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| 作者 | 輪舞の人 |
|---|---|
| 作品名 | 機械知性体たちの輪舞曲 第13話 『君去りし夜に』 |
| カテゴリー | 長門SS(一般) |
| 保管日 | 2007-01-25 (木) 21:19:56 |
| キョン | 登場 |
| キョンの妹 | 不登場 |
| ハルヒ | 不登場 |
| みくる | 不登場 |
| 古泉一樹 | 不登場 |
| 鶴屋さん | 不登場 |
| 朝倉涼子 | 不登場 |
| 喜緑江美里 | 登場 |
| 周防九曜 | 不登場 |
| 思念体 | 登場 |
| 天蓋領域 | 不登場 |
| 阪中 | 不登場 |
| 谷口 | 不登場 |
| ミヨキチ | 不登場 |
| 佐々木 | 不登場 |
| 橘京子 | 不登場 |
今にして思うと、彼女の当初からの目的は何だったのだろう、と振り返ることがある。
わたしに対する「支援行動」は、任務と無関係なものがそのほとんどを占めていた。
わたしは、生成されてからすぐに待機モードに入ることもできた。
ただ、あの七〇八号室で、ひとり静かに座っていても良かったのだ。
朝倉涼子と接触する事もなく。
だが彼女はやって来た。わたしの元へ。
そして、わずか五ヶ月ばかりの、彼女との奇妙な共同生活が始まった。
結局、わたしに対する機能破壊行為。それだけの為だったのかもしれない。
その為のもの。本当にそうだろうか。それだけの。
でも、今はもういい。それについては、何も考えたくない。
あれから三年以上が過ぎている。
――もう、終わってしまう。
時間が来た。
彼女の中に浸透した、攻性情報因子の結合と組み上げ準備が完了している。
流れ出す血液に、わたしの足元はまるで小さな水溜りのよう。生暖かい感触。
彼もそんなわたしの姿を見て驚いている。いや、恐怖なのかも。
……自分の無残な姿を想像して、彼の感じる何かが、本当にわかりかけている気がする。
わたしは目を伏せると、ゆっくりと右手を、彼女の変成した手へと重ねる。
かつての温かみなどまるでない、冷たく光った、わたしを貫く巨大な楔。
「終わった」
「何の事?」
朝倉涼子の声。
「あなたの三年余りの人生が?」
「違う」
――あなたとの三年余りの記憶が。
「情報連結解除、開始」
朝倉涼子の中に個別に浸透していた攻性情報因子。それぞれひとつひとつでは、何の意味も持たないごく微細な情報因子たちが、いっせいに組みあがり、解除プログラムを形成。
一気に彼女の有機情報の連結解除を実行に移す。
「そんな……」
彼女の体が崩壊を始める。すでにわたしを貫く禍々しいモノたちが分解を始めている。
彼女の手も。
有機構造体が崩壊し、次々と白い結晶のような情報粒子が周囲を舞う。
わたしが生まれた日もこんな光景に包まれていた。
とても、きれい。
だけど、これはわたしが望んだものではなかった。
―――?
奇妙な感触。有機情報は確かに分解を始めているのだが……何か、進行速度が速いような気がする。
いや、実際に崩壊速度は予測よりもほんのわずかだが、速い。
何だろうか。まるで自壊しているような……
端末個体の有機情報連結解除など、わたしには初めての経験。いや二度目ではあるが、記憶が定かではない。今は同期している規定事項が揺らいでいる。
だが、崩壊そのものは留まることなく進行している。
しかも時空間振動まで検知。妙だ。何が起こっているのだろう。
ただ、今の状態ではそこまで思考する余裕は、わたしには残っていなかった。
機能の問題ではない。ただ、考えたくなかった。
さらに彼女の存在が、この閉鎖された情報制御空間から霧散していくのを感じる。
朝倉涼子が何かを話している。
でも今のわたしには、それを聞き取ることはひどく困難だった。
聴覚素子に不具合が生じているのではない。
ただ、聞きたくなかった。もう、すぐに消えてしまうのに。
振り返ることも、したくなかった。
彼女が消えてしまう、その瞬間を見たくなかった。
でも、最後だけ聞こえた。彼女のあの言葉。
「――じゃあね」
――当該対象の反応完全消失を確認。
現空間に、朝倉涼子はその存在を完全に失った。
わたしは足から急速に力が抜けていくのを感じる。膝から崩れ落ち、倒れる。
「おい! 長門、しっかりしろ、今救急車を」
彼の声が聞こえる。とても遠くに。
少しだけこのままでいたかったけど、そうもいかない。
わたしは情報操作を開始する。
まったく無表情のままで。
ほかの表情をしたくても、できないのだから。
復元された教室で、眼鏡の再構成を忘れていることに気づく。
彼は、それがない方がいい、と言う。
彼女は、それはあった方がいい、と言っていた。
それなら答えはすでに出ている。
彼女がいないのなら、もうあの計画も終わりだと思うから。
帰り道、現在の状況をどう考えていいか、混乱している彼と校門を一緒にくぐる。
無言のまま、赤い夕暮れの中をふたりで歩く。わたしの流した血のような色。
それに対する、純白の結晶の記憶。まだ整理できていない。
「本当にだいじょうぶなのか、おまえ」
「へいき」
坂を下りながら、再度の配慮の言葉。
わたしの服はすでに修復を完了している。外見的にはなんの問題もない。
「あれな……あの朝倉は、本当におまえの同類で、その宇宙……」
「人間に対する情報収集用インターフェイス。アンドロイドといった方があなたにはいいかも」
同類。仲間。それとも、ともだちだった?
「あなたには、すまないことをしたと思う」
「助けてくれたのは、おまえだ」
「……信じてくれる?」
ひっそりとつぶやく。
彼の顔には当惑。まだ今の自分の状況を、受け入れることができないままなのだろうか。
時間が経てば、理解は深まっていくはず。
そうでなければ何の為にあんな事をしたのか。意味が消失してしまう。
わたしはふと足を止める。少しだけ遅れて止まった彼が振り返る。
「……どうした? 本当はまだ具合が……」
彼の顔を見て、言った。
「あなたに、教えてもらいたい」
「……何を?」
「人は、人が消えることをどう感じるのか」
彼はそれどころではなかったろう。
でも、わたしはどうしても、今訊いておきたかった。
「……そりゃあ、辛いし、悲しいだろうよ」
「悲しい、と。どうなるの」
彼は少しだけ悩んだようす。口に手をやって視線を逸らす。
夕暮れの風が、少しだけふたりの間に流れる。
何か、わたしにもわかる言葉を探してくれているのかも。
「……泣くんだな。たぶん」
「泣く」
「そうだ。人はな、消える……じゃなくて、死んじまった人のことを考えると、悲しいなって思って、涙を流す。それだけで辛い自分が、少しだけ楽になる」
「なぜ、辛いの」
「そりゃ決まってる」
真剣なまなざし。
「もう逢えないからさ」
駅前の高級分譲マンション。
わたしの居住区画。彼女の居住区画。
到着した頃には、もう空は暗くなっている。夕暮れの赤い色はどこにも残されていなかった。彼と別れた後、わたしはいつものように部屋へ戻ろうとする。
するとマンションのオートロックドアの外には、ひとりの女性がわたしを待っていた。
規定事項の再現は完全に復帰していた。わたしはそこにいることを、すでに知っている。
「お帰りなさい」
喜緑江美里は、最初に会った時とまったく変わらぬ雰囲気でわたしに対面する。
「お疲れさまでした」
「話がある」
わたしはそのまま確認することもなく、背中を向けて公園に向かって歩き出す。
その後を彼女がついて来るのもわかっていた。
公園のベンチの前でわたしたちは対峙している。
入学式の日、学校の廊下で朝倉涼子とそうしたように。ただし緊張感はあまりなかった。
すでに空は星が瞬く時間帯。夜になっている。周囲は誰もいない。とても静か。
わたしから話を始める。
「穏健派の動静を知りたい」
「申し訳ありませんが」
喜緑江美里はごくわずかにお辞儀をする。空気が軽く動く、という感覚。
「お話できません」
「わかった。では、朝倉涼子について」
「お話できることであれば」
「三年前の七月七日。あなたと朝倉涼子は反応消失していた。その理由を知りたい」
「残念ながら」
再びお辞儀。朝倉涼子のような、豊かな情感をまったく感じない。
その動作を見て、むしろわたしに近いのかも、とも思う。
「「今は」お話できません」
「では急進派は、今回の件をどう見ているのか。独走なのか。それとも計画的なのか」
「主流派からの通達は」
「ない」
「では、やはりお話できません」
すべてわかっている。これだけで終わり。
彼女は独立任務に就いている。
わたしたち――いやすでに、わたし、しかいない。わたしとは完全に系統が違う。
理由は明かされていない。聞くつもりもなかった。
「わたしからのお話、聞いていただけますか」
首肯する。
「本日、セカンダリ・デバイスの存在消滅のその時点を持って、一時的措置ではありますが、その配置にわたしがつきます。限定的ですが」
「了解した」
「これまでのように、涼宮ハルヒや”彼”に対しての直接接触を担うことはできませんが、あなたの指示通りに、可能な限り従うよう、そう言われています」
監視役という事か。いや、これまでもそうだったのかもしれない。
あの事態に「ご健闘を」などというからには、相当正確に事態を把握していたに違いないのだから。 だが、わたしからは何も言わなかった。
この時、統合思念体という存在そのものについて、非常に、それは不快といっていい感覚を抱いている自分を初めて認識した。
今日の事すら、推測していて当然である情報統合思念体は、わたしに対して何もしてこなかった。この考えは危険なものかもしれない。だが、その思考を止めようとも思わなかった。
『地球に派遣される全ての端末群へ。通達あり。リンク確立を要求する』
そんな時に統合思念体からの通達連絡。わたしはこの時、初めて禁則とされる行為を行う。
全系統思考リンクに対するインタラプト。つまり盗聴。
なぜかはわからない。わたし以外に伝える端末に対する、情報格差を認識したかったのかもしれない。ただ反抗したくなったのかも。とても危険な考え。
『本日、コードS-02B、「朝倉涼子」の破棄が決定。すでに存在は抹消済。各端末が保有する当該個体の全てのデータ破棄を実行せよ』
各端末群から一斉に宇宙へと返信される思考波。
彼女の消滅を悼むようなことは当然、ない。わたしにもできないのに。
悼む。この概念は理解するには時間がかかりそうだった。
『了解』
『了解』
『了解』
………
次々と返信が続く。
わたしの知らない端末群。
どこにいるのか、何の目的で配置されているのか、まったく知らない。
人間が知性を獲得して以来、配置され、観測を続けている。
どれだけの数がいるのだろう。わたしのそばにも、まだいるはずだと思う。
そのすべてが、朝倉涼子の記憶を消していってしまう。
皆が、仲間のはずの全ての端末たちが忘れてしまう。彼女のことを。
『S-01B。データ破棄を要求』
わたしへの直接通達が来る。わたしは押し黙る。
『繰り返す。データ破棄を要求』
『拒否する』
一瞬の沈黙。
『了解した。S-01Bはデータ破棄を拒否』
それだけだった。命令違反を咎めるような、そのようなことは一切ない。
この後に続くコードはわかっている。わたしの前にいる情報端末。彼女。
『S-03B。データ破棄を要求』
『拒否します』
喜緑江美里。彼女が拒否することは知っている。
だが、その理由は不明。命令に明確に反抗するのは自分だけと思っていたから。
『了解した。S-03Bはデータ破棄を拒否』
まったく同じ反応。これで地球に残された端末群で、朝倉涼子のことを「覚えている」のはわたしと彼女のふたりだけ。
こんなにも、あっさり忘れ去られてしまうのだろうか。
「……なぜ命令に背くの」
「あなたと同じ理由かと」
喜緑江美里は微笑んでいた。とても薄い、静かな微笑み。朝倉涼子とは違う。
「つまり、わかりません」
「そう」
「あえて人間のように表現してみるなら……」
彼女は人指し指を唇に軽く添えて、言う。
「彼女のことを、仲間のはずの我々が誰も覚えていない、というのは可哀想、だから」
可哀想。哀れ。彼女がそう表現されることを望むとは思えなかったが。
「では、今日はこれで」
彼女は一礼すると、わたしに背を向けて去ってゆく。
わたしもマンションに向かう。今日のことは終わった。
でも二日後。もう一度危機が訪れる。その時には、彼女に協力してもらうことになる。
何しろ、これは規定事項なのだから。
わたしは薄暗い部屋に戻ってから、そういえば夕食をとっていないと気がついた。
食べなくてもいい。別に。でも、何かしていたかった。
作ってみよう。何か。
わたしは思いつく。
冷蔵庫を開けてみる。何もない。
仕方ないので、五〇五号室に行ってみることにする。
主のいなくなった部屋。明日にはわたしが処理しないといけない。
彼女の行く先はカナダ、らしい。どこでも良かったけど。
五〇五号室は綺麗に整頓されている。いつ戻ってきてもおかしくない。そんな雰囲気。
彼女が朝、この部屋をどういうつもりで出たのか、考えてしまいそうになる。
無意味だと思い直しキッチンに向かう。冷蔵庫の中には、ゆうに一週間は持ちそうなほどの食材が入っている。
帰るつもりだったのだろう。当然の話。わたしさえいなければ。
冷蔵庫の食材を適当に手にとってみる。じゃがいも、ニンジン、玉ねぎ、ピーマン。豆腐やがんもどき、卵に牛乳。他いろいろ。冷凍された肉もある。彼女はこまめに整理していた。冷凍した肉のラップには、日付まで書き込んである。
これが本当に宇宙から来たアンドロイドのする事か。わたしはあの顔を思い出し、お説教の声を思い出し、そして肉を適当に取り出す。
牛肉にしてみよう。
いろいろ探すうちに、レンジの手前にカレールーが置いてあるのを発見。
簡単な調理だと彼女は言っていた。いろいろ教わった中にそれは確かにあった。
カレーライス。作ってみよう。自分で。
鍋を引っ張り出し、火をかける。油が必要。いや違う。
その前に材料を準備しなければ。
そもそもお米が。炊かなくては。磨ぐのは下手だが致命的ではない。おそらく。
電子ジャーに磨いだお米をセット。電源を入れる。こんなものなら情報操作でいくらでも簡単にできるものだが、今日は、彼女が言っていたように、自分の手だけで完成させてみたかった。
じゃがいも、玉ねぎ、ニンジンの皮むき。
包丁の扱いは下手のまま。彼女はとても上手だった。魚だってさばけてしまうのだから。
じゃがいもは表面がでこぼこしていて苦手。やってるうちに、当然のように失敗。
左手の親指を少し切ってしまう。
にじむ血。今日の記憶。
また失敗してしまった。また。
(だいじょうぶ? すぐに手当てしないとね)
朝倉涼子の声。もっと力の加減を考えろ、と彼女は言った。
玉ねぎを炒め始める。火力がうまく調整できない。焦がしそう。
(だいじょうぶよ、少しくらいなら。きつね色になったらすぐに火を止めて)
彼女はとても上手。透明になるくらいに、綺麗に火を通す。
次は牛肉。火が通ったらじゃがいも、ニンジンを入れる。
今度は水を入れる。量は適当。それでいいと彼女は言うから。
(ちょっと多くても、だいじょうぶ。あとで煮込むし、灰汁(あく)も取るから)
「だいじょうぶ、だいじょうぶ……」
口にしながら、スープの表面に浮く灰汁を取り出す。
しばらくしてルーを入れる。その前に火を止めなくては。
火をつけたままだと、固形ルーはうまく溶けない、らしい。
だいじょうぶ。ちゃんと覚えてる。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ……」
ゆっくりとかき回し、溶けたのを確認したら、ごく弱い火で煮込みはじめる。
一晩置いた、彼女の作ったカレーはとてもおいしい。
味覚、というものを教えてくれたのも、彼女だった。
全部。
すべて、彼女が教えてくれたのに。
「だいじ……」
わたしは流し台の前に両手をつき、それ以上の言葉が出てこない。
全部、教えてくれた。あの人。
もう、逢えない。
この日、朝倉涼子は地上から完全に姿を消失した。
……三年前、のことです。
ある時、生まれたばかりの少女がいました。
そのそばには、彼女をとても大切に思う、ひとりのお姉ちゃんがいたのです。
お姉ちゃんは、まったく何も知らないまま生まれてしまった少女を気にかけ、怯えるだけの彼女を外に連れ出し、いろんな場所に連れていくようになりました。
こうして、少女とお姉ちゃんは毎日のようにお散歩を楽しんでいきます。
最初は家の近くをのんびり歩くだけの散歩でしたが、やがて少女の世界はどんどんとひろがり、新しい発見や楽しい出会いがありました。
でも一方で、困ったことや怖いことにも出会うようになり、何だかこのまま大きくなれそうにないと、思える時もありました。
そのたびにお姉ちゃんは少女の手を握り、
「だいじょうぶ だいじょうぶ」
とおまじないのようにつぶやくのでした。
彼女のおかげで、生まれてから、人との関わり方や、感情、生命の意味さえも、まったく、何も知らなかった少女は、だんだんといろんなことを学んでゆきます。
ご飯の食べ方、調理の仕方、お風呂の入り方、お買い物の仕方、人との話し方。
彼女はとても不器用だったのですが、何かに失敗しても、お姉ちゃんは優しく、
「だいじょうぶ だいじょうぶ」
とその度、その度につぶやいて、少女を見守っていくのでした。
三年後、ある事故によりお姉ちゃんは静かにベッドで眠りにつきます。
少女が一生懸命にゆすっても、声をかけてもまったく目が覚めないのです。
困ってしまった少女は、ある事を思いつきました。
これまで、お姉ちゃんが少女に対してかけてくれた、魔法の言葉です。
「だいじょうぶ だいじょうぶ。だいじょうぶだよ、涼子ちゃん」
お姉ちゃんは起きてはくれませんでした。
でも、その顔はあの三年前に出会ったときのように、
とても安らいだ、優しい顔をしていたのでした。
―ある情報端末による、現地の情報媒体を参考にしたものと思われる、観察対象の行動基準の解析記録―
(参考書籍 『だいじょうぶ だいじょうぶ』)
―第13話 終―
SS集/478へ続く