作品

概要

作者ながといっく
作品名長門有希体験版
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2010-09-17 (金) 05:36:34

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、確かに秋彼岸を過ぎたころから涼しくなってくるものだ。そのおかげなのか、一年を通して沸騰している涼宮ハルヒの頭の中も幾分かクールダウンされたらしく、今週末は珍しく団活の予定は組まれず完全オフ日と相成った。
 そんな日曜日のことである。

 

 これまたラッキーなことに、俺の休日を邪魔する第二の刺客である妹も、小学校の子供会キャンプとやらで今朝からいない。親父もお袋もそれに同伴しており、今週末は誰にも邪魔されず引きこもっていられるという算段だ。「キョンくんも行こうよ」とせがむ妹には悪いが、年がら年中ハルヒに振り回されている俺にとっては久々の休日である。
 ダラダラと休む怠惰な週末を満喫したい。いや、せねばならないのだ。悪いな妹よ。それに、この歳で小学校の遠足もどきにノコノコと出かけたら妙な噂が立ちかねない。「ロリキョン」などと呼ばれるのは御免だ。
 さて、せめてもの償いにと早起きして妹を見送り、優雅に二度寝でもしようとした矢先、ピンポーンと小気味よくチャイムが鳴った。
 一体何だってんだ。まさかハルヒじゃないだろうな。いや、さすがのハルヒも連絡なしで家に押し掛けるようなことは……やりかねん。だが、あいつは用事があったら呼び出すタイプだろう。それじゃあ朝比奈さんか。それなら大歓迎なのだがそれもなさそうだ。残念なことに、彼女からプレイベートな連絡があった例はない。古泉? 居留守だ居留守。
 などと頭を巡らせる必要もなかったようで、程なくその正体は判明した。
「お荷物のお届けに伺いました」
 配達屋か、朝早くから御苦労さまだな。ドアを開けると配達員の男性と、彼より一回り小さい程度の段ボールが並んで直立していた。
 しかし相当デカイ荷物だな。親父がゴルフバッグでも頼んでいたのだろうか。
 ところが、
「――様へのお荷物でお間違いないでしょうか」
 意外なことにこの荷物は俺宛らしかった。なんだろう、こんな大きいものが運ばれてくる心当たりはないのだが。
「元払いで料金はいただいておりますので、ハンコかサインだけお願いします」
 どなたか知らないが、送り主が気前の良い方で助かった。この大きさの荷物の送料を払わせられようものなら、週末の奢りで悲鳴をあげっぱなしの俺の財布には致命傷となりかねないからな。
 サクっとサインを済ませて荷物を受け取り、部屋まで運ぶ。拍子抜けなほどに段ボールは軽かった。中に何も入ってないと言われたら信じるかもしれないくらいに。
 しかし、いったい中身は何だ。妹が俺の名前で巨大テディベアか何かを頼んだのか。まさか親父が俺の名前でダッチワイフでも注文したんじゃないだろうな。だとしたら即座に母親に密告だ。ガムテープを剥がしながら様々な可能性を考えていたが、さっぱり見当はつかなかった。

 

 正直に言うと、この時点で嫌な予感はしていた。今まで散々非常識な出来事に巻き込まれてきた俺の直感が叫んでいたのだ。「これは厄介事だ」と。だからこそ、どんなものが出てこようと決して驚くまい。そう覚悟していた俺だったが、俺の心の防波堤は段ボールの中身がもたらした衝撃にあっさりと突破された。
 まず、中身がモノではなく"ヒト"であったこと。これだけで十分驚きだな。
 そして、そいつが先ほどのチャイムの時ですら想像もしなかった人物であったこと。休日に訪ねてくることすら想像し難い奴なのに、まさか段ボールに入って我が家にやってくるなどと誰が想像出来よう。

 

 不揃いなショートカットに、その名前の如く白い肌。
 華奢な体つきに、見慣れた北高の制服。
 それは紛れもなく長門有希だった。

 

 信じられないこと、予測がつかないことなんてのは、世の中にはいくらでもある。
 おぞましい凶悪事件の犯人にしても、周りからは「おとなしい人だった。こんなことをするなんて信じられない」なんて言われていることの方が多いくらいだ。予測なんてつかないことの方が多いと言っても過言ではないだろう。

 

 さて、諸君は配達屋から受け取ったでっかい段ボール箱の中に人間が、しかも見知った女子が入っていることを予測出来るだろうか。
 俺にはまず無理だ。その女の正体が宇宙人とくれば尚更である。
 宇宙人を自宅に配送された唯一の地球人、なんて称号は出来れば御免こうむりたい。御免こうむりたいのだが、実際送られてきてしまったものは仕方ない。それに、こいつが無意味にこんな突拍子もないことをするとは思えないしな。
「で、長門よ……どこから尋ねればいい?」
 部屋のど真ん中で直立している長門に問いかける。ちなみに長門には段ボール箱の横を切り取った上で出てもらった。いかに長門が軽いとはいえ上から引っこ抜くのは骨だからな。先ほど段ボールを運んだ時はやたらと軽かったが、得意の情報操作で重力でも操作したのだろう。
「どこからでも」
 そうかい。ならば遠慮なく尋ねさせていただこう。
「何故段ボールに入ってきた」
「お届けものだから」
 ……全然答えになっていない。まあ、こいつの回答がどうにも的を射ないのは今に始まったことではない。気を取り直して質問を続けることにする。
「なんのつもりだ。何かまたハルヒがらみの厄介事でもあったのか?
 それにしたって、用事があるなら普通に訪ねてくればいいじゃないか。呼んでくれれば俺がお前のマンションまで出向いて行ったって構わないのに。
「そうではない」
「じゃあ何でだ」
「これ、読んで」
 長門は抑揚のない声でそう言うと、どこからか冊子のようなものを取り出した。
「……長門有希体験版?」
 手渡された冊子の表紙には、見慣れた明朝体でそう書いてある。
「これはなんだ?」
「説明書」
「何の?」
「わたしの」
 ……オーケー、まったく意味がわからない。いつからお前はマニュアル操作が必要になったんだ?
「読んで」
 長門が表情を変えずに言う。つべこべ言わずにさっさと読めと言わんばかりである。
「わかったよ」
 まるで誰かさんのような強引さだ。溜息をつきつつ冊子を開く。
 裏表合わせても七文字しか書かれていない表紙とは対照的に、見開きにはびっしりと明朝体が敷き詰められていた。題字と同じく手書きのようだったが、印刷されたものと見分けが付かないのは言うまでもない。まるで予算不足から一ページに纏めざるを得なかったかのような、図も絵も一切無い、とてもユーザーに厳しい説明書であった。
『基本仕様』
 そう題された項目に、長門の身長、体重、座高、視力、聴力など、およそ健康診断で測るであろう項目がズラリと並んでいた。電化製品やPCで言うところの、スペック表記のようなものだろうか。
「ふむ…」
 正直言って驚くことはなかった。身長や体重は大体見た目通りだったし、視力も聴力も極めて普通の値だ。もっとも、その辺の数値は自由自在に変えられるのだろうが。
 その代わりに、妙な違和感を感じた。明らかに欠けているというか、意図的に記載しなかったであろう項目がある。
「胸囲は?」
 思わず聞いてしまったことを、俺は瞬時に後悔することになった。注視せずともわかるくらいに、長門が不機嫌なオーラを発していたからだ。普段から涼しげな瞳の温度が、更にガクっと二段階下がっている。
「ああ、何でもない。気にしないでくれ」
 突き刺さるような視線から逃げるように説明書を読み進める。次は『本製品について』の項目だった。
 
『1.長門有希はヒューマノイドインターフェースです』
「ずいぶん今更だな」
「念の為」
「そうかい」

 

『2.食事を与えてください』
「二つ目でいきなりこれか?」
「食事は必要」
「いや、それはそうだろうが……」

 

『3.長門有希はあなたの指示に従います』
「服を脱げとかそういう無茶振りでもか?」
「………」
「い、いや、冗談だ」

 

『4.ただし、体験版では一部の機能が制限されています』
「一部の機能ってなんだ?」
「必要に応じて説明する」
「……そうか」

 

 どうやら、このまま説明書を読み続けても俺の疑問は解けないようだ。冊子を閉じ、目の前で棒立ちしている長門に問う。
「結局のところ、お前は何がしたいんだ?」
 長門は迷う様子もなく淡々と、
「今日一日、わたしはあなたの所有物になる」
「所有物?」
「そう。体験版の機能の範囲内であれば、あなたはわたしを好きにして構わない」
 好きにして構わない、か。出来ればもうちょっと違うシチュエーションで、もう少し感情をこめて言って欲しいもんだな。今ここで言われても俺の困惑が増すばかりである。
 長門の言動を纏めると、長門が俺の家に(運ばれて)来た理由は、長門がお届けものだからであり、長門がお届けものである理由は、俺の所有物になるためということになる。……ますますわけがわからん。
「あー、それは要するに、今日一日俺の言うことを聞いてくれるってことか?」
 長門はこくりと頷くと、その無表情に不安の要素を僅かに浮かべ、
「……迷惑?」
「いや、そんなことはない」
 事情はさっぱりわからんが、長門に何でもすると言われて迷惑であるはずがない。だからそんな顔をするのはやめてくれ。
「……じゃあ、とりあえず昼飯に付き合ってくれないか?」
「わかった」
 やれやれ。怠惰な休日にはなりそうにもないな。

 

 そうは言っても、我が家周辺は住宅街である。都合よく食事をする場所が見つかるわけもない。
 仕方なく街に出て駅前通りを歩いていると、背後から見知った声がした。
「およよ! キョンくんと長門っちじゃないかっ!」
 振り向くと、元気いっぱいの上級生、鶴屋さんが長い黒髪をたなびかせながら小走りで駆け寄って来た。その後ろをふぅふぅと息を切らせながら必死に走るのは、可憐な上級生、朝比奈みくるさんである。
「こんなところで会うなんて奇遇にょろ」
「お、おはようございますう」
「………」
 ニコニコ笑顔の鶴屋さんに、なかなか息を整えられないでいる朝比奈さん、そして二人の目を一秒ずつ見つめて挨拶代わりにする長門。俺もペコリと一礼する。四者四様の挨拶を交わしたところで、
「久しぶりのお休みだったので、鶴屋さんとお買いものに来ているんです」
 お洋服とか、と付け足して朝比奈さんが微笑む。あなたは何を着ても似合いますよ。
「キョンくんは長門っちと二人で何してんのかなっ?」
 からかうような口調の鶴屋さん。
 何をしているのかと言われると困る。食事をする場所を探しているのは確かなのだが、何故長門と一緒にいるのかをどう説明すればいいものやら。あれこれ考えていると、
「もしかしてハルにゃんの目を盗んで逢引きかい? 二人ともなかなかやるねっ!」
 鶴屋さんがとんでもなく的外れなことを言いだした。
「あの、そういうことじゃなくて」
「そういうことなら邪魔しちゃダメにょろね」
 鶴屋さんは俺の言葉を強引に遮ると、朝比奈さんの手を引っ張って、
「あたしもみくるとのデートは久しぶりだからねっ! キョンくん、お互い頑張るっさ! さ、行くよみくるっ!」
「あ、鶴屋さん待ってよう。……長門さん、頑張ってくださいね」
 何とも意味深な言葉を残し、上級生二人は去っていった。

 

 デート……ねえ。
 長門が箱詰めで家に送られてきたという無茶苦茶な経緯だけに、そんなつもりは全くなかったが、他人から見ればそう見えても仕方ないのかもしれないな。そんなことを意識し始めると、何だか急に居心地が悪くなってくる。何かしら会話をしていないと息が詰まってしまいそうだった。
「聞きそびれていたが、体験版ってことは、正式版みたいなものがあるのか?」
「ある」
「一応聞いておくが、どうすれば正式版になるんだ?」
「ユーザー登録をすればいい」
「どうやって?」
 そう聞き返すと、何故か長門は迷ったような表情になった。
「……それは、その時に教える」
「そうかい」
「そう」
 会話はそこで打ちきられ、再度沈黙。
 一体、こいつはこの状況をどう思ってるんだろう。表情にあらわれないし、言葉に出してもくれないからさっぱりわからない。異性とのコミュニケーションは同性とのそれよりも難しいとは言うが、俺の場合は性別の壁以外に非常識の壁、無口の壁、無表情の壁まで持ち合わせている長門有希が相手である。まさにHARD MODEだ。
 そのまましばらく無言で歩いていると、長門が急に立ち止まって呟いた。
「前方三百メートル先の交差点に涼宮ハルヒがいる」
「……そりゃまずいな。方向変えるか」
「そうするべき」
 というか、そういうのがわかるんだったら、さっきの朝比奈さんたちの接近も教えてくれよ。
「彼女らと遭遇しても特に問題が発生するとは思えない」
 せいぜい、俺が多少恥ずかしい思いをする程度で済むというわけだな。
「だが、ハルヒだとそうはいかない……か」
 頷く長門。
 確かにそうだろう。長門と二人で街をうろちょろしてるところをハルヒに見つかったらどうなるかなんて考えたくもない。どうもあの冬以降、ハルヒは俺が長門にちょっかいを出していると勘ぐっているようだ。
 俺が少なからず長門を気にしているのは確かなので、完全に間違いと言うわけではないし、ハルヒが長門を心配するのも長門を大切に思っているからこそであることも重々承知している。
 ところが、どうやらハルヒは、俺のことを下心満載で長門に寄ってくる悪い虫のように思っているらしい。雪山でハルヒに問い詰められた時は、危うく「いやらしい男」のレッテルを貼られるところだったしな。
 まったく、どうしてこうなったのやら。誓って言えるが、俺は長門のことをそんな目で見たことは一度もないぞ。
「過保護なのも大変なこった」
「……少し違う」
「え?」
「……なんでもない。それより食事場所を」
 それもそうだ。もう正午を回っているし、流石にそろそろ決めないとまずい。長門も腹を好かせているだろうからな。
 これが谷口や国木田だったら適当にコンビニかどこかで買って、そこら辺に座って食ったっていい。だが、いくら相手が長門とはいっても女連れであまり不格好なことはしたくない。かといって、分不相応に洒落た場所に連れていくのも何だか無理しているようで嫌だ。更に、長門の食欲を考えると質だけではなく量も考えないといけない。
 普段使わない頭をフル回転させて考えていると、一つの名案が思い浮かんだ。間違いなく長門が腹いっぱい食えて、場合によっては財布にも優しい。
「なあ長門、腹いっぱい食えて、しかもたくさん食えば無料になる店なんてのはどうだ?」
 長門は胡散臭いオカルト話を聞かされたような目で俺を見つめ、
「……詐欺行為?」
「……俺がそんなことをする人間に見えるか?」
「………」
「思ってたとしてもそこはすぐに否定してくれ。結構凹む」
「冗談」
 お前の冗談はわかりにくいんだ。いつだかも思ったが冗談を言う時くらい笑っても良いんだぞ。それはそれで戸惑わされるだろうけれど。
 まあ、長門が訝しむのも無理はない。たくさん食えば無料だなんて、常識的には有り得ないことだからな。しかし、世の中には常識では測りきれない事象は沢山あるのも事実である。
「この先にカレー屋があってな。そこでは尋常じゃないくらい大盛のカレーを作っているんだ。それを食いきったら料金が無料になるんだが、残したら相応の料金を払わなきゃならない」
 そう、いわゆるチャレンジメニューってやつだ。
「どうだ、挑戦してみないか?」

 

「パラダイスロストカレーとチキンカレーの並盛一つずつ」
 水を運んできた店長らしき人物に注文を告げる。失楽園を冠する不吉な名前のカレーがこの店のチャレンジメニューだ。値段は三千円とかなり割高だが、制限時間内に食べきれば無料というシステムである。
 恰幅が良く、髭をたわわに生やした店長のおやじはニタリと笑みを浮かべ、
「お、兄ちゃん頑張れよ。彼女の前でいいとこ見せてやんな」
 どうやら事実誤認が二点ほどあるようだ。とりあえず、前者を片付けておこうか。
「ええと、チャレンジカレーはこいつにお願いします」
 途端、店長の顔が硬直する。
「この子? 冗談だろ?」
 おやじは「こんな華奢な娘に大盛カレーを食わせようなんて、なんて鬼畜野郎だ」とでも言いたげな顔で、
「ご飯だけで五合もあるんだぜ。その上にルーとトンカツだ。悪いことは言わねえ、辞めといた方がいいぜ」
 ご丁寧に忠告してくれた。失敗した方が店としては儲かるだろうに、良心的な人である。だが、この店長は長門有希を知らない。あらゆる意味で長門は規格外なのだ。
「絶対に無理はさせないんで大丈夫です」
 店長は戸惑いながら、長門に問いかける。
「本当に大丈夫かい?」
 こともなげに頷く長門。
「な、なら仕方ないか…。お客さんの注文だからな……。細い大食い女なんてのも最近テレビでよく見るしな…」
 半ば自分に言い聞かせるようにボソボソと呟きながら、店長は調理場へと戻っていった。

 

 店長と店員の二人がかりで運ばれてきたそれを見て、俺は文字通り肝を抜かれた。
「パラダイスロストカレーお待ち」
 炊飯ジャーの中身をぶちまけたかのような白米の山に、これでもかという程にカレーがたっぷりとかけられ、更にその上に脂っこそうなトンカツが覆いかぶさるように並べられている。何と形容すればいいかもわからない。ただ一つ言えることは、例え一日がかりだとしても俺が食える量では無いということくらいだ。
「………」
 長門はと言えば、表情一つ変えずに山盛りカレーと睨めっこしている。いつの間にか、周囲の客も好奇心旺盛な顔でこちらを伺い始めていた。そしてそのどれもが「あの子には無理だろう」という表情であった。
「制限時間は三十分だ。好きな時に初めていいからな。」
 未だに心配そうな顔で長門の顔を見やる店長。
 長門はコクリと頷き、小さいけれどハッキリと聞こえる声でこう言った。
「いただきます」

 

 彼らの表情が不安から驚愕へと変わるのに、さほど時間はかからなかった。

 

「十七分二十五秒……新記録です……」
 ストップウォッチを片手に呆然とする店員。
「………」
 口をあんぐりと開け言葉の出ない店長。
「すげえ……」
「あのちっこい身体のどこに入るんだよ」
「つーかあの子可愛くね?」
「リア充爆発しろ」
 外野の客たちの感嘆と雑音。
 各々がそれぞれの方法で驚きを表現していた。ただ一人、俺を除いては。
「兄ちゃん、この子いつもこんなに食うのかい?」
「そういうわけじゃないですけど、食べようと思えばいくらでも食べれると思いますよ。長門、満足か?」
「……おいしかった」
 然程おいしそうな顔をしているわけではなく、いつも通りの無表情だったのだが、長門の感想は店長をえらく喜ばせたようだった。
「そうかい! そう言ってもらえるとおじさん嬉しいよ。気持ちよく食われて気分もいいから兄ちゃんの分もまけてやる」
「いや、それは申し訳ないですよ」
「いいから気にすんなって!」
 店長は俺の遠慮を一蹴すると、
「……そうだな。よし、ちょっと待ってな」
 そう言い残して店の奥に下がっていった。そして、グラス容器が二つ乗ったお盆を持って戻ってくると、
「こいつはサービスのチョコパフェだ! 遠慮せずに食ってくれ!」
 デザートまで貰ってしまった。なんて気前のいいオヤジだろうか。
「長門、よかったな」
 長門は俺の目をじっと見つめて頷き、
「………」
 店長に身体を向け、ゆっくりと頭の角度を下げた。
 それはお辞儀というにはあまりにも不格好なものだったが、彼女の感謝の気持ちは確かに伝わったのだろう。店長はうんうんと満足げに頷いていた。

 

 黙々とパフェを平らげていたその時に事件は起きた。長門が突然、何かを思い出したかのようにこう呟いたのだ。
「体験版」
「え?」
 長門がスプーンでパフェのクリームをひとすくいし、そのスプーンを俺の口元に突き付けてきた。
 つまりは。
「……あーん」
 そういうことである。
 ――長門さん、何の真似ですかこれは。
 しばらくの間、途方に暮れてかたまっていると、
「………」
 長門が無言のプレッシャーを浴びせてきた。
 更には、店長や店員、その他ギャラリーの視線が痛い。女に恥をかかせるのかと言わんばかりである。
「……わかったよ」
 突きつけられたスプーンを口にいれる。「きゃあ」だとか「おお」だとかいう声がどこからか聞こえたような気がした。 甘ったるいクリームの味が口いっぱいに広がる。きっと気のせいだろうが、自分で食べるよりもずっと甘く感じた。
 死ぬほど恥ずかしかったが、辱めはまだ続くようだった。
「………」
 長門がその小さな口を開け、そっと目を瞑っていた。
 それが何を意味するのかわからないわけが無い。だが、そう簡単に出来るわけもない。スプーンを宙に浮かせたまま躊躇していると、またも外野から厳しい視線が突き刺さる。言いたいことはわかる。彼女にやってもらっておいて、お前はしないのかということだろう。こんちくしょう。
 ええい、どうにでもなれ。
「……ほら、こぼすなよ」
 チョコクリームの部分を掬い、長門の口元にそっと近付けてやる。そして、彼女の唇がクリームに触れたその時。

 

 パシャッ

 

 音と光が店内の一角に炸裂した。
「ちょっ……」
 慌てて振り向くと、視線の先には店長。手にはポラロイドカメラ。
「言い忘れてたが、うちでは達成者に記念写真を撮ってもらってるんだ」
 早く言えよ!
 声にならない抗議の叫びも空しく、カメラから排出された記念写真は早くもコルクボードに貼りつけられようとしていた。調子に乗った店長を止める気力は、残念ながら俺の中に残ってはいなかった。
 ……お願いですから、写真にハートマークを書きいれるのは勘弁してください。
 長門はといえば、何事もなかったかのようにパフェを片付ける作業に戻っていた。俺が突き付けたスプーンも、舐めとったかのように綺麗になっている。
 思いつきで振りまわされ、俺だけが恥ずかしい思いをする。まるでハルヒが二人いるみたいだ。少し、いや、かなり無口で無表情なハルヒだが。
 彼女が何を思ってこんな行動に出たのかはわからない。だが、不思議と迷惑だとは思わなかった。むしろ、俺はどこかで嬉しさを感じていたのだと思う。確信はない。でも、口元が勝手ににやけていたということは、きっとそういうことなのだろう。

 

「今度はちょっと手加減してくれよ!」
 満面の笑みを浮かべる店長に送られてカレー屋を去る。なんだか、食事に来たはずなのにえらく疲れた。
 午後は何をすればいいのか少し迷ったが、図書館に行くことにした。静かな場所で休みたかったし、長門と二人で行く場所なんて図書館くらいしか思いつかなかったからな――というのは建前で、実のところは機会があれば連れていきたいと思っていた。
 本当は、もっと早く連れて来てやるべきだったのだろう。
 あの時パソコンのモニタに記されたメッセージを忘れていたわけじゃない。ただ、俺はそれを現実の行動に移すことはしなかった。意図的に避けていたと言われても仕方ないだろう。何故そうしたのかは、俺にもわからない。
 それでも、彼女がここを特別な場所と思っていることを知る機会が一度だけあった。言うまでもなく、あっちの世界での話だ。あの長門と俺の長門との共通点は、唯一つ、この場所での記憶だけだったのだ。その後、長門をここに連れてくる機会があったのだが、あの時は俺がいっぱいいっぱいだった。おかげで長門に無神経な仕打ちをしてしまい、朝比奈さんにはこっぴどく叱られてしまった。今でもことあるたびに「いつか長門さんにちゃんとフォローしてくださいね」とチクチク言われる。唯一その時だけ、彼女は上級生らしさを見せるのだった。
 そういう意味では、今日は胸のつっかえを取り除くこの上ない好機だった。

 

 静かに開く自動ドアをくぐり、静寂の空間に入ると、長門は吸い寄せられるかのように書棚の奥へと消えていった。
 その仕草も、その足取りも、初めてここに来た時と何も変わらない。変わらないのは俺も同じで、適当なライトノベルを一冊選ぶだけ選び、読みもせずにソファーでゆったりとくつろいでいた。
 なんだか、懐かしい。
 そう思えるほど、図書館も、俺も、長門も、変化という現象とは無縁なものに感じられた。だが、言うまでもなくそれは誤った認識なのだろう。俺はどうだかわからないが、長門は間違いなく変化している。彼女自身も、そして俺にとっての存在も。
 今日のデートもどきだってそうだろう。ダンボールに入って家に押し掛けるなんていう意味不明な行動、以前の長門は絶対にしなかった。……結局、長門の思い通りに動かされちまったみたいだな。
 ――まぁ、いいか。
 声に出したかどうかもわからない呟きを最後に、俺の意識は霧散した。

 

 今回は携帯のバイブレーションで起こされることもなく、自然に目が覚めた。それはつまり、随分長い時間眠っていたということでもある。目を擦りながら起き上がると、いつの間にか長門が隣に座っていた。
「すまん、寝ちまってたよ」
 長門は本を持っていなかった。読書にも飽きてしまったのかもしれない。かなり長い時間放っておいてしまったからな。
「退屈だったか?」
「………」
 返事はない。
「ひょっとして、俺の間抜けな寝顔観察でもしてたか?」
 冗談交じりに言う。長門はその問いには答えなかったが、
「……感謝する」
 微かな声でそう呟いた。

 

 赤く染まった太陽が地平線に隠れようとしていた。
「長門よ、その体験版とやらはいつまで続くんだ」
 図書館からの帰り道。長い影を引き連れて歩きながら、隣の長門に問う。もうすぐ終わるのならば、そのまま長門のマンションまで送っていくぞ。
「二十四時間。明日の午前九時まで」
 まだ半分も終わってないのか。それはそれでなんだかもったいない気がする、などと思っていると、長門が事もなげにこう言った。
「だから今日はあなたの家に泊まる」
 何をおっしゃる長門さん。
「流石にそれはまずい。今夜には両親と妹が帰ってくる」
 両親と妹が帰ってきたら風呂上がりの長門がいました、なんてことになれば、我が家のパニックは限界値に達するだろう。
「大丈夫。情報操作は得意」
 どうするつもりだ。
「火事でマンションが燃えたことにする」
「やめなさい」
 他の住人に迷惑がかかる。
「………」
 夕日がさして少し赤みを帯びた長門の瞳が、俺に無言で訴えていた。
 ――やれやれ。どうやら、俺はこの攻撃に弱いらしい。
「じゃあ、俺がお前の家に泊まる。それでいいだろ? 親には国木田の家に泊まるとでもメールしとくよ」

 

 一旦長門と別れ、俺は着替えやら通学鞄を取りに家に戻った。その間に長門が夕食を用意してくれていたのだが、その献立がまさかのカレーだったことには驚かされた。俺はともかく、昼にあれだけ食べておいてよく飽きないものだ。
 前回と違うのは、レトルトではなかったことと、量は普通だったことくらいだろうか。恐らく箱の裏のレシピ通りに作ったのだろう。格別に美味いというわけではなかったが、初めて味わう長門の手作り料理は何だか特別なもののように思えた。
 その後、長門に促され風呂に入って今に至るというわけだ。洗いものがあるから先に入っていいという長門に甘えさせてもらったわけだが、長門は男が入ったあとの残り湯に入るのは平気なのかね。それとも、自分が入ったあとの風呂に入られる方が嫌なのだろうか。いや、長門はそもそもそんなことを気にしないというのが正解な気がする。
 それにしても、流石は高級マンションである。風呂場も浴槽も広いのなんのって。大人二人くらいなら余裕に入ることが出来そうだ。
 身体を洗いながら考える。
 朝から晩までヘンテコな一日だった。段ボールに入って押しかけてきたかと思えば、今度は夜も一緒ときたもんだ。あいつ、自分が何をやっているのか分かっているのかね。あっちの世界の長門もそうだった。俺が言えたことではないが、押し倒しかねない勢いで掴みかかった相手を翌日には無警戒で部屋に招待するあたり、どうにも無警戒だ。
 それとも単に、俺を男として見てないだけなのかね。
 好きにして構わない……か。
 
 ――何を考えているんだ、相手は長門だぞ。

 

 いかがわしい妄想を浮かべたその時である。
 ガラリ、と風呂場の扉が開いた。反射的に扉に背を向け、顔だけ振りかえると、
「………」
 そこには長門がいた。
「………」
 無言VS無言。いや、正直なところ「お背中流します」なんてイベントがあるんじゃないかと思っていたし、ぶっちゃけちょっと期待していた。
「背中を流しにきた」
 ほら、予想通りだ。だがな。
「……なあ、なんでスクール水着なんだ?」
 普通の水着とかバスタオルという選択肢は無かったのか。つーか北高はプール授業無いぞ、一体どこで調達したんだ。
「男性が喜ぶ水着はこれだと聞いた」
「誰にだ」
「コンピ研の全員がそう言っていた」
「今すぐその情報を脳内から削除しなさい」
 そりゃあ、喜ぶ人間もいるかもしれん。そっち方面の奴らにとっては極上のご褒美だろう。だが、俺にはそこまでマニアックな属性はない。
 俺の困惑顔をどう受け取ったのか、長門は無表情のまま、
「……うかつだった」
 と述べ、唇を細かく動かして何かを呟いた。すると、長門のスクール水着が眩い光の粉となり――次の瞬間にはワインレッド色のビキニに変わっていた。例の情報操作って奴だろう。
 今までに、長門がこんな挑発的な格好をしたことがあっただろうか。胸元から首元にかけて通る細い紐と浮き上がった鎖骨のコントラストが妙にそそられる。下の三角形も随分小さめで……後ろを向いてくれなんて言えないよな。さすがに。
 こうやってまじまじと長門の素肌を眺めるのはもちろん初めてだ。所構わず着替えるハルヒや、所構わず着替えさせられる朝比奈さんと違って、長門の高露出な姿なんて今まで見たことなかったからな。こういう水着を着ると、ハルヒや朝比奈さんほどのボリュームはないものの、控えめながらもしっかりと女性らしさを主張する胸がはっきりと確認出来る。
「確かに、入浴するのにセパレートタイプの水着は適さない」
 スポンジを泡立たせ背中をゴシゴシを洗いながら、さらりと言いのける長門。いや、俺が言いたかったのはそういうことじゃなくてだな。そもそも、入浴するのに適した水着なんてないと思うぞ。
「水着じゃなきゃだめなのか?」
 別に背中を流すだけなら服を着たままでも出来るだろう。出来れば俺の目のやり場にも配慮して欲しい。
「体験版は水着着用だから」
 やはり微妙に会話がズレている。というか、正式版なら裸で洗ってくれるのですか。
 冷静になろうと必死な精神とは裏腹に、狙っているのか無自覚なのかも分からない長門のお色気作戦によって、俺の肉体は既に暴走し始めていた。具体的にはどういうことかと言うと、
「問題ない。生理現象」
 そういうことである。長門さん、お願いだから覗きこまないでください。
「……でも、体験版は背中だけ」
 正式版は背中だけじゃないってか。暖かい風呂場にいるはずなのに、全身がゾクリと震える。長門はいつも通り淡々と述べているだけなのに、この耽美な響きは何だ。
 もう限界だった。このまま長門をどうにかしてしまいたい衝動に駆られる。いっそここでユーザー登録とやらの方法を聞いてしまおうとすら思ったが、ここで箍が外れてしまったら、間違いなく俺は一線を越えちまうだろう。だとしたら、取る手段はもうこれしかない。
「す、すまん、のぼせちまったから上がる」
 四十八計逃げるに如かず。頭から思いっきりお湯をかぶって泡を落とし、前だけ隠して逃げるように風呂場から飛び出した。

 

 疲れを取るための入浴なのに、逆に疲れてしまった気がする。
 家から持ってきた寝間着に着替えリビングで呆けていると、長門がパジャマ姿で戻ってきた。頬が少し染まり、湯気が上がる姿はやけに色っぽい。表情を見る限りでは、勝手に風呂を抜け出したことは気にしていない様である。
「新鮮だな」
 思わず呟く。
「新鮮?」
「ああ、制服以外の長門を見ることなんて滅多にないからな」
 私服は数えるほどしか見たことがないし、水着は今日を含めても多分三度目だ。それを除けばあとは学校指定のジャージくらいだろう。
「それは、良いこと?」
 ああ、概ね好印象だと思うぞ。身につけるものにもよるとは思うが。
「……なら、追加オプションがある」
「追加オプション?」
「眼鏡」
 そう言うと、長門はまたも唇を小さく動かした。空気が光の分子となり、凝集したそれは眼鏡を形作った。今日は情報操作の大盤振る舞いだな。眼鏡を装着し、長門は俺を見据える。俺が初めてこいつと会った頃に付けていた、懐かしの大きめな丸眼鏡。
「どう?」
 三ミリ程首を傾ける。昔の長門の外見に、今の長門の仕草。それは存外に魅力的なものだった。これはこれで良いと思うし、間違いなく似合っている。だが……
「無い方がいい。俺には眼鏡属性はないからな」
 長門がすっと眼鏡を外す。やっぱり長門はそっちの方が可愛い。眼鏡の長門にお目にかかるのは、夢の中だけで十分だ。
「……眼鏡属性ってなに」
 くっ、そうきたか。
「妄言だ、気にするな」
「妄言でも構わない。答えてほしい」
 二度目とあって、しつこく食い下がってくる長門。その後、「何でもない」「答えて」の押し問答を数回繰り返した末、先に折れたのは俺だった。
「眼鏡属性ってのは、その名の通り眼鏡が好きってことだよ」
「それならば、直接そう言えば良いはず。あえて眼鏡属性という言葉を使う以上、何か他の意図があると考えられる」
 仰るとおりです。流石に誤魔化されてはくれないみたいだ。
「……眼鏡属性ってのは、一種の萌え属性なんだ。ハルヒに言わせれば、萌え要素ってやつだな」
「萌え属性とは?」
「その属性を持った女の子に萌えるってことだ。眼鏡属性なら、眼鏡をかけている女の子に萌える」
「理解した」
 コンピ研の奴らが吹き込んだのか、萌えの概念は理解出来るらしい。
 というか、何度も萌え萌え言ってると頭がおかしくなってきそうだ。またも混乱状態になりつつある俺を知ってか知らずか、長門は更なる追い打ちをかける。
「では、あなたは眼鏡の無いわたしに萌えを感じている?」
「それは、答えなきゃいけないのか?」
 肯定の頷き。そりゃそうですよね。
「……ああ、眼鏡が無い方が萌える」
 なんなんだ、この罰ゲームは。今日一日で一生分恥ずかしい思いをした気がする。
「……そう」
 長門のはいつも通りの無表情だったが、どことなく満足そうにも見えた。萌えると言われて喜ぶ女の子なんてそうはいないと思ったが、それは言わないでおくか。

 

 ゲームやパソコンはおろか、テレビもラジオもない長門宅で時間をつぶす術は読書くらいしかなく、長門に借りた本を寝転がって読んでいたらすぐに眠くなってしまった。
「俺、そろそろ寝ていいか?」
「……そう。わたしもそうする」
 本はもういいのか? 別に無理して俺に合わせなくてもいいんだぞ。
「大丈夫」
 静かに本を閉じる長門。気を使わせてしまっただろうか。
「ところで、俺はどこで寝ればいい?」
 いつぞやのように、和室にでも布団を敷いてくれるのだろうか。
「こっち」
 そう言った長門が指差したのは、以前長門が倒れた時に初めて入った寝室だった。六畳くらいの洋室でシングルベッドが置いてあったことを覚えている。
「こっち……って、そこはお前の寝室だろ?」
「一緒に寝る」
 またしても無茶なことを言いだした。一つ屋根の下ってだけでも大変なことなのに、いくらなんでも同じ部屋で寝るのはまずいだろう。
 長門はほんの僅かに首を傾げ、
「そうではない」
 一緒に寝るのに同じ部屋ではない? どういうことだ?
「同じ布団で寝る」
 えーと、それはもちろん、同じ柄の布団という意味ですよね?
 必死に現実逃避を図る俺に、長門は容赦なく追撃の言葉を浴びせてきた。
「添い寝」
「添い寝って……」
 そんなん、出来るわけないだろうが。
 宇宙人に造られたヒューマノイドインターフェースであるという以前に、俺にとって長門は同い年の女子高生なのだ。俺が小さい頃に母親に添い寝してもらったり、妹が小さい頃に添い寝してやったりしたのとはわけが違う。長門の「同じ布団で寝る」という魅惑の誘いに「はい、わかりました」と即答出来ない程度には、俺はまだ純朴なのだ。
「……嫌?」
 言葉に詰まっていると、長門が本日三度目の目線攻撃を浴びせてきた。ひょっとして、俺がそれに弱いことを分かってやっているのか? だとしたらまるで小悪魔だ。
 だが、今回ばかりは簡単に折れるわけにはいかない。
「嫌とかじゃない。駄目なものは駄目なんだ」
「何故」
 何故って、そういうのはもう少し大人になってからやるもんじゃないのか。それも、恋人だとか夫婦だとかそういう関係になった男女が。
「俺たちはまだそういうことをする段階じゃない」
 長門は何も言わず、じいっと俺を見つめ続けた。黒硝子のような瞳はまるで全てを見透かす宝玉のようだった。思わず視線を逸らしてしまう。
「……わかった」
 やっと納得してくれたか。
 横に逸らしていた視線を前面に戻す。長門がどんな表情をしているのか、長門を傷つけてしまってはいないか、少し気になった。
 しかし、視界に入りこんできたのは長門の瞳では無く、彼女の頭だった。
 長門は俯いていた。今日、初めて。
「長門……」
 傷つけた、どころでは無かったのかもしれない。今まで、長門が落胆を表に出したことがあっただろうか。
「……布団を用意する」
 そう呟き、和室の方へ歩を進める長門。
 彼女の後姿が、今までになく小さく見えた。

 

 ――長門、寂しかったのか?

 

 誰とも会うことのない、一人ぼっちの休日が。学校に行けば常に俺達がいるし、学校の無い日も大体はハルヒが招集をかけて無意味な活動に興じるから、一人でいることはない。
 しかし、いざ完全な休日になってしまえば、長門のそばには誰もいなくなってしまう。誰にでもいて当たり前で、ややもすれば鬱陶しい家族という存在すら、長門にはいないのだ。あるいは、かつては朝倉が長門の家族役だったのかもしれない。あっちの世界でそうだったように。でも、その朝倉もこの世界にはもういない。
 段ボールに入って押しかけるなんていう強引な手を使ったのも、過剰反応にも思える長門の落胆ぶりも、その寂しさゆえに俺に拒絶されることを恐れていたからだとすれば、ちゃんと辻褄が合う。
 ――やれやれ。
 心の中で溜息をつく。かつては六百年の孤独を耐えきった長門が、今はたった一晩の孤独を恐れている。だったら、俺がそれを拒む理由など最初からないのだ。そんな長門を望んだのは、他でもない俺なのだから。
「長門」
 背後に俺の声を浴びると、長門は俯いたままゆっくりと振り向いた。まるで俺の視線を、俺から浴びせられる言葉を恐れているかのように。
「……あー、折角の体験版だしな。こんな機会もないだろうし、やっぱり添い寝してもらえるか?」
 長門はゆっくりと顔を上げると、恐る恐るといった感じで俺の顔を見やった。
「ただ、やっぱり緊張するから背中合わせで頼む」
 それ以上は理性を保っていられる自信がないからな。自分がそれなりに魅力的な女子たることを自覚して頂けると非常にありがたい。
「………」
 長門は何も言わず、ゆっくりと頷いた。
 残念ながら、彼女の表情から何か特別なものを読み取ることは出来なかったが、そこから落胆の色が消えていたことだけで十分なのだろう。

 

 そして数分後。
 寝室のベッドの上にて、俺はエビか何かのように身体を折って硬直していた。経験がないもんだから、一緒に寝るということの勝手がわからない。隣には長門がいる……はずなのだが、背中を向けているという状況ゆえに、時折聞こえる微かな吐息からしか、彼女の存在を感じ取ることが出来ない。添い寝ってこんなんでいいのかね。
 とはいえ、やはり緊張する。頭の中では長門に触れたいという本能と、さっさと寝てしまえという理性がせめぎあっていた。頑張れ理性、負けるな理性。
「ちなみに、体験版はパジャマ着用」
 正式版では何を着用するというのですか。それとも何も着用しないという意味ですか。どっちにしろ、いたいけな高校生男子の劣情をかきたてるようなこと言うんじゃありません。
「劣情って何?」
 この場でそんなもん説明出来るか。
「いいから早く寝なさい」
「……わかった」
 やけに素直に引き下がったかと思えば、
 ぴとり。
 背中をそっとくっつけてきた。
「長門……」
「なに」
「……くっつきすぎじゃないか?」
「背中をあわせている」
 いや、確かにそうは言ったが。
「そこはもう少し控えめにだな……」
「もう寝る」
 俺の抗議を無視してそう言うと、長門はわざとらしく寝息をたてはじめた。しょうがないやつだな……まあ、この方が添い寝らしいかもしれない。
「なあ、長門」
「………」
「寝たふりしながらでいいから聞いてくれ」
「………」
「いきなりやってこられて驚いたけどさ、今日、楽しかったよ」
「………」
 右手に何かが触れる感触。長門の小さな手だった。そっと握ってみると、もっとやわらかい力で握り返してきた。
 暖かい。
 そう感じているのは、きっと身体だけでは無いと思う。
 先程までの緊張感はどこへやら、今や感じるのは心地よい眠気ばかりだった。ゆっくりと瞼が落ちていく記憶を最後に、俺の日曜日は終わりを告げた。
 ――おやすみ、長門。

 

 目が覚めた時には、背中と掌の温もりは既に消失していた。
「………」
 ベッドで呆けながら昨日の出来事を思い返す。
 朝、長門が段ボールで運ばれてきて。体験版だからとかいう理由で長門に一日付き合うことになって。ふざけた盛りのカレーを食べて。図書館で昼寝して。長門の家に泊まることになって。風呂に乱入されて。そして同じ布団で寝た。
「……ねえよ」
 全て夢なのだと言われた方が、よほど現実的かもしれなかった。
 しかし、事実とは得てして小説よりも奇になってしまうものである。見上げる長門の部屋の天井が、昨日の記憶が全て現実であることを証明していた。
 寝ぼけ眼を擦りながらリビングに行くと、既に制服に着替えた長門が座っていた。
「おはよう、長門」
「おはよう」
 テーブルの上にはトーストと目玉焼きと牛乳が置かれている。俺が起きるのを待っててくれたのだろうか。
「作ってくれたのか?」
 こくりと頷く長門。
「食べて」
「ああ、いただきます」
 長門お手製の朝食を頂く。彼女らしい簡素なものではあったが、朝食には十分だ。
「………」
「………」
 二人分の三点リーダが示すように、食卓に会話は無い。
 だけど、重苦しさは微塵も感じなかった。それどころか、少しでも気を抜くと笑ってしまいそうな、そんな充実感さえ感じた。

 

 制服に着替え、長門に声をかける。
「そろそろ行こうぜ」
 それは、俺にしてみれば当然の行動だった。昨日の朝から今までずっと一緒で、風呂もベッドも同じだったんだ。当然、学校までも肩を並べて歩くことになるのだろうと、疑いもせずにそう思っていた。
 だが、長門から帰ってきた返事は予想に反するものだった。
「……登校は別にするべき」
 その淡々とした声に、俺は冷水を浴びせられたような感覚に陥った。
 どうして? とは聞かない。聞かずともわかっているからだ。
 昨日から今日に至る時間。俺や長門がその立ち位置や属性を無視して自由に過ごせる場所。それはいわば"日常"だった。だけど、ここから一歩外に出た"非日常"ではそうはいかない。デートもどきも、風呂も、添い寝も、二人きりの時間の全ては、日常と非日常の境界の内側だけでのみ、その存在を許される。
 それが、俺と長門の距離だった。
「あなたも、わかっているはず」
 耳鳴りのように響く長門の言葉。
 ああ、わかってるさ。わかってるからこそ寂しいんだ。長門が好きだとか嫌いだとか、そんな単純なもんじゃない。たった数時間前にあれだけ近くにいた存在が、今はこうも遠く感じるという現実が、たまらなく寂しかった。
 背中合わせの暖かさも、小さな手の温もりもまだ覚えているっていうのに。

 

 長門がヒントをくれていたことに気付いたのは、その時だった。
 ――もしかして、お前は最初からそれを望んでいたのか?

 

「……長門、今何時だ?」
「午前八時十三分」
 確か体験版とやらは九時までだったよな。まだ終わっていないってわけだ。
「昨日、体験版の機能の中だったら好きにして構わないって言ったよな?」
 肯定の頷き。
「今、お前は俺と一緒に登校することを拒んだ。つまりそれは、体験版の機能制限ってことだよな?」
「………………」
 いつもの二倍の沈黙の後、
「……そう」
 肯定の返事。
「なら、正式版なら一緒に登校してくれるってことだな?」
 論理としては正しいはずだ。違うとは言わせない。
「お前の体験版、最高だったよ。是非とも正式版にアップグレードしてみたいと思ってる」
「………」
「ユーザー登録とやらの方法、教えてくれるよな?」
 長門はしばらく硬直していたが、やがてゆっくりと顔を上げて俺を見上げると、そっと目を瞑り、ほんの少しだけ顎を突き出した。

 

 要するに、「して」のポーズだ。

 

 なるほど、筋が通っている。水着着用での背中流し、パジャマ着用での添い寝。確かにあれ以上は"これ"をしてからじゃないとしちゃダメだもんな。
 そしてそれは、日常と非日常の境界線を打ち壊してくれるに違いない。
 ……さて、あまり待たせるのも失礼だろう。
 俺も目を瞑る。それが流儀ってもんだ。その瞬間の長門の表情を見ていたいという気持ちはあるがな。

 
 
 

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「急ぐぞ長門。遅刻しちまう」
 本音と照れ隠しを半々に込めて、急かすように彼女の手を引く。
 ぎゅっと、昨夜よりも強い力で俺の手を握ってくる長門。俺も握り返す。今度は出来るだけ力強く。

 

 視界の端に映る彼女の口元が、ほんの少しだけ緩んでいた。

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:01:46 (1868d)