作品

概要

作者江戸小僧
作品名無時代伝奇劇 北より迫りしもの
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2006-10-14 (土) 22:55:24

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹不登場
ハルヒ登場
みくる登場
古泉一樹登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子登場
喜緑江美里登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

  <<北より迫りしもの>>

 

 何時とも知れないが、闇が都をも跋扈していた時代の話である。

 
 

   <壱>

 

 その邸は、今日も静かに男を迎え入れた。
 都ではきょんという通り名で知られる男である。
 この時代、宮中においてまで通り名で呼ばれる事は稀である。名を呼ぶのが憚られるほどの、やんごとなき血筋にある男なのか。
 しかし、見たところ供の者もいない。門の外には牛車も見えぬ。
 この邸、よく見れば建屋は手入れがされているのだが、それ以外はまるで破れ寺だ。
 冷たい風に吹かれて、かつては足の踏み場もない程に繁茂していた草達も、白茶けた細い姿を荒地に放置されたしゃれこうべのように晒しているに過ぎない。
「さて」
 男は、門の横で足を止めた。
 この邸の主には毎回驚かされている。今回は何が迎えに出るのか。
 腰を落とすようにしてゆっくりと足を進めようとした男の着る狩衣は萌黄色をしているが、そこに影が差していた。
 男の右足が一歩を踏み出した。
 男の視界には何も現れない。
 左足が、もう一歩を踏み出した。
「待っていた」
「うわあぁっ」
 声は、男の背に当たったのだ。
 男は慌てて振り返ろうとして自分の足に躓き、何歩かよろめいてどうにか足を踏ん張った。
「な、長門!」
 きょんと呼ばれる男の前にある小柄で肩にも届かない髪に水干を着込んだ姿は一見男と間違えそうだが、その白皙の透き通るような肌と血のような赤さに色づく唇、黒檀の瞳にはそのような間違いを正すに余りある美しさがある。
 ただ美しいだけではない。この小柄な女が、時の都で稀代の呪術師と謳われている長門である。
「お、驚かすな」
「あなたが驚いただけ」
 男はようやく落ち着いた顔で、眉を顰めた。
「それはそうだが……お前は時に全く足音をさせずに歩くからな」
「……そう」
 ほんの僅か、顔を下向ける姿に、再び男は慌てるように言葉を紡いだ。
「どうして俺が来るとわかったんだ」
「道すがら、独り言を言っていた」
 言われてみれば、確かに大路から角を曲がる辺りで独り言を言ったかもしれない。
「ひょっとして、俺を見張らせてるのか?」
 男はそのまま庭へと歩きながら、背中の長門に問う。
「なぜ」
「ふむ。最近、相手がわからぬ視線を感じるのだよ。邸で濡縁を歩いていても、宮中にいても」
 小柄な呪術師は先に縁側に上がると、盆を差し出した。
 何も持っていなかった筈だが、盆の上では二つの湯呑が湯気を上げている。
「あなたは今まで視線を感じていなかった」
「うん? ああ、いつも感じることはなかったな」
「では、私ではない」
「そうか……っておい。今までも見てたのか」
「……」
 長門は黙って湯呑で顔を隠す。
「どうも、気になるんだ。男の勘って奴かもしれん」
「今も感じる?」
 白皙の呪術師が正座していた足を僅かに上げながら問う。
 男は改めて四方に目をやってから、首を振った。
「いや。ここでは感じない。これはいつのことだが、なんというか、ここでは安らかな日差しが常に頬を撫でているような、不思議なものを感じるのだよ」
「そう」
 すっかり葉を落とした木々を通して、冷たい風が二人の間を吹き過ぎた。
「今から出かける」
「仕事か?」
 小柄な女の首が、風に押されるように僅かに傾く。
「一緒に来て欲しい」
「俺が?」
「そう」
「どこに行くんだ」
「いや?」
 男は片膝を立てた。
「ばかを言え。お前の頼みを断る訳ないだろう」
 男の目が白皙の顔を真っ直ぐ見つめた。
「行こう」
「……そう」
 そういうことになった。

 
 

   <弐>

 

 二人はそのまま徒歩で都を東に出て、山道を入っていった。
「どこにいくのか、そろそろ教えてくれないか」
 小柄な呪術師は足を止めずに呟く。
「朝倉に会う」
「呪術師の朝倉か。お前以外の呪術師はさっぱりわからないんだが、皆、こんな山の中にいるのか。
「……わからない。前は居た」
 そう言うと、懐から紙を取り出した。指で何かを書き付ける様に表面をなぞり、息を吹きかけて宙に飛ばす。
 紙は舞うようにゆっくりと地に落ちると、両手に乗るほどの犬となって駆け出した。
「匂いを追う」
「なるほど」
 男は、朝倉という名の呪術師の髪が揺れる度に漂ってきた心を妖しく惹きつける香りを思い出した。
「頬が緩んでる」
 長門の硬い声に我に返ると、わざとらしく紙の犬の姿を目で追った。
「どころで、どうしてあの呪術師を探すんだ」
「手伝ってもらう」
 男は驚いた顔をした。
「どちらが強い力を持っているかで争った相手にか?」
「大丈夫」
「まあ、お前がそう言うなら俺は信じるだけだ」
 紙の犬は時折戻ってきては二人に道筋を示しながら、匂いを追って山道を進んでゆく。 やがて、道を外れて叢を掻き分けるように進むことになった。
「あれか?」
 何本かの木に囲まれるように、木の板で作ったらしい小屋が現れた。この季節であればさぞかし隙間風が冷たいだろう。
 小屋の扉が開いて、長髪の呪術師が姿を現した。
「遅いよ」
「お前か」
「そ。意外でしょ」
 長髪の呪術師はそう言うとぐるりとひと回りしてみせてから屈託なく二人に笑いかけた。
「……いや、なんというかな」
 男は頭を掻いた。
「何よ。似合わない?」
「いや、少しばかり着方が普通と違うので驚いた」
「ふーん。都の人の言う事は良くわからないわね」
 朝倉はそう言って、自分の体を見下ろした。これまで常に着ていた異国風の服ではなく、都であれば女房の世話をする者達が着るような、簡単な着物だ。そこまではいいが、何故か裾を捲くってわざわざ足を出している。
「足元が涼しいのが好みなら、それで構わないさ」
「なんだ、やっぱりこの脚から目が離せなかったの」
 長門が男の前に回りこみ、男の視界から長髪の呪術師の下半身を隠した。
「伝言を聞いた筈」
「そうだったわね」
 朝倉は小屋の中に二人を入れた。
 外から見て小さな小屋だったが、中に入ってみると男にはやけに広く感じる。
「広いな」
「まやかしじゃないわよ。そう見えるようにしてるの」
「さっぱりわからん」
「いづれ教えてくれるわ、長門さんが」
 朝倉はそう言うと、小柄な呪術師に顔を向けた。
「この前の事よね。気配が感じられないのにとても大きな力を持った何かが川を伝い、北の山の向こうへと至った」
「そう」
「戻ってくると思ってるの?」
 長門は一瞬目線を伏せ、再び長髪の呪術師を見やった。
「覚えがある気配」
 朝倉の眉が上がった。
「あの気配……まさか、そんな。緑鬼がこの地に来たというの?」
「あり得ること」
「あの人嫌いが?」
「天地の声のままに動く。来てもおかしくない」
 話は男がまるでわからないまま続き、陽の暮れかかる頃になって終結を迎えた。
「わかった。じゃ、私は南から始めるわ」
「では、私は西から」
 都へと帰る道すがら、きょんと呼ばれる男は長門に尋ねた。
「なあ、長門」
「なに」
「俺を連れてきたのは、あの話を聞かせるためか」
「そう」
 白皙の顔が僅かに傾いた。
「しかし、悪いが殆どわからなかった」
「それでいい」
「何故だ?」
「……あなたは言の葉が紡ぐ本質を観る。しかし、あなたの口からは言霊は生じない」
「すまん、やはりわからん」
「あなたは真を知るが、それを伝えることはしない」
「誰にだ?」
「あなたを見張る者」
「おい、それって」
「都に着いた」
 二人の前に、東の門が見えていた。陽はもうすぐ落ちるだろう。
 きょんと呼ばれる男が己の邸に着く頃には、陽は暮れていた。意味はわからないながらも、先程の話からするに暫くは夜は供の者を着けようかと考えながら男が邸の門をくぐろうとすると、横合いから声がかかった。
「お帰りを待たせてもらいました。意外に早かったですね」
 声と共に、一人の男が近づいてきた。狩衣を模範的に着こなし、口元は張り付いたような微笑で飾られている。
 どこぞの女房の前で見せるような顔を、きょんと呼ばれる男に向けていた。
「どこに行っていたのか、知っているような口ぶりだな」
「少しばかりお時間をお借りしていいでしょうか」
「検非違使の長であるお前が、帝の元を離れて何をしているんだ」
 古泉と呼ばれた男は、笑みを深くした。
「その帝の御用です」

 
 

   <参>

 

「いつも言ってるでしょ。誰もいなくていいの」
「しかし、帝。今は……」
「あなたもよ、古泉君」
 検非違使の長は、口元の微笑はそのままに目で男に語りかけながら退出した。
「さ、教えてもらうわよ、きょん。何してたの」
 きょんと呼ばれる男は懐から匂い袋を取り出し、手の上で弾ませた。
「何のことだ。それより、これ。虫除けになるかどうか試そうとしたんだが…」
「とぼけないで! 山の中まで、二人で何しに行ってたの」
 男は帝に呆れたような顔を向ける。
「最近、ずっと誰かに見られてると思ったが、お前の企みか」
「ちょっと、誤魔化してないで早く言いなさいよ」
 男は両手を着いて足を崩した。二人きりとはいえ、帝の前で行うには余りに目に余ることだが、時の帝、はるひは眉を顰めようともしない。
「朝倉という呪術師を覚えているか? 彼女に会いに行った」
「で、どうして?」
「わからん。緑色の何かがどうかしたらしいがな」
「何、それ」
 男は白皙の呪術師の言葉を思い出したが、それをそのまま伝えれば目の前の権力者の機嫌を損ねることに確信があった。
「呪術師同士の話は、まるで異国の人々の話だ。音は聞こえるが、何を言ってるのかわからん」
「じゃ、どうしてあんたが一緒に行ったのよ」
 男は右の方に置いた太刀を手で指した。
「こういうものがあれば、不愉快な事態が起こる前に避けられる時もある。何といっても呪術師とはいえ、女性だからな」
 はるひの口元が不愉快そうに歪んだ。
「じゃ、護衛をしてたのね」
「普段、世話になってるからな」
「そ。じゃ、今度からは古泉君に言いなさい。誰か検非違使をつけてあげるわ」
 心なしか、二人を包む壁越しに陰気な雰囲気が漂っていた。
「おい、本気か?」
「何よ」
 男は意味ありげに周りを見回した。
「肝心の呪術師を怖がって、護衛にならんだろう」
「う……」
 帝の前から退出し、男が都大路に出ようとすると、古泉が近付いてきた。
「お送りします」
 既に用意されていた輿に二人で乗り、きょんと呼ばれる男の邸へと向かう。
「教えていただけませんか。彼女達が何を掴んでいるのか」
「俺は知らん。それより、何か掴んだからお前はこんなことをしてるんだろう」
 検非違使の長は笑った。
「これは然り。実は、高野の僧侶が気をつけろ、と」
「高野が?」
 高野は仏法僧の拠点の一つである。呪術師と同様に加持祈祷、占い、天候の予測など、様々な行いで都の人々にも関与していた。
「何が起こるというんだ」
「わかりません。といっても、こちらは何を言っているのかわからない、という意味ではありません。出てくる卦が良くわからないそうです」
「良いか悪いかも、か」
「そうです。彼らは呪術師のように言の葉を濁すことはしません。ただ、わからないのです」
「むう……」
 やがて、輿は供の者達の手で男の邸へと着いた。
「とにかく、気をつけてください」
「うん?」
「帝の機嫌をとっていただける方は、あなたを措いて他にいないのですから。何といってもあなたは唯一の」
「おい、古泉!」
「失礼しました」
 検非違使の長は笑みを止めずに頭を下げた。

 
 

   <四>

 

 その日も男は呪術師の邸を訪れた。
 この日も、人の気配がない。
「……」
 男は邸の門を出ると、徒歩で大路へと向かった。既に三日間、男は小柄な呪術師の姿を見ていない。いつもであれば、不在の折には式神が現れて主が不在である意を何らかの方法で示すのだが、それもない。
 男は大路に出ると、南に向かう。男の邸は南大路よりも僅かに西。呪術師の邸までは大路を横切らなくてはならない。
 供を連れず、輿に乗らずの貴族はこの男位で、何度も同じようにして通っているものの、変わらずに回りの目を集める。それに紛れるように自分を注意深く見つめる視線に気がつきながらも男はゆっくりと己の邸に向かった。今日は宮中に顔を出す必要もない。といって、邸に戻っても家人に茶を頼む位しかすることを思いつかない。
 特にすることも思いつかないまま、やがて己の邸に着こうという時。
 塀の上からの視線に気がつき、目をやる。
「あれは…」
 そこにいたのは、一匹の獣だった。
 しなやかな白い体。何かを探るようにして揺れる尾。そして、白皙の呪術師の顔。
 男の視線を感じた獣は、走るでもなく塀の上を動き出した。男はそのまま後を追う。
 獣は時折振り返って男が付いてくるのを確かめながら、塀伝いに南へと向かった。塀と塀の間は、まるで風に吹かれて舞う木の葉のように軽やかにゆっくりと跳び越える。
 そのうち、南の大門まで至った。そこで獣は地にふわりと落ち、やはり走ることなく門を超えた。
 男は周りに目をやるが、いつも感じる視線はどこにもない。
 獣は門の向こうから男を振り返ったが、小走りに視界から消えた。
 男は僅かな逡巡の後、門の片隅に放るように懐の匂い袋を投げ置き、大門をくぐった。
 都の外、木枯らしが吹く河原まで、男は獣に導かれた。
 そろそろ、陽の暖かさが消え、風の冷たさに変わる刻である。
 一人と一匹は、川辺に至った。
 川の中はまだ緑を保っている。石の間をうねる水草の動きが、誘うようにも見える。
 立ち止まった獣に、男は語りかけた。
「誰か知らんが、そろそろいいのではないか」
 周りを見回す。人の気配はない。獣も何も言わない。
「気が付いてたんですか」
 どことも知れない場所から、声が降った。
 同時に、探られる感触が男を襲った。
 それは戸惑うような優しい触れ方でも、有無を言わせぬ乱暴な触れ方でもなかった。ただ、柔らかいが力強い触れ方で、男の体の表面を余すところなく撫でさすり、ところどころで強く押し、その髪をまさぐった。
 男は動くことができなかった。頭では動こうとしたが、まるで腰が抜けたように体に力が入らなかった。
「誰だ」
「先に一度、お会いしましたね。何もお聞きになってないんですか」
 男の目に、川の中の水草が映った。うねるように流れにのって踊る緑の波。
「みどり……」
「そう聞きましたか?」
 急に男の体に力が戻り動くようになった。反射的に振り向くが、何もいない。
 視線を戻すと、男と川の間に立つ者があった。
「あなたは人としては少々代わってるんですね」
 男はその姿を見つめた。
 都の女房のように十二単を着ている。しかし勿論、都の女房はその姿で河原を歩くことなどない。腰まで満たないその髪は、どう見ても緑の色をしていた。鶴屋の女房の髪は月明かりでは翠に輝くと言われるし、長門の髪は陽に透けると藤色にも見える。朝倉の長髪は陽の下では時に碧く輝いて見える。しかし、水草のように波打つ緑の髪は男の初めて見るものだった。
「あなたも呪術師、ですか」
 女は波打つ髪を揺らし、笑ってみせる。
「そうですね。そう言って良いでしょう」
「で、何故俺を呼び出したんです」
「ふふふ、あなたは長門さん達と懇意にしているでしょう。あの二人がなかなか姿を現さないので、呼び出してもらおうと思って」
 笑顔のまま、目に見えぬ圧力が緑の髪の女からきょんと呼ばれる男に押し寄せた。
「俺もこの数日会ってないんですが」
 答える男の額から汗が首筋へと滴り落ちる。
「でも」
 女が一歩踏み出した。
「彼女はあなたを見捨てないですから」
 男はゆっくりと一歩後ずさった。
「私も、人の意に反する事を強いるのは好きではないんですが」
 呪術師の、一見優しそうな目が男を圧倒する。
 男の顎から、汗が数滴河原の石へと落ちていった。
 と、
 男の目の前に、人の形をした紙が舞い降りた。
「これは!」
 紙が淡く輝き、大きくなって女の姿をとる。
 茶色い髪を二つに分けて左右に垂らし、野良仕事をする農民のように手にも脚にも短い上に端切ればかりををいくつも繋げた服を着た若い女が現れた。
 女は、男を守るように両手を広げ、目の前の十二単の女に告げた。
「ゆ、指一本触れさせましぇえん」
「変わった式神さんですね」
 式神が片手を上げ、指を二本突き出した。その手を自分の顔に近付ける。
「お、おい、待て」
「優しいんですね。あなたは」
 そう言うと、緑の髪の女は右手を自分の口に沿え、式神に向かって息を吹きかけた。
 途端、式神の動きが止まる。
「まさか、長門の式神が……」
 式神の動きをそれだけで封じた女は、そんな男と式神を気に留めずに顔を土手の方に向けた。
「二人とも、出てらっしゃい」
 男がついそっちを見ると、そこには二人の呪術師の姿があった。
 長髪の呪術師、朝倉が眉を顰めているのがわかる。
 長門は、常には考えられないことに緊張で顔が強張っていた。
「隠れるのが無駄なのはわかっているでしょう」
 こちらはまるで緊張した風がない。
 二人はしぶしぶといった様子で、緑の髪の女の前に立った。
「長門さん。いくら何でもいきなり式神で挨拶されるとは思いませんでした」
「……」
「朝倉さん。服をその辺の人と同じに変えても無駄なのは分かっているでしょう」
「そういうつもりでは…」
 諌めるように二人に声を掛けてから、女は男に顔を向けた。
「さて、私はいろいろな場所で緑の行者と呼ばれている者です。彼女達の先達と思っていただくのが一番分かり易いでしょう」
 そこまで言うと再び二人に目を向けた。
「そうは呼んでなかったようですが。彼の前で何といったんです? 緑の恐怖ですか、緑鬼ですか。勿論、あなた達が陰でそう呼んでいたことは知っています」
「滅相もないわ。ね」
「……」
「とにかく、私の事を思い出しただけで結構です」
 緑の行者は、今度は頭を土手の叢に向けた。
「あなたも近くにいらしてください。間違いなく帝に伝えられるように」
「おみそれしました」
 先程二人の呪術師がいた場所よりも下流の方にある枯れた芒の横から、薄い笑いを口元に貼り付けた検非違使の長が現れ出た。
「何もかもご存知なんですか」
 緑の髪の呪術師は、こちらも笑顔で応えた。
「私は一人の行者に過ぎません。ただ、己の足で歩き、己の目と耳を信ずるのみです」
 再び二人の呪術師に顔を向けた。
「さて、あなた達に声をかける暇もなく北へ向かったのは、故あることです。混被の民はご存知ですね」
「えー、知らない……」
 朝倉は緑の行者の視線に押し黙った。
 行者はきょんと呼ばれる男に目を向ける。
「あなたはいましたね。彼らの宝を都が奪った時に」
 男は口を開かず、頷いた。
「まさか、それは……」
「そうだ。波楚の鏡と呼ばれているものは、混被の民の宝だった。だからこそ、俺達はあれが何なのか良くわからない」
「そうだったのですか」
「彼らは今、とても困っています」
 緑の髪の行者は男を真っ直ぐに見つめた。強い視線だったが、先程のような圧力はなかった。
「宝を失ったから、ですか」
「いいえ。しかし、彼らはかつて南から追われたように、今は北より追われて南へと移動しています」
 行者の話は続いた。
 混被の民と呼ばれる、今都にいる人々とは違う国の住人とされているこの人々はかつて北の山より更に北へと追われていった。その折に奪われたのが、彼らが宝としていた波楚の鏡である。しかし彼らは北の山を越えて安息の地を見つけ、そこでもう一度栄えることができた。
 しかし、その安息の地は今、巨きな鬼によって人の住めぬ場となった。山へと逃げる民を、更に鬼は追っている。
「そのまま、都まで鬼が攻めて来るということですか?」
 古泉の問いに、行者は頭を振った。
「それは、まだ定まっていません。高野は未だ何も読めないのではないですか?」
 古泉は口元の笑みを消して押し黙った。
「先の事は定まっていません。あなた方の行動がそれを定めます」
「それはどういうことですか」
 しかし、緑の行者は二人の呪術師に顔を向けていた。
「世は常に変化しています。あなた方もです。後ほど、答を聞きに行きます」
 川で、大きな石を投げ込んだような音がした。きょんと呼ばれる男がそちらに目をやり、元に戻した時には緑の行者の姿はなかった。
 古泉がきょんと呼ばれる男の前に立った。
「さて、説明していただけますか」
「何をだ」
「なぜこんな所まで、わかっていて誘われてきたんですか」
「私も説明を要求する」
「説明するべきだと思うな」
 男は三人の顔を見比べた。
「まあ、その……長門の式神を真似したものがいたのだ。長門を知っている者の仕業だから、会えば何かわかると思ったのだ」
「つくづく無用心ね」
「長門の手がかりが掴めればと思ったらつい、な」
 小柄な呪術師が前に出た。
「二度と一人で怪異に関わらないと約束して欲しい」
「いや、これでも気をつけては…」
「約束して」
 黒檀の瞳は濡れたように光っていた。
「わ、わかった。もう一人では近づかない。約束だ」
 古泉は口元に笑みを取り戻したが、目の強張りは取れていなかった。
「あの匂い袋は僕宛の伝言だったんですか、彼女のためだったんですか」
「うむ、実は、そこまで考えていなかった」
「あなたは時に、考えられないような無茶な博打をしますね。高価な生地の匂い袋なんて、誰かが持ち去ってしまうことだって……」
「古泉。俺はお前のように誰もが認める才もないし、弓の名手でもない」
 きょんと呼ばれる男は晴々と笑った。
「だから、懸命になって俺にできることをするしかないのさ」
「なるほど。あなたには降参です」

 
 

   <伍>

 

 呪術師の邸に、久方ぶりに主と男が揃って湯呑を手にする姿が見られた。
「なあ、長門」
「なに」
「あれだけ生い茂っていた草木が、今や殆ど枯れようとしている。これを俺の邸の庭や山の中で見ても、ただ、季節が移り変わっていくなあと感じるだけだ」
「……」
「しかし、ここでこうやって見やると、俺達は草木の一部しか知らないのだと思わされるのだ」
 男は湯呑を飲み干す。
「俺だって、輿がなければ外を歩けない連中とは違う。ああやって枯れていく草がある同じ場所に、春になればまた新しい草が生えることを知っている。ああいう草は、実は土の中でじっと生きているんだ」
「そう」
「だからな、俺は草の一部しか見ることができてない。もっと違う姿をすることもあるのだろうが、恐らく俺はそれを見ることができない。人も、同じようなものなのだな、と、緑の行者の話を聞いてつくづく思った」
「なぜ」
「あの行者は言った。俺達が混被の民の宝を奪ったと。言われれば確かにそうだ。しかし、実は俺達にとっては自分達の地を守るために彼らの成敗に向かい、宝を差し出されて情けを掛けたという事になっているのだ。彼らからすれば、俺達は平地に住みつく鬼だというのに」
「そう」
「都には、そんな一面もあるのに、俺もそれを忘れていた。古泉のように初めから知らない者もいる」
「あなはた私の事も一部しか見てない?」
 小柄な呪術師の瞳に照れるように、男は庭の方を見つめた。
「全てを見ることはできないと言っているのだ。それは、恐らく誰でも同じだ」
「理の元を見れば良い」
「うむむ……、理の元、か。また難しい話になりそうだな」
 男は頭を掻いた。
「どうも俺はそういう話が良くわからんのだ。理だの縁だの、目に見えないものばかりだとすぐにこんがらがってしまう」
「でも」
 長門は真っ直ぐ男に顔を向ける。
「あなたはそれをしている」
「俺が? 俺はただ、己を見るものを信じるだけだ。お前の一部しか見ることは敵わないが、常に変わらず感じるものがある」
「なに?」
「それは……む、うまく言い表せんが、とにかく感じるものがあるのだ」
「そう」
 血のように赤い口唇の端が、僅かに上がった。
「ほ、本当だぞ」
 長門は、男の両目をしっかりと己の瞳に捉えた。
「あなたを信じる。ずっと、いつまでも」
「長門?」
 しかし、白皙の呪術師はそれ以降はおし黙ったままだった。

 
 
 
 
 

「どうぞ、ご感想があれば何でもおっしゃってください。」
 いや、その……生徒会役員がシナリオ書いてくれるとは思ってなかったんで。
「新入生相手に劇をすると聞きました。僭越ではありますが、問題がないようにさせていただきます」
 えーと、今日ってもう何度もループしてるし、生徒会は細かい事まで知らなかったと思うんですが。
 俺の両手が、少し冷たくて小さく柔らかくものに包まれた。
 長門? 朝倉? おい、どうした?
 朝倉の眉がピクピクと動いている。何のカラータイマーだ? 長門は…俺にしかわからないだろうが、永久凍土も裸足で逃げ出す氷の瞳が僅かに揺れている。まさか、伝説のハッカー伝説を打ち立てんとする沈黙のタイピストたるお前まで、震えているのか?
 明るい緑に輝くウェーブした髪を揺らして、生徒会書記を務めるその人はハルヒの前に立ちはだかった。
「まるで扇動するようなシナリオで新入生相手に演劇をしていただくことは認められません。しかし、内容によっては黙認できます」
 ハルヒの瞳に、トカマク炉で燃え盛る禁断の炎を超える死兆星の如き輝きが灯った。
「そう。つまりこの−−あなたの『やわな』シナリオを超えれば良いのね」
「そう思っていただいても結構です」
そう言って鬼緑さ、いやいや、喜緑さんはこちらを−−俺ではないことを切に祈る−−チラリと見てから部室を出て行った。
 誰もが暫くは無言だった。
 何世紀に渡り放置された古代のからくりが動く時のような、軋む音が聞こえてきそうな動きで首を回して、ハルヒは俺を睨んだ。
「聞いたわね。明日は午後1時に集合。それまでにこれを超えるシナリオを書いてくるのよ。キョン、代わりができなきゃ1ヶ月毎日死刑だから!」
 毎日死刑って、どういう罰だよ! っていうか、そもそもお前のほざく『宇宙人未来人超能力者が心奪われる演劇』のシナリオを俺のような普通の人間に期待するな。
 古泉。なんだその顔は? こんな時こそお前の組織力でなんとかしてみせろ。
「とにかく! 明日書いてこなかったら覚えてなさい!」
 ハルヒはそう言い捨てて部室を出て行った。なんで今回に限って自分でどうにかしようとしないんだ、こいつは。
「やはり、本当はあなたのシナリオが見たいんですね。幻に終わった恋愛小説に代わるような素晴らしいシナリオが」
 うるさい! とにかくお前は息を吹きかけるな。
 そうだ、ここはついに真打登場……
「えー、わ、わたしでしゅかぁ」
 ……失礼しました。何でもないです。
「これで脱出できる可能性がある」
 ああ、そうだな、長門。とにかくこれでループは終わるかも知れん。しかし、俺に演劇のシナリオか? 演劇なんて見たのは、文化祭で無料スマイル野郎がやってた姿をちょっとだけだぞ。あーあ、また俺の財布は罰ゲームという名のブラックホールに直結するのか…
「大丈夫。あたしがさせない」
 長門、こんな事までもお前に頼ってしまうなんて俺には……ん?
 あのー、長門さん? その眼鏡、どこから出したんですか? いや、似合わないとは言わないんですが、あの長門を思い出してしまってですね、俺は……いや、決して……
「任せて」
 長門は、一見無機質なようでいて実は太陽フレアを思わせる瞳で眼鏡越しに俺を見つめると、静かに部室から出て行った。朝倉が慌てて後を追う。
「さすが長門さん。何か秘策があるのでしょう」
 いつものニヤケ顔で古泉は言い、そのまま出て行った。
 次の日何が俺を待っているかも知らず、俺は眼鏡を復活させた長門の一言に完全に頼り切っていた。
 だって、長門が俺を『裏切った』ことはないんだ。そうだろ? そこ、情けないとか言うな。それに、あの日俺達は……いや、何でもない。気にするな、ただの妄言だ。

 

   終

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:02:36 (3093d)