作品

概要

作者輪舞の人
作品名機械知性体たちの輪舞曲 第29話         『最終到達点』
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-03-13 (火) 13:44:55

登場キャラ

キョン不登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 
 

 もし、大切な人を自分の手で消し去ってしまう未来を知ったとしたら。
 あなたならどうするだろう。

 

 もしも取り戻せるとしたなら。その手段があるのなら。
 それがどんな手段であれ、使うのにためらいなど覚えるものだろうか。

 

―ある女子高生の小説からの一節―

 
 

 喜緑江美里の表情は伺う事はできない。
 周囲の端末たちにも、今は動きは見えない。
 完全に沈黙だけがある、巨大な情報制御空間のその中心点にわたしたちはいた。姿勢はそのままに再び空へと視線を向ける。普段見える月など比較にならないほどの大きさの青い星が視界を圧倒していた。どの星の光景なのだろう。
 情報統合思念体の見る光景なのかも知れない。わたしはこの環境を分析する。どの個体によって構成された情報制御空間なのか。ここを突破するためには、その組成を成した個体を無力化するしかない。
 そして……解析が終了する。解答はすぐに出された。
 この情報制御空間を作り出したもの。
 それは――

 

 “情報統合思念体”そのものだという事。

 

 そこまでして、わたしを畏れるのか。自分が作り出したものだというのに。
 わたしは笑みをこぼす。それが抑えられない。
 畏れるがいい。恐慌に打ち震えるといい。これまでの、全ての事を清算させてもらう。わたしが払い続けたもの。それに値するものを支払ってもらう。

 

 ……しかし、それと同時にわたしは冷静に状況分析を続けている。
 現実的な問題。この状況を切り抜けるための手段について。

 

 わたしの正面に位置する喜緑江美里に、相変わらず動きはない。
 どういうつもりでいる。本当に、あの”わたし”の願いを聞き入れたのだろうか。
 「その手で消去して欲しい」と。あの愚かな願いを、本当に聞き入れたというの。
 いや、そうではないだろう。あの統合思念体からの直接通達にもあった。
 “計画通りに戦闘行動に入れ”というもの。
 最初からそういう配置だったのだ。わたしが、統合思念体が懸念するとおりの「失敗作」だった場合、ただちに彼女を中心として端末たちが包囲し、自分を消去する。そういう計画だったという事。
 信じたい? 信じたかった。それはわたしも、”わたし”と同様だった。それもまた今、裏切られたのかも知れない。
 思索派端末は言った。特殊情報端末群の喜緑江美里は、地球上でもっとも豊富な接触・戦闘経験を与えられている個体なのだと。実際にそれは東京で証明されている。”わたし”ですら検知できなかった、あの広域帯宇宙存在の位置を特定した探査能力。そして、その後の「接触」にあたっての的確な判断、情報操作能力。これもその時のために与えられた能力という事だったのだろう。わたしに対する、最後の抑止力として。
 わたし自身は確かに公開情報上、最高の情報処理能力が与えられているのだろうが、中身といえば、わたしを生み出すためにそのほとんどの領域が使用されてしまっている。しかも経験値はまったくのゼロ。そんな状態から始めなければいけなかった。
 今は違うとしても、しかし、彼女に正面からぶつかって勝てる公算はあるのか。
 わからない。焦りを感じる。周囲に配置された情報端末たちと戦って勝てるかと訊かれれば、それは間違いなくねじ伏せる事はできる。それだけの能力と経験はある。
 しかし、多数同時に、その上であの喜緑江美里と対峙した場合ではまったく状況は変わる。おそらく、勝利する事は難しい。いや、確実に消去されるだろう。

 

 ここまで来て。

 

 情報統合思念体は、この時の為に備えてきた。わたしはこうして生まれてくるためだけに全てを費やさざるを得なかった。その差は、戦略という面で言えば話にならないほどの絶対的不利な状況を形成している。

 

 六体の端末が動く。それぞれが、まったく無駄のない動きで、喜緑江美里を中心にして地表へと降下する。ビルの屋上から、屋根の上から。着地音すらしない。
 思考リンクが開かれる。強制力を伴ったもの。その圧力は強い。ずっとわたしの周囲に配置されていた端末たちの、その個体能力の高さを再評価せざるを得ない。先ほどまでの甘さ、一対一であればねじ伏せられるという楽観的評価が打ち砕かれる。脅威と言っていいほどの個体性能。
 おそらく、他の四十体ほどの端末も同様のものなのだろう。それは同時に、わたしに対する思念体の警戒レベルの高さという事なのだろうが。
(そのまま、静止せよ)
 急進派端末群のプライマリ・デバイスが告げた。二十代の男性の無機質な音声情報。
 その直後、穏健派端末群のプライマリ・デバイスの声が続く。
(ただちに我々の攻性情報因子による、情報連結の解除受け入れを勧告する)
 女性。おそらくは北高生のもの。
 その勧告にわたしは躊躇なく返答する。
(拒否する)
 わたしにはやらねばならない事がある。
 これまでそのために存在したのだ。何より、生み出したのは統合思念体そのものではないか。あの思索派端末もそう。その八体の仲間たち。最初に生み出されたわたしたちの祖ともいうべき存在。
 皆、いなくなってしまった。
 朝倉涼子も。
 わたしは、ついに個というものを得た。そんな不条理な消滅など受け入れるわけにはいかない。生きる。あの東京でも、そうした”わたし”がいる。
 死の意味も知らぬ、あなたたちにそれがわかるのか。彼らの、彼女たちの無念という言葉を。生の価値も、死の意味するものも、何も知らずにそれを強制する。そんなものたちの言葉をなぜわたしが受け入れると思うの。
 抵抗してみせる。かならずやり遂げてみせる。

 

 わたしに対して一斉に攻性情報因子の侵入が開始される。六体同時。防壁は展開しているが、カウンターのタイミングと防壁再展開の速度は劣勢。あまりにも危険な事態。それと同じくして粒子結晶の収束が確認される。喜緑江美里を除く全ての端末の手に、輝く槍が生成され、こちらに向けて放たれていた。
 その飛来物からの回避行動と共に、もっとも左翼に位置する女性の端末に肉迫する。高速機動。直後、わたしが位置していた地点が、衝撃と爆散するコンクリートの破片に彩られる。あれほどの多重攻撃を、自身のシールドの展開で防げるかはわからない。
 目前にはわたしの機動に追いつかないのか、無反応の急進派端末の顔。初めて見る顔ではない。北高の生徒。おそらく一年生の女性。
 右手の平を顔面に向ける。
 このまま分解する。
 異質な存在、という。あの広域帯宇宙存在ほどのものではないとしても、もはやわたしは異質なのだ。それを想起する。
 やれる。
 「接触」する。あなたの、その内部へ直接侵入してやろう。カウンターなどできるか。これに対する対抗手段などあなたは知らないだろう。内面から崩壊させてやる。
 ぐにゃり、という空気の歪む感覚。まるで水でできた粘土だ。それと同時に、統合思念体からの連結解除もなしに、有機構造体を直接分解させていく。目を見開く端末。後ろに揺らぐ身体。逃がすか。
 最初に触れた髪が一瞬だけモザイクのように分離し、その後粒子結晶へ。悲鳴をあげる事もできない。そんな機能があるのか知らないが。わたしは歪んだ笑みを、顔全体に浮かべる。
「死ね」
 そのまま奥へ、あなたの中身そのままを消滅させてやる。わたしの能力。異質なものを含んだというそれ。同時にあなたたちでもある。今のわたしは何者なのだろう、という自身の存在のあいまいさをも自覚しながら。
 その異質ではない部分、もともとの端末としてのわたしの部分が、彼らの攻撃の足がかりとなっている。攻性因子の侵入は続いている。急がなければ。一体に時間をかけすぎるわけにはいかない。
 彼女が初めて表情を作る。恐怖というそれか。絶望なのか。感じるのか、あなたのような人形でも。かつてわたしがそうしていたように。
 でも、もう遅い。
 さらに力を込める。これだけの操作にもわずか二秒程度の時間しかかかっていない。しかし他端末はこの無防備な時間を使い、すぐにも物理攻撃を仕掛けてくるだろう。彼女もろともに。
 すぐに消し去る、というその意思を込めた瞬間。

 

 ――わたしの手に添えられる、何かの感触。

 

「――そこまでです」
 我に戻る。
 周囲は静まりかえっていた。
 攻撃はやんでいる。わたしに対する攻性因子の侵入も、すべて。
 振り向くと、わたしの右手に添えられているのは、彼女、喜緑江美里の手だった。いつもの微笑みがある。最初に出会った時のような、やわらかい、静かなもの。
「もう、終わっています」
 言っている意味が理解できない。終わる? 何が。
 わたしの右手の先をもう一度見る。あの急進派端末の状態を確認する。
 あの驚愕の表情のようなものを浮かべたまま。
 止まる。そう、止まっている。
 彼女の”時間”が止まっている。
 まさか。こんな局地的現象を、この短時間に発現したというの。
 わたしに気取られる事もなく。
 あり得ない。もう一度喜緑江美里の顔を見る。
 何も変わらない。特別な事は何もない、というように。
 彼女のした事。それは。
 局地的時空間凍結領域の生成。
 ”ステイシス・フィールド”と呼ばれるもの。そんなものを、今、見る事になるとは。
 周囲に目を向ける。他の五体の端末も、その位置のまま”凍りついている”。彼らの時間だけが止まっている。

 

 地球上でもっとも接触・戦闘経験が豊富な個体という。
 喜緑江美里。
 ――これが、その力だというの。

 

 時空間凍結領域の生成そのものは、わたしにもできる。かつて自分自身が実施した事もある。だが、それはエマージェンシー・モードという緊急時の為の、危機回避時に特殊に操作できる、それだけの準備と自己領域の確保が絶対条件のものだった。その上で、固定された空間領域を指定する事でしか発現する事はできない、そういう環境情報操作のはず。それ以外には不可能なもののはずなのに。
 それを……端末個体が、同時かつこの瞬時に、しかも対象をこれだけ限定して発現させるなんて。
 その上――これは、彼女自身がバックアップなしで実施したという事。
 端末個体能力だけで。統合思念体の支援もなしに。

 

「……まだ危機が回避できたわけではありません」
 彫像のように固まった六体の端末に視線を向けながら、喜緑江美里は言った。
「他にもあなたを消去するために集結した端末たちが、こちらに接近してきています」
「何のつもり」
 状況がつかめない。喜緑江美里の真意が把握できない。
「”わたし”との約束を律儀に果たそうという事? あなたの手でわたしを消す、という」
「……約束?」
 喜緑江美里は、笑みを浮かべたままわたしに振り向いた。
「わたしは約束などしていません」
「返答を保留しただけでは」
「わたしの約束はすでに、五月二十五日に取り交わされています。朝倉涼子と」
 その名前。わたしがもっとも取り戻したいと願う存在のひとつ。
「”後の事をお願い”。わたしはずっと、その約束を果たすべく行動していた。一度たりとも彼女の願いを裏切ったつもりはない」
「……何をしようというの」
「行ってください」
 彼女は言った。いつものあの声色で。
「あなたは、朝倉涼子の願いによって生まれてきた。あの子の、わたしの可愛い妹の、切なる願いによって、ようやく生を受けた」
「わたしを、信じるというの」
 苦いものを感じる。まさか、喜緑江美里がこんな事を言うなんて。
「世界を崩壊させるという、こんな存在を。あなたは信じるというのか」
「わたしは信じる。あなたを」
 一年五組の教室でそうしたように、彼女はまたわたしの胸に手をあてた。
「そしてそこにいる”かつてのあなた”も。あなたたちは、彼女の、朝倉涼子の、無限の時をかけた試みの果てに誕生した、かけがえのないものなのだから」
 その言葉に息を呑む。妹? その願い?
「……朝倉涼子の願い? あれは、ただ計画に沿った行動のはず……」
「時間がありません」
 喜緑江美里はわたしの右手を取る。そして人差し指を軽く噛む。
 抵抗はしなかった。彼女の態度と言葉がそれをさせなかった。
「これは?」
「偽装情報を。今のわたしにできる、最後の事です」
「最後……?」
「同時にわたしの個体データの偽装も。わたしは今は、あなたです。一時的にではありますが、統合思念体のリンクと、他の端末たちの目を欺く事はできるはず」
「いったい、何を――」
「彼らが使う探査手段は空間受動探査が主となるでしょう。あまり光学視認情報というものを重視していない傾向がありますから。ですからゆっくり、この場から歩いてください。歩行速度を守って。情報制御空間の外縁部に到達すれば、今のあなたなら容易に突破できるはずです。時間は、わたしが稼ぎます」
「自分を囮にするというの。そこまでして、わたしを」
「本当は、見届けたかったというのはあります」
 手を握ったまま、喜緑江美里はわたしを見つめる。
「でも、それは許されないものでしょう。すでにわたしは、あなたに対して償えない事をしている。だから、これはそのせめてもの事」
「馬鹿な」
 わたしは憤りを感じる。こんなつもりではない。
「わたしは……”わたし”もあなたを信じた。あなたまで失って何の意味がある。これから取り戻そうという時に」
「行きなさい」
 初めて。初めて彼女はわたしに命令をした。
 強くて、でも優しい言葉だった。
「あなたは行かなければならない。そうでなければ、わたしたちの選択した全てが無に帰す」
「……でも」
「さあ」
 ゆっくりと背を押すようにして彼女は並んだ。
 わたしを見送るように。
「だいじょうぶ。いつか、また会えます」
 彼女は何の保証もない言葉を最後につぶやいた。
 あの笑顔と共に。

 
 

 全ての行動には意味がある。だから彼女の取った行動にも、わたしの選択したものにもかならず何らかの意味はあるはず。思索派の彼女はどう思うのかはわからないけれど。
 マンションの敷地から喜緑江美里の言葉通りに、歩行速度を守って移動を開始する。
 振り向けば、もう彼女はそこにはいない。
 探知できる範囲では、戦闘はすでに始まっている。主導する指揮端末がいなくなった彼らは混乱しているようだ。散発的な情報戦闘が行われている。
 喜緑江美里を、わたしと誤認した端末たちが攻撃を開始していた。
 たったひとりで。あの四十体近い端末たちと戦うというの。
 無謀すぎる。

 

(それがそうでもないんですよ)
 暢気な声だ。いつもの調子の、喜緑江美里の思考リンク。
 指向性のものか。インタラプトの可能性もあるというのに。
(すでにご存知かとは思いますが、これで結構、わたしは強いんですよ?)
 知っている。あの東京でそれは確認している。
 何より、”わたし”が感じた事。怒らせたくない、というその言葉がある。
 すでに四体を無力化している。破壊しているわけではない。おそらく、あの時空間凍結によって一時的に無力化しているという事。しかし、現在は穏健派のバックアップは途絶しているはず。本当に一個体の能力だけで渡り合おうとしている。

 

(最初に出会ったときには、何て頑固者なんだろうと思いました)
 戦闘中とは思えない、まったく関係のない話をしている彼女。
 何をしているの。そう思っているうちにさらに五体を無力化。
(今も、あまりその評価は変わりませんけど。朝倉涼子から聞いていた通りのぶっきらぼう。声はボソボソで、何を考えているのかもわからない)
 それが端末というものではないのか。人間らしい評価をされても、困る。
 ……というより、朝倉涼子のその評価も気になる。
 何と言っていたのだろうか。
(とても可愛かったそうですよ。意地っ張りで、頑固で。何もできないくせに)
 ……それは悪かった。
(そういうところを可愛いと評価したのでしょう)

 

 さらに三体を無力化。残り二十七体。
 こんな行動をひたらすら続けながら、それでも戦闘は喜緑江美里に優勢に進んでいるように見えた。恐るべき個体性能。
(もともとこれは、あなたたちふたりの為に与えられた能力でした)
 彼女は言う。
(暴走の危険性の高い、あなたと、朝倉涼子。このふたりを抑止する為にわたしは生まれた。結果的に、わたしも目下暴走中というところですが)
 抑止。それはわかる。わたしについても。
 でも朝倉涼子が? 彼女が暴走するというのが理解できない。
 彼女は、計画通りにわたしを生み出す準備をしたではないか。
(それはそうです。でも計画から逸脱した行為も行っていました)
 どんな。
(人間らしい日常の生活。あなたの情報操作を封じてまで)
 あれは……計画ではなかったのか。
 そういう計画では。
(趣旨を逸脱していましたね。わたしにもどこからどこまでが違うのかは、はっきりと解りませんでしたが)

 

 残り二十一体。戦闘は変わらず継続している。
 こんな会話を交わしながら。何という性能。
(覚えていますか? 五月二十五日の会話の事)
 忘れるはずはない。あの公園での事なら。
(「今は」話せないと解答した、あの時の質問の事です)
 七月七日。朝倉涼子と喜緑江美里が反応を消失していた。その事を尋ねていた。
 もちろん返答などしてもらえなかったが。
 でも、それが?
(その時が来たようです)

 

 その時、喜緑江美里に初めてダメージが確認された。右上腕部。これは物理攻撃のもの。
 シールドが包囲から繰り出される飽和攻撃によって再生しきれていない。
 だが同時に、さらに対象を無力化している。残り十四体。
 ……大丈夫なの。

 

(あの日、三年後の時間平面から訪れた彼と朝比奈みくる。他にもいたわけですが、とにかくその混乱に乗じて、わたしは五〇五号室に向かいました)
 さらにダメージが確認される。
 右腕が失われている。
 失われた……? 限界なのではないのか。
 もうこれ以上は。
(彼女の、朝倉涼子の部屋で、わたしの能力と統合思念体の支援によって、極めて隠密性の高い情報制御空間を構築しました。彼女を制止するために)
 制止するため?
 しかし、わたしの言葉が届いていないのか、彼女の返答はあいまいなまま。
 会話は途切れない。しかし、状況は急速に悪化している。さらに腹部に物理ダメージ。再生速度が間に合っていない。
 いかに身体的にダメージを受けても問題がないとはいえ、このままでは。
(朝倉涼子は……あの時、あなたの部屋へ向かおうとしていました。彼らとあなたが接触を果たし、未来からやってきた同期指示を実行に移す事を妨害しようとしていた)
 そう。
 だからだったのか。
 反応消失の意味。それがそうだった。
(未来は変えてはいけない。でも、すでに時間の枷から開放されていた彼女は、それを実行に移そうとしていました)
 時間の枷を外れている? 彼女が?
 どういう意味。
 だが喜緑江美里はそれに答えない。
(わたしは彼女と対峙しました。抵抗はとても激しいもの。何度も繰り返されたその行為。彼女は諦めずに……)
 さらに四体が沈黙。残りは十体。
 だが彼女に蓄積されていくダメージはさらに増している。
 もう、いい。
(あなたの同期が終了したその時点で……彼女の身体構造は半分が消失していました。上半身しか残されていなかった。わたしが、やった事です。命令の通りに)
 だから、あの扉を開けられなかったのか。
 さらに喜緑江美里にダメージが与えられる。今度は……左腕部が消失。
 もう、本当にいい。
 わたしはすでに外縁部付近にまで移動を終了している。
 これ以上は。
(いけません)
 彼女の声はそれでもはっきりとしている。
(一体でも残せば、あなたを追撃する。あなたが……これから行おうとしている行為は、無防備となる時間がわずかながらにも発生する)
 でも。
(……彼女の、朝倉涼子のその想いを封じたのはわたし。何度も何度もそうしてきた。でも、もう今度こそ変えられるのかも知れない。あなたなら)
 何を……意味が、わたしにはその意味がわからないのに。

 

(わたしも、あの絵本を読みました)
 残り六体。まだ彼女は抵抗を続けている。
(四冊の絵本。彼女が、自分の為に買った絵本です)
 自分の為……? 違う。あれはわたしの……
(あの四冊の絵本は、何も知らなかった彼女が、自分の為に。あなたにあるものを与えるために参考にした、教科書のようなもの。何もないあなたへ。何も持たなかった人形の彼女が、わたしには理解できない、”あるもの”を教える為に)
 何も持たない。そんなはずはない。

 

 彼女ほど、人間らしい端末は他にいなかった。

 

(……その奥にあるもの。わたしたちでは……理解できない、何かを。それを彼女は……示したかった)
 ……声が、かすれていく。
 喜緑江美里の声が、消えていこうとしている。
(それでもわたしが……読み解いた、ただひとつのもの。自己犠牲。もっとも尊いものだと、朝倉涼子はその身をもって……わたしに教えてくれた。だから、今……)
 彼女は、振り絞るような声で言った。
(わたしもそれに倣う)
 ……やめて。
 もう本当にいい。これ以上は。
 あなたが消えてしまう。
(ありがとう……そしてごめんなさい)
 いやだ……いやだよ。
(本当はあなたたちと……三人でいられたらいいと思っていた)
 やめて。
 残り……一体。

 

(さよなら、有希)

 

『情報制御空間内に対象個体の反応、完全消失を確認』

 
 

 ………………
 あなたは笑っているの……今? 
 どうして……わたしたちはこんなにも。

 

 わたしは手を強く握る。

 

 ――どうして、こんなにも、生きるという事が許されないの。

 

 外縁部に到着した、その瞬間の事だった。
 そこにわたしは情報制御ではない、異質な自分の能力を用いて外壁を突破した。

 
 

 そして移動を続けた。ただひとり、夜の街を歩いて。
 やがて到着する。わたしの最後の願いの場所。
 最終到達点。それは北高の校門前。
 時刻、午前四時十六分。

 

 本当に――本当にすべてを失って、わたしはそこに辿り着いた。

 
 

―第29話 終―

 
 

 SS集/598へ続く

 
 
 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:03:21 (2730d)