作品

概要

作者◆Yafw4ex/PI
作品名ロストマン 3話
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2010-07-20 (火) 22:25:52

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹不登場
ハルヒ登場
みくる登場
古泉一樹登場
鶴屋さん登場
朝倉涼子登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

 消失アナザー 

 ――授業時間が迫って教室に戻った時、あたしの前の席はまだ空席のままだった。
「あれ、キョン君ってまだ保健室に居るの? もう戻ってきてるって聞いてたんだけど」
 それとなく回りのクラスメイトに聞いて見たんだけど、どうやら誰も知らないのか困った顔
で顔を見合わせるだけだった。
 おかしいなぁ、長門さんは一緒に途中まで戻ってきたって言ってたのに。
 多少の疑問を感じつつも、とりあえずあたしは自分の席に座って授業の準備を始めた。
 次は数学ね、前回の授業では確かあの子まで当てられたから……今日は谷口君からかな。
 それとなく視線を送った先では、一生懸命ノートを見ているクラスメイトの姿が見える。
 ……別に当てられて困る事はないはずなのに、授業中に一人席を立って話す時緊張してしま
うのは何故なのかしら。
 それと、問題を答えられない可能性がある人が当てられた時、自分が当てられた時以上に緊
張してしまうのも何故なんだろう。
 このよく解らない感覚は嫌いじゃないんだけど、やっぱりどこか落ち着かないなぁ……。
 そんな事を考えつつ、机の上でノートを凝視している谷口君を眺めて居る内に
「よーし席につけー」
 岡部先生が教室に入ってきてクラスの中にあった喧騒は徐々に静まっていった。
 そろそろ起立の号令をかけようかな。
 そうあたしが思って軽く息を吸い込んだ時、
「ん……おい、キョンはどうしたんだ」
 間の抜けた先生の声が、あたしの号令を止めた。
 えっ先生も聞いてないの?
 教壇に立った先生も含め、クラスの中に静かな疑問が広がる中、
「先生。キョンから伝言で、ペストと赤痢と腸チフスを併発して死にそうだから早退するらし
いです」
 これは嘘だって解って話してますといった感じの口調で、国木田君が手を上げて言った。
「……国木田。あいつは怪我で保健室に行ったんじゃなかったのか? 病気なのか?」
 言われたままを受け取ったらしく、怪訝な顔をしている先生。
「僕にもよく解りません。あ、そういえば光陽園学院に行くって行ってました」
「光陽園学院? 病気なのに、病院じゃなくてか?」
「はい」
 お互いに疑問の顔を見合わせる中、
「……まあいい。キョンには後で連絡するとして、とりあえず授業を始める」
 先生はそれ以上追及する事を諦め、授業へと気持ちを切り替えた様だ。
 視線で号令を要求される中、あたしは椅子があまり音を立てないように意識して立ち上がり、
「起立」
 クラス全体に届く程度の声で、授業の始まりを伝えた。
 その時のあたしは、普段と変わりない様に見えていたと思うけど……自分でも不思議な位に
緊張していたと思う。
 ――そっか、ついに見つけちゃったか。
 彼が彼女へのきっかけを見つけてしまった。それは全ての始まりであり、同時に終わりでも
あって……あたし自身としては、この時を待っていたはずだった。
 それなのに、なんだろう。少しだけ寂しい気がする。
 もし許されるのなら、このままの関係がこれからもずっと続けば良かった……なんてね。
 でも駄目、彼女はそれを望んでいないはずだから。
 例え自分が手に入れた物を全て失う事になっても、彼に自分を選んで欲しい。
 それこそが、彼女が初めて望んだ事なのだろうから。
 ――でも、そうだとすればどうしてあたしはここに居るんだろう? 彼女の望みが彼の選択
だとすれば、あたしがここに居る必要は無いはずなのに。
 この世界が出来た理由も、その経緯もあたしは知っている。彼が彼女という鍵を見つける事
でどうなるのかも。
 でも、自分が居る理由だけが解らない。
 あたしが再構成された時、深夜の学校の前に長門さんが居た。
 統合思念体のインターフェースではなく、ただの人間になっていた長門さんが。
 力と記憶を無くした彼女の護衛? でも……それならそれで、命令の一つでも渡されていな
ければおかしい気がする。
『あたしは何をすればいい?』
 数学の授業とは関係の無いこの一文を、あたしはノートの隅に書き込んだ。
 ……今日も、文芸部に足を運んでみようかな。
 この世界の長門さんはあたしの疑問に答えを出してはくれないだろうけど……他に聞ける相
手は居ないものね。

「こんにちわ」
 放課後――文芸部の部室を訪れたあたしを迎えてくれたのは、少し慌てた様子の長門さんと
……あれ?
「長門さん一人なの?」
 本棚以外に殆ど物が無いこの部室に、キョン君の姿はなかった。
 おかしいなぁ……あれから結構時間が過ってるから、絶対ここに居ると思ったのに。
 授業を抜け出したまま、放課後になっても戻らないクラスメイトの現在地を考えていると、
「まだ、来てない」
 窓辺に座った長門さんは、俯きつつ視線を彷徨わせながらそう教えてくれた。
 まだ……ね。
 長門さんの声に期待する様な響きが混じっていた事については、今はからかわないでおこう。
 念の為に覗いてみた廊下には誰の姿も無く、とりあえずあたしは文芸部の中へ入って扉を閉
めた。
 とりあえずここで彼が来るのを待つとして……ん〜。
「ねえ、やっぱりここって寒すぎると思うんだけど」
 既に季節は冬なのに、文芸部の部室の中には暖房器具に該当する物は一つとしてなかった。
 本校舎はここよりは新しい建物だから少しはいいんだけど、耐久年数の概念が無かった頃に
建てられたんじゃないかって思うこの旧館は、外に居るのと変わらない程に冷え切っている。
 風が入って来ないのが唯一の救いだけど、どっちにしても寒いのは一緒。
 上着を着てくる事を忘れた事を後悔しつつ、両手で体を抱きしめながら
「それに、そんな窓際に居たら余計に寒いでしょ? いくらカーデガンを羽織ってるからって
――……あのね、あたしはカーデガンを貸して欲しいって言いたいんじゃないの」
 何故か自分の上着を脱ぎ始めた彼女を声で制止しつつ、あたしは溜息をついた。
「文芸部の予算でストーブか何か買ったら? 別にあれは本だけを買いなさいってお金じゃな
いと思うよ」
 この広さを暖めるとなると、ストーブ一つくらいでは足りないかもしれないけど。
 部屋の大よその広さを目測で測っていると、
「部費は出ていない」
 ……出てないって。
「文芸部は廃部にならなかったんじゃないの?」
「休部中」
 休部中でも予算はしっかり取ってる部活はいくつもあるけど……そうね、長門さんがそんな
交渉を持ちかけられるはずはないか。
 あたしが入部してあげてもいいんだけど、部活動として認められるのに必要な人数は五人だ
し、顧問になってくれそうな先生も居ないんじゃ長門さんに気を使わせてしまうだけな気がす
るのよね。
 それに、仮に人数を何とか出来たとしても、現状の文芸部の実績では研究会としてすら残れ
ないかもしれない。
 以前は年に一度発行していた機関紙も、部員が長門さんだけになってしまった今年は発行で
きて無いから実績と呼べる物は一つも無い。
 むしろ、こうして部室を残してくれているだけ感謝したい、多分長門さんはそう思っている
のかもしれないわね。
 まあ……別に本を読んだり、何かを書いたりするだけならこのままでもいいのかな。
 あたしは苦笑いを浮かべ、本棚の中からなるべく読むのに時間がかかりそうな分厚い本を一
冊手に取った。
 使っていない適当なパイプ椅子を一つ手に取り、長門さんが居る窓際へと何時もの様に向か
う。彼女の座る椅子の隣に並べてパイプ椅子を開くと、あたしは何も言わないまま彼女に並ぶ
ように椅子に座って本を開いた。
 何かを聞きたそうな彼女の視線に気づかない振りをしながら本の上に並ぶ文字を追っている
と、長門さんは諦めたような顔をして自分も読書へと戻った。
 別に体を寄せ合っているわけじゃないんだけど、こうしていると一人で居るよりは暖かい気
がする。
 長門さんの読書を邪魔しないぎりぎりの距離を保ちつつ、あたしがその静かな時間を楽しん
でいた時、
「よかった、長……あ、朝倉?」
 小さな音と共に開いた部室の扉。そこから半歩足を踏み入れた所で立ち止まった、間の抜け
た彼の声。
「ちょっとジョン、入り口で立ち止まらないの。邪魔よ邪魔! おっじゃまっしまー……って
あれ、二人居るじゃない。長門さんってどっち?」
 続いて部室に入ってきた体操服姿の涼宮さんと、
「お、下ろしてください〜」
 そんな彼女に抱えられている朝比奈さん。
「失礼します」
 最後に現れた古泉君の姿を見た時には、長門さんは絶句していた。
 ……まあ、するわよね……普通。
 互いに顔に疑問符を並べあう中、突然人口密度が上がった部室の入り口で小さな金属音が響
く。
「ここどこですか、何であたし連れてこられたんですか? 何で、かか鍵を閉めるんですか?
いったい何を」
「黙りなさい」
 当たり前の様に部室の鍵をかけた涼宮さんが、強い口調で半泣きになっていた朝比奈さんを
黙らせた後、
「で、ジョン。どっちが宇宙人なの? どっちかっていうと……ん〜、あたしには両方怪しく
見えるんだけど」
 訝しげな顔で、涼宮さんはあたし達を見ている。
「……えっと、俺が紹介するつもりだったのは奥に居る眼鏡をかけている子で、手前に居るの
は俺のクラスメイトの朝倉だ。……まあ、二人とも俺の居た世界では宇宙人であってる」
 キョン君の紹介に合わせて、こちらを見ていた涼宮さんの目から比喩表現ではなく光が溢れ
出した気がした。
「二人?! 二人ともなの! 凄いじゃない! そっちの眼鏡っ娘が長門さんで、いかにもク
ラス委員って感じの娘が朝倉さんね? よろしく! あたし涼宮ハルヒ! こっちの体操服を
着てるのが古泉くんで、この胸だけデカい小さい娘が朝比奈さん。で、そいつは知ってるのよ
ね? ジョン・スミスよ」
「ジョン・スミス……?」
 あたしの背中越しに長門さんが見つめる中、キョン君は肩を竦めている。
「ふーん、ここがそうなのね〜。うんうん、何にもないけどいい部屋だわ。いろいろ持ち込み
甲斐がありそう」
 涼宮さんはテリトリーを確認する子犬みたいに部室の中を嬉しそうに歩き回り、窓の外を覗
いたり本棚の中身に興味深げな視線を送っていたかと思うと、
「でさ、これからどうするの?」
 キョンくんに向かって当然の様に尋ねる彼女に、彼は溜息を返した。
「この部屋を拠点にするのはあたしとしても賛成だけど、やっぱり交通が不便だわ。これから
雪も降るかもしれないし、学校が終わってからここに来るには時間がかかるもの。それに、あ
たしの学校と北高って全然交流ないから制服だと目立っちゃうし。あ、そうだ! 時間を決め
て駅前の喫茶店に集合って事でどう?」
 えっと、いきなりどうって言われても……。
 事前にそういった感じの話し合いがあった訳ではないらしく、その場にいる全員が彼女の発
言に何も答えられないでいる中――
 

 ピポ

 誰も手を触れていないのに、突然パソコンが立ち上がり始めたのはその時だった。
「ひぇっ?」
 小さく悲鳴を上げる朝比奈さん以外、誰も声を上げようともしない中、キョン君は一人パソ
コンの前へと走りよっていく。
 彼の背中越しに見えるモニターにはOSの起動画面はなく、ダークグレイのままになってい
るディスプレイの上に白い文字が走り出していた。

YUKI.N > これをあなたが読んでいる時、わたしはわたしではないだろう。

 …………そっか。
「何? スイッチも押してないのに、びっくりするじゃないの」
「タイマーがセットされていたのでしょうか。それにしても、えらく古いパソコンですね。ア
ンティークものですよ」
 涼宮さんと古泉君はあたしと同じ様に彼の後ろで話しているが、キョン君の耳にそれは届い
ていないようだ。
 彼が食い入るように画面を見つめる中、

YUKI.N > このメッセージが表示されたということは、そこにはあなた、わたし、涼宮ハルヒ、

朝比奈みくる、古泉一樹が存在しているはずである。

YUKI.N > これは緊急脱出プログラムである。起動させる場合はエンターキーを、そうでない

場合はそれ以外のキーを選択せよ。起動させた場合、あなたは時空修正の機会を得る。ただし
成功は保証できない。また帰還の保証もできない。 

YUKI.N > このプログラムが起動するのは一度きりである。実行ののち、消去される。非実行

が選択された場合は起動せずに消去される。Ready?

 グレーのモニターに浮かんでは消えていった文字は、そこで止まった。末尾でカーソルが点
滅している。
 ――このプログラムの存在は知っていた。知っていたけど……本当にこれでいいの?
 モニターから視線を外して振り向き背後に居る長門さんの顔を見てみると、そこには理解で
きない状況に怯え、不安そうに見つめ返す顔がある。
 でも、そんな長門さんよりもあたしは不安だったのかもしれない。
「どういう意味? なんの仕掛けなの? ジョン、あんたやっぱりあたしをからかっているだ
けなの? 説明してよ」
 詰め寄ってくる涼宮さんを無視して、彼はモニターと……長門さんの事を見つめている。
「長門、これに心当たりはないか?」
「……ない」
「本当にないのか?」
「どうして?」
 長門さんが本当の事を言っているのも、彼がどうしてこの質問を繰り返すのかもあたしには
解る気がした。
 きっと彼は今、迷っているんだと思う。
 何故なら彼に与えられた情報は全てにおいて断片的でしかなく、恐らく……自分が別の世界
にでも来てしまったと思っているのかもしれないのだから。
 それは間違いじゃないけど……でも。
「ねえジョン……さっきからどうしたのよ? また変な顔してるわよ」
 涼宮さんの言葉に顔を向けようとすらしないまま、
「ちょっと黙っててくれ。今、考えをまとめてるんだ」
 強い口調で彼はそう言い切った。
「なっ…………ん」
 一瞬、涼宮さんは何か言い返そうとしたが、彼の表情に余裕が無くなっている事に気づいた
のか口を閉ざした。
 ……どうする、ここであたしはどうすればいいの?
 ここで何かをしなくてはいけない。その事だけは痛いほど解るのに、実際に何をすればいい
のかなんて検討もつかない。
 一秒が数分にも感じられ、それでもまだ短いと感じた時間の後、彼は背筋を伸ばして深呼吸
をした。
 そうしている間、長門さんはあたしの後ろに隠れてじっと事の成り行きを見守って……あ、
そっか。
 腕に感じる僅かな重み。
 大切な、重み。
 ――どうして今まで気づかなかったんだろう? あたしは、これまでもずっとこうしてきた
んじゃない。
 張り詰めていた緊張がふっと緩んで、自分の口元に笑みが浮かぶのが解る。
 きっとこれが……あたしがここに居る理由。
 多分、そうなんだと思う。
 キョンくんの口が動き出す前に、
「人間はさあ、よく『やらなくて後悔するよりも、やって後悔した方がいい』って言うよね。
これ、どう思う?」
 彼の視線を遮る様に立ったあたしの言葉に、彼は目を見開いた。
 覚えててくれたみたいね。あ、でもこれって前にもした質問だから、もう一度答えてもらう
事もないか。
 こちらから質問したのに、彼の返事を待たないままあたしはこう続ける。
「じゃあさあ、例え話なんだけど。現状を維持するままではジリ貧になることは解ってるんだ
けど、どうすれば良い方向に向かう事が出来るのか解らない時。あなたならどうする?」
 ――それは、かつてあたしが彼にした質問だった。
 でも今は、自分へと向けた質問でもある。
「朝倉、やっぱりお前?」
 そ。やっぱりあたしは……あたしみたい。

 ――なあ朝倉。
「何かしら?」
 いくつかお前に質問があるんだが、聞いてもいいか。
「いいよ、何でも聞いて」
 じゃあまず……どうして俺とお前は今、この冷え切った中庭を歩いてるんだ?
 震える体を隠そうともせず、俺は少し前をのんびりと歩く朝倉の背中に聞いてみた。
「ん〜、みんなの前で全部話しても良かったの?」
 何の話をだ。
「もちろん、全て何もかも。この世界の事とか色々……ね」
 そう言いながら振り返った朝倉の顔には、申し訳なさそうな雰囲気など微塵も感じられなか
った。
 こいつ、やっぱり全部覚えてやがったのか。
 元の世界の事を聞かれても何も知らない振りをしやがった上に、人を散々病人呼ばわりしや
がって……まあいい、その事について問い詰めるのは後だ。
 とりあえず最初に聞いておかないといけない事と言えば、
「長門を部室に置いてきちまってよかったのか?」
 そう、今この場に居るのは俺と朝倉だけ。
 ハルヒ達だけではなく、長門も部室に残したままなのだ。
 どう考えても、あの長門にハルヒ達の相手は無理だろ。
「ん〜そうね……。長門さんに聞かれるとちょっと困る事になる話をするつもりだから……ま
あ、少し位の時間ならこれまでの文芸部の歴史とかで間を繋いでくれてるでしょ」
 いや、絶対無理だろ。それ。
 俺にはハルヒの質問責めを前に、長門が怯えてる姿しか想像できん。
「じゃあ、早く戻ってあげないとね」
 そう言う割りに朝倉は立ち止まろうとも足を速めようともせず、どこか目的地があるらしく
一方に向かって歩いていく。
 いったい何処へ連れて行くつもりなんだ?
 まさか、あの時みたいに教室に連れて行かれるんじゃ……と俺が不安を覚え始めた頃、朝倉
の向かう先に食堂の屋外コーナーが見えてきた。
 そのままコーナー奥にある自販機の前まで進んだ朝倉は、
「はい、どうぞ」
 数枚の硬貨を自販機の中に入れ、無言のまま俺に商品を選ぶようにと薦めてきた。
 今度はいったい何を企んでるんだ。
 そう問い詰めたい気持ちよりも今は体を温める事の方が重要だったらしく、苦情が口から漏
れ出す前に俺の右手はあたたかいと書かれた赤いラベルの中からコーヒーを選んでいた。
 妙に優しい朝倉の視線を無視しつつ、缶コーヒーを取り出す。
 この行為にいったい何の意味があるのか? そんな疑問を感じつつ、俺がコーヒーの缶を開
けて口をつけた時、
「この世界はね? あたしが創ったの」
 微糖より無糖の方が甘いコーヒーもあるよね、みたいな軽い口調で、朝倉は唐突な真実を俺
に告げやがったのだった。飲み始める前で良かったぜ。
「……おい」
「なに?」
 朝倉。お前、今何て言った。
「だから。この世界を創ったのは、あたしなの」
 ……そうか、解った。
 どうやらさっきのは聞き間違いでは無かったらしい。
 朝倉がこの世界を作った、そうか。
「随分とまあとんでもない事が出来るんだな。どうやってやったのか知らないが、コツがある
んなら教えてくれ」
 馬鹿にしていると伝える為、感情の無い声でそう返事をしてやると
「あたしの力じゃそんな事は無理。でも、それが出来る人が近くに居たから、その人の力を使
わせて貰ったのよ」
 朝倉がそう言い終える前に、そのとんでもない事が出来る近くに居た奴ってのが誰なのか解
ってしまった。
 当たり前だ。こんな事が出来る奴なんて俺の知る限りでは一人しか該当しない。
 というか二人もいてたまるか。
「……ハルヒの力を使ったってのか」
「そう」
 あっさり肯定しやがった。
 ……まあいい、もうどうやってやったのか何て事は聞かん。それより聞きたいのは動機であ
り目的だ。
「じゃあ聞くが、お前は何の為にこんな事をしたんだ。情報フレアだか何だかを見たいとか、
そんな意味不明な理由で俺を殺そうとしたお前が今度はいったい何を企んでるんだ。っていう
か、お前はこっちの世界でもやっぱり宇宙人なのか? 長門はどうなんだ? 何で俺とお前し
か元の世界の記憶が無いんだ? 元の世界はどうなっちまったんだ?」
 思い浮かぶままに質問をぶつけてみても、朝倉の余裕気な表情に変化は無い。
 お前、俺の質問に答えるんじゃなかったのかよ。
 そう続けようと俺が口を開いた時、
「……そうだよね。全部聞かないと、選べないよね」
 朝倉は寂しそうに笑って、目を閉じた。
 選ぶ……ああ、長門のくれたプログラムの事か。
「ねえ、質問に質問で返しちゃうんだけど……あなたにとって『元の世界』って何?」
 何って。
「数日前まで過ごしていた日常に決まってるだろ」
 他に何がある。
「じゃあさあ、これは例え話なんだけど……サンタクロースっていつまで信じてた?」
 は?
「だから、キョンくんってサンタクロースをいつまで信じてた?」
 いくらなんでも話が飛びすぎだろ、意味不明にも程がある。
 一応半眼で睨んでみたが、朝倉は俺の返事を聞くまでは話の続きを言うつもりは無いようだ。
「そんなもん、最初っから信じてなどいなかった」
 これで満足か。
「ふ〜ん……それが本当なら夢が無いなぁ」
 ほっとけ。
 人は夢だけじゃ生きていけないんだよ。パンだけでも生きてはいけないが。
「じゃあ、それまでずっとサンタクロースを信じてた人が、誰かの悪戯でそれは架空の存在だ
って気づいてしまったとして……。それでもその人が、またサンタさんを信じたいって言った
ら、あなたならどうする?」
 お前の話が解りにくいのは仕様なのか、それともわざとなのか。
「朝倉、お前はいったい何が言いたい」
 部室に残してきてしまった長門やハルヒの事を考えつつ、俺がそう結論を求めると、朝倉は
困ったような顔をした。
「あのね? あたしはこれから、サンタさんを信じてる男の子に……この世界にはもう、サン
タさんは居ないんだよって言わなきゃいけないの」
 ――その時、俺は朝倉がこれから何を言うつもりなのかまるで解らなかった。
 だから、どうせまた意味不明な事を言い出すんだろ、程度の覚悟しかしていなかった俺に、
「この世界はね、涼宮さんの力は元々存在しなかったという前提の世界」
 その言葉は想像通り意味不明だったのにも関わらず、嫌に大きく耳に響いた。
 ……元々、存在しなかった?
「涼宮さんの力は、彼女の無意識の内に発動して世界を塗り替えていく。それは誰にも止める
事が出来なくて、場合によっては力が発動した事にすら誰も気づけない事も……あなたも知っ
てるよね。そんな彼女の力の存在と痕跡を、可能な限りリセットしたのが……この世界」
 淡々と語る朝倉は、手元の缶コーヒーを見つめたままで俺の顔を見ようとしない。
「神人によって世界が崩壊の危機を迎える事も、突然世界のルールが書き換えられる事も、人
知れず数百年もの時間をループする事も無い。本来ここにあるべき……そう、言うなればこの
世界こそ『元の世界』って呼ぶのが正しいのかもしれないね」
 ……何で、俺は黙ってるんだ?
 いつもならすぐに飛び出すはずの反論が、何故か今日に限って出て来なかった。
 いや、と言うよりも反論しようが無いんだ。
 朝倉が言ったサンタクロースを否定するって例えが示していた事、考えるまでもなく……ハ
ルヒの力が、普通の世界にそぐわない物だって事くらい俺にも解っていた。
 理由や理屈は謎のまま、何故かハルヒの望みを無意識の内に叶えてくれる不思議な力。
 そいつは……まるで……。
 思考の果てに浮かんだ、赤い服装の老人を頭から振り払いつつ、
「つまり、俺が連れてきたあのハルヒには」
「うん。今の彼女には願望を実現する能力なんて無い、あなたと同じただの人間。でも……あ
たしに出来たリセットの精度にも限界があって、未来人であるはずの朝比奈さんがこの時間平
面上に居たりするんだけどね」
 小さく舌を出して笑う朝倉を、俺はただ見ている事しか出来なかった。
 ――朝倉の言葉の意味を考えれば考えるほど、自分の中の何かが崩れていく気がする。
 意味不明な事を日夜持ちかける神様もどき、未来からやってきた給仕好きなメイドさん、作
り笑顔の上手な超能力者、窓際での読書を日課とする宇宙人。
 俺の周りにあったその全ては、言うまでも無く日常とは縁遠い非日常の存在達。
 だが、朝倉が創ったというこの世界で俺が見たのは、力を持て余して目標を探してるハルヒ、
書道部に在籍する上級生の朝比奈さん、ハルヒに興味を示す奇特な趣味の古泉、そして……
「朝倉、あの長門が……本当の長門なのか」
 窓際で読書を好むのは同じ。ただ、俺が知っているよりも少しだけ感情表現が出来る様にな
っている寡黙な文芸部員。
 あれが、本当の……。
 返事を待つ俺に朝倉はようやく顔を向けて、頷く。
「うん。涼宮さんの監視って仕事が無く、普通の女の子として生活出来ていたら……長門さん
は、今の長門さんになってたの」
 朝倉がそう言い終えた所で、俺は何となく視線を自分の足元へと逸らしていた。
 硬いコンクリートの床を見ながら俺が考えていたのは――三年前の七夕、そこで出会った長
門から聞いた言葉だった。
 あの時のあいつは北高の夏制服を着ていて、自分は待機中だって言った。
 数百年も続いた夏休みを一人で耐えきった長門の事だ、きっと高校に入学するまでの間、あ
のまま一人で待機していたんだろう。
 SOS団も無く、ただ一人で。
 その結果が、俺が文芸部の部室で初めて出会った時に見た、あの感情の感じられない長門だ
ったのか。
「……あたしが何の為にこんな事をしたのか、だったよね」
 何も言えないで居る俺に、朝倉は口を開く。
 俺はずっとそれが知りたかったはずなのに、今は何故か聞きたくないと感じていた。
 そう感じる理由は解らない、それなのに朝倉の言葉を遮る事も出来ない。
 結局、何も反論出来ないでいた俺の耳に、
「建前で言えば、これは世界を終わらせない為。でも、本音を言っちゃうとね……長門さんに、
これ以上辛い思いをして欲しくないの」
 その言葉は、届いた。

 会話が途切れ、暫く沈黙が続いた後。俺達はどちらからともなく部室へと戻り始めた。
 途中、この世界にハルヒの観察の為に創られたはずの長門が存在している理由を聞いてみた
んだが
「え? だって、長門さんが消えちゃったら可哀想でしょ」
 ……だ、そうだ。
 じゃあお前はどうなんだ? とか、他にも例外を残してるんじゃないだろうな? とか、随
分自己解釈を付け加えたリセットだな等と、他にも言いたい事や聞きたい事は山程あったんだ
が……朝倉を問い詰める前に、今の俺には決めなくてはいけない事がある。
 そう、長門が俺に準備してくれたあのプログラムをどうするか……って。
 懸案事項を山ほど抱えたまま、俺が部室に戻った時、
「だめだめだーめー! みくるはあたしのなのっ! 返してっ! 早く! 今すぐ!」
 何故か部室の中で大声を上げながら走り回っている鶴屋さん。
「べーっ! 残念でした、もうあたしが貰っちゃったも〜ん」
 そんな鶴屋さんの手が届かない様に、長机の上を器用に走り回るハルヒ。
「おお降ろしてください〜」
 更に言うと、ハルヒの腕に抱えられたまま半泣きになっている朝比奈さんが居た。
 えっと……いったい何がどうなってるんだ、これ。
 ここに戻るまでずっと俺の額に寄っていた皺が、抵抗する事無く弛緩していくのが解る。
 この状況が予想外なのは朝倉も一緒らしく、俺達はただ部室の入り口で呆然としていた。
 ちなみに、ハルヒに何かされてないかと心配していた長門は、この状況を理解できないのか
窓際でおろおろとしていた。俺は今、長門の無事を喜ぶべきなんだろうか?
 長門の隣には、部室に戻ってきた俺に救援を求める視線を送る古泉も居た。ついでに、寒さ
に負けたらしく既に学ラン姿に戻っている。ハルヒは体操服姿のままだったが。
 古泉。お前、居たんなら二人を止めろよ。
 どっちを止めろとは言わないが。
 適当なブロックサインでそう伝えてみると『僕には荷が重過ぎます』とでも言いたげなジェ
スチャーが返ってきた。ええい、こっちの世界でも役に立たん奴め。
「えっと……どうしようね?」
 早々と傍観者モードの朝倉もどうやらあてには出来ないっぽいし……しゃあない。
「おいハルヒ」
 渋々、俺は机の上を走り回るハルヒを呼び止めた。
「あっジョン? あんたいつの間に戻ってきたのよ。っていうかこの人誰? あたしのみくる
ちゃんを盗もうとするんだけど」
 足を止めたハルヒが指差す先では、
「違うっ! ちっがーう! みくるはあたしのなのっ!」
 かなり本気で憤慨している鶴屋さんが居る。
 頼むから、それ以上鶴屋さんを挑発しないでくれ。
「お、お願いですからもう降ろしてください〜お願いです〜」
 既に本気で泣いている朝比奈さんも居る以上、時間の猶予は無い。
 ったく、人が真面目に悩んでるってのにお前って奴は……自然と口から漏れる溜息――さて、
普段なら脱力するはずのこの息を、どこか懐かしく感じたのは何故だろうか? まあどうでも
いいが。
「ハルヒ、とりあえず朝比奈さんを下に降ろして差し上げろ。鶴屋さんも落ち着いて下さい」
「ん、あーっ!? 君は昨日のみくるのファンじゃないかぁ! みくるをこんなとこに連れ込
んで何するつもりなのさっ?」
 いえ、何も。
 驚きと怒りの混じった顔で俺を指差す鶴屋に、
「何かするとかそういうんじゃなくて、朝比奈さんにはここへ来てもらわないといけない理由
があったんです」
 嘘をついても仕方ないと思った俺は、事実をありのままに伝える事にした。
「みくるをここへ連れてこなきゃいけない理由? ……って、何。どんな事なの」
 まだ多少疑っているようだったが、とりあえず鶴屋さんは話を聞いてくれるらしい。
「ちょっとジョン。何よ、その理由って? みくるちゃんはあたしが会いたいからここへ連れ
て来たんじゃない」
 お前がそう思ってたのは知ってたが、俺には俺の都合があるんだよ。
 机の上から半眼を向けるハルヒは適当に無視したまま、俺は近くにあったパイプ椅子の上に
座った。
 最初、俺の対面の席には鶴屋さんが座ると、自然と部室の中で思い思いの場所に居たみんな
が長机の周りに座っていく。
 事情を説明して欲しかったのは誰しも同じだったんだろうな……全員が座り終えたのを見届
けた後、俺はここ数日で何度も話す事になったあの日常を語り始めた。
 魔法以上と言っても過言ではない非日常が、雨の様に降り注いでいた――あの日々の事を。

 ――俺が全てを話し終えたのは、それから十数分後の事だった。
 ハルヒ達が走り回っていたおかげで暖まっていた部室が緩やかに冷え始めてきた中、
「願望を実現する……能力?」
 ああ。
 全てを聞き終えた時、ハルヒは不思議そうな顔で俺を見つめていた。
 灰色の世界で暴れる青白い巨人、気まぐれで常識を変えた世界。
 喫茶店で話した時には『奇妙な潜在的パワー』なんて言い方でぼかしておいたが、今度は俺
の知る本当の内容で説明したんだから驚くのも当然だろうな。
 話の途中で渡した長門の栞を眺めつつ、ハルヒは何かを考えている様に見える。
 ハルヒの話が終わったのを見て、古泉は手を上げて口を開いた。
「質問です」
 何だ。
「先程は涼宮さんに言わずにおいた事を、今になって話した事に何か理由はあるんですか?」
 一応な。
 面白半分といった顔の古泉に、
「ハルヒはこの部屋に来ても記憶が戻らなかったし、今更だが隠しておく事でも無いって思っ
てな」
 適当に納得できそうな答えを返してやった。
 ……ま、本当は事件の犯人が解ったってのと、情報不足で悩むって体験を自分でしたばかり
だからなんだが。
 一応皮肉めいた視線を送ってはみたものの、朝倉には何の反応も無い。
 ちなみに今話した話の中での朝倉は、長門と同じ様に俺の知っている世界では宇宙人だと説
明はしたが、暴走して俺を殺そうとした事や長門によって消されてしまった事、今回の事件の
主犯である事については伏せておいた。
 単にそれを説明するのが面倒だっただけで、特に他意は無い。
 静まり返った部室で、今度は鶴屋さんが手を上げた。
「ねえねえ……えっと、君、ジョンくんだっけ? それともキョンくん?」
 どちらで呼んでもらっても構いません。
 自分の呼称が思い通りにならない事にはもう馴れましたから。
「じゃあキョンくんさっ! 今の話って…………ずばり、本当なのかい?」
 ええ、まあ。
 大筋で言えば嘘はついてないつもりです、言ってない事は多少ありますが。
 少しの間俺の顔を見つめた後、
「ふ〜ん……そっかぁ、異世界かぁ……。うんうん、地球はまだまだ神秘に満ちてるんだねぇ」
 鶴屋さんは一人頷きながら何かを呟いていた。
 流石に今の話だけで完全に信じてもらえたって事は無いんだろうが、とりあえず今の鶴屋さ
んが俺を見る目には、昨日みたいな警戒する様な雰囲気は感じられない。
 そんな鶴屋さんの隣で、
「……」
 何故か朝比奈さんは不安そうな顔で俺を見ていた。
 俺の視線に気づいた朝比奈さんは、少し迷った後、
「あの、わたしも一つ質問してもいいですか……」
 おずおずと手を上げて、俺に聞いてくるのだった。
 もちろんですよ。
 その余所余所しい態度に胸が痛みつつ、軽く手を差し出して肯定の意を示すと、
「今のお話にあったプログラムを動かす為の鍵って、わたし達の事なんですよね?」
 どうやらそうみたいです。
 こうして話している間も、じっとキー入力を待っているパソコンを眺めながら俺は答えた。
「じゃあ、そのプログラムが動きだしたら……いったいどうなってしまうんでしょうか」
 それは……えっと。
 緊急脱出プログラム――それが起動すれば、みんなの記憶が俺の知っている記憶と同じにな
るのか、それとも俺が元の世界に戻る事になるのか……はっきり言ってしまえば、その答えを
俺は知らない。
 長門の準備してくれた物なら安心で、今の状況を何とかしてくれそうだって事だけは解るん
だが……それにしても、今回はあまりにも情報が少なすぎる。
 ふと目が合った長門は、俺の視線に慌てて目を泳がせるだけで、何のヒントをくれそうにも
なかった。
「もし、この世界が誰かの手によって作られた架空の世界だとすれば。プログラムの実行によ
って消去されてしまう可能性は否定できませんね」
「し、消去……消えちゃうんですか?」
 古泉、適当な事を言って朝比奈さんを不安がらせるんじゃない。
「あくまで可能性の話です。ただ、今のお話を聞いた限りで言えば……あなたの周りに起きた
異変の原因は涼宮さんではないらしい。となると、改変者の意図がどんな物なのかは解らない
訳で、この世界が消去されてしまう可能性は少なからずあると思いますが」
 深刻な口調で話してる所悪いんだが。その余裕そうな表情を見る限り、お前が自分の言って
る事を信じてないのだけは解るぞ。
 俺が古泉に向かって溜息をついていると、
「あのねぇ……い〜い? そのプログラムを起動するとどうなるかなんて事は、この際どうで
もいいのよ」
 いいのかよ。
 席を立ったハルヒは、あの栞を手に持ったまま苛立たしげな口調で続ける。
「問題なのはジョンがどうしたいのか。……って、そりゃあ帰りたいわよね。こうしてあたし
達をここに集めてるんだし、さっきの話の中のあんたの生活って……すっごく楽しそうだった
もの」
 そう言い切った時のハルヒの顔は、どことなく寂しそうに感じられた。
 見れば長門も、ハルヒと同じ様に寂しそうな顔で俺を見ている。
 自然と周りの視線が集まる中、大きく息をついてから俺は席を立った。
 そのまま足を向けた先は長門の座るパソコンの置いてある机の前で、俺が近寄ってきた所で
長門は席を譲るように立ち上がろうとしたが、
「いや、そのままでいい。ちょっと机を借してくれ」
 俺は長門にそう言って、キーボードの手前にポケットから取り出した小さな紙を広げた。
 後ろから覗き込んでいるハルヒの気配を無視しつつ、皺が付いてしまっていたその紙に数行
の文字を書き終えた後、
「こいつを頼んでいいか?」
「えっ……」
 俺は、自分の名前を書き終えた入部届けを、長門に手渡した。

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:01:42 (2732d)