作品

概要

作者ながといっく
作品名ほしふり(前編)
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2010-08-07 (土) 15:48:49

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹不登場
ハルヒ登場
みくる登場
古泉一樹登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

 俺のあずかり知らぬところで世界が分裂し、片方の世界では異星人の接触を受けて長門が倒れ、もう片方では謎の新入団員に大いに振り回され、ようやく二つが繋がったと思えば今度はハルヒが殺されかけるなんていう、身の凍るような思いをした驚愕の春休みからはや三ヶ月。今度は、身が溶けるように暑い季節がやってきた。
 お天気キャスターは毎日のようにオレンジ色の太陽マークを指し示し、猛暑だの酷暑だの熱帯夜だの見ているだけで暑そうな文字が新聞を彩り、いつもはやかましいほどに喚くセミすらも今年は鳴くことを放棄している。
 そんな、夏の日の出来事だった。

 

 公立校たる北高の校舎でクーラーが完備されているのは職員室くらいのもので、気温が最高潮に達する昼下がりともなれば、一年五組は巨大なサウナルームと化してしまう。生徒達はもちろんのこと、幕末の藩政改革について語る日本史教師も目が虚ろだ。思考回路の九十五パーセントが「早く終われ」で占められている俺たち同様、教諭もこんな授業などさっさと終わらせて職員室という名の楽園に帰りたいと思っていることだろう。
 こういうときは居眠りでもして暑さをやり過ごすのが一番なのだが、そのコマンドは目下封印されている。何故かといえば、それはもちろん先の中間テストが散々な出来栄えだったからである。
 おいおい、お前の成績は上り調子だったんじゃないのか?とツッコまれるかもしれない。確かに、ハルヒ先生が家庭教師をしてくれた頃は、まさに右肩上がりといった感じで成績が上昇していた。
 ところが、俺の好成績を見て自己の教育能力に満足したのか、それとも単に飽きてしまったのか、ハルヒはいつしか家庭教師をやめてしまい、それ以来、俺の成績はあっけなく元通りになってしまったというわけだ。
 結局のところ、俺は強制力を行使されない限り、自分から勉強などしない人間だということである。偉そうに言うなという話だが。
 ともかく、俺の成績は再び下降線を辿り、中間テストにおいて過去最低(当社調べ)を記録してしまった。そのあんまりな点数に危機感を抱いたお袋が、予備校のパンフレットをさり気なく俺の部屋に置く回数も多くなってきた。間近に迫った期末テストの結果次第では、夏期講習への強制参加、更には秋からの予備校通いという裁断が下される可能性も十分にありうる。
 そうなってしまえば、当然SOS団の活動には支障をきたすことになるだろうし、そのことでハルヒに何を言われるかなどは考えたくもなかった。もっとも、俺の成績が不甲斐ないのは、団活に時間を割いていることにも少なからず原因があるとは思うのだが、常にSOS団の先頭に立ちながらも学年屈指の好成績を維持する団長様にそんな言い訳が通用するとも思えない。腹立たしいことに、神様のパラメータ配分はかなりいい加減なのである。「天は二物を与えず」なんてのは嘘っぱちで、本当は俺に与えるべきだった一物を、間違えてハルヒに渡してしまったのだ。そうに違いない。

 

 さて、ここまで長々と天気やら神様に愚痴ってきたわけだが、もう少しだけ俺のボヤキを聞いて欲しい。うだるような暑さよりも、うだつの上がらない成績よりも、最近の俺を悩ますものがあるのだ。
 『悪夢』である。
 春が過ぎた頃から見始めたその夢は、徐々にその頻度を増していき、最近では毎日のように見るようになっていた。

 

 何時で何処なのかも解らないモノクロの空間で、俺は絶体絶命の危機に晒される。海沿いで津波に飲み込まれそうになったり、道路で暴走トラックに撥ねられそうになったり、ナイフを持った朝倉涼子に追いかけ回されたり、灰色空間で巨人に踏みつぶされそうになったりと、それはもう夢らしく、支離滅裂で何でもありだ。
 だが、どんなピンチであっても、俺はいつだってギリギリのところで窮地を逃れる。夢でも現実でも頼りになる寡黙な彼女――長門有希が助けてくれるからだ。
 俺の身代わりとなって。
 夢の終わりはいつも同じで、長門が俺の腕の中で徐々に光の砂となっていく光景だ。抱き寄せる腕が空を切り、喉が声にならない叫びをあげ、ようやく目覚める。
 まあ、大体こんな感じだ。

 

 いくら夢とはいえ、目の前で長門が消える様を見せつけられて平気でいられるはずがない。あまりの後味の悪さに寝直す気にもなれず、悪夢を見ることへの恐怖感で寝つきまで悪くなってきた。おかげで最近は寝不足気味である。
 自分でも気にしすぎだとは思う。現実の長門は健在で、部室に行けばいつでも会えるのだから。それでも夢を夢と割り切ることができないのは、少なからず長門に対する負い目があり、そして不安があるからなのだと思う。

 

 去年の冬。長門が、初めて自らの感情と願望を爆発させたあの事件。
 涼宮ハルヒの観察などという、俺だったらたとえ時給三千円でもお断りしたいような任務を背負って生まれて以来、長門は文字通り体を張って生きてきた。ハルヒの思いつきのフォローに回ったり、暴走した同僚から俺を守ったり、六百年間の夏休みを過ごしたりな。
 そんな無茶苦茶な現実に嫌気がさした長門が世界ごと変えてしまいたいと思ったとしても、誰も責めることはできないだろう。彼女に過度の負担をかけておきながら、誰一人として気付いてやれなかったのだから。特に俺なんて、唯一の長門の理解者ぶっておいてあのザマなのだから、もはや救いようがない。長門は俺を信頼してくれていて、世界の選択肢まで委ねてくれたというのに。
 だからこそ、俺はあの日、長門に頼りすぎないこと、長門の力になることを誓った。それは、長門が悩んでいたことに気付いてやれなかった罪悪感からかもしれないし、長門の人間らしさを垣間見ることができた喜びからかもしれない。とにかく俺は、これ以上長門に要らぬ負担をかけたくはなかった。
 だが、現実はそう上手くはいかない。
 雪山での遭難、未来からの指令、犬の幽霊騒ぎ、春の分裂事件、どれをとっても長門に頼り切りで、負担を減らすどころか二度も倒れさせてしまった。平凡な一般人である自分の無力さと、今までどれだけ長門に頼り切っていたのかを思い知らされ、やり切れない思いばかりが募っていった。
 もう一つ、気になるのが長門の変化だ。
 あの冬の事件以降、長門は俺達を守るという意思を頻繁に見せてくれるようになった。俺があの事件を経て『当事者』を自覚したように、長門もまた、彼女自身の意思を大事にし始めたように思えた。
 もちろん、それ自体は喜ばしいことだが、長門が前にもまして自己を省みなくなったように思えるのが気がかりだった。春の出来事でもそうだった。ナントカ領域の攻撃だか接触だかを受けて倒れてしまった時でさえ、長門は俺やハルヒを守ることばかり考えていた。弱っているのは自分だってのに。
 そんな長門に、いつしか俺は一抹の不安を抱くようになっていた。

 

 長門を失うことへの不安を。

 

 ……正夢じゃ、ないよな?

 

 授業を終え、逃げるように教室を去っていく日本史教師の後姿をぼんやりと見ていると、後ろの席の女が背中をシャープペンでつついてきた。
「今日は放課後すぐに部室に集合ね」
 涼宮ハルヒが、ただでさえ発光過多なその瞳を、更にいつもの3割増しほど輝かせて俺を睨んでいる。いい加減、シャープペンでつつくのはやめてもらいたいのだが。それが無理ならせめて芯をしまってくれ。
「眠気覚ましよ、感謝なさい」
「誰がするか。で、なんだって?」
「今日は寄り道しないで部室に向かうこと。いいわね?」
「いつもそうしてるだろうが」
 やる気無く言うと、ハルヒは眉間に皺を寄せ、
「あたしは今日の事を言ってるの。あんたがいつもどうしてるかなんて関係ないわ」
 どうせなら俺が今日がどうするかにも無関心であってほしいもんだ――とは言わない。余計に暑苦しくなるだけだからな。
「解ったよ、なるべく早く行くようにするさ」
 従順な団員に気を良くしたのか、ハルヒは満足げに、
「良い心がけね。団長直々に褒めてあげるわ」
「どうも。お前にお褒めの言葉を頂いてもあんまり嬉しくないがな」
「じゃあ何? 頭でも撫でてほしいの? 古泉くんみたいなのならともかく、あんたが甘えん坊キャラになっても気持ち悪いだけよ?」
 随分と失礼なことを言いやがる。俺だってお前みたいな母性の欠片もない女に頭なんぞ撫でて貰いたくなどないし、どうせ撫でてもらうならハルヒより朝比奈さんのほうが断然いい。そうだな、長門はどちらかと言うと撫でてやりたい――
「何ボケっとしてんのよ」
 朝比奈さんに撫でられながら長門を撫でるという極上の妄想を振り払ってくださったハルヒ様は、出来の悪い弟を見るような目で、
「まさか本気にしてる? 言っとくけど、あたしは部下を撫でて育てる教育方針じゃないからね。あたしは叩いて伸ばすタイプだから、叩いて欲しいならいつでも言いなさい」
 繰り返し言うが、お前に撫でてもらいたくも育ててもらいたくもないし、ましてや叩いて欲しいなどとは微塵も思わない。
「そんな性癖は持ちあわせてねーよ」
「そう? 別に遠慮しなくてもいいのに」
「全力で遠慮させてもらう」
「あっそ」
 興味が失せたようにそう言い捨て、しばらく窓の外を眺めていたハルヒだったが、やがて僅かに眉尻を下げ、少し声のトーンを落として呟いた。
「弁当箱にカマドウマの死体が入ってたような顔してるわよ、何かあったわけ?」
 どんな顔だそれは。
「この暑さだからな。夏バテかもしれん」
 本当のことは言わなかった。例え夢の中の話だろうが、団員が消えちまう話なんてこいつは聞きたがらないだろうからな。それにしても相変わらず鋭い奴だ。
「ふーん」
 明らかに納得していない様子だったが、これ以上追及するつもりもないようだった。その代わりなのか、ハルヒは俺の眉間をビシッと指差し、大声でまくし立てた。
「まあいいわ。とにかく今日は大事な日なんだから放課後までに気合入れ直しておくこと! 夏バテなんてイイワケは聞かないわよ! いいわね!」

 

 そう、ハルヒが今日中ずっと目を輝かせていた理由は今日の暦にある。試験勉強と悪夢に追われる毎日でほとんど忘れかけていたが、今年もこの日がやってきたのだ。
 あらゆる行事を徹底的に楽しまなければ気が済まないという厄介な性質を持つ涼宮ハルヒが、その中でも最重要視しているビッグイベント。
 七月七日、七夕である。

 

 睡魔に屈することなく無事に放課後を迎えた俺は、ダラダラと部室棟への道を歩いていた。
 ハルヒの命令通り寄り道はしない。別に忠実な団員でありたいわけではないが、元々寄り道の当てなんぞない。暑さを凌げる場所があるなら是非とも寄りたいものだが、どうせ何処へ行っても暑いのだ。だったら移動時間を極力減らして体力を温存しておくべきだろう。団活中に居眠りなどしようものなら後が怖いからな。
 ちなみにハルヒは終業のチャイムが鳴るやいなや、鞄を俺に押しつけ教室を飛び出て行った。どうせ今年もまた、どこかの竹林から竹を盗んでくるつもりだろう。すると、前の竹はどこかに捨てにいくことになるんだろうな……俺が。
 去年の七夕では、激しい感情の起伏を見せて俺を戸惑わせたハルヒだったが、今年は今のところハイテンション一本槍のようだった。その方が助かる。元気が有り余っている涼宮ハルヒは迷惑極まりない存在だが、憂鬱な涼宮ハルヒは更に輪をかけて厄介であることは、既に去年証明済みだからな。笑顔が似合う女と言うと褒め言葉のようで癪だから…そうだな、笑顔しか似合わない女とでも言っておこうか。

 

 老朽化のせいなのか、部室棟は教室よりも一段上の灼熱地獄と化していた。コンピ研のパソコンが熱暴走でぶっ壊れないか心配になるくらいだ。
 しかし、こんな暑さの中、何の成果もない団活に励まなければならないと思うと気が滅入る。生徒会の予算で部室にクーラーを設置したりできないのだろうかね。あの会長がそんなことを許可してくれるとは思えないが。いや、喜緑さん経由でお願いすればひょっとしたら何とかなるかもな。そんなことを考えているうちに、部室の前まで辿りついてしまった。
 もちろんノックは忘れない。この行程を省略すれば、週に一回くらいは朝比奈さんの生着替えを目撃することができるだろう。一男子である俺にとってそれは大変に魅力的な誘惑なのだが、そんなことをしてはハルヒにどんな罰を受けるかわかったものではない。まず無事では済まないだろう。
 それに、長門だって――いや、長門は何とも思わないかもしれないが。そうだな、長門の見ているところで、朝比奈さんの着替えを目撃すると言うのは、何となくよろしくない気がする。何故かはわからないが。

 

 ドアの向こうからの返事はなかった。
 この時点でハルヒ、朝比奈さん、古泉がいないことが確定する。ということはつまり、俺が一番乗りか、あるいは――

 

「よう、長門」

 

 ――長門有希がいるかのいずれかということになる。

 

 窓際の指定席にて、見慣れた制服姿で読書に勤しむ長門。その年中変わらぬ佇まいは、他の何よりも俺を安心させてくれる。
「……」
 長門は無言で目礼を返し、膝元の書籍に視線を戻した。安堵が顔に出たからだろうか、心なしか、いつもより長く見られていたような気がする。
 それにしても、この暑さでも汗一つかかないんだな。いや、そもそも長門が汗をかいているのを見たことがない。ひょっとしたら、ヒューマノイドインターフェースは暑さを感じないのだろうか。だとしたら便利なもんだ。
 二人分の鞄を机に置き、適当な椅子に座る。普段なら誰かが来るまでぼうっとしているところだが、今日は何となく長門に聞いてみたいことがあった。
「長門」
「なに」
 先程と同様、顔だけをこちらに向けて答える長門。必要最小限の動作は暑さのせいではない。こいつは緊急を要する時以外は常に省エネモードなのだ。
「最近、どうだ?」
 長門は何を聞いているのかわからないとでも言いたげな無表情で、
「どう、とは」
「あー……ほら、冬や春みたいに敵の宇宙人に攻撃されたりとか」
 あれは攻撃じゃなくて挨拶みたいなものだったらしいが。
「天蓋領域による攻撃、あるいは接触は今のところ感知していない。他の組織についても同様」
 長門は淡々と答えた。少しだけ安心する。
「そうか。ならいいんだ。読書の邪魔をして悪かったな」
 これで会話は打ち切りと思いきや、今度は長門から問いが飛んできた。
「なぜ?」
 不意を突かれ固まる俺。
「あなたの質問の意図が知りたい」
 暑さとは無縁の涼しげな瞳でじっと見つめる長門。いつの間にか本を閉じ、身体ごとこっちを向いている。
「えーと、だな……」
 言葉に詰まる。
 長門が消える夢を見たなどと、当の本人に言ってしまって良いのだろうか。それで傷ついたりする奴ではないだろうが、やはり口にするのは躊躇われる。
 発する言葉を見つけられないでいると、
「ごっめーん!」
 豪快な叫び声とともに、ハルヒが竹を担いで部室に飛び込んできた。
「あー疲れた。竹林ってなんであんなに暑いわけ? 竹やぶ焼けたってこういうことを言うのかしら」
 絶対違う。
「でも、去年より立派な竹を持ってこれたし、苦労のかいがあったってもんよね」
 盗人猛々しいを地で行く竹泥棒ハルヒは、得意満面の笑みをたたえながら去年の竹を俺の席の後ろに追いやると、手際良く新しい竹を窓際に立てかけた。やはり古いのは俺が捨てに行くことになるらしい。
「ねえ、みくるちゃんと古泉くんはまだ? 今日は特大イベントだっていうのに二人ともたるんでるわね……ん?」
 ここでようやく、俺と長門が会話中だったことに気付いたらしいハルヒは、途端に怪訝な顔を作り、
「あんた達、見つめあって何してたの?」
「何でもねえよ。ちょっと世間話してただけだ」
「そうなの、有希?」
 俺は無視かよ。
 問いかけられた長門はゆっくりと頷き、
「そう。彼がわたしの体調について尋ねてきたので、それに答えただけ」
「有希の体調?」
 ハルヒの顔が曇る。冬(洋館のアレは夢ということになったが)、春と、長門が倒れる事件が続いただけに、ハルヒも敏感になっているようだった。
「ああ、春のこともあったから心配でな。今は何ともないらしいが、長門はなかなか顔に出さないから聞かないとわからないだろ?」
 適当にフォローを入れる。俺の意図とは少々違うが、長門が心配であることには代わりあるまい。
 ハルヒは腕を組んで考えるような仕草をし、
「うん、有希は一人で貯め込んじゃいそうだしね」と呟いた。
 昨年の冬を思いだし、ぐっと胸が締め付けられる。ハルヒ、その通りなんだ。俺が気付かない時はお前が教えてくれよ。
「有希、何かあったらあたしでもキョンでもいいから、遠慮しないで言うのよ?」
 優しげな声で長門を気遣うハルヒ。まったく、根はやさしいガキ大将なんて絶滅危惧種もいいとこだろうに。
「わかった」と頷く長門。
 それで満足したのか、ハルヒはいつものハルヒに戻ってしまった。
「まったく、キョンが紛らわしいせいで変に疑っちゃったじゃないのよ」
 何をどう疑ったと言うんだ。
「てっきり、熱で頭やられたあんたが有希に手出そうとしてるのかと思ったわ」
「誰が熱病だ。変な言いがかり付けるんじゃねえ」
「どうだか」
 そそくさと長門に近寄るハルヒ。
 何のつもりかと思えば、ハルヒは長門の耳元に口を寄せてこう言った。
「有希、キョンには気を付けた方がいいわよ。普段はみくるちゃんの胸ばっかり見てるし、こないだ有希が倒れた時だって、どさくさにまぎれて有希にやらしいことしようとしてたんだから」
 なんて野郎だ。長門が本気にしたらどうする。どうやらハルヒは何としてでも俺を下心満載の男に仕立てあげないと気が済まないようだった。
「長門、耳を貸すな。デタラメだ」
 誓って言えるが、俺は長門に変な下心を持ったことは無い。……朝比奈さんの胸に目が行くのは許してくれ。あれは男の性というものだ。
「ふーん。じゃあ、熱で朦朧としてる有希にあんなに顔近付けて、何をしようとしてたのかしらね?」
 俺に都合の悪いことばかりよく覚えている女だ。
「有希が弱ってて抵抗できないからって、いやらしいことしようとしてたんでしょ」
 口ごもらざるを得なかった。
 断じて違う。だが、傍から見ればそう見えたであろうことも確かだった。
「答えなさいよ」
 段々と目尻が吊りあがっていくハルヒ。どうやら本当にイライラしてきたらしい。思いだし怒りとは随分と器用なもんだな。
「そんなんじゃねえよ」
 しどろもどろになりながら、横目で長門を見る。助けてくれ。
 俺のアイコンタクトに、長門はあくまで無感動な声で答えた。
「……そうなの?」
 お願いだから真に受けないでください。

 

 その後、朝比奈さんと古泉の到着によってハルヒが本日のメインイベントを思いだしたことで、うやむやのままに事態は収束した。何やら意味ありげな無表情で俺をじっと見つめていた長門も、今は読書に戻っている。
 朝比奈さんが全員にお茶を配り終えたところで、ハルヒは団長席の椅子の上に立ちあがった。
「今年も今日という日がやってきました!」
 ここまで七夕を楽しみにしている奴は日本中探してもこいつくらいだろう。そう思わされるほどにハルヒはその大きな目を輝かせ、これ以上ないくらいに大げさな身振り手振りを交えて演説し始めた。
「昔の人は言いました。千里の道も一歩から。大いなる不思議を見つけるためには、まずは身近なイベントに繰り返しこなしていくことが重要なのです!」
 七夕を祝い続ければ不思議に出会えるという謎の因果関係は、俺には到底理解できそうもなかったが、ハルヒが言うならきっと正しいのだろう。そうとでも思わないと、この団の活動の9割は無意味なものになってしまうからな。それにしても、去年は昔の人の金言を真っ向から否定していたような気がするのだが。
「というわけで!」
 ハルヒはスカートを翻らせて勢いよく椅子から飛び降りると、青竹の真横に仁王立ちし、高々とこう宣言した。
「今年も願い事を書くわよ!」
 予想通りであった。まあ、やっぱりそうなるんだろうな。
「で、短冊と筆ペンはどこだ?」
「ちょいまち」
 さっさと始めてさっさと終わらせようという魂胆を丸出しにする俺だったが、ハルヒから制止を受けた。
「何だ?」
「その前に復習。キョン、七夕に願い事を叶えてくれるのが誰なのか、当然知ってるわよね?」
「織姫ことベガ氏と、彦星ことアルタイル氏だろ?」
「正解。三十点」
 なんでそんなに低いんだ。去年の古泉の回答と同じなはずだ。非難の声をあげると、ハルヒは呆れかえった目で俺を睨み、
「科学は日進月歩なの。去年と同じ答えで満足してるからあんたはいつまでたっても平団員なのよ」と宣った。俺は一生ヒラで構わんのだが。
「そいつは悪かったな。それで、残りの七十点についてはご教示頂けるんだろうな?」
 皮肉めいた口調で言うと、ハルヒはふふんと得意げに笑い、
「古泉くん、夏の大三角形って何だかわかる?」
「アルタイル、ベガ、デネブでしょうか」
 古泉が即答した。
「正解。九十点」
 なんだかよくわからん星の名前が一つ増えただけでこの高得点かよ。えこひいきだ。
 不満が募るばかりの俺をよそに、ハルヒは名案を思いついたかのような口調で喋り続ける。
「今日の授業中にふと思ったのよ。ベガが織姫で、アルタイルが彦星なんでしょ? 夏の大三角形にはこの二つの他にデネブもいるんだから、ついでにデネブさんにもお願いしちゃえばいいんじゃないかなって!」
 頭が痛くなる。七夕に願い事をする風習は、織姫と彦星の説話から来ているものであって、星座繋がりだろうが何だろうがデネブは無関係であることは言うまでもない。巻き込まれてさぞかし迷惑していることだろうよ。
「みくるちゃん、どう思う?」
 クリパの時にも感じたことだが、一応は他人の意見を聞いてみるようになったあたりは成長と言えるのかもしれない。あくまで一応だが。
 黙って聞いていた朝比奈さんは、突然の質問に目をぱちくりさせながら、
「えっ、えっと……願い事がいっぱい叶うのはいいことだと思います」
 全くもってその通りです。叶うならの話ですが。
 朝比奈さんの回答に満足したのか、ハルヒはうんうんと頷き、
「古泉くんと有希はどう?」
 と、副団長ともう一人の平団員に意見を求めた。
「素晴らしいアイデアかと」
「……」
 胡散臭いスマイルと無言の頷きで、それぞれ賛意を表明する二人。こいつらがハルヒの思いつきに無条件で賛成するのはいつものことだ。ついでに、俺が意見を聞かれないのもいつものことである。
「そうでしょう! みんなそう言うと思って、今年は短冊を三枚ずつ用意したわ!」
 こうして、首尾よく(俺以外の)団員の賛同を得たハルヒは、団長机の引き出しから人数分の短冊と筆ペンを取り出し、全員に配り始めた。
「さぁ、遠慮しないでじゃんじゃん書いちゃいなさい!」
 遠慮というものを母親の胎内に忘れてきた女が言う。二つだけでも十分図々しいというのに、今年は三つときた。このままだと来年あたりは、冬の大三角形も合わせて六つとか言いかねない。
「もちろん、アルタイルには十六年先、ベガには二十五年先の願い事だからね!」
 相対性理論をフルに活用したハルヒ理論によると、十六光年と二十五光年先に位置するアルタイルとベガに願いが届くのは、最短でそれぞれ十六年と二十五年先であり、その頃に叶えて欲しい願い事を書かなければ意味が無いらしい。ちなみに今年も復路は速達にして頂けるようだ。
 それはともかく、一点ほど突っ込んでおかなければならないことがある。
「それで、デネブさんとやらには何年先の願い事をすりゃ良いんだ?」
 俺の至極当然な疑問に対し、
「そういえば、それは考えてなかったわね」
 ハルヒはあっさりそう答えた。行き当たりばったりな性格はちっとも成長していないようだ。いや、去年は下調べくらいはしていたわけだから、むしろ悪化しているのかもしれない。
「古泉くん、デネブってどのくらい遠いの?」
 呆れかえる俺をよそに、ハルヒは忠実なる副団長への丸投げを目論んだ。これには流石の古泉も苦笑いを浮かべ、
「申し訳ありませんが、存じておりません」
「そっかあ。じゃあみくるちゃん、知ってる?」
「わ、わかりません」
「キョン……は知ってるわけないか」
 随分と失礼なことを言われたが、実際に知らないので何も言い返せない。せめてもの反抗に、確実に答えを導き出してくれるであろう人物に話を振ってみることにする。
「長門、わかるか?」
「千八百光年」
 即答。
 さすが、動く図書館の異名を持つ長門有希である。本に書いていることで、彼女に知らないことなど何もないだろう。ちなみにこの異名はたった今、俺が付けたものだ。
「ふうん、ベガやアルタイルよりもずいぶん遠いのね」
 感心するようにハルヒ。
「で、願い事はどうするんだ? 俺は千八百年先まで生きてる自信はないぞ」
 ハルヒはしばらく悩むように眉を寄せていたが、やがて開き直ったように、
「うーん、じゃあデネブには今思ってる願い事を叶えて貰うことにしましょう」
 相対性理論はどこへ行った。
「死んだ後に願いを叶えて貰ったって仕方ないじゃないの。遠隔地サービスってことで神様もきっと融通きかせてくれるわ」
 あっけらかんと言うハルヒ。ご都合主義にも程があるだろう。
「無理に三つ願わなくたっていいんじゃないのか?」
「ダメダメ、去年と同じことやったって進歩が無いわよ。それに――」
 それに?
 ハルヒは一瞬真顔になり、聞こえるか聞こえないかという小さな声でこう呟いた。
「――デネブだけ一人ぼっちなんて、可哀想じゃないの」

 

「悩みますね」
 早々に短冊を二枚書きあげ、三枚目に何を書くか考えていると、ニヤケ野郎が俺の耳元で囁いてきた。ただでさえ暑いのに近寄るな、鬱陶しい。
「こんなもん適当にやり過ごせばいいだろう」
「そうでしょうか。ひょっとしたら願い事が叶ってしまうかもしれませんよ?」
「なら実現しても困らないようなことを書くまでだ。違うか?」
 そう言い返すと、古泉はわざとらしく真剣な表情を作り、
「おっしゃる通りです。ですが、僕にとっての幸福が、万人にとっての幸福とは限りません。僕の願い事があなたを不幸にすることだってあるかもしれないですよ?」
「すると何か、お前は俺の不幸を神々に願うつもりなのか?」
 だとしたら俺も報復措置をとるぞ。そうだな、お前が機関とやらで一生ハルヒの馬車馬になりますようにってのはどうだ。
 古泉は芝居じみた仕草で両手を宙に向けた。
「とんでもない。僕はいつでもあなたの幸せを心から願っていますよ」
 やめろ。気色悪い。全力で遠慮しておく。
 目線とジェスチャーで離れるよう促すと、古泉は憎らしいほど爽やかな笑みを残し、短冊を書く作業に戻っていった。
 やれやれ。願い事の一つや二つ考えるのにずいぶんを大げさなことだ。
 ため息交じりに部室を見わたすと、ハルヒはふんふんと陽気に鼻歌を歌いながらペンを走らせ、朝比奈さんはうんうんと困ったように唸っていた。長門はといえば、無言で短冊とにらめっこだ。しばらくその様子を眺めていると、ハルヒが突然、何かを思いだしたかのように声を上げた。
「あ、デネブへの願い事だけは非公開だからね」
 なぜだ?
「ずっと先の願い事ならともかく、今の願い事なんて周りに見られたくないじゃない。各自持ち帰って、叶うまで保管しておきなさい」
 そういうもんなのかね。ハルヒの感性はよくわからないが、俺も自分の願い事を見せびらかしたいとは思わないので、ここは黙って従うことにする。
 ――そうだな、非公開ならこんなことを書いてもいいだろう。

 

 青竹には次々と短冊が吊るされていった。
 ハルヒの願い事は今年も痛々しく、
『地球の公転軌道を反転させよ』
『日本列島を南半球まで流して欲しい』
 心から実現して欲しくないものばかりだった。下手な冗談だと言うならまだ理解できるが、こいつの場合はかなりの割合で本気だから性質が悪い。
 朝比奈さんは相変わらずの可愛らしい文字で、
『お習字が上手になりますように』
『お裁縫が上手になりますように』
 これまた相変わらずいじらしいお願いをしていた。
 本来、七夕とは短冊を飾ることで書道や裁縫の上達を願う行事らしい。織姫と彦星もこういう願いなら喜んで聞き入れてくれるのではないだろうか。ですが朝比奈さん、普通は七夕の短冊に二礼二拍一礼はしないと思います。
 古泉と長門の両名も去年と似たり寄ったりで、古泉が『無病息災』『平穏無事』なる四字熟語、長門は『保全』『進歩』の二字熟語だった。古泉の字が汚いのも、長門の字が楷書の手本のように正確なのも変わらない。
 ん、俺か?
 俺も去年と大して変わらん。二十五年後と十六年後に叶えて欲しい願いなんて、せいぜいこんなもんだろう。
『もっと金くれ』
『家族全員乗れるような大きい車をよこせ』
「俗物ねえ」
 ハルヒの呆れかえったコメントも去年と同じである。日本列島引越し大作戦よりは遥かにマシな願望だと思うが、あえて言うまい。
 しばらくの間、俺や他の団員の吊るした短冊を黙って眺めていたハルヒだったが、やがて横目で俺をちらりと見て呟いた。
「……で、三つ目は何を書いたの?」
 非公開じゃなかったのかよ。舌の根も乾かないうちから公開主義に鞍替えか?
「何よ、ケチくさいわね。いいじゃない、減るもんじゃないし」
「ならお前のを先に見せろ。そうするなら考えないでもない」
 売り言葉に買い言葉で言い返すと、ハルヒは何故か焦ったような顔をし、
「じゃあ別にいいわよ。あんたの願い事なんて夜中の天気より興味ないしね」
 興味無いなら聞くなと言ってやりたかったが、
「今日はこれで終了! じゃあね!」
 ハルヒは唐突にそう言うと、さっさと鞄を担いで部室から出て行ってしまった。
 何なんだ一体。

 

 ハルヒが帰ったことで、団活は自然にお開きとなった。
 古泉と朝比奈さんは既に部室を去り、残ったのは俺と、読書の続きをしている長門の二人だけである。特に用事も無かった俺は、長門の本棚から適当な本を借りて読書に付き合うことにした。朝比奈さんから何のアプローチも無かったところを見ると、どうやら今年は時間旅行をしなくてもいいらしい。今年の七夕は、何事もなく平穏に終わるようだ。
 長門は何も喋らないし、俺が長門に話しかけることもない。かつてはこの沈黙を重苦しく感じたこともあったが、今ではむしろ心地よいものに思える。ただページをめくる音だけが、俺と長門がここにいることを証明していた。
 もし、あっちの世界で文芸部員になる道を選んでいたら、こんな風に静かな毎日を過ごしていたのかもな。それはそれで悪くない日常かもしれない。だが、俺はこの世界を選んだんだ。トンデモパワーを持つハルヒがいて、未来人の朝比奈さんがいて、超能力者の古泉がいて、そして、この長門がいる世界を。
 どのくらい時間が経ったかわからないが、そろそろ目と尻が疲れてきた。俺は椅子を立って自分の鞄に手を伸ばした。
「じゃあ、俺も帰るよ」
「そう」
 長門は読んでいたハードカバーに栞を挟んで閉じ、自分の通学鞄にしまい込んで立ち上がった。いつかどこかで見た光景。
 彼女はその小さな唇をほとんど動かさずにこう言った。
「来る?」
 静謐な二つの瞳が俺をしっかりと見つめている。
「どこに?」と俺。
 返事を聞いたのは爪先ではなかった。
「わたしの家」

 

 前言撤回。どうやら今年の七夕も一波乱あるらしい。

 

(SS集/1121に続く)

 


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Last-modified: 2012-07-13 (金) 02:51:38 (1958d)