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作者 | JUN |
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作品名 | 長門有希のあーん |
カテゴリー | 長門SS(一般) |
保管日 | 2010-07-29 (木) 16:36:41 |
キョン | 登場 |
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キョンの妹 | 不登場 |
ハルヒ | 不登場 |
みくる | 不登場 |
古泉一樹 | 不登場 |
鶴屋さん | 不登場 |
朝倉涼子 | 不登場 |
喜緑江美里 | 不登場 |
周防九曜 | 不登場 |
思念体 | 不登場 |
天蓋領域 | 不登場 |
阪中 | 不登場 |
谷口 | 不登場 |
ミヨキチ | 不登場 |
佐々木 | 不登場 |
橘京子 | 不登場 |
カレーというのはだれが考え出したんだかは知らんが素晴らしい食品だ。老若男女万人に愛され、カレーが嫌いなどとうっかり公衆の面前で吐こうものなら、「どこが?なんで?大丈夫?」などと尋問を受けること必至である。
しかしながら毎日カレーというのはやはり辛い。某IT王国でもない限り、それはないだろう。日本人が毎日食っても飽きないと言えるものがあるとすれば、味噌汁か米がせいぜいだ。
いや、そんな仮定の話はこの際どうでもいい。今のところ俺には毎日カレー漬けにされる予定はないし、なるつもりもない。重要なのは、今俺が置かれている状況だ。
「えーっと……これをどうしろと?」
「食べて」
「今?」
「今」
「……」
「……」
鍋一杯のカレーの前にいる、この俺の状況だ。
長門はカレーが好き、などという事実は言うまでも無いだろう。冒頭でも申し上げたとおり、カレーは万人に愛される。我らがSOS団の誇る健啖家、長門有希ならなおさらだ。
今日、学校が終わると唐突に、俺は長門の家に招待された。こいつが俺をどこかに呼ぶという事態は即ち緊急事態を意味する。例によって緊張しきりでこいつの家に着いた俺は、釘が打てるバナナの如く固まってしまった。
悪い事態ではない、ということは安堵の理由にならなくもない。現に俺はこの上なく安堵した。それに、対有機生命体用(略)とはいえ、長門は十分に美少女たる容姿を兼ね揃えている。何度も命を救われた分、感謝の念も一通りでない。その長門に事件抜きで招待されているのだ。まあ、やましい心が皆無かといえば否定しがたい。最近では年頃の女の子らしい一面も垣間見たりして、時折どきっとさせられる。
しかしそんな高校生らしい生暖かい妄想も、この長門の前では灰燼に帰さざるを得ないらしい。カレー、ときたもんだ。
しかも、その量は予想通り並大抵なものではない。鍋、といっても片手鍋では当然無く、どう考えても一人暮らしには必要ないサイズの寸胴鍋だ。俺の家にも無い。
そしてその中に並々とカレー。レストランの厨房にはきっとこんな量があるんだろうな、そういえば駅前にファミレス出来てたな。今度行ってみようか。
……現実逃避だ、悪いか。
まあそれはさておき、長門に交渉してみる。
「長門、俺がこれ全部食うのか?」
「そう」
「悪いが俺はこんなに食べられない。家に持って帰って家族で食うというのは駄目か?」
「出来ればここで食べて欲しい。強制はしないが、私という個体はそれを望んでいる」
そんな言い方をされると帰りづらいな。
「じゃあ長門、一緒に食うのはどうだ。お前が、そうだな、七割くらい食ってくれるなら」
「……了解した」
よし、長門が食ってくれるならいける。並々と盛られるカレーを見ると俺の自信も揺らぐが。多分。
長門からスプーンを受け取り、カレーをすくおうとすると、長門がじっとこちらを見ていた。いや、長門、見られると食いづらいんだが。
長門は何も言わず自分のスプーンでカレーをすくい、俺の目の前にもってくる。あの、長門さん?
「……あーん」
この衝撃を表現する術を、俺の舌は持たない。朝比奈さんを舌足らずといっていたが、考え直す必要がありそうだ。長門は相変わらず俺の目の前にスプーンを持ったまま動かない。しかしなんだ、あーんなどというこっ恥ずかしい行為をさらっと出来るほど、俺という人間はラブコメに侵されちゃいない。抵抗を試みる。
「あのな長門。そういうのは恋人同士とか、そういう間柄の人間がやるもんだ。俺らがやるには相応しくないんだ」
長門は黒曜石のような目で俺をじっと見つめている。その目は心なしか悲しそうにも見え、俺の心を揺らがせる。まずい。
「あーん……」
少し消え入るようなトーンが混じり、俺は感じなくてよいはずの罪悪感を覚えてしまった。関係ないのだが、“あのとき”の長門がフラッシュバックしてしまう。
……ああもう!
「あ、あーん」
人に見られていたら俺は首をくくろう。万一にハルヒに見られたら?心配ないさ。あいつなら俺が首をくくる前に勝手に首を絞めるだろうさ。
長門は一瞬嬉しそうに目を輝かせ、俺の口の中にスプーンを入れた。
「美味しい?」
「あ、ああ」
こりゃ旨い。お世辞とかではなく、本当に旨い。何倍でも食べられそうだ。
「旨いよ、長門」
「よかった」
またスプーンを俺の口元に持ってくる。
「長門、それやってたらいつまで経っても終わらねえし、自分で食うよ」
「そう……」
少し寂しそうに長門は言うと、自分の分を食べ始めた。
「旨いか」
「おいしい」
「そうか」
「とても」
「そうか」
「そう」
かちゃ、かちゃ、と食器の音だけが二人きりの部屋に響く。なんだか夫婦みたいだな、と下らないことを考えてみる。
「そういえば、長門」
「……何?」
「あれ以来一回も図書館行ってないな」
「ない」
「今度の不思議探索の時、行くか?」
「行きたい。でも……」
「どうした?」
「……あなたは、私が不必要な情報操作を行うことを、好ましく思っていない。その意に反するのは、私の望むところではない」
その声は静かながらも、長門の確かな意志を感じさせた。長門の成長が見られた気がして、嬉しかった。
「……そうだな。確かに俺は嬉しくないかもしれん」
こく、と長門が首肯した。ただでさえ細い肩がなおさら細く見え、少し胸が痛んだ。
「なら、ばれないようにやりゃいいんだ。俺は今、何も言ってないし、聞いてない。それでどうだ?」
長門はふいっ、と顔を上げ、俺を見た。そしてきっちり三秒間ほど硬直し、
「……ありがとう」
「ああ、食おうぜ、長門」
「……食う」
一口食ったカレーは依然やたらと旨く、いくらでも食べられそうだった。