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作者 | 子持ちししゃも |
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作品名 | 長門さんと卒業式 |
カテゴリー | 長門SS(一般) |
保管日 | 2009-03-26 (木) 01:22:36 |
キョン | 登場 |
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キョンの妹 | 不登場 |
ハルヒ | 不登場 |
みくる | 不登場 |
古泉一樹 | 不登場 |
鶴屋さん | 不登場 |
朝倉涼子 | 登場 |
喜緑江美里 | 不登場 |
周防九曜 | 不登場 |
思念体 | 不登場 |
天蓋領域 | 不登場 |
阪中 | 不登場 |
谷口 | 不登場 |
ミヨキチ | 不登場 |
佐々木 | 不登場 |
橘京子 | 不登場 |
「いいから覚悟を決めて行ってきなさい」
「あ……でも……」
この後に及んで、長門さんは躊躇していた。
無理もない話だとは思う。ろくに話をしたこともないけれど、ずっと憧れていた先輩にボタンをもらいに行くなんて、内気な彼女にとってはまるで自殺行為にも等しいどきどき行為だろうってことは、あたしじゃなくてもわかる事。
でも、思い続けていた気持ちをそのままにして、その先輩を見送ることだけは、あたしにはさせられないのよね。
今日を逃せば、それでなくても遠い距離が、果てしなく遠くなってしまう。
どれくらい遠いといわれれば、鈍行で青森から九州まで行く距離から、スペースシャトルで月まで行くくらいの遠さになってしまう、とでも喩えればいいかしら。
長門さんは手にしていた本を、ぎゅっと胸に抱きしめる。普通ならアクティブな印象を見せる筈のショートカットは、彼女の顔立ちの良さを引き立てる程度のものでしかなく、その顔にかけられた眼鏡は、そのレンズを通して人を拒否しているかのような引っ込み思案を強調しているかのよう。
内気にも程がある長門さん。可愛い長門さん。
「その本の栞に、ちゃーんと携帯のメアド書いておいたんでしょうね」
「……!あ、朝倉さん、どうして……」
途端に顔を赤くする彼女。
「この涼子さんはなーんでもお見通しよ。そこまで準備して、勇気が出ないとかいう言い訳が出来るとでも思ってるの?」
控えめな身振り手振りで、慌てて何かを言い繕うとする長門さんの首根っこを掴んで、あたしは彼女を卒業式の余韻に浸っている卒業生がたむろする校庭に引きずっていった。
感傷に浸り佇む者、友達との別れを惜しむ者、希望に満ち溢れた者、途方にくれた顔をしている者。
その中に向かう先はただ一人。彼女の想い人の元。
なんでこんな男がいいんだか、まるで冴えない三年生。背だけはそこそこ。
人好きのする顔立ちは認めてあげてもいいけど、それはどこか頼りなさを醸し出していて、なんというかまぁ、人の好みは好き好きよねっていう結論をあたしは出している。
ぼんやりと部室棟を眺めていたその人の前に長門さんを連れて行くと、
「じゃあね」
と言って、声にならない声を立ててあたしを縋るように見つめる彼女に、ひらひらと片手を振って立ち去った。
少し離れたところで、彼女の様子を見る。ちょっと離れているけど、これくらいなら音声を拾うのに何も障害はない。悪いけど、チェックさせてもらうわよ、長門さん。
彼女は先輩の前で立ちすくんで、顔を赤くしたり青くしたりしており、そんな彼女を彼は不思議そうに見ていた。
ああもうじれったい。せめて「この子があなたに用があるんです」くらい言ってから去るべきだったか。
取るべきだったと思われる自分の行動について、十五パターン程考えついた頃、長門さんが口を開いたのが見えた。
「……これ、読んで」
あああ、違うでしょ!長門さん!
いきなり読んでって。
名前を名乗るなり、「お願いがあります」等の言葉とか、見知らぬ人とのアプローチをするのに必要なステップというものがあるでしょう!
あたしがもどかしさにいらいらしていると、あろうことか長門さんはそこから逃げ出そうとしていた。
胸元に押し付けられた本を手に取って(よりにもよって、小難しいうえにぶ厚いSFだし)、首を傾げる先輩は、拍子抜けしたような顔をして後ろ姿の長門さんを見つめた。
乗った泥舟からとうとう水が染み出してきた時のたぬきのような気持ちになっていると、
「ちょっと待って」
と、先輩が彼女を呼び止めた。長門さんは大げさなくらい体をびくっと震わせて立ち止まると、錆付いたロボットのように不自然に振り返った。
「これ、読むのはいいけど、返すのはどうしたらいいのかな」
「……その必要はない」
「くれるってこと?」
長門さんはこくんと首肯した。今更だけど、その話し方はなんとかならないのかしら。怒っているように聞こえるわよ。
あまりにも不器用な長門さん。可愛い長門さん。
その可愛さをわかってもらうには、こんな短いやりとりではまぁ、無理だろう。
こっそり溜息をつく。
「……まぁ、よくわかんないけど、もらっとく。ありがとな」
彼の微笑みに、長門さんは顔を真っ赤にしたかと思うと、もう一度首を縦に振った。そして長門さんは今度こそ立ち去った。
……まぁ、いいか。本だけでも渡せたんだし、彼女にとってはそれできっかけになった筈。あたしは苦笑した。
長門さんの後を追いかけようとしながら、何となしに先輩の方を見ていると、受け取った本をぱらぱらと眺めているようだった。
そりゃ、突然知らない子が来て本を渡したなら、中身が気になるわよね。
しばらく本を捲ったりしたあと、彼は突然あたりを見回し始め、そこであたしと目が合った。
「あのさ、さっきの子と一緒に来た人だよな?」
先輩は急ぎ足であたしの所に来ると、そう尋ねて来た。
「そうですけど」
あたしが頷くと、彼は困ったような顔をして首を捻りながら「変な事聞いていいかな」と切り出した。
「なんでしょうか」
あたしの言葉に、彼はもう一度首を捻って、
「なんだか、この本には栞が挟んであるような気がしてならないんだ。彼女に聞いてもらえないかな」
……。
あたしは耳を疑った。
「なんでかわからないんだけど、どうしてもこの本には栞がなければいけない気がするんだよな」
ありえなかった。
栞がない事が、じゃなくて、彼が、長門さんの事を覚えているなんて、ありえないからだ。
去年の今頃、涼宮ハルヒの能力が失われ、長門さんの役割は終わりを迎えた。
有機生命体としての体の情報を解除し、情報統合思念体へと帰化する予定だった長門さんだったが、彼女たっての希望で、人間としてこの世界に残ることになった。
それまでの長門有希という固有情報はこの世界から失われ、長門さん自身も架空の記憶を与えられて、15歳のただの女の子として、北高に入学したのが去年の春だった。
あたしはそんな彼女がきちんと生活出来る基盤を作り終えるまで、サポートをする役割を与えられて再構成されたのだった。
だから、彼が長門さんの事を覚えているなんて、ありえなかった。
情報統合思念体に関わる存在以外の、彼女と関わった全ての人間の記憶から、長門有希という存在にまつわる記憶が消去されている筈だった。
それなのに彼は、本を逆さにしてまで栞を探している。
どこか手の届かない場所が痒いような、間の抜けた、あるいは困っている様な顔をして、それでも真面目さが伺える表情をして探している。
「良くわかりましたね。実は彼女、そこに携帯のアドレス書いていた筈なんですよね。落としたのかな」
その言葉に顔をあげた彼を見て、あたしは微笑んだ。
「メ、メルアド……?」
「あら、意外だったかしら?」
彼は本当に驚いたように、本とあたしの顔を見比べて目を丸くしている。
あたしもちょっと驚いた。彼がそこに違和感を感じることに。
でもただ単純に、あんなおとなしそうな子が、自分の連絡先を書いていることに驚いただけなのか。
でもあたしは、栞を探す彼の事だから、きっと何かしら元の長門さんのことをどこかで覚えているんじゃないかと、柄にもなく思ってしまった。むしろ、そうであって欲しいと望んだのかもしれない。
確かに彼女の本来のパーソナルとは程遠い行為かもしれない。でも、彼女は文字通り生まれ変わった。
彼女が望む自分に。そして、彼女が思い通りにならない自分に。
誰しも望む自分を認識し、それに近づこうと努力をするのが人間というものらしい。
彼女の再構成された固有人格は、オリジナルとそう変わっていない。
しかし人間になった彼女は、その固有人格を明確に把握出来ていない。
その認識の差と、自分がこうありたいと思う彼女の希望とが、日々彼女を変えていく。
その変化は、変わらないあたしにとって、とても不思議で愛おしいものだった。
あたしは、メモ帳を鞄から出して、彼女のアドレスを書いて彼に渡した。
「その本、上下巻の上巻部分なんですよ。読み終わってからでも良いんだけど、出来れば早くに下巻についてメールで聞いてあげてやって下さい」
手にした本とメモを見比べて、困惑している彼に手を振って、あたしはその場を去った。
連絡しなかったらひどいんだからね、キョン君。
長門さんを泣かせたりしたら、あたしが許さないんだから。
未だ手にした二つを呆然と眺めている彼を、もう一度だけ振り向いて少しの間だけ見つめた。
あたしは、彼に長門さんを託す日が来ることを、きっと夢見ている。
そんな日が早く来ればいいと、そしてそんな日が来て、彼女と離れる事がなければいいなと、相反する思いを抱いている。
あたしは頭を軽く振った。
さて、急いでマンションに帰って、結局栞が渡せなくてしょんぼりしているだろう長門さんを慰めに行かなくちゃね。