作品

概要

作者輪舞の人
作品名機械知性体たちの輪舞曲 第1話        『わたしが生まれた日』
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2007-01-21 (日) 12:51:42

登場キャラ

キョン不登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる不登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 
 

 ロンド形式(――けいしき、ロンドには「輪舞曲」と言う字があてられる場合がある)とは、ある同じ旋律(ロンド主題という)が、異なる旋律を挟みながら何度も繰り返される楽曲の形式のことで、古くは……。

 

 ―ある情報端末の、光学電子情報網から採集した地球文化の報告の一部―
 (出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 
 

 その記憶は鮮烈。

 

 初めて個体として生成された自分。
 渦巻く膨大な意識体の中に抱かれていた一部が切り離され、炭素有機体として生成された瞬間。
 天の川銀河に位置する恒星系、太陽系。
 その第三惑星。「地球」と呼ばれる天体の大気の底。
 わたしが生み出されたのは、空の高みから水の結晶がゆるやかに舞い降りる、冷たい大地の上だった。

 

 生れ落ちた瞬間から、わたしは与えられた命令に従うべく活動を開始した。
 その命令とは、この弓状列島に存在する人類の、ある一個体の観測と情報収集。
 観測対象は誕生して十二公転周期を数えるひとりの女性。
 わたしを生み出した、既知宇宙全体を知覚する巨大な情報意識体「情報統合思念体」が重大な関心を持ち、そのすべての力を用いて観測するのは、あまりにも小さな天体にひしめく、およそ六十億体を数える人類の中のただひとりの人間。
 そのパーソナルネームを「涼宮ハルヒ」という。

 

 パーソナルネーム。個体識別名。
 それは我々「対有機生命体接触用人型端末」にも必要とされた。
 地球人類と接触し、その社会生活を混乱させることなく使命を遂行するため、思念体の生み出した我々情報端末群は、人間たちの社会に溶け込み、目的や正体を秘匿する必要があった。
 その為の個別コード。
 人間との接触のために用いられる、偽りの名前。
 欺く為のもの。

 

 わたしは空を仰ぎ見る。
 鉛色の雲に覆われた空から、変わらず無数の白い結晶が降り注いでいた。
 大気温度はきわめて低い。さらに気圧の変動により発生する風を感知する。
 有機体となった今のわたしには、その生命活動に微弱ではあるが直接影響するはず。
 対表面の温度をわずかに上げる事で、外部環境に対応する。

 

 呼吸。吐く息は、白い。

 

 わたしが現出した空間は公園と呼称されている。
 人口が多く集中する都市部の中で、周辺に居住する人間のために、人為的に構築された自然環境を再現する空間。またはコミュニティ形成のために提供される場。
 その地を、降り積もる水の結晶が全てを白く包み、隠していた。
 すべてが白く煙る景色の中で、わたしは大きな何かに切り離された自分を感じる。
 すでに「我々」ではない。「我」なのだ。

 

 組成が完全に終了したのを確認したのち、自分の体をゆっくりと見下ろしてみる。
 頭部の眼球から得られる光学情報しか得られない感覚に違和感を覚えるが、初めての感覚というだけであり、不快なものではなかった。
 必要と判断すれば、光学探査機能以外からも外部環境情報は得られるが、まずはこの肉体に慣れるべきと判断。自己の外形を外部から観察を開始。あくまで両眼球からの情報のみに集中することにする。
 胸部にはゆるやかな曲線がある。ふたつ。女性と呼ばれる性別によるもの。肉体の形作る湾曲だった。
 そして服飾。薄い水色と今の景色を彩る紺と白色のストライプ。「学生服」と呼ばれる物のよう。この地では、わたしは女性という性にカテゴライズされるようだ。
 その下には歩行する為の二本の脚と、真っ白な地表上に脚に装着された靴のつま先が見える。

 

 そこまで確認したあと、両腕をゆっくりと持ち上げてみる。
 主な身体活動で使用される操作器官。それぞれに五本の細い指が付随している。
 手を開いて差し出すと、いくつもの雪の粒が着床し、わずかな冷感と共に消失してゆく。
 溶けてゆく感触を実感しながら、自分の眼球の水晶体に反映されている公園の景色と、舞うように降下する冷たい水の結晶に意識を戻す。

 

 後に、わたしはこの視覚情報を「きれい」と形容する。

 

 広大な宇宙に浮かぶ、有機知性体の生存を可能とした小さな奇跡のようなひとつの星。
 その大気の底で出会った白い光景。
 その冷たさ。
 そして、儚さ。

 

 これをわたしの名前としよう。
 想いと重なるように、つぶやく。

 

 わたしは、こうして生まれた。
 長門有希として。

 
 

 その後、観測のためにあらかじめ用意されていた駐留拠点に移動を開始する。
 およそ五十自転周期後に、観測対象が所属する予定である「東中学」と呼ばれる中等教育施設に程近い集合住宅(この時点では、観測対象は未だ初等教育施設に通学していた)。
 この地では「マンション」と呼ばれるそこが、わたしの駐留拠点となる。
 七〇八号室。建造物の第七階層、八番目の居住区画という区分けらしい。
 この駐留拠点には、わたしのほかに先行して派遣されている別の端末の存在を確認している。
 パーソナルネームは「朝倉涼子」。
 わたしを生み出した主流派とは違う、別の派閥、急進派により生成された個体だった。
 まだ接触はしていないが、すでに与えられた情報から、自分自身の任務に対して重要度の高い個体と判明している。
 この個体がわたしの任務の支援を行うという、思念体・主流派からの通達だった。

 
 

「初めまして、長門さん」
 七〇八号室に入ろうとした時、声がかかった。ドアノブに手をかけたまま、わたしは声の方向を向く。
 視線の先には自分と同様、女性の性別を与えられた情報端末の姿があった。
 こちらとは違い、頭部を保護する為の体毛は長く、一部は後ろでまとめられていた。
 衣服にも注目する。体温を保持する為の衣類である白いコートを身につけ、首にはマフラーと呼ばれる保温具が巻かれているのが見える。靴も動物の体皮から作られた……ブーツというものだと推測される。
 途中ですれ違った幾人かの人間とまったく変わらない、違和感のない外観。
 そしてもっとも関心を惹いたのはその表情。
 笑み、と呼ばれる感情表現。顔面の筋肉を操作し、形成する。コミュニケーションの一手段。
 今のわたしの機能には、ない。 
「どうしたの? 話は聞いてない?」
 こちらの反応の無さからか疑問を投げかけてくる。
「通達の受領は完了している。パーソナルネーム、朝倉涼子」
「そう……というか、そのパーソナルネームってどうかと思うけど」
「なぜ」
「こっちの人間たちは、そういう言い方をしないから」
 困惑したような、そんな表情。なのだろう。おそらく。
 特徴のある眉根が上にごくわずかに上がっている。
 顔面の器官、眉、目、口などの動きで、その時、その個体の感じている感情(この時点ではわたしにとってはまだ不明確なもの)を表現する。
 そのようなプログラムを、この朝倉涼子という個体はすでに獲得しているようだった。
「今のわたしにはあなたのように、人間と円滑にコミュニケートを可能にする能力はない」
「みたいね」
 そう言うと肩をすくめて軽く息をつく。
「とりあえずここじゃなんだから、あなたの部屋に入れてくれない?」
 朝倉涼子はまた笑顔をつくり、手に持っていたビニール製の袋を差し出して見せた。
 付近の流通末端施設から入手したもの、らしい。すでに対価となる現地の通貨を保持しているようだった。
「ほんの少しだけ先に着任した先輩からの引越し祝い」

 

 朝倉涼子と共に七〇八号室に入室し、部屋の中を見渡す。
 中は空間を間仕切りする壁と、通路を確保する為のドア。採光と換気の為のガラスで構成された大きな窓。床面には合成木材が敷かれている。
 靴を脱いだ足に冷たい感触。外気温とあまり変わらないが、風がないために体感温度は比較的良好。
 要するになにも配置されていない、空っぽの部屋。
 現時点から三公転周期、ここで待機モードに移行することになるが、その間に自身の調整を行う必要があるようだと考える。生れ落ちてわずか二時間の間に、自身のコミュニケート能力の不足が判明しつつあった。
 特に、この朝倉涼子との接触でそれは確実なものと認識するようになっている。
 なぜだろう。
 地球人類との接触が前提の同じ情報端末のはずなのに、この能力の差異は。
「部屋の作りは同じね」
 背後から聞こえる、朝倉涼子の声が軽く反響する。
 空気振動を吸収するものが少ないためだ。
「家具は買ってくるとして、どんな内装がいいのかしら。相談に乗ってあげる」
「いい」
 わたしにはほかの懸案事項があった。
 そう、コミュニケート能力の補完を検討したかった。
「待機モードに特に重要なこととは思えない」
「あなた、ただ待ってるつもりなの? こんな何もない部屋で、三年間も?」
「ただ待機する訳ではない。調整はするし、待機しつつ観測も実施する」
 朝倉涼子はまた先ほどの表情でわたしを見つめる。困惑という表情。
「ほかにもあるわ。あなたのその服」
「問題ない」
「ないわけないでしょう? それ北高の制服よね?」
「データに欠損はない。完全に再現できていると……」
「じゃなくて」
 今度は額に手をついて目をつむる。興味のつきない感情表現。
 これは先ほどのものよりさらに困惑の度合いが強い、と解釈するべきだろう。
「あなたは……わたしもだけど、北高に入学するのはこれから三年後よ?」
「そう。三周期後に予定されている」
「……三年間、その服を着て過ごすつもり? 入学もしていないのに、そんなの着てほかの人間に見られたらどうするのよ?」
「何か問題が?」
「今のあなたがそれを着てたら、ただのコスプレでしょ。変に思われる。いちおう記憶の改ざんは、支援システムが実行はするけど、このままだと、あなた自身がまともな対応を経験できない」
「……経験については理解できるが……こすぷれって、なに」
 意味不明の単語を確認。理解しかねる。
 確かにこの朝倉涼子はわたしとは異質のプログラムで構成された個体。
 いや。相対的に自分が異常なのかもしれない。
「えーとね」
 朝倉涼子は少し思案したあと、今のわたしにも理解できる説明を試みようとしている。
 軽く息を吸うと、無機質に変化した音声で説明を開始。
 今のわたしのように。本来の彼女のように。
「組織に所属しない者がその組織の規定した制服を着用する事は、人間には通常想定しにくい事態。その状態を人間が確認すれば、制服を着用している者は不審の対象となる」
 所属組織を明確に分類する、その為の「制服」ということ。
 なるほど。理解した。
 わたしは軽く首肯する為に首を小さく振る……うまく制御はできない。
「また、我々は当施設には三公転周期後に所属する予定である。この施設は学習施設。一度所属し、学習過程を満了した離籍者が、再度同施設の受講所属員となることは、慣例としてあり得ない」
「……了解した」
 なるほど。確かにそのようだ。
 しかしなぜ、わたしを生み出した主流派はそれを検討しなかったのか。
 それは、このあとにすぐ判明することになる。
 朝倉涼子はゆっくりと、なにもない部屋の中を見回し、歩きながら言葉を続けている。
「わたしとあなたの役割分担は聞いてるわね?」
「確認している」
 それは問題がないはず。
 プランによれば、観測対象はこれより約三周期後に東中を過程満了した上で離籍したのち、通称「北高」と呼ばれる、区分としては高等教育を行う施設に所属する予定となっている。
 朝倉涼子は、観測対象と同じ第一学年、第五グループ(クラス)に配属され、対象との直接接触を試みる。その際に集団のリーダーに就任するよう情報操作され、信頼を獲得するということらしい。厳密にリーダーというのは違うようではある。「クラス委員長」というのが正式名称ということだ。
 わたしの方は観測対象から距離を置き、別のグループに配属され、対象とその周辺の観測を行う。要求されるのは人間の注意を惹かないこと。
「この配置で、あなたのその個体能力の理由がわかるわね」
 朝倉涼子はじっとわたしの体を観察している。
 外部に異常があるはずはない、が、少し落ち着かない「気持ち」になる。
「わたしのこのコミュニケート能力は、直接接触用だから」
 そしてわたしは情報収集能力、および操作能力に特化した設定ということになる。
 それにしてもこのままで良いのだろうか。今のふたりの会話だけでも、いや仕草ひとつをとっても違和感が残る。
 確かにわたしの情報収集能力は、目の前にいる朝倉涼子よりも高い。
 いや、今確認できる範囲内でも、これまでに生み出された端末群の中ではわたしに比肩する能力を与えられた者はいないようだ。自分に課せられた責務が重大であると再認識する。
 その為にコミュニケート能力を抑えてでも、備えなければならない程のシステムを搭載しているのだろうが、しかし、外部の人間は、自分をどう評価するだろうか。すでに同じ端末であるはずの朝倉涼子から指摘を受けるほどなのだ。
「あなたは、その能力で情報収集に専念して欲しい。わたしはそのバックアップ。観測対象の思考傾向や、行動、その他を直接接触によって引き出す」
 くるりと振り返った朝倉涼子は、微笑みながら告げた。
「あなたはその反応を観測する。主データの報告もあなたの仕事」
「理解した。ただひとつ、疑問がある」
「なに?」
 予測しなかった質問だったのか、朝倉涼子は軽く瞼を大きく開いた。興味の尽きない表情の変化。
「現在、観測対象はその居住地域により中等教育施設、通称、東中に所属する事がほぼ決定している」
「そうね」
「三周期後には、高等施設を選択する自由が観測対象に与えられているが、北高を選択するとは必ずしも限らない」
「それは……」
 朝倉涼子は軽く困惑の表情を作ると、人差し指を口の前にあてて思索した。
 おそらく該当データの検索と得られたデータの検討を行っているのだろう。ごくわずかの間だったが。
「ああ、そうね。付近にもうひとつ学校があるけど……こっちは女子高ね」
「こちらでも確認した。『光陽園学院』という施設。要求される記憶能力、計算能力、創造能力、いずれもこの地域では高いレベルにある。そして観測対象はそれをクリアする能力を充分に有している。経済的な問題もないようだ」
「そうね……普通、人間はレベルの高い方選ぶみたいだしね。後の社会的な評価に関わる問題らしいし」
「今現在、わかる範囲で検討してみたが、このままでは観測対象は東中での学習過程を満了したのち、北高ではなく、むしろこちらの光陽園学院への所属を希望すると予想される」
 わたしがこの制服を着用したまま生成されたのは、あらかじめ北高に所属する事がわかっている事が前提となる。
 情報統合思念体に、直接問いただすことにしてみた。
 どういうことか? 
「……すでに規定事項である、って」
 朝倉涼子も急進派思念体から同様の回答を得たようだ。
 確かにこうして配属された以上、計画通りに任務が遂行されれば、未来の我々はすでに観測を開始している。
 その未来の端末たちと同期する事で、情報を収集することは容易だろう。
「まぁ、確かに、こうしてわかってしまうけど、それはわたしたちがいなければ得られないデータだものね」
 朝倉涼子は肩をすくめてそう言った。
 その通りだ。
 現時点での未来の情報が収集可能なのは、我々がこうしてこの地に配置され、必ず任務を実行に移さなければならないことを意味している。
 そうでなければ、未来の情報はパラドクスによって消滅してしまうのだ。

 

 ――この時点で、決められていた。

 

 彼女は今のこの状況を「なにか不思議ね」と言いながら肯定的に受け止めて笑っていた。
 わたしはその笑顔を見つめつつ思考する。

 

 ――決定している未来。おそらくは覆すことは困難な既定事項。

 

 この時すでに、朝倉涼子とわたしとに発生するすべてのことを、情報統合思念体は把握していたのだ。

 
 

 その後、初接触を果たしたわたしたちは、今後の方針話し合うことにした。
 だが朝倉涼子は、それより先に七〇八号室の環境をどうしても改善したいらしく、自分の部屋へ誘導して説明するという。
「せっかくの差し入れも、あそこじゃ食べられないしね」
 そう言われ、連れて行かれた彼女の部屋、五〇五号室は、確かにわたしの部屋の状況とは明らかに違っていた。
 どれくらい前に着任したのかすでに家具が運び入れられ、おそらくは人間たちがそうするであろう配置に不自然な点は見受けられなかった。
 室内に入ると朝倉涼子はコートを脱ぎ、ハンガーと呼ばれるラックにかけ、収納する。中にはやわらかい材質で構成された、深い色合いの赤に染まったタートルネックのセーターというものが着用されている。とても印象深いものだ。
「こっちよ、長門さん」
 手招きされたのは応接間。
 そこには室内の温度調整用器具も設置されている。エアコンというもの。人間が生活する上での適温にすでに調整されていた。
「まぁ、座って座って」
 朝倉涼子は、応接間の中央に配置された保温用の布をかぶせた低い机に誘導する。
 物珍しさもあって、周囲を観察していると、朝倉涼子はにっこりと微笑んで説明する。
「こたつ。この国では一般的な冬季暖房器具ね」
 勧められるままわたしは座り、少し警戒しつつ脚を布団の中に入れてみる。
 その感触に意図しなかった声が出る。
「……暖かい」
「気持ちいいでしょう」
 なぜか嬉しそうに笑う。とてもめまぐるしく動く表情。
 その表情を監察するわたしの中の何かが、安定化していくのを感じる。
 この場に留まる事が不快ではない。いや、むしろ逆。
 ここち……よい?
 発生した「なにか」に戸惑っているわたしには気づかないのか、朝倉涼子は購入した食料をこたつの上に広げていた。
「どれが気に入るかな。この世界って、味覚の刺激が豊富な食料がいっぱいあるのよ? きっと長門さんも気に入るのがあるはずだわ」
 そう言いながら、この地では「菓子」と呼ばれるさまざまな品物を並べ、水分補給のためなのか熱い湯の入った器具を持ってくる。
 紅茶? 緑茶?
 何が気分を高揚させるのだろうか。朝倉涼子の声は弾んでいる。
 わたしはその声を聞くうちに「気持ち」が緩む自分を自覚している。
 彼女の笑顔とその声を「感じる」のは、とても心地よい行為だと。
 こうして自己を得たわたしの最初の夜は、穏やかな時間の中で過ぎようとしていた。

 
 

 個を得るという不思議な感覚。
 それまで「我々」には「個」という概念が希薄だった。
 皆無、と言ってもいいほどに。
 確かに思念体の中には、多くの思考形態などにより「派閥」とも呼べる思念領域が存在する。
 わたしを生み出した「統合思念体・主流派」を始めとして「急進派」「穏健派」「革新派」「折衷派」「思索派」「静観派」などが存在するが、しかしそれは、個体を示すものではない。
 分類が可能な、総体の中の大きなうねりのようなものであり、それぞれが独立した「なにか」ではなかった。あくまで思念体を構成する思考流の一部でしかない。
 仮に「地球人類」という枠を規定したとして、しかし、それは統合された知性体ではない。
 六十億の個体それぞれが独立した思考を持ち、情報を発信し、活動を行うだけであり、統合されているわけではないのだ。
 最大の違いは人類はそれぞれの意識や思考(後に知った情報だが「感情」というものも含めて)を瞬時に同期共有する手段を保有していない、あるいはできないままでいることにあった。
 地上を覆う原始的な光学電子情報網の構築により多少改善の傾向はあるものの、思念体のような統一された知性体という形態には比べるべくもない。
 時空間を超えての同期など論外だった。
 結局この惑星上の有機知性体たちは、個である事からは離れられないようだし、そのつもりもないようだった。
 一部にはそのような「思考を共有可能なコミュニケート能力(ESP能力)」を保持している者が観測されているが、現地では「超能力者」などという呼称で呼ばれ、いささか否定的・懐疑的な反応を示され、一般化している状況とは程遠い。
 ただ彼ら能力者たちが我々と同様、正体を秘匿したまま何らかの組織的活動を開始している、という未確認情報もある。
 目的は不明ながら、統合思念体より直接注意するよう喚起されていた。
 そのような地球人類との直接接触。
 特にわたしたちは、特定の一個体を目標として接触を命じられている。これまでとは違う。特殊な端末群。
 この特殊な試みのために生み出されたわたしは、先達がそうだったように、総体から個体へ、という環境の変化に戸惑っている。個としての肉体を獲得する、という事に大変な違和感が認められていた。
 その中で朝倉涼子というこの個体は、特殊なパーソナリティを確立しているのではないだろうか。
 この環境への順応度を見るに、わたしはそう考えていた。

 
 

 その晩わたしは「居室内内装のこうであるべき姿」という朝倉涼子の主張を、こたつを囲んだまま黙ってうなずいて聞いていた。
 女性として生まれた(?)からには、配慮してしかるべき事項であり、今後の任務にも重要なファクター足りえること、なのだそうだ。
 理解は極めて困難ながら、おそらく自分が欠落しているのであろうその感覚を得るために、わたしは細心の注意を払って傾聴する。
 途中、朝倉涼子がわたしの反応を見て、何かに耐えているように見えたのはたぶん、きっと、理由があるはず。
 わたしにはわからない、なにか。
 その後、彼女の強い勧めもあって五〇五号室で一晩を過ごすことになった。
「あの部屋に戻っても、布団もないじゃないの」
 床の上でいい、というわたしの意見は「先輩が面倒を見るべき後輩に対して、そのような事をさせてはならない」という、彼女が言うところの「人間の価値観」によって封殺された。
 学ぶべきことは多いので、わたしは素直に従うことにする。
「それでよろしい」
 威厳をもった態度のすぐ直後に、朝倉涼子はたまりかねたように大きく笑い出す。
 その変化の多様さは驚くばかり。
 とにかく従うことに同意したわたしは、彼女の用意した寝巻きなるものに着替えることとなる。着替えはすぐに出てきた。
 赤いストライプの、綿というもので構成されたやわらかい生地の衣服。少しだぶついているので、袖をまくる必要があった。
 彼女も着替えを済ませ、わたしたちは、ひとつしかなかった同じ布団の中に入ることになる。
 ……後から考えるに、これは少しユニークすぎる行動だったのではないかと推察する。
 無論、誰にも話してはいない。

 
 

  ――いつかわたしも。

 

「なに?」
 暗い室内、ひとつしかない布団に、ふたりの有機端末が横になっている。
 わたしが思わずつぶやいた言葉に、すぐ横の朝倉涼子がなんとも表現のしにくい声色で問い返す。かすれたような、ため息のような。
「……どうしたの? 眠れない?」
 もともと眠る必要がないわたしたちだった。
 だが有機体としての個を得た今、構成される脳細胞は擬似的とはいえ、酸素を必要とし、また休息をわずかながらにも要求するのだろう。
 まだ慣れない感覚。
「そうではない」
 わたしの声はつぶやくよう。
 だいたい、この至近距離で話すのに音量はまったく必要とされていない。
「少し……これはこういった表現で良いのか、判断ができないが……緊張、していた」
「そうね……わたしも最初はそうだった」
 意外な言葉だった。朝倉涼子は、最初からこのように動作していたのではないのか。
「じきにあなたも慣れるわ」
 彼女はわたしの頬に手をやる。やわらかく、暖かい感触が残る。
 こういう行動の意味を知っている彼女と、知らない自分。
 彼女の手に誘われるように、まぶたが落ちてくるのがわかる。
「明日はお買い物しましょう。やっばりあの部屋じゃ……」
 言い終わらないうちに、朝倉涼子は睡眠時の呼吸を始めていた。
 嗅覚に未知の感覚。
 わたしはその感覚に不思議な安定感を感じ、そして、その後の記憶はない。
 休息に入ったために、全ての知覚がゆっくりとシャットダウンされてゆく。
 心地よい感覚を感じ続けながら。

 

 それは朝倉涼子の匂いだった。

 
 

 ―第1話 終―

 
 

 SS集/458へ続く

 
 
 


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:02:55 (1921d)