作品

概要

作者◆Yafw4ex/PI
作品名ロストマン 6話
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2010-07-20 (火) 22:29:57

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹不登場
ハルヒ不登場
みくる登場
古泉一樹不登場
鶴屋さん登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

 神に願わば

 いつか聞いた子供の頃のハルヒの話じゃないんだが……いったい、普段はどこにこれだけの
人が隠れているんだ?
 一年の終わりにして十二月の最終日でもある大晦日、視界を埋めつくす人の波の中で、俺は
そんな疑問で退屈を潰しながら歩いていた。
 ニュースで流れる政府見解って奴によれば、日本はこれから少子化に伴う人口減の道を歩む
らしいんだが、それが目に見える形になるのはまだまだ先の事らしい。
 普通に歩くより多少遅いペースで進むこの行列の先には、いつか映画の撮影で勝手に使わせ
てもらった神社があるはず…………なんだが、夜中で視界が悪い上にこの人込みの中では後ど
れくらいかかりそうなのかも解らない。
 念の為にかなり早めに家を出たし、待ち合わせの時間に間に合わないって事は無いと思うが
……今回ばかりは、その待ち合わせの相手が心配でならない。
 さて、貴方の信じる宗教は何ですかと聞かれれば、無宗教、或いは神様は間に合ってますと
答えそうな俺が、何故こうして年末の深夜にわざわざコートを着込んでまで出歩いているのか
と言えば――それは、昨日の夜の事である。
 家に居るのなら掃除を手伝いなさい。外を出歩くだけの資金も無かった俺が、そんな家族の
指示に従い黙々とリビングの掃除をしていた時だった。
 普段はあまり鳴る事がない俺の携帯が着信に応じて震えだし、そこに表示されていた名前は
……誰だ、これ。
 ディスプレイに浮かんでいたのは見覚えの無い電話番号で、まあとりあえず出てみるかと受
話ボタンを押してみた所、
「もしもし、キョンくんですか?」
 携帯から聞こえてきた天使の声に、俺は片手に持っていたハンディークリーナーをソファー
の上に放り投げた。
「はい、俺です」
「良かった。あの、急に電話したりしてごめんなさい。この番号は朝倉さんから教えてもらっ
たんです」
 朝倉? 俺はあいつに携帯の番号なんて教えて……あ、クラスの緊急連絡簿か。
 どうぞお気になさらないで下さい。個人情報がどうのと煩いご時世ですが、朝比奈さんにな
ら何でも教えてしまって構いません。
「キョンくんは今、何をしてたんですか?」
 えっと、大掃除をしてました。
「あ、忙しい時に電話してしまってごめんなさい」
 いえいえ。
 丁度朝比奈さんの声を聞いて休憩したいな〜と思っていた所だったので全然大丈夫ですよ?
 ……何て事は言えませんが。
 とまあ、不意に訪れた幸運に幸せ絶頂な俺だったんだが、掃除の手を止めてにやけた顔で電
話をしている俺に、家族からは冷たい視線が注がれている。
 ええいくそぅ、本当はこのままずっとお話していたいんですが。
「それで、ご用件は」
 渋々、俺はそう切り出した。
「あの……キョンくんは年越しって何か予定はありますか?」
 年越しって言うと、明日の夜から明後日の朝にかけてって事ですよね。
「はい、そうです」
「何も予定は無いですよ」
 考えるまでもなくそう即答していた、たとえ何か予定があったとしてもキャンセルするのだ
から何の問題も無い。
 色々と期待しつつ、朝比奈さんの続く言葉を待っていると、
「良かったぁ。あのね、わたしと鶴屋さんは年越しに神社へ行く事になってるんです。それで、
もしよかったらキョンくんも一緒にどうかなって――」
 もちろん良いですとも、悪い訳がありません。
 ――とまあそんな理由で、俺はこうして神社へと向かって歩いているのだが……この人込み
の中、鶴屋さんと朝比奈さんは無事に待ち合わせ場所に辿り着けているのだろうか。
 現地集合だという事だったから一人で来てしまったが、この混雑からすると朝比奈さんの住
所だけでも聞いてみるべきだったかもしれない。
 下心ではなく、純粋にそう思いながら歩いていると、
「……あっ! キョンくん見っけ! こっちこっちー!」
「えっ何処ですか。……あ、キョンく〜ん」
 待ち合わせ場所だった神社の鳥居の前に並ぶ、振袖姿の天使の姿を俺は見つけた。
 しかも二人も。
 何とか人込みから抜け出して、二人の前に辿り着いた時は思わず絶句したね。
 振袖姿で恥ずかしそうな顔をしている朝比奈さんもそうだが、初めて見る髪を後ろで纏めた
鶴屋さんの振袖姿には本気で驚かされた。
 信じられるか? 鶴屋さんはあの朝比奈さんと一緒に居て、ぱっと見は同じ様な振袖を着て
るってのに、神社へと向かう人の目の殆どは間違いなく鶴屋さんへと注がれていたんだ。
 上品な白地の振袖に咲く桜吹雪と金色の家紋、俺みたいな素人でも解る程の高級品を普段着
の様に着こなし、周囲の視線など気にする様子も無く、今は白百合の様な笑顔を俺に向けて笑
っている。
 薄っすらと引かれた口紅を見てしまった時、意味も無く緊張したのを覚えている。えらいお
嬢様がそこに居た。
 もしかしたら、綺麗過ぎて近寄りがたいってのはこの事なのかもしれないな。人込みで溢れ
る神社前でありながら、二人の周りだけはまるでテレビの撮影中みたいに空いていたりする。
 これが所謂身分の違いって奴なんだろうか。
 ようやく待ち合わせ場所に辿り着いたってのに、何て声をかけてもいいのか解らないまま二
人の前に立ち尽くしていると
「ね〜キョンくんっ! どうかなこの振袖? めがっさ似合ってるっておもわないっかな?
……どうにょろ?」
 そりゃあもう。
 どこのお城のお姫様が、お忍びで遊びに来てるのかと思いましたよ。割と本気で。
「えっへへ〜照れるなぁ〜。そいじゃあ、みくるはどうかな〜?」
「えっあ……あの」
 鶴屋さんに背中を押された朝比奈さんは、俺の顔をちらちらと覗きながら初々しく顔を赤く
染めている。
「もちろん、朝比奈さんも凄くお似合いです」
 その苦しそうな胸元なんて、覗き込んだら即刻起訴されそうな勢いですし。
 自分の視線と、本音を顔に出ないように気をつけながらそう答えると、
「ありがとう。……ふぅ……よかったぁ」 
 ほっとした様に朝比奈さんは顔を綻ばせていた。
 そんな朝比奈さんの顔を見ていた鶴屋さんは、口元に何かを企んだような笑みを浮かべ
「ねえねえキョンくん。去年までの年越しはね? みくるはいつも学校の制服で来てたんだけ
ど……今年は何故だか着物を着たいって言い出してさ〜。これはいったいどういう心境の変化
なんだと思う?」
 朝比奈さんの襟元を指でなぞりつつ、顔だけ俺に向けて楽しそうに聞いてくるのだった。
「……鶴屋さんの着物姿に、実は密かに憧れてた。とか」
 あると思いますよ。男の俺ですら、今の鶴屋さんを見てたら着物を着てみたいって思うくら
いですから。
「ふ〜ん。みくる、そうなの?」
「あ、あの、その……」
 朝比奈さんが返事に戸惑っている間に、鶴屋さんは顔に企む様な笑みを浮かべ
「……ちなみにみくるはさ、さっきキョンくんに着物が似合ってるよって褒めてもらえた時嬉
しかった? あたしは嬉しかったんだけど」
「う……あ……」
 至近距離で見つめる鶴屋さんを前に、朝比奈さんはたじたじとしたまま沈黙してしまった。
 さて、鶴屋さんは朝比奈さんからいったい何て答えを聞きたいんだろうか。 
 まるで解らないその問いの答えを考えていると、
「……あ〜も〜みくるは可愛いなぁもう! もうもうっ!」
「ひょえっ?!」 
 返事を待ちながらじっと何かを耐えていた鶴屋さんが、我慢できないといった様子で朝比奈
さんに抱きついていった。
 普段着でいても自然に人目を引く様な二人が、振袖姿で黄色い声を上げながら絡み合ってい
るんだ。当然ながら、周りの人達は足を止めてその様子を眺めている。
 あの……俺、帰った方がいいですか?

「――到着っ! ここが今日、キョンくんをお誘いした目的地だよ」
 そう言いながら鶴屋さんが案内してくれたのは、境内の横にある社務所の中の一室だった。
 広い和室の中は、まるでどこかの宇宙人の部屋みたいに家具も何も無く……本当に何も無い
な、ここ。
 それ程広いとは思えない社務所の中、和室を二つ繋げて用意されていたこの広いスペース。
「あの、ここで何をするんですか?」
「知りたい? 聞きたい?」
 ええまあ、その。はい。
 あの、鶴屋さん? あまりそう、近寄られると嬉しいんですが緊張してしまうので……。
「じゃ〜教えてあげちゃおう。みくる? 準備しよっか」
「は〜い」
 言いながら二人が向かった先は和室に備え付けられた押入れで、既に馴れた事なのか迷う事
も無く作業は進んでいく。
 そんな中、俺は何を手伝えばいいのかも解らないまま、ただ壁際で立ったまま二人を眺めて
いると、広いと思っていた和室の中央を埋める様に黒い布が敷かれ、その上に巨大な白い紙が
広げられていった。
 普通に人が寝られそうな大きさのその紙の横には、敷き詰めた新聞紙の上に、黒い液体が深
さの半分ほどまで入れられた大きなたらいと、持つと言うより両手で抱える程の太さの筆が準
備されていた。
「ここまでくればも〜う解っちゃったでしょ」
「もしかして……この紙に何か書くんですか」
 あの……筆? で。筆だよな? 多分。
「正解っ! そいじゃあ、ちょろんと待っててね。すぐに書き上げちゃうからさっ!」
 あっさりとそう言い切る鶴屋さんだが、男の俺でも持つのに苦労しそうな大きさの筆で字を
書くってのは難しいんじゃないだろうか。
「いしょ、いしょ……っと」
 いくら肩の所で袖を纏めても、振袖を着たままじゃまともに動けないだろうし。
「よし」
 そんな疑問を抱える中、両手で筆を持ち上げた鶴屋さんは、朝比奈さんの支えるたらいの中
に筆先を半分ほど沈めた。
 白い毛が墨汁を吸い上げるのを見届けると――
「…………」
 鶴屋さんの顔から、それまで浮かんでいた余裕気な笑顔が消えた。
 その直後――静かに持ち上げられた筆が、鶴屋さんが紙の中央へと踏み出すのに合わせて、
まるで重さが無いみたいに自然な動きで紙に雫も垂らさないまま空中を滑っていく。
 思わず声が漏れそうになったのを慌てて手で押さえる中、滑っていく筆先が鶴屋さんから見
て左前方に着地したと思った瞬間、筆は滑らかな動きで紙に文字を描き始めた。
 流れるように進み、力強く止まり、そして跳ねる。
 紙をなぞる音を立てつつ、留まる事無く進んでいくその筆が描き出したのは
「……ふぅ……出来ました〜」
 紙の中央に位置する、巨大な『鶴』の一文字だった。
 これだけ大きな紙にバランスよく字を書けるってのも凄いが、何よりあの筆でどうやればこ
んな事が出来るんだ? 紙も破らずに。
 今はたらいの上に戻されているあの筆が、鶴屋さんの細い腕で自在に動いていた……んだよ
な、確か。
 ついさっきまで自分の目で見てたはずなのに……信じられん。
「あ、もしかしてキョンくんもやってみたい?」
 いえ、お気遣い無く。
 俺じゃ、せっかく綺麗なこの和室を汚すだけでしょうから。
 しっかし……綺麗な字だよな、これ。
 そのままパソコンの楷書のフォントにしちゃってもいいんじゃないか? サイズは2000
くらいで。
「……ところで、これって何だったんですか」
 ここまで何も聞かないまま付いてきてしまいましたが、そろそろ気になってるんですけど。
「あのね。この神社からの依頼で、毎年大晦日に書道部で一文字書いて奉納してるんです。境
内の中には去年奉納した字が飾ってあるんですけど、一月三日に今年の字と入れ替える行事が
あるんですよ」
 そう教えてくれた朝比奈さんは、何だか誇らしそうに見えた。
「ちなみに、去年書いたのもあたしでした〜」
 なるほど、そういう事でしたか。
 道理で馴れてる訳ですね。
「あたしとみくるは文芸部に移っちゃったから本当は部外者なんだけどね。書道部の顧問の先
生から、神社から直接あたしに書いてって御氏名があったって言われちゃってさ。まあ、本当
は年末で忙しいから他の人に頼めなかったからなんだろうけどね」
 笑いながら謙遜する鶴屋さんだが、強ちそうでもないと思いますよ?
 書道なんてこれっぽっちも詳しくない俺ですが、この字が凄いって事だけは解りますし。
 床に敷かれたままのその字を眺めていると、
「あの、良かったらキョンくんも一緒に書きませんか?」
 通常サイズの筆と筆を手に、朝比奈さんが微笑んでいた。
 え、あの、これもやっぱり奉納とかするんでしょうか。
 もしそうなら俺は見学って事で、書道部の歴史に傷はつけたくないですし。
「だ〜いじょうぶ、これはただの書初めだよ。というより、まだ年が明けてないから書き納め
かな? 自分で持って帰るのだから何を書いてもおっけーです」
 そう言いながら鶴屋さんが書いていたのは、紙を横にして横書き二行で『みくるLOVE』
だった。しかもハートマーク2個付き。
 なるほど、確かに自由だ。
 せっかく朝比奈さんが俺の分まで書道道具を準備してくれたんだし、字には本気で自信が無
いんだが何か書いてみようか。
 鶴屋さん達の姿勢に習い、畳の上に正座した俺は、白紙の紙を前にして硯の上に筆を降ろし
た所で固まってしまった。
 ……何でも好きに書いてもいいって言われても、実際にこうしてみると何を書いていいのか
解らないもんだな。
 どんな字を書いたにしても、綺麗な字にならないって事だけなら解るんだが。
 そうだ、朝比奈さんはいったい何を書いているんだろう? ――その時俺が、自分の対面で
字を書いていた朝比奈さんを見た理由は、間違いなくそれだけだった。
 だから、前傾姿勢で袖を気にしながら字を書いていた朝比奈さんの胸元が、詳しく説明する
事が許されない様なレベルで見えてしまったのは偶然でしかなく、決して故意ではなかったの
である。
 …………正直、たまりません。はい。
 とまあそんな嬉し過ぎるハプニングもあった訳なのだが、結局俺が書いたのは『平』の一字
だった。
 画数が少なく、かといって少な過ぎず。かつ難易度が低い字となるとこれだろう。
「平……これって平和の平、ですか」
 はい。あと、今は平常心の平でもあります。
 鶴屋さんは俺の書いた適当な字を覗き込みながら、
「どれどれ〜……ん〜、キョンくん」
「はい」
 もしかして、どこか間違ってます? こんな簡単な字で間違えたとなるとかなり恥ずかしい
んですが。
 そんな不安を抱えつつ続く言葉を待っていると、鶴屋さんは神妙な顔つきで、
「これはいけないねぇ……この字、私は何か秘密を隠してるって言ってるよ」
 そんな鋭い事を言い出すのだった。
「……え、えっと。何の事やら」
 適当に誤魔化そうとする俺に、鶴屋さんはやけに自信有り気な笑みを浮かべてまた字へと視
線を戻していく。
 そんな鶴屋さんを見ている朝比奈さんもまた、真剣な顔つきだ。
「字は人を表すって言ってね? どんなに隠し事が上手な人でも、文字には絶対に嘘が付けな
いのさ」
 ……もしかして……本当に?
 自分の作り笑いが引き攣るのを感じていると、
「え〜何々、ふむ。実は俺……年上が好きなんです? あっはっはっ! そういう事は隠さな
くてもいいのにも〜」
 笑いながら俺の胸元をつつく鶴屋さんに、俺は安堵の息を吐いていた。
 あ、あはは。凄いですね〜隠してたのに何でわかっちゃうんですか? ――焦った……本当
に字から心が読まれてしまうのかと思いましたよ。

 書初めを終えた俺達は、紙が乾くまでの時間を利用して境内に御参りに行くことにした。
 集中して字を書いていたせいか、気づかない内に年は明けてしまっていて
「あ〜失敗したなぁ……去年は逃げられちゃったけど、今年こそはみくると抱き合って年を越
したかったのにぃ」
 鶴屋さんは本気で悔しそうな顔をしていたし、朝比奈さんは赤い顔で聞こえない振りをして
いた。
 でも、おかげで年越しを神社で迎える人の波が引き初めていて、この分ならちょうど参拝客
の数が減ってきたタイミングで参拝できそうな感じだ。朝比奈さんを連れて行く以上、この方
が良かったかもしれないな。
 この愛らしい御方は、馴れない草履を履いて歩くだけでも精一杯の御様子で
「にひひっ。ね〜みくる〜。反対の手をキョンくんに繋いでもらったら?」
「……わっ……あ……うう。あ、あの。今何か言い、ひゃあ?!」
 片手を繋いでいる鶴屋さんの声も聞こえない程朝比奈さんはあわあわとした様子で、足元を
見ながら、覚束ない足取りで歩いている。
 ここでさり気なく、かつ自然に手を繋げられる様な男に、俺はなりたい。
 暫く緩やかに進む人の流れの中を歩いていき、ようやく賽銭箱の前に辿り着いた所で俺は自
分の財布を開いた……相変わらず泣ける内容だな、これは。
 白い布が底に引かれた賽銭箱の中には、硬貨だけではなく高額紙幣と思しき紙片もいくつか
見えるが……でもま、こればかりは金額が問題じゃない、心がけだろうと思いたい。
 俺は数少ない硬貨の中から五円玉を選び、小さな金属音を絶え間なく立てている箱の中へと
投げ入れた。
 さて、と……何を祈りますかね。
 拍手二回、軽く頭を垂れた所でもう一度考えてみたが、正直特に思い浮かばないってのが現
実だ。
 今年は高校二年になるんだし、そろそろ受験の事や進路とかを考えなくちゃいけないんだろ
うが……ま、なるようになるとしか思えないしなぁ。
 怪我も病気もしてないし、正直特に望む事もなかったりする。
 未だに何か隠してるっぽい朝倉も気にならなくはないが、神頼みする程優先順位が高い悩み
な訳でもない。
 小遣いをあげてくれってのも正月早々祈願するには相応しいとも思えんしなぁ……。ま、適
当でいいだろ。
 我ながら、何とも自主性の無い思考の果てに思い立ったのは『後悔の無い一年を歩む』とい
う、政府の所信表明演説の様に中身の無い内容だった。
 俺らしいと言えばそうなのかもしれない。
 お互いに顔を見合わせ、全員の祈願が終わったのを確認した所で、俺達は混雑する賽銭箱の
前を後した。
 ――神社から帰る人の流れに合わせて境内の中を社務所へと向かって歩いている時、
「あ」
 思わず声が出てしまっていたのは、多少空腹だったのも関係しているんだと思う。
「どしたの? キョンくん」
 あ、その。ベビーカステラの出店があるなって。
 帰る客を狙ってなのか、階段からは背を向ける様な形でその出店は開いていた。
 考えてみると、確かに参拝前には荷物を増やしたくないかもしれない。
「……いい匂い。あの、わたしも好きなんです、ベビーカステラ」
「そいじゃあ、みんなで買おっか?」
 あ、えっと、その。
 言い出しておいて何なんですが、俺は辞退の方向で……と切り出そうとすると、
「混んでるみたいだからみんなで行かなくてもいいよね? 代表であたしが行ってくるから、
キョンくんとみくるは書初めを受け取って社務所の前でちょいっと待ってて!」
 そう言い終えるなり、鶴屋さんは一人で人込みの中へと駆けていくのだった。

「鶴屋さん、もう少しかかりそうですね」
 背伸びをした視界の先に行列に並ぶ鶴屋さんの姿を見つけて、俺は心配そうな顔で俺を見て
いる朝比奈さんにそう告げた。
「あの……やっぱり、わたし達も行った方がいいんでしょうか」
 いや、それは……ちょっと。
 俺一人なら人込みを横断するくらい何とかなるだろうが、朝比奈さんを連れてとなると正直
難しい。かといって、ここに朝比奈さん一人を残して行くというのも危険な気がしてならない。
 朝比奈さんに社務所で待っててもらうって手もあるんだが、出店への買出し一つにそこまで
するってのもなぁ。
 結局、俺達はそのまま鶴屋さんが戻るのを社務所の近くで待つ事にした。 
 店の行列も少しずつ進んでるみたいだし、そんなにまではかからないだろうしな。
 ――しっかし……世の中何がどうなるか解らないもんだ。
 ハルヒっていう稀代の変人と知り合ってしまったってのはもちろんだが、まさか世界の改変
なんて事に自分が巻き込まれる事になるなんて思いもしなかったぜ。
 確かに俺は非日常の存在を信じ、望んでいた時期もあった。でもそれはどっちかっていうと、
自分が正義の味方の様な存在になりたかったのではなく、あくまでのその近くに居る傍観者的
立場になりたかっただけなんだ。
 今回みたいに、異変の中心に突然放り出されるなんてのは進路希望の第三志望にだって書い
た覚えは無い。
 ……でもまあ、結果として俺は自分で選んだんだよな。
 傍観者ではなく、恐らくは物語の主役として。
 まったく……テレビや漫画のヒーローってのは、世界の命運ってのを賭けていつもこんなに
苦しい選択を繰り返してるんだろうかね? もしそうだとするなら、やっぱり俺は傍観者であ
りたいと思う。
 数メートル先を通り過ぎていく雑踏を眺めながらそんな事を考えていた時、俺は自分を見上
げている視線に気づいた。
 小さく口を開けたまま俺を見ていた朝比奈さんは、
「あの……ちょっとだけ、聞いてもいいですか?」
 気をつけていないと聞き取れない様な控えめな口調で、俺に聞いてきた。
「いいですよ」
 何だって聞いてください。
「……キョンくんは、別の世界のわたしを知ってるんですよね?」
 ええ、まあ。
 といっても、あまり詳しい事は教えてもらった事が無いんですが。
「じゃあ、その……わたしの……えっと……」
 朝比奈さんは途中で何度か迷った様だったが、
「わ、わたしの家族って、ご存知ですか?」
 何か思いつめた様子で、俺にそう聞いてきた。
「家族、ですか?」
「はい。お父さんでもお母さんでもいいんです。何か知りませんか?」
 いつになく真剣な様子の朝比奈さんに、俺としては何だって答えてあげたかったんだが……
家族構成か。
「すみません。俺の知ってる朝比奈さんは、家族の事については何も教えてくれませんでした」
 こう答えるしかないよな、それが事実なんだし。
「……」
 俺の返答にがっかりとした表情を浮かべる朝比奈さんだが、でも――
「何で、家族の事を聞きたいんですか?」
 正直な所、質問の意図と朝比奈さんが悲しそうにしている理由が俺には解らない。単純に俺
の言ってる事が本当かどうか試したいのであれば、こんなに思いつめる事もないんだろうし。
 朝比奈さんは俺へと向けていた視線を外した後、社務所の前を通り過ぎて行く雑踏へ視線を
戻し
「……わたし、自分の両親の記憶が殆ど無いんです」
 俺を見ないまま、朝比奈さんは淡々と呟き始めた。
「わたしが小さかった頃、家族の間で何か問題が起きたみたいで……わたしは一人、親戚の家
に引き取られました。そのお家では本当に良くしてもらって、何も不満なんて無かったんです
けど……でも」
 話す声が小さくなるにつれて、朝比奈さんの視線が足元へと伏せられていく。
「……わたしの本当のお父さんとお母さんとは、親戚の家に預けられた時以来会っていません。
何処に暮らしているのかも、元気で居てくれてるのかも誰も教えてくれませんでした。わたし
がその事を聞くと、叔父さんも叔母さんも悲しそうな顔をするので……わたしもこの事は聞い
ちゃいけない事なんだって事は解ってるんです。……でも、もしかしたらキョンくんの知って
るわたしは、お父さんとお母さんと一緒に暮らせてるのかなぁ……って思って」
 悲しそうに笑う朝比奈さんの視線は、ちょうど目の前を通っていく家族連れを見ていた。
 でももしかしたら、この時俺は、そんな朝比奈さん以上に暗い顔をしていたのかもしれない。
 考えたくは無い、考えたくは無いが……今、朝比奈さんが言った話は、全部朝倉が作った偽
物の記憶なのではないだろうか。
 未来人である朝比奈さんの家族は本来、この時代には居ないはずなんだ。
 もし今のが、朝比奈さんが不都合なくこの世界で生きていく為に用意されただけの思い出だ
ったとしたら……いや、そんな事は問題じゃないんだよな。
 考える内に浮かんでいた朝倉への憤りは、不思議なくらい早く消えていた。少しくらいは俺
も学習したのかもしれない。
 もっと早くこの事に気づいていれば、長門を悲しませないで済んだんだがな……。
 この世界……いや、元の世界も含めてだ。自分の記憶が本物だとか、偽物だとか。そんな事
を気にして生きてる奴なんてのは居やしない。この世界で言えば、朝倉が世界を作り変えたっ
て事を知ってる、俺だけが不満なだけでしかない。
 でも、ここで俺がみんなに真実を告げたからってどうなる? これまでの人生は誰かに用意
された記憶だ、そんな事を言ったからって何の意味もありはしない。
 だったら、だ。
「…………ごめんなさい、変な事聞いちゃって。忘れてください……」
 今こうして、俺を寂しそうな顔で見上げている朝比奈さんに、俺が言ってあげるべき言葉は
何だ? 朝比奈さんの顔に笑顔を取り戻してあげる為に俺が言える事……。
 それはきっと、過去への忠告なんて無粋な物じゃなくて――
「俺、朝比奈さんの御両親は見たことが無いんですが……朝比奈さんの成長した姿は見た事が
あるんですよ」
 胸の奥に何か硬い物が生まれるのを感じながら、俺は笑顔を作ってそう言った。
「えっ?! わ、わたしの……えっと?」
「俺の知ってる朝比奈さんは未来人なんですが、その更に先の未来から、俺に助言を授けにわ
ざわざ来てくれた事があるんです」
 それも二回も。
「ほ、本当ですか?」
 はい。
「あの……その未来のわたしって、身長は伸びてましたか?」
 そりゃあもう。
「未来の朝比奈さんは……信じられないでしょうけど、ヒールを履いたら俺と変わらないくら
いの身長で、スタイルも良くて。男なら誰でも恋に落ちるようなウインクをしてみせる大人の
女性になってましたよ」
 おっちょこちょいな所はそのままでしたが、それはむしろ高評価です。
「……そ、そうなんですか」
 朝比奈さんは恥ずかしそうで、嬉しそうに笑っている。
「それと、胸元の黒子の事を教えてくれたのもその時でした」
「あっ、え、あ……そ、そうなんですか」
 更に赤面、魅力増加。
 ――そうさ、俺が今朝比奈さんに話すべきなのは、誰も笑顔にならない過去の事なんかじゃ
ない。きっと、未来の事を話してあげるべきなんだ。
 まだ何も決まっていない未来には、既に終わってしまった過去には無い無限の可能性って奴
がある。ハルヒ理論じゃないが、そっちの方が楽しいに決まってるだろ? だったら、そっち
の方が真実なんて物よりずっと正しい……あんたも、そう思わないかい?

 それから俺は、朝比奈さんに未来の朝比奈さんの事を色々と話していった。七夕の日の事だ
けでなく、もっと以前に文芸部の部室で出会った時の事から思い出せるだけ全部だ。
 朝比奈さんのお茶と笑顔が俺のオアシスだった、何て事は言えなかったけどな。
 そこで俺が彼女と交わした会話や出来事を話す間、朝比奈さんは顔を輝かせて俺の話を聞い
てくれていた。
 そんな時、ふと思い浮かんだのは、
「あ、そうだ。朝比奈さん」
「はい?」
「俺が初めて未来の朝比奈さんと会った時なんですが、彼女は俺に不思議な事を言ったんです」
「……不思議な事、ですか?」
 はい。
 今の朝比奈さんに聞いても仕方ない事だとは解ってるが……ま、いいか。考えてから喋るっ
てのは、どうもしっくりこない。
「理由は教えてくれなかったんですが、未来の朝比奈さんは俺に『わたしとあまり仲良くしな
いで』って言ったんですけど……これって、どんな意味だったんですか?」
 結局、あれはなんだったのか解らないままなんですが。
「えええっ? あ、あの……それは、えっと」
 やっぱり、朝比奈さんはそうやって慌てて笑っている姿が一番可愛いと思います。
 古泉じゃあるまいし、こんな事言えませんけどね。
 自分の目が細くなるのを感じていると、朝比奈さんは顔を伏せながら
「……あの……その、未来のわたしがそんな事を言ったんでしたら……それは、その……なっ
無かったこ」
「遅くなっちゃってごっめーん!」
「ひぃっ!」
 突然背後から現れた鶴屋さんの声によって、残念ながら朝比奈さんの声は途中で途切れてし
まった。
「あれれ? もしかしてあたし、お邪魔虫だったかな?」
 両手に紙袋を持った鶴屋さんの確信犯的な笑みが朝比奈さんを探っている。
「そ、そそそそんな事はないです。はい」
 すみません。俺から見ても今の朝比奈さんは怪しいです。
「本当〜かな〜……。キョンくん? 本当の事を言ってね。そしたらお邪魔虫さんは退場して
あげなくもないかもしれないよ」
 まさか、朝比奈さんの言った通りです。
 間違いありません、保障します。
「ふ〜ん」
 鶴屋さんは俺と朝比奈さんの顔を交互に見た後、何故か急に俺の方へと……って。
「えっ?」
「あっ」
 最初の声は俺で、二番目は朝比奈さんだった。
 にんまりと笑った鶴屋さんの手が、俺の顔を掠めて通り過ぎていったかと思うと、そのまま
コートについたフードと一緒に前へと戻ってきたのだ。結果としてフードを目深に被ってしま
った俺の目の前、息を吐けば届く程の距離に彼女の顔がある。
 被さったフードのせいで殆ど光の無い視界の中、鶴屋さんの大きな瞳が俺を見つめていた。
 ……あの、いったいどうしたんですか?
 そう尋ねる為に口を開く事すら躊躇う距離で、鶴屋さんは意味深な笑みを浮かべて、
「今はまだ秘密でもいいけどさ、いつかは全部教えてね?」
 普段とは明らかに違う大人っぽい声が、フードの中で響いて聞こえた。
「……全部って」
 視線を逸らさないまま彼女は小さく頷き、
「そう。みくるの事も、キョン君の事も全部。……今はまだ言えないみたいだけど、言えるよ
うになったらでいいから、いつか必ず。ね?」
 早口でそう言った後「にひっ」鶴屋さんはとっておきのスマイルで俺に微笑み掛けてから離
れていった。
 遅れて動きを早めだした自分の心臓がやけに煩い。
 いったい、この人はどこまで気づいているんだろう……。
「あれ、あれれ? みくる〜どうしたの? 急に拗ねた顔しちゃってさ」
「……何でもないです」
 ひょっとしたらだが、鶴屋さんは俺より真実って奴に近い場所に居るんじゃないだろうか?
 事情が事情だけに、本来ならそれはありえない事のはずなんだが……この人を見ていると、
本気でそう思える事がある。
「もしかして、焼きもち? ねえねえ?」
「……知りません」
「あっベビーカステラ食べる? 甘いよ〜?」
「食べませんっ!」
 そして、ああやって朝比奈さんと遊んでいる時の子供っぽい鶴屋さんと、さっき見てしまっ
た大人の雰囲気を漂わせた鶴屋さん、字を書いている時の真剣な鶴屋さん。いったいどれが本
当の鶴屋さんなのか……それとも、まだ俺の知らない彼女の一面があるのか。
「みくる〜ね〜怒らないでよ〜、キョンくんとは何もしてないよ?」
 ベビーカステラを口にしながら謝る鶴屋さんの視線を無視する様に、
「…………」
 朝比奈さんは背を向けてしまっている。
 何が理由なのかは解らないが、朝比奈さんにしては珍しく本気でご立腹の様だ。
「も〜、嘘じゃないってばぁ。ちゅ〜もまだだもん」
「まっまだ?」
 ま、何にしろ……だ。いつか鶴屋さんには全てを打ち明ける事になる気がするな。何が最後
なのかは俺にも解らんが、全てが終わったその時に。
「うん、まだ。あたしがキスした事のある相手はみくる一人だけっさ!」
「なっなななえあああつ、つつっ鶴屋さん?!」
 ……って、そろそろ止めないとまずいな。
 真っ赤な顔の朝比奈さんから逃げる鶴屋さんを、俺は呼び止めた。
「鶴屋さん。新年早々、あまり朝比奈さんをからかわないであげてくださいね」
 このまま放っておくと朝比奈さんは間違いなく転んでしまいますから。
 俺は未来人じゃありませんが、自信をもってそう断言できます。
「え〜? ……ん〜。本当はそれって無理なんだけど……まあ、キョンくんが言うなら」
 ありがとうございます。
「キョ、キョンくん? あの、ああさささっきの鶴屋さんが言ったのは」
 そんなに慌てなくてもいいですよ。
「解ってます、冗談ですよね」
 朝比奈さんは鶴屋さんに真剣な視線を送りながら、何度も力強く頷いていた。
 ここまで可愛いリアクションを取られると、ハルヒや鶴屋さんじゃないが、つい悪戯したく
なるのも解る気が
「はい! じゃ〜仲直りのカステラ!」
 ……またですか。
 無邪気な笑顔を顔に浮かべた鶴屋さんは、ベビーカステラを一つ口に銜えて朝比奈さんの元
へ歩み寄っていく。どうやら、口移しで食べさせたいらしい。
 当然ながら人通りの多い境内でそんな事をすれば、またしても周囲の視線を集めてしまう訳
で……あの、鶴屋さん? 見てる俺まで羨ま……いや、恥ずかしいんですが。
 朝比奈さんは自分の目の前で制止する鶴屋さんから恥ずかしそうに視線を逸らしつつ、鶴屋
さんの手にある袋の中からベビーカステラを一つ取り出して食べ始めた。
「え〜?! みくる〜」
 本気で悲しそうな声を上げる鶴屋さんを無視して
「……久しぶりに食べましたけど、やっぱり美味しいですね」
 朝比奈さんは俺を見ながらそんな事を言っている。
 もしかしたらこれは、朝比奈さんなりの仕返しなのかもしれない。
 そんな二人を見ながら傍観者に徹していた俺なのだが、
「いいもん。じゃあ代わりにキョンくんにあげるから」
 えっ。
 朝比奈さんにした時と同じ様に、カステラを口に銜え直した鶴屋さんが、今度は俺の方へと
歩み寄って来るのだった。
 あの。これ、冗談ですよね? 同姓の朝比奈さんが相手ならともかく、一応俺は染色体的に
考えるまでもなく男な訳でして……えっと……つ、鶴屋さん?
 口が塞がっているからなのか、それとも返事をする気が無いのか。何も答えてくれない鶴屋
さんが視界の中でどんどん大きくなっていく。
 ここで背を向けて逃げてしまうってのも鶴屋さんに対して失礼というか、俺自身が鶴屋さん
の口移しでカステラを食べたくない訳が無いというか……でも朝比奈さんの目前でそれはちょ
っとというかその。
 後ずさりをする俺の目の前まで来た所で、鶴屋さんは一度朝比奈さんへと向き直った。
「……」
 振り返っている鶴屋さんがどんな顔をしていたのかは俺には見えなかったが、その視線の先
に居る朝比奈さんの顔はしっかりと見えていた。
 小さく口を開けたまま、何かを言おうとしているが……何も言えないまま固まっている朝比
奈さんを見て、
「……はい、あけましておめでとうございます」
 鶴屋さんは俺に向き直り自分の口からカステラを手に取ると、そのまま俺の口へとそれを届
けてきたのだった。
 思わず、それを口で受け取ってしまった俺がいる。
 ――ちなみに、これが鶴屋さんとの間接キスだって事に俺が気づいたのはずっと後になって
からの事だった。
 何故ならその時の俺は、朝比奈さんの見ている中で鶴屋さんとの口移しを回避出来た事に、
ただただほっとしていた訳で
「……お、おめでとうございます」
 口に含んだベビーカステラを慌てて飲み込みつつ、まぬけな顔でそう答えるけで精一杯だっ
たんだよ。

 


トップ   編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード   新規 一覧 単語検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS
Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:01:43 (2713d)