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作者 | 輪舞の人 |
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作品名 | 機械知性体たちの輪舞曲 第24話 『夕立』 |
カテゴリー | 長門SS(一般) |
保管日 | 2007-02-20 (火) 19:06:38 |
キョン | 登場 |
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キョンの妹 | 不登場 |
ハルヒ | 不登場 |
みくる | 不登場 |
古泉一樹 | 不登場 |
鶴屋さん | 不登場 |
朝倉涼子 | 不登場 |
喜緑江美里 | 登場 |
周防九曜 | 不登場 |
思念体 | 不登場 |
天蓋領域 | 不登場 |
阪中 | 不登場 |
谷口 | 不登場 |
ミヨキチ | 不登場 |
佐々木 | 不登場 |
橘京子 | 不登場 |
『全系統異常なし』
―ある情報端末の状況報告―
「消えるって……何だよ、それ」
“彼”の言葉は少しかすれた感じ。
「……おまえが? 消える? どうして、そんな」
「言葉通りの意味、ではないかも知れない」
「説明してくれ。俺にもわかるように」
わたしは横に座ったままの“彼”を見上げる。こちらを見る“彼”の表情からは、自分の身に降りかかる時間遡行の事は完全に失われてしまったかのよう。
それは純粋に嬉しい事と感じるべきなのか。“彼”がわたしに対して心配をしてくれている、という事に。
「わたしの体内には解析できない情報群が存在している。それは、わたしが生まれてからずっと蓄積され続け、今では自意識を持つまでに成長を遂げてしまった。すでに抑えられないところまでに至っている」
視線を逸らして立ち上がる。“彼”の顔を見たまま説明できる自信はなかった。
「今のわたしの機能は、ほとんどがその情報群によって制圧されている状況。汚染を食い止める為に放棄できる部分は全て処理し、閉鎖している。それでも気を緩めれば、すぐにもわたしはわたしではなくなってしまう。実際に、もう何度もそんな経験をしていた。これまでの一万五千回繰り返された二週間の間にも、すでにわたしではないわたしが、あなたたちと共に時間を共有している。その間の記憶はまったくない」
「……俺は、気がつかなかったぞ」
「その存在は、わたしに偽装した人格を構築していると推測される。真意は不明。でもそれは事実。わたしは今、一日に四時間も自我を保てない状況にまで来ている」
わたしの目前にある川の流れに変化はない。降り注ぐ太陽からの熱も。
ただふたりの間にある空気だけは変質を遂げている。おそらくは“彼”が抱く、何か。
「今日、一日だけはわたしでいられる、という事をその情報群と約束した。でも、それも今日まで」
ここでわたしは振り返る。眼下の“彼”の表情は形容できないもの。
わたしが万能で、無謬の存在だと信じきっていた、それが崩れた事が受け入れられないのかも知れない。
「あなたはまた全てを繰り返す。明日、再び八月十七日に戻り、記憶を失ったとしても。でもわたしは違う。情報はすべて持ち越されてしまう。このままいけば、わたしは増大し続けるその情報群に取り込まれ、消えると予想される。これまでのわたしではない、何ものかに変貌を遂げてしまう」
「……そんなの、信じられるか」
「事実」
遥か遠くで何かが聞こえる。大気の振動。遠雷か。
八月三十一日の今日、今まで、この時間帯に雷が発生するような気候はなかったはず。でも観測できなかった。まだ、彼には聞こえないだろう。時間はある。
「ヒトで言うなら、根治する手段が発見されていない、死に至る病に犯されたものと言っていい。今のわたしには対処方法はない」
「おまえの親玉でもか」
「原因は、その情報統合思念体が作り出した。そのようにわたしを生み出した、らしい」
「……何を考えてんだ、おまえらのボスは」
「わたしにもはっきりとした事はわからない。でも、今のわたしの状況は誰にも止める事はできない。それだけは確か」
わたしは嘘をついている。ただひとつだけ、残された最後の手段はあった。
それを実行に移す為に、“彼”と共にいる時間を作り出した。
でも、それはまだ言えない。“彼”が受け入れてくれるかは、まったく自信がなかった。
もしもそれが失敗したら?
その時には……覚悟は決めていた。
「だから。消えてしまう前に。最後にあなたと共に居たかった」
「……どうしてそれが……最後の時間を過ごすのが、俺なんだ」
「………」
それに対する答えはあったはず。しかし返答はできなかった。
きっと、あの声ならこう評価しただろう。
臆病者。
わたしたちはしばらく、その場で、無言のまま川を見つめ続けていた。
お互いに、それ以上は何も言葉は交わさなかった。
ただ、そこでふたりでいる、それだけの時間が過ぎていく。
“彼”がわたしの肩を叩く。
もう、帰ろう。そう言っていた。
気がつけば時刻はすでに午後二時過ぎになる。
おそらく“彼”にだけしかわからない微動作でかすかにうなずき返す。
この後にどうしても、成し遂げたい事がある。
わたしの、ただの我がまま。
でも、わたしにとっては、それは何ものにも代えがたい価値を持つ事。
それが、どうしても欲しかった。
やがて夏の熱気に混じり、湿った風が吹いてくる。
帰り道、少しずつ空が暗くなり始めていた。
「……やばいかな」
“彼”は下り坂の道を下りながら空を見上げていた。
雨の匂いがする。
遠くに響く、大気を振るわせる轟音。まだ小さいものだが、確実に迫って来ている。
夕立。
夏に発生する特有の気象現象。地表温度が上昇し続けた結果、その熱により積乱雲が急成長する。その積乱雲から、雷を伴う突発的な降雨。
わたしたちはすぐにバス停まで退避する。あまり、本数のないローカル線だった。
バスが到着して乗り込んだ後、すぐに雷雨がやって来た。
大粒の水滴。激しい雨。その名の通りに夕暮れのような暗い空。
バスにはわたしたち2人しか乗客はいなかった。後ろの席に並んで座る。
空っぽのバスケットの入ったバッグが膝の上にある。
その軽さが、今日の終わりが近づいている事をはっきりと認識させる。
わたしの時間。そのすべてが終わる事。
バスが駅前に到着しても、降雨は収まらなかった。
すぐにはやまないのかも知れない。
バス停でわたしは提案する。最初からそのつもりだった事。
わたしの部屋に寄って行って欲しい、と。
「この雨の中をか」
「………」
無言で、意識もしないうちに、わたしは“彼”のシャツの袖を握っている。
うつむいたまま、顔も見れない。
何てずるい。
あんな話をした後で、誘っている。
きっと“彼”は断れない。そういう人だとわかっている。
誘っている?
……誘っている。わたしが、そう欲しているから。
結局、激しい雷雨の中をふたりでマンションまで小走りに駆ける。
こんなところを、涼宮ハルヒに見られたらどうなるだろうか、という意識が頭の片隅に浮かぶ。それもいいのかも知れないと、不毛な思考。
今はそれが許されてもいいのではないか、という理屈ではない何かがわたしの中にある。
わたしの“彼”。たった一日だけ。六百年の中のただ一日だけ、それが許されてもいいような、そんな気がしていた。
ずぶ濡れになるのは当然の事で、七〇八号室に入ってようやく一息ついた。
薄暗い部屋。電気も点けずに部屋の奥へと向かう。
「これで拭いて」
わたしは部屋の収納庫から無造作に選んだバスタオルを一枚、“彼”に手渡した。
部屋の中は窓から差し込む薄明るい空の色に照らされている。曇りの空の向こうから、太陽の明かりが透けて見える。湿度は高いが、気温は少しずつ低下していた。
「お茶を入れる。待ってて」
「……長門」
おざなりに水分をふき取った“彼”がわたしを呼び止める。
「なに」
「……その。着替えた方がいい」
“彼”の顔は向こう側を向いていた。
着替え? 確かに濡れてしまっている。必要はあるのだろう。
わたしは自分の姿を改めて確認する。
雨で張り付いたわたしの服。うっすらとその内側が透けて見えていた。
“彼”はそれを認めたのだ。けっしてこちらを向かない。
わたしは“彼”にとって、ヒトの異性として認識されている。
本当は違うのに。
わたしは行動を起こした。嫌悪感すら抱く、自分の醜い部分をさらけ出す。
許されるはずがない、という想いと共に。
そっと“彼”の背中に身を添わせる。
「……長門?」
「大切な話」
雷と雨と風の音が聞こえる。
稲光が一瞬だけわたしたちの影を浮かび上がらせた。
大きな大気の変動。それでもとても静かに感じる。
ふたりきりの部屋。
「そのまま、最後まで聞いて欲しい」
「………」
「わたしはこのまま行けば、今年の十二月十八日に、恐ろしい行動を起こしてしまう」
「何の話だ」
「聞いて」
両手を“彼”の背へ。手のひらにぬくもりを感じる。
とても暖かく、力強い、ヒトの生命を感じさせるもの。
「涼宮ハルヒの時空間改変能力。それを使って、まったく別の世界を再構成してしまう。かつての彼女がそうしたように。今、わたしの中で育っているこの存在が、そうしてしまう」
「………」
「わたしは、その時空改変を起こすさなか、この存在にかろうじて対抗する。最後に残された自我意識を持って、あなたの記憶を改変しないままに残し、過去への脱出プログラムを託す」
わたしの考える計画がうまくいくならば、そうなるはず。
じっとりとしたシャツの熱。それを頬に感じながら、わたしは言葉を続けた。
「あなたはもう一度、七月七日に戻る。そしてわたしから、わたしを完全修正する為の修復プログラムを手渡される」
「……待て」
“彼”がわたしに向き直り、その両手を握った。強い力で。
「って事は、だ。今、その修復プログラムを作れるんじゃないのか。それを、今のおまえに使って……その、直せないのか」
「それも無理」
わたしは静かに事実を告げる。
「今のわたしには、もう手遅れ。もし可能だとすれば……時空改変を行い、無力な存在へと変質した後のわたしにしか……それが通用しない。今のこの存在は、わたしに対抗できるような物ではなくなっている」
「……どうして、こんなになるまで……何も言わなかった」
「言っても、どうにもならない」
「なんで全部、一人で背負おうとする」
「わたしにも最近になるまで、この情報群の目的がわからなかった」
わたしは目を伏せる。
「……ごめんなさい」
「おまえ……」
“彼”の声から怒りのような、絶句が漏れる。
「ずっとか。六百年もそんな事を一人で背負い込んでいたってのか」
「……知られたくなかった」
「俺にもか」
「あなただから、知られたくなかった」
正体のわからない存在に侵食され、世界すら変質させてしまうだろう恐ろしい自分。そんな事を知られたくはなかった。
「なぜ、俺なんだ」
“彼”は訊く。
「なぜ、いつも俺を守ろうとしてくれる。なぜ、俺の願いを何でも素直に聞こうとする」
「………」
「……それに、なぜ。今、こんな事を俺に言う。明日には記憶もなくなる、この俺に」
言おう。
恐怖かも知れない。躊躇する自分を感じる。
でも、今言わなければ、その機会は永久に失われてしまう。
だから、言わなければ。
わたしが、わたしでいられる時間は、もう残り少ない。
でも、この言葉にはどんな意味が?
わたしがずっと思っていた事を、たったの一言で言い表せるものなの?
あなたとずっと一緒にいたかった。
あなたの笑顔を見続けていたかった。
あなたの為に、どんな事でもしてあげたかった。
あなたを、どんな困難からも、危険からも守ってあげたかった。
あなたに……触れて、その熱を、全てを感じていたかった。
あなたから、いつか本当の生命の意味を、教えてもらいたかった。
……本当は消えたくない。
もっと、これからも、ずっとずっと一緒にいたかった。
一度だけ目を閉じ、浅い呼吸の後に、その全てを表す言葉を、言った。
「あなたが、好きだから」
“彼”は何も言わなかった。答える事はできないだろう。
わたしのこんな想いは、“彼”には負担にしかならないはず。
そんな事はとっくにわかっていた。
わたしは“彼”に選ばれた者ではない。
でも、今、この時だけでも――あなたに選ばれてみたい。
“彼”はわたしを力いっぱいに抱きしめる。
同情でも良かった。むしろ、わたしはそれを望んでいたのだから。
そのように仕組んだ、とても臆病で、卑怯なわたし。
そうでもなければ、“彼”がわたしを抱くという事などないのだと、知っていた。
乞い願う。そんなみっともない事。でも……嬉しいと感じる。
腕の中でゆっくりと背伸びしたわたしは、“彼”に口づけをした。
“彼”は拒まなかった。
時が静かに過ぎている。
暗い部屋の中で、“彼”がわたしを抱きしめてくれていた。
とても満たされた気持ちがある。
求めていたもの。それが今、わたしの中にある。
これでわたしは消えてしまうかも知れない。でもあなたたちの未来は壊させたりしない。
あなたがこうして最後にくれたもの。それがあるから。
すでに雨は上がり、遠くに過ぎ去って行った雷のかすかな音が聞こえるだけ。
日が差し込んで来る。もうすぐに夕暮れが訪れる、そんな時間だった。
その後、わたしと“彼”は少しだけ浅い眠りにつく。
目覚めた後は食事も摂らず、床の上でたわいもない話をしていた。
あまり会話が得意ではないわたしに、“彼”は気遣って、いろいろな事を自分から話してくれた。
“彼”が生まれた頃の事。妹が生まれた時の家の中の大騒ぎの事。幼稚園、小学校、中学校のたくさんの思い出。とてもやんちゃ、という表現が適切な、元気な少年時代だったらしい。
「本当は」
“彼”が言った。
「宇宙人がいたらいいな、と思ってた事もあったんだ。本当だぞ、これは」
今、わたしがここにいる。
ずっと、ずっと、こうしていたかったけど。
でも、もう時間が来る。
夜。十一時五十五分。
明かりもない部屋の中で、わたしたちは静かな時を過ごしていた。
「……本当に、もう、消えちまうのか」
「今、こうしているわたしは、たぶん」
この後に計画しているあの行為が成功すれば、わたしとして残る事はできるだろう。
でも、やはりそれは今のわたしではない。
後悔はしていない。自分の選択だから。
生まれてから六百年近く。とても、とても長い時間。
少し……疲れたのかも知れない。
でも最後に、こうして“彼”と過ごせて良かったと「心から」思う。
本当は、涼宮ハルヒの事をどう想っているのか、最後に聞いてみたかった。
でも“彼”の優しい瞳を見て、それはやめる。
今はいい。“彼”がわたしを好きでないのだとしても、構わない。
あなたに出逢えて、良かった。
「俺は“今のおまえ”を忘れたくない」
「それは、無理」
だからこんな事ができた。
あなたはもうすぐに忘れてしまう。
それで、いいの。
「……おまえにも、俺たちを忘れて欲しくない」
「忘れる事はない。記録としては残る」
「約束する」
“彼”がわたしを最後に柔らかく抱いてくれる。熱い肌と鼓動がわたしの肌に触れる。
「必ず、十二月十八日に戻ってくる。おまえを直しに、必ずだ」
「……待ってる」
静かに両手を上げる。
“彼”の顔を包み、お別れのキスをした。
ともだちみたいに感じる、触れ合うだけのもの。
また、逢えるのだろうか。
そうだったら、どんなにいいだろう。
――警告音。
……布団から天井を見上げる自分がいる。
いなくなってしまった。
布団から起き上がり、部屋の中を見回してみる。
あの温もりも、何もかも。消失してしまっていた。
わかっていた事だったけど。
――想いは遂げられた?
わたしは瞳を閉じる。
意識が急速に萎縮していく。
“彼女”がやって来た。
――まさか、あなたがこういう行動を起こすとは思いもしなかった。
――完全に想定外。
そう?
本当はわかっていたと思ったけど。
――?
わたしが今まで感じていた、感情と呼ばれるもの。全ての情動。
それは、あなたから「染み出した」ものにしか過ぎない。
――……気づいてたのね。
もともと、わたしはそのように造られていない。
わたしには、元から何も与えられていなかった。
感情を感じたり発露する事があるとすれば、それは朝倉涼子が残した“あなた”がした事。
こうして“彼”と過ごそうと思った事、それすらも本来のわたしではあり得ない行為。
――それは“わたし”を受け入れる準備が整ったという事。
――そう。わたしはあなた。決して相容れない存在ではない。
――あなたという器。それに内包される存在。
――拒絶するべきものではない。
世界を改変するだけに留まらず、統合思念体すら消し去ろうという、あなたを?
“彼”を自分の目的の為だけに取り込もうとする、そんなあなたを?
わたしは受け入れるつもりはない。
――……何を考えているの。
――まさか……
まさか?
なに。
――まさか、思考制御ブロックを。
だとしたら?
――そんな選択をするはずがない。
――個体経験のほとんどを喪失する事になる。
――自身の死を望むつもり?
死。今のわたしの個体経験が消えるというのなら、そうだろう。
ここで初めて、わたしは“彼”が死と表現したその意味を知った。
わたし自身に変質はないのかも知れない。
でも、違う。
これまで得た全てが、消失する。
その恐怖。これも彼女からのフィードバックなのだとしても。
朝比奈みくるの涙の意味。
“彼”がわたしにつかみかかる程の激しい絶望。
古泉一樹の中にあったままの、うかがい知れない深い失望。
それらを今、ようやく理解する。
未来へ伝える事のできない情報。
わたしの、これまでの個体経験や想いが無に帰す感覚。
――申請すれば、廃棄処分もあり得る。
――そんな事を、あなたの自我意識が選ぶはずがない。
それはない。
なぜなら、あなたを含めたわたし自身を、統合思念体は望んでいるのだから。
――そこまでわかっていて。
――でも、今さら、そんな脅迫のような事をしても無意味。
それは違う。
……わたしは生まれて初めて、表情を作った。
今、この最後の時に。
それは、微笑み。
あの記憶がわたしに勇気をくれる。
“彼”の言葉と、その温もり。
ひとつになったという、その事実。
それが、例え偽りの行為だったのだとしても、それは確かにあったから。
――個体経験を喪失すれば、何も評価できない。そんな記憶に何の意味がある。
――その上、わたしを凍結すれば、何も感じなくなる。
――それがわかっているの。
わたしが今まで思考制御ブロックを施さなかったのは、それが怖かったから。
あなたから伝播する、それ。その恐怖がわたしにその行動をさせなかった。
本来、あなたが言ったように、わたしたち端末にはそれをためらわせる事など、ないはずなのに。あなたの影響でそれができなかった。
でも、それを乗り越える手段がある。
“彼”がくれた記憶。それがわたしにこの選択をさせる。
記憶があるという、その事実だけでいい。
それを思い返して評価できなくなっても、構わない。
――何て事を。
――最初からそのつもりで。
――“彼”が拒絶したら、どうするつもりだったの。
覚悟は決めていた。
有機情報連結の解除を申請する。
無害な別有機体を対象とした連結解除を申請し、実施する瞬間それにインタラプトをかけ、対象をわたしに書き換える。
それくらいの処理なら、今のわたしにもできる。
――自殺。そんな行動すらも、わたしのフィードバック。
――馬鹿げている。
――第一、そうやって得た“彼”との記憶すらも、わたしが感じたものだったも知れないのに。
いいえ。そうではない。
わたしの勝ち。
この記憶はわたしだけのものだから。
あなたには、渡さない。
わたしはただちにコードを発信する。
最優先コード。わたしに与えられた最大権限の最後の申請。
『コードS-01Bは、思考制御ブロックを最優先で申請する。ただちに』
――無意味。
――封じても、いつかはわたしは必ずその結界をつき崩す。
――侵食は進行し続ける。
いい。
十二月十八日まで、あなたに主導権を握らせなければ。
“彼”らに託す。
この未来を。
――何て愚かなな。
『思考制御ブロックの申請を受理。ただちに開始する』
無味乾燥な音声情報の通達。
それと同時に、体の中に氷が突き込まれるような衝撃が走る。
わたしの自我領域は瞬間的に凍結され、その意識を消失する。
……さよなら。
わたしが、好きだった人。
『………』
『再起動を確認』
『凍結処分を施した汚染領域の圧縮に成功』
『現在、個体コードS-01Bの再生領域を確認中』
『初期状態への移行終了を完全確認』
『指定された個体経験の最重要領域を確保』
『全系統異常なし』
……わたしは、うつ伏せに崩れ落ちていた体勢から起き上がる。
現状の確認。八月十七日、零時十九分。
ただちにバックアップとの思考リンクを開始。
(S-03B、パーソナルネーム、喜緑江美里へ)
(プライマリ。確認しました)
わたしのバックアップ。セカンダリ・デバイスの音声出力を確認。
(現状の報告を)
(変化ありません。時空間断絶現象にはなんら変動する兆候は見受けられないままです)
とても静かな声だった。
聞きなれたような、そうではないような。
(違和感がありますか)
(大きなものは、ない。そちらから、わたしの状況が確認できるか)
(こちらから確認できる範囲では、再起動には問題はないようです)
(了解した)
ここに、“彼”といた。その記録は残っている。
それに対して、もう、何も感じない。
かつてのわたしが、こうしてしまったその理由も、今では完全に解析できない。
わたしがうまれた日。
あの頃とほぼ同じ状態に復帰している。
そのうちに、活性化を続ける“彼女”の影響も再び、徐々に現れてくるはず。
この凍結処分は一時的な回避行動でしかない。
抜本的な対策は、過去からやってくる修復プログラムにかかっている。
……もし、この後も“彼”や朝倉涼子の事を思い返す時が来たとして、でも、それは昔のわたしではない。
その時間を過ごしたわたしは、完全に消失したのだから。
“彼”らが、繰り返す夏をそうしていたように。
(セカンダリ・デバイスへ。任務の継続を指示する)
わたしは何も感じない、今を受け入れる。
(観測任務を継続せよ)
どこまで持ちこたえられるかは、定かではなかった。
だが、何としても、十二月十八日までは耐え抜かなくてはならない。
時の回廊からの脱出まで、あと二十年近くが残されていた。
―第24話 終―
SS集/580へ続く
『機械知性体たちの協奏曲』
現在2話まで。
朝倉涼子の視点で、七月七日の決別の日までの日常を書いた外伝です。
タイミング的にはここで読むと良いかもしれません。読まなくても話はわかるようにはなっています。
第1話 SS集/504へ続く