒に寝ているんですが、それよりずっと安心している顔をしていますよ」

 

 喜緑さんの言葉に、俺はうっかり朝倉の寝顔を再確認してしまった。いくらでも顔に落書きできそうな無防備な相貌に、俺の心臓が16ビートを細かく刻み、顔面へわんさか血を送って来るのを感じる。マジで身体に悪いぞ、これ。
 俺は慌てて直近の朝倉の顔から目を逸らした。
 しかし、よく寝ている。

 

「貴方を信用しているから、夢のことだって打ち明けたのでしょうね」

 

 喜緑さんは一呼吸置いて粛然とした物言いを続けた。

 

「長門さんに殺される夢を見ていたなんて……」

 

 そう。朝倉はそう言ったのだ。
 怖い、と。
 どうしてこんな夢を見るのかわからない。
 長門にはいつも感謝している。
 好きなのに。
 どうして、その相手に殺される悪夢を見なければいけないのか。
 喜緑さんに促された朝倉は、俺の顔を見るなり、どういう訳か、堰を切ったように悪夢の内容を語り出したのだ。
 最近になって毎晩見る悪夢の中で、自分が長門に殺されているということを。
 朝倉の悲痛な声は嘘だと思えなかった。
 このときほど、己の甲斐性の無さを実感したことはなかったね。気の利いた慰めひとつ出て来ない。で、朝倉に何かできる訳でもなく立ち尽くしていたら、喜緑さんが提案して来た。
 一緒に寝てあげてください――と。
 ……かくして、俺は現況に到っている。さて、何故、俺がこんな羽目に陥っているのか、俺自身は未だに理解できていないんだが、説明できる人物がいるならお任せする。俺は別件を任されてしまったようだからな。

 

「しかし、喜緑さん、貴女は朝倉の告白にそれほど驚いているようには見えないんですが……察しがついていたんですか?」

 

 俺は先ほどから優雅な佇まいを堅持している喜緑さんに訊いた。
 喜緑さんは思いのほか、すんなり答えた。

 

「ええ。ですが、私では朝倉さんから本心を聞き出せなかった……朝倉さんにとっては長門さんと私は、貴方と長門さん以上に密な関係にあると思われていたようですから」

 

 喜緑さんと長門で、記憶喪失という設定の朝倉の面倒を数ヶ月に亘って見て来たんだから、関係が深いと考えるのは当然だろうな。故に、長門に直接でないにしろ喜緑に対しても、朝倉には悪夢のことが気兼ねになっていたと考えられる。

 

「しかし、何で? 記憶がないはずでしょう、今の朝倉は?」

 

 記憶が残っているというのなら、話はわからないでもない。何故なら、朝倉は2度も長門に消滅させられているのだから……。
 うん? 2度?
 俺が疑問に突き当たるのを見越していたのか、喜緑さんはおもむろに口を開いた。

 

「1度目は涼宮さんの力で再生されました……けれど、例の12月で、あの世界共々、朝倉さんは“無かったもの”にされた……それから世界は再構築された……そう、そのとき、朝倉さんは2度目の再生をすることになったのです。では、それを行ったのは誰か?」
「長門……」

 

 俺は自覚するより早く声に出して呟いていた。
 その独白を喜緑さんは首肯する。微笑が、少し神妙なものに見える。

 

「そう。涼宮さんの力を借りた長門さんの手によるもの。ですが、それは……自覚がなかった涼宮さんによる1度目の再生とは違い、2度目の再生には作為が働いたことによる産物……長門さんの意識が朝倉さんに多少なりとも影響を与えた」

 

 ハルヒは長門と朝倉の関係を知らない。
 ハルヒが知らない朝倉の真実を、朝倉に植え付けられるのは――。
 喜緑さんの推測に耳をじっと傾けながら、俺は不意に思い出す。春休み初めて朝倉と再会した日、昔の朝倉との思い出を懐かしむような風情を漂わせていた長門を。

 

「だけど、それにしたって、何で悪夢になるんです?」

 

 強い語気で俺は喜緑さんに質問をぶつけていた。
 長門は朝倉と仲良くしたがっていた。その意志が反映されているというのなら、朝倉が悪夢を見るのは、どうしたっておかしい。逆効果じゃないか。

 

「罪悪感というものでしょうね。それが、長門さんが朝倉さんを殺したという過去の事実を朝倉さんにも根付かせる結果になったのだと思います」

 

 そう言った喜緑さんから哀しんでいるような感情が仄見えたような気がしたんだが、確かめる術は無い。喜緑さん本人からは、どうせ人を煙に巻くような返事しか返って来ないに違いない。

 

「貴方たち人間の観念で言うところの“死”を、朝倉さんは長門さんの都合で2回も経験しているんですから」
「長門の都合……?」
「1度目は長門さんが貴方から信用を得る足がかりとして」

 

 喜緑さんは冷淡に、はっきりと言った。

 

「2度目だって長門さんの希望で動いたにも関わらず消されてしまったんですから」

 

 今の俺の目には、喜緑さんの微笑が、皮肉めいたものに映る。
 あくまで喜緑さんの推測でしかない。
 だけど、記憶を振り返ると思い当たる節はある。
 そして、同時に俺はこんなことを思っていた。
 朝倉と長門――当の本人たちには申し訳なく思いつつも。
 朝倉は、悪夢に死の恐怖を感じていて。
 長門も、過去に朝倉を消したことを後悔しているというのなら。
 それは、このふたりにとって、何よりも人間に近付いている証拠なんじゃないかなんてことを……。

 

「あまり動じていないようですね」
「え」
「長門さんが、貴方を篭絡する手段の一環として朝倉さんを犠牲にしたとか疑ったりはしないのですか?」

 

 後に続いた喜緑さんの意地の悪い問いかけに、俺はついつい苦笑を洩らしてしまった。
 喜緑さんは口許に上品な笑みを湛えたまま、眉根に皺を寄せる。笑顔だけで、こんなに使い分けができる人も珍しい。

 

「俺も考えましたよ、最初に……。実際、あの教室で朝倉に殺されかけた出来事がなけりゃ、俺はこうも長門を信じることはなかったしれない……ですけどね」

 

 一旦言葉を区切った。
 それから、力を込めて言ってみせる。

 

「俺たちSOS団、最初はみんな嘘の集まりでしたから。俺だって、最初、嫌々ハルヒに付き合わされていた。けど、変わったんですよ、長門だって例外じゃないんです。だから、最初の頃がどうであれ、今は仲間として信じることができる」

 

 それだけは揺るがないことなんだ。

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:03:26 (2705d)