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| 作者 | 輪舞の人 |
|---|---|
| 作品名 | 機械知性体たちの輪舞曲 第20話 『生還』 |
| カテゴリー | 長門SS(一般) |
| 保管日 | 2007-02-06 (火) 15:54:29 |
| キョン | 登場 |
| キョンの妹 | 不登場 |
| ハルヒ | 不登場 |
| みくる | 不登場 |
| 古泉一樹 | 不登場 |
| 鶴屋さん | 不登場 |
| 朝倉涼子 | 不登場 |
| 喜緑江美里 | 登場 |
| 周防九曜 | 不登場 |
| 思念体 | 不登場 |
| 天蓋領域 | 不登場 |
| 阪中 | 不登場 |
| 谷口 | 不登場 |
| ミヨキチ | 不登場 |
| 佐々木 | 不登場 |
| 橘京子 | 不登場 |
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―抹消された欠損情報―
霞む視界に喜緑江美里の横顔が映る。
どうやら一時的に、意識が消失していたらしい。
完全には復調しているわけではなかったが、それでもだいぶましな状態だった。
左腕に暖かい感触を感じる。喜緑江美里がわたしの左手首を軽く噛んでいた。
おそらくはプログラムの注入だろう。身体細胞の復元を含んだもの。
「……意識レベルは?」
わたしの目が薄く開いたのを確認したのか、彼女が尋ねてくる。
かすれた機械の声しか出なかったが、返答してみる。喉の奥が熱い。
「……あなたの声は確認できる」
「まだ無理はできませんね」
彼女の直接注入した復元プログラムが、わたしの身体機能の活性化を促す。あまりにも微々たるものではあったが。我々の行う情報操作はこの空間では発現が難しい。
あの無効化されたシールドでもわかる。
展開していたはずなのに。たやすく貫通された。
実際にはどうだったのか解析できない。盾と認識されなかった、それだけの理由で無効化される。異世界にいる現実は、新たに芽吹いた恐怖という感情を自覚させる。
理解できないその相手と世界に。
わたしは疑問に思う。
「……あの攻撃をどうやって防いだの」
「防いだのではありません。厳密には」
喜緑江美里は手首から口を離して、わたしの横に座った。
「これまでに得たごく僅かな観測データを元に、あの個体の「理」とも表現できる基礎情報の解析を行った結果です。エミュレートしたという方が正確かも」
「我々の能力ではない、という事」
「もともとの組成が違いすぎますので、完全に再現はできません。ですが、あの程度であれば対抗はできる」
少し疲れたようなため息をこぼす。初めて見る。彼女も不安なのだろうか。
「あれは攻撃ではないと理解する。ごく簡単に言えばそういう事です」
「攻撃ではない? そんなはずはない」
「その理屈が通用しません。そんなはずがないという、我々の認識が」
「理解できない」
「遥かな過去に、この同系列の宇宙存在と接触した統合思念体も対応には苦慮したようです。広域帯宇宙存在は、個体ごとにまったく違う性質を持っているものが確認されている。今回のようなものは極めて珍しい、あえて言うなら希少種ですが、その接触の際の被害は甚大でした」
喜緑江美里は、わたしの回復を待つ間に説明をしてくれた。
二十三億年もの遥かな昔。シリウスという、現在は二つの白色矮星からなる恒星系の近傍宙域で、統合思念体はある情報系の残留物のようなものに接触した。
まるで眠っているかのようなその情報の集合体は、観察だけでは解析できない、高度に複雑な組成だったとされている。
それは広域帯宇宙存在と呼ばれる、祖が異なる、まったく違う道を歩んでしまった別の情報生命体の、それも亜種だった。
ある情報流が興味を抱き、ある情報流は敵意を抱いた。またある情報流は観察だけに留め放置するべきだと主張した。これは穏健派のことらしい。
接触するのは時間の問題だった。当時の主流派も含め、この奇妙な漂流物には少なからぬ好奇心を抱いていたのは否定できなかった。
まったく理解できないままでいた、広域帯宇宙存在の情報を得る機会なのは間違いなかった。
わかろうとした。だが統合思念体にその手段は存在しなかった。
ある情報流が接触を開始した。これはおそらく急進派だったのだと推測されるが、とにかく彼らは直接解析するために、情報の全体像をおおまかに読み取ろうとした。しかし、およそ一千年の時間を費やしたものの、意味のないデータの羅列にしか変換することはできなかった。他の広域帯宇宙存在と同じく、それ自体はただの情報の集合体にしか過ぎず、思念体たちにとっては何ら意味を持たないもののようにしか見えなかった。
彼らはパターンの解析を進めていく。しかし、その努力はまったく報われることはなかった。ただのジャンクデータの塊にしか過ぎない。そのように思われていたときに、悲劇といっていいのであれば、それは起こった。
改革派の一部思念流が独走を開始する。理解のできない対象に業を煮やしたといってもいい。その行動は急進派すら理解に苦しむものだった。現状の変革という意味では同様の認識を共有するはずの急進派だったが、それでもなお改革派の行う行動は危険すぎるものだと判断さぜるを得なかった。
攻撃を開始する。情報の連結を強制的に解除し、その中に含まれるデータをこれまでの推測から成り立つ、意味のあるもののように恣意的に再構成し、読み解けるようにしようという試み。他の情報流がその行為に対して警告を発したが、それは手遅れだった。
謎の情報集合体は、積極的な改革派思念流のそれらの行動を、まるでわかっていたかのように受け入れると同時に、自分の中へと取り込もうとしていた。改革派思念流はそれでもなお連結解除を強制実行し、全体のその動きに意味があるものだという確信からなのか、やめようとはしなかった。
その事態を静観していた穏健派は、あることに気づいた。あの謎の情報集合体は、それを待っていたのではないか、という事に。彼らもまた、こちらを理解したいという意思があるのではないか。その為の、これは彼らなりの接触手段だったのではないかという推測。
この情報集合体は、彼らから我々に向けられた同時翻訳する機能を内装したメッセージだったのかもしれない。
改革派の三百年ほどに渡る、攻撃による「相手を理解したいという行動」は、やがて情報集合体の「返答」を受ける。
取り込まれた思念流が次々と崩壊を始めていた。反撃。そう取れる行動だったが、その意思は理解できなかった。ともすれば、これは彼らにとっての挨拶だったのかもしれないが、実際に起こる現象はそんな生易しいものではなかった。
食いちぎられる。引き剥がされ、粉砕される。存在が全て意味のないデータコードに変換され無意味化し、消失していく。改革派の行動に問題があったにせよ、それにしても徹底的で容赦のないそれは「報復」のようにしか見えない行動だった。
だが穏健派はそれは違うのだと分析する。彼らは本当は「挨拶」という、接触初期に発生する手かがりの手段を求めていたのだと。彼らもまた接触を欲していたが、その手段が我々と同様に理解できない。本質的に異質なものだから。だからこそ、こちらの「挨拶」を彼らなりに分析し、模倣しようとしたのではないか。
実際はそれどころではなかった。改革派思念流はすでに構成要素のほとんどを無力化されていた。あまりに容赦のない報復行動。だがそれは、彼らが引き起こしたものだった。
情報統合思念体は接触を完全に断念する。この情報集合体に対して、彼らの施した対抗手段はほとんどが無効化されていた。侵食される率も無視できないレベルに達し、最終的な判断は思念体主流派が決定した。あの急進派ですら露骨な反対はしなかったという。
凍結処分。
その近傍宙域全域を、時空間凍結する。
もっとも……これらの措置ですら彼らの理になんらかの影響があるのかも不明だった。
最後に彼女は、その当時の思念総体の感じた事を、ヒトの思うだろう、それに例えてこう付け加えた。
「触らぬ神に祟りなし」
「……その後、今から四億年ほどになりますが、アルタイルでも同様の情報集合体が確認されました。当然ながら放置処分です。遠巻きに観測していることしかできません」
「………」
「もっとも、その行動すらも彼らにどう受け取られているのかは解りません。もしかすると……友愛の行動なのか、それとも無視されていると思うのか。そもそもそんな概念があるのかも不明のまま。友愛など、わたしたちにも理解できてるわけではないのですが」
わたしは少しだけ、あの広域帯宇宙存在の思考……そう捉えてよいのであれば、だが、それがわかる気がした。
あれは、生まれた直後のわたしに似ているのかもしれない。
なぜかそんな考えが頭に浮かぶ。周囲の何もかもがわからず、ただ自分に向けられる行動に必死に対応してようとしていた、あの頃のわたし。
もし、あの存在とわたしの間に大きな違いがあるのだとすれば、それは朝倉涼子という、世界と自分とをつなぐ「インターフェイス」の存在の有無だったのではないか。
その結果、感じなかったはずの思考を有するに至る自分。似ているのは、昔の生まれたあの頃の時だけ。今は違う。と思う。
あまり変わらないかも知れない? そうかもしれない。
――成長してるわよ。
そう?
――そんな事、今まで考えようともしていなかったでしょう。
そうかもしれない。
――今でも、彼女を憎んでいるのかしら。裏切ったと思っている、あの人の事。
………
――あなたはずっと憎んでなんかいなかったの。ただ哀しくて悔しかったのよ。
………
――何か理由があったに違いない。そう思ってる。
……そう、かもしれない。
―そうよ。どうして本当のことを言ってくれなかったのか。あんなに優しくしてくれた人が……
==……もしかしたら、一番辛かったのは彼女なのかもしれない。
「……あなたはその為の特殊な対抗措置を有している」
「対抗措置というほどのものではありませんが……一時的に無力化はできるかもしれません」
「ここから脱出するためには、それが必要」
わたしはゆっくりと立ち上がろうとする。完全に再生しているわけではないが、活動そのものには問題はない。おそらくは。
傷は表向き塞がっている。内臓諸器官は相変わらず再生できていないが。たぶんお腹の中は空っぽのまま。中で血溜まりが音を立てている感覚。本当に便利な身体。
全身の服が暗い赤で染められている。サマーニットには大きな穴。そこから不完全に再生した皮膚が見える。無理矢理縫い合わせたような醜い傷跡だった。
その上、失われた血液も戻っているわけではないから土気色の肌。こんな姿をあの人に見られたくないと思う自分がいる。
肺が失われたのは痛い。発声が擬似音声でしか再生できない。普段の声とはまったく違う、機械音声のような耳障りなものにしかならない。
「生きて、還る」
わたしはその機械の声で、誰に言うわけでもなくつぶやいた。
あの人のところへ、還る。どんな姿になっても。
わたしたちは高速道路の方へ向かう。対象はおそらくほとんどダメージを受けていないだろうと喜緑江美里は言う。
「方向はこちら。移動はしているはずですが、現在の正確な位置は把握できません」
わたしは考える。あの宇宙存在、“ミラー”という個体名称のもの。それと戦う手段。
「わたしにもできる?」
「対抗措置はもともと我々に備わっているわけではありません。完全再現できないのですから」
「接触時にエミュレートするしかない」
「そうです。その際には戦いという概念を忘れてください」
喜緑江美里はわたしの腕を脇から支えながら言った。
「先にも言いましたが、これは「接触」任務です。改革派と同じ轍は踏んではならない」
「先にそれを言って欲しかった」
「これも勉強です」
わたしはその言葉に、怒りではない何かを感じる。それを通りすぎた何か。
おかしさ、というべきものなのか。わかりかねるが、喜緑江美里に対しての不信感は和らいでいるような気もする。そう。これはユニークと評価するべき。
そして、あの白紙の欄に書くべき解答が今、わかったように思う。
「……父は千尋の谷へと我が子を突き落とす」
「何ですか、それ?」
「期末試験の解答。気にしないで」
谷から這い上がらなければ、見捨てられる。過酷だが、もともとそのように造られたのであればそれに従うしかない。生み出されたのには、その理由と目的がある。
わたしは端末。機能の一部。他に何が必要なの。
――また無理してる。
していない。現状の正確な再認識。
――本当に壊れちゃうよ、そんな感じじゃ。
壊れてしまうならそれまで。でも必ず生きて還る。そのつもり。
――気概はいいんだけどなぁ。
大通りを進んでいく。右には大きな販売店「東急ハンズ」。正面には高速道路。
その高架下の信号の前でわたしたちは立ち止まる。
つい先ほどには多くの車両が通行していた、今は何も通るもののない高架下の広い道路の中央に“彼女”はいた。
“ミラー”。正体不明の存在。
膝を折り、頭をふかぶかと下げている。土下座のような姿勢。
灰色の夜の風景の中、それは薄気味の悪い、異常な光景だった。
「……来ます」
その声も終わらないうちに、両側のビルの壁が轟音と共に爆散。何かが射出される。
喜緑江美里は瞬間的にわたしを自分の足元へ引き倒す。
その直後に衝撃は続かなかった。
喜緑江美里が翼を開くように両腕を広げ、真下に振り下ろす。
あの時と同じよう。今度は黒い物体だったが、それが「撃墜」されたかのように道路のアスファルトに激突する。重たい、鈍い音だけがする。しかし、食い込んだかに見えた黒い物体は、また地面がないもののように消失してしまう。
わたしは寝そべったままの姿勢で、真上の「守護者」に尋ねる。
「……これはどういう意味」
「さっきはごめんなさい、という意味かもしれませんね」
くすりと笑う彼女。ただ表情にはすでに微笑みはなかった。
「もっとも。そうだとして、許すつもりは毛頭ありませんが」
何だろう。いつもの彼女とは違う。怒りを感じるのは気のせいではない。
……怒っている。彼女が。なぜ。
「この報いは受けていただきます」
彼女は自分の右手の指を手前に向けて掲げた。
その先にはわたしを撫でた時についた、血の跡が薄く残っている。
「『彼女』に申し訳が立ちません。そばにいながら何をしていたのかと」
――何を言ってるのかな。
わたしに聞かないで。
「……これは戦闘ではない。そう言ったのはあなたのはず」
「もちろんそうです」
うずくまったままで、奇妙な痙攣を続ける“ミラー”から視線を外さずに、彼女は言い放った。
「わたしのこの気持ちを、解っていただくだけですから」
その後、喜緑江美里はわたしのまったく知らない「情報操作」を行う。この空間でのみ発現するコードなのかもしれない。わたしたちのものではまったく実効力がないのに。
少し目線を上げる。その先に、青白いゆがんだ空間。
「解析して無力化します。あの姿を」
“ミラー”が回避のような行動を取ろうとしている。立ち上がろうとして、でも失敗。
地面に張り付いたようにして完全に動きを停止している。
喜緑江美里があの血のついた指先を軽く打ち鳴らさせると、歪んだ空間からプラズマの放電のような青白い炎が現出。重い衝撃音と共に“ミラー”を直撃し、爆散。
あまりのまぶしさに目を細める。受光量が限界を超えていた。
「……改めて訊く。これは戦闘では」
「わかってくれたみたいですけど、“彼女”は」
すでに女性の姿ではなかった。黒い粘土のような、形状不明のものがそこにいる。
ただ醜く蠢いているだけの、奇怪な物体。表面には何かの文様なものが浮き出ているが、意味は解らない。
「……あれすらも、本来のものではないでしょう。何とかこの空間に現出し続けるための、方便のようなもの。実際にはわたしたちに認識できるとは思えない」
「わたしたちにわかってもらいたい、ということなの」
「おそらく。ただ、あまり身勝手な意見の押し付けは、嫌われる要因になると思いますけど」
「それなら、今、あなたは何と。あのプラズマのようなものは」
「恥ずかしがらないで、くらいの意味で使ってみました。意外と照れ屋さんですね“彼女”」
何というか、わたしは喜緑江美里に対して……たぶん、畏怖というものを覚える。
普段の穏やかさとはまるで違う。
……素直に思う。怒らせたくはない、と。
地響きが聞こえる。地震のような。
喜緑江美里の表情に明らかな動揺。
「今度はなに」
「……過敏に反応をさせすぎたかも」
「なにを言って……」
地面の振動がさらに激しくなる。
道路の影が、少し濃くなるような印象。
「とても雄大な表現をされる個体だったようですね」
わたしは空を見上げる。
そこには、こちらに向かって倒壊する六十階の高層ビル。
サンシャイン60の姿があった。まるで山がひとつ、そのままこちらに向かって崩れてくるような圧迫感。
「……ひとつ訊きたい」
「何でしょう。今、少しばかり忙しいのですが」
「……あれはどういう?」
「……もしかしたら、大好き、とか」
「あなたの分析能力には大いに疑問がある」
「個体性能評価でしたら、無事に戻った時にお伺いしましょう」
わたしたちふたりは体制を立て直して、全力で後方に移動。
地響きはさらに大きくなる。大質量が空気を押しのける風鳴りと、鉄がこすれあうような不快な金属音、ぎしぎしとこすり合わされるような、高密度質量のぶつかり合う異音。
さらに影は濃さを増し、わたしたちに向かって接近してくる。
これがコミュニケーションというなら、本当に彼らとは理解などできそうもないと思った。
意味がまったくわからない。
そして直後に、彼女の姿が消えた。
空気が炸裂するような音と共に、喜緑江美里の姿が消失。
わたしは、急いで消失した後の軌道を追い、そこに視線を向ける。
白いワンピースが血に染まっていた。遥か前方、五十mほどの距離で。
まったく動かない。手足がでたらめな方向に曲がった状態で倒れている。
真後ろからの攻撃。
機能停止――まさか。彼女が。
影がさらに近づいてくる。ビルがもうすぐそこまで。
微弱な思考リンク。完全ではないが、まだ通じる。
(……完全に同系個体では……なかった。八十二%の同位率……その意味を失念して……)
(無事なの)
(中枢神経系を完全破壊……されました。せめて歩行できるレベルに回復するまで、五分は必要。申し訳ありません)
(動かないでいい)
わたしは残った力で振り返る。
(後はわたしが何とかする)
轟音と共に別の音がする。何か粘りついたような。
真後ろには、わたしの上へ覆いかぶさるようなあの黒い物体がすでに肉薄していた。
不気味な粘体の姿。その後ろにはすぐにも頭上に迫る巨大なビル。
喜緑江美里の声は聞こえない。
わたしはその瞬間に、戦闘ではない「接触」を試みる。
いかなる攻撃も考えず、ただその粘体の表面に手をかざし、接近した。
異形の感触。
……そして視界は闇に包まれた。
思考リンクの時によく感じる、擬似空間に似ている。
わたしは真っ暗な中を、ひとりでさまよっている。
妙に刺々しい、不安にさせる、居心地の悪さ。
その中央に一人の女性がいる。
彼女。“ミラー”の寄り代にされた、あの女の人。
彼女は泣いている。うずくまって。
何を泣いているの。
彼女のそばに近寄ってみる。
わたしがそばに来たことも気づかないのか、泣いたままでいる。
「なぜ泣いてるの」
そっと訊いてみる。
『……哀しいから』
「なぜ哀しいの」
『もう逢えないから』
「誰に逢えないの」
『大切だった人』
「……それは、どんな人なの」
『大好きだった。それなのにもう逢えない』
……思考がぼやけていく。これは……この感じは、なに。
取り込まれているヒトの思考。それが干渉して共鳴……している。
共鳴。わたしに彼女と同じ部分があるという事。
「……なぜ逢えないの」
『死んでしまったから』
心臓の位置が、不全作動する感覚。
それは、わたしがあの時に感じたものに似ている。
あの夜。ひとりで過ごした時間。
五〇五号室。
『あんなに大好きだったのに。愛していたのに』
「………」
『でも、それでもわたしは、彼を裏切ってしまう』
「……どういう事」
『…忘れてしまいそうになる。新しく好きな人ができそうになってしまう』
「忘れなければいい」
わたしはそう思う。
「ずっと覚えていればいい」
『そんなの無理。気が狂いそうになる』
「……わからない」
『だから忘れたい。でもそんな自分が嫌。大嫌い。自分勝手なわたしが』
彼女は泣き止まない。むしろその思考はより深く暗いものになってゆく。
『……だから、そんな自分が怖いの。とても、恐ろしい』
これがそうなのか。
恐怖。恐れ、不安。その対象に偽装する広域帯宇宙存在。
“ミラー”はその感情に取り付いている。
『好きにならなければ良かった。愛するなんて知らないままの方が良かった』
「……本当にそう思うの」
『この苦しさは、もう解決できない。ずっとわたしを苦しめ続ける』
出逢わなければ、良かったのだろうか。
わたし自身のことを考えてみる。
ただの情報端末の一つとして配置され、何事もなく待機モードへ移行する。
三年が過ぎ、わたしは観測任務へ。
そして何も知らないまま、わたしは護衛対象と昇格した“彼”を守るため、何も考えることなく、彼女消してしまえた。
ただの機械知性体として、その命令に赴くまま、何も感じることなく。
――いやだ。
――そんなのは嫌。
――彼女と出逢えてなければ、今の「わたし」はここにはいない。
出逢わなければ、辛い思いをしなくて済んだのに。それでも?
――それでもいい。
――あの人とずっと一緒にいたかった。だから、あれだけの努力をした。
――報われなかった。だけど後悔なんかしていない。
――ずっと覚えていくの。忘れることなんかできない。
……忘れたりはしない。
――嘘つき。
――忘れてしまったくせに。
――あんな大切な言葉を。
何の事。前にもそんなことを……喜緑江美里も、そんな事を言っていた。
――彼女の最後の想いを。
――あなたがこの人の事に何か言えるとでも?
――いつか後悔する。でもわたしが、それを思い出させてあげる。必ず。
内から響く声の意味が解らない。
でも、最後の言葉の意味だけははっきりと理解した。
――……お願いだから、彼女のことを忘れたり、しないで。
……わかってる。
わたしは“彼女”を抱きしめる。
辛い。きっとそうだろう。この機械のようなわたしですら……辛かったのだから。
彼女と同じ。
でも、やはり違う。
わたしは、出逢えたことを後悔などしていなかったから。
裏切りだったのかもしれない。そうではなかったのかもしれない。
でもただ一つだけ。信じられることがある。
あの五ヶ月の間の、彼女の笑顔。
あれは、真実のものなのだと。わたしはこの時に、確信する。
きっと、そうなのだ。
そして、わたしは言う。
彼女のくれた魔法の言葉を「想い」を込めて、今、初めて人に対して使う。
「……だいじょうぶ」
――あなたにそれだけ想いを抱かれた相手は、どれだけ……「幸せ」だったのだろう。
都会の喧騒が耳に入る。
わたしはゆっくりと起き上がる。もう、すでに日が暮れていた。
狭い路地の隅で、喜緑江美里があの女性を抱いている姿が見えた。
身体の再構成は終了している。身体の傷も服の損傷も、すでに消えていた。
「……彼女は」
わたしは少しだけふらつきながら喜緑江美里のそばに近づいた。
被害者を優しく抱いた喜緑江美里は、わたしに振り向いて微笑みを浮かべる。
「うまくできたみたいですね。「接触」」
「……偶然」
はっきりとは覚えていない。ただ、妙に安定した印象がある。自分の中で。
何か、とは言えないが。
「寄り代となる女性の精神が、急速に回復し、自我を取り戻しました。もう、この現空間で“ミラー”が実効化できる場所は存在しないでしょう。生存環境を失えば消える道理です」
「もう二度と会いたくない」
わたしはふらつく頭を軽く手で押さえ、倒れた女性の顔色を見る。
「どうなの」
「……深刻なものではありませんが」
喜緑江美里のその胸の下で、女性が目を覚ます。
こちらを認め、うつろな表情だったが話し始めた。
「……あなたたちは?」
「宇宙人です」
……宇宙人?
喜緑江美里のその返答に、わたしは目をむく。ほとんど意味がないくらいの動きにしかならないが。
そんなわたしを置いたまま、彼女の意味不明な自己紹介は続いている。
「あなたを助けにきました。正義の味方です。たぶんM87とか、アンドロメダとか、そういうところから来た」
脱線していくとんでもない言葉に、思わず背後から口を挟んでしまう。
「……あなたはいったい何を言っているの」
「ちょっとした冗談です」
「冗談に聞こえない」
肝心の女性を置き去りにしたまま、「宇宙人」二人組はまったく中身のない会話を続けていた。
「こんな時にどういうつもり。ふざけ過ぎている」
「どうせ記憶は、完全に消してしまわなければなりませんから」
澄ました顔で喜緑江美里は言う。
……元からこういう個体だったのだろうか。朝倉涼子もそうだったように、彼女にもあるのだろうか。これが個性というもの?
第一印象とまったく違う。
「……もういい。わたしがやる」
わたしは彼女の額に手をかざす。
記憶を消去しなければ。
その時、彼女の抱いていた、あの深い哀しみを思う。
――忘れた方が、楽になる。
情報制御を開始しようとした、その時に喜緑江美里が制止した。
「いけません」
「……何が?」
「消す記憶は、今回の、この事件の事だけです」
その表情は真剣そのものだった。また怒ったのだろうか。
「そのつもり」
「違うでしょう」
彼女は深く息をつく。
「……この方の、原因となった思考部分と記憶までも抹消するつもりだった」
「……いけない?」
「それは、彼女が解決するべき問題です。それに……」
喜緑江美里の微笑みが薄れる。
「……例えば、あなたは忘れてしまいたいのですか。”彼女”のことを」
わたしたちは駅に向かう。
この街の夜はとてもにぎやか。でも、早くあの自分たちの場所へと帰りたいと思う自分がいる。ホームシックというもの? そうかもしれない。彼の元へと、還りたい。
「今回のことですが」
喜緑江美里はもう後ろにはいない。わたしの横を共に歩いている。
おそらく今後、これからはそうするつもりなのだろう、とわたしは思った。
「お話ししたのはわたしの独断です。そのつもりで」
「わかった」
自分の生み出された真の意味。
自立進化を探るもうひとつのプロジェクト。
自分にかけられた期待。あまりにも過大なものについて。
「……経験、と言った。今回のこと」
「そうです」
「統合思念体は、今回の事でわたしに何を教えたかったのか……うまく解析できない」
さまざまな事を知った、とは思う。
例えば「恐怖」「哀しみ」、最後には… これは不完全だったが、「幸せ」?
これまでにも「緊張」「心地よさ」「焦り」「苛立ち」「怒り」……生まれた頃にはなかったものが、今ではわたしの中に発現し、定着している。
これらを得て、最後にどうなるというのだろう。
それとあの朝倉涼子の残した、謎の情報因子と声のことも気になる。
十二月十八日に、これらがなぜ時空改変などを起こすのか、その正しい理解はできない。
今はまだ。
でも、そのように期待されて造り出されたのだ。
今さら、他になにができるというのだろう。
造りもののわたしは、生み出した者たちの期待に沿うように動くしかない。
そのように、生きるしかない。
今はそれでいい。
そう、思う。
「今回の遠征では、おそらくは……」
喜緑江美里は言葉を選ぶようにしてから、言った。
「理解できないものに対する、理解しようとする姿勢、とか。そのような経験を期待していたのではないでしょうか」
「……それでは、余りにも理解しにくい」
「そうですか?」
彼女は駅の構内の階段に足を踏み入れながら、少し遅れたわたしを見上げて言う。
「本来、わたしたちとヒトとですら「異質」であるという事。それを忘れているのでは」
それはそうだろうと思う。本当にヒトの事を理解しているわけがない。
感情の意味。生命の意味。それらを寄り合わせた「生きる」という意味。
それがわかれば、今のわたしは思考を重ね続ける事などないのだから。
でも、それは他のインターフェイスたちも同様だったのではないか?
……つまり、わたしは本当に、わかろうとしていなかったという事か。
すべて理解不能で済ませてしまっていた。
“彼”に対しても?
……そういう事かもしれない。
翌日の放課後。学校の部室。
またいつものような日常へと戻ってきた。それを実感する。
一番最初にドアを開けて入ってくるのは彼。朝比奈みくるはいろいろあって遅れるらしい。
涼宮ハルヒも比較的平穏。古泉一樹は最近アルバイトに行くこともなく、様々なゲームコレクションの開陳に励んでいる。
何事もない、平穏な日々がまた始まるのだろう。
「昨日、おまえいなかっただろう」
彼はかばんを机の上に置きながらわたしに尋ねる。
「今週のミーティングの事で、ハルヒからいろいろ言われて相談しようかと思ったんだが」
わたしは本をめくりながら、黙って彼の声を聞いている。
その沈黙におかしなものを感じたのか、彼が訊いてくる。
「……まさかとは思うが。また、なんかあったのか。あのカマドウマとか」
「別に」
わたしは静かに答えた。
「特に、何もない一日だった」
彼の言葉を聞きながら、昨日の事を振り返る。
もっとも感じたこと。愛と、それを恐れるヒトの心。
愛とは、それほどまでに恐ろしいものだろうか。
まだ、わたしには理解できないけれど。
――いつか知りたい、とわたしは思った。
窓から熱を帯びた風が吹く。
心地いいその風を感じながら、わたしは彼の元に戻った、その実感を噛み締めていた。
夏休みが始まろうとしていた。
わたしにとっての忘れることのできない、一万五千分の一の、あの夕立の日の季節。
その日が訪れようとしている。
―第20話 終―
SS集/515へ続く