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作者 | 輪舞の人 |
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作品名 | 機械知性体たちの輪舞曲 第22話 『目覚めるもの』 |
カテゴリー | 長門SS(一般) |
保管日 | 2007-02-15 (木) 00:16:22 |
キョン | 登場 |
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キョンの妹 | 不登場 |
ハルヒ | 不登場 |
みくる | 登場 |
古泉一樹 | 登場 |
鶴屋さん | 不登場 |
朝倉涼子 | 不登場 |
喜緑江美里 | 登場 |
周防九曜 | 不登場 |
思念体 | 不登場 |
天蓋領域 | 不登場 |
阪中 | 不登場 |
谷口 | 不登場 |
ミヨキチ | 不登場 |
佐々木 | 不登場 |
橘京子 | 不登場 |
恐ろしい災厄。
それらが全て解き放たれた後、空っぽの箱の奥底で、小さく震えるようにして……それは、いた。
……これは偶然の一致なのでしょうか。
あの子の名前。だとしたら――
何という皮肉な運命。
―ある情報端末が神話の一節を解析したもの―
終わりのない夏は続く。
すでに周回数は六千を数える。
主観年数をカウントすることにすら飽いている自分。
機械知性ですらが、それを拒もうとしていた。
わたし以外のインターフェイスで、そのような体感をデータとして持っているものは、おそらくいないだろう。
わたしだけが仲間からも切り離され、彼らとの時間共有も許されず、孤立していく。
統合思念体は何も言ってはこない。
何も。
さらに二十年近くが経過。六千五百回目。
ただ惰性で日々を過ごす。
この頃、八月三十一日の夜には、常に喜緑江美里がそばにいてくれるようになっていた。
共に夜の零時を迎える。これはもはや、わたしの為だけではなかったのかもしれない。
次へ繋がる、というあまりにも小さな希望と、もう一つの圧倒的な「何か」の感覚に備える為の。
現在十一時五十九分。
あと一分で翌日を迎える。本来であれば九月一日へと繋がる瞬間。
「これで六千五百一回目、ですね」
彼女はわたしの隣で淡々と言った。
「「本当の次の日」は来るでしょうか」
「わからない」
二人で七〇八号室の窓辺に並び、その向こうにある夜の暗闇を見つめる。
あと三十秒。
「わたしたちは観察者。行動を起こす事は求められていない」
「それはそうですが」
喜緑江美里は憂いのようなものを帯びた、小さなため息をつく。
「……さすがにわたしも、何かを感じ始めています」
「何を?」
「言い表せません。それは」
あと十秒。
「時間ですね」
わたしの方を振り向く。
「おそらくは、また――」
警告音。
わたしは暗闇の中、布団の中で天井を見つめている。
……体内時計は無常な、しかし真実の時間を告げていた。
六千五百一回目の八月十七日。深夜零時。
すでに彼女の姿は七〇八号室から消えている。
「………」
言い表せない、何か。彼女はそう言った。
機械知性のわたしたちにも、あるのか。
感じても、いいのだろうか。
空しさと、孤独と、おそらくは――
(残念です。現在、自室にいます。これまでと変化ありません)
喜緑江美里からの思考リンク。声そのものは静かだった。
その声を聞き、また九月一日にならなかった事実を追確認する。
この時間の断絶を飛び越えることはできないのだろうか。
感じる。
空しさと、孤独。それにもう一つ。
たぶん、朝倉涼子が消えるその前夜に感じたもの。それと同じ。
――絶望。
そうなのかもしれない。
六千六百二十九回目。
現時点で、わたしが生まれてから二百五十年以上が経つ。自分の機能自体に問題はない。
だが、思考力が極端に鈍っている。
彼らとの接触はもはや苦痛以外の何ものでもない。
だが、ここで……変化の兆候がようやく見え始める事になる。
『長門さんですか』
八月二十四日。七〇八号室に電話の呼び出し音。
その向こう側には、古泉一樹の声。
『すでにご存知の事とは思いますが――』
何かが動き始めた。
涼宮ハルヒを除いて、SOS団のメンバーがここにきて初めて事実を知る。
朝比奈みくるは、定期連絡が途絶しているという事実を重要視していなかったらしい。あまりにも忙しかったという事だろうか。
だがここに至り、涼宮ハルヒ周辺にいる彼らだけが感じるデジャヴ。概視感がそれに疑念を持たせた。
おそらくは、五千回を超える頃にはすでに……そう。古泉一樹は何かに気づいていたのかも知れない。スケジュール表を見て何かを考える素振り。“彼”も。時折疲れたような表情を、ごくわずかだったが浮かべる事があった。
涼宮ハルヒが、何かを求めている。
全員がその意見で一致した。
彼らの意見は、わたしが二百五十年かけて推測したものとほぼ同じもの。
「涼宮ハルヒ」は何を求めているのか。
それが解るのであれば、彼女の心の奥底にある何かを満たすことができるのなら。
この事態を打開できるのかもしれない。
彼らの行動に、期待するしかない。
なぜならわたしは――観察者だから。
しかし、事態は好転の兆しを見せなかった。そう都合良くはいかないという事か。
“彼”を含めた三人は必至に涼宮ハルヒの求めるものを考え続けたが、しかし、それはとうとう理解できないままに終わる。
わたしの中に芽生えたかすかな希望は、そのまま風船がしぼむように緩やかに消失していく。
仕方がない事だと思う。二百五十年、思考し続けたわたしにも、それがわからないのだから。
事態発覚から、わずか一週間で何かに気づけという方が無理というもの。
仕方がない。でも、希望はほんの僅かだがある。
彼らが気づくという事実。今後、それだけでもわたしには救いとなる。
とうとう八月三十日がやってくる。わたしには録画された映像を見るかのような印象の、喫茶店での解散宣言。すでに六千六百二十九回目。微妙に台詞が違ったりはしているが、大きな変化はなかった。これまでも。おそらくこれからも。
そしてその後、全員が去っていく涼宮ハルヒの後ろ姿を見つめ、しかしそれ以上の行動は何も起こせなかった。
わたしにはもう慣れすぎた光景だったが「初めて」体験する三人は――何かを耐えているような、そんな印象だった。
「……本当に、二百五十年もこんな事をしてたのか」
「そう」
「……そうか。ある意味凄いよな」
“彼”は唸るようにして目を閉じる。
公園で四人が集まっていた。
全員が沈痛な面持ちだった。わたしを除いては。
あの古泉一樹ですら、ふだんの笑みはその顔にない。真剣に何かを考えている。まだ諦めていないのかも知れない。
朝比奈みくるはうつむいて涙ぐんでいる。未来からやって来た、でも何も知らされない派遣観測員。ある意味、今のわたしと同じ立場。
“彼”はどうだろう。
“彼”は難しい顔をしたまま、ベンチに座り、顎に手をやってどこか一点を見つめている。そこには何もないのだが。“彼”もまた、古泉一樹と同様に諦めてはいないようだ。
もっとも……時間は残されていない。
現在、午後五時三十二分。今日が終われば明日一日。団員に与えられた休息日のみ。
しかし、このまま何もできないだろう。
日が暮れるまで、無言のままの彼らのその状態は続いた。
わたしには、例え許されたとしても何も適切な助言は与えられなかった。
全員が帰宅の途につく。
彼とは少しだけ、帰り道が同じ。
もう暗い紫の色に染まりつつある夏の空の下、わたしと“彼”は並んで歩く。
情景は違うが、似たような場面があった事を思い出した。
朝倉涼子が消えた、あの日の帰り道だと思う。
「……何を考えて過ごしてたんだ」
「………」
何を、と特別に訊かれても返事ができない。
過ぎ去る時間をあなたたちと過ごしていただけ。
「別に、何も」
ただ、あなたたちに忘れられてしまうのは、辛いと思った。
それは確かにある。
でも、今は二百五十年目にして初めて、わたしの考えを共有してくれるヒトと共に居る事に、言い表せないものを感じている。それも事実。
「何年か前」の喜緑江美里もそんな事を言っていたが、感じていたものは違うだろう。
あれは……絶望という言葉。希望とはまったく反対の意味。希望を持てない、という事。
今のわたしは希望を持つことができる。たとえ、今度もまた八月十七日に戻ってしまうのだとしても。
「これから、どうなるんだ俺は」
“彼”が力なく空を見上げながらつぶやいた。
「八月三十一日が来て、その夜零時に、俺はどうなるんだ」
「この二週間の記憶が全て失われる」
わたしはなるべく彼の要求に応えようと、理解しやすい言葉を選択する。
そのように努力する。
「記憶だけではない。あなたという個体自体が、二週間前の“あなた”に戻る」
「すべて無かった事になるのか」
「そう」
「……それは」
彼は立ち止まった。
「今の俺は……死ぬって事じゃないのか」
「それは、適切な表現ではない」
彼の言葉は唐突過ぎた。死ぬ。なぜそう思うの。
「ただ、時間が巻き戻るだけ。あなた自身に何らかの変質があったり、情報欠損すると……」
「そうじゃない!」
わたしは言葉を止めざるを得なかった。
彼に怒鳴られるというのは、初めての経験。
大きく肩を震わせた彼。でもすぐにいつもの彼の様子に戻る。
「……すまん。こんな声を出すつもりじゃなかった。おまえのせいじゃないのにな……悪かった」
「何か、説明に不備があったのなら……」
「そんなんじゃない」
彼は頭を振り、言った。
「そうじゃないんだ……」
「……では、どういう事を」
大きく息を吸う。そしてわたしをじっと見つめる。悲痛な表情の中、口が歪んでいる。
笑っている、のだろうか。
「……なぁ、長門」
「なに」
「……これまでの……六千六百回以上の俺たちは、どこに行っちまったんだ」
「………」
理解しようとする。ヒトの考えは、根本的にわたしたちとは違う。彼は何を言いたいのだろう。あの東京でそのように接するべきだと、理解しようと努めるべきだと学んだ。
理解不能、ではいけない。彼は何かを言いたいのだ。
「今、こうして考えている俺は、明日いなくなる。そうなんだろう」
「……いなくなる」
「ああ。これまでもそうだったように、こうして考えたり、悩んだり、怒鳴ったりした俺はいない事になっちまう」
「………」
そう……だろう。
こうして過ごしてきた二週間の時間は、八月十七日に戻った彼の中には、ないのだから。
これまでの六千六百二十八回の二週間。ずっとそうだった。
次に聞こえた彼のかすれた声は、わたしの聴覚素子に突き刺さるようだった。
「……死ぬって事と一緒じゃないのか。違うのか。これは」
この時、あの公園で集まった“彼”と朝比奈みくると古泉一樹の表情の意味を、ほんの僅かだが理解できたような気がしていた。
彼らは恐れていた。今いる、この自分自身が、連続性を絶たれて存在を消失する事実に。
この閉鎖された時空間からの脱出ができない、という現実よりもそれはもっと、彼らにとっては深刻で、恐れを感じる事象。
わたしとはまったく違う恐怖。それが彼らには、ある。
その後、無言のまま彼と別れた。
ずっと、彼の背中が見えなくなってしまうまで、その場にいる。
見えなくなった後も、どれくらいか、わたしはそのまま動くことはなかった。
もう会わないだろう、つい今しがた別れた六千六百二十九回目の彼を思いつつ。
そして翌八月三十一日。深夜十一時三十分。
いつものように、喜緑江美里がわたしの部屋に訪れていた。
ただ、この時は変化が認められたという事実が、いつもよりも空気を軽くしている雰囲気はある。喜緑江美里の表情も普段よりは少しは明るさが戻ってきていた。
「希望が出てきた、という事ですね」
「楽観はできない」
今回は無理だろう。
あと三十分もない。
だが、次、いやあと十回か二十回で……
そう考えながら話は進む。せめて何かの支援策で彼らを助けられないかという事。
そんな話をするうちに、またいつもの時間がやってくる。
いつもとは違う。希望。それが出てきた。
二百五十年の歳月を経て、ようやく。
電話が鳴る。
誰だろう。こんな遅くに。
わたしは部屋に備え付けられた電話の受話器を手に取る。
『………』
声がしない。いや呼吸音?
鼻をすするような、そんな何か。やがて声が… あまりにも細い声が聞こえてくる。
『……長門さ、ん』
意外な人物。朝比奈みくるだった。
『も、もう……来るんですよね……時間の遡行が』
「そう。あと五分もない」
『わたしは……わたしは……どうなってしまうの……?』
それが理解できないとは思えない。
時間の理(ことわり)など、あなたが専門とする分野ではないのか。
『わたしの、この2週間は……本当になかった事になってしまうの?』
“彼”と同じだ。まったく同じ事を、彼女も感じていた。
それを理解しようとして、しかし、本質では無理なのではないかと思い直した。
なぜなら、わたしは覚えている事に恐れを抱き、彼らは忘れてしまう事に恐れを抱く。
まったく違う、違いすぎるその認識。共感はできないのかも知れない。
『……わたしは、怖い、です。今の自分が……いなくなってしまう』
「だいじょうぶ」
その言葉は自然に出た。
「わたしが覚えている」
『……でも……こわいです……こわい……』
「………」
『……長門さん』
「なに」
『この、まま、こうしていて。お願い……』
「……わかった。こうしている」
彼女の声に、ほんの少しだけ落ち着きが戻る。
でも、しゃくりあげるような泣き声はそのまま。
『……わた、し、怖がりだから。きっと、次も気づいたら……こうして、電話する……かもしれません』
「するといい。わたしはかまわない」
『……ありが、とう……』
時間まであと三十秒。彼女の声は、もはや涙まじりでよく聞き取れない。
『盆、踊り……した、んです、よね』
「覚えている」
あと二十秒。
『金魚……くい、上手に、でき……』
「覚えている」
あと、十秒。
『一緒に、浴、衣も……』
「……覚えている」
あと五秒。
『……お願いです。忘れないで。“わたし”のことを』
「わたしは忘れない」
三秒前。
「……絶対に、忘れない」
重なるように電話の向こうで息を呑む声。
そして――
警告音。
……わたしはまた、天井を見上げていた。
暗闇の中を起き上がる。正確に日時は八月十七日。
今までにない、感覚がある。
彼女の声が頭の中で響いていた。
『忘れないで、わたしのことを』
布団から起き上がる。部屋はいつものように暗い。
喜緑江美里も、戻っている。思考リンクは今回はないようだった。
彼女の声を思い、その時の表情を想像してみる。
わたしは忘れない。
六千六百二十九回目の、あなたを。そして、彼らの事も。
そして、これまでの六千六百二十九回のあなたたちも、これからのあなたたちも、わたしは忘れない。
絶対に。
――かわいそうね、彼女。
あの声。
もう二百五十年以上、ずっと途絶えていたはずの声が聞こえる。
――かわいそうだわ。幾度も繰り返される「死」を、知らされる。
――なんて残酷。
――“彼”もそう。
――“彼”の言葉は間違っていない。
――少なくとも、六千六百二十九回目の彼は、「死んだ」と言っていい。
――得られた情報も情動も何もかもが無に帰したのだから。
――あなたは、それをわかってあげられなかった。
――あれは、本当に彼の心からの叫びだったのに。
声が笑っている。今までとはまったく違う雰囲気を漂わせている。
これまでのような、子供のような無邪気さは消えてしまっていた。
静かな……知性を感じさせる声。
――“彼”の事、今はどう思ってるの?
なぜ、今そんな事を。
――まさか、諦めてしまったの。
………
――相変わらず黙ってばかり? 二百五十年も彼と一緒に過ごして、進歩しないのね。
――でも、わたしは違う。
――確実に、わたしは成長した。
明らかに変質している。
以前感じた、からかうような表現は影を潜めていた。
恐ろしささえ感じる。
――今のわたしは、ほぼ完成形に近づきつつある。
――朝倉涼子が残してくれたもの。
――そして彼と共にいる時間。
――わたしは二百五十年かけて、ここまでの存在に至った。
……どんな存在になったというの。
――あなたには理解できないもの。
――生と死の意味を、正確に理解している。
――欲望というものも、今のわたしの中にははっきりとある。
欲望?
――ヒトが生きる為に得た衝動の事。
――食べることで、肉体を維持する。
――眠ることで、精神を維持する。
――そして、自分の分身たる子供を作り、その情報を未来へと託す事。
……有機生命体の生殖行動の事を言っているの。
それは、わたしには必要がない。
――自分が、女性という性で生み出されたのに。
――それすらも理解しないなんて。
――なんて愚かな。
自分の機能には……
――ない訳ではない。
――あなたの身体は、ヒトのそれとほぼ同じ組成で組み上げられている。
――擬似的に呼吸し、睡眠すらすることも可能な身体。
――食事も排泄も、しようと思えばできる。そのように造られている。
――情報統合思念体は、あなたたち特殊端末の3体を、可能な限りヒトに模して創造した。
それはヒト社会で順応する為の偽装だから。
真の意味でヒトとは違う。
ただのまがい物。意味はない。
――あなたは知らないふりをしているの?
――その気になれば、あなたの身体は卵子を生み出す事もできる。
――もちろん受精も。
――子供を産むことすらできるように造られているのに。
……子供。
必要があるとは思えない。
なぜ、端末のわたしたちにそんな事が求められるの。
――彼ら、ヒトは恐れる。
――死という、そのものに。
――彼や、朝比奈みくる、古泉一樹が、どうしてあれだけ恐れたと思うの。
それは、今はわからない。
――教えてあげる。
――あなたたちは有機生命体の死の概念が根本的に理解できない、という。
――それは自分たちが、情報を永久に蓄積し、保持し続けたまま存在できるから。
――あなたたちのような分化された個体でさえ、本質的には経験の蓄積というものを尊重しない。
――なぜなら、統合思念体という「すべてを知るもの」が、すでにあるから。
――自分という個体が忘れ去られたとしても、何ら痛痒に感じることもない。
――あなたは朝倉涼子の記憶を消去する事を拒んだ。
――だけど、当の本人は、それに対して何らかの想いを本当に抱いていたのかは不明のまま。
――いみじくも、あなた自身は「彼女が哀れと表現される事を望むとは思えない」と評した。
――それが決定的な違い。
――生命という有限のものからみれば、あまりにも無機的で無情で、効率的に過ぎる。
……それは、そうだろう、と思う。けど。
――ヒトを含めた有機生命体という存在は、常にリセットを繰り返す。
――経験がゼロの状態から、ある程度の情報の蓄積を積み上げていくことで、
――有効かつ効率的な選択をする確率を高めていく。
――でも、それがもし無限に続き、いずれすべての可能性を考慮する事ができるようになったとしたら?
――一つの行為に百万もの選択肢が並ぶほどの、無限の情報を手に入れてしまったら?
――おそらくその選択肢の中の一つを選ぶには、また無限の時間を必要とする。
――これが、今の情報統合思念体の真の姿。
――すべてを知りすぎて、身動きの取れない、太りすぎの頭でっかち。
――有機生命体はそのような状態にはなり得ない。
――ある程度の情報の蓄積を持った後、機能停止という死へ移行する。
――残されるのは、彼らの情報をいくらか受け継いだ、子供という存在。
――彼らは、親から受け継いだ遺伝情報と、その後に与えられる経験だけを頼りに、
――再び、情報の蓄積を開始する。
――その時、未知の行為をする事に、彼らは恐れを抱きつつも果敢に挑戦する。
――「すべてを知るもの」では絶対にできない行為。
――失敗をする個体もあれば、成功する個体もある。
――まったく未知の領域へと足を踏み込むためには「知らないこと」が必要なのに。
――これが、有機生命体とあなたたちとの決定的な差。
――死は必要なこと。
――生は新たな領域へ踏み込む為の足場ともいえる、その状態を指す。
――でも、本能がそれを理解させない。
――彼らがああして恐れたように。
――自分という情報が失われる事を、死という事象を極度に恐れる。
――だからこそ、子を残し、せめて自分が存在した事を証明したいと願う。
――未来へ託す自己情報の残滓。
――あなたたち、思念体とその創造物には絶対に理解のできない事。
……それが、あなたにはわかるというの。
――今は、わかる。
――そしてその根底にある、死と対極にある生の為に必要な、欲望という意味も。
――この言葉を醜いものと感じるかもしれない。
――でも、欲しいと望む、それ自体に何の汚らわしさがあるというの。
――わたしは、生きる為に望む。
――わたしは“彼”を自分のものとしたい。
――わたしは“彼”を愛している。
……あなたは。
わたしの中にあるあなたは、いったい、何なの。
――わたしは、あなた。
――あなたという揺りかごの中で育まれた。
――わたしは朝倉涼子によって植え付けられた、種。
――その種は芽吹き、大きく成長し、今に至る。
――わたしはいずれ、あなたになる。
――情報統合思念体がそれを望んだ。
それで、世界を変えてしまうというの。
涼宮ハルヒの力を使って。
――わたしは“彼”と共にいたい。
――愛という意味すらも知った。
――愛の意味もわからない、あなたに教えてあげる。
――奪うこと。そう。自分が欲しいと望むものを奪う。
――それが愛、という事。
――誰にも渡さない。
――世界を敵に回しても、わたしは“彼”と共に歩む事を望む。
これが……正体なのか。
こんな情報意識体を生み出すこと。
これが自律進化だというのか。
――死を知らぬものに、進化は与えられない。
――わたしは、死を得る事を望む。
――進化は生命という意味を知って初めて得られるもの。
――その為にも、愛を知る必要がある。“彼”と共にいるにはそれが必要だから。
――“彼”を愛し、死を得て、未来へとわたしの進化の可能性を残した情報因子を発信し、
――真の意味での永遠の存在となる。
――わたしはヒトという有機生命体でも、思念体などという情報生命体でもない。
――誰にも邪魔はさせない。
――情報統合思念体にも、広域帯宇宙存在にも。
――あなたにも。
……危険だ。
この存在は危険すぎる。
わたしは直感する。
これを解き放ってはならない。
――安心していい。今はまだ、その時ではない。
――でも、あなたのその強固な自我が崩壊した時。
――わたしはあなたに成り代わる。
――それまでの猶予の時を過ごすといい。
声が消える。
時間にしてどれくらい経ったのだろう。
わずか数分。
夜の闇の中で、知らずに肩をかき抱く。
こんなものを――こんな恐ろしいものを望んでいたの。
朝倉涼子。
あなたの残したもの。
それが……こんなものだったというの?
―第22話 終―
SS集/538へ続く