作品

概要

作者仮帯
作品名朝倉涼子の再生
カテゴリー女子高生3人SS
保管日2007-03-13 (火) 08:36:26

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子登場
喜緑江美里登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

朝倉涼子の再生

 
 

「よし、こうしよう」

 

 俺は懸命にない頭から打開策を捻り出した。
 無論、目の前でテーブル挟んで正座している朝倉への対応についてだ。
 ところで、その前に、腕を組むのはいいんだが、何故、いちいち胸を寄せて上げるようにしているのか訊いていいか?

 

「喜緑さんが男の人と一緒のときは、こーゆー姿勢をするのが礼儀って教えてくれたんだけど……」

 

 俺の頭痛はますます悪化の一途を辿る。
 喜緑さん、貴女、間違った情報を与えています。っていうか、喜緑さん自身、そんな間違った知識を正しいものと思い込んでいたら大問題だ。まあ、そうでなかったら、喜緑さんは確信犯ということになるから、今後を憂う俺としては些か複雑な心境だ。長門まで毒されていなきゃいいが。

 

「まあ、嬉しがる男もいるが、真面目に他人の話を聞こうというときは、そんな風に腕を組むのは良くない」
「そうなの?」
「そうだ。男の俺が言っているんだから間違いない」

 

 細首を捻った朝倉に、俺はきっぱりと答えた。この件に関しては、女性の喜緑さんよりは男の俺の言い分のほうが説得力あるはずだ。

 

「うん、わかった」

 

 あっさり腕組みをやめた朝倉はとかく嬉しそうで、こいつの欺瞞なき素直さに俺は、長門が感情豊かだったらこんな風かもしれないなどと想像してみたりする。

 

「喜緑さんにも間違っていたって、後で教えてあげようっと」

 

 さっき俺に勉強を教えるようにと喜緑さんに言われたときといい、今の朝倉は教える立場というものに随分と憧れを持っているようだ。それだけ、喜緑さんと長門の教え方に好印象を抱いているってことだろうな。

 

「あとは、『同棲』と『人でなし』と――」
「ああ、わかった、わかった、皆まで言うな」

 

 やはり覚えていたか。話が逸れたまま、忘れてくれたら有難がったんだが。こっちとしては女性を前に言うのも憚られるくらいなんだし。

 

「朝倉、お前が意味を知りたいっていう3つの単語な」
「うんうん」

 

 更に、この朝倉の学習意欲に満ち満ちた瞳を前にすると、滅茶苦茶気が引ける。
 教えるにしたって、それほど前のめりになるほど重要な意味はないんだぞ。

 

「お前の講習で、俺の成績が上がったら報酬代わりに教えてやるってのでどうだ?」

 

 俺の申し出に、朝倉は肩透かしを食らったように目をぱちくりさせた。

 

「……そうなると、結果はいつ出るわけ?」
「そうだな、夏休み前あたりだから、7月半ばを過ぎた頃かな」

 

 朝倉は何ヶ月かかるか指折り数え始める。たかだか、あんな単語の意味を教えてもらうのに気が遠くなる話だろ。俺なんかに教えてもらうよか、辞書引いたほうが、格段に早いから、そうしろ。
 で、そうなりゃ、俺は朝倉にやれる報酬がなくなっちまう訳で、喜緑さん曰くギブアンドテイクの契約は不成立になるから、俺は朝倉から講習を受けることはできないイコールとっととこの部屋からお暇(いとま)しないといかん。うむ、我ながら見事な屁理屈だ。
 ……朝倉からの返事はすぐにはなかった。さすがに怒ったか?

 

「そうね……何も教えない内から、教えて欲しいなんて虫が良すぎたわ。うん、それでいいよっ」

 

 いいのかよっ!?

 

「そのほうが、こっちも目標できて張り合いがあるし」

 

 どうしたって張り合いが出て来るとは思えんぞ。俺の成績をどうにかしようなんざ、暖簾に腕押しもいいトコだ。

 

「あと4ヵ月もみっちり勉強すれば何とかなるよ」

 

 いや、イチから始めて9ヶ月で高校3年生の学力になれるお前らのレベルで判断せんでくれ。
 ってゆーか、4ヶ月って何だ? 春休み限定の話じゃなかったか。

 

「貴方が言い出したんじゃない? 結果が出るのは4ヶ月先だって、なら、それまで面倒見るのが責任ってものよね」

 

 どうやら俺はどでかい墓穴を掘ってしまったらしい。ここまで朝倉がアグレッシヴな奴だったとは……そーいや「やらずに後悔するよりやって後悔した方がいい」と他人にナイフ突きつけてぬかす超急進的行動派だったな、この女は。

 
 

 かくして、俺は朝倉から勉強を教えてもらうことに相成ったとはいえ、当然、呼び出されたときにはこんな羽目に陥るとは露にも思っていなかったから勉強道具なんぞ持って来ておらん。
 よって、今日はお開きにしよう。天気もいいし、昼下がりとはいえ陽はまだ高い。部屋に篭もりっきりなんて不健康だ。長門からの電話がなけりゃ、学校は当然、SOS団の召集もないのをいいことに惰眠を貪るつもりだった俺が言える科白じゃないが。

 

「うん、それ無理」

 

 朝倉はどこで聞いたか思い出したくもない科白パート2を、にこやかに言い放っていそいそとテーブルの上に、テキストを数冊及びノートやら鉛筆やらを並べた。どうやら、俺から見ると死角にあたるテーブル下に抜け目なくスタンバイされていたらしい。さすがに、何もないところから出せたりはしないか。

 

「私が高校1年の勉強を習うのに使ったヤツのお古で悪いけど、筆記用具もあるし」

 

 抵抗も徒労に終わったと悟り、俺はとりあえず鉛筆を手にとって勉強に精を出す――フリだけはすることにした。
 何が悲しゅうて、せっかくの春休みが始まったばかりだというのに真面目に勉強せんといかんほど、俺は前世で何をやらかしたのだろうと柄でもないことを考えて現実逃避しつつあったのは開始間もなくのときだけで。
 いざ始めると、テキストには、朝倉のものと思しき筆跡で細かくメモされていたり、蛍光ペンで線が引かれたりしていてわかりやすい。単に暗記すればいいというのではなく、いかに理解して体系づけていくかを重点に置いた朝倉の指導は、思いがけず興味深いものだった。テストに追われてというシチュエーションでもないから、変に強迫観念に迫られることなく、純粋に知識欲を満たすための好奇心で勉強に励めた。
 勉強というとマイナスのイメージがすっかり刷り込まれてしまった俺だが、知らないことを知る、わからないことがわかるというのは、実に楽しいことなのだと実感したね。

 

「甘いもの食べると、はかどるんだって」

 

 そう言ってキッチンから持って来てくれた朝倉が焼いたというクッキーもうまかったしな。
 何でも喜緑さんがしばしばお菓子作りを教えてくれるらしい。
 男が理想とする女子高生の健康的なプライベート的光景が脳裏に浮かんだ。長門も混じっていると、なおのこと微笑ましい。頭の片隅で本能が、長門なら大抵は家でも読書に勤しんでいそうだが、朝倉や喜緑さんは油断ならないと訴えているがな……確かに、朝倉あたりは裏で何食わぬ顔してナイフとか研いでいるやもしれん。

 

「何か見てられるとこそばゆいな」

 

 そんなことを俺が考えているとは知ってか知らずか、朝倉は照れ臭そうに言う。その手をしきりに細かく動かしながら。
 時刻は、早いもので夕方の5時を過ぎている。
 初日だし今日の勉強はこれでおしまいという朝倉宣言が出され、春休みぐらいのんびりさせたかった俺の脳味噌がすっかり疲労困憊なためテーブルに突っ伏していると、朝倉が片付けた勉強道具の代わりに林檎を用意して、皮剥きに挑戦し出した。
 朝倉の手の内で、くるくると回って林檎は、紅色の帯をほどかれる如く、蜜の詰まったきめ細かい肌を露わにしていく。

 

「器用に剥くもんだと思ってな。果物ナイフじゃないだろ、それ」

 

 明らかに大振りの刃は、果物以外を対象にしてそうだ。おまけに、そのナイフに俺は見覚えがあると来たもんだ。無意識に身をのけ反らせていたのも大目に見てくれ。

 

「手にしっくり来るから重宝してるの。喜緑さんが買って来てくれたんだけどね」

 

 ほほう、それはそれは。また、喜緑さんですか。こういう仕込みが好きな人なんだと、だんだんわかって来た。長門、たまには止めてやれ。
 皿に綺麗に8等分に切り分けられた林檎を前にして俺が乾いた微笑を浮かべていると、朝倉は、

 

「これでも食べて待ってて」

 

 と言って席を立った。

 

「待つって、もう今日は終わりなんだろ。切ってもらった林檎食ったら帰るぞ」

 

 俺は胡坐をかいたまま朝倉を見上げた。物騒なものを持ったままうろつかれると我が身が心配ということもある。

 

「疲れたでしょ?」
「まあな」
「だから、貴方、お風呂とごはん、どっちにする?」

 

 唐突に何だ、その新婚ほやほやの若妻みたいな科白は?

 

「キョン君は、お風呂とごはん、どっちにする?」

 

 やっぱり、お前も俺をそう呼ぶんだな。まあ、ここまで来ると、逆に、ほかの誰からも呼ばれていないのに朝倉だけから本名で呼ばれたほうがぞっとするに違いない。って、言い換えただけで回答になっとらん。

 

「疲れ取れるじゃない?」

 

 いや、確かに、疲労回復にはもってこいだがな。短絡的とゆーか。それに、俺の家は、風呂に入れなかったり夕飯なかったりするほど貧乏でも薄情者揃いでもないし。

 

「迷惑?」

 

 俺の困惑を察してか、朝倉は腰を屈めて俺の顔を覗き込んで来る。
 そんな切なそうな目をするなって。状況に流されちゃいかんぞ、俺。その刃先を俺に向けたりしていないとはいえ、その手にはナイフだって持ったままなんだ。長門の言っていることは信じているんだぞ、こいつは俺を殺そうとした女だけど、生まれ変わったんだって。でもな、だからこそ危ない感じがするんだよ。

 

「勉強を教えてもらって、こっちは充分有難いんだ。これ以上、世話になったら罰が当たっちまう」

 

 今の朝倉の好意を無下にするような科白を吐くことは、さすがに良心が痛むからな。でも、虚偽含有率は0%に近いはずだ。

 

「……何だか嬉しくて……」

 

 朝倉は俺から視線を外すと呟いた。

 

「私……これまで長門さんと喜緑さんのお世話になって来た……それに引け目感じているって訳じゃないけど、ふたりがしてくれたみたいに私も誰かのお世話ができて役に立てたら、自信が持てる気がしたの……」

 

 俄かに俺は朝比奈さんのことを思い出していた。彼女も自分の力不足に苦悩していたな。おそらく朝倉の悩みも、それと同種のものだろう。第一、朝倉は自覚がないにしろ、アイデンティティのバックボーンだったものを喪失しちまっているんだから尚更、己を心許なく感じているんじゃなかろうか。

 

「だから、今日貴方を紹介されて、世界が広くなった気がした、自分が立っていられる世界が広がった気がしたの。……それで、貴方がどう思うかも考えないで、嬉しくて張り切り過ぎちゃったかな……ごめんなさい」
「いや……朝倉のほうこそ迷惑じゃなけりゃ……風呂とメシ、どっちが早く用意できる?」

 

 俯きがちだった朝倉の顔が明るくなった。
 しょうがないだろ。長門の仲間を冷遇できるほど、俺はハルヒの横暴で神経すり減らしていても心までは病んじゃいないのさ。

 
 

 で、「夕食は腕によりをかけて作るからお風呂が先に準備できるわね」という朝倉の言葉に従い、俺は風呂に入っている。
 よくよく考えれば、ここに長門が住んでいるんだよな。
 当然、この浴室を長門が利用している訳で。
 朝倉の勝手を知っている様子といい物言いといい、朝倉も頻繁に長門の家に来ていることは想像に難くない。朝倉ひとりで喜緑さんが出歩かせるとは思えないから、喜緑さんも……。だとすると、あのふたりも、ここで風呂に入ったりしている可能性は大いにあるよな。
 そう思うと、せっかく湯に浸かっているのに気もそぞろだ。辺りを見回そうものなら見てはいけないものが目に入りそうな気がするんで、天井ばかりを見ている。ボディソープとシャンプーの置き場所は入る前に教えてもらったものの身体や髪を洗っていいかなんぞ悩むまでもない、もう少し湯船で身体があったまったら上がるとするか。
 心が定まると、身も心もゆったりして来た。さっきから見上げっぱなしの天井も無機質よりか、湯煙の効果もあって趣深く見え始める。

 

「ふうっ」

 

 思わず呼気が洩れた。俺は、予期せぬことで埋まってしまった今日一日のことは暫し忘れ、適度な温度に保たれた湯が張られた浴槽に身体を預けていた。
 そこへ、

 

「お湯加減どう?」

 

 脱衣所から朝倉が声をかけて来た。
 2枚折の扉に嵌められた曇りガラスが、ぼんやりと朝倉の輪郭を映し出す。
 俺は何だか畏まらざるを得ない心持ちになって上体を起こした。

 

「丁度いい湯加減だぞ。ホント、気を遣わなくていいからな」
「そう、じゃ、私も入ろうかな」

 

 は?

 

「お料理も準備できたし、今、じっくりことこと煮込んでいるから期待してて」

 

 いや、そういうことじゃない。すまん、さっき幻聴か聞き間違えか――。

 

「洗いっこしよ」

 

 まるで我が妹を彷彿とさせるような邪気の無さに、俺は再度耳を疑った。
 だが、曇りガラスに目を凝らすと、何やら肌色の部分が多くなって来たような――。

 

「いかん、朝倉、早まるな、今、俺上がるから、ちょっと待て」

 

 しかし、このまま上がったら、朝倉と鉢合わせしちまうぞ。
 ここは朝倉に脱衣所から退いてもらわねば。

 

「何わけのわからないこと言っているの? 独りでお風呂より楽しいじゃない。長門さんや喜緑さんと入ると私楽しいよ」

 

 別次元の話を引き合いに出すな。そりゃあ、うら若き乙女同士なら画にもなろう。だが、むさい男と入って楽しいことなんぞ何もないぞ、だから、思いとどまれ。
 俺の必死の説得が音声化されるよりも早く、無情にも扉は開かれた。
 そこには期待を裏切ることなく、一糸纏わぬ朝倉の裸体が――。

 

 ざぶーん。

 

 俺は急遽方向転換した上で、鼻先まで身体を湯に埋めた。ぶくぶくと蟹が泡吹いているみたいに、眼下から俺の荒げた息から転じたあぶくが続々浮かんでは消え浮かんでは消え……。

 

「どうしたの?」

 

 ごく一般的な浴室であるからして、扉の前にいる朝倉から背中を向けたとはいえ、朝倉はその気になれば、気軽に俺の肩越しに俺の顔を覗き込める位置にいる訳で。
 直に当たるっ、直にっむにむに弾力があるものがっふたつもっ。
 後頭部とかっ肩とかにっ。
 何がって言わずもがなだろうがっ。

 

「と、とにかくっ、離れろ、で、タオルで前を隠せっ、頼むからっ」
「どうして?」
「とりあえず今は頼むっ」

 

 不承不承した声が聞こえたが、朝倉がどんな顔をしているかまでは、わからん。
 何故なら、俺は目下、理性という武器を全力で揮い、目先の欲に囚われ誘惑に屈すまいと精神統一する勢いで、ぎゅっと目を瞑っているからだ。
 手で目隠しする程度じゃ指の合間から覗いてしまいそうで、理性と欲望がせめぎ合っている男の心情をわかって欲しい。
 長門、喜緑さん……今日だけは、ふたりを恨ませてもらっていいですか……? 勉強以前に大切なことを朝倉に教え損ねてます。

 
 

 大変だった。
 何が大変ってもう……お風呂とはくつろぐところなのに、何故に俺の脳味噌は今にも茹ろうとしているのかなと己が宿業を嘆くくらいだ。
 ああ、予想できていたさ。2回目の回れ右をする前に、深呼吸して冷静に努めようとした甲斐あって……。
 前を隠せって言ったところで、いい年齢した男女間の裸の付き合いに恥じらいを感じるという概念を学んでいない朝倉が、俺の意図を汲み取れないことくらいな。
 だから、確認したとも。

 

「厳密に言うと、でっかいタオルで、朝倉の胸部から大腿部を巻きつけるようにして隠してくれることが一番望ましいんだが、わかっているか?」
「そうなの?」

 

 案の定、わかっちゃいなかった。
 いっそのこと、何食わぬ顔で振り返ることができたらどんなに楽か。谷口あたりなら意に介したりしないんだろうが、俺はどちらかと言うと節度を弁えているつもりなんでな。
 ましてや俺を信頼して朝倉を任せた長門の気持ちを裏切る訳にはいかん。大体、朝倉は身体こそ立派に成長していたが、学校の授業を詰め込んだだけの子供も同然だ。そのように懇々と己に言い聞かせたら、余計な気も鎮まると……信じたい。

 

「でも、そんなタオル……バスタオルぐらいしかないし、濡らしちゃったら身体拭けなくなるじゃない?」

 

 言われてみれば、スパリゾートやら旅番組の現場なら別だが、普通の家に、そうしたタオルはそうそうないな。早速、つまずいてしまった。
 と思っていたら、

 

「こんなこともあろうかと用意しときました」

 

 のほほんとした声が突然風呂場に湧いて出た。
 喜緑さんっ!?
 思わず振り返りかけたが、ぎりぎりで自分が置かれている立場を思い出して、首の回転運動を90度手前で中止させることに成功した。視界の隅にだって、朝倉の裸身は入っていないぞ、そこんトコは是が非でも主張しておきたい。

 

「長門さんが任せるだけありますね、頑張るじゃありませんか」

 

 俺の背中に、いかにも優雅な笑みを含んだ声で語りかけて来る喜緑さん。楽しんでいるでしょう、貴女。

 

「生の男性の反応を朝倉さんに勉強させるいい機会だったものですから、貴方がどっちに転んでも」

 

 いざというときのために待機していたという訳ですか、お疲れ様です。若気に至りに走らなくてよかった、走っていたら、以前の朝倉が長門にしたみたいに串刺しになっていたかもしれん。
 ――などと安堵している場合じゃないだろ、俺。他人の人格を試すような仕打ちしてくれて何様のつもりですか、俺が喜緑さんに対し怒るのは至極真っ当なことなはずだ。

 

「朝倉、タオルでさっき言ったように隠したか?」

 

 怒るにしろ、面と向かい合ってでなきゃ格好がつかんよな。なのに、容易に振り返られないところがつらいところだな。

 

「うん、私は」

 

 この朝倉の素直な返答に、不意に俺の頭のなかで歯車が噛み合った気がした。

 

「あ、駄目ですよ、朝倉さん、『私は』は余計です」

 

 口を挟む喜緑さん。
 歯車が噛み合った俺の頭脳が導き出した予想どおりのようだ。俺は一応の確認を取る。

 

「喜緑さん、貴女もひょっとして……?」
「はい、すっぽんぽんですが、何か?」

 

 朗らかに言わないでくれますか。
 まさかと思いたかったが、俺は朝倉にしかタオルで身体隠せと言っていないからな、喜緑さんが俺の思考の盲点を突いて来るとしたら、こうした手段に出ると予測してしまった俺の直観は正しかった訳だ……テストのヤマは当たりゃしないのに、どうしてこうも的中しても虚しい気分になるときに限って外れないのかね。

 

「女としては、最上のもてなしのつもりですが……」

 

 それは否定しませんがね、え〜……喜緑さん、もっと自分を大切にしなきゃ駄目ですよ。
 こうしたひと悶着と言わず、ふた悶着も三悶着もあった末、喜緑さんにもその肢体を巻き込むようにタオルを装着してもらい、俺はようやく命からがら風呂場を脱出した。
 …………。
 ……以上で風呂場の回想も終了だ。
 俺は目下、長門とキッチンで鍋を見ている。
 ガスコンロで弱火にかけられた鍋の中身は、カレーである。調理の跡を見る限り、インスタントではないことは一目瞭然だ。さすが朝倉だと思ったが、俺の記憶に残っている朝倉とは別物と考えなくてはいけないんだったけ。面倒見のいいクラス委員長だったことや、俺を殺そうとしたことは、今、喜緑さんと入浴中の朝倉の記憶にはないということだったから。何か、それも淋しいもんだよな。
 夕食に喜緑さんや長門もきっちり招待する現在の朝倉が嫌だって言っている訳じゃないぞ。ナイフで人を刺す女より、ナイフで野菜の皮を剥く女のほうが、断然というか絶対いいに決まっている。俺だって、そうした男心の例外じゃないんだ。
 ところで、俺がどうしてわざわざ、風呂のことを回想したかというと、手持ち無沙汰というのもあるな、確かに。
 しかし、長門といること自体は、ちっとも苦じゃないんだ。
 長門の口数が極端に少ないのは今に始まったことではないし、長門との間に下りる静寂の時間というのは、いつもいつもハルヒが巻き起こす喧騒の渦中に身を置かざるを得ない俺としては心地良かったりするんだ。長門とぼーっとできるのは、何よりも平和な証だと思える俺がいるからさ。
 長門をじっと眺めながら暫しの安息を過ごすというのも悪くないが、それも何だかおかしいだろ?
 それで、今日の自分を振り返ってみたのだが。
 結論からして、何てゆーか、喜緑さんにいいように遊ばれたと思うしかないな……怒ろうにも喜緑さんの思惑どおりのような気がして怒れんかったし。
 最終的には風呂場から無事生還できたから良しとしよう。
 俺は風呂から出るに出られずのぼせるなってオチになるよりはマシだ。女性3人しかいない状況で、男の俺がそうなっちまったらと想像するだけで羞恥のあまりぞっとする。せっかく、あの場には長門がいなかったのに、長門を出張らせる羽目になっては、男の沽券に関わる問題にまで発展するに相違ない。

 

「なに?」

 

 よっぽど挙動不審だったのか、長門がコールタールみたいに黒々とした双眸を向けて来た。

 

「いや、俺の不甲斐無さを反省してた」
「………………そう」

 

 そっけないのは毎度のことととはいえ、沈黙がいやに長引いたせいか、特におざなりな返事のように聞こえるが。
 別に長門から咎められるような真似は、俺はしていないし、気のせいかな。風呂場でのあのふたりの姿を、しっかり網膜に焼き付けているとかなら、罰も甘んじて受けるが……長門からなら尚更な。
 眼下の鍋に視線を戻した長門に、俺は尋ねる。

 

「長門も戻って来ているなら、朝倉や喜緑さんを止めて欲しかったんだが」
「問題ないと判断した」
「問題なくはないだろ」

 

 憮然とした俺に、長門は小首を5度ほど傾げた。

 

「起こす気がないなら問題は起こらない、貴方も、喜緑江美里も」

 

 そりゃそうだが。ごく一般人の俺が罷り間違って朝倉に手を出したところで、見張っていたと思しき喜緑さんに太刀打ちできるはずないし、長門は正論言っているけどさ、釈然としないものがある。
 長門はポーカーフェイスを崩さずに、淡々とした仕種で、おたまでカレーのルゥを少量小皿に盛っている。味見のようだ。

 

「……おい、長門。さっきから数えて6度目なのは気のせいか?」

 

 何も調味料を加えようとしないから味が気に入らないって訳じゃなさそうだが。
 もしや、これは、味見と言わず、つまみ食いの部類に入るんじゃないのか。小皿にほんの少しずつだから、鍋の中身は見咎めるほど減っていないにしろ。

 

「涼宮ハルヒは、つまみ食いは料理の醍醐味と言っていた」

 

 朝倉には喜緑さん、長門にはハルヒか。
 俺は今までとは異なる意味合いで、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースの将来が心配になる。こんな調子で、余計な知識ばかり吹き込まれていったらどうなるんだ、想像したくないね、ハルヒひとりでも手に負えんのに。
 だが、長門は、小皿を俺の前に差し出した。

 

「俺もつまみ食いしろって?」
「味見」

 

 長門は平坦な声で告げた。
 そう言われたら拒む理由はないな。そもそも、鼻腔をくすぐる香りからして味も期待できそうだ。
 それで味見してみたら、やっぱりうまかった、うん。本格的な辛さがえも言われぬ味わいで、専門店のレベルだ。これなら、つまみ食いに走った長門の気持ちも納得だ。
 朝倉の手料理のうまさに瞠目している俺を尻目に、長門がふと口を開いた。

 

「私のカレーよりおいしい」

 

 同意を求めているのかな。
 うん、まあ何と言っていいか、否定はできないな。以前御馳走になった長門のカレーはレトルトだったし仕方ないとゆーか……けど、あれはあれでうまかったぞ。

 

「朝倉涼子は以前から料理をはじめとして家事一般をそつなくこなした」

 

 長門もそつなくこなすんだろうけど、長門と朝倉じゃニュアンスが変わって来るのは仕様か。まあ、個性があるのはいいことだよな。この長門でなきゃ、寡黙な万能文芸部員にしてSOS団の縁の下の力持ちという役どころは務まらないだろうよ。

 

「私に初心者向けの料理としてレトルトカレーの作り方を教えてくれたのも彼女……しかし、ちゃんとしたカレーの調理法は教わらずじまいだった……」

 

 長門は透明な眼差しを鍋のカレーに落とした。

 

「でも、これは喜緑江美里が今の朝倉涼子に教えたもの……何度試しても違う……」

 

 長門のつまみ食いの理由が、単なる食欲と思っていた不明を俺は恥じた。

 

「私によって『情報連結解除』される前の朝倉涼子が私に……」

 

 そこまで言いかけて長門は口をつぐんだ。

 

「どうした?」
「今更取り返しのつかないことを言った。忘れて……」
「長門……?」

 

 このとき俺には、長門の抑揚のない声と、感情を表に出さない相貌が、心許ないものに見えた。今までと価値観が逆転してしまったかのようだった。
 そんな俺の思考を遮るように風呂場から2枚折り扉の開閉する音が届く。
 どうやら朝倉と喜緑さんが上がったらしい。ふたりの快活な声も余計な反響を伴うことなく耳に入って来る。

 

「食事の準備をする。皿を人数分用意して欲しい」

 

 長門は何事もなかったように、いつものように不動の物腰で俺に指示を出す。
 だが、さっきの長門がいつになく感傷的に見えたことを俺は忘れない。傍から見れば、いつもの無感情と変わらなかっただろうが、俺には長門が昔を懐かしんでいるように見えたのだ。
 俺は確信を新たにする。
 やっぱり、あるんだろうな。以前の朝倉との“思い出”ってヤツが、長門に。
 だからこその割り切れなさも、多分俺以上にあるんだろう……。ハルヒの出鱈目パワーで生まれ変わっちまった、今の朝倉に対して……。

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:03:20 (3087d)