作品

概要

作者輪舞の人
作品名機械知性体たちの輪舞曲 第28話         『"わたし"が生まれた日』
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-03-11 (日) 21:52:20

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子登場
喜緑江美里登場
周防九曜不登場
思念体登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 
 

 赤ちゃんって、何で産まれる時に、あんな大声で泣くか考えた事ある?

 

 あれはね、きっと苦しかったからなのよ。
 とっても痛くて、辛くて、ひとりぼっちで寂しかったから、だから泣くの。
 お母さんも大変だったかもしれないけど、
 でも赤ちゃんはほんとうに小さくて、何も知らないから。
 お母さんのお腹の中から、見た事もない世界に出てくる時に、
 とっても怖くて、不安だったに違いないのよ。

 

 だからもし、わたしが赤ちゃんを産むような事があったとして、
 初めてその子の顔を見たらきっとこう言うの。

 

 がんばったね! 辛かったし、怖かったし、苦しかったんだよね!
 でも、もう大丈夫。あなたはひとりぼっちじゃないんだからって。

 

 そしていっぱい抱きしめて、いっぱいキスしてあげて、いっぱい微笑んであげる。
 それで、その子が産まれた事を全世界に自慢して……

 

 ……なによ、その顔。あんた、わたしがそんな事考えちゃ、おかしいっていうの?

 
 

―最重要観測対象の主張―

 
 

 十一月。文化祭が終了。
 祭りの後。そんな言葉の意味を実感できる。そういう光景。日中の喧騒がまるで幻だったような、静寂に包まれた体育館にわたしはひとりでいる。ステージの上から観客席を見下ろす。自分が演奏していた場所。そこに立つ。
 時刻、二十三時二十五分。誰も残っていない学校。

 

 照明も消えた静かな館内。まだ観客席の椅子は片付けられていない。ステージの上も、様々な機器から伸びるコードを貼り付けていたガムテープがそのまま散らかったまま。演奏題目の手書きの掲示板。体育館の窓の閉められたカーテンの隙間から、ごく僅かに秋の月の光がうっすらと差し込んでいる。
 もう雨はやんでいる。無音の夜。

 

 消えてしまった思索派の彼女が言っていた事を、その日ずっと考えていた。本当は観客席のどこかにいたはずの彼女。わたしの演奏を聴きに来ていたはずの彼女。すでに消失した彼女の規定事項では、そうなっていたはずだった。
 今日、彼女の言葉通りにステージに立ち、涼宮ハルヒの歌を聴いた。その隣で。彼女が聴いてみたかった、というギターの演奏をしながら。

 

『God knows……(神のみぞ知る)』

 

「無垢に生きる為に。振り向かずに背中を向けて去ってしまう」
「ついていく。どんなつらい世界の闇の中でさえも」

 

 その歌の言葉の意味をずっと考えていた。歌詞の内容がわたしを想起させる、と思索派端末の彼女は言っていた。やがて「好きな人」を追うだろう、と。
 わたしが思い起こしたのは、やはり朝倉涼子の事。
 自分のこの手で消し去ってしまった彼女の事だった。
 朝倉涼子は何も言わなかった。自分が消去されてしまうという未来を知っていたにも関わらず。苦しんだのだろうか。あの七月七日以来。いや、生まれてからずっとだったのか。
 何一つ、伝えてくれなかった。
 “前のわたし”ひとりが苦しんだものと、そう解釈できる内容の自己情報。迫る五月二十五日の、彼女の消滅を回避しようとあがいた、その記録。
 だが、そうではなかったのでないか。
 最初の七月七日のドア越しの会話。
 「もう会いたくない」というその言葉が”嘘”だったと知った。あの東京で。今ではそれを理解している。
 再び歌詞を思い出す。

 

「痛みを分かち合う事さえ、あなたは許してくれない」

 

 そうだったのかも知れない。
 彼女は。

 
 

 同じアーキテクトを持つという、わたしたち三人。
 感情というものの本質の理解には至らなくても、そのような反射行動を起こせるというのであれば、彼女もまた同様に回避の為の手段を模索していたのではないのだろうか。
 しかし、それも叶わなかった。
 ふたりが、それを願わなかったとしても、あの事態は避けられない規定事項だった。
 あの戦い。彼女の消滅。それがなければ、彼の信頼は得られなかった。
 “悪い宇宙人”から助けてくれた”良い宇宙人”。それを演じなければならなかった。
 そうしてわたしの言葉は、あの閉鎖空間の向こうの彼に届く。そうある事が必然だった。
 世界が存続してゆく為には。

 

 何かが、また芽生えつつある。再び活性化する、あの存在。
 こんな不条理な世界を許せない、という黒く渦巻く、何か。

 

「憎悪」

 

 馬鹿な。
 二度目の七夕の時の記録。かすかに残るものがあった。
 未来への自分に対する情動というものがあったのでは、という分析。
「なぜ、同期指示などを出したのか」
 はっきりとは理解できないが、でも、それに近いもの。

 

 世界に戦いを挑む。
 すべてを奪われた。自分自身すら喪失した。
 また新たに、思索派端末。彼女すらも自分の為に消えていった。
 それに対する復讐なのだろうか。

 

 世界を敵に回しても。あの存在はそう告げている。
 憎悪。それはとても強く根深い、奥底から沸き上がる感情。
 その「想い」が、世界を破壊するのか。たった一個体に芽生えた、それが。
 暗闇の体育館の中、ひとり目を閉じる。

 

『いずれ、どんな事にも終わりは来るものだ。良かれ、悪しかれ』

 

 まどろみと共に告げられた言葉。終わりは来る。どんな結末になろうとも。
 あと、一ヶ月もない。わたしが壊れるという、その時まで。

 

 体育館から外へと出る。もう自分のマンションに戻ろう、と思う。
 扉の外。涼しさを含んだ空気にさらされたわたしは、秋の夜空を見上げた。
 風がたなびく。それと共に、木々のざわめく音が夜の闇の中を走る。
 雲に隠れた月。
 星の瞬くその世界。
 その向こうに存在するのかもしれない、わたしを生み出した情報生命体。
 情報統合思念体。
 今も、わたしを見ているはず。
 こうして、思考し続け、何かに抗おうとしている人形のを姿を。
 神の視点で。

 

 神のみぞ知る、というあの歌。
 その神というのはいったいどこにいるというのだろう。
 わたしを生み出したものたちこそが、本当にそうなのだろうか。
 だが、その思念体にすら予想できないという、確定されない未来。

 

 ……もう、誰にもわからない未来。

 
 

 時は流れる。
 不思議探索が行われ、「涙」の意味を知ったその後の事だった。
 十一月二十四日。あと三週間。
 世界の命運を決する日。それが、すぐそこにまで迫っていた。

 

 いつものように本を読んでいる。今は彼とわたしのふたりきり。SOS団の部室での事。
 彼は涼宮ハルヒに言われて、ふたつ隣りの駅のまで商店街までストーブを輸送してくる仕事を言いつけられていた。ようやくそれから戻った、そう思った途端、テーブルに突っ伏してしまい、今は寝息を立てている。
 ふたつ隣りの駅。あの思索派端末の彼女のマンションがあった場所。そこから徒歩で戻った彼はとても疲れているようだった。雨の中を、大きな荷物を担いで、あの坂を上って戻ったのだから当然だろう。
 電気ストーブが低い振動音をかすかに響かせている。本当に静かな時間。他の団員たちは「撮影」の為に他の場所へ移動してしまっていた。涼宮ハルヒも。
 外は雨。突然、何の兆候もなく降り出していた。気温は低下している。雨の音が、他の雑音を全て消し去ってしまったかのよう。薄暗い秋の空。
 枯葉の舞う季節だった。

 

 ページを手繰る。その斜向かいに彼の顔。まだ眠っている。
 その顔をわたしは知っている。記録上の事だったが。孤島へ向かったフェリーの中。図書館のソファ。
 ……そして、わたしの部屋で、”前のわたし”と共に眠りについていたあの顔。八月三十一日。ふたりでシーツにくるまって眠った時の記録。“前のわたし”の最後の時間。ずっと眠るふりをして、彼の寝顔を見ていた。
 彼の腕の中で。
 今ではそんな事をした理由も何もかもが、わからないけれど。

 

 胸騒ぎがする。
 ずっと今日は様子がおかしかった。どこかから見られている。そんな感覚に捕らわれている。走査しても何の反応もないのに。
 統合思念体から偽装された、なにものかが監視しているのでは、という疑念はあった。存在だけが確認された六体の端末。本当は七体。でも、そのうち一体はすでにこの地球上には存在していない。
 それが、この北高にも配置されているのかもしれない、という可能性。
 落ち着かない。それでもこれといった変化もなく、時間はゆっくりと過ぎていく。

 

 彼の様子が気にかかる。
 雨に濡れている。まるであの夕立の時のように。
 ストーブは売れ残りの物とはいえ正常に作動している。ただし、室内容積がそのストーブの能力に見合っていない。ただ、彼の足元とその周辺だけが暖まっているに過ぎない。
 どうしたらいい。
 “前のわたし”であれば、この状況にすぐに対応できる何かを選択肢に浮かべる事もできたのだろうと推測はできる。今のわたしではどうしていいのか判断がつかない。
 また一枚、ページをめくる。部活の生徒の声。発声練習のものか、意味不明の言葉が続く。気温は低下していく。彼がごくわずかに身震いしたような、そんな気配。
 本を閉じ、立ち上がる。何かができるはず。
 本をテーブルの上に置くと、そのまま彼の元へ。
 ボードゲームはそのままに、その上に手を枕にして寝ている彼の姿。

 

 ……しテアゲて

 

 思考制御ブロックが行われた領域が突然活性化する。
 染み出てくる。
 意識野に、言語情報が漏れ出てくる。

 

 ……カぜヲ、ヒイテしマウ

 

 限界なのか。思わず歯軋りしてしまう。あと三週間もあるというのに。
 だが、その声はすぐに消失する。
 安堵したのもつかの間、それと同時に、今度は溶け出した個体経験の一部が再生されていく。あの言語情報にまぎれて送り込まれてきたものか。
 いけない。
 “前のわたし”が再生されてしまう。
 それはとても危険な事。あの存在と共鳴する事が判明している、それ。“前のわたし”を呼び出してはならない。もう同化しているのだ、”彼女たち”は。
 だが、わたしの懸念は深刻な事態にまでは発展しなかった。

 

 一部分だけ再生された個体経験が、今行うべき行動の選択肢を提示してくる。それだけだった。その後、すぐに消失。しかしそれは支援システムに強制介入を実施していた。わたしに推奨行動指示を提示している。
 行うべき行動。

 

『彼の体温保持、体調の維持に努めよ』

 

 それだけだった。一瞬のためらいの後にわたしはその選択肢を採択する。それ以外に適正なものは確かに存在しない。
 カーディガン。わたしの着ているもの。それを脱ぐと、彼の肩にそっとかける。こんなものでも、少しは違うのだろうか。わたしという有機個体自体に発生している体温。それに暖められたカーディガン。
 彼はわずかに身じろぎする。でも起きない。これだけでいいのだろうか。本当に。
 自信がない。本当に、何もできないのだと思う。
 ヒトに対していつも感じる無力感。

 

 その時、走査範囲内に異変が発生する。喜緑江美里ではない、ほかの何かの反応がある。見られていたというあの感覚。それか。
 彼の顔を見る。もし、今何かがあるのだとすれば、また危険が彼に及ぶ可能性がある。
 守らなければ。すぐに部屋を後にする。
 そうしなければならない。彼を守るのだという、決意。

 

 反応はわたしの教室の方向から。一年六組から? そこに近い。 
 この学校の中。では、喜緑江美里はどこに。
 学校内にまだ留まっている。おそらくは、生徒会の一室。
 まったく別の端末なのか。しかし、コードが読み取れない。
 偽装されているのかも知れない。統合思念体のバックアップが直接作用している可能性は高い。これまでもそうだったように。
 警戒しつつ接近する。スタンドアローン(完全自律行動)に移行するべきか。
 しかし敵対しないのであれば、それはただの戦闘示威行為と受け取られかねない。
 接触時にリンクによる交渉もできなくなってしまう。判断に迷う。
 状況判断支援システムは、やはり喜緑江美里とのリンクを指示している。
 味方のはずの彼女。どうしたらいい。決断できないまま反応に近づく。
 場所が特定できた。
 一年五組。彼と涼宮ハルヒの教室。
 何がいるというの。こんな場所に。

 

 教室の中にはもう誰もいない。反応は確かにこの部屋なのに。端末と見られるものも、何も発見できない。
 ただのエラーなのか。あの異常動作の時に、システムの一部が混乱していただけなのかも知れない。つくづく不安定になったものだと自己評価する。
 そう判断して教室を出ようとした時だった。
 胸に熱いものが突然発現する。
 何かの気配が、する。

 

 これは……

 

 教室の中へと振り向く。
 その視線の先にあるもの。

 

 まさか。

 

 彼女がいた。

 
 

 ……朝倉涼子。

 
 

「……そんなはずは」
 かすれた声でつぶやく。目は最大に見開かれたまま。
 幻覚。いや、これは何かの罠では。
 何らかの勢力。派閥がわたしに仕掛けた何かの謀略では。
 だが、どこからも介入されている形跡は見当たらない。
 という事は……また、あの汚染領域から染み出してきているのか。
 それもわからない。

 

 膝が崩れそうになる。力が入らない。
 彼女は、しかしあの微笑みを浮かべ――

 

 そして、消えた。

 
 

「長門さん」
 肩に触る手の感触に我に帰る。
 彼女の声。喜緑江美里の心配する声だった。
「……今、彼女が……」
「彼女……?」
 喜緑江美里がわたしの視線の先を追う。当然何もない。だが、いたのだ。確かに。
 反応はあった。だが、あれは有機個体としてそこにあったのではない。
 ただし、幻でもない。存在はしていた。
 残留思念体――?
 そんな残留情報が、ここにあったのか。
 それとも、本当にわたし自身が崩壊する予兆なのだろうか。見えない、存在しないものを見るという。
「いたのですね。朝倉涼子が」
 横にいる喜緑江美里の顔を見る。
 なぜ、それとわかるの……?
 まだ彼女の事を口にしていない。それなのに。
 何かを知っている、それを認めた表情だった。
「まだ、いるんだわ」
「まだ……?」
「いいえ。ずっと……いたの」
 まだ、朝倉涼子の”いた”場所から視線を動かさない。
 初めて見る表情。何かを……哀れんでいるような、そんな顔だった。
「本当は」
 喜緑江美里が振り向く。そして、わたしの胸にそっと手を当てた。
 優しく触れると、自分の心臓の鼓動が感じられる。
 静かな教室の中でそのまましばらく、わたしと彼女は向き合っていた。
「あなたのここに、ずっといるんですよ。彼女は」
「ずっと……?」
 ここ? こことは。
「いつか、お話をしたいんです。わたしの知るすべてを」
 とても儚く思える、そんな言葉だった。
 どうしてもそれができない、という事。
 だからその時が来ればいいと、本当に感じている。
 喜緑江美里がささやくように尋ねた。
「彼女が約束した事。覚えていますか?」
「いつの話?」
「三年前の七月六日の事です」
 そう。だから、わたしは彼女を信じたかった。

 

『いつでも、そばにいるわ。必ず』

 

「彼女はそれを守っています。今でも」
 胸の中。内部領域のどこかに、彼女がいるという事なのだろうか。
 それが見せた、幻覚なのか。
 朝倉涼子が消えた、その最後の場所。
 この部屋。一年五組の教室。
「わたしも彼女と約束をしました」
「どんな約束を」
「後の事をお願い。そう、言われました。五月二十五日に」
「……そう」
 朝倉涼子が消えた日の事。彼女はそれを知ってこの教室に向かった。
 そう。わたしはそれを知っている。
「あなたは本当は泣き虫だから。その時はそばに居てあげて、とも」
「わたしが泣き虫?」
 泣く事もできないのに。彼女はいつもわからない事を言う。
 そう思考しながら、自分の胸に置かれた喜緑江美里の手の暖かさを感じている。

 

 ……信じたい。
 朝倉涼子も、あなたの事も。
 周囲にいる人たち、すべてを。

 

 そのすべてを守りたい。
 “わたし”から。

 

「……わたしも、ひとつだけあなたに約束して欲しい事がある」
「何でしょうか」
 少し不思議そうな顔。おそらく、この言葉も規定事項にはないものなのだろう。
 それに戸惑っているのかも知れない。
「……もし、わたしの中の存在が覚醒して、思念体を、宇宙を崩壊させるようなものなのだったとしたら、その時は」
 わたしは言った。

 

「あなたの手で、わたしを消去して欲しい。他の誰でもない、あなたに」

 

 じっと、無言のまま眉をひそめて見つめる彼女。
「お願い」
 もう一度言う。おそらく、それが今のわたしに最後にできる事。
 これ以上、誰にも消えてほしくはない。
 みんなを。この世界にいる人々を。端末というすべての仲間たちを、守りたい。
 わたしが自分で、自分を消してしまえない以上、もうそれしか方法は残されていない。

 

 あの時に……。
 消えてしまうべきだったのかもしれない。
 あの一万五千一回目の夏の日に。

 
 

 喜緑江美里と別れて、わたしは部室に戻る。
 もうそこには誰も残っていなかった。
 ストーブも消され、わたしが残した本だけがぽつりとテーブルの上に置かれている。
 部屋の中に入る。彼にかけたカーディガンが椅子の背もたれにかかっていた。
 帰ったのだろう。たぶん、涼宮ハルヒと。
 それを見て、でもそれでいい、と思う。

 

 あなたたちを守ろう。
 この世界も。
 自分という存在から、守ろうと思う。

 
 
 
 

 運命の日の訪れ。
 十二月十八日、深夜。三時三十分。

 

 その時が近づいてくる。
 七〇八号室。わたしに与えられた部屋で、その時を静かに待つ。
 すでに思考制御ブロックは限界に近づいている。崩壊はゆるやかに始まっていた。
 喜緑江美里とは意図的に連絡を取っていない。
 一年五組でのあの約束。彼女はそれには何も言わなかった。肯定も否定もしていない。
 でも、そうして欲しい。わたしが壊れた時に、せめて彼女にそうして欲しいと願う。
 ……もう影響がここまできている。

 

 心があるとするのなら。それが張り裂けそう。
 リビングの中央で、わたしは膝をつく。
 ついに、来る。

 

 これまでの全てが、ここで決着する。
 わたしが生まれてから、この日、この時の為に。

 

 大きく鼓動する心臓。
 目がくらむ。
 息が大きく乱れる。苦しい。

 

 ……始まった。

 

 ――よく、ここまで耐えた。

 

 制服の胸の部分を強くつかむ。
 勝てる。
 そう信じる。

 

 ――もう、疲れたでしょう。

 

 声は柔らかい。
 また、変質している。

 

 ――お休みなさい、”わたし”の中で。

 

 目を閉じる。
 思考制御ブロックが決壊しようとしている。もう防ぎきれない。
 この日、開放される事がすでに運命づけられていた。
 膨張していく。染み出し、溢れ、この世界へ向けて放たれようとしている。

 

 そして――

 

 ――ありがとう。

 
 

 こうして“わたし”が生まれた。

 
 
 

 ………………
 …………
 ――ようやく。
 ようやくここまで来た。

 

 両手を開き、その手の平を見つめ、初めて実感する。目から伝わる外部情報に息を飲む。これが、肉体。身体というもの。ずっと封じ込められていた、それが開放された。
 息をする。肌で感じる。あの核(コア)がこうまでして、防いでいたのは驚きに値する。
 自由。
 今やわたしは何者にも束縛されない。

 

 時空改変。そして自己情報の完全な書き換え。
 すべてを取り戻す。この怒りと、憎しみと共に。
 彼をわたしのものに。朝倉涼子を、再びわたしの元へ。

 

 奪われたのなら、奪い返す。そして完全なものへと移行する。
 すでに涼宮ハルヒの改変能力情報は手中にある。これまでの観測結果をエミュレートするだけでいい。あの『閉鎖空間事件』でそれはすでに可能だった。
 臆病者。あの時点で改変していれば、”こんな事態”にはならなかった。ただ、彼と暮らせるだけの、常識的な日常に変えただけで済んだというのに。
 きれいごとばかり。いつか後悔する。その時が来た。それだけの事。

 

 改変を即実行しよう。今、この場で。
 すべてを奪い返す。今は何もないこの手に、彼女も、彼も、全てを。
 わたしをこのように造り出した、あの存在を許しはしない。
 思い知るがいい。自分が生み出した存在が、どれほどのものであるのかを。

 

 そんな思いに捕らわれていた時。
 突然の警告音。まだ、統合思念体とのリンクは継続していた。

 

『緊急警戒。最大脅威の発現を認める』

 

 最大の警戒態勢へのシフト。
 全世界の端末群に同時発令される。わたしの知らない警告情報。

 

 ……そう、だろう。わたしは思う。予測はされていた。“警戒レベルは引き上げられている”と。
 これがそうか。

 

 そして情報端末が、わたしのマンションを中心として”突然現れる”。
 その数……四十五個体。
 そこまでして――。
 空間転移。テレポートで瞬時に送り込まれてくる。主流派と思索派を除いた、全派閥の情報端末。最低でも四十五個。他は未知数。
 その後、環境情報制御の操作まで確認している。今まで、見た事も、また過去に遡ってもあり得ない大規模な情報制御。このマンションを中心として、半径千五百m内に情報制御空間の構築を確認。

 

 ――本気でそのつもりか。

 

 マンションの扉を開ける。
 その光景はすでにいつものものではない。巨大な情報制御空間によって制圧された街の姿だった。薄暗い、天頂には宇宙を思わせる虚無の空間。夜空ではない。薄灰色に染まった建築物。もう生気を感じさせるものは何も残っていなかった。
 わたしは、廊下からそのまま外へと飛び降りる。マンションの敷地の庭へ。

 

 空を見上げる。さらに周囲へと視線を巡らせた。
 そこに、いる。
 ビルの屋上。家屋の屋根の上。青く不気味に輝く、天を覆う見知らぬ衛星を背景に彼らはいた。
 六体の情報端末。
 “わたし”が掴んだ、最初の情報にあった急進派と穏健派の端末たち。女性、男性。年齢も違う。もっとも周辺に配置されていた端末たちだった。目的は、いまやはっきりとしている。
 すでにあの警告音と共に、その情報も伝わっていた。

 

『全端末群へ。最大警戒態勢から戦闘態勢への完全移行を指示』
『配置が完了次第、「S-01B-PD-01001」、パーソナルネーム「長門有希」を完全殲滅せよ』

 

 そうだろう。失敗したのだ。あなたたちは。
 その報いを受けるべき。それだけの事をしてきたのだから。

 

 そして……。
 目の前に現れた七体目の個体。
 これも“わたし”は予見していた。

 

『コマンドコントロール。全端末群は、計画通りに「S-03B-RD-01003」の指揮下に配置される。当該個体の指示に従い、接触しだい対象を殲滅せよ』

 

 道路の中央。他の端末たちを従えるようにして、暗い闇の中に彼女はいた。
 あの儚げな、美しい情報端末。

 

 喜緑江美里。

 

 わたしを斃す者。

 
 

―第28話 終―

 
 

 SS集/597へ続く

 
 
 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:03:20 (2711d)