作品

概要

作者江戸小僧
作品名夫婦茶碗 − 明日を捜せ −
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-03-05 (月) 23:02:45

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹登場
ハルヒ登場
みくる登場
古泉一樹登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場
 

SS

 

 <承前>
 暫しの親の不在を喜ぶ俺を待っていたのは長門からの警告だった。
「あなたに危険が迫る可能性がある」
 長門が我が家に居を移してまで俺と妹を守ってくれることになった。初めは戸惑うこともあったが、俺達はお互いに慣れていった。
 こんな日が続けば良いと、俺はつい思ってた。
 俺は甘かった。世界は、甘く見た途端に牙を剥くものだ。

 
 
 

 金曜日の部室。そこは、初めはいつもの部室だった。
 俺が甘露のようなお茶を味わう至福の時を、ハルヒの声が遮った。
「キョン、あんた太ったんじゃない?」
 何言ってる。お前みたいにしょっちゅう他人の金でたらふく食ってる奴とは違うぞ。
「絶対に太った。ちょっと上着脱ぎなさい」
 な、なにしやがる。コラ。
 しかし、ハルヒは俺の正当な抗議を無視して俺のブレザーを脱がしやがった。
「ほーら、やっぱり太った」
 バカ言え。なんでそんなことがシャツ越しに一目でわかるんだ。
「いいわよ。そこまで言うんなら、ちゃんと測ってやるわよ。全部脱ぎなさい」
 待て、おい! 人前で脱げるか。
「プールや海じゃ平気で見せてたでしょ」
 いつもの事ながら世間一般常識に則った俺の意見は聞き届けられず、傍若無人娘は俺のネクタイ、シャツとTシャツを乱暴に剥ぎ取った。思わず体を隠そうとする俺は朝比奈さんの気持ちをほんのちょっとだが理解できた気がする。
 おい古泉、もっと離れろ。目つきが危ないぞ。朝比奈さん、お願いですから指の間から覗くなんて古典的な真似は止めてください。長門、そんなに真っ直ぐ見られるとすっごく恥ずかしいんだぞ。
「ふーん。こうしてじっくり見ると、なんか情けない体つきね」
 なんだよ、それ。筋肉ムキムキって訳じゃないが、別に普通だろうが。
「男なら腹筋が割れる位でなきゃダメでしょ」
 知るか。そんなのがタイプなら、いつでも岡部を紹介してやるぜ。
「バカ言ってないで。ほら、筋肉に力入れてみなさい」
 なんだ、そりゃ。
「い・い・か・ら!」
 まさかデッサンのモデルにするなんて言い出さねえだろうな。
「キョン君、筋肉あるんですね」
「ふふふ、少々意外ですね。家でこっそり鍛えてるんですか?」
 全く。そうやってみんなでジロジロ見てたんじゃこっちは恥ずかしくてしょうがないぜ。
「ほら、今度は背筋伸ばして」
 何なんだよ、一体。
「ウエスト測るのに、腰かがめたら意味ないでしょ」
 ハルヒはそう言うと、いつのまに取り出したのかメジャーらしきものを手に持って俺の腰にひんやりするものを巻きつけた。じかに晒されている俺の胸にハルヒの前髪が当たるのがくすぐったい。
 思わず息を止めていた俺から、やっとハルヒの体温が遠のいた。
「あんた、去年の測定でウエストいくつだった?」
 いくつだっていいだろ。俺にも少しはプライベートなものを残す権……わ、わかった、それ以上首を絞めるな。
「ほら、2cmも太ってる。これは由々しき事だわ」
 お前、思い切り弛ませて測ってなかったか。
「生活習慣病の予防はウエストサイズから。よし、決まり。明日は徹底的にエクササイズよ」
「それなら、僕の知り合いに……」
「じゃ、そこに決まりね」
 北高1の暴君女子高校生は目を輝かせて宣言した。
 明日は疲れる日に確定か。じゃ、せいぜい今日はそれに備えてゆっくり休もう。
 恥ずかしさでくたびれた体を引き摺って家に帰ると、夕食はハヤシライスだった。
「金曜はカレーの日だよね、有希ちゃん」
 妹よ、卒業までにはカレーとハヤシライスとビーフストロガノフの違いを覚えろよ。恥ずかしいからな。
 それにしても、今夜も長門の食事のペースが心なしか遅い。
「なに?」
「ん、いや。なんでもない」
「そう」
 いつものように順番に風呂に入り、明日に備えて布団に潜り込む。
 電気を消した後、ベッドの中で長門が動く気配がする。長門、寝付けないのか。なんか珍しいんだが、やはり何かあったのか。
 そんな事を思いながら、俺はいつしか寝てしまっていた。
 翌朝、やはり長門はもう出掛けていた。俺は今日のハードスケジュールに備えて飯を詰め込む。
「キョン君、あたしはもう出掛けるね」
 食事の前にはちゃんと手を洗うんだぞ。それと、ミヨキチのお母さんが作ってくれたものを残すなよ。
「ぶー、わかってるよ。キョン君ったら、最近お父さんみたい」
 なんか最後のフレーズが気になるんだが、まあいい。
 早くも昼寝を決め込むシャミセンに留守番を任せ、俺も家を出る。いつもの如く、時間前に着いたのに俺が最後だった。
「さ、いくわよ! 今日はたっぷり運動してたっぷり栄養補給しましょ」
 なんだ、こいつ。いつにも増して俺の財布を空にする気満々じゃねえか。
 私鉄に乗って暫くして着いた、先週も来た駅のすぐ前に聳えるビルの1つ。その中に、古泉の紹介という実に怪しげな(判定者、俺)スポーツジムはあった。
「ふーん。思ったより立派じゃない。拷問道具がないのはガッカリだけど」
 ドレスルームで着替えてきたハルヒは腕組みをして辺りを睥睨しながら言い放つ。周りの人たちが体を動かす事に熱中してて良かった。
「さ、キョン。あんたには特別メニューよ」
 水槽の中で泳ぐ金魚を見つめる猫のような顔でハルヒが宣言した。どうやら今日は逃げられそうもない。
「で、まずはどれをやりゃいいんだ?」
「そうねー」
 なんだ、考えてなかったのかよ。
「ええい、うるさ――」
「初めはこれを推奨する」
 お、サンキュ。長門。
 早速、エアロバイクに跨る。いつもやってることのような気もするが、こういう奴から入った方が体もほぐれるだろう。
 と、隣に見慣れた影。
「やるならもっと抵抗上げなさいよ。こんなもん、慣れてるでしょ」
 ちゃんと説明読んでるか? 心拍数が一定になるのが大事なんだぞ。
「こんなの、とにかく漕げばいいのよ」
 言うなり、ハルヒは競輪選手みたいにメチャクチャ漕ぎ出した。あーあ、そんなにぶん回してたらすぐにトレーナーから苦情が来るぞ。
 どうせ組織がどうとかいうオチがあるんだろう。ハルヒは傍若無人にジムの器具をメチャクチャな使い方でやり通したが、誰も文句を言わなかった。勿論、メチャクチャなトレーニングを強要された俺は文句を言い続けたが、ハルヒはその度に実に嬉しそうな笑顔で俺の腹の肉を摘みやがった。くそっ、いつかセクハラで訴えてやる。
 そんな訳で、俺は数時間で音を上げていた。あいつらはまだあがらないのか。とっくに昼飯タイムを過ぎてるんだぞ。
「キョン君、大丈夫ですか?」
 マイスイートエンジェルが恐れ多くも俺に声を掛けてくださる。シャワーを浴びた後のちょっと濡れた髪が輝き、本当の天使のように見せている。
 ええ、大丈夫ですとも。こんなあなたを見られただけで俺は10年分幸せです。惜しむらくは、これ以上あなたがトレーニングマシン相手に悪戦苦闘する素晴らしいシーンをじっくり見れそうにありませんが。
「かなりお疲れのようですね。午後は皆でスカッシュでもするのは如何ですか?」
 古泉、たまにはいいアイデアを出すじゃないか。5人のローテーションなら休憩する時間も取れるな。ただ、俺はスカッシュのルールを知らないんだが。
 そんな事をぼそぼそ喋っていると、
「すっかりお腹空いちゃった、お昼にしましょ。ね、有希、何食べたい?」
 こちらも髪が輝く、見た目は天使、中身は悪魔のハリキリ娘が相変わらず疲れ知らずの長門を引き連れてきた。
「イタ飯」
「へー、珍しいわね、有希がそんなにハッキリ言うなんて。じゃ、どうせキョンの驕りだし美味しそうなお店探して――」
「私が知っている」
 2足歩行をするレッサーパンダの実物を見るような目をする3人と俺を連れて長門が向かったのは、あの財布にやさしい店だった。
「へー。有希、こんなお店知ってるんだ。誰と来るの?」
「……」
 話を振っておいてすぐに忘れる元気娘はそのまま店に突入したが、無料スマイル男は長門の視線を追って何か言いたげな表情で俺に気味の悪いアイコンタクトをしやがる。
 お前は余計な詮索なんてしなくていいんだ。ハルヒのご機嫌伺ってろ。
「勿論、それが僕の仕事ですから。しかし、仲間の事も大いに気になります」
 じゃ、俺の財布の事も少しは気にしてくれ。このままじゃ明日の昼飯代がなくなっちまうぜ。
「かなり倹約していると見ていましたが、違いましたか?」
 ……こいつ、どうやって我が家の家計を突き止めてんだ。親から預かった金を適切かつ有効に消費しているのは俺の才覚だ。だから余剰金は俺のものだ。
「そして涼宮さんが心身共に満足する。僕にも異論はありません」
 くそっ。いつかお前の財布の中身を存分に使ってやる。
「あー、ここの料理は味が単純で65点ってとこね」
 いくらファミレスみたいなものだとはいえ、随分失礼な事を言いながらハルヒは熱さを感じない如き食べっぷりでテーブルの上を消化していった。
「ね、みんな十分に運動した?」
「あ、あの。できれば私は午後は見学してたいです」
「おかげさまで、久しぶりに全身の筋肉を使いました」
 ハルヒは厨房のコンロのような炎を目から吹き上げた。
「そう。じゃ、これで今日は終了よ。ただし――」
 フレアが俺に向かう。
「キョン、あんたは居残り。補習」
 なんだそりゃ? お前はどこの熱血教師だ。言っておくが、俺は人という字の語源に興味はないぞ。
「うるさい! 居残りって言ったら居残りよ」
 コイツが一度言い出した事を撤回することは、滅多にない。結局皆と別れて、俺1人ハルヒに連行されて喫茶店に入った。
 で、補習ってのは何だ。まさか試験勉強とか言わないだろうな。
「そんなこと、言わないわよ。……妹ちゃんは、どう?」
 なんだ? どうって、今日もミヨキチん家に遊びに行ってるぞ。
「で、うまくやってるの?」
 あ? 別に妹と喧嘩なんかしてねえぞ。
「そうじゃなくて! あ、あんたの両親と妹ちゃんは仲良しなの?」
 ああ。なんたってまだ反抗期は当分来そうにないしな。
「そ」
 最近、やけに妹を気にするな。そんなに会いたいのか。
 ハルヒは目を見開いて指を俺に突きつけた。
「もう! あんたはそんなことよりもさっさと両親と仲直りしなさい。いいわね」
 そりゃ余計なお世話だ――とは言えなかった。あいつの瞳は、子供を初めてのおつかいに出す母親のそれみたいに弱々しかった。何かを期待し、同時にとてつもないことが起こらないかと心配する瞳。
「ああ。努力しよう」
 そうか、マジで心配してたのか。悪いな、ハルヒ。だが、来週にはもう大丈夫だ。
「もし来週になっても仲直りしてないなんて言ったら、絶対許さ……1ヵ月部室掃除当番だから」
 何故かハルヒは頬を紅くしてそう言うと、今度はしかめっ面で目の前の紅茶をがぶ飲みした。
 なんだろうね、一体。この季節はおかしくなる奴が増えるというが、こいつの母性本能をくすぐる電波でも出てるのか。
 その後、ハルヒは用があるといってレシートを残してさっさと消えていった。ま、支払いがこっちに来るのはいつものことだ。
 この日は長門の希望で3人でスーパーに買物へ。妹は長門の手を引っ張って懸命にお菓子コーナーに誘導しようとする。妹よ、財布は俺の手にあるって事を忘れるなよ。
 ところで長門。今夜は何にする?
「あなたの食べたいもの」
 うーん。皆で食べる食事って美味しいもんだろ。だから、何でもいいぜ。
「食べたいものは?」
 黒曜石の輝きが俺を射抜く。何か言わないといけないようだな。
「じゃ、ハンバーグはどうだ」
「わーい! ハンバーグ」
 ハンバーグはオフクロに言わせると空気を抜くのがポイントだそうだから、皆で一緒に作ろうぜ。
 俺は肉売り場の棚に置いてあった、ハンバーグのレシピを手に取る。全くスーパーってのはこういうところが便利にできてる。なになに、つなぎなんているのか。こりゃ、危なかったな。
 家に帰ると、早速3人でキッチンに立った。長門の包丁さばきは惚れ惚れするほどだ。すぐにタマネギが細かく切り刻まれる。
 よし、良く材料を混ぜたら、こうやって両手でペッタンだ。
「わーい。ペッタン、ペッタン」
「……ペッタン」
 こうやって空気を抜くんだ。いや、別に真空にしろって意味じゃないぞ、長門。
 ハンバーグを焼く間にソースも作る。ウスターソースとトマトケチャップを混ぜるのはきっとどこでもやっていることだろうが、我が家では何故かここに醤油を少し垂らす。理由は――帰ってきたら、オフクロに聞いてみよう。
 食卓をいつもの3人で囲む。長門が買ってくれた茶碗で食べるからか、ご飯もひどく美味しい。
「キョン君、今日は何してたの?」
 いつもと同じだ。ボスキャラに挑んで負けたレベル不足の勇者みたいなもんだな。
「有希ちゃんはー?」
「一緒にスポーツジムで運動」
「面白かった?」
「……ユニーク」
「ふーん。ジャングルジムより面白いの?」
 ああ、妹よ。中学入学までにはお前の言う『都会』を一通り教えてやるからな。
 この日、長門と妹の風呂はいつもより長かった。ま、いろいろ話し合ってたんだろ。しかも、その後妹の部屋でずっと何かやってる様子だ。
 寝る前の一時をくつろいでいる俺の部屋のドアがノックされた。
「どうした、長門」
 妹は未だにノックをしないからな。
 部屋に入った長門は闇夜のような瞳を俺に向けた。宇宙空間のような絶対零度の視線は、どこか寂しげであった。
「私がここにいるのは、これが最後」
 明日は両親が帰ってくるからな。この2週間の事を話す訳にはいかないが、一緒に夕食でも食べてから帰ったらどうだ。
「それでは約束を破ることになる」
 なんだ、そんなことか。別にいいだろう、俺がいいんだから。
「約束は履行されなくてはならない。明朝、私はここからいなくなる」
 えーと、時間まで約束したっけ?
 長門は俺の問いを無視するように言葉を紡ぎ続けた。
「私は自分の記憶が欲しかった」
「え?」
「私達端末は全てを記録できる。しかし、私はあなた達の言う想い出が欲しかった。自分だけの記憶を」
「……」
「私はここで、観察者ではなく実践者だった。あなたたちと同じように」
 長門、お前……
「私は、ここでの事を忘れたくない――」
 長門はそれ以上の言葉を失ったように口を閉じると、俺に近づいてきた。
 白い陶器のような顔が迫る。
「おい、長門……」
 小さなおでこが、俺のおでこにぶつかった。
 髪の毛越しに、長門の冷たくすべすべした肌の感触が伝わる。
「感謝している」
 俺は、痺れたように動けなかった。
 どの位経っただろうか。長門はゆっくりと身を起こすと、黙ったままベッドに中に潜りこんだ。
 長門。お前、ひょっとして帰りたくないのか? 独りきりのマンションに。
 そうだ。この2週間、こいつは他人と暮らすことの楽しさを知ったんだ。好きな本を読んで過ごす代わりに他人と一緒に過ごす時間。他人のために食事を作る時間。
 いつでも、ここに遊びに来ていいんだぞ。オヤジもオフクロも、きっとお前を気に入るさ。
 だから、明日はもう寂しそうな顔をしないでくれよ。
 俺は部屋の電気を消すと、布団を被った。

 

 朝、何となく違和感がある。何だろう……暫くして気が付いた。俺はベッドに寝ていたのだ。
 慌てて起きて階下へ。妹は居間でシャミセン相手に遊んでいた。
「おい、長門はどうした?」
「え? それ誰なの」
 おい、何言ってる。お前が散々甘えてた、長門有希だ。
「やだぁ、まだ寝ぼけてるー。 やっぱり寝すぎなんだよ、キョン君は」
 もういい! 俺は部屋に戻って携帯から長門に掛けてみようと――メモリからは長門の電話番号が消えていた。
 俺は着替えると、玄関に向かった。
「ねえ、朝ごはんはー」
 そんなもの食ってる場合じゃない。俺はチャリにまたがり、長門のマンションへと急いだ。
 玄関で部屋番号を押す。応答がない。
 暫く同じ事を続けた後、俺は図書館に向かった。いない。いつも不思議探索で巡った辺りをずっと回る。いない。あの思い出の公園。いない。
 もう一度マンションに戻り、部屋番号を押す。応答はない。
 気が付くと、既に夕闇が迫っていた。いつの間にそんなに時間が経ってたんだ?
 俺は何を焦ってんだろう。あいつにだっていろんな事情があるんだ。明日になれば、部室で会えるさ。あいつはハルヒの観察者なんだからな。
 月曜日の部室に、無口な少女の姿はなかった。
「何言ってんのよ、団員1号のあんたが。古泉君をあたしが連れてきて、やっと4人になったんじゃない。後1人は必要なんだって、あんたがいっつも言ってる通り」
 じゃ、この部室はどうやって手に入れたってんだ。
「だから、誰も部員がいなくなったこの文芸部をあたしが見つけたんでしょ。何よ、そんなことも忘れてんの?」
 待てよ、ちゃんと思い出せ。ここには1人、文芸部員がいただろう。短髪で、徹底的に無口な女の子が。
「あんた何訳わかんない妄想してんのよ。そんなのがあんたのタイプなら、勝手に学校中歩き回って探してくりゃいいでしょ」
 ハルヒは顔を真っ赤にして怒鳴ると早々と帰ってしまった。
 お前ら、本当に覚えてないのか? 何とかインターフェースのあいつを。
「僕らがTFEIと呼んでいる彼らですか? 以前僕がご説明したように、彼らも涼宮さんを観察しています。しかし、僕らの中には…」
「キョン君、夢でも見てたんじゃ」
 もういい! 俺は部室を飛び出していた。
 危うく上級生の女生徒にぶつかりそうになる。
「走ると危ないですよ」
 ああ、すいません。喜緑さんでしたっけ。
「何か慌てているようですね」
 そう見えますか。わかってるなら、どうも。
 喜緑さんの横をすり抜けようとすると、どういう訳か、わざわざ俺の前に立ちふさがる。
「何ですか」
「捜さないであげてください。彼女はこれ以上任務には耐えられません」
 ……それは、どういう意味ですか。
「言ったとおりです。それ以上はあなたには無関係なことです」
「ふざけるな!」
 俺は、怒鳴っていた。上級生に。女性相手に。恐らくは宇宙人相手に。
「何を知ってやがる。長門をどこにやった」
 彼女は平然と笑顔を浮かべ続けていた。
「人間如きには無縁の事です。どうしても聞き分けられないなら――」
 笑顔はそのまま、目の奥に硬く冷たいものが覗く。
「俺も砂のように消しますか?」
「いいえ。全て忘れてもらいます。他の方のように」
 ふざけるな! そんなこと、させないぜ。
「今のあなたを助ける者はいない。それとも、彼女に事情を詳しく話してみますか?」
 確かに、長門を取り上げる気ならそうすると親玉に伝えろと言った事もある。ハルヒなら、あれだけ大事にしていたあいつを取り戻すためなら何だってするだろう。
 しかし、今のハルヒはどれほど言葉を紡いでも、俺の言うことを信じはしない。他のやつらも協力してくれなければ。
 他のやつら―組織を裏切るとまで言った古泉も、あいつの事を覚えていなかった。
 俺は、無力だった。
 自分では誰かを助ける何の力もないことが、今、俺に突きつけられていた。
 俺には、自力であいつに何かをしてやることができない。
 その後の事は、よく覚えていない。とにかく気が付いた時は部屋のベッドに腰掛けていた。
「長門……どこにいったんだ」
「約束は履行されなければならない」
 長門!? おい、姿を見せろ。何ふざけてやがる!
「最期に、あなたの事を知りたかった」
 おい、最期って何だよ。
「私は端末。用途が終われば破棄される。性能が劣化した時も同様」
 何言ってんだ、お前。
「あなたには感謝している」
 おい、ふざけるのもいい加減にしろ。
「……2週間、とても楽しかった」
「長門!」
「食事の時、どうか想い出して欲しい。あなたと食事を共にすることに喜びを見出す者がいたことを」
「行くな!」
 約束しただろ……おい……

 

 気が付くと、目の前に輝く漆黒の瞳があった。
 な…長門?
「……」
 頬に、そっと小さく冷たいものが置かれる感触。
 それは、本能的な動作だった。そう、反射的な行動だ。
 上半身を起こし、俺は目の前の小柄な少女を両手で強く抱きしめていた。
「……」
 細い体。わずかに暖かい体。それは、確かにそこにあった。
「最期なんて、許さんぞ」
「……」
「俺は――」
 腕の中で、僅かに体を動かす感触。
「あー、キョン君朝からエッチー」
 ? 妹よ、お前いつからそこにいるんだ。
「いけないんだー、キョン君たらいけないんだー」
 階段を駆け下りる足音。
 俺は、やっと周りを見る余裕を得る。
 そこは間違いなく俺の部屋だ。うん、間違いない。
 さて、俺の横にベッドが見える。寝ているうちに落っこちたのか?
 しかし、俺の上には布団が敷かれているようだ。
「もう大丈夫」
 何?
「あなたは覚醒した。現実が認識できる状態にある」
 胸の辺りからの声に、もう一度周りを見てみる。
 カーテンが引かれ、朝の眩しい光が窓から俺を照らしている。ドアは半開きのままだ。妹の奴、閉めずに行きやがった。俺の腕の中には、淡い色の髪に包まれた陶器のように白い顔。その黒檀のような瞳には、南十字星のような煌きと俺のいつもの寝起きの顔が見える。
「えーと、だな」
「……」
「すまん!」
 慌てて腕を緩め、頭を下げる。
 何てこった。さっきのは夢だったのか。夢の中でやったのならまだ許されるかもしれないが、俺は、現実の世界でこいつを抱きしめてしまった。しっかりと、強く。
「朝食ができている」
 長門はそれだけ言うと立ち上がり、ドアに向かった。
 気まずい朝ってのを、男は思春期になると何度か迎えるものだ。しかし、今朝のそれは今までのどれにも増して気まずかった。俺は長門の顔も妹の顔も直視できないまま、トーストをたいらげた。
 長門が目の前にコーヒーのカップを置いてくれる。恥ずかしくてまともに顔が見れない俺は俯いたまま礼を言ってコーヒーを口に運ぶ。
「ねー、有希ちゃん夜までいるよね?」
 覗くように長門の方を伺うと、例によってミリ単位で首を振っている。それじゃ、妹にはわからんぞ――
「えー、やだー。有希ちゃんいないとやなのー」
 妹よ、お前は早くも長門の表情を読めるようになったのか。
 長門は、立ち上がって妹の傍に行くと、その髪を優しく撫でた。
「呼ばれれば、いつでも来ることができる」
「ホントー?」
 妹は惚れ惚れするような満面の笑みを浮かべてみせた。
「約束だよ!」
 留守番の代償として昼飯代の千円札を渡してやり、俺はチャリに長門を乗せた。荷物が何もないことを妹が不思議に思わない純粋さが嬉しいような、その単純さが悲しいような。
 俺は、ゆっくりとペダルを漕ぐ。もう何度も通った道。決してスピードを出し過ぎずに無口な少女のマンションへと向かう。こうしていると、朝の恥ずかしさがゆっくりと融けていく。
 マンションの入り口で、俺達は向かい合った。今なら、長門の顔がキチンと見れる。
 長門。2週間、ありがとよ。
「感謝すべきなのは、私」
 長門?
「私は、嬉しかった」
「……」
 短髪の少女は、正面から俺を見つめた。
「あなたが、言ったから……」
 長門。
 俺の全てを、漆黒の瞳が包み込んでいた。体が痺れるような感覚。俺は――
 と、ポケットの携帯が鳴り出した。
 誰だ、こんなタイミングで鳴らす無礼極まりない奴は―そう、こういう狙ったようなタイミングはこいつだけだ―いつもニヤケたイケメン野郎の名前がディスプレイに浮かんでいた。
 視線を前に戻すと、既に長門はマンションの中へと消えていくところだった。
『今、どちらですか?』
 大きなお世話だ。
『駅前に出られませんか?』
 ああ、思い切り奢ってもらうぜ。この恨みはデカいぞ。
 いつもの不思議探索の集合場所に、女の子の目を集める長身のニヤケ顔があった。
「やあ、突然申し訳ありません」
 そう思うなら、なんか奢れ。
「ええ。今日は喜んでそうさせていただきましょう」
 なんだ、こいつのこの笑顔は。宝くじでも当たったのか。だったら少しは寄付しろ。
 俺達は、少なくとも俺は入ったことのないレストランへと踏み入った。
「ここなら、誰にも見つからない筈です」
 そんな秘密の話なのか?
「ええ、まあ。あなたには最後まで話さないように、涼宮さんから言われてますから」
 だったらなんで話そうなんて気になったんだ。
 無料スマイル野郎は口を押さえるように笑った。おい、どうでもいいがウエイトレスさん達がこっち見てるじゃねえか。もっと目立たないようにできねえのか、お前は。
「これは失礼。きっとまだオーダーしてないからですよ」
 俺達は昼飯を―俺は宣言通りにちょっと高い奴にした―頼み、その後は暫く雑談をして過ごした。
 食後のコーヒーを揺らして、古泉が口を開く。
「どうでしたか、この2週間は」
 どうもこうもない。長門のお陰で何も起こらなかったぜ。
「なるほど。では、危険など初めからなかったとしたらどうですか」
 おい、そりゃどういう意味だ。事と次第によっちゃ、許さねえぞ。
「言葉通りです。長門さんがあなたの家にいたのは、あなたの危険が原因ではないとしたら、どうしますか?」
 どうもこうもあるか。もしそうなら、長門は何か言えない事情で俺の家にいる必要があったんだ。
 女の子には人気のありそうな目が、一層細くなった。
「その通りです。全てが終了したので、あなたにも話しておくべきだと思いまして」
 てめえ、やっぱり何か知ってやがったな。どうも態度がおかしいと思ったら。
「まあまあ。これは長門さんというよりも涼宮さんのせいなんです」
 またか。……で、今度は一体どんな改変をやらかしたんだ、あいつは。
「ところで、あなたのご両親が出立なさった日の事を覚えてますか」
 ん? ああ、勿論だ。あの日、実に久しぶりに何の細工もなく午後の不思議探索は朝比奈さんと2人きりだったからな。肌寒い日だったんで2人でいろんな店を覗いて回ったんだ。思えば実に貴重な日だった……
「その頃、僕らは偶然あなたのご両親とお会いしたんです」
 オヤジとオフクロに?
「僕達は以前お会いしてますからね。当然ながらちょっとした挨拶を交わした訳です」
 そりゃ、日本人ならそうするだろうよ。
「そこで、あなたのご母堂様から、留守の間あなたの事を宜しく頼みますと言われたんです」
 ま、オフクロの年代じゃ良くある挨拶だ。
「そうです。しかし、宜しく頼むという言葉はいろいろな意味に解釈可能です」
 おい、まさか。
 いつも笑顔の副団長は、悲劇的な表情を作ってみせた。
「その後の騒ぎは、実際に見ない限り想像もつかないでしょう。どちらか1人があなたの世話をすることが決まった後、どうにか街も破壊されずにどちらが先にあなたの世話をするのか、どうしたら交替するかのルールが決まりました」
 聞きたくもないが、聞いてやる。どうなったんだ。
「先攻は長門さん。もしあなたか妹さんが音を上げるか、家に家族以外の人がいると誰かが気が付いたらその時点でチェンジして後攻の涼宮さんがあなたの世話をする」
 それであいつは俺や妹が弱音を吐かないか、気にしてたのか。
 しかし待て、ちょっと変だぜ。それなら、強引に朝比奈さんでも連れて家に来ればすぐだったろう。
「それではルール違反になります。この事を全く知らない誰かが自分で気が付かなくてはいけない」
 それで、お前達3人の行動がいろいろと変だった理由がわかった。で、こうしてネタバレしてるってことは、もう終わりなんだな。ま、もうすぐ両親も帰ってくるからな。
「ええ。このゲームは今朝でタイムオーバー。長門さんの逃げ切りです」
 古泉は先に立って会計を済ませると、公園へと足を向けた。暖冬だったからか、早咲きの桜が目に付く。
「全く。何て事を考えつくんだろうな、あいつは」
「きっと、本当はこう伝えたかったんですよ」
 ……言ってみろ。
「何かを手に入れるには何かを諦めなければいけない」
 なんだそりゃ。どっから引用してきやがった。
「別に。そこらで良く言われていることです。昔から、ね」
 いつもの怪しげなスマイルを浮かべながら前髪を左手でかきあげる。お前な、そういう事は女の子の前でやってろ。
「僕達も、これで安心材料が増えました」
 なんだ。また妙なこと考えてんじゃないだろうな。
「とんでもない」
 怪しげな無料スマイルが濃くなった。
「涼宮さんはこの2週間、ずっと悩み、ストレスを感じてきた。それにも関わらず、閉鎖空間は1度も生み出していません。これは大変な進歩です」
 前にも言ったろ。あいつだっていつまでも子供じゃないんだ。
「ええ。あなたには本当に感謝しています。いつか涼宮さんは、真の意味でこの世界と和解できるかもしれない。勿論、あなたの導きで、でしょうが」
 言ってろ。しかし、よくお前んとこの組織がただ見てることを許したな。お前がちょっと陰で干渉すればあいつの思い通りになったのに。
「涼宮さんから審判役をするように言われてましたから。それに――」
 古泉はいつもの笑顔を消した。
「言ったじゃないですか。長門さんのためなら一度は、と」
 いつもはニヤケた面を晒している長身の副団長は、そう言って俺を正面から見つめた。
「これで借りは返しましたよ」
 古泉、お前……
「僕も、本当の自分を皆さんの前に出せる時が遠からず来るかもしれません。もし、その時は――」
 ああ。その時は今よりもっと愉快な事をやらかしてやろうぜ。俺とお前だけでこっそり作戦練ってな。
「賛成です。やりましょう」
 0円スマイルを取り戻して、古泉はゆっくりと去っていった。
 やれやれ。なんかこの2週間はひどく疲れたな。皆の普段は見れない隠れた顔を見ちまったり、柄にもなくいろいろ考えたりしたせいだろう。
 ま、いいさ。これからも俺達はいろんな事をするんだろう。いつか、振り返った時に皆で笑って語れるような想い出とするために。その時は朝比奈さんも長門も一緒だ。誰がなんと言ってもな。
 俺は傾きだした日の下をいつも通りに戻った筈の我が家へと向かった。足取りが、軽い。
 門扉を押すとき、なにかが頭に引っかかった。
 何だろう。まるでトランクスを履いたまま風呂に入っちまったみたいな、重大な事を忘れている感覚。
「ただいま」
 俺は、それが何かを理解した。
「そう、有希ちゃんとずっと一緒だったの。あ、その夫婦茶碗ね、有希ちゃんがキョン君のために買ったんだよ。え? すっごい仲良しだよ。ね、有希ちゃん? だって有希ちゃんとキョン君、朝も部屋で抱き合ってたの」
 ……妹よ。その才能は一体誰の影響なんだ。俺を陥れる悪魔の才能は。

 

− 家族会議まで、あと90秒 −
 <終>

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:03:17 (3093d)