作品

概要

作者子持ちししゃも
作品名猫のいた日
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2010-01-28 (木) 06:47:14

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹登場
ハルヒ登場
みくる登場
古泉一樹登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口不登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

 朝から冷え込んでいたと思っていたら、雨が降ってきやがった。思わず悪態の一つもつきたくなるが、そんな気力も口から立ち上る息と同じように、湯気を立てて霧散していくような、そんな冬の日のことだった。
 半ばオートマティック的に、今日も俺は気づいたら部室に向かっていた。そんな自分の従順さとこんな日常に慣れてしまったことにもはや驚きすら感じない。
 なにせ、既に俺は朝比奈さんからの一杯の潤いと、いっぱいの微笑みを頂戴する為に学校に来ているといっても過言ではないのだ。
 特にこんな寒い日は、一刻も早くあやかりたいものだね。

 

 コンコンと軽いノック。紳士のたしなみってやつだ。うっかり朝比奈さんの着替え中にドアを開き、無駄に俺への心証を悪くしたくないからな。
 可愛らしい返事を期待しながら、ぼんやりと古びた文芸部室のドアを眺めていると、そっと扉が開き朝比奈さんが顔を覗かせた。
 そして俺の顔を見ると安堵したのかほっと息を一息付き、今度はキョロキョロと左右を見渡した後、俺の手首をつかんで中へと引き入れた。
「な、朝比奈さん、どうしたんですか?」
 俺を先に中に入れた後、朝比奈さんは後ろ手にドアを閉める。
「あ、あの、あたしもまだ信じられないんですけど……」
 困惑した顔で朝比奈さんは、部室内部を指す。
 その指先には、いつものテーブルがあり、いつもの古泉が椅子に腰掛けていて、その上に乗っている猫と本を挟んでにらめっこをしていた。
 ……猫?
「なんでこんなところに猫が」
 灰色に青みがかった毛並みをした品の良さそうな猫が、じっと俺のことを見つめている。
 古泉が困ったように笑って、
「この猫、どうやら長門さんのようなんです」
 と気障ったらしく両手をあげて首をすくめて見せた。
「……は?」
 一笑に付したいところだが、何せハルヒと付き合いも長い今日この頃だ。
 再度まじまじと猫を見る。仮に長門だとして、どうしてわかった。背中に「ながと」とでも書いてあるのか。
 長門が猫へと変化する所を見たのなら、二人の口からはそんな不安げなニュアンスは漂わないだろう。
 俺は鞄を所定の位置に置きながら、猫を挟んで古泉の対面へと座る。
 猫は俺がそばに座ったのを見た後、すぐ手前で開かれている本をぽすぽすと前足で押さえた。
 なんというか、愛らしい仕草だ。思わずなごんでしまう。
 しかし猫はそんな俺の精一杯の慈愛の表情が気に入らなかったのか、「にゃあ」と一声鳴くと、また本をぽすぽすと押さえた。
「長門さんが押さえている文字を見てみて下さい」
 古泉が言うので、本の方をよく注意してみる。すると猫はにょきにょきと爪を出し、俺が見てもわかるように一点を指した。
「そ?」
 猫は続けて「う」の文字に前足を移動させる。
 ……どれに対しての「そう」なんだかわからんが、すごく長門っぽいことは理解出来た。
「僕がさっき言った、この猫が長門さんのようなんです、という台詞に対しての返答でしょうね」
 心を読むな。それから顔が近い。
「そういえば昨日、ハルヒが長門が猫っぽいって言っていたような気がするな」
 古泉が頷く。俺がナマケモノで、こいつがキリン、朝比奈さんがウサギだったような気がする。
 そんな思いつきのような話の結果がこれか。
 全く持って、愉快な団長さんだな。ため息と頭痛の素の卸売り業でもやってるのか。

 

「で、なんで長門だけなんだ」
 ハルヒは俺たちをそう割り振り、俺はあいつをライオンに喩えた。意外にも文句は出なかった筈だ。
「そこは疑問なのですが、思うに普段から朝比奈さんへはコスチュームを着せるなどの能動的なことをしています。残りのナマケモノやキリン、もちろんライオンもですが、野生の状態で日本に居たらおかしい、そういったことではないでしょうか」
 確かにあいつはしょうもないことをしでかすが、それでいて常識的なんだった。それで唯一の被害者が長門になった、というわけか。
「あたしびっくりしました。部室に入ったら、猫さんがあの椅子に座ってて……」
 お茶を入れていた朝比奈さんは、律儀にも長門の分も用意していて、テーブルの端にそっと置きながら、長門の今は誰も座っていないいつものパイプ椅子を見つめた。
「朝比奈さん、長門さんは今猫ですから、熱いものは苦手かもしれません」
「あ、そうですよね。猫舌っていいますしね。どうしよう、冷たいものあったかしら」
 朝比奈さんが真に受けるので、冗談は真顔で言わないように。朝比奈さんも古泉の話なんて話半分で聴くことをお勧めします。
「長門さんは、今日は私用があり部活を休むということでいいとして、涼宮さんが来る前にあなたに状況説明が出来てほっとしました」
 長門はいないってことだけにすれば、学校に猫がいることには若干の理由が必要としても、まぁ難しい言い訳が必要になるってものじゃないだろう。これがイマイチ緊迫感が感じられない理由か。
「って、長門だったら簡単に戻れるんじゃないのか?」
「それは先ほど長門さんに確認しました。本に表示されている文字上での会話になるので、若干の齟齬が発生しているかもしれませんが」
 古泉は本の表面をなでながら、そう断った。
「どうも能力のほとんどが制限を受けているようですね。涼宮さんの能力には驚かされます。長門さんをただの猫に出来てしまうんですから」
 そんなところに感心しなくてよろしい。ハルヒの能力がでたらめなのは今に始まったことじゃないだろうが。思わず俺はため息をつく。
「すみません。本当は彼女のサポートの方に助力を得たい所なのですが、今のところ長門さんは何もしないつもりのようです」
「って、長門、こんなところまで律儀に静観する理由なんて何もないと思うがな。このまま元に戻れなかったら報告も出来ないんだろう」
 長門は本に目を落としていたが、顔を上げるとにゃあと一声鳴いた。俺には問題ないと言っているように聞こえた。
 古泉は古泉で、むかつくほど優雅に笑って見せてから、
「それは僕も長門さんも心配はしてません。あの席が空白なことを見れば、遅くても数日程で長門さんに早く戻ってこいと思うはずですから。それがなんの理由でいないんだとしても」
 と答えやがった。
 ずいぶん自信満々だなと、腹が立つ気もしたが、あの窓辺の椅子に長門が座っていないと俺は気分が落ち着かないことこの上ないと断言出来るし、ハルヒを含め他のみんなもそうだろう。
「問題は元に戻るまでどうするか、ですが」
 古泉が言いかけた時に、
「おっはよーー!」
 威勢良く扉が開く音がし、我が部室のボスが現れた。
 もうそろそろ夕方だぞハルヒ。
「みんななにしてんのって、なんで猫がいるのよ」
 一瞬にして長門を指さしてずけずけと言い放つ。って長門(猫)がいる言い訳を考えてなかった気がするぞ。
 古泉を見ると、困ったように笑っただけで、朝比奈さんには「あ、お茶いれますねー」とそっぽを向かれてしまった。
 仕方ない。
「雨が降ってるのに鳴いてる猫見たら、拾わずにいられないのが猫の飼ってる家の宿命ってもんだ」
 王道だが、それ故に説得力はある筈だ。
「全然濡れてないけど」
 しかしあっさりと看破される。さすがだな、ハルヒ。まぁ口先三寸だ。なるようになれ。
「木の茂みに居たからそんなに濡れてなかったんだよ」
 ふむ、とハルヒは猫をじっと睨んで、
「野良しては、とっても毛並みがいいわね。本当に野良なの?」
 そして長門に触れようとして避けられていた。触るか触らないかの所で身をかわしたり、机の下に潜ったり。
「なかなかすばしっこいわね」
 更に追いかけるが、長門の方も巧みでその手をかわし続け、ついにはロッカーの上へと跳ね上がった。
「この俊敏さは確かに野良っぽいわね。……でもあんた、良くこんな猫捕まえられたわね」
 不機嫌そうにハルヒはいい、いつもの団長席に座って、朝比奈さんから手渡されたお茶をずずーっと一気のみした。
 熱くないのか。
「まぁな、猫飼ってるし慣れてるんだよ」
 俺の返答にますます仏頂面を作り「あんたん家の猫はそんなに俊敏じゃなかった気がするけど」とつぶやいた後、ぐるっと部室を見回し「そういえば有希は?」と、空白のパイプ椅子を指さした。
「私用があるそうですよ。僕がそう言付かりました」
「そう。あ、キョンあんた帰っていいわよ」
 ますますつまらなそうな顔になって、ハルヒが俺を指さした。人を指ささないようにと習わなかったのかね。
「猫、家に連れて帰るんでしょ。もしかしたらご飯食べてないのかもしれないし、早く連れて帰ってあげたら」
 ハルヒのくせにそんな気を回すとは、思わずちょっと面食らってしまったが、長門の今後を話し合ってなかったことに気づいてはっとした。
 思わず古泉を見ると、「さすが涼宮さん。お心遣いいたみ入ります」とか言ってやがる。
 朝比奈さんも「雨なので足下に気をつけて帰って下さいね」なんてにっこり笑っていらっしゃる。
 やれやれ、だ。
 しょうがないので、鞄を開く。どうせほとんど中身なんて入ってないんだし、空きは十分だろう。
「学校内はちょっとまずいからな。この中に入ってもらえるか」
 俺が言うと、長門はさっとロッカーから降りてきて、鞄の中に潜り込み「にゃあ」と鳴いた。
「まるで人の言うことわかってるみたいに賢い猫ね。聞いてるのがあんたの言う事ってのがなんかむかつくけど」
「人徳だ人徳。それじゃ、お先に」
 長門を入れた鞄を肩に掛けると、部室の外に出る。それと同時に、何かが扉にぶつかる音がした。
 危ないから物は投げないように。

 

 さてどうするか。
 ……とはいっても、ハルヒがあそこにいる以上、古泉や朝比奈さんに連絡も出来ないし、長門もどうみても手ぶらだ。
 長門のマンションに行くわけにもいかないし、とりあえず家に行って、古泉がとっていたような方法で、長門とコミュニケーションをとるしかないのか。
 学校を出て坂を下りながらため息をつく。
 静かに降り続ける雨が、体温も気持ちも下げていくようだ。
 その時に、鞄の中で長門がごそごそと動く気配がした。
「っとすまんな。閉めきりだと空気悪かったな」
 少しだけチャックを開けるとそこから長門が首を出した。
「本当にお前は長門なんだよな。イエスなら1回、ノーなら2回鳴いてみてくれ」
 猫が黒い瞳でじっと俺をみた後「にゃあ」と一回鳴いた。
「しかしこれだけじゃ、偶然かも知れんな」
 次の質問を考えていると、猫が狭い隙間から手を伸ばして俺の肩に触れた。と同時に”偶然ではない”とのメッセージが頭の中に届いた。併せて伝わる、波のような感覚。
 なんだ?!
 思わず猫の手を振り払い、歩むのも忘れ、猫をじっと見つめた。
 無理矢理外からの音で、考えていた事を中断させられる感じに似ているかもしれない。
 思考が割り込まれ、長門の声が脳内で再生されたのだ。
 更にそれと一緒に届いた不思議な感覚。
 なんと例えていいか良くわからないが、頭の方から心臓の方に向けて、ちりちりとした感じが伝わっていく。

 

 長門はじっと俺の顔をみつめていた。前足は「これ以上するつもりはない」との意思表示のように鞄にしまわれている。
「あ、いやすまん長門。ちょっとびっくりしただけだ。ちゃんと聞こえた。お前は長門なんだな」
 長門がにゃあと応えた。

 

 元来猫が人語を話すためには、顎が後退し気道も下がる必要があるとは長門の弁だ。
 いつぞやのシャミセンの件があるが、あれはハルヒパワーで人間と同じ方法で声を出していたわけではないそうだ。
 普通の猫として変身させられた長門がこの姿で話すには、このように接触型テレパシーのようなものを介す必要があるらしい。
 更に現在の長門は、猫としてのアイデンティティが長門の精神を浸食し、言語を送っているというよりは、思念を送っているとのこと。
 よくわからなかったが、テキストデータではなく、長門が感じている思考をそのまま俺に送っている、ということらしい。

 

”思考に付随する、揺らぎのある個人的情報も同時に送られることになる。情報として価値はないので破棄して欲しい”
 先ほど感じたあれについて長門はそう言った。話を要約すると、その時に感じている感情のようなものだと俺は思う。
 普段勝手に生まれるそういった感情を、既に出来た状態で他者から与えられる経験なんてある筈もなく、そう考えれば確かにあれは、軽く緊張を感じた時の気持ちに似てはいたような気もした。
 しかし長門よ、俺には破棄なんぞ器用な真似は出来んぞ。
「古泉や朝比奈さんに状況を伝える時も、そうすりゃ早かったろうに、本を使うなんてまどろっこしい方法を……」
 長門はそれには答えず、にゃあとだけ応えた。
 一応宇宙人と超能力者と未来人達では俺の知らないなんだかややこしい対立もあるのだろう。

 

 さてようやく家についた。
「とりあえずお前は友人から預かった猫だ。親戚に不幸があって家を空ける数日だけうちで預かる設定だ。……本当にそれくらいで戻れるって前提でいいのか」
 長門は「にゃあ」と鳴いてから、俺の腕をそっと触れる。とたんに流れ込んでくる思考。
”古泉一樹の考える通り、涼宮ハルヒはわたしがあの席にいないことを是としないと推測する”
 そこには先ほどのようなちりちりするような波は一緒に送られてこない。もっと穏やかななにかだ。……まぁ長門が言うならそうなんだろう。

 

 覚悟を決めてドアを開く。問題は妹だったが、人になかなか懐かない猫で下手をすると爪でひっかかれてえらい目にあうぞ、俺はこいつの家に何度も遊びに行ったから慣れてるんだ、と脅しをかけた。
 これは長門を俺の部屋に隔離しておく理由にもなって一石二鳥だ。
 長門は「にゃあにゃあ」と何か否定していたが、ここは無視をさせていただく。
 それでも不平の声を上げていた妹も、「あ、シャミセンと喧嘩するかも知れないから、シャミセンのこと今日よろしくな。夜も一緒に寝てやれ」と言ったら喜んで去っていった。
 シャミセンもこれでOK、と。すまないが、しばらく耐えてくれ。俺はどこかで寝ているであろうシャミセンに合掌した。

 

 長門を自分の部屋に放したら、ようやく一息ついた感じがした。部屋着に着替えてベッドの上に座わる。全くやれやれだ。
「しかしまぁ、あいつと一緒にいると本当に驚かされることばかりだな」
 俺がそう言いながらベッドに座った拍子に、端に置いてあったヘッドフォンが転がり落ちた。そういえば昨日寝る直前まで聴いてたっけ。拾おうと立ち上がろうとする前に、長門がヘッドフォンに向かって猛ダッシュをし、前足でそれをはじいた。
 それはシャミセンがする反応に良く似ていた。
「おいおい、長門、そこまで猫になりきることはないぞ」
 長門ははたと動きを止めた後、ベッドに飛び乗って俺の太股に前足で触れたかと思うと、
”猫としての本能が、わたしの行動の優先順位を書き換えてしまう。時間経過と共に、その割合が大きくなっていると推測される”
 とんでもないことを平然と言った。

 

「な、それは段々心も猫になってるってことかよ!」
 長門はにゃあと鳴く。
「おいおい、何そんな落ち着いているんだ。身も心も猫になっちまうってことだぞ」
 しかし長門から感じる波に、不安感はいっさいなかった。そんなに楽観視出来る問題じゃ到底ない気がするぞ。
”問題ない。涼宮ハルヒがヒトとしての形を持つわたしがあそこにいることを望む限り、一時は猫になってしまっても必ず戻る”
 俺に伝わってくるのは、あくまで穏やかな波長だった。
 心底信じきって、揺るがない。そんなハルヒへの信頼が長門から伝わってくる。
 思わずいつもシャミセンにしてやるように、長門の小さくなってしまった頭をなでてやった。なんというか、こいつも心の底からSOS団の一員なんだなぁと、改めて思ったりした。
 なでていると長門から、またなにかが流れ込んでくる。更に穏やかなような、どこかが痛いような。形容しがたい感覚だった。
 なんだ、こちらから触っても気持ちが伝わってしまうのか。
 ハルヒから逃げていた理由がわかった気がした。
 長門の言葉は聞こえてこない。
 ただ深い色をした瞳で、じっと俺を見つめているだけだった。

 

「キョンく〜ん、ご飯持ってきたよ〜」
 その時、ドアが開いて妹が顔を覗かせた。いつものようにいきなり部屋には入ってこないのはえらいぞ。一応長門を警戒しているらしい。
「ここ置いとくね」
 並々と盛られたキャットフード入りの皿を入り口脇にことりと置く。
「あ、サンキューな」
「ねぇキョン君、その猫さんの名前はなんていうの?」
 ドア越しに顔を覗かせたままで妹はそんなことを言った。しまった。名前なんて考えてねえよ。
「なが、あ、いや、ユキって言うんだ」
 だから思わず長門と答えしまいそうになり、慌てて踏みとどまった。
 長門がにゃあと返事をするように鳴いた。
「有希ちゃんと一緒だね。有希ちゃんの猫なの?」
「いや違う。長門のマンションはペット不可だ。それに自分のペットに自分の名前付けるやつがどこにいるか」
「あはは、そうだよね〜。それじゃあまたね〜ユキちゃん」
 妹は手を振ってから外に出た。長門も「にゃあ」と応えている。
 しかし受け取ってしまってなんだが、さすがにこれはないだろう。長門の飯はどうしようかと思っていると、素早くベッドから飛び降りて、長門がふんふんと鼻で匂いていた。なんというか、知識欲旺盛だなぁと眺めていると、パクリと口に入れて食べ始めている。
「ってそんなの食べるなよっ!後で俺の飯わけてやるからっ!」
”これは合理的な食事。興味深い”
 引きはがそうとしても、頑として聞かず、結局全部平らげてしまった。
 順応が早いのに越したことはないが、そこまで猫化されると俺は非常にもの悲しいものがあるので、出来ればやめてください。長門さん。

 

 その後の長門との生活は穏やかなもので、宿題の面倒を見てもらったり、長門が本を読みたいというので、長門の趣味ではないだろうが軽めの学園モノの小説を一緒に眺めたりした。
 俺がベッドに横になり、長門が頭のすぐ脇で俺がめくる本のページをじっと見つめている。
 いつもの長門のスピードから考えればまだるっこしいに違いないだろうが、長門は文句も言わずに俺の読むスピードに合わせてくれていた。
 なんというか、悪くない感じだった。
 それはこいつが今猫の姿をしているからなのか、それとも人間の姿をしていてもこんな気持ちになれたんだろうか。
 真剣な眼差しでじっと本を読んでいるこいつは、姿がどうであれまぎれもなく長門だったが、果たして異性を感じさせられる姿で、俺がこの距離感を抵抗なく受け入れられるかははなはだ疑問である。

 

 俺がページをめくるのも忘れてじっと長門を見ていたので、長門が本から目を離してこちらを見た。
「あ、すまん、ちょっと考え事してただけた」
 パラリ、と薄い紙をめくる。
 その時、そっと長門が前足で俺の腕に触れた。柔らかい肉球の感触が、パジャマ越しに伝わる。
”もし、あなたにとって迷惑でなければ”
 戸惑ったような感じがする。今までに送られたことのないタイプの感情だった。
”ヒトとしての思考が出来なくなった後も、ヒトの形に戻れるまで傍においておいて欲しいと思う”
 長門からお願い事をされるなんて滅多にないことだ。今日は良く冷えるし、こりゃ明日雪が降るかもしれんな。
 俺はまた長門の頭をなでてやる。長門は目を細め、おとなしくなでられている。
「ハルヒのことをそこまで信頼してるのに、俺の事は出来ないのか?もちろん一生だって面倒みてやるから安心しろ」
 穏やかな、そしてでもちくちくとした思いが伝わってくる。不安な感じとは違うような、でもなんというのかよくわからんな。

 

「そんなに心配か?大丈夫だって」
 そういえば一生とか言ってしまったな。
「あ、すまん。一生はやっぱ困る。早めに人間に戻ってくれ。でないと寂しいからな」
 長門は律儀に”人間ではない。ヒューマノイドインターフェース”と反論してきたが、
「俺には違いは良くわからんな。宇宙パワーだかハルヒパワーで不思議な力が使えるだけの、ちょっと変わった女の子だろ」
 手から伝わるのは、驚いたようなさざめく波。長門は首をちょっとだけ傾げて、ただじっと見つめていた。
 それは長門が良くする仕草にそのままで、長門が無表情にそんな仕草をする時も、本人は言葉にする事を知らないだけで、いろんな感情をあの小さな体に貯めていたんじゃないかと今更ながらに思う。
「お前も万能ってわけじゃないんだな。まぁいざとなったら、ハルヒをなんとかしてお前を戻してやる。安心してくれ」
 頭をまたなでる。手のひらに収まりそうな程の小さい頭。耳が細かに動いて、まことに猫らしい仕草なのが少し泣ける。
 しかしこの姿だと、ついなでたくなってしまうな。元の長門の頭をなでている姿を想像したら、ものすごく恥ずかしくなってきたぞ。
 でも、手からじんわり伝わる優しい感覚はとても気持ちが落ち着いて、俺は手を離すことがなかなか出来なかった。
 しばらくなでていると、長門はその小さな口を開きあくびを一つした。
”とても眠い”
「ああ、猫は一日の大半を寝てるんだっけかな。早いけど俺も寝るか」
 早いとはいっても、もう妹なんかは寝ている時間だ。
 今日は長門のおかげで早く宿題も終わったし、明日早く起きて、古泉と連絡でも取り合おう。そういえば全然連絡もしやがらねえな、あいつ。

 

 電気を消して布団に潜り込む。長門は所在なげに枕元に立って目を輝かせているので(そういえば夜行性か)、俺の腹の脇あたりをぽんぽんと叩く。
「シャミセンは良くこのあたりで眠ってるぞ。まぁイヤでなければだがな」と言うと、布団の中にもぐりこみそこで小さく丸くなった。

 

 
 まどろみの中で、奇妙な夢を見た。
 誰もいない文芸部室の中で、ただじっと本を見つめる誰かの視点。まだ知らない俺たちをずっと待っている。静かな、俺の知る前の、だけど良く知っている部室。窓の外から聞こえる喧噪とはほど遠い、静かで寂しい空間。

 

 七夕の夜、誰も知らない筈の自分を訪ねてきた人間がいることへの動揺。張りつめた湖面に投げられた石。

 

 長い長い夢のような夏に、浮かんでは消えていく俺達でない俺達の、うんざりするようなきらめく一瞬。

 それはぴりぴりとしたり、深く静かな湖の表面がさざ波のようになっているようだったり、ぐるぐると混ぜ合わさってどう分類していいのかわからなかったり、そんな思いがゆらゆらと俺の中を満たしていく。

 

 ああ、これは長門が見ている夢なのか。
 泡のように現れては消えていく、確信出来た筈のものが手の中で拡散していき、そこに何があったのかもすぐに思い出せなくなっていく、そんな夢そのものの形をした記憶が細切れに俺へなだれ込んでいた。

 

 そして。
 それは昼の図書館。
 手渡された一枚のカード。
 どんな思いだったか、俺には既に思い出せない。
 ただ、現実で、猫である長門のいるあたり、心に近いところがひどく暖かくて、それが他の寒さを際だたせて、とても寒いことだけを覚えている。
 でもその記憶すら、手から落ちていく砂のようにさらさらと手のひらから消えていく。
 その感覚が、長門が感じているのか俺が実際に感じているのかもわからないまま、長門の夢と俺の記憶がぐるぐる混ざって、それと共に俺の意識が更に深い闇の中に沈み込んでいく感覚にとらわれた。
 その最後に、ふと思い当たる。ああ、そうだ。
 例え寒くなろうとも、痛くなろうとも、それがただとても嬉しかったんだ。

 
 

 目が覚めたら、長門はいなかった。
 何かとても印象的な夢を見ていた筈なのに、何も思い出せない。
 いつもは乱雑になっている布団が、きちんとかけられていた。
 そういえば、とても寒かったような気がする。また布団をはいで眠っていたんだろうな。これを掛けなおしてくれたのは長門なんだろう。
 立ち上がると、机の上にメモがあることが見えた。
 「また放課後」と、きれいな明朝体で書かれていた。

 

 もう少しあんな長門と一緒にいるのも悪くなかったな。そんな風に思っていると、ふと夜明け頃に意識が立ち上った時に、柔らかな髪の感触があごのあたりにあったような気がしたことを思い出して、思わず頭を振った。
 多分気のせいってやつだろう。

 
 

 放課後まで待てず昼休みに部室を覗きに行くと、長門はいつもの場所のいつもの椅子に、いつもの姿で座って本を読んでいた。
 やっぱり長門はそこじゃなきゃな。寒い日に朝比奈さんから紅茶をいただいたくらい落ち着く。
「無事戻れたんだな」
 長門は本から目を俺に向けると「迷惑をかけた」といつもの声で言った。
 別に猫一匹預かるなんて、普段俺達がかけている迷惑に比べたら何てことない。その猫が長門ならなおさらだ。
 そういえば聞いてなかったな、と思い、「猫になった気分はどんなもんだった?」と、そんな質問をしてみた。
 結局猫になるところも、猫から戻るところも見てない訳だが、本当にこいつがあの猫だったんだよな?
 長門は本をぱたりと閉じると角度にして1秒分程首を傾げ、片手をそっと伸ばして俺の腕に触れた。
 昨日とはうってかわって穏やかに晴れた日差しが、小さく動いた長門の髪を輝かせる。その時ふわり、と明け方頃感じた気がする長門の匂いがした。
 どくり。
 その瞬間心臓が跳ね上がった。長門の指先から伝わった電流が波のように押し寄せて早鐘のように俺の心臓を打ち鳴らす。
 何だ?
 思わず長門を見ると、小さく首を傾げていつもの深淵を思わせる黒い瞳でじっと俺を見つめた後、「まちがえた」と言いながらそのまま手を離した。
 しかし未だに、全身が沸騰したかのような感じは収まらない。長門の顔を見ると更に心臓が跳ね上がる。
 間違えた、ということは、これは長門から伝わったものじゃなくて、俺自身が感じたものなのか?
 何なんだ、これは。

 

 混乱している俺をよそに、長門はほんの少しだけ表情を柔らかくしもう1秒分程首を傾げてから、「わるくない」と答えた。
 それは長門が微笑んだかのように俺には映った。
 俺の錯覚だったかも知れない。なにせ全身が激しく脈打ったかのようで、通常に物事が考えられてない気がするのだ。
 本当に長門、今何もしてなかったんだよな?
 誰の物かわからない鼓動をかかえて、俺は長門の傍でチャイムがなるまでただただ困惑するばかりだった。

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:01:37 (1950d)