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作者 | 輪舞の人 |
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作品名 | 機械知性体たちの輪舞曲 第19話 『生きる理由』 |
カテゴリー | 長門SS(一般) |
保管日 | 2007-02-04 (日) 03:26:26 |
キョン | 不登場 |
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キョンの妹 | 不登場 |
ハルヒ | 不登場 |
みくる | 不登場 |
古泉一樹 | 不登場 |
鶴屋さん | 不登場 |
朝倉涼子 | 登場 |
喜緑江美里 | 登場 |
周防九曜 | 不登場 |
思念体 | 不登場 |
天蓋領域 | 不登場 |
阪中 | 不登場 |
谷口 | 不登場 |
ミヨキチ | 不登場 |
佐々木 | 不登場 |
橘京子 | 不登場 |
「後の事、お願い」
「わたしでよろしいのですか。本当に」
「……彼女、たぶんほんとは泣き虫だから。いつか泣くことがあったら、そばに居てあげて」
「彼、かも知れませんよ。その時、そばに居るのは」
「……そうかも。じゃあ行くね」
―ある情報端末たちの最後の意見交換―
喜緑江美里。わたしはその後ろ姿を霞んだ目で見つめている。
赤く染まった視界の向こうで、あの正体不明の宇宙存在から身を挺するように立ちはだかる。
わたしを……守っている。
どうして防げたの、あの攻撃を。
「あなたは知らなくてはいけません」
喜緑江美里はわたしに背を向けた姿勢を変えずに、右の手の平を上に向けて差し出していた。
「これは殲滅を前提とした「戦闘」ではないという事」
声の向こう側に、痙攣するかのような広域帯宇宙存在の彼女が見える。かすかに。
「事前に通達されていた接触任務であるということを、あなたは失念している」
何かを掻き毟るような音。あの崩れ落ちたビルの残骸が下から突き上げられるように盛り上がる。直後、わたしを貫いたあのらせん状の鉄の奔流が鉄骨から最度生成され、今度は喜緑江美里に迫る。
わたしは警告の為に声を振り絞った。これは、我々の展開するどの系統のシールドでも防げない。避けるしか、ない。
「避け……」
「このまま」
冷静に喜緑江美里は、かざした右手を僅かに下に傾ける。
うねる軌道を描いて飛来する鉄のらせんは、手を傾けた刹那、喜緑江美里の直前で何かに打ち落とされたかのように急激に角度を変え、火花を散らす。
顔面に直撃するかと思われたそれは、不自然なまでの急角度で軌道を逸らされ、彼女の差し出した右手の平の中へ激突。接触するや青白い炎が激しく吹き上がり、それと共に吸い込まれていく。
灼熱を感じさせる炎を手の平に受けたまま、その光の中で彼女が言葉を続ける。
「……この個体と同位率が八十二%のもの。それが二十三億年前のシリウス近傍宙域で確認されています」
喜緑江美里は静かな口調のまま、わたしの知らない情報を口伝で伝える。
「もしくはアルタイル。これは、その二体ときわめて近い組成の個体。以来、統合思念体はこのタイプの広域帯宇宙存在とは接触していません」
炎の噴出が止まる。鉄骨の槍は、完全に彼女の手の平の中に吸収されたかのように見える。軽く右手を振り払う動作。しかし、彼女自身にまったく損害が見えない。
「……その時の記録があります。いずれも、結果は同じ。「接触」に失敗した上、思念流そのものに甚大な被害を受けた統合思念体は、対応策を我々穏健派に託しました」
宇宙存在がリズムを取るかのように足踏みをした後、跳躍。
脚が二倍ほどにも伸びたように見える。
「結果」
喜緑江美里は、今度は左手を振りかぶり、なぎ払う。その手が見えない。
急降下する宇宙存在は、彼女に触れる十mも手前で、鼓膜を破るかと思われるほどの巨大な爆裂音と共に瞬間的に姿を消失していた。衝撃波の発生。音速を超えている。
ごくわずかな時間差で、巨大な衝撃音と振動と共に二百mは離れたビルが崩落する。轟音と煙が、そのビルの中腹部から発生。その中へと吹き飛ばされているのか。
何が起こっているのか、正確に把握できない。
彼女が本当に何をしているのか。
「……この個体系統を“ミラー”と呼称し、接触する手段を獲得するに至ります」
喜緑江美里はそこでようやくわたしに振り返った。
「無事……ではありませんね」
わたしは貫かれた姿勢のままだった。しかし、このらせんの鉄塊は連結解除で解体できない。組成情報が違いすぎる。
喜緑江美里は何のためらいもなく、そのらせんに手を触れた。
「無駄……これは」
「お静かに」
その声と共に、らせんは彼女の手を中心として、水銀のように溶け落ちていく。
連結解除のものとは明らかに違う崩壊状況。方法そのものが、違うという事。
硫酸に溶かされたような「らせんを描く鉄だったもの」は、地面に落ちるとまったく抵抗なく、弾かれることもなく、落下するように消失する。
そう。まるでその「地面そのものが」なかったかのように。
わたしはその場に倒れる。全身の機能が麻痺状態に陥っていた。
「……いったい、何が」
「最初から戦闘行動を取りましたね」
喜緑江美里がそばに膝をつき、覗き込むようにして問いかける。
「あの個体はあなたのその思考、恐怖とも取れる精神波形に反応しています」
「恐怖……わたしが」
これまでも恐れ、恐怖などという概念はわかっているつもりで使ったことがある。
だが今回、あの部屋で感じたものは別格といっていい。
あれが「恐怖」というもの。
「“彼女”はそれに反応したに過ぎない。あなたの取ろうとした行動を、“彼女”なりに理解し、対応しようとした結果がこれです」
「あれは、敵のはず」
「あなたが先だった。敵として認識したのは」
喜緑江美里の声には鋭さも厳しさもなかった。ただ事実だけを告げる。しかし、断固としたものを感じさせる、強い言葉だった。
「それよりもまずは、身体に受けた傷を回復させないと」
彼女の手がわたしの頬を撫でる。額から流した血が、彼女の繊細な指に付着する。
それを見て、喜緑江美里は宇宙存在を「撃墜した」ビルへ視線を走らせる。
「……いずれにせよ。“あれ”には、この報いを受けてもらうことになりますが」
彼女の指先についた血は、不吉なまでに赤く染まっていた。
時間を稼ぐ為にわたしたちは移動を開始する。情報制御の実行速度が緩慢。
この擬似的な制御空間内では、わたしの力は発現するのに時間がかかるようだった。
「あまり無理をして再生を急ぐと、異常再生してしまう可能性があります」
わたしの左腕を首に回して担ぐ彼女が説明する。
「この空間内では、わたしたち本来の力はほぼ無効化されていると言ってもいいでしょう。ここは“彼女”の庭です。わたしたちは闖入者でしかない。歓迎されているわけでもないですし」
「……なぜ、そんな情報を」
「穏健派は、常に情報を収集しています。思索派は与えられた情報をひたすら検討するだけですが、我々は違う。情報の欠落を最も嫌う、思念総体の中でも、その意思はさらに強いもの」
「わたしは何も知らされていなかった」
ゆらゆらとした足取り。ダメージの蓄積は思ったより大きい。胸を貫通した傷跡の再生は遅々として進まない。穴が開いたまま、肺も含めた内臓器は全壊している。生身のヒトであれば即死している状況。
朝倉涼子の時もそうだった。だが今は違う。再生の見込みもなく、わずかな余裕もなかった。出血も止まらない。血が抜け出ていくだけの為、皮膚から赤みが失われていく。
擬似的な生命なのだと、改めて思う。
わたしは、ヒトではない。
「なぜ、いつもわたしだけが、何も知らされないの」
「………」
「今日の事。あの七月七日の事。自分のこの、欠落したコミュニケート能力の事」
喜緑江美里は黙って聞いている。
「そして……朝倉涼子の事」
わたしは足を止める。再び、最初に来た繁華街の大通りに来ていた。
映画館がすぐ横にある。大きな看板が並び、でもヒトは誰もいない。ゴーストタウン。
「……あなたは知っている。統合思念体も。なぜ、わたしには何も知らされないの」
「……お話できることがあります。今」
喜緑江美里は、そっとわたしを地面に降ろしてかがみこむ。わたしはその映画館の近くのゲームセンターの柱にもたれかかった。意識はあるが、何かの異なる情報が食い込んでいるためか、ぼんやりとした知覚しかできない。まるで毒に犯されているみたいに。
喜緑江美里は普段の声色で説明を始める。穏やかで、静かで、優しい声。
「……涼宮ハルヒとの接触のために、わたしたちは生み出されました。同じアーキテクトを元に、三つの派閥が、それぞれの思惑を込めて作成した。ヒトの言うところでは、わたしたちは姉妹と言えるでしょう。今はいない、朝倉涼子も含めて」
「それは知ってる」
「その時に、自律進化の可能性をあの彼女、涼宮ハルヒを観測した上で探るという以外に、もうひとつの計画が立案されました。急進派からの提案で、です」
「………」
「最初に組み上げられたのは、あなた、長門さんです。そしてあなたを中心に、サポート・デバイスとして、わたしと、朝倉涼子が造り上げられました」
七月六日。最後のあの夕暮れの会話を思い出す。それに該当する会話は確かにあった。
『そのように造られた。その必要があったから。あなたは、統合思念体の全ての派閥の期待を受けて造られた、特殊な目的の為の端末といえる』
『……わたしの任務は涼宮ハルヒの観測』
『それもある。でもそれだけじゃない。だからだいじょうぶ。今言えるのは、ここまで』
あの時の会話。まったく意味がわからなかった。
彼女もそれを知っていた。そうなのだろう。今の話を信じるとすれば、急進派の彼女は知っていて当然の話だと思う。
「その計画は、急進派らしいものでもありました。ただ観測を続けるだけで、果たして涼宮ハルヒのその力の源泉ともいうべきシステムを解析できるのか。彼女の能力は精神面に大きく作用されるものです。思春期と呼ばれる、精神的にもきわめて不安定な状態が、もし直接作用するのであれば、その時期を過ぎれば消失してしまう可能性も拭いきれない。つまり、保険としてもう一つの計画が必要とされたのです」
「………」
「その計画の為に、わたしたちに再設計が施行されました。配置の変更も。特に大きく仕様の変更がされたのがあなたということになります。すべての対人コミュニケートシステムをカットし、まったく無垢な状態のまま、あなたはこの世界へと現出するように計画変更がなされました」
「なぜ……そんなことを」
「……あなたは、自分ですべてを生み出さなくてはならないから」
彼女の声には……「哀しみ」の色がある。今、それがわかる。
そして、七月七日の朝倉涼子の声。ドア越しに聞こえた声。
『あなたに会いたくない』
同じだと感じる。あの時、朝倉涼子が何を考えていたのかは知らない。
だが、わたしはそれだけで救われたような気持ちになる。
あの時、確かに彼女は「嘘」を言ってくれていたのだ。
哀しみをたたえたままで。
……だけど、わたしはそんなものを望んではいなかった。
自分で、すべてを生み出す。どうしてだろう。
なぜ、それがわたしでなければいけないのだろう。
「……では、なぜ今回、この任務にわたしが来なければならなかったの。わたしとあなたで」
「統合思念体はあなたが、さまざまな経験を積む事を期待しています。それはあらゆる分野に及ぶでしょう。こうした接触任務で、あなたはいくつかの情報を新たに得て、それにより内部から生み出されたものがある。それを実感しているはずです」
「……恐怖、哀しみ……」
わたしはぼんやりと感じたそのままを言葉にしてみる。
「……ある。今はそれがわかる」
「これまでも、他にいろいろあったはずです。彼女、朝倉涼子が教えてくれたはず」
わたしは目を閉じる。どういうことだろう。
わたしはただの端末に過ぎない。そのはずだったのに。それで良かったのに。
こんなことをしたいと思わないのに。
「いずれ、本当の意味であなたはすべてを知ることになります。その時までに、あなたは様々な経験を積まなければいけません。これまでのように」
「でも……それは辛いと思う。わたしには、耐えられないかも」
「わたしがいます」
喜緑江美里が手を握る。暖かい、細い指。彼女の手を思い出す。
「信じてくれという、思念体の意思はあまりに勝手なものだとあなたは思うでしょう。ですが、それは思念体全体と、我々すべてのインターフェイスの希望となるものだから」
「……駄目、だとは、言えないの」
「それが」
喜緑江美里は、儚い、あまりにも儚い微笑みを浮かべた。悲哀と、他に何かが含まれている。
「あなたがここにいる理由。わたしがここにいる理由、だから」
音が聞こえる。
遠くに。
今はもう、なくなってしまった、取り戻せない風景がわたしの周りにあった。
だからこれは夢。
わたしの能力のひとつ。
彼女が与えてくれた、大切なものが見せてくれる、幻。
『……カレーライス? 作りたいの。自分で』
彼女は読んでいた絵本を置くと、振り向いてわたしを見つめる。驚いている表情。
『いいけど。簡単だしね。失敗する方が難しいかも』
彼女はエプロンをわたしの分まで用意して、キッチンへと誘う。とても、嬉しそう。
まだ五月の頃だったろうか。よく思い出せない。
彼女の笑顔を、忘れてしまいそうだった。
『じゃがいもの皮むきは難しいよ?』
わたしは何度も小さく刻むようにして皮をむく。
あまりに不器用。気がつくと、もう指を滑らせている。
失敗。左指に血がにじむ。
『だいじょうぶ? すぐに手当てしないとね』
彼女は笑ってわたしの指を口に含む。情報制御ですぐに止められるのに。絆創膏を張ると言ってきかない。こういう時の彼女はとても頑固。
『包丁を使うとき、もっと力の加減を考えないと。本当に危ないからね』
彼女はつきっきりでわたしに教えてくれた。
玉ねぎを炒める。あっという間に焦げてしまう部分がある。大きさにばらつきがあったから。わたしが自信なさげに振り返ると、彼女は笑っていた。
『だいじょうぶよ、少しくらいなら。きつね色になったらすぐに火を止めて』
食材の準備が終わる。鍋に水を張るという事らしい。量がよくわからない。彼女に聞いてみる。
『ちょっと多くても、だいじょうぶ。後で煮込むし、灰汁(あく)も取るから』
だいじょうぶ。彼女の口癖。
そう。だいじょうぶ。その言葉がわたしに勇気をくれた。
わたしは繰り返す。何度も。その言葉を。
――生きなくては。
どんなに辛いことがあったとしても。
自分に何が期待されているのか、今はわからない。
でも。それでも。
あの笑顔を消してしまったのは、他の誰でもない。
自分自身なのだから。
……この偽りの生命に、どれだけの価値があるのか、今はわからないけれど。
―第19話 終―
SS集/503へ続く