作品

概要

作者ながといっく
作品名キョンと長門さんの一日デート(通常長門さんver.)
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2010-03-18 (木) 05:19:48

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹不登場
ハルヒ登場
みくる登場
古泉一樹登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

〜長門有希脳内サミット 2010冬〜
「ラブコメは素晴らしい」
「……そうかもしれない」

 

SS集/1090「キョンと長門さんの一日デート」のパラレル作品となります。
単体でも読めなくはないですが、上記作品を先に読んておいたほうが解りやすいと思われます。


 

 冬もたけなわ。
 地球をアイスピックでつついたとしたら、ちょうど良い感じにカチ割れるんじゃないかというくらいに…という例えはいつぞやも使ったんだったか。
 現在進行形で俺がひしひしと感じていることを言葉として使うとするならば、自転車で走る俺の耳たぶがちぎれて飛んでいってしまうんじゃないかと思うくらいに寒い、というか痛い。

 

 それも当然、現在は夜中の三時半である。良い子はもちろん悪い子の大半も寝ているであろう時間だ。
 俺とて馬鹿ではない。この程度の寒さはもちろん予想していたし、切り裂くような寒風から耳を守るために耳垂れ付きの白いニット帽を用意してきたのだが、今のところそれは俺の耳ではなく、俺の後ろにちょこんと座っている宇宙人の耳を守っている。
 さすがの俺も、制服にダッフルコートという、昨日別れた時と全く同じいでたちでマンションから出てきた長門を見た時には溜息しか出てこなかった。対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドなんちゃらが寒さを感じるのかどうか俺にはわからんが、一般人代表として言わせてもらえば、冬の夜明け前の寒さをなめているとしか思えない。
 ダッフルコートの帽子では、自転車の風を受けたらすぐに外れてしまうだろう。俺はかぶっていたニット帽をかぶせ、していたマフラーを巻いてやって、ついでに手袋も貸してやった。長門は「必要ない」との一点張りだったが、まぁ男の意地というべきものだろうか。意地の張りついでだ、出来るだけこいつに風が当たらないよう、風よけくらいにはなってやるか。

 

「しかしこんな真冬だぞ。夜も明けないうちから並ぶ必要があるのか?」
 俺は独り言に近い感覚で呟いた。一緒に吐き出される白い息のせいで余計に寒く感じる。
「ある」
 単純明快にして簡素な解答が返ってきた。ひょっとしたら、こいつが無口なのは防寒対策の一環なのかもしれないな。
 長門が「四時に並ぶ必要がある」というなら、それは絶対に必要なのだろう。だが、それに付き合わされる俺がついつい疑問視したくなってしまうのもどうか解っていただきたい。
 さて、どうして俺が早朝に長門と自転車で二人乗りをしているかを説明するには、昨日の放課後まで遡る必要がある。

 
 

 昨日も寒かった。
 旧校舎ならではの隙間風で冷え切った文芸部室。商店会から半ば強引に貰ってきた電気ストーブは主に女性陣の身体を暖めているという、女尊男卑的な現状を紛らわすかのように古泉とオセロをしていた俺の前にやってきた長門が、開口一番に吐いた台詞がこれだ。
「付き合って欲しい」
 盛大に反応したのは目の前の古泉と真後ろでお茶を配っていた朝比奈さんである。
 古泉は反射的にハルヒを見て焦っているようだし、朝比奈さんはといえば、配っていたお茶を落としそうになっていた。二人揃って一体なんなんだ、その反応。
 まぁとりあえずは目の前で直立不動のまま返事を待っている長門に答えてやらねばなるまい。
「毎度のことだがお前の言葉は色々と不足しているんだ。どこへだとか、何をしにだとかをはっきり言ってくれないとわからんぞ」
「そっちですか」という声がステレオのように両サイドから聞こえたが気にしない。俺はパチリと白い石を盤面に置き、パタパタとひっくり返して黒い古泉領を蹂躙する。この調子なら一面真っ白にできるかもしれないな。
「それに付き合うって言っても、明日はSOS団の集まりがあった筈だろ?その後か?」
 今日は金曜日だから、順当にいけば明日は土曜日である。
 ……そんな疑うべきことじゃないことも、ハルヒのやつと付き合っていると疑わなきゃいけないこともあったりするんだけどな。

 

「そ、そうですよ長門さん。明日は不思議探索の日ですよ」
 なんでお前がうろたえるんだ古泉。それに対し長門は、
「問題ない。涼宮ハルヒには既に許可をとってある。わたしの私用にあなたを同行させることに関しても」
 何の問題もないと言いたげな目で俺をじっと見つめた。
「ええ、まあそれなら……。しかしよく許可がおりましたね……。差し支えなければその私用とやらを教えていただけませんか?」
 古泉は小声になって、長門とハルヒの顔を交互に見ながら言った。
「……」
 長門は無言で古泉のほうを向いた。その深く思慮深げにみえる黒い瞳をほんの少しだけ輝かせ、

 

「明日発売される新刊(俺でも知ってるような某有名ファンタジーシリーズの最新巻にして最終巻だった)を確実に買いたい。一人で並ぶのは心細いので朝四時に書店に一緒に並んで欲しい」

 

 そう言い切った。
 朝四時て。いくら全国平均から見れば暖かい方に当たる地域とはいえ、氷点下も十分にありえる。そんな早くから並ばないと買えないもんなのか、その本は。
 しかし、一人で並ぶのは寂しいってか。随分人間らしくなったもんだな、長門よ。

 

「ちなみに俺に拒否権とやらはあるのかね」
 と一応聞いてみた俺だったが、長門はスーパー前のガードレールに繋がれて主人を待つ雑種犬のような眼をしながら、
「……ある」
 と、見るからに残念そうに俯いてしまったので、
「いやいや一応確認したかっただけで、誰も断るとは言ってない」
 なんて言ってしまった。
 この真冬に朝四時だぞ?お人よしにも程があるのではないだろうか。
「そう」
 長門は小さく頭を下げて、そう言った。一応お礼を言っているつもりらしい。
「で、店が開くのは何時だ?」
「午前十時」
 ……そうか。
 明日の自分自身を思って溜息をつく。まぁ、長門にはいつも世話になっているしな。そのくらいなら付き合ってやることはやぶさかでない。
 三年間の待機モードや六百年間のループを耐え忍んだこいつでも、やはり退屈なものは退屈なのだ。朝から何時間も並ぶというのなら、話し相手の一人も欲しいと思ったところでなんら不思議ではない。
 でもなんで俺なんだ?

 

「つべこべ言わないの。あんたは黙ってハイと言えばいいのよ」
 パソコンをカタカタいじっていたハルヒが、耳ざとく聞きつけてそう言った。珍しく今日は大人しいと思っていたが、やはり黙っていることが出来る性分ではないらしい。
「キョン、有希たっての希望なんだから、寝坊しないのよ」
「へいへい。しかし午前中で買い物は終わるだろうに、よく丸一日休みにすることにしたもんだな」
 ハルヒの事なら、なんとしてでも集まりそうなものなんだが。
「深夜だか早朝だかわからないうちから並ぶあんたたちを招集するほどあたしは鬼じゃないわ」
 そいつは初耳だな。並ぶのが俺だけでもそうしてくれたのかは非常に疑問ではあるが。
「それに、買った本をすぐに読みたいんじゃないかなと思って」
 お前にそんな配慮が出来るなんてな。缶のコーンスープで飲みきれなかったコーンの粒程度でいいので、俺にも分けて貰えないものかね。その思いやりとかいうやつを。
「ただの平団員と有希じゃ、扱いが違うのは当然でしょ」
 長門も平団員だった気がするが、まぁ俺との扱いに差が出るのは当然だろう。
 しかし、どうせなら団員全員で並んでみたらどうだ。
「買わない人が四人も並んだら迷惑でしょうよ」
 お前が他人の迷惑を考えるとはな…お父さんは嬉しいよ。
「誰が父さんだバカ。まぁ、あんた一人で行かせてもいいと思ってたんだけど、有希は自分が読む本だからどうしても並びたいっていうし。それに有希があんたと一緒がいいっていうもんだからね」
 選んでもらえて嬉しいやら悲しいやらだが、長門が俺を選んだなら仕方ないか。まぁ、ハルヒや古泉じゃ誘いにくいだろうし、朝比奈さんでは退屈を紛らわすどころか気まずい空気になってしまいそうだ。結局俺が一番無難な人選なのかもしれないな。
「連れ歩くならキョンより断然古泉くんのほうが見栄えがいいと思うけど、有希も変わり物よね」
 うるさい、見栄えがしなくて悪かったな。
「ということで、しょうがないから明日は中止。キョンは午後一人で不思議探索して、不思議を見つけておくこと。あ、日曜日はちゃんとやるわよ。いつもの所にいつもの時間で。以上」
 さり気無く俺にだけ面倒なノルマを課してくれるな。
「キョン君、明日も寒そうですし、暖かくしていってくださいね」
 差し出された言葉が暖かいです、朝比奈さん。お茶はちょっと冷めちゃってますが。願わくば、明日冷えきった俺に再度頂けると心より嬉しいのですが。
「あ、そうですか? じゃあ明日差し入れに……」
「みくるちゃん! キョンなんて甘やかすことないのよ!」
 朝比奈さんの優しい言葉を、ハルヒはあっさり否定してくれた。へいへい、わかってますよ。

 

 その日の帰り道のこと。
「しかし驚きましたね」
 いつもと同じ柔和な笑顔で俺に話しかけてくる古泉。ちょっと近いぞ。
「ああ、長門があんなことを頼んでくるなんてな」
「いえ、僕が驚いたのは涼宮さんの態度ですよ。まさか長門さんの要望をあっさり受け入れるなどとは思いませんでした」
 確かにハルヒが長門に見せる優しさは何か特別なものを感じる。
「ハルヒは何故か長門には甘いからな」
 その優しさの半分でも俺や朝比奈さんに分けてくれたらいいのに。古泉はどうでもいい。
「それは恐らく、涼宮さんは長門さんを一番の友人として思っているからでしょう」
「一番の友人? ハルヒが長門を?」
 とてもそうは思えんがな。友人と言えるほど絡んでいるかどうかすら怪しい。
 最初のうちなんか部室の付属品くらいにしか思ってなかったんだぞ。俺も人のことは言えないし、反省すべき点でもあるのだが。
「そうですね…涼宮さんが僕たちをどのように呼ぶか考えてみてください」
 と古泉。呼び方だと?
「ええと…キョン、みくるちゃん、古泉くん。……有希、か」
 そういえば長門だけ呼び捨てなんだな。
「ええ、あだ名のあなたは例外としても、その他はそのまま距離感を示していると思いませんか?」
「距離感とはどういう意味だ」
 古泉は苦笑し、
「そのままの意味ですよ。長門さんは同学年の同性として近しい存在なので名前を呼び捨てに。逆に、異性の友人である僕や、先輩である朝比奈さんには無意識的に気を使って敬称を付けているのでしょう」
「あれだけ朝比奈さんをおもちゃにしておいて気を遣ってるってか」
 ついでに言うとお前も相当こき使われてるしな。
「ええ、その通りです。僕は涼宮さんに使われることをさほど苦とは感じません。そして朝比奈さんも、彼女には悪いですが心の奥では着せ替えを楽しんでいる感がありますから」
 お前のことは知らんが、確かに朝比奈さんはコスプレを楽しんでいる気がするな。
「彼女は無意識的に判断しているのですよ。人の心のどこまで踏み込めるのか。どこまでなら許されるのか。もっとも、たまにそのラインを履き違えてしまう時もあるようですが」
「映画撮影のときみたいにか」
「ええ。ですが普段の涼宮さんはそのラインを踏み越えたりはしません。今の彼女は人が本気で嫌がることをしたりしないでしょう?」
 ニコリと笑ってそんなことを言われたら反論する気も失せるだろうが。
 まぁ、何となく納得がいかない気がするが、俺がハルヒのやることを本気で嫌がっていないということも事実である。
「それはそうとしてだ、何故長門がハルヒの一番の友人になる」
「涼宮さんは、友人とは慣れ合うものではなく張りあうものだと考えているようです。頭脳明晰・運動神経抜群の涼宮さんに真っ向から張りあえる友人。長門さん以外にいないでしょう」
 ここで一拍置いて、俺の顔に視線を向ける古泉。何だよ、気持ち悪い。
「我々の中で最も涼宮さんと対極の存在は誰だと思いますか?」
 俺だ。
「属性的にはそうですが、あくまでキャラクターとしての話です。太陽と月、炎と水、涼宮さんと長門さんを例えるのにこれらの言葉は使えませんか?」
 確かに、馬鹿みたいに突っ走る暴走列車のごときハルヒと、これまた異常なほどに動作も感情の揺れも小さい長門は正反対と言えるかもしれない。
「自分とは真逆のキャラクターを持ち、なおかつ自分と張り合える存在。今まで涼宮さんの周りにはそんな人物はいませんでしたからね。ある意味、長門さんは彼女にとって最も身近な不思議の一つなのかもしれません」
 ここまで言って、古泉は一瞬だけ真顔になった。
「そして……あなたを挟んで涼宮さんの対極にいる存在。それが長門さんなのかもしれません」
 意味深な言葉に何も返せないでいると、いつの間にか古泉はいつもの胡散臭いスマイル顔に戻っており、
「明日は恐らく閉鎖空間が生まれるでしょう。僕も早起きしなくてはいけませんね」
 と、まるで明日から旅行に行くみたいに言ってのけた。

 
 

 そんなわけで、結局朝三時半に俺はマンションまで長門を迎えに行き、今に至るわけである。
 まだ始発も動いていない時間だけに、駅前には人っ子ひとりいなかった。今なら撤去されることもあるまい。適当な場所に自転車を止めて、商店街入口近くにある長門様御用達らしき本屋に並ぶ。
 って、嘘だろ。もう3人も並んでるぞ。俺たちと同年代と思われる若い男性、そして中年の夫婦。さすがにあれだけの有名作ともなると熱狂的なファンがいるものなのだろうか。
 後ろに並んだ俺たちに、若い男性は心なしか羨ましげな視線を向けてくるし、老夫婦は微笑ましげな眼差しを送ってくる。悪い気はしないがなんだか気恥かしい。この人たちからは俺たちはどんな風に見えているんだろうな。
 そんな俺の心中を知ってか知らずか、
「この店への初期入荷は恐らく20冊前後。まず間違いなく購入可能」
 心なしか誇らしげにも思える様相で長門が言う。
 へいへい、了解でありますよ、お姫様。
 俺だって一応男の子だ。ガキの頃には欲しいゲームの発売日に朝早くから並んだことだってある。そのときの俺も寒いなか友達と一緒に並んだもんだ。だから長門の気持ちもわからんでもない。
「しかし寒いな。耳なんかもはや感覚が無くなってきてるぞ」
 自転車を飛ばしてきたので、特に手先と耳と鼻が冷えてたまらん。少しでも熱を得ようと手を擦り合せていると、
「……そう」
 長門はじっと俺を見上げたかと思うと、おもむろに自分のしていた手袋を外し、
「うわっ」
 何の迷いもなく、その両手を俺の耳に被せた。
「な、なにをっ」
「……あたたかい?」
 今は別の意味で赤くなっているに違いないそれを、生まれたての雛鳥を持つように優しく包み込む長門。
 長門の体温で、冷え切っていた耳がぬくもりを取り戻していくのがわかる。急上昇する心拍数のせいもあってか、耳だけでなく体全体が暖かくなっている気もする。
 しかし、周囲の目が気になって仕方がない。男性は羨望の眼差しを隠そうともしないし、中年夫婦は「あらあら」と言った感じで目を細めている。これは結構な羞恥プレイですよ、長門さん。
「あ、ありがとうな。もう大丈夫だから」
 慌ててそう言う俺を、何か物言いたげな眼で見ていた長門だったが、やがて「そう」とだけ呟き、ゆっくりと両手を戻した。

 

 照れ隠しついでに、バッグから折りたたみ椅子を二つ出す。昨日百円ショップで購入しておいたものだ。
「六時間も立ちっぱなしじゃ疲れるだろ、ほら、これ使え」
 小さな椅子でも、あるとないとでは大違いだ。疲れたからといって、直接地面に座ったりするとますます冷えてしまうからな。ましてや長門はスカートだし、いろんな意味で大変だろう。
 それからブランケットを差し出す。
「冷えるからな、腰にまいとけ」
「……了解した」
 二人並んで店先にちょこんと座る俺と長門。今はまだいいが、人通りが多くなったら恥ずかしくなるんだろうな。
「しかしそんなに人気があるのか。その本は」
 俺ですらタイトルを知っているから有名なのはわかる。しかし朝から並ばんと買えないという、そこら辺がわからない。
「ある」
 長門は珍しくはっきりと頷き、
「元々は児童向けの作品だが、そのストーリーの深さや伏線回収の巧みさ、キャラクターの魅力は大人にも高く評価されている。シリーズ作品ということもあって、幼少時にファンになり、そのまま現在に至っているパターンも多く存在するよう」
 最初の巻を読んだ頃に小学生や中学生だった人たちが大人になって最終巻を楽しみに待っているというわけか。じゃあ一番前に並んでいる若い男性なんかはまさにそのパターンなのかもしれないな。
 そんなことを考えていた俺だったが、長門は俺の様子を無関心と受け取ったようで、
「……退屈?」
 とほんの少しだけ悲しさの成分を含ませた瞳で俺をじっと見てきた。
「いや、別に退屈じゃないぞ」
 一人だったら退屈だったろうが、お前もいるしな。
「お前こそ退屈じゃないか? 何か暇つぶしになるもの持ってきてるなら出していいんだぞ」
「退屈ではない。けれど本なら何冊か持ってきた」
 長門はそう言って鞄から数冊の本を取りだした。
「読書か、お前らしいな。どれ、ちょっと見せてくれないか?」
 手がかじかんでページをめくるのは大変そうではあるが、時間待ちにはもってこいかもしれない。…ん?
 長門が取りだした本の中に、明らかに恋愛小説と思われる本が交じっていることに気付く。
「長門も恋愛小説なんて読むんだな」
「……おかしい?」
 いや、おかしいってことはないんだが。
「初めの頃のお前はSFだとかミステリーだとか、やたら難解なものばかり読んでいただろう? どういう心境の変化なのかと思ってさ」
 俺の見えるところで読んでいなかっただけで、実は恋愛小説でこっそりと涙を流していた長門というのもそれはそれで悪くないとは思うのだが、いかんせんそんなことは考えづらい。
「有機生命体を理解するためには、まず、それ固有の事柄を学ぶのが近道だと考察した」
 有機生命体固有の事柄?
「我々情報生命体と違い、有機生命体には寿命という生命の期限が存在する。それによって子孫をどうの残すかが、種としての命題となっているから」
 それで説明が済んだかのように、長門はそれきり口をつぐんだ。仕方がないので、話を続けてみる。
「それで恋愛に着目したというわけか」
 俺が補足すると長門は頷いた。
 恋愛に着目することで人間を理解する…か。まぁあながち間違いでもないのかもな。俺たち男が女にモテたいとか思うのも、そうした遺伝子のなせる業なのかもしれん。
 しかしだな、恋愛小説ってのは架空か実在かはともかく、他人の恋愛模様を描いた物語だろう。それだけで人間を学ぶというのはなにか違わないかね、長門。あくまで大事なのはそこで学んだものをどう生かすかであって、言ってしまえば実体験だと思うのだが。
「……それは、わたしには恋愛は無理という意味?」
 と長門。言葉だけ聞けば拗ねているようにも感じられるが、表情からその様子は伺えない。
「いや、そうは言っていないが……」
 反射的に否定句を出してはみたものの、長門の恋愛というのが想像し難いのは確かだ。
 というよりは、して欲しくないというのが正しいかもしれない。中河の珍事件のときもそうだったが、長門が俺の知らん男と付き合うというシチュエーションは俺の精神衛生上良くないようだ。何故だかはわからんが。
 そんな俺の内心を知ってか知らずか、長門は淡々と喋り出した。
「わたしたちは有機生命体とコンタクトするため作られた」
 お前に一番最初に聞かされたことだったな。
「想定された有機生命体と関係性の類型には恋愛関係も含まれる」
 だから恋愛も出来ると言うことか? そんな単純なものでもないと思うのだが…
 あくまで訝しげな俺だったが、次に長門が放った台詞に、俺の戸惑いパラメータは急上昇させられることになる。
「あなたを恋に落とすことも出来るかもしれない」

 

 唖然とした。

 

 長門はしばらくその真っ黒な瞳で俺をじっと見ていたが、
「……冗談」
 と呟いて視線を道路の方に戻した。
「お前の冗談は解りにくいんだ。変な風に勘違いする男が出てきかねんからやめとけ」
「変な風に、とは?」
「女がそんな思わせぶりな台詞を吐くとな、男は自分に気があるんじゃないかと思うもんなんだよ」
 男なら誰しも一度は女という生き物の思わせぶりな態度に悩まされたことはあるだろう。実は何の意味もないくせに意味深な言葉を吐いたり、無意味に積極的なスキンシップをしてきたりな。
 長門はしばらく何かを考えているかのように静止していたが、
「あなたも?」
 と首を3ミリ程傾けて言った。
 この仕草こそがまさしく「思わせぶりな態度」に他ならないのだが、不覚にもそんな長門を可愛いと思ってしまった。
 畜生、普段から何を考えているのか解らない奴だとは思っていたが、今日はいつにもまして解らない。
 宇宙人なうえ女性という属性を持つ長門を、地球人で男性の俺が理解するなんぞ不可能なのかもしれんが。
「恋愛小説仕込みのテクニック程度で惑わされるほど俺は軽くない」
「……そう」
 悔し紛れに放った俺の皮肉めいた返答にいささか長門は気を落としたようだった。
 まずい、言いすぎたか。慌てて言い繕おうとする俺であったが、それは長門の行動に阻まれた。
「試行する」
 そう言うと長門はすっと立ち上がり、折りたたみ椅子を俺の方に寄せてきた。そして再び座り直す。
 当然、先ほどより俺たちの距離は縮まるというか、ほぼ密着状態となるわけで。
「な、なにを」
 慌てる俺に、長門は落ち着き払ってこう言った。
「恋愛小説を一緒に読む男女」
 ……なるほどそう言われてみると、少々いびつではあるが、中々それらしいシチュエーションだ。
 相手が長門じゃなかったら…いや、相手が長門でも、これが有機生命体研究の一環とわかっていなければ、俺もその気になってしまうかもしれない。
「あなたは、自分の置かれている状況をもう少し自覚するべき」
 確かに、女子と密着しながら夜明けを迎えるというこの状況、恋愛小説なんかにあってもおかしくは無いだろう。書店の開店待ちという追加要素が無けりゃな。
「……普段の状況も」
 長門は俺に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟いた後、俺にも見えるように本を開き、小さな体を寄せた。
 どうやら本当に一緒に読まなくてはいけないらしい。前に並んでいる奴らの視線が気になって仕方ないですよ、長門さん。

 

 結局一緒に本を読んでいるうちに(長門の読書スピードについていけるか心配だったが、俺に合わせてくれたらしい)、お店の人が到着。
 始発後からあれよあれよという間に伸びていった行列に店の人は驚いたのか、十時開店のところを三十分も早めてくれて、俺たちは予定より早く目的の物を買うことが出来た。
 長門のリサーチ通り初期入荷は少なめだったようで、買えずにしょんぼりしながら返っていく人達を何人も見た。
 気の毒だとは思うが、俺たちも深夜だか早朝だかわからない時間から並んでいたんだから許して欲しいものだ。

 

「それじゃあマンションまで送るか」
 自転車置き場に足を向けながら言うと、付いてきている筈の長門がいなかった。
 振り向くと、三歩程離れたところで長門が棒立ちしている。
「朴念仁」
 急に何を言いやがる。誰が朴念仁だって?
「今のあなたのような態度を一般的に朴念仁という」
 いや、そんなこと言われても困るんだが。すぐに帰っちゃいけないのか?
「……」
 長門の非難するような眼差しが突き刺さる。
「いや、買ったばかりの本だしすぐに読みたいんじゃないかと思ってな。ほら、ハルヒも言ってたし」
「あなたは貴重な時間を割いてわたしの私用に付き合ってくれた。わたしはその対価を支払いたいと思っている」
「……すまん、もっとわかりやすく頼む」
 長門はじっと俺を見つめた後、いつもの喫茶店を指さすと、
「わたしの奢り」
 と言った。

 

 冷えきった体に、まんべんなく効いた暖房と、温かなコーヒーは本当にありがたかった。生き返る心地とはまさにこのことだろう。
 長門の奢りというモーニングセットをありがたく味わいながら、俺が文明に対してありったけの語彙で、賛辞の言葉を心の中で述べていると、
「あなたはインターフェース以上に人間の心の機微がわかっていない」
 と長門に言い放たれた。
 なんだか今日は突っかかってくるな、長門よ。
「まぁ気が利かないのは否定しないが、それで誰かに迷惑かけてるってわけでも……」
「あなたの行動一つで涼宮ハルヒの動向が左右されるのは今までの結果からも明白」
 長門はあの大きな閉鎖空間の発生やら、映画騒動の時やら、事細かにその因果関係を説明してくれた。
 否定したいことだったが、なにせ長門博士の理詰め攻撃だ。地球上の誰に反論が出来ようか。俺は小さくなって、ただただ謝るばかりだった。

 

 お説教はしばらく続き、「生まれてごめんなさい」と言いたくなってきた頃だった。
「あなたはもう少し恋愛的シチュエーションにおける行動及び積極性を学ぶべき」
 と長門が言いだした。
 いや、俺だって学びたいのは山々だが。
「わたしで練習するといい」
 はい?
「わたしも有機生命体の恋愛体験には興味がある。互いの利害が一致する以上、協力し合うべき」
 ここまで早口で言うと、長門は少しだけ目を伏せた。そういえば俺のニット帽を貸したままだったな。長門には少し大きめの帽子の先についたフリンジが、小さく揺れる。
 つまりは、なんだ。
 今日一日、長門とデートの真似事をしろといっているのか。
 俺はぼんやりと長門を見つめる。
 こいつがこんなことを言い出すとは、一体どういう風の吹きまわしだ。
 俺が朴念仁なせいで、俺の知らないところで面倒なことが起こっていたのだろうか。ひょっとしたら、俺はまた知らず知らずのうちに長門に迷惑をかけていたのか?
 こんなに朝早くから並んで買った本だ、早く帰って読みたいはずだ。なのにわざわざ俺にそんな提案をするなんて、さすがの長門も俺の行動には目に余るものがあったのだろう。自覚がないだけに申し訳なさをひしひしと感じる。
 長門から積極的に何かを提案してくるなんてことも滅多に無い。ここは素直に頷いておくのが男というものだろう。
「ああ、それじゃあよろしく頼む。頑張ろうな、長門」
「……よろしく」
 長門はようやく顔をあげて俺を見つめた後、小さく頷いた。

 

 店を出る時、それなら今日は俺が奢ると言ったのだが、「これはこれ」と長門が俺を押し退けて代金を支払った。
 自慢じゃないが俺はまともなデートなんぞしたことがない。だが恋愛的シチュエーションにおける行動ということなので、とりあえず出てきた長門の荷物を持ってやろうとした。
 ところが長門はゆっくりと首を振り、
「いい。あなたも荷物を持っている」
 そう言って、駅前のロッカーに行くことを提示してきた。適当なロッカーにいらない荷物を詰め込む。俺が用意した椅子やブランケットが入ったバックに、長門が買い求めた本が入った小さな紙袋。
「確かに出歩くなら荷物は軽い方がいいな」
 コインを入れてパタリとロッカーの扉を閉じ、鍵を回す。コインがどこかに落ちる音を聞きながら、俺は素直に長門に感心していたのだが、長門はまた小さく首を振り、
「そうではない」
 とだけ述べ、そこで少しだけ間をおいた。
 そして空になった右手をわずかに体から離し、また元に戻してから、
「両手がふさがった状態では手が繋げない」
 そう続けた。
 ……そうか、デートだから手を繋ぐのか。
 そんなことは頭の片隅にもなかった俺はやはり朴念仁なのかもしれないな。
 そんな俺の敗北心全開な心中を知ってか知らずか、
「……今後の参考にすればよい」
 長門はそう言ってくるりと振り向き、スタスタと歩き始めた。

 

 一瞬、ほっとした自分がいたことは正直に認める。
 でも、こうしたところが朴念仁と言われる所以なのだろう。それに、女の子にここまで言わせておいて、何もしないと言うのも男がすたるってもんだ。
 俺は早足で長門に追いつき、長門の右側に並んだ。
 さりげなく、横を歩く長門との距離を縮めていく。
 手の甲が触れあっては離れ、触れ合ってはまた離れる。
 恥ずかしくて長門の方を見れず、俺の視線は明後日の方向を向いている。長門がどんな顔をしているのか気になるが、今はそんな余裕はなかった。
 何度も逡巡を繰り返す俺だったが、
 ええい、ままよ。
 思い切ってその小さな手を自分の手で包み込む。
「……これでいいか?」
 という問いに、長門はその細くて華奢な指を俺の指に絡ませ、
「問題ない」
 と小さな声で答えた。

 

 女の子と手をつないで歩くという行為には少しコツがいる。
 歩幅も、歩く速さも違う相手と一緒に歩くのだから、どちらかが相手に合わせなくてはいけない。
 まぁ、たいていの場合は男の方が女に合わせて歩くのだろう。たまにはこうやって街の景色をゆっくり眺めながら歩くのもいいものだ。
「次は洋服でも選びに行くか?」
 隣の長門に問いかける。ありきたりではあるが、無難な選択ではあるだろう。
 長門は視線を俺に向けた後、こくりと頷いて、
「それは良い選択。しかし相手にもよる。わたしには必要ない」
 と答えた。
「いや、お前にこそ必要だろう。仮にもデートに制服ってのはないんじゃないか?」
 別に長門の制服姿が嫌いという訳ではないし、むしろ見ていて安心するくらいなのだが、片方が私服で片方が制服というのはお世辞にもデートらしいとは言えないだろう。
「これは学生の標準服。健全な高校生活において着用が推奨されているものであって」
「いいから来なさい」
 なかなかうんと言わない長門に痺れを切らした俺は、延々とごねつづける長門を引きずるようにして近くの洋服屋に連れていった。
 女物の服は良くわからないので、暇そうにしていた店員に声をかけていくつか見繕ってもらう。
 その中で気に入った組み合わせがあったので、しきりにいらないと反論する長門を無視し、その服ごと更衣室に押し込んだ。
「いいから着なさい」
 先ほどまで一方的に長門に握られていた主導権を取り戻したからか、それとも当の長門が嫌がっているせいか、はたまた自分が選んだ服を着て出てくる長門を見るのが楽しみなのか、気持ちは上向きでむしろドキドキしている感じだった。 
 しばらくした後、静かに更衣室のカーテンが開く。
「……おぉ……」
 別人に見えた、などという安直な比喩を使ってしまうほど、それは新鮮だった。
 チュニックとかいう西洋の鎧のような名前の淡いピンクのワンピースに、裾が広がってふわっとしたエンジ色のスカート。その上に羽織られた、白くてもこもこした生地のカーディガンがまた良く似合っている。
 女は化粧で変わるとかいうが、着てる服が違うだけでもずいぶん変わるものだな。
 言葉も無くして立ち尽くす俺の様子を長門はどのように受け取ったのか、
「着たから脱ぐ」
 とだけ告げて、あっと言う間にカーテンを閉じた。
「いや待て長門」
 慌ててカーテンを開けて、長門の手を掴む。
 いつもとは違う長門だからだろうか。俺は照れもせずに、素直に言葉が出ていた。
「無茶苦茶似合ってるぞ。今日一日、それを着ていてくれないか?」
 デート相手のお願いだ。聞いてくれたっていいだろう?
「……」
 長門は無言のままいつもの無表情を崩さない。
 だがその真っ黒な瞳の揺らぎから察するに、全くの無感情というわけではないようだった。

 

 店員さんを呼んで、更衣室内で値札を取ってもらう。若者向けの店だからか値段はそれほどでもなかったし、着るのを無理強いしたようなものだから洋服代は俺が払うつもりでいたのだが、更衣室内にて長門は既に支払いを終えていたようで、レジの前についた俺は、長門が着ていた制服が入った袋を受け取るだけだった。
「俺が着て欲しいといったのだから、払ってもいいんだぞ?」
「これはわたしの所有物になるもの。あなたが支払いを気にすることはない」
 確かに理には適っているが、デートとしてはそれでいいのか?
「デートだからといって、一方に負担を強いるのは良くない」
 その方が俺は助かるが、世の中の女がみんなそう思ってくれるとは限らないんじゃないか?
 ひたすらに眩しい笑みを浮かべ、当然のごとく奢りを強要してくる誰かさんが脳裏に浮かぶ。
「大切なのは、相手に何かをしてあげたいという気持ち。それは、相手に何かしてもらいたいという気持ちと常に表裏一体」
 確かにそうだろう。自分から何かをするという行為は相手に好きになってもらうためのものだろうからな。無償の行為…というものはなかなか難しい。
「そして、何かをして欲しいから何かをするという行為は、相手に負担をかけることもある」
 無理に奢ったりして、重荷に感じられることだってあるだろうな。
「相手に負担をかけない程度に、何かをしてあげたいと言う気持ちを伝えることが理想」
 簡単に言うが、実はそれって凄く難しいと思うぞ、長門。
 長門は考えるようにゆっくりと瞬きをし、
「難しい。気持ちを伝える事自体、上手くいかない場合も多い」
 そう呟いた。まるで自分自身のことのように。
 人一倍不器用なこいつだからこそわかるのかもしれない。初めて感謝の気持ちを伝えてくれたあの冬の日まで、こいつの気持ちなんて知る由もなかったからな。
 俺だってそうだ、ハルヒにも朝比奈さんにも古泉にも、それぞれ色々と思うことはある。もちろん長門にもだ。だけど、それをうまく伝えられているかというと、そうとは言えないだろうな。
「成熟しきってない俺にはまだ無理かもしれないな」
 俺がそう言うと、長門はじっと俺を見上げ、
「大丈夫」
 ハッキリと言い切った。
「わたしには十分伝わっている」
 それは、俺が服を選んだことだけで十分だってことなのか?
 よく分からないが、ちゃんと伝わっていると言われると素直に嬉しくなる。
「そうか、ありがとうな」
 長門の頭を帽子越しにわしわしと撫でてやる。抵抗は無かった。
 気持ちを伝えられない、か。俺はこいつにどんな気持ちを伝えたいんだろうな。
 やはり上手く言葉に出来ない。だけどまぁ、そう焦らなくてもいいか。まだ時間はたっぷりある。
「っとすまん、帽子がずれちまったな」
 長門は「問題ない」と言って、帽子をかぶりなおした。

 

 午前11時。
 お昼時というにはやや早い時間だが、家を出る前に軽くパンをかじった後は何も口にしていないだけあって、流石に腹が減ってきた。恐らく長門もそうだろう。
「何か食べたいものあるか?」
「あなたに任せる」
「よし、じゃあ長門にぴったりの店があるぞ」
 一度離した手を繋ぐという行為は、とても勇気がいる行為だということを認識しつつ、俺はさも当然といった風に手を握り、長門を先導した。
 痩せの大食いとはよく言ったものだが、小さな体の割に沢山食う長門におあつらえむきの店があるのだ。
「店構えはちょっとアレだが、味は保証済みだ。しかも休日ランチタイムは食べ放題。どうだ!」
 俺が指差す先にあるのは、見るからに客が入りそうにない汚い店構えに、とりあえず名前に龍を入れてみましたという特徴もない名前の店。
 だが、味はすこぶる旨い。昼時は学生やサラリーマンであふれてしまうほどなのだが、まだ時間が早い為か今は空いているようであった。
「……食べ放題」
 心なしか目を輝かせて店を見つめていた長門だったが、その場を動こうとはしなかった。
「ひょっとして、デートらしくないとか思っているのか?」
 長門はじっと俺の事を見ると、
「男女の食事の場としてはあまり好ましくないと思われる。一般的な女性は見栄えを気にするし、食べ放題を好まない場合もある」
 ごもっともな意見だ。この店を提示しただけで怒って帰る女性もいるかもしれない。
「まぁ、俺もそうは思う。でも長門はこの店は嫌か?」
 長門はゆっくりと首を振った。
「じゃあいいじゃないか」
「しかしそれでは恋愛的シチュエーションにおける行動の練習にならない」
 自分を納得させるかのように呟く長門。
「今日、俺は誰とデートしてるんだ?」
「……それは、わたし」
「決まりだな」
 それでもなんだか渋っている様子の長門の肩を押して、店ののれんをくぐる。
 みかけはオンボロだが、古いながらも丁寧に磨かれた床や机が好印象な店内に入る。古い中華店にありがちな、床の滑りだとかの油っぽさが見られないのが素晴らしい。
 親父に二人分を告げ、千円札を二枚を渡すと四百円の釣りと大きな皿が二枚渡された。
「ここは休日昼は食べ放題しかやってないんだ。この皿に盛れるだけ好きに取ってきていいぞ」
 皿を一枚長門に渡しながら言う。
 店のカウンターに、エビチリやらザーサイやら肉団子やらが山盛りになっていて、如何にも中華料理という存在感を訴える。
「あそこにある釜のところで、ご飯とスープもおかわり自由だ」
 その言葉に「了解した」とだけ返した長門であったが、その目は明らかに輝いている。今にも走りだしそうな雰囲気だ。
「もう取りに行って大丈夫だぞ。ただ、店を潰さない程度にしておいてくれよ」
 コクリと頷くやいなや、エビチリに吸い寄せられるかのように長門はカウンターへ歩いていった。

 

 さて、食いすぎるなと言ったのはいいものの、長門の気持ちいいまでの食べっぷりに、いつの間にか俺も張り合う用にして食べてしまっていた。
 どれもいつも通り旨いんだが、何故だかいつもより旨い気がする。
 きっと、この店に来る度に長門を連れて来たいと思っていて、その長門がしゃべる暇も惜しむ程に夢中で頬張っている姿を見ながら食べているからだろう。
 そんなことを考えているうちに、長門も一段落したようだった。
 今は紙ナプキンで口元を拭いている長門に、
「どうだ、美味かったか」
 と聞いてみる。そんなことはおかわりの回数で解る気もしたが、それでもなんとなく聞いてみる。
 長門は力強く頷いた。
「夏休みに孤島の別荘に行った時、お前ずっとエビばっかり黙々と食べてただろ? だからエビが好きなのかと思ってな。だから、ここにくる度にお前を連れてきてやりたいと思ってたんだ」
 長門は何故か少しだけ驚いたような顔をした後、「また来たい」と呟いた。
「おう、店は覚えただろう。いつでも行けばいい。ただ、店に遠慮はしてやれよ?」
「……」
 返ってきた無言とともに、長門の表情が一気に険しくなってしまった(もっとも、眉が若干吊りあがった程度の変化でしかないのだが)。 
 そうか、今のは減点だったな。
「いつでも連れていってやる、だな」
「……そう。それが正解」
 長門の顔が和らぐ。やはりその方がずっと親しみやすいぞ、長門よ。
「そういえば練習中なんだったな」
 俺は頭をぽりぽりとかく。なんかこう、ただ長門とまったりしているだけの気がしていたよ。
「忘れないこと」
「へいへい」
「それと、昼食代の代金を」
 鞄から財布を出そうとする長門を、今度こそ制する。
「このくらいはいいだろ、長門。モーニングおごってもらったし、今度は俺の番だ」
「あれは朝並んでもらったことへのお礼の一部。あなたばかりに負担をかけたくない」
 やはり渋る長門。つい先程もそうだったが、やはりこのあたりのバランスが難しいのだと実感させられる。
 相手に負担にならないくらいに、何かをしてあげたいと言う気持ちを伝える…か。
「じゃあ、次のどが乾いた時にジュースでもおごってくれ。それじゃ、混んできたからさっさと出るぞ」
 外に順番待ちの列が出来ていた。狭い上に人気の店だからな。他のメンバーを連れて来にくい理由がこれだ。基本が二人席で、四人席も奥に二つあるだけという驚きの狭さなのだ。
 足下に置いておいた長門の制服が入った紙袋を右手、まだ渋る長門の手を左手で掴んで店を出る。
 だんだんと手の繋ぎ方もうまくなってきた気がする。なんだかんだいって、こういうのもいいもんだな。

 

「また一緒に来たい」
 ん、何か言ったか長門?
「なにも」

 

「やっぱこの店は美味いよなぁ。あんまりデート向けじゃないけどな」
 次の場所をどうしようかと考えつつ、ぶらぶらと歩きながら俺が呟く。
「何度目かのデートであれば、問題ないと思われる」
 長門がこくこくと力強く頷いた。よほど気に入ったらしいな。連れてきた甲斐があったってもんだ。
 さて、午後の部はどうするか。近場で済ませることのできるデートの定番っていうと俺には映画館くらいしか思いつかない。
 しかし、長門がそういったものに興味が無かったら困るしな。とりあえず希望を聞いてみるか。
「長門よ、デートスポットとして行きたい場所ってあるか?」
「図書館」
 即答された。悪くないとは思うがデートスポットとしてはどうなんだそれ。
「……しかし恋愛的シミュレーションにはならない」
 と続ける長門。
 さっきも言ったが、あくまでデート相手は長門である。長門が行きたいところに行くというのが最良の選択だろう。
 だとしたら、別に図書館デートでも何の問題もない。だが、長門は有機生命体の恋愛に興味があると言った。こいつに人間がするようなデートを体験させてやらないと、相互協力にはならないのではないだろうか。
「長門よ、俺たちが作ったやつ以外の映画って見たことあるか?」
「ない」
 またも即答。
「自慢する訳じゃないが、俺も異性と映画に見に行ったことは無い。ならば映画鑑賞は俺の恋愛的シチュエーションの行動練習にも、お前が興味を示す有機生命体の恋愛体験にもなる素晴らしい案だと思うのだがどうだろうか」
「わたしも賛同する」
 長門はそう答えたが、心なしか声に張りが無く、視線も俯きがちだった。
 やはり本当は図書館に行きたいらしい。
「わかった。じゃあこうしないか? 明日――」

 

 俺の提案を長門はあっさりと飲んでくれた。
 まぁ、実際に動くのは長門なのだが、それは仕方ないだろう。
「映画って言っても色々あるからな。どういうのを見たい?」
「恐怖映画を見ての密着や、悲しい場面で涙を拭ってあげる場面は小説でよく見る」
「お前は恐怖映画を見て怖がったり、悲しい映画で泣いたりするのか」
 正直想像がつきません、長門さん。
「しない」
 言った後で失礼かと思ったが、予想通りの即答をされたので、ちょっと安心する。
 すると言われても俺の理解を越えてしまうので困るが。
「まぁ、いつかは見てみたいとは思うけどな」
 手を繋いで歩くという雰囲気のせいもあってか、ついうっかり心の声が漏れてしまった。
 長門は「そう」と小さく返答しただけだったが、それはそれで助かったような、残念なような気がしたのは、何でだろうね。

 

 結局、一番デートらしいであろう、恋愛ものの映画を見ることになった。どうも展開が簡単に予想出来そうな映画ではあるが仕方ない。
 携帯で調べると、次の上映は夕方頃からということで、俺たちはそれまでしばらく街をぶらついて時間を潰すことにした。
 CDショップで音楽の試聴をしたり、朝並んだ本屋で二人で立ち読みしたりと、まぁ普通に遊んでいただけだな。
 ふらりと立ち寄ったゲームセンターで長門にいいところを見せようとしてUFOキャッチャーに貯金もしてきた。結局、見かねた長門がたったの100円で取ってしまって面子は丸つぶれだったわけだが。
 空腹を主張する長門の腹を満たす為、喫茶店にも行った。さすがにラブラブドリンクとかいうバカップル御用達メニューは頼まなかったが、うっかり俺が頼んだチョコパフェを、長門がじっと見つめ続けるので、食べさせたりすることはしたりした。
 どうやってだって?
 それは、禁則事項ということにしておいてくれ。少なくとも俺には、ラブラブドリンク並みの恥ずかしさだった。
 まぁとにかく、長門が心から楽しんでいてくれればいい。いつの間にか俺はそんなことを願っていた。

 

「なんだかんだであっという間だったな」
 映画館に着いたのは、そろそろ夕焼け時に差し掛かろうという頃だった。
 フロントにて、高校生2枚で隣り合った座席を頼む。公開されてしばらく経つ映画なだけあってそんなに混んでいなかったため、割と良い席が取れた。初めはここも奢ろうと思っていたが、また長門に変な気を使わせたくもないので素直に割り勘で支払った。
 まだ上映まで少し時間があったので、長門には待合室で座って待ってもらい、俺は売店で食べ物を調達してくることにした。
 長門と二人で食べても大丈夫なように特大のポップコーンと、LLサイズの飲み物二つを買って、待合室に戻ってみると何やら様子が違っていた。
 静かな空間に響き渡る、ざわざわと人が戸惑っているような声。ポップコーンを適当な椅子の上に置いて慌てて近寄ると、見知らぬ男が長門に懸命に話しかけているのが見えた。
「なぁ、君一人なの? 奢るからさ、俺と映画見ない?」
 あろうことか、いかにもナンパそうな細男が、長門を口説いていた。大学生とかだろうか。
 くそ、一人にしたのはまずかったか。見た目おとなしそうな長門はナンパの格好の的じゃないか。
 長門は「見ない」と繰り返すだけで、男の顔を見ようともしていなかった。そのつれない態度に、男のイライラが募っているのが目に見えてわかった。こりゃやばいかも知れない。
「長門!」
 駆け寄った俺が長門の名前を呼んだのと、
「いいから俺に付き合えよ!」
 男が声を荒げて長門の手を掴んで立たせたのはほぼ同時だった。
「なんだよお前」
 男が物凄い顔で俺を睨む。恥も外聞もなく言えば、すごく怖い。しかしすぐ傍に長門が居てくれるということで、俺も強気に出られた。
 男として、守るべき女の子に守られているというのは正直情けないのだが、背に腹は変えられない。
「何? 俺はこの子に用事あるんだけど?」
「長門はお前に用事なんかねえよ。人の女に突っかかるな」
 未だ長門の手を掴んだままのそいつの手を払い、長門を背後に隠す。
 男はまた凄い顔をして俺に掴みかかろうとしたが、遠くから警備員らしきおじさんがやってきた事とギャラリーが集まってきたこともあってか、舌打ちをしてそそくさと去っていった。
 それと時を同じくして、次に上映される映画の入場開始のアナウンスが流れた。
 最初からそれが合図だったかのように、おろおろと見守っていたギャラリーも引けていった。

 

「長門、すまん。俺がぶらぶらしてたばっかりに」
 もう間もなく映画が始まるだろうが今はそんなことどうでもいい。
 椅子に置いておいたポップコーンを取って来たのち、長門の横の席に俺も腰掛ける。
「問題ない」
 本当に何が問題だったのかわかっていないような顔で、少し首を傾げて俺を見る長門。その腕を見ると、赤い跡が残っているのが見えた。そんなに強く握られていたのか。
 あんな野郎に触られたかと思うと、ものすごく腹が立つ。傍にいてやらなかった自分にもだ。だから、気づいたらその小さな手を両手で包み込んでいた。
「ごめんな…」
 長門はキョトンとした顔で、
「別にいい。あの男性の自費での映画鑑賞に誘われていただけ」
 とかぼんやり答える。って、自分が何をされていたのか本当にわかってないのか。恋愛小説で勉強したんじゃなかったのか。
「あのな。あれはナンパだぞ」
「ナンパとは女性をデートに誘う行為」
「俺たちはここに何に来てるんだ。まさしく映画鑑賞という名のデートじゃねえか。俺を朴念仁扱いする前にだな、ああいう馬鹿が寄ってくるくらいに自分が可愛いってことくらい自覚しとけ」
 感情が高ぶるままに放ってしまった、盛大に恥ずかしい俺の言葉。
 長門は何一つ変わらない表情で少しばかり首をかしげた後、何かをひらめいた表情をして、
「こわかった、あなたがきてくれてよかった」
 と棒読みで言って、まるで子犬の様な無垢な目で俺を見つめたのだった。

 

 やや遅れてシアター内に入場したが、まだ映画は始まっていなかった。
 座席は中央後方という好位置で、周りに座っている人もいない。デートには最適と言っていい環境だろう。
 それにしても、先ほどの長門の台詞には驚かされた。普段の長門からは想像も出来ないし、似合いもしない言葉。
 ふと、昼過ぎ頃の会話を思い出す。確か俺は、長門が怖がったり泣いたりするところをいつかは見たいと言って、こいつは「そう」と答えた筈だった。

 

 ――全く、どこまでわかってるんだかわかってないんだか。
 どうせなら、もうちょっと表情と感情を入れてくれると雰囲気が出ていいんだけどな。
 俺はやれやれと苦笑した後、右手をそっと長門の背中に回すと、その小さな肩を抱いて引き寄せた。周りに人がいないのが幸いだな。
「もう離れないからな」
 日常降り懸かる災難の全てを簡単にあしらえそうだし、実際やってのけるであろう長門有希。そんなこいつに、俺にでもしてやれることがあるのだろうか。
 嫌がりもせずに俺にもたれ掛かって瞳を閉じているこの万能宇宙人を、守ることが出来るのだろうか。
 俺はそんな事を考え、でも口にしたのは軽口だった。
「しかし、こうしてると本当にカップルみたいだな」
 長門は少しだけ首を傾げる。長門が身じろぐ感覚に少しだけ意識が飛びそうになる。
 体の位置をずらして俺の目線をようやく捕らえた長門は、自分のことを指差して、珍しく疑問系で言った。
「あなたの、女?」
 ……さっきのナンパ野郎に言い放った言葉を思い出して、恥ずかしさで死にそうになる。
「さっきのは、言葉のあやというか、あの場合立場を示しておいた方が効果的というか……」
 しどろもどろな俺を、長門は傷一つないガラス球のような目で見つめてくる。
 その目を見ていると何故だかわからないが罪悪感を感じてしまう。
 なんとか搾り出した「……今日一日はな」という言葉に、長門はこくりと頷いた。

 

 予想通り、映画は典型的な恋愛ものであった。
 愛し合う男女に立ちはだかる様々な障害。それを乗り越えて愛は更に深まっていく。そんなありきたりなストーリー。
 正直言って、一人で見たらちっとも面白くないような映画だ。長門が面白いと思っているかどうかも不安だ。
 だけど、隣に長門がいて、こいつとデートをしているという、たったそれだけでこの映画がとても素晴らしいものに感じられた。俺もこの映画の二人みたいに長門と…なんてことを考えてしまったくらいだ。今日はあくまで恋愛体験であって、長門にそんな気はさらさらないだろうに。これが雰囲気に酔うってやつなのだろうか。
 さすがに肩を抱き続けることは出来なかったが、上映の間俺たちはずっと肩を寄せ合っていたし、俺は長門の小さな手をぎゅっと握りしめていた。
 ついさっきあんなことがあったからかもしれない。この映画のせいかもしれない。
 俺は長門を離したくなかった。

 

 映画館から出ると、既に外は真っ暗だった。まだまだ日が落ちるのは早く、暖かいところで温かいやつとくっついていたものだから、余計に寒さを感じる気がした。
「そういえば、そろそろ夕飯時だがどうする? どこかで食べてくか?」
 俺の言葉に長門は小さく首を振って、
「昨日購入した弁当が残っているので大丈夫」
 と答えた。
「そうか、じゃあマンションまで送るよ」

 

 密着していた状態から、手を繋いだだけの状態へ。
 そして、ロッカーから荷物を出した後は、必然的に両手が塞がれるので、もっと距離が離れる。
 今日一日の基本状態だった手を繋いでいるという状態。それがここでようやく解放されたわけだ。
 ……最初はあんなに恥ずかしかったのに、今は何故、こんなに物足りないのだろう。
 今までと同じ距離に戻っただけなのに、その距離が酷く冷たく感じる。
 朝と同じくらいに冷たい風に、心まで冷やされてしまう気がした。

 

 朝と比べると随分増えた荷物は自転車の前かごにはとても収まらなかったが、長門が宇宙的パワーで大きくしてくれた。これだけでかい自転車の前かごはなかなか見ないぞ。少しみっともないが、まぁ夜だし問題ないだろう。
 長門先生の指示通り、本が傷まないようになんとか詰め終えたとき、
「これ」
 そう言って、長門がコートのポケットから取り出したものを突きつけた。俺が貸した手袋だった。
「いいよ、マンションまでお前に貸しとくよ」
 俺は押し返したが、頑として長門は首を縦に振らなかったので、ありがたく受け取っておく。正直言って手袋の有無は、冬の自転車には死活問題だからな。
「これも」
 後部座席に長門を乗せたところで、今度はマフラーを俺の首に巻いてきた。
「それじゃ、お前が寒いだろ」
 振り向いて後ろを見ると、長門は「これがあるからいい」とでもいいたげに俺が貸したままの帽子を指差した。
「それだけじゃ寒いぞ」
 マフラーを外そうとする俺を長門が無言で制する。
 それなりに長い付き合いだ。こういうときの長門は頑として譲らないことを俺は知っている。
 ここで譲りあいっこをしていても仕方ないし、ありがたく受け取ろうかと考え始めた頃、脳裏に一つの名案が浮かび上がった。
「これなら寒くないだろ」
 そっと長門の左手を取って、コートの右ポケットに突っ込む。
 それは、長門の寒さを和らげるための思いやりでもあり、さっきから感じていた物足りなさを解消したいという俺のわがままでもあった。
 恥ずかしくて長門の顔は見れなかったが、
「……寒くない」
 後から聞こえた声はなんだか暖かかった。

 

 街灯がほんの少し先の未来を仄かに照らす夜の街並みをゆっくりと走る。
 密着した背中のぬくもりと、異なるテンポで刻まれるお互いの鼓動を感じながら、俺は普段なら決して思わないようなことを考えていた。

 

 冬が寒くてよかった。

 

 長門のマンションに着く。
 朝、ここから出かけた時よりも断然短く感じたのは何故だろう。
 家を出てから十二時間以上も経っているのに、長かったようであっと言う間だったこともだ。
 そして何よりも、この時間がもうすぐ終わりを告げることを名残惜しく思っている俺がいることに、俺自身が戸惑っていた。
「ええと、読書もいいけど明日も早いんだから徹夜とかするなよ?」
 長門が降りたのを見て、俺も自転車から降りる。
 冬の夜は、すっかり深い闇が空の天幕を覆っている。星がやけに煌びやかだ。
 長門の唇の隙間から洩れる白い吐息がどことなく寂しさを誘う。
「この場で了承することは容易いが、それを実行できるとは限らないし、また保証も出来ない」
「……正直でいいと言うべきか?」
 苦笑いして、長門の頭を帽子越しにぽんぽんと叩く。
「ほどほどにな?」
 こくりと頷く長門。
 誰よりも深い知識量を誇るくせに、年齢相応かそれ以下の子どもっぽさがあるんだよな、こいつは。
 そういうところがまた可愛いんだが。これがギャップ萌えってやつなのかもな。
「それじゃ、また明日、だな。荷物取ったらカゴを元に戻してくれ」
 名残惜しくてしょうがないが、物事には終わりはつきものだ。
 楽しい時間こそ早く過ぎるというとはよく言ったもので、終わってしまえばあっという間の一日だったな。
 こっそりと溜息を吐きながら、荷物を取ろうとして自転車の方を向くと、背中からやんわりとした抵抗を感じた。
 振り向くと、長門がコートをつまんでいた。
 どこかで見覚えのある光景。
「なんだ?」
「……」
 長門は口を少し開いたかと思うと、躊躇うかのように俯いて黙った。
「どうした?」
 再度促すように聞くと、顔をあげて、帽子に手を当てた。
「借りたままだった」
 そういえばそうだったな。良く似合ってたし、一日中かぶってたから貸しているという意識がすっかりなくなっていたな。
「その帽子暖かいだろ。気に入ったならやるぞ」
 ぽすぽすと帽子ごしに頭を軽く叩きながら言うと、長門は俺を見上げた後、また視線を俯かせて、なんだか名残惜しそうにそっと帽子に手をあてた。
 これならそう高いものでもないし、長門も気に入っているようだし、負担をかけないくらいの思いやりだとかに合致するんじゃないか。
 しかし長門は帽子をぬぎ、
「……わたしには暖かさは必要ない」
 そう言って俺に押しつけ、自転車の前カゴの前へと向かった。
「帰宅準備を」
「長門」
 カゴから荷物を取り出そうとする長門の手を取り、こっちを向かせる。

 
 

 今日のこのデートまがいの申し出。
 長門が恋愛小説を読んで何を感じたのかはわからないが、読むだけでなく実際に経験してみたくなったということは確かなんだろう。
 その相手が俺というのも、まぁ他に手頃な相手がいなかったと考えれば説明がつく。
 だけどな長門、それにしては今日一日のお前の行動は不自然なんだ。

 

 その象徴が帽子だ。
 長門に暖かさが必要ないというのなら、早々に脱いでいてもおかしくはない。
 服を買って着替えた時でも、飯を食ったときでも、映画館の中でも、脱ぐ機会はいくらでもあったはずだ。
 それなのに未だに被ってるということは。

 

 長門は俺を朴念仁と言った。
 確かにそうなのだろう。長門に指摘されるまでもなく、そんなもん自覚していたさ。
 だけどな、その朴念仁たる俺にでもわかるぞ。

 

 お前の本当の望みは、恋愛練習だとか小説の真似事なんかじゃなくて、今日一日を俺と一緒に過ごすことだったんじゃないのか?

 

「あなたを恋に落とすことも出来るかもしれない」
 長門はそう言った。
 お前の冗談は解りにくい。
 だが、お前の嘘はとても解りやすいんだ。

 

「気持ちを伝えるのは難しい」
 長門はそうも言った。
 ああ、そうだろう。確かに難しいさ。
 俺の目の前で俯いている、不器用な宇宙人の存在がそれを証明している。

 

 だけど、大丈夫だ。
 お前の気持ちはちゃんと俺に伝わっている。

 

 それにな、長門。

 

 暖かさは誰にでも必要なんだ。

 
 

「いいから貰っとけ」
 帽子をぬいだばかりで乱れた髪を、手で撫でて整えてやる。
「そういえば、まだやり残したことがあったな」
 それは、恋愛的シチュエーションにおける行動の練習に他ならず。
 長門が興味を持った有機生命体の恋愛においては必須なもので。
 そして何より、俺自身の望みでもあった。
「長門」
 帽子をかぶせてやりながら長門に問いかける。
「こういうシチュエーションでキスというのは間違っているか?」
 ほんの一瞬だけ、長門の目が驚いたようにわずかに見開かれる。そして、躊躇いがちに口を開き、
「……それぞれが同意しているのなら、最適だと思われる」
「そうか。俺は問題ないんだが長門はどうだ」
 帽子に添えた手を、そのまま下ろして両頬を柔らかく包む。
 長門の口から立ち上っていた白い息が止まる。少しの沈黙の後、
「推奨は出来ない」
 と、小さく答えた。
 視線を逸らすように伏せられた目。
「それは、推奨はしないけど、問題ないって言ったと受け取るぞ」
 俺は回答を待たずに、両手で俯いたままの長門の顔を上げさせる。
 長門なら、いや、長門でなくても、嫌なら抵抗の意思を示すはずだ。

 

 次の瞬間、長門の瞳がそっと瞑られた。
 いかにも長門らしい、無言のサイン。その小さな唇は僅かに震えていた。
 俺は吸い寄せられるかのように、自分の唇をかさねた。
 少しだけひんやりとした体温が唇越しに伝わる。
 元々一つだったのに二つに分かれていたものが、今また一つになったような、そんな不思議な感覚。
 全身が心臓になったように脈打つ中、俺達はしばらくただそうしていた。

 

 それからのことはよく覚えていない。
 あまりの恥ずかしさに逃げるようにその場を立ち去って、放心状態のままふらふらと家まで辿りついたような気がする。
 だが、別れ際に長門が言った言葉だけはしっかりと耳に残っている。
 それは、風に飛ばされて消えてしまうほど儚く小さな囁きだったけれど、確かにこう聞こえた。

 

「恋に落ちたのはわたしかもしれない」

 
 

 昨日は良く眠れなかった。
 見知った女子とあんなことをやっといて、その夜にぐっすり眠れる高校生がいたら今すぐ名乗り出ろ。空中キョンチョップ(命名、俺)を食らわしてやる。
 結局、俺は日曜日の待ち合わせにもダントツで遅刻し、今こうして全員におごらされている最中だった。
 喫茶店の程良い暖かさと優しい音楽に、ペルシア軍を打ち破るべくガウガメラに集結したマケドニア軍もかくやの勢いで眠気が襲いかかる。せめてもの抵抗としてあくび砲を放ったものの、ハルヒサンドロス大王に「遅刻しといてあくびだなんて、良い根性ね」と軽く打ち返された。
 その俺の右隣で、長門が珍しくぼうっとしている。
 ティースプーンで紅茶を混ぜている姿勢のまま、固まっているのだった。
「なんだか有希も、今日はすごく眠そうね」
「……本、読んでたから」
「本もいいけど、ほどほどにね」
 扱いが違うんじゃないでしょうか、ハルヒさん。
 それに長門よ、なんだか今の台詞は嘘っぽく聞こえたぞ。
 そして更に俺の左隣でも小さなあくびが一つ。
「古泉、お前も眠そうだな」
「ええおかげさまで。昨日は久々の閉鎖空間ツアーでしたから」
 小声で俺に寄り添うようにして語る古泉。ええい近寄るな、離れろ。
「ですが、面白いことに破壊活動は起こさなかったのですよ。それどころか神人同士で喧嘩を始めましてね。離れる訳にもいかず、僕たちはずっとそれを見守ってました」
 よく分からんがお疲れだったな。少しは悪かったと思ってやるから、ここの奢りだけで我慢しろ。
「なぁに? みんなして寝不足? みくるちゃんは大丈夫でしょうね」
 溜息を付くハルヒに、うとうとしていた朝比奈さんははっとした顔をしてから、ぶんぶんと首を振った。
「す、すみません……。通信販売のテレビがなかなか終わらなくって……」
 ああ、深夜ってやたらとその手の番組やってますしね。というか朝比奈さんってそんなに通販好きでしたっけ?
「なによもう。昨日休みにしたからって、みんなたるみすぎよ!」
 ハルヒは両手をあげて首を振ると、その手を額に当てて悲しんでいるというジェスチャーを大げさにしてみせた。それこそ通信販売の外人タレントのようだ。
「それでキョン、昨日はちゃんと不思議を見つけてきたんでしょうね」
 なかなか自白しようとしない被疑者を見る検察官のような目で俺を睨むハルヒ。……そういえばそんな事を金曜日に言われた気がしないでもないな。
 不思議なこと、か。
「まぁ、普通じゃないことはあったな」
 隣で未だにスプーンを持ったまま微動だにしない長門を横目で見る。
「何よ、道端で出会った宇宙人と遊んだりでもしたっていうの?」
 なんだ、案外いいところを突くじゃないかハルヒ。結構惜しいぞそれ。
 俺は少し考えてから、
「第四種接近遭遇」
 と答えた。
「はぁぁぁ?!」
 ハルヒが盛大に呆れた声をあげる。
 そいつは空飛ぶ円盤に乗ってはいないし、別に誘拐されたわけでもないが、宇宙人にデートと言う名目で拘束されていたのだから、あながち外れてもいないだろう。色々と奪われたものもあるしな。

 

 喫茶店を出て、いつも通り二手に分かれて不思議探索。
 もうおわかりかもしれないが、今日の組み合わせは出来レースだ。
 俺と長門が同じ色が塗られた爪楊枝を手にするという結果は、昨日のうちに決まっていた。
 インチキはなるべくしたくないところだが、約束を果たすためだ。今日くらいは許してくれたっていいだろう?
 向かう先はもちろん決まっている。そこに不思議があるかどうかはわからんがな。

 

「また二人だな」
「……」
「昨日は本、読めなかったんだろ?」
「……」
「じゃあ、行くか」
「……そう」

 

 太陽の光が0秒後の未来を明るく照らす昼の街並みを、俺に左手の温もりと笑顔をくれた宇宙人と一緒に歩く。
 願わくば、次は俺がこいつに笑顔をプレゼントしたいものだ、と思いながら。

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:01:39 (1921d)