作品

概要

作者輪舞の人
作品名機械知性体たちの輪舞曲 第2話       『流れぬ涙』
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-01-21 (日) 12:59:09

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹不登場
ハルヒ登場
みくる不登場
古泉一樹登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 
 
 

 いつかわたしも流すのだろうか。あの水滴を。
 でもその時、わたしはどうなってしまうのだろう。
 それが、怖い。

 

 ―ある情報端末のささやき―

 
 

 ――じゃあね。

 

 わたしは彼女の最後の声を、今でも克明に覚えている。
 でも彼女の最後の表情を見ることはできなかった。
 起こりうること、すべてを知っていたのに、救えなかったから。

 
 

 十一月も半ば。今週末はSOS団恒例の「不思議探索パトロール」。
 いつもの駅前で五人が待ち合わせ、いつものように喫茶店で五人が組み分けを開始。今回は何の情報操作も行うことなく、あっさりと彼とわたしのふたり組で決定する。
 涼宮ハルヒはまたいつものように、この組分けの結果に不服のようだ。
 ……なぜ全員で集合して、わざわざ組分けをするのか理解に苦しむ。彼とふたりでいたいなら、最初から彼だけを誘えばいいとわたしは思うのだが。
「最初から彼女にそれができれば、我々も苦労はしないのですが」
 古泉一樹が、わたしの様子を伺っていたのか、苦笑いでつぷやいた。
 出発の時。涼宮ハルヒは彼の存在がわたしに対して、大変な脅威であることを警告する。
「何度も言うようだけど、有希になにかいやらしいことをしたら、わかってるでしょうね、キョン!?」
 これもいつもの彼女の言葉。
 彼はそれに対して「はよ行け」と面倒ごとを嫌がるように、ぞんざいに手を振って返す。
 これもいつもの彼の態度。
 わたしはそれを見て、胸が痛くなる感覚に囚われていた。
 いつもそう。わたしは彼の挙動により変調する自分を感じている。
 原因はわかっている。
 最近、再び活性化の兆しを見せるエラーデータ群。もはや抑えることは困難になりつつある。
 侵食率はさらに拡大してゆく。
 彼女の残した大切なもの。それがわたしの内面を蝕んでゆく。

 

 図書館に入ると彼は「時間になったら、すぐに戻ろうな。またあいつがうるさいから」と言い残し、定番となったロビーのソファへ。今日は雑誌を携えて座り込む。
 おそらくいつものように、二十分もたたずに眠ってしまうのだろう。
 その寝顔を見ると、わたしは自身の状態が安定化するのを感じる。しかし一時的なものだ。このあとに再び状態不安定化が始まるのが予想できる。回数を重ねるたびにひどくなる一方。彼と共にいたい、という想いの発現。しかしそのたびに不安定化は強まってゆく。
 活性化原因の根本はやはり彼にあるのだろうか。
 朝倉涼子が植え付け、彼がそれを増幅させている。そんな気がする。
 どうしたらいいだろう。
 このままでは、すでに定められているはずのあの時まで耐えられるか、わからない。
 繰り返された夏の間に失われた個体経験。その記憶があれば、今の自分の状態が理解できると思うのだが。
 ……それは、もうかなわないことなのだろう。
 おそらく。

 

 わたしは本棚を巡り、まだ知らないタイトルが羅列する光景に立ち尽くす。
 何度来てもこの光景から得られる刺激に慣れることはない。指先で背表紙を軽くなぞり、今日目を通してみたい本を探してみる。
 一冊の文庫のタイトルが、ふと目に止まる。
 「完璧な涙」
 日本人の作家が書いた、サイエンス・フィクションに分類される物語のようだった。
 わたしの注意を惹いたのは、そのタイトルの中の一文字。
 「涙」
 わたしにとって今の時点でもっとも縁遠い、それは生理現象だった。
 手にとってざっと目を通してみる。

 

 主人公は生まれつき感情を持たない若い男性。
 怒ることも、泣くことも、笑うことも、喜ぶことすらもできず、また、他人のそのような感情表現の意味すらも何も理解できない。
 周囲の人々はそんな主人公を見て苛立ちをあらわにする。
 そんな状況が続く中、やがて彼は家族の下を離れて放浪することになる。
 やがて流れ着いた発掘現場のキャンプで、彼は不思議な女性と出会い、自分と世界の秘密を解き明かす為の旅へと誘われるのだが……。
 冒頭の部分を読み流し、今日借りていく本をこれと決めた。やがて時間が訪れ、彼とわたしは集合場所の喫茶店へと戻ってゆく。

 
 

 マンションに戻り、机の上のその本を置く。
 座り込むと知らずに、じっと本の表紙を見つめてしまう。
 すぐにも読んでみたいのだが、少し怖い気もする。いつものようにただの好奇心だけで読めるものとは違うようだ。
 いくばくかの時間が経過し、やがて意を決するとわたしは本のページを開き、読み始める。ページをめくる音だけが部屋に響く。
 三十分ほどすると第一章に相当する、ラストシーンのページに行き当たった。

 

 自分を受けて入れてくれた唯一の女性が、目前で殺害される。悲しみも怒りも何も感じない男は、ただ黙って女性の死を見届ける。
 女性もそれを知るため、彼の態度を責める事なく死んでいく。
「涙の出なくなったわたしは、これを使う」
 彼女の父が主人公に手渡してくれていたのは、彼が使っていた蒸留水の入った点眼器。
「君のために泣く」
 主人公はその液体が尽きるまで「涙」を流し続ける……。

 

 そこまで読み終え、本を閉じた。
 まるでわたしのよう。生まれてからずっと感情の本質を知らない。そう。本当の意味では。
 なみだ。人間が感情の高ぶりを覚えるときに流すという、水滴。
 わたしにはその機能はない。観測が任務の端末だからそのような機能はないのだ。当然だろう。
 いまだにわたしは人間の怒りも、悲しみも、その本質は分からないままでいる。

 

 ……朝倉涼子はどうだっただろうか。
 あの彼女であれば、涙を流すこともできたような気がする。
 今となってはわからないが。
 あの時あり得るはずのない、まったくの想定外の……我々を生み出した統合思念体さえも想定していなかったはずの、インターフェイス同士の初の戦闘が行われ、わたしは残り、彼女は消えた。
 悲しい、と感じるべきだったのか。
 人であるのなら、おそらくそうだろう。
 わたしは立ち上がり、ベランダの窓辺までゆっくりと歩く。目には外の夜景が美しく映える。 
 待機中の三年間、わたしは彼女と共にあった。
 彼と初めて接触する事となった七月七日以降は一人閉じこもり、接触を絶ったわたしだったが、それでも彼女は同胞だった。
 派閥は違うと言えど、仲間だった。
 彼を守るためだった。その事に後悔はない。
 しかし今でも、あの時の記憶を時折解析することがある。すでに個体経験は消失し、その記憶を読み取ることは難しい。
 でも、わたしたちは忘れない。決して。
 人のように記憶が薄れる事は、決してないのだ。

 

「あなたのために泣く」

 

 意味もなく、小説の台詞を自分の言葉にしてつぶやいてみる。
 失ったものはもはや戻らない。
 人はその喪失感と二度と会えなくなった現実や、自分の境遇を嘆くのだろう。
 わたしは彼女を喪失し、二度と会えない。
 涙を流すために、悲しみを感じるために、もしも条件があるとするなら、わたしは条件を満たしているはず。そのはずなのに。
 それでも泣くことはできない。
 なぜなら、悲しいという感情の本質が理解でき――。

 

 突然、胸の苦しみと、頭から血液が落ちてゆく感覚。
 身体的なパニック状態。これまでにないほどの身体異常だった。混乱する。回復ができない。
 これは……なに。
 呼吸が乱れる。体がすとんと落ちていくような……。
 違う。気がつくと実際に膝が崩れている。

 

 ――じゃあね。

 

 呼び出した訳でもない音声データが、突如再生される。
 朝倉涼子の最後の言葉。
 実際には彼に言った言葉だったのに。
「……なみだ」
 おそらく、流せればこの痛みや苦しみは消えるのだろう。
 根拠はないが、しかしわたしはそれを絶対的な真実として理解した。
 でも、できない。その機能がないのだから。
 わたしはそう作られている。人ではない。人形だから。
 だから、無理。

 

 苦しさはその晩ずっと続き、わたしは胸をかき抱いた姿勢のまま、夜明けを待った。

 
 

 翌日、日曜日。
 ためらいのあと、彼に電話をしてみることにする。ずっと気になっていたことを、今日確認したいと考えていた。
 少し眠そうな声の彼は、わたしからの電話だとわかると、少しだけ緊張したものへと変化する。
『どうした。なにか、またあったのか』
「……特には」
 わたしの声は普段と変わりない。つもりだった。
「ひとつだけ、聞きたいことがあった」
『なんだ?』
「……朝倉涼子の最後の表情を、教えて欲しい」
 電話の向こうの彼は、少し返答につまったようだった。
 彼女は泣いていただろうか。自分が消えるという最後の瞬間に、苦しさや痛みは彼女を襲わなかったのだろうか。
「最後、彼女はあなたに向かって話していた。見ることができたのは、あの時、あなただけ」
 実際には違う。
 ほんの少し振り返れば、わたしも見ることができたのに。
 それをしなかったのは、わたし。
 あえて見なかった、のではない。
 見ることができなかったのだ。
『…………』
 彼のためらいの沈黙。実際に命の危機に陥ったのだ。当然だろう。
 記憶から消去したいような出来事をあえて聞く。自分の勝手さに後悔し始めた、その時。
 彼は言った。
『……笑ってたよ。何か満足そうにしてたな、あいつ』
「……そう」
 笑っていた。
 あの、わたしの大好きだった微笑み。
 いつも「だいじょうぶ」とかばってくれた、あの優しい笑顔。
 わたしは意図して思い出そうとしなかった、五ヶ月の時を瞬間的に呼び出している。
 でも、記憶にあるだけしか彼女はいない。
 なぜならすでにあの人はいないのだから。わたしの記憶にある以上の情報は、生成されることはない。
 こうして過去のデータを再生することによってしか彼女と会うことはできないのだ。
 そう。もう二度と会えない。
 それが今、本当にわかった。わかっているつもりだったのに。
『どうしたんだ、長門』
「……問題ない。特に、なにもない」
『…いや、特になにもないやつの質問には聞こえなかったぞ』
 気遣いの言葉。心の中が温まる、そんな言葉。
 それを聞いた瞬間、またあの恐るべき情報群、朝倉涼子の残したものたちが活性化してゆく。
 奇妙で、暖かい、今のわたしでは分析もできない、なにかが生み出されていく。
 ここで暴走させてはいけない。防がなければならないのに。
 今、ここで発現させてはならないのに。
 どうして、こんなに……。

 

 ……"嬉しい"……?

 

『長門……』
「……なに」
『まさか、泣いてるのか』
「……泣く? わたしが?」

 

 頬に手をやる。
 涙など流れていない。
 流れるはずがない。

 

「泣くはずはない。わたしはそのようには作られていない」
『……ちょっと待て、長門。おまえ、やっぱり少しおかしいぞ? 今から行くから待ってろ』
「だいじょうぶ。心配をかけてすまない」
『待て、長門! おい――』
 電話を切ったわたしは呆然と立ち尽くす。
 今はまだ、だいじょうぶ。
 今は、まだ。

 

 知り得た未来。わたしが壊れてしまうまで、あと一ヶ月しかない。
 十二月十八日。その日に、自分の中に封じている"わたし"は行動を起こす。
 このままでいけば、やはりそれは避けられないのだろう。自分の状態が日々悪化してゆくのを感じる。
 情報統合思念体に強制思考制御ブロックを申請し、すでに施術されてはいたが、それを持ってしても押し留めることはかなわなくなりつつあった。
 もう駄目なのだろう。そう冷静に分析する自分がまだ、いる。

 

 ――だいじょうぶ。

 

 彼女はそう言った。でもそれは無理のよう。
 他ならないあなたのせい。なぜ、わたしをこんなふうにしてしまったのだろう。
 ため息のような吐息とともに、瞼を閉じる。

 

 耐えられるのだろうか。すでに知った、あの日まで。
 でも、あきらめるわけにはいかない。
 震える体を自分で抱きしめる。力が欲しい。もっと強く。
 あとほんの少しだけ、持って欲しい。
 壊れる寸前の自分の体。

 

 知っていたにも関わらず、わたしは朝倉涼子を救えなかった。
 でも今度こそ、決められているというその未来と戦い、勝ちたい。
 世界を改変させる、そんなことを許すつもりは、なかった。

 

 たとえ――この身が朽ち果ててしまうのだとしても。

 
 

 ―第2話 終―

 

 SS集/459へ続く

 
 
 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:02:55 (1868d)