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作者 | 輪舞の人 |
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作品名 | 機械知性体たちの輪舞曲 第11話 『前夜』 |
カテゴリー | 長門SS(一般) |
保管日 | 2007-01-25 (木) 21:17:39 |
キョン | 登場 |
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キョンの妹 | 不登場 |
ハルヒ | 不登場 |
みくる | 不登場 |
古泉一樹 | 不登場 |
鶴屋さん | 不登場 |
朝倉涼子 | 不登場 |
喜緑江美里 | 不登場 |
周防九曜 | 不登場 |
思念体 | 不登場 |
天蓋領域 | 不登場 |
阪中 | 不登場 |
谷口 | 不登場 |
ミヨキチ | 不登場 |
佐々木 | 不登場 |
橘京子 | 不登場 |
うまく言語化できない。情報の伝達に齟齬が発生するかもしれない。でも、聞いて。
―ある情報端末の願い―
窓の向こうの景色は、わたしの目には今日はいつもよりも、ずっと暗く映っているように見える。
夜。わたしと彼のふたりきりの時間。
わたしは初めての、そして二度目のその時間を迎える。
いざ彼を自室に迎えたものの、どう説明すればいいのか、まだ決めかねていた。
何という決断力のなさ。
しかし、これは世界の今後を決定すると言っても過言ではない、重大な局面。
ただでさえコミュニケート能力の低いわたしに、効率的かつ有効な説明が要求されている。
内容もその困難さの度合いを引き上げている。彼のこれまでの常識を完全に覆す内容を、これから告げなければならない。
三年前にこの時のことを、すでに把握していた。それだけの期間を費やしていたにも関わらず、まったく、何も決定することができないでいる。
しかし、どうしようもなかった。
わたしはお茶を提供し、時間を引き延ばしてみようと準備する。
どう説明すれば、彼の信頼を勝ち取ることが可能だろう。
その間、わたしはその言葉を選ぶ行為に没頭する。
しかしこれすらも規定事項。抜け出すことが、できない。
彼との最初の会話は、あまり意味のないものに終始した。
気がつくと、せっかく用意したお茶も提供していない。
時間がもっと欲しい。
わたしが入れたお茶を彼が飲み干す。それを三度繰り返す。
もう急須にお湯が残ってない。
それだけの時間をかけても、結論は出ないまま。
時間が尽きてしまった。彼の言葉が始まってしまう。
「……お茶はいいから、俺をここまで連れてきた理由を教えてくれないか」
お湯を補給しようと立ち上がりかけた腰を降ろす。
とうとう、その時が来てしまった。
わたしの説明は、やはり彼には理解の範疇を遥かに超えるものだった。
当然と言える。わたしの提示する言葉、単語、概念、またはその目的。
何より涼宮ハルヒの存在の特殊性。世界を改変する能力。
わたしは何とか理解を得ようと、言葉を探す。
だが、実際に口に出る言葉は全て規定事項の通りとなってしまう。
「情報生命体である彼らは……」
――それでは彼には理解できない。もっと、違う言葉を。
――違う概念が、表現方法が、今のわたしには、ある。それを言わせて。
「涼宮ハルヒは自立進化の可能性を……」
――違う。そうではない。
やがて彼は、明らかに混乱している表情で言う。
「正直言おう。おまえが何を言っているのか、俺にはさっぱりわからない」
「信じて」
――わたしの言葉を。どうか。
すでに経験しているはずの会話が、本当に記録されたとおりに再現されてゆく。
検討をした結果、より理解の得やすい解釈や概念などが発見されていたとしても、それがわたしの口から発せられる事はなかった。全て不適正なエラーとして処理されてしまう。
これが規定事項。抵抗をしても、わたしの言葉はすべて上書きされてしまうかのよう。
同期以後、ここまで自分の行動が制限されている事を自覚したのは初めてだった。
「統合思念体の意識には、積極的な動きを起こして、情報の変動を観測しようという動きもある」
それが彼女。朝倉涼子の事。わたしが経験した未来。
「あなたは涼宮ハルヒにとっての鍵」
彼の視線がうつろう。
いけない。このままでは。
「――危機が迫るとしたら、まず、あなた」
どうか、信じて。
未来を変えられるとしたら、今、この時しかない。
今しか。
わたしは彼の目を見つめる。
――しかし、彼の目は哀れんだような、冷たいもの。わたしを貫く細い針のような。
「お茶、うまかったよ。ごちそうさん」
それだけを言い残し、去ってゆく。彼の背中が、小さく見える。
わたしはそれを止めなかった。
すべて、規定事項。
時の決まり事。パラドクスという枷。
……わたしには、それを打ち破る力は、なかった。
五月二十二日。土曜日。
涼宮ハルヒの提唱による、市内探索の日。
もはや時間はないに等しい。
この頃のわたしはすでに、回避できる方法を見出せない状況を認めている。
三日後、あの教室に発生する情報制御空間。彼と彼女がそこにいる情景。
もう、間に合わない。
午前の探索が終わり、昼食後、午後のくじ引き。
わたしは無意識のうちに、情報操作を行っている。
何が変わるわけでもないのに。
彼と共にいられる時間が欲しいという事なのか。
今は、空虚な感覚に自身が包まれている。
解散後、彼が話しかけてくる。
「長門、この前の話だがな」
「何」
「何となく、少しは信じてもいいような気分になってきたよ」
わたしの返答は、たぶん、いつものそれよりさらに小さい。
「……そう」
「ああ」
「………」
それでは足りない。あまりにも。
「少しだけ」「気分」。
そんな認識では、わたしの言葉はあの閉鎖空間の中にいるあなたには届かない。
信頼。おぼろげな、不安定な状態の信頼。
それでは、いけないのに。
彼は、無言のままのわたしに声を何度かかける。
だが今のわたしには、それに答える力は残っていなかった。
すべてがあの記憶にままに再現されてゆく。
時の糸が手繰る、操り人形。
それが今のわたしだった。
互いが無言になってからしばらくして、彼は図書館へ行ってみないか、とわたしに告げた。
わたしは彼を見上げ、首肯する。
彼の配慮が、今のわたしにはとても……解析できない感覚をもたらす。
図書館。わたしは初めて訪れる場所。記憶では二度目。
さまざまな本が並ぶ。今までは、朝倉涼子と共に外出した際に、限られた予算で、少しずつ買った本を読むだけだった。
わたしは一冊の厚いハードカバーの書籍を手に取る。今までに読んだ事はない。
彼はしばらく何冊かの本をめくっては戻す、という行為を繰り返した後、ソファへと移動。やがて睡眠状態へと移行する。
わたしのために、自分には興味の対象とならない、このような場所を選んでくれたのだろう。その彼の配慮に……いや、今はいい。
わたしは、彼の睡眠状態が安定化したことを確認した後、ひとまず手元の本を置き、館内を移動する。さまざまな本。さまざまな区分。やがて、児童書のコーナーへ。
懐かしい、というべきなのだろう。
この感覚は。色あせずにいつでも呼び戻せる記憶なのに。
朝倉涼子とともに選んだ、四冊の絵本のうちの一冊が、わたしの目に映っていた。
『だいじょうぶ、だいじょうぶ』
わたしはゆっくりとその本を手に取ると、ページを開いてみる。
以前、僕とおじいちゃんは毎日のようにお散歩を楽しんでいました。
家の近くをのんびり歩くだけの散歩でしたが、僕の世界はどんどんひろがり、新しい発見や楽しい出会いがありました。
でも一方で、困ったことや怖いことにも出会うようになり、何だかこのまま大きくなれそうにないと、思える時もありました。
そのたびにおじいちゃんは僕の手を握り、
「だいじょうぶ だいじょうぶ。」
とおまじないのようにつぶやくのでした。
それは、この世の中、そんなに悪いことばかりじゃないって事でした。
(出典・講談社/いとうひろし)
わたしは、生まれてまだ何も知らなかった頃、ふたり共に部屋に寝そべり、彼女が読んでくれたあの情景を思い出す。
彼女の口癖。「だいじょうぶ」
その言葉を、まるで今聞いたかのように呼び出している自分。
わたしの手で、消滅させてしまう彼女。
あの優しい言葉。
もう二度と聞けないかもしれない。
五月二十四日。月曜日。
学校が終わる。帰宅したわたしは、明日のことを考え続けている。
夜になり、ただ呆然としている自分。
――あきらめついた?
突然の、あの声。
何が?
――彼女。明日殺しちゃうんでしょ。
殺す。わたしが。
――違うの? あなたは彼の方が大事。彼女よりずっと。何てひどい。
違う。任務のため。彼が機能停止すれば、涼宮ハルヒのそれに対する反応は予測できない。それは、あまりにも危険な事。
――それだけ?
彼女は裏切った。わたしに対する機能破壊行為。任務放棄。説明の拒否。彼への危害。
――何だ。だったら仕方ないよね。悩む必要ないじゃない。
そう。仕方ない。
――要するに、今までのあなたの悩みはぜーんぶ無駄。馬鹿みたい。
うるさい。
あの声が止まる。
――今、何て言ったの? なんて?
うるさい。黙れ。
――うわぁ。びっくり。声に出したら卒倒しちゃう。人形のくせに。
……あなたは、誰。
――わたし? わたしのこと、気になる?
ただのバグ。システムのエラー。どうでもいい。
――気になるくせに。
わたしは立ち上がる。
――わ。怒ったんだ。本当に。
これ以上の会話の必要を認めない。
――無理しちゃって。
……黙って。
――んー。どうしようかな。
……お願いだから、黙って。
―今度は泣いた?
………
――泣くわけないか。人形だもんね。
………
――無反応。つまんない。今日はこれくらいかな。またそのうちにね。
声が消える。
体の機能も変調をきたしている。心臓。血液を循環させるポンプが、その動きを早めている。
どうにかなってしまうのだろうか。
誰かに支援を……いや、もうそんな言葉ではない。
わたしはまた、新たな情動の感触と、言葉を理解する。
そっと、ささやきのように、わたしは言った。たったひとりの部屋の中で。
――誰か、助けて。
―第11話 終―
SS集/474へ続く