作品

概要

作者輪舞の人
作品名機械知性体たちの輪舞曲 第18話         『守護者』
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-02-03 (土) 00:16:32

登場キャラ

キョン不登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 
 

 恐れとは、理解できないもの対して感じることよね。
 あなたはすでにそれを知った。
 で、あなたは愛を理解しているのかな?

 

 ――愛を恐れよ。

 

―???????―

 
 

 新幹線はこれで三度目。今までの二度はSOS団の三人と。でも今回の同行者はひとりだけ。
 わたしは喜緑江美里と共に、一路東京へと向かっている。
「質問がある」
「何でしょう」
 右隣の通路側の座席に座った喜緑江美里が、その整った顔をわたしの方に向けた。
「この先の任務内容で、何か疑問点がありましたか」
「違う」
 自分の持参した文庫本、「月は無慈悲な夜の女王」を閉じて、代わりに彼女が持っている雑誌に視線を向ける。
「それは」
「情報誌です。現地の」
 彼女が顔を隠すようにして見せたのは、「トーキョーの歩き方」と書かれた薄い雑誌。
 喜緑江美里に対しても遜色のない、美しい女性が表紙を飾ってわたしに笑いかけていた。
「とても見やすくて、ためになります」
「これから、何をしに行くのか理解していない」
「あら。ちゃんと理解してますよ?」
 穏やかな微笑みを絶やさず、彼女は言う。
「広域帯宇宙存在との接触任務。それと取り込まれている人の救出……」
「殲滅戦」
 わたしは新幹線の窓の外へと目を向ける。
 わざと意識して出す、硬質の声。
「これは戦い」

 
 

 すでに夜とはいっても、大気の温度は温んでいる。学校の夏休みももうすぐ。そういう時期。東京に向かう前夜。街灯の明かりだけが燈る静かな公園での事。
 そんな場所での、ふたりきりの検討会議は続いていた。
「目的地は」
「確認しています」
 喜緑江美里は静かに立ち上がった。
「東京です」
 彼女が告げた目的地は、自分は未だに行ったことのない、この国の首都だった。
「遠い」
「まぁ、一日仕事、という事になるかとは思いますが」
「……涼宮ハルヒの観測に支障が出る」
 少なくとも鉄道交通機関を普通に使用するなら、ここから往路のみで約四時間。明日、日曜日を一日使うにせよ、その間は完全に空白期間となる。
 涼宮ハルヒと……“彼”とが完全に無防備になってしまう。
 これまでは、わたし自身が“彼”を始めとしたSOS団の三人と共に行動はしていたが、その間、事情を知らされずに単独行動を取る涼宮ハルヒの観測任務と護衛は、彼女、喜緑江美里が務めていた。
 だが今度は違う。“彼”の同行は許されず、しかも喜緑江美里までも離れなければならない。完全に二人のそばには誰もいなくなってしまう。
「統合思念体はそれでもいいと」
「そのようですね」
 これまでに同行した人物たちを脳裏に浮かべる。
 古泉一樹。彼はまだいい。位相空間内では、彼の能力は制限がかかったとしても有効に作用する。わたしのサポートがあってこその話だったが。だが、“彼”と朝比奈みくるは、単純に戦闘行動においては足かせとしかならない。今回の統合思念体の指示は、それら守るべき者たちに配慮する余裕がない事を、暗に示しているのかもしれない。
 しかし、それでも納得はいかなかった。苛立ちと言っていい感覚。
「わたし、ひとりでいい」
 涼宮ハルヒと“彼”を、完全に無防備にしてしまう状況には不安が残る。何のつもりかはわからないが、少なくとも喜緑江美里が今回の任務に同行する必要はないと思う。
 わたしひとりで充分。思念体としては監視役として、どうしても同行させたいのかもしれないが、むしろそんな者がそばにいるのは足手まとい。
 すぐにも片付け、帰ってきたかった。監視役などという余計なものはいらない。
「すぐ済む。情報戦闘で手間取るとは思えない」
「命令ですよ?」
 喜緑江美里の声は、それでも咎めだてているような雰囲気はなかった。
「統合思念体の直接命令です」
「関係ない」
「処罰対象になります」
「もう、命令違反は経験している」
 何度も。朝倉涼子の消滅。その上で彼女のデータ破棄命令すらも拒否している。
「あなたもそう。すでに命令には違反している。いまさら」
「今度はさすがに、わたしが困ります」
「わたしには関係ない」
 何に困るというのだろう。穏健派から彼女に対しての個別命令が下っているのかもしれない。しかし、所詮はただの監視役にしか過ぎないはず。そんな余計な任務を抱えている端末をそばに置いて、戦闘行動を取るのはあまりにも危険とわたしは判断している。
 わたしの知らないところで、また何かが進行しているような気配を感じる。
 募る不信は払拭できない。他派閥の端末に対して、もう無条件に信頼するようなことはしたくなかった。
 わたしの思考はこの時、完全に停止していたのかもしれない。
「彼らが無防備になるのは避けたい。あなたはここに残り、観測任務の継続を」
「どうしても、でしょうか?」
「すでに九回、広域帯宇宙存在とは交戦している。それも、彼らを守りながら」
 これで会話を終えるつもりだった。
「今回、制限はまったくない。つまり、手間取る要素は何もない」
「そうとは限らないかも」
 どこかで聞いた言葉だった。聞き覚えのある、その言葉にわたしは振り向く。
「どういう意味」
「ただ一体の広域帯宇宙存在に対して、情報統合思念体が、我々インターフェイスを二体、しかも能力の無制限使用を前提として配置しようとしています。それだけ必要なのだと、判断している。そういった事実をもう一度検討するべきです」
 初めて見る表情だったかもしれない。喜緑江美里の顔からあの微笑が消えている。
「長門さん。あなたは何も知らない。彼らのことを」
「……あなたは知っているというの」
「同行させてください。今回の接触任務では、きっとお役に立ちます」
 わたしはしばらく彼女の顔を見つめていた。揺るがない自信。そういうものが感じられる態度だった。
「……わかった」
 ただ一日だけ。“彼”と離れなければならない。
 いろいろ理由をつけて、本当に気がかりだったのは、実はその事だったのかも知れない。
 そう気づいたのは、ずいぶん後になってからの事だった。

 
 

 新幹線で新大阪から品川まで。その後、池袋駅まで移動する。
 到着する頃には昼の二時過ぎになろうとしていた。

 

 ――彼と一緒だったらよかったのに。つまんない。

 

 ……最近、この声にも慣れてきた自分を感じている。頻度は高まっているが、以前のような不快感は少しずつ薄れているような気もする。
 これがいずれ、どのようにわたしを侵食していくのか、不安はあるがどうしようもない。
 思考制御ブロックを申請する時期がいずれ来るだろう、と思う。それを申請すれば、凍結処分も考えられる。壊れた端末に用はないと判断されてもおかしくはなかった。
 彼女の残した、謎のままの情報因子。意思を持つような、それ。
 いずれ決着はつけなければならないだろう。
 これもまた、わたしひとりの問題。誰の助けも求められない。

 
 

 わたしたちふたりは、池袋の東口出口で立ち尽くしていた。
 車が多く行きかうロータリー。
 人の多さ、騒音、大気の汚染度。
 あまりの環境の変化に戸惑う。初めての経験。
「………」
「……ここでよいかとは思うのですが」
 喜緑江美里は、視界を遮るほどの人が待つロータリーの信号前で、心もとない説明を始める。
 彼女の白いワンピースは自分から見てもよく似合うと思う。わたしは適当に選んだサマーニットにジーンズのミニスカート。
 三年前に朝倉涼子の見立てたものだった。自分で選んだ記憶はほとんどない。
 日曜日ということもあってか、人通りはとにかく多い。彼女の声がよく聞き取れない。
「対象個体の反応が完全には特定できません。おおよその位置はわかるのですが……」
「わたしもそう。理由は」
「活性化しているとはいえ、ここまで人口密度の高い地域ですとノイズが多すぎるのでは」
「この周辺なのは間違いない」
「それはそうなんですが。時間帯も悪かったかもしれません」
 確かに週末の都市部ということを考慮に入れるべきだったかもしれない。しかし、あてにならない。情報が雑すぎる。現地で最初から探索する状況は想定していなかった。
 それとも、これまでのタイプと違うのだろうか。今までの対応では探しきれないのかもしれない。
「統合思念体は」
「今のところは、何も。他の端末群への支援もあるようで」
 あれほどの能力を誇る思念体が、こちらへの支援を回せない、という事があるだろうか。
 理由はよくわからない。
 もしくは、よほど隠匿性能に優れた個体なのかも。
 慎重に探し出さなければ。狩られるのはこちらかもしれない。
 信号が青に変わる。わたしたちは人に押されるように移動を開始した。

 

 大通りに辿り着く。自動車の侵入は禁止されている繁華街の中心部。両脇には飲食店や映画館、服飾関係の店などがにぎやかに並ぶ。
 そしてその向こうには高層ビル。六十階層はあるだろう。
 こんな人の多い繁華街の中で、そのまま目標に接触できるとは考えにくかったが、人波に流されるまま移動するといつの間にかここに来ている。
 喜緑江美里はいつものように、ただ静かに微笑みを浮かべたまま、わたしの少し後ろをついてくる。建設的な意見は何もない。やはりお目付け役ということだろうか。
「ちょっといい?」
 気がつくと、見知らぬ人間ふたりがわたしたちに声をかけてきていた。あまりに声が多く、どの声がどれを対象としているのか判別し難い。ふたりとも男。
「今ヒマかな?」
 明るい声だった。生体年齢は我々と同じか、少し上。
 危険物の所持はなさそう。こちらに危害を加える可能性もおそらくはない。
「なに」
 わたしが返答すると、彼らは顔を見合わせてお、と感嘆のような声をあげる。本来なら聞こえないはずの、その後に続く小声での会話はわたしにははっきりと確認できた。
「マジかわいいよ、この娘」
「ああ、俺もそう思う」
 ……どう対応するべきか、判断に困る。
 彼らが何をしたいのか、わたしには理解できない。
 ただちに思考リンクを確立。喜緑江美里に意見を求める。

 

(いったい、これはどういうコミュニケーションを期待されているのか)
(わたしにもはっきりとした事は)
(補助端末としての使命を果たしていないと判断する)
(そう言われても困ります。プライマリ・デバイス)
(『機関』に関連する者たちの可能性)
(いえ。尾行された形跡は認められません。あり得るとすれば……その)
(なに)
(いえ、ひょっとすると、これは『なんぱ』という、一種の求愛行動かと推測されるのですが)
 『なんぱ』。またもや理解不能。
(……それには危険性はないのだろうか)
(わたしという個体にも経験はありません。どうなんでしょう)

 

 こうして思考を交わしつつも無言のまま、わたしは無表情、喜緑江美里はいつもの微笑みで見つめあう。
 声をかけてきた男たちは、その雰囲気を見て何かたじろいでいる様子だった。
「あー、あのさ……」
「なんぱ、なの」
 男はぎくりとしたように動きを止めた。
「ま、まぁ」
「何を求めているのか、説明を」
「……はぁ」
 彼らはしばらくの逡巡の後、尋ねてくる。
「その、どこに行くのか、予定はある?」
「予定はある」
「なに、どこに行くの」
「探しているものがある」
 いつの間にか、わたしが受け答えをすることになってしまった。喜緑江美里はただ黙ってそばにいるだけだから。
 朝倉涼子だったら――なぜ、彼女を思い出すの。こんな時に。
「探し物。それを見つけに行く」
「それって何。道案内だったらできるかも」
「無理」
「なんで?」
「ヒトには見つけられない」
「は?」
「なんでもない。忘れて」
「はぁ……」
 何か気力を失ったような男たちは、しばらく躊躇った後「ごめん」などと言いつつ去っていった。
 しかし、何事もなかったかのように、すぐに別の女性に声をかけている。
 わたしたちは、そのままそこに置き去りにされた形になっていた。
「これは推測」
「はい」
「コミュニケートに失敗したと思われる」
「そのようですね」
「そもそも求愛の意味が解らない。求める。何を求めている。愛とは」
 そこで喜緑江美里は息を飲み込むような呼吸。わたしは彼女の顔を見る。
「なに」
「本当に、お解りになりませんか」
「………」
「その言葉はどこかで聞いたことがあるのでは」
「ない」
 記録には存在しない。聞いた? それは、いつのこ事。
「言葉そのもの。それ自体はわかる。しかし概念は理解できない。個体として得たデータの中にも含まれていない」
「……気にしないでください。該当データがなければ、それはそれでいいのです」
 再び歩き始めたわたしは思考する。すぐに後に続く彼女。
 愛? それは、いつ、誰に言われた言葉?
 わたしは知らない。そんな言葉は。

 
 

 探索という名の散策はしばらく続く。おおよその位置は送られてきた初期データにあるが、移動しているのかもしれない。そうだとすると、これまでとはまったく異なるパターン。
 被害者となる人間に取り付いた彼らは、そこから動けないはずなのに。
「彼らに特定のパターンを当てはめるのは危険です」
 喜緑江美里は言う。
「我々とは存在そのものが異質ですから。行動分析が当てはめられる個体は少ない」
 穏健派。もっとも情報に精通している統合思念体の思念流のひとつ。だからこそ、信用していいのかを悩んでいる。他の派閥という以上に、どんな考えを持っているのかも不明。
 彼女が何を考えているのかも。

 

 時間は過ぎてゆく。ぐるぐると回るように、繁華街を巡り歩く。
 時刻はすでに五時を過ぎた。すでに三時間が経過。繁華街を外れ、高層ビル近辺、高速道路の高架下周りなども回ってみるがまったく反応は感知できない。

 

 やがて公園が見えてくる。近くには公会堂という施設。他にも公共施設のようなものが見える。豊島区役所? 行政区の拠点のよう。
「……反応が」
 喜緑江美里が中空に目を向けてつぶやく。
「感知できました。います」
「……わたしには感知できない」
「こちらです。特定できました」
 彼女が少しだけ早足で移動する。
その背中を見ながら、発見したという事実を評価するより、なぜ、わたしには感知できないのだろうという思いが浮かぶ。
 個体能力で彼女に引けを取るとは思えない。いや、端末単独では、この地球に配置されているどのインターフェイスよりも情報処理能力は上のはず。
 今は、昔のわたしとは違う。いくつかの戦いも経て、個体経験値も上がっている。監視が主任務と思われる喜緑江美里に感知できるものが、わたしに感じられない、というのがおかしい。
 ……何かの策謀? その可能性はある。
 この遠征自体に不自然な点は多い。観測対象を放置してまで、なぜわたしたちがここにいるのか。
 あの赤い夕焼けの日を思い出す。
 また、そうなのかも知れない。
「……どうしましたか」
 わたしの足が止まったのを確認した喜緑江美里が振り返る。
「場所の特定はできていると言った」
「はい。そこの……」
 彼女が指し示したのは公園から程近い雑居ビル。かなり古い。
「五階にある一室ですが」
「では、あなたはここで待機」
「え? ですが」
「すぐに済ませる。わたしひとりで充分」
 本当にいるとして。一度交戦状態に持っていけば、処理はすぐに終わる。
 これまでの広域帯宇宙存在との戦闘で、危険を感じたことは一度もない。
 それでも、背後に信頼できないままの端末を配置して戦いたくはなかった。
「すぐに戻る」
 わたしは雑居ビルの入り口に向かう。
「あなたはここで監視しているといい」
「……わかりました」
 喜緑江美里のいつもの微笑みは少し翳って見える。
「くれぐれもお気をつけて」
 一礼。わたしはそれを完全に見ることなく、薄暗く狭い入り口から階段を上る。
 すぐに、終わる。

 

 今回の広域帯宇宙存在の自律個体について考える。移動を繰り返すというのも妙な話。
 一度、対象に取り付いた自律個体はそのまま位相空間内に居続けることしかできないと思っていた。これまでがそうだった。彼らは完全に覚醒しているわけではない。
 では、完全に覚醒したとしたら?
 わたしたちのように、単独で外部で行動ができるということなのかもしれない。
 侵入した部屋にはカギはかけられていなかった。
 狭いもののよく整えられた部屋。普通住居のようだった。
 パソコンがある。だが、ここで「感染」したのかは不明。
 対象はどこにいるのだろう。確か女性だったはず。二十四歳。ごく普通の、特殊な背景など何も持たない一般人。
 位相空間に侵入するべきか、そう考えていた時だった。
 周辺の空間に歪みを検知。まだ、何もしていないのに。
 周囲が突然、瞬間的に灰色の風景に染め上げられていく。
 瞬時に発生した位相空間シフト。わたしの予想したものではなかった。
 窓の外はこれまでの明るさから一変し、夜の暗闇に変化していた。まるでこれは、涼宮ハルヒの作り出した『閉鎖空間』。これまでの簡素化された砂漠の風景とは情報量がまるで違う。周辺地域を完全にエミュレートした偽装空間。
 ここまで高度な情報空間を瞬時に構築できるとは、信じられない。
 完全な無音。今までの騒音、車の音、人の声はまったく失われてしまう。
 状況の異常を確認し、思考リンク。
 喜緑江美里とのリンクは――確立できない。完全に遮断されている?
 わたしは窓に目を向けたまま、周囲を警戒する。このまま、ここで戦闘に……
 背筋に何か、電気のようなものが走る感覚。

 

 後ろに、いる。

 

 わたしはゆっくりと振り返る。
 そこには、さかさまに「立っている」女性の姿。
 女性? これまでのように、擬態されたものではなく? 本人。
 短い髪が床に降りている。顔は見えない。
 わたしは初めての体験をする。理解できないもの。
 脚にわずかな震えを感じる。これは、何。
 すぐにも攻撃を――女性の口が開く。

 

 その刹那、部屋の中の空気がわたしと女性との間にある、空間の一点に収束していく。
 そこに重力場を形成している……そう分析していた時、高密度で圧縮される空気の中に高熱源反応。
 閃光が走る。

 

 わたしは強い衝撃と放り投げられる感覚に、状況を確認できない。
 何が起こっているのかわからない。
 再度の衝撃。瞬間的に防護シールドを張っているが目がくらむ。ここは、どこ?
 すぐに現状の把握に努める。ここは……あの雑居ビルの反対側。瓦礫に埋もれた歩道の上。
 吹き飛ばされたのか。五階から。
 体に異常を検知。肺の機能低下。問題はないが、呼吸のたびに胸に痛みが走る。痛覚をシャットダウンすることもできなかった。自己修復はすぐに始まるが、よろめくように立ち上がる。
 周囲は瓦礫の山。真向かいのビルに直撃して、落下したようだった。
 衝撃そのものを完全に吸収しきれていない。身体ダメージがまだ残っている。
 ふらついた顔を上げると、そこにはあの女性の顔。
 わたしは――「戦慄」する。
 今までの敵とは、違う。あまりにも異質な感覚。
 女性の右腕があり得ないねじれを見せ、わたしに打ち下ろされる。
 少なくとも人間の筋力で支えきれる速度ではない。
 人間そのものに擬態している、広域帯宇宙存在。そんなものが、いるのか。

 

 彼らはヒトの「畏怖、恐怖の対象」に擬態化する。これまでのすべてがそうだったように、トラウマと呼ばれる精神ダメージを受けた対象そのものに擬態する。それほどに心に刻み込まれた強い感情は、彼らの自己活性化に大いに役立つのだと分析されていた。
 では、この女性は? 自身の姿そのまま。
 自分が「恐怖の対象」? どういう事。
 そんな思考に捕らわれているわたしに、打ち下ろされた右腕の一撃。わたしは瞬間的に頭から足元のアスファルトに打ち付けられる。痛みはないが、頭部が巨大なハンマーで殴りつけられ、挟み撃ちにされたよう。頭皮からの出血と、有機体であるがための感覚消失。一時的ではあるが。
 さらに腹部へ、今度は蹴り上げられる。また浮遊感。そして再度の衝撃。道路に直撃し、転がる。空気が体から完全に吐き出され、声が出ない。口からの吐血も。胃に損害が認められる。
 ただし距離は稼げる。わたしはよろめくまま立ち上がり、攻撃に移る。
 物理攻撃では今回は非効率的と判断。有機情報連結の解除を行う。危険度が判断できない。
 攻性情報因子を作成次第にすぐに放出。一気に片をつけたい。

 

 対象の女性は瓦礫の山を見つめるようにして動かない。今のうちに……そう考えていると、上から轟音。反射的に見上げる。
 ビルが、崩れている。それも周囲の複数のビルが。
 思わず息を呑む。ここは「彼女の情報制御空間」なのか。
 殲滅する――わたしはずっと楽観的に考えていた。
 これでは、存在を消失させられるのはわたしの方では。

 

 高速で移動。跳躍するように後ろへ下がる。ごく僅かな時間差で倒壊するビル群から回避。
 もうもうたる粉塵が周囲を包み、視界は極端に悪い。無視界状態に等しい。
 光学センサだけでは足りない。他の波長域での走査が必要。赤外線、紫外線探査を平行起動。こんなに苦戦するとは、完全に想定外。
 反応が戻らない。つまり見えない。わたしは焦りを自覚する。
 危険だと思う。この相手はあまりにも危険な存在だ。
 攻性情報はどこまで浸透しているかを確認。一撃で崩壊させることができる、この手段に賭けるしかない。
 今はどこまで? あと、どれくらいかかるの。

 

 攻性情報因子浸透率――0%

 

 ――まさか。
 まったく通らないなど、あり得ない。
 異質。初めてこの言葉を実感する。
 彼ら……広域帯宇宙存在とは、我々とはまったく異なる、別の存在だということ。
 情報の扱い方や、そもそも成立の仕方が違いすぎる。
 そこまで違うというの、我々と彼らとでは。

 

 ――これでは、戦いにすらならない。

 

 呆然とした、その時。
 粉塵の中かららせん状の鉄の棒のようなものが、高速でわたしを貫く。
 重い衝撃。シールドがたやすく貫通されてしまう。激しい出血。
 ……彼らの「情報」にとって、わたしのシールドは「盾」ではない。そういう事なのだ。

 

 頭の中をよぎる光景。あの光り舞う粒子。
 朝倉涼子。わたしがそうしたように、今、わたしがそうなろうとしているのかも。
 煙が薄れていく。
 らせん状の槍は、倒壊したビルの鉄骨から無理矢理生成されたもののよう。捻じ曲がった奇怪なオブジェのその先に、血まみれのわたしが装飾されている。
 最悪の展開。
 女性は薄れた粉塵の中から、まるでステップを踏むような、理解できない調子で脚を前後させながら接近してきている。
 あまりにおぞましい光景。これはいったい、何。
 顎が稼動範囲を超えて下がる。胸の前までぶら下げられた下顎。その中には何かの文様のような、情報集合体のようなものがうごめている。
 不気味としか形容できない、この世界にあってはならないような存在。そう直感する。
 その口の中にまた光が収束していく。とどめの一撃が、来る。
 わたしは懸命に槍の拘束から脱出しようとするが、らせん状に腹部にねじ込まれた鉄塊は、そんな努力を一笑に伏したようにびくともしない。
 この状況下では、情報制御もままならない。
 機能停止。
 わたしが、ここで――

 

 光が走る。
 地響きを立てるような爆音。そして爆風。

 

 ………

 

 ……しかし、思ったような衝撃はいつまでもやってこない。
 暴風が止まない中、わたしは反射的に防護するために閉じた目を何とか開けた。
 そこには、白いワンピースの女性の姿。爆風でなびいた髪を見て、わたしはうめき声を上げる。
「申し訳ありません。遅れました」
 後ろを振り向かずに、わたしへの攻撃を防いだその存在は言った。
 両手を軽く振るう。
「あとはお任せを。プライマリ・デバイス」

 

 喜緑江美里の声は、それでもいつもと変わりのない、穏やかなものにわたしには聞こえた。

 
 

―第18話 終―

 
 

 SS集/497へ続く

 
 
 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:03:01 (2625d)