作品

概要

作者執事
作品名長門有希の迷走
カテゴリー長門SS(一般)
保管日2009-01-26 (月) 11:53:43

登場キャラ

キョン登場
キョンの妹登場
ハルヒ登場
みくる登場
古泉一樹登場
鶴屋さん不登場
朝倉涼子不登場
喜緑江美里不登場
周防九曜不登場
思念体不登場
天蓋領域不登場
阪中不登場
谷口登場
ミヨキチ不登場
佐々木不登場
橘京子不登場

SS

 

長門有希
有機ヒューマノイドインターフェース〜最近ようやく覚えた〜とか言う存在である彼女の独白が、俺の非科学的……と言ったら語弊があるな。そう、非現実的な人生の始まりを告げていた。まず俺がハルヒという容姿端麗猪突猛進奇々怪々阿鼻叫喚な人物に出会ったこと自体が多分すべての始まりだったんだろうが、そんなことはどうでもいい。とにかく明らかに自らの恐ろしい不運を呪ったのは長門の話を聞いてからだった。しかしそんな不運な俺の境遇を救ってくれたのも長門だったし、居てよかったと思うべきだろう。それとも俺が、神様とか進化の可能性だとか言われて崇められているやつに出会わなければ出会う必要もなかったのか、そんなことを考える時期もあった。だが今となっては長門は俺達SOS団の一員で、欠かすことのできない仲間だ。みんなが長門を大切に思っている。
長門長門言っているわけだが……つまり今回はそういうこと。今回は、長門有希という存在が大いに関係する話だ。聞けば長門にも隠れファン的な存在がちらほら、いや結構いるらしい。そんなちょっともの好きなやつらは耳をかっぽじってよく聞いておけ。

 

非常に、変な話だから。

 
 
 
 

涼宮ハルヒの憂鬱パロ
『長門有希の迷走』

 
 
 
 

SOS団設立から一年が経とうか経たないかってなところのまだ肌寒い三月の中盤のこと。早いところ春休みが来ないものかと、大きなため息を押し隠しつつ、後ろの席の怠け面のご機嫌伺いを考える気もとうには失せ、俺にはこの日何一つ懸案事項を抱えることもないまま放課後を迎えることとなった。こんな平凡な日は別に珍しいわけでもないのだが、平凡で何もないことが俺の最高の喜びであるため、こう言う日があると毎度毎度喜ばしく思える。
それでいて、なにもしていないというのに俺にはまるで天下統一に一仕事した下人が土地を頂くほどの最高の御褒美が用意されているのである。それを思うと教室から出る時の足取りもつま先で全体重を支えても大丈夫なくらい軽くなるってものさ。
まずは、部室等へ向かうまでの道のりを一歩一歩踏み占めつつ、御褒美の到来を今か今かと楽しみにする。そうさそこには我らがアイドル、朝比奈みくる先輩閣下があらせられるはずなのだ。ノックした時に帰ってくる反応の可愛らしさと言ったら、ああ、たまらんさ。誰だってそうだろ?可愛い子に『今お茶入れますね』なんて言われてじっくりと手の込んだお茶を差し出されでもしたら……と、そんな光景を想像しても尚否定した奴がいたら俺の前に出ろ。今から三時間ほど説教をして尚且つ俺の怒りを受け止めてもらうこととする。
一度落ちたことのある階段をのぼり、たどり着きましたは俺の天国と地獄の両方を併せ持つこの空間。つまるところ元文芸部部室で、現在はSOS団の根城と化している場所だ。
俺は扉の前で両足をいったん揃えると、願わくば朝比奈さんとの二人きりの放課後を、いや、それだと贅沢だ……他の誰かがいてもいいから朝比奈さんとの放課後を満喫させてくれと願った。神様がいるんだとしたら〜もちろんハルヒは論外だ〜俺の願いを聞き届けてほしいものだ。
コンコン、ノックしてみる。コンコン、別に漫画的咳の表現ではない。
返事がない、ただの空き部屋のようだ……なんてこたぁないわけだがな。返事がない=朝比奈さんとハルヒと古泉がいない、ということだ。消去法的な言い方でちょっと申し訳ないが、結局ノックしても反応しない奴で、尚且ついつでもこの部室にいるものだと考えてほぼ間違いないのは……
「おーっす、長門」
 長門有希だ。
 いや、別に長門だからがっかりしているわけではない。ただ、そう、例えるならマネージャーともども綺麗で有名なアイドルに会いに来たつもりがそのマネージャーの方と出会ってしまったと、そういう感じだ。
「……」
 三点リーダが口癖なこの娘は、俺を一瞥する時間がSOS団設立時より若干長くなったような気がする。たぶん、コンマ以下の差だが……それが慣れとか友愛の情の類のおかげであると期待していいとはあまり思えないような気になるのは、まず相手がこいつだからなわけだが。で、その直後長門は視線を再び本に戻し、いつも通りの待機モードに入った。
 こいつの活動が常に省エネモードであることは当然のことで、大体誰もいない部室で二人きりになるとこういう構図になる。黙々と読書をする少女と、特になにもすることもないのに団長閣下のパソコンを起動して、SOS団のホームページを改良したり改悪したりする男。なーんも面白くはないこの光景。面白くはないかもしれないが、俺にとってはこの状態こそが穏やかでいいと思えるね。
 最近はハルヒの馬鹿騒ぎに付き合うことも悪くはないと思えるようになったが、この安穏の時間は必要だ。絶対に。
「……」
 今回の三点リーダは俺の放ったものだ。パソコンを起動したは良いものの、することがなにもなく思わず部屋の付属人を見やってしまったわけだ。眼鏡、かけなくなったな。伊達眼鏡だったのか?それともコンタクト……いや、コンタクトにはトラウマがあるから考えたくない。
 と、長門の瞳を見つめていた俺に気づいたらしく、長門の視線が俺の視線とぶつかった。顔の向きは本に向かったまま上目使いに見上げてくる。長門に他意は無いんだろうが、なんとなく俺はそこから視線をそらしてしまった。
「なに?」
 なんだか発音的には平仮名で言っているような気がした。棘もなければ優しくもない、無機質のようでもあるがなんだか感情が込められているようでもあるその声。それを聞いて改めて長門に異変がないことを察する。
「いや、何でもないよ。気にしないでくれ」
「そう」
 前にも考えた気がする。大抵長門の調子がおかしい時っていうのは厄介事がおこる予兆なのだとかなんとかな。や、別に長門に限らないわけだが……そう、古泉の様子がおかしい時はSOS団の存続の危機に直面したし、朝比奈さんの調子が悪い時には終わらない夏休みを長門ですら飽きた様子を見せるほど繰り返した。
 SOS団の誰一人として可笑しい様子を見せないということは当分穏やかな気分で居ていいということだ。そういうことならここに朝比奈さんがいなくて、雁金のお茶が出てこなくても、十分に幸せを感じることができる。よもやこの無口なアンドロイドと一緒にいて幸せを感じるようになるとはな。当初は思いもしなかったことさ。
「……」
 と、まぁ、視線はそらしたはずだったのに俺はまた長門を見つめてしまっていたらしい。長門は無言で俺を見つめていた。今度は本から目を離して俺を凝視している。
「……」
 いつだったかこの瞳を液体ヘリウムと比喩したことがあったな。などと思いつつ、俺は今度は視線をそらさずに言ってやった。正直自分でもどうしてこんなことを言ったのか理解できない。
「長門」
「なに?」
「頑張れよ」
 何を頑張れと言っているのか自分で言っておきながら全く理解できん。ただ何となく、二度目の視線の往来でまたもや何でもないと言えるだけの根性を俺は持ち合わせていなかっただけのことかもしれない。しかしそこに俺自身の意思もあるような気もしたし、言い終わった後俺は特になにをするでもなく長門の反応を待ってみた。それは長門の意外な反応が楽しみだったからそうしたわけなのだが、長門から帰ってきた反応は
「……そう」
 万馬券に有り金をすべてぶち込んだ人間の行く末より、簡単に予測のつくものだった。

 
 

 よく、昔の褒め言葉として使われる言葉がある。
『お人形さんみたいに可愛いですね』
 ぶっちゃけた話物言わぬ人形に例えられる方の身にもなって見ろと、傍観者Aの立場である俺はそう思うね。しかし、今ならその例えがどういうものか理解できるような気がする、っていうか、実物みたいなのがここにいるわけだ。パソコンの画面を眺めながら俺は視線をついーっと横に滑らせた。そして視界の端に無表情の有機ヒューマノイド以下略を捉え、そしてすぐにパソコンに視線を戻す。
 お人形さん……こいつと出会ったころにその表現を聞いていたら俺はこいつのことをそう例える気にもなっただろう。だが、長門という存在を理解しすぎた今では、俺にはその表現を受け入れることはできない。あいつの人間らしさを俺は見てきたのだ。
 本当はあの液体ヘリウムの向こうに感情があったのだ。そして、そのなだらかな感情の起伏の中で長門は僅かな変化を見せた。あの時は驚かされた。少しでも有利性があると判断すれば長門はその行動に躊躇などすることはなかっただろう。ましてや事を複雑にするなんてことはしないはずだった。だがあの時、長門が世界を作り替えた時の話だ。
 世界を作り替えた長門がエラーを修復し、通常待機モードに移行した時に、こっちの長門は明確な意思を提示した。同期の拒否、自らが思う故のそれは、やっぱり成長だったのだろうか……これまで感情を露わにすることのなかった彼女のその変化は、俺の心境を大きく揺さぶった。
 なんて言うんだろうな、この感覚……今まで味わったことのない感じだ。こう、兄として妹の成長を喜ばしく思う、みたいな、とはまた違うな。現在進行形で兄をやっている俺がそんなことを思ったことは何度もあるが、それよりも何か違う気がする。
 例えるなら……と考えて、俺は何となくキーボードに手を向け、面倒のないキーの打ち方で、その一言を入力してみた。
『父親』
 ついでにその語尾に疑問符を付け足してみる。父親?
 こいつは滑稽だ。どうやら俺は知らぬ間に父親気取りになっていたらしい。そして長門の成長を見て喜ぶ父親のような心境に陥っていたのだ。馬鹿かお前は?そうさ馬鹿さ。
「なぁーににやけてんのよ」
「どわぁっ!!」
 しまった……思わず入力した文字を消すのを忘れていた。
 すかさずバックスペースキーに手を伸ばそうとするも、声の主によって俺の右手は取られてしまっていた。
「父親??」
 ……いや、そうか……別に隠す必要なんてないか。そんなに変な単語でもないしな。俺は単にメモ帳に父親と入力していただけだ。
「な、なんだよ」
 それでも考えていたことがあほらしかっただけになぁ……声が変に震えるぜ。
「キョン、あんた父親となんかあったの?」
 いいや、別に?
「じゃぁ、まさか……だめよ、SOS団でスキャンダルなんて出しちゃぁ!!」
「はぁ?何のことだ」
「父親になるかもしれないってことなんでしょ!?そんな不祥事なんか絶対あのいけすかない生徒会長が黙ってないんだから!!」
 まて、お前の思考回路は可笑しい。もう少し単純に考えて見ろ、な?
 まぁ大体会話で察しただろうと思うが、ここに来たのはハルヒだ。で、勘違いMAXでどんどん先に突っ走っている。本気で悩んでいるのか面白がっているのか冗談なのかは分からないが、とにかく前者は絶対にありえないだろう。顔がにやついている。ま、だろうと思ったからこそ俺はこれ以上何も言わず苦笑するばかりだったわけだ。なるべく早く16bit×3の情報を消し去ってしまった。全く人騒がせな頭をしている……俺の頭がな。
「あのぉ……遅くなってすみません」
「やぁ、僕も遅くなってしまいました」
 とまぁ、なんだかんだでSOS団勢ぞろいだ。部室の女神、朝比奈さんと迷探偵古泉樹のご登場だ。さて、これからいつも通りのSOS団の活動が始まる。
 と言っても、活動なんてかこつけてはいるが、駄弁りながら俺と古泉はボードゲームを、長門は読書、朝比奈さんはお茶くみ……ではなく今日はどうやら宿題の方に手がいっぱいのようだ。ハルヒ団長閣下はホームページの確認と不思議情報の検索と俺への八当たり。
 はぁ、まぁ、別に重労働じゃないからいいけどよ……いちいちオカルト情報に食いついては真面目に考察させられる俺の身にもなってみてくれ……畜生、古泉の笑顔がむかつくぜ。
「またネッシーで騒ごうとしてるわよ。私ネッシーは居てもいいと思うけどいい加減に別な仮説が出てきてもいいと思うのよ。いつまでも低俗なことばかり言ってちゃ本当のネッシーが逃げちゃうわよ」
「ああ、きっとネッシーは眠いんだ。水底でいつも眠っているんだ。しかし眠っているときは地面に擬態していて、体の表面を泥と一体化させて気付かれないようにしているんだ。そういう仮説でも立てて学会に発表してみたらどうだ?」
「ははは、それは面白そうですね」
 モニターを指差してまくしたてるハルヒに適当に答えてみた俺を見て、古泉がそんなことを言いやがる。馬鹿もん、そんなことになったら世界中の湖からネッシー〜的存在の未確認生物たち〜が本当に大量発生するだろうが。
「確かに、それはそれで面白そうね。キョンにしてはひねくれた答えで面白いわ」
 俺がひねくれてないって?それは普段の俺が単純だと、馬鹿だと言いたいのかこの野郎、とは言わないでおこう。
「んなことあるわけないだろう。妄想空想あることないこと口から出まかせだ。面白くもないしな」
 自己弁護はともかく一応、このくらいは言っておかないとな……最悪の事態はすでに何度か起きているのだ。生態系がこれ以上崩れるのだけは勘弁してほしい。
 俺はハルヒが見ていたインターネットブラウザを閉じ、もう一言二言否定してから古泉とのチェスを再開した。
ルークを移動してチェックメイトと一言言うと終了なのだが……再開する意味はあるのだろうか……?

 
 
 
 

時は過ぎ日は暮れ、俺は家路を辿っていた。なんとなく、本当に特に意味はなく長門の隣を歩いてみようかと思ったが、父親という二文字が俺の脳裏に浮かんだ瞬間その選択肢は潰えた。なので、途中まで帰り道が同じなハルヒと肩を並べて帰るわけだが……
「ネッシーか、居てもいいわね」
「困る」
「なんでよ?」
 お前がそう思うと本当に出現してしまうからだ、と言いたいような気もするがそれは逆効果なので口にしないことにした。とはいえ、頭ごなしに否定するというのも逆に居たらいいな精神を刺激してしまうかもしれない……ここは軽く流すのがベターか?
「普通が一番だろ。こうやってSOS団がいつも一緒に仲良くやってる。それだけで俺は本当満足なんだがな……」
 ため息交じりに言ってやった。するとハルヒはじっと俺を見つめ、フンっと拗ねたように視線をそらす。
「そんなの面白くないじゃない」
「おっと、それは予想外だ……まさか、あれだけ馬鹿騒ぎしておいて面白くなかったとでもいいたいのか?」
「もうっ!別にそういうことじゃないわよ。みんなといるのは楽しいわ。古泉君は転校生だしよくよく見てみると面白いキャラだし、有希はマニア向けに必要でしかもメカに強いでしょ、そんでもってみくるちゃんは揉みごたえがあるし……」
 最後のは聞き捨てならんが……
「私が求めているのはそういう、平凡じゃないの。なんか変なことを私たちで解決したり、私たちが変なものに遭遇したり、そういうのがいいのよ」
 漠然としているな。思わず苦笑しながら俺は立ち止まった。こいつは気付いていないんだよなぁ。本当はお前を中心にいろんな面白いことが起きているんだってことにさ。
「なによ?」
「いーや、何でもない。」
 躓いただけだ。と適当に流して俺は再び歩き出した。ため息を聞かれでもしたら大変だ。変なことを根掘り葉掘り聞かれても困る。
「早く帰るぞ〜」
「なによぉ、変な感じ」
 お得意のアヒル口で、ハルヒは俺の後を追ってぶつかってきた。背中を抉られる感触を覚えながら俺は体勢を立て直し、これ以上攻撃されないように適当な言葉を紡いで残る帰路を踏みしめることにするのだった。

 
 

 その道が、帰り道ではなく次の事件へ一方通行の回廊であることにも気付かずに……

 
 
 
 
 

 神人よりも現実的で、カマドウマよりも幾分か直視しやすく、気持ち悪いというより怖いと思えるこんな存在を俺は今まで見たことがない。でかい物っていうのはそこにいるだけで怖いものなんだな。まぁ、ものっていうよりは、生き物なんだがな。
「これには実に困ってしまいましてねぇ。いかになかったことにするか組織でも頭を抱えているところですよ」
 爽やかに困った顔をしてこっちを見てくるハンサムボーイ、古泉樹。
「わあぁ……おっきぃぃ……」
 初めて動物園に来た子供のような反応をして、感動すると同時に彼女も恐怖を抱いていたのだろう。おっきぃ生き物を眺めながらその腕は俺の腕をからめ取っていた。カマドウマの時の失敗は無い、今度はその感触を楽しんでいる俺がいた。はははぁ〜、こりゃたまらん。
「……」
 で、相変わらず無表情の長門……あ、朝比奈さん。そろそろ腕を離してくれないと、本当に、はは、どうにかなっちまいそうでぇ〜。
「おや、落ち着きがありませんね。現実を直視できていますか?」
「正直に言おう。無理だ」
「そうですね。一般人でしたらそれでまかり通ります。ですが貴方は当事者に一番近い存在なんですよ?そこのところは自覚できていますね?」
 はぁ、そうかいそうかいわかったよ。
 さてところで、いきなり話がぶっ飛んだもんだからわからない人も多いだろう。OK、その辺は心得ているつもりだ。とりあえずこのぶっ飛んだ生き物がなんであるか、回想シーンの途中で予測がついた時点で笑ってやってくれ。

 

俺は珍しくハルヒとの会話の主導権を握ることができたことで少しばかり浮かれていた。家に帰って俺のベッドを占領している妹と猫をどかし、ちょっとばかり仮眠を取った後で晩飯をたべて……ようやく寝ようとしていたわけだ。歯を磨き終わってあくび交じりに自分の部屋の扉を開けて、そこにいたハンサムボーイの顔を見なかったことにして俺はベッドに入り込んだ。
「おや、ご機嫌斜めですか?」
 ん?なんか声が聞こえるな。俺は入ったばかりの布団から上半身だけ起こして部屋を見やった。
「こんばんは。ちょっとばかり急ぎの用事なので上がらせてもらいましたよ」
 ほう、これは実に立派な幻覚だ。俺の部屋の真ん中に古泉が見える。俺も相当寝ぼけているようだな。と、思いながら俺は布団を深くかぶろうとする……が……
「キョンくぅ〜ん!おきてくださぁ〜いぃ!」
 幻覚が二人に増えたところで俺の脳細胞は活性化の兆しを見せた。アドレナリンが分泌され、眠気は完全に空の彼方へとフライアウェーイ!俺が振り向いた先に待っていた光景は特盛り!!いや、落ち着け……
 布団からゆっくりと起き上がった俺は、俺のベッドにすがりついている人を見た。うむ、まぎれもなく朝比奈さんである。だが、その格好は、どう見てもパジャマ姿。愛らしい、愛らしすぎる。部屋に置いていつまでも鑑賞していたいくらいだ。しかも微妙に困った様子なのが又、庇護欲をくすぐられる。
「涼宮ハルヒの力が発動した」
 まぁ、このノリで行くと当然いるだろう人物も、古泉の隣にいた。制服姿のままの長門だ。そして長門が言った言葉に俺は思わず声を大きくして答えてしまいそうになる。
「夜ですよ」
 ンナこたぁ分かっている。
 てか、長門は制服で就寝していたのかそれとも寝る前にこの事件に気づいたのか……どちらでもありそうな気がする。
「ハルヒが、閉鎖空間をつくったのか?」
 今日は別にそんなに不機嫌そうではなかったはずだ。だというのに、何がどうして……
 俺が考えていると、古泉が口を開いた。一度忠告してからこいつは若干会話の距離を離しているようだが、それでも近いと思うのはなぜだろうか。
「いえ、閉鎖空間ではありません。別な力の発動です」
 別な力?と言われて、俺の脳裏少しばかり回転が遅れた。寝ぼけているせいもあるかもしれないが、最近のハルヒが大人しかっただけにその力について忘れてしまっていたのだ。閉鎖空間が怖いとしか思っていなかったので、忘れても無理はないだろう。
「まずは見てもらえば話は早いですよ」
「何を見るって?」
 朝比奈さんの姿ならもう既に網膜に焼きつけたが……
 とかなんとか言っていると、古泉は肩をすくめて窓の外を指差した。見ると、どういうつもりか屋根伝いに梯子が立て掛けられている。お前ら、不法侵入かよ。そして道路には黒くて長い車と、運転手でお馴染みの新川さんが見える。
「湖ですよ」
 そこで、すぐにピンとこなかった俺の頭は、多分既に現実逃避していたんだと思う。

 
 
 

さて、湖についた。もう分かっているだろう?結論から言うとそこにはそう、首の長い恐竜みたいなやつがいて湖を陣取っていたのさ。
「いわゆるネッシーですね」
 北高付近の湖に突如として現れたのだ。信じられないがその信じられないことが今目の前で信じなくてはならないぞとでも言いたいかのようにその存在感を大いに奮っているのだ。信じなければならないのだろう。
「……こういうことかよ……」
 ハルヒが、作りだしたっていうのか?という典型的なあっけに取られ方はしない。俺は頭痛に悩まされた。
「このネッシーは、つい最近までこの湖の底で眠っていたそうですよ」
 古泉がハンサムボイスで俺に語りかける。
それが何でまた目覚めることになったんだ?それにどうして今まで発見されてなかったんだとついでに聞いておこう。
「目覚めることになった理由はさて置き、今まで発見されなかった理由としては、ネッシーが土に擬態していたからですよ。眠っている間はね」
土に擬態?こいつはどんな生物だ?
 と、現実的な返答を待ち望んでいると、今度口を開いたのは制服姿で面白くもない動物園に来て興味のない生物を眺めているような無表情の少女だった。
「我々がネッシーと呼ぶこの存在は、古代恐竜の一種。この時代に存在するどのデータにも該当しない生物だが、ジュラ紀における生物に酷似していることからその生き残りであると判断される」
 ジュラ紀の時点で既に情報統合思念体の目はこの星にまで及んでいたのか……と思いかけたところで、そういえば情報統合思念体は地球の成長をずっと見てきたんだったなと思いだす。
「この恐竜を示す言語が存在しない。便宜上ネッシーとして話を進める」
 と、そこまで言って長門は俺の方をじっと見た。
「……いい?」
 どうやら返答待ちだったらしい。ああ、いいよ、続けてくれ。
「ネッシーは常に湖の底のなど水圧がある程度高く、薄暗く、柔らかい泥の多い場所にほぼ生涯を通して存在している。またネッシーの睡眠時間は長く、日本の四季で言うと夏、秋、冬は眠り続ける」
 羨ましい生き物だ。
「その間の排泄は背中の空孔より行われ、周囲の泥と混在することによって存在が隠蔽される」
「ということはネッシーは弱肉強食で言うところの弱肉の立場にいたということか」
「そう言える。筋力はあまり強くはなく、同じ体格の外敵から身を守る術は無い。故に湖で生きるように進化した生き物」
「なるほど、なかなか現実的な存在の仕方だ。ハルヒにしてはリアルにここに恐竜がいたかのような……」
「その通りです」
 は?
「ネッシーは、ここにいたんです」
 いた、とは?と聞こうと思った俺が、唖然とした状態から明確な意識を持つより早く、古泉は朝比奈さんに視線を送っていた。
「え、えぇっと……ネッシーはこの湖で細々と繁殖と衰退を繰り返し続けて来たんだけど、厳密にはネッシーがいたことになったのは今日の夕方頃なの」
 いたことになったのは……なるほど、それこそハルヒがネッシーに改めて興味を抱いた時ですか。
「そして、情報フレアの発生時間を明確にして、その時間の出来事を検証してみたら……そしたら」
 そしたら、なんです?
「キョン君の、あの話が……」
 あの話というと……
「もう気づいてもいいころでしょう?」
 古泉が口を挟む。黙れ、今考えているところだ。
と思ったが、よく考えるまでもない。このネッシーとやらはどうやら変な体質があるようなのだ。土に擬態しているとかなんとか……その話はどこかで聞いたような気がする。いや、聞いたようなじゃない、話したようなだ。
 いやいやいや、待て待て待て
「するってぇと何か?」
 まさか今回のハルヒの騒動は、一概にハルヒの思い込みではなく……
 言ってしまえばこのネッシーの生みの親は……
「そういうことです。このネッシーは、言ってみればあなたの言葉から生まれたもの。つまり、このネッシーの生みの親は、涼宮さんというよりあなたであると言った方が適切なんです」
 なんてこったい。父親役は長門相手にするだけで十分だぜ。これ以上娘が増えてもお父さん困りますよ。第一これがメスなのかどうかさえも怪しい。
「因みに生物学上、雌のようですよ」
 知ったところでどうということは無い。ともかく、このネッシーは、俺の思いつきから生まれてしまった空想の具現化した生物なのだ。信じ込むハルヒもハルヒだが、当時の俺は何て大それたことをしてしまったのだろう。いつものように、『そんなことあるわけないだろう』と一言言って放っておけばよかったんだ。そうすればこんなことにはならなかった。そうだろう?
 だが、そういう思考回路に結び付く前に、ちょっとした懸案事項がその時あったんだと、俺はちょっとばかりあたりを見回して思い出すのだった。
「一応今は長門さんの力でこのネッシーの姿は住民には見えていません」
本当に大丈夫なのか?
「ネッシーと湖には不可視の属性をつけて、我々四人以外には元の湖のままに認識させている。問題はない」
「猶予はどのくらいあるんだ?」
「隠し続けることに明確な限界は無い。しかしイレギュラー因子を取り除く行為は早い方が良い」
 ああ、それは分かってるさ。早く何とかしなくちゃならないよな。しかし、だとしても今回はちょっと異常な事態かもな。第一、今までの突拍子もない事件とは違うんだ。
「そう、今回はあくまで、このネッシーの存在は科学的に証明できる範囲内での出来事となっている。万が一このまま発見されてしまえば、涼宮さんの意識において、ネッシーが嘘戯言だったという適当なオチにつなげることは不可能となります。発見されないにしても、涼宮さんにしてみれば貴方の土中潜伏説は説得力のあるものだったらしく、こうして貴方の言った通りの存在の仕方をしている。これは、今回はなかなか手ごわいかもしれませんよ」
 ……かもな。理由もなく出てきたものを、フィクションとして再確認させることは前にもやったし、簡単なことだ。しかし今回のことは古泉の言うとおり、あり得る話ということ……いや、俺は断じてありえないと思っているのだが、どうやら俺の思うありえないは世界単位のありえるに片足つっこんでいるらしく、まぁつまるところ、今回はちょっとやそっとの『じゃーん、嘘でした』じゃ事が済まなくなってしまっているのだ。
 はぁ、落ち着き始めたころにこれかよ。やれやれだぜ。
「いやぁ、敵意も何もない純粋な涼宮さん事件は久しぶりですね」
 そういやそうだ。最近はハルヒ関連の事件よりも何者かの介入事件が多かった気がする。長門が調子を悪くしたり、朝比奈さんがさらわれたり、あの数々の事件のことである。それに比べれば、ハルヒの妄想〜半分は俺のだが〜をかき消すくらいの事件なら可愛いものである。
 ふと、ネッシーを見上げてみる。長い首をもたれて、その顔はまるで俺を見ているようでもあった。目があったのだろうか?ネッシーはおもむろに口を開くと、鳴き声をあげ
―キィァァァァアアアアアアアアアアァァァァァァァァ……―

 

「……ネッシーの発生する空気振動は我々四人以外には感知できない。安心していい」
ありがとよ長門。危うく呆け続けて朝比奈さんの腕が腰に回っていることを忘れてしまいそうだったぜ。だが長門、その視線は気になる。よく分からんが……
とりあえず、ネッシーがここにいても長門が特に負荷も何もかからない安全な方法で〜負荷がないかどうか敢えて二度聞いて確認したのは言うまでもない〜何とかしてくれるらしく、当分は誰にも見つからないから大丈夫らしい。
「とはいってもなぁ……」
 えっと、これなんて言うんだっけ?お、おー、
「なんと言いますか、逆オーパーツですね」
 そう、それだ。
「その時代の技術では到底存在しえないもの……大抵は大昔のクリスタル製の髑髏などが該当するのですが、今回に至っては逆ですね。古い時代にあったありえないものではなく、今この時代にあるありえないもの、です」
 ここに存在しえない、大昔の生物が存在してしまっている。これもある意味普通のオーパーツなんじゃないか?
「貴方にしてはずいぶん実のない疑問ですね」
 あぁ、そうだな。まぁ、つまるところだな、俺が言いたいのはこんなオーパーツは俺たちの手にはあまる代物だってことだ。そして存在し得ないはずだった生き物は存在しなかったことにする。それも早急にそうすることが、一番いいことだと俺は思えるね。
「それもそうです。個人的にネッシーに会えたことは感激ですが、この事実は僕たちだけの秘密といたしましょう」
 『最も、話したところで奇人変人扱いされるのは目に見えていますが……』などと続けやがる古泉。安心しろ、俺はハルヒに振りまわされはじめる前から多少の奇人変人扱いには慣れている。俺は何となく朝比奈さんを腰からやんわりと引きはがすと、その手を取って立ち上がらせるのだった。

 
 

 翌日、火曜日のこと。俺はいつもの窓際の席で片時の平穏を味わいながら大きな欠伸を漏らしていた。春の陽光というものは人を怠惰な気分にさせるようだが、その怠惰な気分と共同戦線を組んで襲い来るのがこの眠気。心地よい眠気に身を任せたり、ちょっと逆らってみたり、そういう境目の状態が何とも心地よい。ついでに言うと体がポカポカしてくるのも嬉しい。ああ、平穏よ永久に続け……
とまぁ、余裕請いてはいるが、実際昨日は時間も遅いということでネッシーを何とかしようとするの会は開かれずに終わっていた。それに、ハルヒのコンディションを確認しておく必要があったからだ。
 ネッシーのことを忘れさせるにしても、不機嫌なのか機嫌が良いのかで攻略方は微妙に違ってくるのだ。ハルヒの機嫌の如何を知った上で、今日の放課後の活動というか駄弁りを終了させたのち、長門の家に集合する予定なのである。
 古泉いわく、『流石に今回はタイムトラベルの機会は無さそうですかね』と、しょんぼりしていた。違うぞ古泉、そこは普通なら女子の家に上がるのは初めてだとか、長門の家ってどんな感じなんだろうとか、そういう感想を漏らすべきところなんだ。俺達は本格的にずれ始めているようだ、と自覚させられた。
 などと、異能の出来事を回想したりなんだりしているうちに、本日の真打登場。いや、本日ではなく、ここ四年程の不思議発見の創立者、涼宮ハルヒ大閣下だ。俺は教室をずかずか歩いてくるそいつを見て、再び視線を彼方へ戻した。ずかずか歩いてくるのはハルヒがハルヒである証拠のようなものだ。機嫌の判断要素とはなり得ない。
「……おはよ」
 机にカバンを置いてから、若干間を置いて挨拶する。っと、この挨拶の仕方は珍しい。なんだかしおらしいハルヒに驚きながらも俺はいつも通りに挨拶を返した。
「おう」
 片手をあげて反応をする俺、そして机の方を向いていた体を教室の中心を見るように直し、顔は90度右。ちょうどハルヒの顔が見えるような位置で座りなおす。なーんてことをやっていると、まるで俺には涼宮ハルヒ意外に話す相手がいないかのように思えてくるかもしれないが、それは大きな間違いだ。俺にだって友人の一人や二人や三人や四人以下略、いるにはいるんだが、どうしてか最近はハルヒの様子をいちいち見なくてはならないようになってしまっているのだ。囚人を監視する収監……いや、もっと適切な表現があるはずだ。皇帝の横暴を未然に防ごうとする敏腕大臣というところか、って、大臣?俺はいつからそんなに偉くなった?まぁ、ハルヒの偉さを指し示すためには王という言葉を使わざるを得ないので、必然的に俺にもそのすぐ下あたりの権限が与えられてしまうことになるのだ。偉いのは俺じゃなくてハルヒなのさ。俺から見れば何一つ偉いとは思えないのだが。
「春って退屈よね」
 俺の大好きな時間は、今自分の席に座って両腕で頬杖をついているハルヒ皇帝によって完全否定された。ひでぇ。
「藪からコブラでも出てきたような発言だな」
 と、一言言ってやるとハルヒは、獲物が釣れたとばかりに口を開き始める。朝の雑談の始まりだ。
 まぁ、この朝の雑談というのは、決まって全くくだらない問答だったりするわけなのだが、どういうわけかハルヒはこのわけのわからん問答になんらかの意味を見出しているらしい。俺としてはそういう風に時間を使うよりも惰眠をむさぼって体力を確保しておくことの方が数千倍も有意義に思えるのだがね。ああ、失念していた。0を何倍にしても0は0のままか。
「春っていうのは、人を怠惰にさせるわ」
 それに関しては俺も同意見だ。
「それがいけないのよ。こんなあったかくて平和な一日を過ごしていたら、日常に隠れている不思議が姿を見せることなく眠っちゃうわ」
「隠れているんだから眠っているかどうかも分からないだろう。」
それに眠っていてくれた方が安全だと俺は思うね。特に近くの湖にいるUMAに関しては。
 まぁ紐解いてみればなんてことは無い。ハルヒが不満そうなのは、春が来たからだったのだ。でもこいつなら四季全てに文句をつけてまわりそうだな。例えば、
「春の責任者を呼びつけて忠告したいものね」
 ……ああ、今俺とハルヒが五文字だけシンクロしたことは誰にも内緒だ。話すなよ。
 というより、春の責任者なんてものが本当に現れたらそれこそ不思議を発見したことになるんじゃないのか?多分見つけたら今のハルヒならすぐさま文句を言うことに集中してしまい、その存在が不思議であることなんか忘れてしまうはずだろう。
 トントン……ハルヒの指が机を叩く。
「……」
 会話が途切れる。思わず、俺は聞いてしまった。普段は見てとれることなんだが、なんとなく、だ。
「退屈か?」
 まずその通りに見えるわけだが
「退屈だけど……」
 中々面白い切り返しをしてくれたもんで少し驚いた。
「キョンっぽく言えば、懸案事項を抱えているからそんなに退屈でもないかもね」
「ほう、お前が物事を考えるとはな。どうせまた宇宙人が如何にして侵略作戦を練っているかとかそういうところだろう」
 俺がそんな感じで問いかけると、ハルヒはチッチッチッと指を振って、今回は違うのよねぇなどと言った。今回はってことは、普段は考えているということなのだろうか。
「今考えているのはねぇ、とても大きなものよ」
 大きなもの……ねぇ。
「それは何かの行動か?大きなことを成し遂げたいとか、そういう類の」
 思春期にはよくあることだ。大きな目標を抱いて、その実現が不可能だと思い知って挫折する。それを今やってもらうととても困るわけだが、とりあえず返答はNOだった。
「ある存在についてよ」
 存在、大きい……
「また闇の組織とかそういうことを言い出すんじゃないだろうな。この町にはそんな大それた組織なんているわけないだろう」
「あー、そういう存在とは違うのよ。一生命体のことを言ってるの。これ大ヒントよ」

 

 ああ、そうさ。答えなんて知ってる。たったカタカナ四文字の簡単な答えだ。
 ただ、答えたくなかった、信じたくなかっただけなんだ。
「ネッシーのことよ」

 
 
 

「ということは、現状は非常に困難であると考えた方がいいですね」
 時は過ぎて放課後。俺の憩いの場であるはずの部室での活動は全く身に入らなかった。つまるところ、朝比奈さんとの交流を楽しんでいる暇はなかったということだ。
 今話しているのは古泉、そして話の内容はハルヒ、でここは喫茶店、ってことはもうおわかりいただけているだろう。そう、ハルヒ抜きでのSOS団会議である。
 で、何故俺達が長門の家ではなくここに集合しているのか、それはちょっとした理由も何もなく、ただ単に早急に事実を知らせるべきだと思ったからだ。ハルヒが帰ったのを見届けてから近場の喫茶店に入って、そして今に至るというわけだ。
 現段階で、とりあえず朝比奈さんはおっちょこちょいをやらかしてはいないようだし、長門の食欲は順調で、古泉が企み顔ではなく真剣に考えている様子を見るだけで分かる。今回の事件は問題ない、話は簡単だ。話はな。今回はハルヒの頭の中からネッシーが存在しそうだという記憶を消し去ること。ネッシー存在の可能性をデリートすることが目的なのだ。ほら、言葉にすると簡単だ。だが、問題はそれをどうやって行うかだ。
 しかも、古泉が言ったとおり、普通の手立てではうまくいかないことが判明。なぜなら、ハルヒは朝の出来事の後に俺にある事実を話していたのだ。
『昨日、ネッシーが現れる夢を見たのよ』
 夢っていうのは深層心理における記憶が反映されることが多いらしい。深層心理ってのは、わかりやすく言うとしみついた汚れのように消えない意識だ。夢で無意識のうちに恐れているものが出てくることがあるのは知ってるな?そういうことだよ。
 で、ハルヒは夢にネッシーを見てしまった。つまりどういうことか?
「それって、涼宮さんがネッシーを半ば信じてるってことですか?」
 ああ、朝比奈さん。まさにそのようですね。まったく、そんな非現実的な生き物をどうしてああまで信じられるかねぇ。
 俺はハルヒを冷やかしながら冷えたコーヒーに手を伸ばした。
「しかし、今ネッシーが存在していることは現実です」
 冷えたのは俺の手だけではなく肝もだった。そうだった、長門のおかげで見えなかったが、ここに来るまでに通った湖には、あの巨体が眠っているのだった。決して非現実的なもんか、今のリアルはネッシーが存在するリアルなんだ。アンリアルは俺の、『ネッシーなんているわけない』という発想の方か……今に始まったことではないが狂ってやがる。
「そして、涼宮さんの深層心理にネッシーが存在している。これは困難というより、すでに危険な状態であると言えます」
 危険か。お前の見解はどんな感じなんだ?
 古泉は、コーヒーに入れるミルクを器用に片手であけ、それを注ぎながら話し始める。
「深層心理とは、心に根強く存在し続けるものです」
 ミルクは沈殿し、コーヒーの下部で蠢いていた。
「しかし普段はその深層心理を読み取ることはできません。何せ深い層にある心の理と書くものですから……失礼ではありますが、涼宮さんが深い層を見ることのできる心理学を履修しているとは思えませんので、通常と同様と考えて話します」
 ああ、構わんとも。
「その深層心理にあるネッシーは、普段は見えないものではありますが。夢で見たりして自覚すると急に無意識のフィールドから、意識のフィールドに引きずり出されることになります」
 言って、古泉の指はストローをつかんだ。コップの底に沈殿していたミルクにストローをさし、持ち上げるとミルクが点に上るように縦に広げる。
「そしてやがて意識下でも無意識下でも、ネッシーの存在が涼宮さんの中で確立されていきます」
 ミルクはやがてストローによってかき混ぜられ、黒い液体は乳白色を受け入れてミルキーなブラウンに変わっていった。
「涼宮さんの意識は、そうなろうとしている段階にあるのです。万が一、ネッシーを探しに行こうなどとでも言いだしたら、その時は涼宮さんにネッシーの存在を忘れさせるより、世間に自然にネッシーを受け入れさせることの方が簡単になってしまいますよ」
 それは、聖書に存在しない生き物を滅ぼした聖職者たちの逆バージョンか?涼宮ハルヒという聖書の中に存在してしまったから存在させてしまうというその理屈に、俺は背筋が凍りつくような思いをした。
「まぁ、今回の場合涼宮ハルヒという聖書は、即ち世界であるということでもあるので、成るように成ると思うんですがねぇ」
 と、古泉にしてはなんだかやる気のないような発言が出てきた。
「しかし、我々リアリストがネッシーを受け入れるのは非常に困難です」
 最終手段といたしましては涼宮さんに、『ネッシーがいることは常識である』と認識させてしまえば、必然的に世界全体がネッシーを常識ととらえることになるので、そういう手も考えてはいます。
 だと?冗談だとは思うがもし本当にその作戦になったら俺は気が狂いそうだね。あ、いや、狂うことは無いのか……
「きょ、キョン君?」
 と、そう考えると全てが分からなくなる。もしかしたら、今俺が生きているこの日常でさえハルヒが勝手に思い込んだ常識にまみれているのか?
例えば犬猫だ。俺の家にいるシャミセンも、そこらを走り回って行動に汚物をご丁寧にお供えしていく野良犬も、居て当たり前と思っているが。もしかしたらそれは涼宮ハルヒが望んだ地球外生命体なのかもしれない。その地球外生命体が、ハルヒが思い込んだだけで存在し、常識となり得るのであれば、この世で信じられることは何一つないのではないだろうか。
ああ、だめだ。疑心暗鬼のスパイラルだ。
コーヒーをストローでかきまぜる。もはやその味なんてわかったもんではない。もしかしたらこのコーヒーが苦いのだって、ハルヒが『コーヒーが苦かったら面白い』なんて考えでこの味が流通しているのかもしれないんだと考えてしまった。
 クイッ
「!?」
 服をつまんで軽く引っ張られる感覚に驚き、思わず肩を震わせて反応してしまった。ストローが乱暴に動いてコーヒーがコップの中で踊り狂う。
 俺の服をつかんでひっぱったのは、隣に座っている長門だった。
「……」
 危ない危ない。この考えはどこまで考えても負の感情しか生み出さないな。
「ああ、大丈夫だ」
 無言の瞳が大丈夫かと尋ねているような気がしたので俺はそう答えた。すると長門は頷いて、口を開く。
「涼宮ハルヒの言動は一般人からかけ離れてはいるが、存在しえないものを信じたり理解することができないものを理解できたりという能力を持ち合わせてはいない。また、常識を曲げようとする意志もあまり見られない」
 そういやそうだったな。ハルヒは、不思議を求めてはいるが同時に不思議なんてすぐに見つかるわけがないとも思っている。だからこそ、あいつは俺達が陰でこんなことをしていることに気づいていないのだ。
 そこんところをよく考えれば簡単な話だ。コーヒーが苦かったらあいつはコーヒーは苦いものなんだと思ってその常識を覆そうとはしない。もし口に合わなかったら普通にガムシロップとミルクを注ぐことだろう。犬猫の話だって、あいつは見たことも聞いたこともない生き物を作り出すなんてことはできないはずだ。見たことのない生命体を望んでいても、その具体的な姿が分からなければ創造するのは難しいのだろう。
「……貴方はネッシーの存在に関して気負いしている」
 と、長門がまたなんか言い始めた。
「ネッシーが生まれたのは自分の些細な発言からだと、そう思っているように見える。前例によって、些細な出来事から涼宮ハルヒが常識からかけ離れたものを作り出すことを恐れている」
 ……黙って聞いているだけの俺。落ち着いてコーヒーを口元に運んだ。
「だが今回のケースは極めて稀であると言える。貴方の発言が涼宮ハルヒの想像と多少の合致があった。その事実が涼宮ハルヒにネッシーという存在を強く意識させることとなっただけ。万が一の確率を引き当てたにすぎない」
 長門の話を聞き終えて、コップから口を離す俺。なんかするすると入ってきては通り過ぎて行くような話だったが。つまるところ長門が言いたいことは分かった。
「励ましてくれてるのか?」
 苦笑を浮かべて尋ねてみると、長門はワンテンポ遅れてから答えた。長門にしては珍しく、断定的ではない返答だった。
「多分」
 言って、長門は自分のコップについているストローを口にくわえた。
 そこで俺はとあることに気づいた。さっきから、あるはずのストローを使わずに口をつけていたことに。
「キョン君、大分疲れてるみたいですね」
 ええ、まぁ、そのようです。
「ネッシーの隠蔽に未だ限界は見えない。優先すべきは問題の解決より体調の管理」
 そうだな、もし隠蔽に限界が見られるようになった時に、俺達が〜今の場合俺が〜体調不良だなんて言ってられないもんな。
「では、今日は大事を取って休養といたしましょう」
 古泉はそうまとめると、脱いでいた上着を再び着始めた。
「なんか、悪いな。せっかく集まったのに」
 言うと、古泉は首を横に振るった。
「貴方がいなければ話が進まないんですよ。僕たちだけではどうしようもできません。貴方の体調管理は最優先させるべきだと、僕もそう思いますからね」
 そして古泉は意味ありげに長門に視線を向けた。
「私も、そう思います」
 続いて朝比奈さんだ。
「涼宮さんを止められるのは、やっぱりキョン君じゃないと無理だと思います。私達、少なくとも私じゃ役不足だし……」
 ああ、貴女はそのままで良いんですよ朝比奈さん。ハルヒの暴走に的確に対処できるのは未来の朝比奈さんだけで良いんです。そのまま、そのままで居てください。少なくとも今は……
「それじゃ、期待に答えるしかありませんね」
 と虚勢を張ってみたが、やったことがある人は知っているだろう。虚勢を張るってのは意外につかれることなんだ。やってみたところ俺はそれまで感じていなかった疲労を一気に感じて、語尾は若干裏返ってしまっていた。畜生、恰好がつかん。

 
 
 

 そういうわけで、知らず知らずのうちに疲れがたまっていた俺は、どういうわけか今帰り道を長門とともに歩いている。古泉はバイトがあるとか言っていたが、何か考えがあってのことなんだろう。その顔はいつものつかみどころのない笑顔だった。朝比奈さんは基本的に帰りが一緒になることがない。というか彼女はどこに住んでいるんだろう。って考えてみると俺は長門以外のメンバーの家を知らないんだな。
 なーんてことを考えながらのんびりと、ゆっくりと、歩を進めていく俺達。あたりはオレンジ色に染まっていて、俺達の影も発売間近のゲームの発売日並にかなり先にまで伸びていた。『のびる』違いだということは内緒だ
 さてまぁ、俺の場合長門と一緒に居ても、タイムトラベルに夢を抱く古泉ではないので特になにもすることがない。図書館で並んで本を読む程度のことくらいしかできそうにないこいつと帰っても、ロマンスの一つや二つが生まれるとは思えない。しかもこいつ、やっぱり相変わらずしゃべらないのだ。だからもくもくと影を追いながら帰途をたどるしかない。
 まぁ、今更長門にピーチクパーチク喋ってこられても困るわけだが……しかし万が一おしゃべりな長門に変るんだとしたら、電波なことをマシンガントークするような真似だけはやめてほしい。
 そんなこんなで、長門の家と俺の家の方向で別れる道についた。まぁ、一人よりは幾分もマシな時間だったとはいえよう。隣に人がいるというのはやはり落ち着く。ついでに言うと女の子なので高揚感も多少。……うん、まぁ、多少。
「じゃ、またな」
 俺は短く長門にそういうと、どうせ返事もしてもらえないだろうからスタコラと自分の家の方向へと歩いていった。

 

「……また」

 

 ……………………
 振り向いた時には、すでに長門の後ろ姿が見えるだけとなっていた。

 
 
 
 
 

翌日の学校でのこと。
相も変わらない生活をして、俺は放課後を間近に控えた六時限目を迎えようとしていた。つまるところ今は休み時間である。
でっかくて重い懸案事項を抱えながら過ごす俺にとって、休み時間はある意味授業中よりも頭を使う時間だ。この短い時間で外れでもいいから答えに若干近いものを考え出さなくてはならない。当たっていなくても古泉とか長門が何とかしてくれるだろう。その間違った答えから正解へと導いてくれるかもしれない。若しくは、タイムトラベルを利用することだってあるかもしれない。そうなると朝比奈さんも大活躍だ。
いやいやいや、他力本願でどうする。俺は昔のRPGで勇者たちに経験値を送り込むような魔王じゃない。俺たち四人で立ち向かわなくてはならないのだ。ハルヒという大魔王にな……
「よぅキョン。ボケっとしてるなよ!」
 魔王の手下、谷口が現れた。
「うるさい、俺は今考え事で忙しいんだ」
「ふーん、ま、何について考えているのかはあえて聞かないでおいてやる」
 あーそうさ。どうせ涼宮ハルヒについて考えてたよ。お前にはお見通しだろうな。
しかし厳密にいえば俺が考えているのはハルヒの作りだしたネッシーについてだ。
「まったく、朝から放課後まで涼宮のことばかり考えて、本当にあいつのことが好きなんだな。付き合っちゃえば?」
 そんなことは未来永劫起こりえない。可能性は天文学的な確率をさらに小数点以下の数字で除算した値のように極僅かだ。
 因みに、起こりえないとか言いながら可能性はあると言ってしまうあたり、俺の成長ぶりが表れている。まぁ、あり得ないと思っていたものが身近に四人もいて、しかも一人は神様扱いときたもんだ。そんな状況下ならありえないと言っているものにも可能性があるように思えても来るものさ。
「極僅かねぇ……まぁ、そうかもな。何でも起こりえないと決め付けるのは良くない」
 谷口がそんなことを言い始めた。なんだか嫌な予感がするぞ。
「そうだよなぁ。ネッシーだって存在するかもしれないし」
 は?お前今何つった。
「ネッシーだよ。お前らんとこの団長、次の標的はネッシーらしいぞ」
 …………マジかよ

 

 軽い足取りなどとうの昔に忘れてしまったわけで……放課後、掃除の当番があるハルヒをおいて俺は部室等へと急いだ。その足取りは軽くは無いが遅くもなく、力強く前進していた。
 階段を上って、角を曲がってすぐそこのSOS団の部屋。かなり早くきたもんだから恐らくいるのは……
「長門っ」
 勢いよく扉を開けると、やはりそこには無口なアンドロイドがいた。いつもとは違う俺の登場に若干驚いているのか、その顔は素早く俺の顔を捉えた。
「結構状況はまずいことになってるかも知れん」
「どうしたの?」
 長門の表情に変化はない。相変わらずだな、俺はこんなにも慌てているのに。
「ハルヒがネッシーについて本格的に興味を示しだしたらしい。次の週の休日にはネッシー探しを開始するとかなんとか……」
 よもや、俺の墓穴がここまで広がるとは思ってもみなかった。ネッシー探しをするだと?冗談じゃない。実際にネッシーがいる湖が近くにあるんだぞ。もしかしたらハルヒ神様の御利益で発見してしまう可能性もあるかもしれない。それに実際にそんなことをしてしまったら、見つけるまでやるとか言いだすんじゃないのか?
「可能性は否定しない」
 ああ、まずいことになったかもしれないぞ。
「まったくもって、その通りです」
 計らったかのように現れるな!びっくりするだろう。
「びっくりしたのは僕の方ですよ。貴方らしくもないですね、慎重さに欠けています。涼宮さん絡みの話は扉を開けてするものではありませんよ」
 あ、ああ、そうだな。
 古泉の登場によって冷静に慣れた俺は、ひとまず落ち着くことにした。あー、柄にもなく慌ててしまった。どうしてこんなことになるんだぁ?額に手をあてて考えてみよう。よし、何一つわからない。
「落ち着いてください」
 言われて俺は額にあてた手を力なくぶら下げた。そして近くにあった椅子をつかんで引き寄せる。一秒ほどその椅子の木目の板を眺めた後、がっくりとうなだれて倒れこむように俺の腰は椅子に引き寄せられた。
がったんと音を立てて座ると、途端に何かが降りてきたかのように体が重く感じられるようだ。うなだれる。漏れるはため息。
「……」
 長門が見つめてくる。
「大丈夫だよ」
 なんとなく、心配してくれているような気がしたので言ってやった。するとまた長門は文学少女に元通り。
 しかしミステリアス少年はそのままだった。神妙な面持ちで俺をまじまじと見て、肩をすくめはしたが本心は見せない。どういうつもりなんだか、わかりたいようでわかりたくないようでおぞましいね。
「さて、では僕もお話を聞かせてもらいましょうか」
 まぁ、話すのは簡単だ。伝えることに時間を要することもない簡単な事実なんだが……
 俺はうなだれた状態から上半身を持ち上げて、部室の扉を見やった。年末とかで掃除はしたが、やっぱり古めかしい容貌は変わらない。
「論より証拠ってやつだ」
 たったったったった……何の音かって?足音さ。
「へぃ!お待ちぃ!」
 やってきましたは我らが主役。満面の笑みで入ってくるってことは当然奴の話は既に俺にとって不都合極まりないものであること間違いなし。予測はしていたが、こうまでジンクス通りに事が運ぶと迷信とかを信じたくなるね。
 で、見ると古泉はすでに笑顔を取り繕っている。これは対涼宮用マスクに違いない。何度となく同じ顔を見てきた気がする。
 ハルヒ大閣下様は、ご来室なさられたあと、机に飛び乗って、仁王立ちした後に振り向いた。見えたような気がするが今はそれどころじゃない。
「日曜のSOS団活動が決定したわ」
 とかなんとか言いだしたので?俺がうんざりして扉の向こうに目をやると、おずおずと入ろうか入るまいか考えている朝比奈さんが目に入った。タイミングよく来ていただけたものだ。衝撃的シーンはこれからだってところですよ。
「ネッシーを探しちゃいましょう」
 ほれ来た。末期だ。
 俺としては予測の藩中だっただけに、反応は結構薄かった。他の三人も反応は静かだった。みんな、ああ、やっぱりこうなったか、的な視線を俺やハルヒに送っているのだ。
「ははは、忙しくなりそうですねぇ」
 古泉が言ったその言葉は、いったい誰に放ったものなのか。なんとなく、その場にいた全員があてはまるような気がして、俺もまた自分に言い聞かせるのだった。今回もまた、語れるくらいの面倒事になるのだなぁと……

 
 

今俺はなかなか珍しい連絡のとり方をしている。メールだ。
今日は結構遅くまで部室で駄弁っていたので放課後に集まるのは無理があるだろうと判断し、俺達はむしろ早いとこ帰路についてメールで情報をやり取りするようにしたのだ。
もしかしたら、初めから相談をするのにメールを使えばいいだろうと思っている人もいるだろうが、そりゃ無理な話だ。実際にやってみたケースもあったんだが、専門用語が出てくる度に質問し返していてはメールの履歴が古泉と長門で埋め尽くされてしまうようになるさ〜朝比奈さんはこっちの分からないことを教えて呉れる範囲で教えてくれるので含まれないぞ。それにあの人のメールの速度はちょっと遅いので連絡は取りにくい。電話した方が早いのだ〜。結局まともな会話ができなかったので、それ以来話し合う時は正真証明面と向かっての話し合いをすることと取り決めたのだ。
やむを得ないってところだな。
でもまぁ、こんなところで字だけで会話しても中々ってところもあるだろ?結局のところ話し合いは長くは続かなかったわけだ。
「困りましたね。このままではネッシーの存在を認める羽目になりそうです」
「それだけは避けなければ、だな」
 と、こんな感じで会話は打ち切られた。主に会話の形式は、全員が俺と古泉のやり取りを見ながら、長門はその案の欠点を説明したり、朝比奈さんは相槌を打つなり『そんなの無理ですよぅ(;△;)』とかコメントしたりだ。結構メールでもなんとかなるもんだな。それもこれも俺がどのくらいの言葉を理解できるのかを長門達が理解してくれたおかげだろう。
 まぁ、そんなわけで今俺は手持ち無沙汰だ。することなければ考えても馬鹿の考えなんとやら。ベッドに転がって怠惰な晩飯までの時間を過ごすだけだ。シャミセンがいたら背中でも撫でてやり、妹さながらの観察行動をおっぱじめてもいいんだが、そんな時に限ってシャミセンは俺の部屋にはいない。今は妹の部屋で何をしているのやら。いや寧ろ、何もしていないのかもしれない。
 ふぅ……やれや……!
 いつもの言葉が出かけたところで、先ほどまで電池が熱くなるほど使用していた携帯電話が鳴り響いた。この着信音は、メールではなく電話だ
 しかも、今まで電話で会話した記憶がほとんどない女性からの問い合わせだ。若干緊張が走る。緊張しながらも俺は携帯を開き、通話ボタンを押した。
「……」
 言葉が出ない。ワンテンポ遅れてから、俺の耳に透き通るような声が聞こえる。
「私」
 一人称の言い方一つでその人物の特定は可能だ。言わずもがなであろうことは承知しているつもりだが長門である。
「よう、お前から電話なんて珍しいな」
「……本人との対話が望ましいと思い。電話するに至った」
 ってこたぁ俺に気を使ってくれたってわけか。確かに、電話での会話なら幾分かはメールよりも面倒が少ないかもな。しかし……
「長電話になりそうなら俺からかけなおそうか?」
 一応ここは、俺が負担してやるべきなのだろう。おそらく電話で話さざるを得なくしているのは俺の方なのだから。だから俺からかけなおして料金の負担を俺が背負おうと思ったのだが……
「いい」
 長門はあっさりと否定した。もしかしたら、この通信手段自体長門は携帯電話を用いていないのかもしれない。電話と同じ要領で電波を送る術を長門が持っているのかもしれないし。そんなわけで俺は受信側にとどまることにした。
 てな訳で、用件を聞いてみることにした。
「どうした?ハルヒのことか」
 長門は、俺が今発言することを予測していたかのようにきっちりと間を開けてから話した。しかしどうにも、俺の最後の発音に声がかぶせられるように発せられたのは珍しい失態だったな。
「……違う」
 ということは、この電話はどういう電話なのだろうか。
 相手が長門でなければ若干の期待もあるというものだ。そう、ラブコールという淡い期待……まぁ、残念ながらその相手というのがピンポイントで長門なわけで、期待なんて初めからしていない。では、まさか長門が自分自身の異変を感知したとか?それで俺の報告を……
「悪い報告ではない」
「よ、よく分かったな」
 別に声に出していたわけではないのに、聞きたいことをぴしゃりと答えられて驚愕する俺。すると長門は意外なことを言ってきた。
「今の沈黙の状態からして、貴方が不安を抱いている様子がうかがえた」
 俺も長門の沈黙を理解できるようにはなっているが、よもや俺の沈黙も長門の理解の藩中になったと、そんなことを予測することはできなかった。
「それなら良かったよ」
 じゃあ、何か、ネッシーに興味でも持ったか?
「違う」
「ま、何でもいいから話してくれよ」
 意外な話が聞けるかもしれない。先ほどのしもしない期待とはまた別の期待をして、長門の言葉を待った。
「貴方は、今日も調子が悪そうだった」
 で第一声がこれだ。
「ん、まぁ、そうだな。あん時はちょっと焦ってたみたいだ」
「そう……大丈夫?」
「ああ、今は全くもって無事だ」
 ちょっと待てよ。相手が長門だからどんな話を振られるのかと思いきや、なんかまともな滑り出しじゃないか?思えば、長門とこんな会話をするなんてことは珍しいような気がする。それも、俺が長門の心配をするんじゃなく、わざわざ電話してきて、尚且つこの言葉からすると
「……もしかして、心配かけたか?」
 心配してくれてるような気がしたのだ。尋ねると長門は、珍しい受け答え方をして返す。
「………………多分」
 えらくタイムラグがあったな。まぁ俺も聞き方が悪かったかもしれないな。だがここで俺が言うべきことはただ一つだ。電話の向こうの相手には分からないだろうが、俺はほほ笑んで返答する。
「悪いな、心配掛けて、あとありがとうな」
「……いい」
 相変わらず、片言の返答だ。だが俺はこの新鮮な状況を嬉しく思っていた。
 相変わらずの言葉しか放っていないが、長門がこうも直接的に心配しているようなことが今まであっただろうか?というか、積極的なアクションがだ。
「それでも、一応俺達が今回の事件を解決しなくちゃならんのだから、体を壊さないように今日は早めに寝ておくよ」
 それが得策だろう。たぶんここで長門と直接話していたら、長門は無言でこくりと頷いていたことだろうさ。案の定、電話の向こうからは肯定の声が聞こえてきた。
「その方がいい。……私の要件はこれで終わり。接続を終了しても?」
 ……こいつ、本当にそれだけのために電話したんだな。父親〜(笑)〜としては嬉しい気分だ。とまぁ、そんなこんなで浮かれていたため。
「ん、ああ。今日は特に聞きたいこともないしな。また学校で会おうぜ」
 重要というか、これまた珍しい発言に気づくのが、数秒遅れてしまうこととなるのだった。
「わかった。おやすみ」

 

おやすみ……か……
 後日思い返すと、この日の晩飯以降のことはあんまり覚えていないのだった。
 因みに、携帯の履歴には普通に携帯電話からの着信が記録されていた。

 
 
 
 

後日
ん?授業中のハルヒ?言わずもがな、嬉しそうに明後日という日曜に控えたUMA的不思議発見の旅を企画していたさ。流石だね、どうやら今日は教師の授業を聞いてやる気もないらしい。俺はただただ、後ろの隠密作業を隠す壁の役割をするばかりだ。教師に見つかって指摘されて不機嫌になるという状況に見舞われるのはごめんだからな。
というわけで、上機嫌だった閣下の様子はともかく、俺達は放課後を迎える。さぁ、作戦会議だ。
部室等に足早に到着すると、俺は落ち着いてドアノブを握った。おっと、ノックを忘れるところだった。
コンコン
「……どうぞ」
 おや?
 促されるがまま、俺は部室に一歩踏み入った。そこにいたのは長門だ。なんとなくこいつがノックに対する返事をするのが珍しいので、俺が意外そうな顔をしていると長門は視線をこちらに向けて言った。
「意外?」
 心を読んだかのような質問だ。
「ん、まぁ、少しな」
失礼、じゃないよな?長門は無口な人間だってことは周知の事実だ。
 俺がそういうと、長門はそれ以上何も言わなかった。だが、気になるのはその挙動だ。挙動、と言っていいのかもわからない。逆か、動かないことが気になったんだ。
「……どうした?」
 いつもなら手にしている本にすぐに視線を移すところだ。長門は話すことを話したらそうする習慣がある……と思っていた。しかし今回は違ったのだ。長門はずっと俺のことを見ていた。質問の後もずっとだ。
 そんなわけで俺が問いかけると、長門は不可解な返答をして見せた。
「何が?」
 何がって、お前がずっと見てくるから気になるんだよ。
「…………」
 若干俯いて考え込む長門
「迷惑?」
 そして視線を戻してそういう。可笑しい、明らかに可笑しい。
 俺はまた、長門のエラーを蓄積させてしまったのだろうか。そして世界が改変されているんじゃないかと疑った。しかし明らかに部室の様子はハルヒと朝比奈さん、そして古泉の存在を示している。パソコンはあるし、コスプレ衣装も勢ぞろい。ボードゲームが多数あればここはSOS団の部室で間違いないのだ。
 では何故長門の様子がおかしいのだ?世界を改変したわけではないのなら、ここは間違いなく現実だ。だというのに……
「迷惑ではないが……お前、大丈夫か?」
 俺は座ろうとして手に取りかけた椅子を元に戻した。そして両手を腰に当てて、長門の視線と自らの視線をからめてみる。
「なんか、様子が変だぞ?」
 長門らしくないというか、何というか、熱でも出てるんじゃないかと思って俺は長門に歩み寄ってみた。だから、常に俺を見つめ続けるな。反応に困る。
 そして熱を計ってみようと長門の額に手を伸ばしてみた。やがて、接触。
「うぉっ!」
 思わず手がはねた。冷たっ!
「お、お前……」
 あわててもう一回触れてみる。手のひら全体で触ると、今度は冷水に手を浸しているような感覚が襲ってきた。これはやばいって!
 良く見たら窓が少しあいている。この隙間風に当たり続けていたせいだろうか、長門の体はすっかり冷え切ってしまっていたのだ。
「ちょっとこっちに来て、座ってなさい」
 ストーブの前に椅子を置いて、そこに長門を座らせた。手を引くと長門は素直に反応し、大人しく座ってはくれた。後は、一応早く温まるようにと俺の上着をかけてやったが、反応は薄い。ただその一連の作業の間、長門はずっと俺のことを見つめていた。
「お前ものすごい体温してたぞ。大丈夫なのか?」
「現在影響は見られない。また、今後も動作に問題はないと推測される」
 そいつが本当ならお前の体は相当頑丈に作られているか、抗菌作用も為されていてさぞ完璧な体なんだろうよ。
「強度に関してはあなたたちと同様。菌類の感染に関しては……」
 ああ、もういい。いいからもっとストーブに寄れ。
「……」
 ようやく長門の視線が俺から外れた。まったく、何だってんだ?
「寒くなかったのか?それとも、有機ヒューマノイドは温度を感知しないのか?」
 長門が嘘をつくことは無い。だからさっきの温度で居ても実際は全く影響がないのだろう。だがしかし、人間的な着眼をすればあの温度は正直言って放っておけるレベルではないのも事実だ。
「温度の感知機能は存在する。ただし、その温度変化によって起こりうる事象においては幾分か操作可能」
 わからん。
「……風邪はひかない」
 よし、わかった。
「かといってな、わざわざ寒い所にいる奴があるか。寒いと不快にならないのか?」
「問題ない」
 ……嘘だろ。
「そういうものなのか」
「そういうもの」
 長門の小さな頭が縦に小さく動くのだった。
 温度を感知はするが、その後の事象はコントロールできる。……風邪をひかないってこと……まさか、こいつには寒さとかを不快と感じる機能すらないんじゃ?
 なら原始反射も存在しないってことなのか?
「原始反射は存在する。しかし我慢することも可能……」
「言っておくが、やって見せなくていいぞ」
 言いながら長門の手がストーブに伸びるんじゃないかと思って、俺は一応釘を刺しておいた。いやな予感というのは大抵当たるものだからな。それに、長門の指先が本からはなれそうになっていたような気がしたんだ。
……わけがわからん。どうもおかしいぞ……
「っへぃ!おまちぃ!」
 と、人が不安を感じながら今後どうするか考えているときに、閣下がおでましになったようだ。俺は丁度入口に背を向けていたので、見えないように聞こえないように小さなため息をついて振り返った。
「また何か思いついたのか、今度はネッシーに餌でも与えるつもりか?」
 振り返った先にいた少女の手には……違うな、振り返った先にはいろいろな肉製品の中に少女が二人と男が一人埋もれていた。いや素直に言うと、様々な肉製品をその三名が手に持ってきたのだが、ハルヒ大閣下様と朝比奈みくる神様と赤色球体様がその様たるや背伸びするお子様が洗濯物を両手いっぱいに抱える様にそっくりだったのだ。お肉様様、と、これで様を八回繰り返したことになるな。
 で、そのうちの一人、閣下は恐れ多くも私の声を肯定なさってくださいましたとさ。
「その通りよ、勘がいいわね」
 振り返る寸前まではそんなこと微塵にも考えてなかったんだがなぁ?
「す、すみません、キョン君……も、もってくれませんかぁ〜?」
 ああ、朝比奈さんが肉につぶされてしまう。
 とまぁ、そんなこんなで、今日は終始ネッシーを餌付けするためにはどうするか、という大喜利によって持ちきりとなった。菜箸による方法よりは火ばさみ〜デレキとも呼ぶ〜による投与がベストとのことだが、意外なことに朝比奈さんから、『ラクロスで使うラケットに入れたらどうでしょう』という案が出て驚いた。どうやら是が非でも遠くからの投与を希望したいらしい。まぁあれだけデカイと恐怖を感じざるを得ないだろうがね。当然古泉の野郎は終始相槌と現実性の追求に徹して副団長のポジションを全うした。長門は、いつもの通りだ。
 ハルヒは空想の話をしているつもりだろうが、俺達にとってはそんな風に当たり前にネッシーに餌を与える時が来てほしくはない。というか来てはならないのだ。いるはずではないものが勝手にのさばるのはよろしくないわけである。
 何とかまともなエンディングを迎えたいぜ、俺は。

 
 
 

とまぁ、こう言うハルヒの精神に関して考える場合において、活躍するのは主に朝比奈さんではない。朝比奈さんは自分のやることが定まっていないと、不安で自分からの行動はなかなかできないお方だ。今回もネッシーへの恐怖や、ハルヒが冗談で『みくるちゃんを餌にしましょうか』などと言ったことを気にしてしまい、対策を練っている暇なんかなかろう。未来での貴女はしっかりしているんですがね……
そして、長門でもない。ハルヒの、昔の占い師然りの突拍子もない考え方について討論する相手にこいつはふさわしくは無い。長門は主に、考えた末での俺と古泉の決定が現実的に可能なのか考えてもらう役だ。となると、考察要員は二人に絞られる。家路についた後、電話でのやり取りをしている俺達は頭を悩ませていた。
「さてぇ、どうしましょうか」
 ああ、日にちは少ないと思っていいかもな。やばいぞ。
「ええ、今日は木曜日です。そして涼宮さんがネッシーを探しに行くと言ったのは日曜日。それまでにネッシー探索を断念させないことには、最悪ネッシーの発見を許してしまうことになります」
 ハルヒが望めばそうなる可能性は非常に高い。……はんっ、望めば?自分で言っておきながらだが、へそで茶が沸かせる位笑える話だ。望めばなんて言葉は必要ない、あいつはそう望むようにできている人間なんだ。
「同感です」
 この会話は、携帯電話による通話だ。思いもよらぬハルヒの行動の早さに戸惑い、集結する算段すら整えられなかったので、早急に帰宅したのち俺は古泉に電話をかけていたのだ。嘆かわしいことに自分一人の考えでは解決できそうにもないしな。
「涼宮さんが行動に移りかけているということは、よっぽど見つける気満々なのでしょう。」
 あれだけ肉を買いこめばやる気が十分すぎることは十分すぎるくらい伝わるな。
「これまで不思議を発見できなかったのは、主に涼宮さんの望むことが大雑把すぎて具体的でなかった為、接触まで意識が回らなかったのだと思います。ですが、今回は明確な不思議との接触の状況を思い描いています」
 ハルヒがネッシーに接触する可能性が高いってことだな。
「その、通りです」
それも、長門の情報操作をも上回る能力を行使してだ。俺達の手でそれを回避するのはもはや不可能と言える状況まで来ているのかもしれない。肉の山をデレキで掴んで差し出す動作をするのも時間の問題なんじゃないのか?
「では、筋トレでもしてその日に備えますか?」
 冗談じゃない。俺は動物を飼うのは嫌いではないが、巨大な古代生物を湖で飼うほど奇特な趣味ではない。できることなら回避したいさ。
「では何とかしないと、日曜に世界にはネッシーがはびこるようになってしまいますよ」
 あの湖周辺に大きな動物園ができたりとかな。
「あり得ます。ネッシーを移動するよりは動物園が移動するほうがはるかに楽ですし、もともと公園の中と言うこともあって改装は容易です。木々も多いので心安らぐ動物園として売り出せばこれほどうってつけのところは無いでしょう」
 ああ、そうか、と言うことはこの町の周辺にも人が多くなって盛んになるわけだ。毎朝学生しかいないあの坂道ももっと学生以外の活気にあふれるようになり、学校帰りに駅を使わずとも買い物ができてしまう……いいことづくめだ。
「……あのー」
 そうだな、本屋ができたら長門と一緒に行ってみるのも悪くない。それだけじゃない。ゲーセンが近くにありゃ谷口だって……
「そうなると、僕たち機関としてはとても困ることになるんですが……」
 ……俺は一呼吸おいて、古泉の顔を凝視した。
 わかってる。そんなことは分かってるんだ。だがどうにかして正当化して、自分のダメージを少しでも減らそうとだな……
「そこまで責任を感じているとは……正直意外でした」
 わかるような気もするが失礼なような気もする。古泉が言っているだけに余計に。
「あまり気負わないでください。こちらも全力でサポートいたします」
 そう、正直言って俺は落ち込んでいる。今まで何度となくハルヒの暴走を止めてきた俺が、まさか自分のしりぬぐいをみんなに頼むことになろうとは……
 すまないな、古泉。
「いえ……安っぽいセリフに聞こえるかもしれませんが、僕たちは仲間ですよ。助けあうのは当然です」
 しかし俺には何の力もない。ハルヒがどんな行動をするかの予測を立てることはできても命中させることは不可能に近いのだ。いつも俺が予測するのは奴の行動の斜め下だ。しかもそれしか取り柄がない。それでも無能なりに迷惑はかけないようにと思っていたんだが……
「つまり、自分は何もしてやれないのに助けてもらおうとしているなんて、虫がよすぎるだろう。と思っているんですね?」
 その通りだった。俺は携帯を耳に当てながらベッドに倒れこむように、いや、倒れこんだ。
「僕は、僕たちは、貴方がジョン=スミスであるがためにここにいられると思うんです」
 いきなり何を言い出すかと思えば。
「それだけでも十分僕は助けられていると思いますし、それに貴方は聞くところによると鋭利な刃物で刺されてでも世界を元通りにしてくれました。むしろ、僕の方が恐縮していたところですよ」
 ……しかしお前はカマドウマをやっつけられるし神人だって……なんて野暮なことを言おうとした俺の口はベッドにこすりつけられているのでうまく言葉にできない。どうせ喋ってもぐだぐだになるだけだ。発言する前に気づいた俺は言葉を飲み込むという挙動を体現する。
「恩にきる」
 電話の向こうで風が吹き込むような音がした。何を吹き出していやがる古泉?
「いえ、貴方に感謝されることはあまりないので、嬉しくなってしま……」
 プツッ、ツー、ツー。
 ああ、指が勝手に赤いボタンを押してしまったよ。悪いな古泉。
 さて、電話をぶつぎったものの、あいつに考えることを任せてしまったという形になったのは頂けなかったかもな。俺の方からも策を練る必要があるかも知れん。ほら、ハトが突然変異したときだって俺に一手が残されていたじゃないか。それもあんな簡単な方法で、だ。俺にだってやれることはあるはずだ。クールになれキョン。
 まぁ、当面やることは一つだ。明日のためにも、そしてこれから先起こりうるすべてに対しての準備だ。
 ……寝る……

 
 
 

チュンチュン、と雀のさえずりが聞こえるのは朝が来た証拠。そんな音を聞きつけた俺の体は起床への一歩を辿らんと、ベッドから半身を起して伸びをした。やがて体の筋肉が活動できるように成ると、俺はおもむろに立ち上がり、カーテンを開けて朝日との対面を果たした。よぅ、今日も眩しいな。
かくして、どう考えたって寝ながらじゃ全く答えが出るわけもなく、翌日を迎えることとなった俺。朝日の輝きは真っ白、窓から見えるお隣さんの洗濯物も真っ白、ってなわけで、頭の中も真っ白となっていた。
俺に頓知の神様でも降りてきたならば話は別なんだがなあ。おそらく今この瞬間にもパパーっと思い浮かんでパパーっと解決してくれそうだ。とまぁ簡単に一休さんレベルのIQを持った生命体が現れられても、古代恐竜レベルの大きさのネッシー異常に扱いが面倒くさそうなので考えないようにしよう。
まてよ?
むしろ、居てくれた方がいいのか?ハルヒの能力の副産物として存在すると倫理的にあれだが……IQ180とかの超人がいてくれたらきっとこの状況の打開策でも考え出してくれることだろう。非人道的ではなく人間らしい考えで、尚且つ俺以外の三人の個々の能力を理解した上での打開策を。
これは、考えておく必要があるな。どうすりこめばIQ180の人間が出来上がるか……あと俺とそいつのパイプを確保する方法とかな。口に歯ブラシを突っ込む間、俺は居もしないIQ180の人間とのコンタクトを夢見ていた。
すがすがしい、朝だ。もしかしたら究極の打開策を思いついてしまったかもしれないぞ。

 
 
 

「それは、不可能ですし、できたとしても推奨しかねます」
 とまぁ登校してすぐその旨を古泉に話してみたらこの返事だ。わざわざこいつのいるクラスまで足を運んでやったというのに全面否定か……我ながら良い考えじゃないかと少し思っていたんだが。
「貴方の言わんとしていることはわかります。倫理的な意思と、超人的知能を持った人間がいれば、涼宮さんの暴走を食い止める為の策を練るなど造作もないかもしれません」
 そこは納得してもらえたようだ。しかしここから先は俺には思いつかなかった話だ。神妙に聞くしかないな。
「しかし、そんな人間が存在してしまったら涼宮さんの周りにさらなる危険が迫ってくるかもしれません」
 危険?
「はい。まず、賢い人間であればあるほど、涼宮さんの能力がどれほどの力を持ったものか理解できます。IQ180の人間が、あんな便利な能力を自らの為に活かそうと考えないはずはありません。きっと我々には思いつかないようなあの手この手で涼宮さんの能力を利用しようとたくらむことでしょう。いくらこちらに長門さんが居ても、数で押し切られることだってあります。涼宮さんの能力を群衆に信じさせ、その能力を使うために群衆を用いて涼宮さんを拉致することも可能かもしれませんよ」
 頭がよすぎるのも問題だってことか……
「そして、そんな人間を存在させることが不可能である理由があります」
 不可能だと?ハルヒは望んだ世界を作る能力があるんだろ?
「ええ、ですが、数値外の人間。数値的に存在できない人間は作り出すことができないのです」
 つまるところ、と言って古泉はクスッと笑みを浮かべた。
「IQは160までしか測定できません。それ以上は161以上とひとくくりにされてしまうので、180の人間は存在しえないのです」
 ……そう言うオチか。
 まぁ、とにもかくにも天才生成案は没となった。まぁ、ハルヒの暴走を止めるために暴走を引き起こしてそれを利用するなんてのは倫理的にも良くない気がするし、IQ161以上の人間を、それ以下の平民達がコントロールできるわけもない。確かに考えてみれば穴だらけの案だったな。
「そんな新人物に頼らなくても、できれば僕のことを少しは信じていただきたいものですね」
 と、一段落したところで古泉が困ったような顔でそんなことを言ってきた。
「いや、別にお前に期待していないわけじゃない」
 ただ、こいつに任せるとどうも嫌な予感がしてならないのだ。それがぬぐえなくて、IQ161以上の人間を妄想してしまったのだ。
 俺が取り繕うと古泉はにっこりと笑みを浮かべた。
「はは、冗談ですよ。何はともあれ、少しでも期待されていることはわかりました。おかげで自信をもって僕の案を提案することができます」
 なんだかセルフ墓穴の予感。
「そんな嫌そうな顔をしないでください。今回提案させていただく案はかなりの確率で涼宮さんの意識をネッシーから逸らすことができると推測されます」
 推測なんて付け足すってことは、確実ではないんだな。
「確実なんてものはこの世にありません。というと、また確率論などであなたとの討論になりそうですね」
 確かに、そのテーマで話し合ったら堂々巡りの可能性もあり得る。
「討論というものは僕は嫌いではないのですが、あいにく今は朝のホームルームが始まる時間です」
 そうだった。もうすぐホームルームが始まる時間、俺も教室に戻らないと遅刻扱いどころかこのクラスの担任に転校生扱いされるところだった。
 古泉に言われてようやく事の次第を思い出した俺は、古泉の案とやらに不安を覚えながら座っていた椅子から立ち上がった。
「あ、そうそう」
 立ちあがった途端に声をかけるな。
「今気をつけるべきは当面は涼宮さんであることは間違いないのですが、もう一人、気にかける必要がありそうですよ」
 その言葉の意味に薄々感づくことができたのは、すごいことでも何でもないと思う。こればっかりは。

 
 
 

 最近教師の話などめっきり耳に入らなくなった俺としては長かったような短かったような感じのする授業時間が終わった放課後。俺達は部室に集まっていた。ちなみにハルヒはまだ来ない。例の通り校内探索中だ。
 そんないつ危険人物が来るやもしれぬ状況で会議を進めているわけだが、どうやら古泉にはハルヒがすぐには来ないという絶対的な自信があるらしく、今は熱弁をふるっている。全くもって、あの女の動向を察知できる能力があるならそれだけでもいいから伝授してほしいもんだね。
 朝比奈さんがお茶をお淹れになっている最中にも話は始まるのだった。こら長門、朝比奈さんのお茶を心待ちにするのはわかるが話を聞いてくれ。
「僕なりに今回の対策案を考えてきました。他に案がなければ、すぐにでも発表させていただきたいんですが」
 言って、古泉は部屋をぐるりと見渡す。本を手にしてはいるが会議に集中しているらしい長門、全員分のお茶を配り終わったところで席についてキョトンとしている朝比奈さん、
そして俺。三人の顔を見てから微笑を湛えた。こう、離れた『距離』で見る分には普通のハンサムボーイなんだがなぁ。因みに、その『距離』というのは物理的にでもあり精神的な意味も兼ねている。
「では、僕から発表させていただきます」
 から、ではなく、お前だけだから遠慮しないでやっちゃってくれ。少なくとも今はその案に全力で挑むしかないのだから。
「そうですか?それは頼もしいですね。一番の問題は解決したようなものです」
 なんですと?
「今回の案は、貴方の協力が必要不可欠でして。貴方という存在は作戦の肝どころか、心臓部分を補ってもまだ足りないほどです」
「どういうことだ?俺が何かする必要があるのか?」
「ええ、貴方じゃなければできません」
 とまぁここまで持ち上げられてしまえば当然集まる視線が二つ。
「頑張ってくださいね。キョン君」
 いやいや、まだ何をがんばるのかもわからない状態なんですがね、そこんとこどうしましょうか。
「支援に尽力する」
 ああ、ありがとう、と言っておくよ。
「では発表させてもらいます」
 と、古泉はホワイトボードに歩み寄った。そしてそこにあるペンを持って得意げにくるっと回すと、大きく文字を書きなぐる。そして一言
「といっても、実はそれほど難しい作戦じゃありません。話だけならね」
 ややこしい言い方をしやがる。
 まぁしかし、その古泉の案が具体的に書きあらわされたとき、俺は二つの感情を抱いた。
 まず一つ、納得。古泉の言うとおり、話だけなら簡単だ。そしてもう一つは、後悔。先ほどの俺の発言を、朝比奈さんに頼んで時間をさかのぼり、無かったことにしにいきたいと切に願ってしまいたくなる、何とも見事な後の祭り状態となってしまった。
「なんてこったい。正気か?古泉」
「ええもう、バリッバリの正気ですとも」
 妙な言い回しはこの際気にしないでおこう。
 朝比奈さんが口に手をあて、にわかに赤らんだ頬をしている。そしてホワイトボードの文字をたどたどしく読みあげてくれた。
「恋は盲目……デート大作戦」
 陳腐すぎる。
「…………」
 ほら、長門も本の虫に戻ってしまったじゃないか。思いっきり呆れられてるぞ古泉。
「そうですか。僕としては一切ふざけたつもりはないんですが」
「しかし朝比奈さんはこんな調子だし長門は興味を失ったようだし、何よりあいつが色恋に目覚めるわけがないだろ。あとそのデートの相手とやらも、あいつのお眼鏡にかなう奇人変人がそういるものか」
 俺は古泉の考えを結構批判した。考えは今言ったとおりである。どう考えても無理だろう。ハルヒが不思議発見を放って色恋に走るなんざ……それに以前にも言っていた。自分が男漁りに走ったらせっかく立ち上げたSOS団が意味をなさなくなるともな。
「どうでしょう、ただ僕はこのプランには結構自信がありますよ」
 まるで企画書を提出された会社のお偉いさんみたいな気分だ。
 しかし、上手く行くもんかねぇ?俺がもう一度苦言を呈しようとしたその時、意外にもこの方が賛成の声を上げた。
「わ、私は、この案がいいかもしれないと、思います」
 おずおずと、朝比奈さんが言った。
「え?」
 思わずわが耳を疑った。
「古泉君の案は、あの、多分、今この状況を打開するには一番正解に近いと思います」
「いやあの、ロマンチックな案だとは思いますよ。ただ、ハルヒが花より団子の性質を強く持つ生き物だということは知っていますでしょう?」
 と、俺が説得してみようとするとこれまた意外にも、朝比奈さんは両手を腰にあてて、その優しい物腰を残しつつも俺を叱りつけてきた。
「キョン君……少し失礼ですよ。涼宮さんだって、女の子なんですから」
「え、あ、う……」
 どもる俺。なんというか、怒られたショックと、怒った朝比奈さんも可愛いなぁなんて考える下心が一気に押し寄せて明確な返答ができなかった。
「その、とにかく、このデート作戦は成功すると思います」
 とりあえず、俺は黙って聞くことにした。
 と、黙って聞くと決めたその数秒後に、俺は大きな声とともにその決断を取り下げることとなるのだった。
「きっと、キョン君が上手くエスコートしてあげれば……」
 ……今何と?
「おや、察しがいいですね朝比奈さん」
「待て古泉……話が読めん」
「貴方には、デートをしてもらいます」
「いつどこで、誰と?」
「明後日、駅前で―――涼宮さんと」
 驚天動地だ。

 

 日曜、俺は神様とデートすることになるのだそうだ。
 何だこれ、新手の死刑宣告か?

 
 
 
 
 
 

 土曜の朝。
 みんな誰しも一度はあるんじゃないだろうか。死にたいと切に願うことが。それもこれから起こりうる何かから目を背けるための安らかな死を、だ。このすがすがしい朝に、俺は完全にその状態に陥った。
 死にたい。
 ただ得てして人間こういう時こそ真に死ぬ気は全くないもので、冗談でも刃物を探そうとはしなかったし、太くて丈夫な綱も探す気はなく、カーテンを開ける。……忌々しいまでもの晴天だった。雲ひとつなく晴れ渡った空は、素敵な春の陽光とともに新鮮な空気を運んできてくれることだろう。ただその新鮮な空気は俺に届いているだろうか……心のフィルターが真っ黒な俺に。
 とまぁネガティブ真っ只中の俺がこれから何をするかというと、何はともあれ歯を磨き顔を洗う、でしかない。まずは明確な意識を持つ、そしてしっかりと栄養を蓄え、その上で起きた脳みそをもってしてきちんと考えを纏める。これが健全な人間というものではないだろうか。そうだろう、御天道さんよ。
 そうと決まれば早速行動開始だ。俺は自室を眠くてだるい体を引きずるようにして歩き、ドアノブに手をかけた。そしてゆっくりと開け……っと、危うくシャミセンを踏みにじるところだった。ああ、いつぞやの哲学的なお前ならこの状況をどう打破してくれるかね。もしかしたらお前はIQ180の脳みそを持っているんじゃないか?ああ、そうだな、180は測定値外だったな。
 と、マジで語りかけるといつぞやの改変世界でのように妹に変人扱いされかねないので、シャミセンを踏まないように廊下に出る俺。
「おはよーキョン君」
 妹だ。
「今日はなんもないのに早起きだね」
「早起きさせられたようなもんだがな」
「?」
 キョトンとする小学生の頭をわしわしと撫でると、俺はそのまま洗面所へと向かう。
 蛇口をひねる、水が出る、手ですくう、顔にかける、少し口に入る……いつも通りの行動だ。そして飯をかっくらって、部屋に戻って部屋着に着替える。これもいつも通り。
 さあ、ここまでしたら流石に頭も起きる頃だろう。明確な意思で、正確な判断を下そう。そして考えるんだ、自分が今どうするべきなのかを。
 ……よし!死のう!

 

 非生産的な朝だった。

 
 

 ヴヴヴヴヴヴヴン
「!?」
 死ぬなよ、頑張れよ俺。そんなエールが自らの内側から湧き上がってくるのを感じながら頭を抱えていると、突如として腰元が震えだした。骨盤に響き渡る振動を伝えてくるのは、この電子機器、携帯電話である。驚きのあまり跳ね上がってしまった俺はその勢いのまま急いで携帯を取り出した。
 だれだ?こんな時に。俺は明日の為に体力を温存しなくてはならないのだ。谷口か国木田か、意外なところあいつからとか……
 といろいろ考えながら画面を覗き込む俺。しかし、その画面に映し出される名前は、もっと意外な人物のものだった。
「……長門?」

 
 
 

 かくして、長門と数通のメールのやり取りを交わした数分後に、俺は駅前の、いつもSOS団が集合場所として使う広場にやってきた。というのも長門からのメールの内容が、何やらこれから会って話したいとのことだったので、ほかならぬ長門の頼みごとを聞くためにやってきたということなのだ。
 まさかこの期に及んで何かエラーでも感じ取ったのか?それとも情報統合思念体がまた何かアクションを起こし始めたか?待つ間俺は不安な気持ちでいっぱいだった。
 そろそろ来る時間だろう。俺は一応それなりにたたずまいを直して心構えをした。もしかしたら古泉と朝比奈さんも一緒に来るかもしれないしな。と、そんなことを考えていると向こうからちらほらと人が出てくる。その中には長身のにこやかスマイルの姿も、愛らしい小動物のような女神の姿も見えず……だ。
 ……だが、小柄な文学少女なら発見することができた。しかも私服である。
 クリーム色のカーディガンに淡い緑のワンピース。そこからのぞく細い脚は黒いストッキングに覆われていて、春仕様のそれらしい服装をしていた。この娘、長門が私服で来るなんてな、珍しいこともあるもんだ。
「よぅ」
 とりあえず手を挙げて挨拶しながら俺は歩み寄った。すると長門は
「……待った?」
 コンマ以下のタイムラグの後にそう言った。
「いや、せいぜい五分くらいか」
 そんなもんだろ
「……説明がしたい」
「ん、そうか。じゃあ公園にでも移動するか?」
「喫茶店」
 へ?
「いつもの」
 なんだか長門のリクエストというのも珍しく、そのまま応じて喫茶店に行くことにした。
 それにしてもなんとなく様子がいつもと違うような気がするのは、気のせいであってほしいんだがなぁ。

 

 喫茶店につくとそれぞれ適当に飲み物を注文して一息ついていた。
「で、珍しく俺を呼んだのはなんでなんだ?」
 しかも会議ではなく、二人きりでの接触。思わずどういう意図があるのかと気になってしまう。
「明日のことについて話がある」
 明日、ああ、明日ね。
「なにか問題でもあったか?」
 もしくは他の案でも持ってきてくれたならそれ以上のことはないんだが……
 つっても長門のことだ、昨日の時点で思い浮かんでいなかったということはいい案がなかったってことだろう。多分今この状況で必要とされているのはコンピューターではなく一休さんの脳みそなのだから。
「貴方はデートをして、涼宮ハルヒの意識をネッシー意外に向けさせることが有効であると判断する。変更はない」
 淡々とそんなことを言ってくれるものの、難しいことだぜほんと……
「くじ引きによる班わけは、情報操作によって私があなたと涼宮ハルヒを引き合わせる」
 俺に赤い印を握らせるってことだな。了承した。
「その後、貴方は涼宮ハルヒとのデートを開始する」
「午後の班わけはどうする?あいつ時々班わけを変更することがあるだろ」
 すると長門は、首を横に振るった。
「問題ない。おそらく涼宮ハルヒは午後の班わけは行わない」
「……そうか」
 まぁ恐らく長門が言うんだからまず間違いはないだろう。
「問題はその後」
「……だな」
 言われずともわかっている、奴の興味をそらすことなんて……まぁ他の不思議をぶつけてやればあるいは可能かもしれないが、それでは本末転倒だ。そう、他の不思議をぶつける以外ではとても難しいことなのだ。
「そこで我々は貴方に練習の機会を設ける必要があると察した」
 練習?
「デートの」
 ……古泉の入れ知恵か?た、確かに、女性とのデートに慣れているわけではない。むしろそういった経験は多くはなく、慣れているとは言い難い。練習の機会を頂けるのは願ってもないことだが、そう簡単に言ってくれるな。
「相手がいなくちゃデートはできないぞ」
 そうこう話しこんでいるうちにアイスコーヒーは届き、無意識の間に俺の好みどおりのブレンドがなされていた。ストローでその液体をすすって、俺は喉の渇きを潤した。
「相手は私」
「……!」
 よもや、気管と鼻穴まで潤すことになるとは思いもしなかったぜ。
 むせ返りそうになるのを我慢、するなんてこたぁ人間である限り到底出来っこない話なので、なるべく小さくむせるように気を受けた俺は手早く紙ナプキンを取って口と鼻を押さえた。
「えほっ、えほっ……」
 ああ、もう一枚必要だ。涙も出てきた。
おかげで今長門がどんな表情をしているのかわからない。
「今回のデートを失敗させるわけにはいかない。故に、私を相手にデートの練習をすることを推奨する」
 それにしたって、練習って、お前……
「あーその、だな、長門」
「何?」
「デートの練習ったって、なぁ?相手があのハルヒなんだぞ」
 それに対して長門での練習となると、どうも有意義とは思えない。
「大丈夫」
 何が大丈夫というのか、よく分からんがその後に続く言葉は納得できるような気がした。
「涼宮ハルヒという個体に対しての策を練る必要はない。貴方は自然体で居ればそれでいい。問題となるのは貴方がデートという事実に関して不慣れであるかどうか」
 ……そういうことかよ。
「つまるところ、俺が経験不足なんじゃないかってことだろ」
 良く分からんが古泉には古泉なりに策があるらしい。長門から同行するべきという意見がない以上、俺は本当に自然体で居てもいいのだろう。ただ奴が懸念しているのはおそらく、俺が本当に自然体で居られるかということだ。デートというものに慣れていなければそれすらも難しいというもの。
 そういう意味で長門を派遣したのだろうか……
「懸念する必要はないかもしれないが、今回は完遂しなくてはならない。その為にも練習することが望ましいと思われる」
 まぁ、敢えて考えないでおこう。古泉が何を考えて長門を送り込んだのかなんて、どうせ俺が考えたところで厭味にしかとれん。
 さて今の俺の問題はこの長門の申し出をどうするかだ。過剰に否定するのも必死に見られそうな気がするし、かといって別にそんな練習するほどのことでもないだろうに。
 なんだかんだでアイスコーヒーの温度が0℃を上回りかねない状態となっている。結構長居したもんだな……と、そんなことを考えながら俺は少しだけ外の風景を眺めてみた。
 今日はいい天気である。ぽかぽかの太陽と、桜の花びらを一二枚飛ばすような柔らかい風が吹く過ごしやすい日だ。ここに来るまでに感じたそれを思い出しながら、俺は視線を元に戻す。
 ……結論は意外と早く出た。

 

 休みで、いい天気で、そして目の前には美少女。ときてデートのお誘い。断れるわけもなかろう。結局俺は長門の申し出を受けてデートの練習をすることにした。
「どこか行きたいところあるか?」
「任せる」
 まぁ、だろうな。実際俺がハルヒの意識をネッシーから反らせるためには、俺がエスコートするべきだ。つまるところ今回の練習においてのルールは、湖から距離をとりつつ、何がしか相手にとって興味を引かせるようなものを見つけさせること、だ。
 これがどれだけ難しいことかわかるだろうか……しかも今は長門だからまだいい。本番はハルヒだぞ?ネッシー一直線で来られたらたまったもんではない。
「とりあえず散歩でもするか」
 公園では桜が咲いていて、見栄えもよいし川の音もまた風流を感じさせるスポットだ。以前朝比奈さんの独白を聞いた時に通ったこともある。あれが約一年前か、懐かしいもんだ。
 というわけでやってきました公園の並木道、俺は長門と並んでその道を悠々と歩いている。うむ、お察しの通りだ。さっきからあんまり話という話をしていない。ハルヒの相手も困るが、長門の相手もこれはこれで妙な感じだ。沈黙は嫌いではないが、果たしてこれはデートと言えるものなのだろうかとふと疑問に思ってしまう。
 何か話題でも出そうか、それともこのまま沈黙を甘受するのもまた一興か、などと考えて歩く俺。そしてその隣に寄り添って歩く長門。そう言えば、長門とこうして二人で外を歩くのは珍しいな。朝比奈さんとは仕組まれていたようなものとはいえデート的なことはしたこともあるし、気色悪い手の感触を残してくれた古泉とも閉鎖空間デートをしたことがある。だが長門とはこいつの部屋で長話した程度で、こう、なんて言うか、二人だけで一緒にいた時間ってのは少なかったはずだ。そう思うと、なんか新鮮だな。
 と、お誂え向きなタイミングでアイス売りのおばちゃんが見えてきた。
「長門、アイス食べるか?」
 結構沈黙が長かったせいか、少しだけ喉につかえるような声で問いかける。
「食べる」
 意外にこの娘、小柄な割に良く食べる。進められた食べ物はきっと何でも食べてくれることだろう。だからほとんど俺が食べたかったから誘ったような形ではあるが、アイスを買ってきて手渡してやると
「ありがとう」
 そんなことを言ってアイスを食べ始めた。小さな口がアイスの頂点に近付き、感触を確かめるようにゆっくりと舌が触れる。そしてその部分を口に戻すと、味わうように……
 ……何をじっくり見ているんだ俺は。
「その辺で座って食べるか」
 これ又お誂え向きなことにベンチもある。まぁ、公園だからそうでなくちゃな。若しくはベンチに座ってアイスを食べることを計算しておばちゃんがここで商売をしていたのか。だとすれば商売は成功しているということだ。商売上手いな。
「美味しい」
 長門にしては珍しく、自ら感想を述べてくれた。
「そうだな」
 どうやら満足してもらえたらしい、であれば俺の財布から消えた桜の木も浮かばれ、この並木道の桜のように立派に咲き誇れるというもの。そんなことを考えながら俺もまたアイスを口にするのだった。
 桜、桜ねぇ。
「長門」
「何?」
 長門はアイスを口に当てながらこちらを見る。そんなに気に入ったのか。
「お前たちも、まぁつまるところ情報統合思念体も花見って習慣はあるのか?」
 ま恐らく奴らのことだからどんちゃん騒ぎとはいかないまでも、季節が見せる美を楽しむ心くらいはあるのかもしれないな。位のことを考えて俺はそう質問した。
 しかし、まぁその逆も考えていただけあって、長門の返答にあまり驚くことはなかった。
「情報統合思念体に物質という概念はない。モノを見て何かを思うことはなく、彼らにとってそこにものがあるという情報だけが真実」
 だろうと思ったよ。
「でなければ強硬派なんて存在しないだろうな」
 結構いろいろ考えての発言だったが、それを省いて言ってしまったのがまずかったんだろう。長門はきょとんとした様子でこちらを見ている。アイスをなめとりながら。
「……お前はどうだ?この桜、見てどう思う?」
 俺が意見を求めると、長門は若干考えてから桜の木をまじまじと眺めた。そして、舞い降りた一枚の花びらの軌道を目で追い、風で流れる桜の姿をその瞳におさめた。
「……そこに桜がある。それだけを感じたわけじゃないだろ?」
 ここにいて、間近でこの桜を見たものじゃないと味わえない、季節の彩りと雰囲気。きっと長門には少し難しいことだったかもしれない。知識は前人未到でも、感覚はある意味での実年齢の三歳児〜四か?〜とほとんど変わらないのだ。
「わからない」
 だよな。
「でも……綺麗」
 いい答えだ。
「それだけ分かってもらえりゃ十分だ。つまり俺は今の世界が好きなのさ。綺麗なものがたくさんあって、美味いものがたくさんある。でも本当は、もっと奇麗なものももっと美味いものも求めたり探したり努力したりすればいくらでも見つけられる。そんな世界がな」
 月並みだがな、つまるところはこういうことさ。
「俺なら、勝手に世界を変えられるより、今の世界を維持していきたいね。人類の進化が目的だらしいが、それだって必要ならいつかは起こる出来事だ。どうせなら、自分の足で歩いていきたいだろ?」
 というわけだ。
「もし情報統合思念体がこの桜の木を見て綺麗だとか感じれる奴らなら、無理やり変えようとはしないと思うんだ。自然を尊重して、大革命の回避を模索してくれることだろうよ」
 空を見上げる。きっと情報統合思念体の奴はこんな俺の考えもお見通しなんだろう。もしかしたらこの感性とやらを知った上で情報のみを優先しているのかもしれない。
 まぁ、そうだろうが知ったこっちゃねぇって話ですがね。
「……好きだから?」
「ああそうさ。好きなもんは守りたくなるだろ」
 よくよく考えてみるとかなりこっぱずかしいセリフである。吐いた後からなんだか失敗したような気がしてならない。
 しかし、どうやら長門はそのセリフを結構しっかりと受け止めてくれたらしい。アイスを口に運ぶ手を止めて、じっと桜を見ていた。
「好きだから、守る」
 いったい何を考えているのだろうか。そして長門が好きという漢書ぷをどこまで理解しているのだろうか。考えながら俺はアイスを口に運ぶ。
「……」
「好き……」
 その呟きがどういう意味なのか、俺の頭では到底理解できないことなのであった。

 
 
 

 ショッピングモールにやってきた。目的なんぞ無い。強いてあげるとすればそれはウィンドウショッピングか。今もゆっくりと歩きながらブティックのカラスなんぞを見てまわっている。
しかしきっと思うに、長門に服を買うなんて習慣はあまりないだろう。その気になれば自分で作り上げそうだしな。というか、今の私服はどうしたのだろう、自分で買ったのだろうか。
「どうしたの?」
 おおっと、いつの間にか熱い視線を送ってしまっていたようだ。
「や、長門はいつも制服姿で見るのが普通な気がしてたから……新鮮な感じがしてな」
 別に学校でいつもあっている女子が私服で現れたという、単にそれだけで新鮮に感じているわけではない。長門に関しては休日の接触もほとんど制服だったのだ。新鮮味を感じるのは当然だろう。
「そう」
 何気なーく言った言葉に関してふかーく考えられると少しこちらも困るというかなんというか……長門は俺の言葉に関してじっくりと考察しているらしく、自分の服を何度も見ていた。
「……可笑しい?」
 そして唐突に問いかけてくる。覗き込んでくるような視線。ちょっと不意をつかれたもんで、俺はどぎまぎしながら答えるしかなかった。
「いや、そんなことはないぞ。似合ってる」
 結構歯の浮くようなセリフだなぁ、おい。
「そう」
 行の後半が白くなるような返答をしてくれた長門は、そこで自分の服を見ることをやめた。こちらをじっと見ているからだ。
「……分かった気がする」
 何が?
「……」
 問いかけてみようか、とも思ったが。なんとなく、それは憚られた。逸らされた視線に意味はないんだろうが、なんとなく避けているような気もしたのだ。
 それから数秒ほど沈黙は続いたが、ぼちぼち見えてくるものも変わったころに会話は再開した。まぁ、会話の方もぼちぼちなわけだが。

 

 かくして昼飯もファミレスでいただいたりしてデートらしいデートは終盤を迎える。というかこっから先は長門の用事を済ませるだけのもの。そう、つまり図書館だ。返却と新規貸出の手続きをする為に俺達は例の図書館へと赴いた。
思えば、ここで本の貸し出しカードを作ってやり、そのあと長門の背を押しながらハルヒとの待ち合わせ場所に向かったのも今ではいい思い出……いや、切実な金銭面での消耗は痛かったな。
ともかく室内に入るとその空間は心地よい温度で迎え入れてくれた。
「じゃあ俺は何か読みながら待ってるよ」
 言って俺は適当な席を探そうとした。しかし長門は首を横に振るう。
「すぐに済む」
 ってこたぁついて来いってことか。そんなわざわざ俺が付いていく必要もあるまい。と思ったが……まさかこいつはこいつで、デートであることを意識しているのか?そんな考えがよぎる。
 結局、実に10分ほどしか図書館にはいなかった。てっきりすぐ済むといっても次に借りる本を探して軽く立ち読みくらいはするかと思っていたのだが、どうやら借りていた本の続刊を借りに来たらしく、選択の時間はかからなかった。

 
 

 さてまぁ、そんなこんなでもう世界が赤らんできたころだ。夕方に差し掛かって、俺達は帰途についていた。
 この道を行けば長門の住んでいるマンションである。そこを経由してから俺は自宅へと戻ろうと考えている。平たく言えばお開きを眼前に控えているってことだ。
「なんか、普通に遊んできた感じだな」
 練習でも何でもなく、ただ長門とその辺ぶらぶらしてきただけみたいな感じがする。まぁ、そうなるだろうと踏んで承諾していたんだが、こうまで普通に長門と一緒にいたのも珍しい。
「……練習」
「ん、あぁ、まぁ、今日みたいな調子で普通にやれば何とかなるんじゃないか?」
 錬修になってないなら意味がなかった。とか言われたら怖いのでその辺は繕ってみる。んー、曖昧すぎる。減点だな。
「……忘れてた」
 お
「……」
 言葉を見失い頭をかく俺。数歩ほど歩く間、俺達は次の言葉を見つけられずに沈黙するばかりだった。長門の場合は喋る必要がないと思ってるかもしれないがな、俺としてはちょっとばかり気恥しいような気がして、言葉を選びすぎた。
 結局、出たのはこんな言葉だった。
「楽しかったか?」
 その問いかけに長門は、こちらをじっと見つめながら答えた。
「……」
 相変わらず、数ミリほどの頷き。しかしそれはいつもよりコンマいくつか分くらいの差ではあるが深い頷きのように見えた。
「それなら良かったよ。俺も今日を退屈しないで過ごせたしな」
 あとは帰って明日への英気を養うだけだ。ああ、愛おしい今日という平和よ。願わくば俺のためにもう少し続いてくれ。今日だけ48時間ほしいね。
 とまぁ程よいところで長門のマンション前だ。そこで俺は立ち止まると、長門のほうに向きなおった。
「んじゃ、また明日な」
 まぁ普段だったらこのまま振り返って颯爽と歩きだすわけだ。そして今日の出来事を思い返しながら悠々と歩いて行く……の、はずなのだが……どういうわけか今日は長門が、珍しいアクションを起こしてくれてしまった。
「少し……」
 振り返りかけたおれのからだがゆっくりと長門に向きなおる。
「時間が、欲しい」

 
 

 こうやって長門の家に入るのは何度めだろうか、思い返せば例のゲーム制作の時なんて何度入ったことかわからない。覚えてない、思い出したくもない。
 というわけで、長門に招かれて俺は長門宅にお邪魔することになった。ああ、そういえば初めて来たときはここで何杯もお茶を頂いたなぁ。あんときは長門の意図が読めず困惑したもんだ。
いや、「は」じゃないな。いま「も」長門が何を考えているかよくわからない。何か、問題でもあるのだろうか。長門は俺を先に玄関に入れると、何やら一動作してから動き出した。
「長門……」
 玄関に入るや否や、長門はそそくさと家の中に入って行った。その様子を見ていると入るように促し、彼女はそのままリビングへと向かった。
 で、少し気になって扉を確認した。……カギが閉まっている。これから話すことはとても重要だとでも言いたいのだろうか。
「上がって」
 なかなか来ない俺の様子を見に長門がリビングから顔を出す。
 この時の長門はカーディガンを脱いでいて、ワンピースだけを纏った姿だった。確かに室内は適温だ。そのくらいがちょうどいいんだろう。俺も上着を脱ぎながらお邪魔させていただくことにした。
 俺が入ってくるのをまるで飼い主が家に帰ってきたのを心待ちにしていた猫のように見つめていた長門は、俺が近寄るとリビングを抜けてキッチンへと向かった。お茶を出すのであれば今回は拒否権を早い段階で行使したい。ぜひとも。
 つってもまぁ、この状況は悪い気はしない。女の子と二人っきりの部屋で過ごすなんてこたぁ、おそらくあんまりないことだろう。しかし状況が状況でなければ俺ももっと興奮したり緊張したり喜んだりできるんだがな……ああ、長門が有機アンドロイドとかじゃなかく、普通の女の子だったらこの状況にときめくだろうさ 。
「くつろいで」
 棒立ちだった俺にそう促す有機アンドロイド。その手には湯のみと急須が乗ったお盆がつかまれている。
「ああ、そうだな」
 きっと長い話になるのだろう。俺は例の如く、テーブルの前に座った。すると長門はテーブルにお盆を置き、俺の右隣に座った。
 そして、どことなく慣れた手つきでお茶を入れる。そういえば、朝比奈さんのお茶くみの様子を熱心に見ていたような気がしたな。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
 さてこの時点で俺がとてつもなく気になることが三つある。
 ひとつは、このお茶が朝比奈さんがよくお気に入りでお淹れになる、雁がねというお茶であることだ。長門のチョイスが意図的なのかどうかとても気になる。そして、次に、長門の肩口。彼女が来ているワンピースはノースリーブだったので、今この距離では結構その片口の露出が目立って見えてしまうのだ。で、三つ目は、この距離。まぁ、なんだ、普通こういう、話し合いの時ってのは得てして机をはさんでお茶を飲みかわすのが定型じゃないか?長門が正体を明かした時だってそうだったしな。
「美味しい?」
 ああ、そうだったな、この質問も覚えているぞ。
「ん、ああ」
 しかし色々なことが気になって仕方ないので、うやむやな返事になってしまう。
 一口飲む、長門をちらりを見る。しかし長門はこちらを向いたまま視線を動かさない。時折瞬きする程度だ。
(そうか、そういえばあの時も切り出したのは俺からだったな)
 次の一口でお茶をすべて飲み干すと、俺はその湯呑をテーブルに置いて一息ついてから問いかけた。
「ところで長門、何か話したいことがあるんだろ?」
 おそらく長門は俺がこれを切り出さなかったら再び急須に手を伸ばしていたことだろう。俺が飲み干した直後に動いていた彼女の手は宙で止まっていた。
「部屋に呼んだのも話があるからなんだろ。こっちの心の準備は出来てるぞ」
 テーブルに肘をついて身を乗り出して問う。
 これから長門の不可解かつ不思議なお話が繰り広げられるのだろう、そう思って俺は楽な体制をとったのだ。
……んが、長門の返答は、予測とは違っていた。当然、長い語りも始まらず、俺はマラソンで出鼻をくじかれたような感覚を覚えた。
「あなたの言う話というのは、多分、私が明日への不安要素の摘発をする話。もしそうだとしたら、私はそのつもりであなたを呼んだわけではない」
「んまぁ、その『もし』であってるよ。ってことは、何か?エラーでも蓄積したのか?」
 その問いかけに長門は首を横に振った。
「どうか、したのか?」
 この問いかけには、反応が鈍っていた。
 しかしいつもより三割増しでわかりやすい反応をしている。今の長門を見ればたぶんSOS団員なら全員がわかるだろう。今彼女は何かを考えているのだと。
 まぁ当然、それがわかっているので俺は少し待つことにした。
 沈黙、静寂。最近の長門とのそれはあんまり苦痛じゃなかったはずだが、今だけはなんだか気まずい空気が流れている。得体が知れない空気だ、下手に動けない。
 考える側ではない俺はその時、右隣の長門の姿を見てどんなことを思っていたかというと、欲情というととても聞こえが悪いんだが、正直若干ドキドキしていた。
はっきり言おう。SOS団は、美女ぞろいである。しゃべらなければとだれもが口をそろえるハルヒと、存在自体が癒しと愛嬌である朝比奈さん、そして寡黙で儚げな印象を漂わせる長門だ。その誰もがわが校で一目置かれるほどの美女であるのは間違いない。その一人である長門と、今こうして肩を並べているような距離にいるのだ。しかも二人っきりでだ。これでドキドキしない人間はいるまい。そいつはよっぽど女に興味がないか男のゲイか、あるいは乳スキーである。
とまぁ、少しばかり俺のほうが緊張してきた頃に、状況は一変する。
「うぉっ!」
 俺のポケットから轟くバイブレーション。携帯電話が俺を開けろと叫んでいたのだ。急いで携帯をとりだし、相手を確認した。自宅からの電話ということは、おそらく……
「……はいもしもし」
「キョンくーん?」
 だろうと思ったよ。きっと電話の向こうで妹はシャミセンを抱えながらにこにこしていることだろう。
「あのねー、晩御飯どうするかってお母さんが聞いてるよー?」
 晩飯ねぇ。どうしたものか、と、俺はいったん長門のほうを見やった。
長門は、視線をうつむき加減の状態で固定させたまま固まっていた。かのように見えた。
だがその時、気をつけていなかったら気づかないほどの動作で彼女は意思表示をしていた。俺は電話の向こうの妹に対しての答えを暫時考え込むことででっち上げ、反論させる前に携帯電話の電源を切った。
「悪いな、いきなり」
「いい」
 すっ、と、俺の服から長門の指が離れた。

 んぉ?
 気がついた時には俺は起きていた。じゃなくて、つまるところ俺はいつの間にか眠っていたんだな。
「起きた?」
「ん、ああ、わるいな、いつの間にか……」
 ……えっとだな。ん?あの長門さん?あなたは一体何をしておいでなのでしょうか?
 なんか前にもこんなフレーズを頭の中で反復した気がするぞ。しかしその時とはニュアンスが少しばかり異なる。
「なが、と?」
 俺は今、まるで押し倒されているかのような状態だったのだ。俺の脚と背中と頭部は床に接触している。長門は両手を俺の頭の右と左にそれぞれ突き、俺の腹にまたがって顔を真上から見下ろしている。
 そんな、状態。
 まて、これは何のフラグだ?
 これには流石に俺の顔も上気するというものっとか言ってられる状況でもなさそうだこの距離はやばいと思うぞて言うか長門軽いなこの重さなら片手で持ち上げられるんじゃないか?ああひらひらしたワンピースの裾がくすぐったい。
 眼をきょろきょろさせて、俺は今の状況を判断、分析。これは、いつの間にか俺が眠ってしまっていて、その無防備な俺に長門が覆いかぶさったところで俺が目を覚ましたってことで間違いないんだな?
「どっどどどうしたんだ?ながと」
 とりあえず聞いてみる。というか何か言わなければ気まずくて仕方がなかったのだ。じっと見下ろしてくる長門。その瞳が若干揺れ動き、一つ瞬きをする。彼女の長い睫毛が交差する様を、俺は鮮明に記憶してしまった。その動きと同時に、ゆっくりと長門の口が開かれた。

 

「わからない……」 

 

……?
一言そういうと俺の体からわずかな重圧が取り除かれた。長門は俺の体から離れると、ぺたりと座りこんで首を横に振るった。
「うまく、言語化できない」
 相変わらずその表情は無表情だった。眉も瞼も、口も頬も表情を作ってはいない。だがもっと重要なものが、今の長門の感情を表していた。
 なにがなんだか、俺も全然わからない。長門自身が理解できないことが俺が理解できるわけもない。この状況で俺ができることは数少なく、そして気の利いたこともしてやることができず、だ。なんて不甲斐無いのだと我ながら情けなくなるね。
ただ俺は、長門の頭を撫で、その頬を伝う雫を拭うことしかできなかった。

 
 
 

 苦しいのか、悲しいのか、長門が何でそんなことになったのかは結局わからない。うやむやのまま俺と長門は別れ、俺は今帰途の中。
 正直言って、ショッキングすぎる。晩飯を食っていないにもかかわらず、何も食べる気がしなかった。長門の家に着くまでは良かった。らしいデートとはいえないかもしれないが、それなりに暇は潰せたし楽しかった。そのあとの長門の奇行は目を見張るものだ。
 どういうわけか部屋に連れ込んだ理由は話さず、変えるようなそぶりがあれば珍しく挙動で制し、あまつさえ寝込みを襲う〜極端な言い方だが〜という、長門らしくない行動だ。
 暗がりの道を歩く俺の調子は完全に狂わされ、足取りもあまり軽いとは言えなかった。
「キョン君、お帰りー」
「ああ、ただいま……」
「あれぇ?元気ないよ?」
 帰るやいなや、元気の有り余った妹の笑顔がお出迎えである。しかしいつものようにあしらう気も起きず、適当に受けこたえる。
「ああ、そうかもな」
「そうだよぉ。絶対変」
 きっと、こいつには何の悩みもないんだろうな。こいつはきっとシャミセンと娯楽があれば楽しく生活できるんだ。
「……いいよな、お前は」
「?」
 願わくば 子供のころに 帰りたい
 頭をかきむしると、それに乗じてシャンプーの香りがする。それは長門の頭をなでていた手から香った匂いだった。

 

 来てほしくもない翌日が来てしまったと泣き言を言っている暇なんてない。

 

 あー、そうさ。今日は例の通り、SOS団定例会。日曜日の不思議探索パトロールinスプリングだ。にっくき晴天はまるで俺に頑張れよと語りかけてきているようだ。神に使わされし力があるなら今すぐあの太陽を灰色の雲で覆い隠して、いっそのこと台風でも起こしてハルヒの興味をそらしてしまいたいもんだ。
 嫌なことがある日でも、その嫌なことというのが必要であればあるほど、寝起きはなぜか良い。人間というのはそういう風にできているのだ。だから当然俺の寝起きも快調で、朝から脳内身体ともにアドレナリンとお遊戯中という、非常に好都合な状態。まぁ誰にとって好都合なのかはわからないが、少なくともどんよりした気持でぐったりした体を動かしてハルヒと対面するよりは何倍もましである。
 ……一応前向きみたいだな、俺。懸案事項が多すぎてついにハイになっちまったか?
 こんな時に自らを奮い立たせるかのように、「なんとかなるさ」とか呟いたら末期だな。そうすることでしか精神を支えられないようにならないよう、祈りつつ努力するばかりだ。
 なんとかなるじゃなくてなんとかすることができる今のうちに、できることはやるのみだ。
「キョンくーん!」
 なんだい妹よ。兄はいま寝起きの割にものすごく晴れ晴れとした気持ちだぞ。何でも言ってごらん。
「お客さんだよ」
「ん、だれだ?」
「えへへー、ヒントはねぇ、背が高くてかっこよくて、いっつもニコニコしている男の人。キョン君と同い年だよ」
 ……
「なんとかなるさ……」
「?」

 
 
 

「おや、まるで毒を毒と知りながら飲まされる受刑者のような顔をしていますね」
「そういうお前は世界を救うための生贄を喜んで差し出す神官のような顔をしているな」
 出会いがしら俺達の挨拶は例え合戦となった。俺はどんより、古泉はニコニコ、だ。ちなみに古泉はまたあのハンサムスタイルでおいでなすった。白いジャケットにブラウンのシャツ、そしてすらりとのびた長い脚を包むは白いズボン。こんな恰好がここまで似合うとはね。おのれ、悪魔神官め。お前のことなんぞ今後小さいほうの小泉と呼んでやる。
「そんな些細な攻撃をしないでください」
 困り顔もダークスマイルに見えてきたぜコン畜生。
「さっさと行くぞ」
 俺はそう言って先に駅へと歩き出した。そのあとを小泉……古泉が追ってくる。
「といっても、お前が今ここにきているということは、何か意図があるってことなんだろう?話でもあるのか?」
 小走りできた小泉は俺の隣に並ぶと、笑顔でその問いかけに答えた。
「ご明察、です」
 やっぱりな。
「昨日も長門を差し向けただろ?まぁ悪い気はしなかったが、お前の計画はよくわからん」
 大体長門相手じゃハルヒを想定するのは難しいだろ。
「……え、はぁ……」
「ん?」
 歯切れの悪い返答の後、古泉は顎に手を添えて何事か考えていた。
「なんだ?」
「いえ、その、長門さんのことですが」
 そこでいったん切り、両手の平を開くジェスチャー。もはや手の内に企みはない、とでも言いたいのだろう。
「全く身に覚えがありません」
あまり信用ならなかったが、ここで嘘をつくとも思えない。
「長門さんがどうかしたんですか?」
 どうかしたも何も……なんだがな。ともかくこいつが差し向けたわけじゃないとすると、長門の単独行動だったってことか?それこそらしくなさすぎる。
「なんでもない。お前がかかわってないのなら話は別だ」

#br 

 
 

 長門は自らの意思で俺とのデートの練習を申し出た。
 そして自らの意思で部屋に招きいれ、自分でもわからない感情に涙していた。
 それだけのことだ。古泉との関係がないならそれだけのことなのだ。てことはだ、事実が簡単になったが逆にこれは可能性がへって予測もしがたい事態となっている。小泉がかかわっているのだとすれば、あいつの画策がどこまでなのか考えた上で長門に問い詰めることもできる……ような気がする。逆に古泉に相談することもできる。
 ただし長門自身の意思であるならば、迂闊に動けない。事実今は長門の思惑が分からない。ん……わからない、のか?そうでもない気がするぞ。
 長門自身も分かっているはずだ。自分が、キョンという人間にとってハルヒの代用になりえないことくらいはな。それにあいつは昨日デートが始まってからというもの涼宮ハルヒという存在に一切触れていない。むしろ昨日それを意識していたのは俺のほうだった気がする。では昨日のデートの意味は?
そうだ、デートに不慣れな俺に練習の機会を与えるというものだった。それを俺は古泉の画策かと思っていたが、その言葉は長門そのものの意思だったんだ。それも、対策というよりは慣れさせるためのデート。そう、ただのデートだ。その気になれば長門だってハルヒの行動を予測しながらデートコースを考えられたはずだ。それをせず、俺と長門は自然に時を過ごしていた。
……長門は、デートしたかったのか?
ここから先は推測になるが……とりあえずデートというものを体験してみたかった長門は、この機に乗じて俺をデートにかり出した。そしてデートというものをしてみたものの、結局その高揚感とか何とかを理解することはできず、そこで昨日の涙へとつながった、とかはどうだろう……うん、まったくもって無理やりなこじつけである。
ただ、このまま俺が一人で考えても答えは出ないだろう。次の懸案事項はこれで決まったようなものだ。この疑問を、長門にぶつけるべきかどうか、だ。
事前に長門の変調を察し、バグであるなら対処に全力を注ぐつもりだ。しかし、聞いたところでデリケートすぎる問題だったら?という懸念が生じるのも事実。
聞くか聞かざるか、それが問題だ。
とまぁ、なんだかんだで歩きとおしていると、俺はようやく駅前に……
……ついてなかった。
考えすぎて、人ごみにのまれてしまったようだ。古泉も見当たらない。
ああ、これは、そういうことなんだな、神様よぉ。

 

「遅い!罰金!」
 そうか、神様はこいつか……集合場所にやや遅れてたどり着いた俺を叱咤するのは、唯一神であるハルヒ様なのだった。

 
 

 例の如く俺の財布が痛む結果となりやがりました。頼むから神様、一週間に一度俺の財布のライフポイントに千のダメージを与えるのをやめてください。お願いします。
 長門、古泉、朝比奈さん、神様、そして俺の飲み物代を一気に払わされるのは本当にきついのですよ。
「まったく、もしあんたが遅かったせいでネッシーに会えなかったら、あんた死刑ね」
 あまつさえ死刑宣告ですよ。
「悪かったって……さぁ、早速班分けしようぜ」
 と言っても、この班分けに意味などないわけだが。
 打ち合わせ通りになっていることを確かめるため、長門と古泉に目くばせする。小泉はとてもきれいで気持ちの悪いウインクで返し、長門はうなずきで返す。朝比奈さんをちらりと見る。キョトンとしている。
ハルヒはというと、例の通り爪楊枝を五本握りしめ、にんまりと笑みを浮かべている。
「はいはい、じゃあまた例の通り爪楊枝を引きなさい。赤い印は二つよその他は三人で組むこと、今さらだけどね」
 えぇえぇ、わかっていますとも。しかし今回は我々の思い通りに動くわけですがね。悪いがお前の気まぐれは通用しないぞ。
「では、貴方からどうぞ」
 だろうな。俺はハルヒが持つ爪楊枝のうち一本を指先でつまむと、若干停止してから引き抜いた。
(赤……)
 打ち合わせ通りだ。
「では次は僕が」
 無印
「じゃあ、私が」
 無印
「……」
 無印
「ふーん、てことは私が赤ね」
 ハルヒの他が爪楊枝を取った時点でハルヒの握っているものは確定したも同然。赤印の爪楊枝が彼女の指から転げ落ち……
「あら?」
「!?」
 そんなバカな。
「えー?私赤二つ作ったはずなんだけどなぁ」
 そうだろうな。俺たちも今転がった爪楊枝が赤になるように仕組んでいたはずだった。どういうことだ?
 古泉を見る。その古泉は長門を見ている。ちなみに古泉と長門の間にいる朝比奈さんはハルヒが不思議がっているのをなだめていて、そして長門はというと、相も変わらずの無表情。
(どうしたんだ?長門)
 視線で訴えてもこいつには難しいだろう。今は聞かないでおくことにした。
 本来は、長門の情報操作により爪楊枝の色を変更する予定だったのだ。俺が一番先に赤を引いて、余りを赤にするように長門が情報操作する。それでよかったはずだ。それが何故か狂わされてしまった。
「まぁ、この際ですからお二人で行かれてはどうですか?」
 ナイスフォロー古泉!
「ぅぇええええええ?」
「なんだその嫌そうな声は!」
 ハルヒがあからさまに嫌そうな声をあげて、怪訝そうな顔で俺を見てくる。隣にいるのでとてつもなく威圧感がある。やめてくれ。
「ほら、涼宮さんと貴方の組み合わせは今迄数少ないものでした。ですから、雰囲気的にお二人の組み合わせが決定していたようなものですし、いっそそのままでもよろしいんじゃないかと思いましてね」
 こじつけ臭いが、何となくわかる気がするぞ。それに今はその方向で話が進むと嬉しい。
「でもやる気がない団員と一緒にいてもねぇ?あ、そうか!」
 一言厭味を言ってから、ハルヒは何か思いついたようにニヤニヤし始めた。
「そうねぇ、やる気がないならそのやる気を奮い立たせてあげるわ。私の監視付きで個人指導よ!」
 うわぁ、正直御免こうむりたい。だがしかぁし、男の子には進まにゃならん時があるのよこれが。というかネッシーの存在の隠蔽のためにもここで進まにゃいかん。
 まぁ、どっちにしろ
「感謝しなさい。団長直々の指導なんてめったに受けられないわよ」
 拒否権なんてものはないわけだが……

 
 
 

 他三名と別れて別行動。俺とハルヒが日曜の散策で一緒になることは古泉曰く珍しい事らしい。俺は何も考えずに過ごしてきたがなぁ。というわけでまぁ上着シャツズボンのやる気ない俺スタイルな俺と、目立つシャツにカットオフジーンズという露出の多い服装でいらっしゃった涼宮さんが、街中をてくてくと歩き始めることとなってしまった。
 ついに、始まってしまったのだ。俺がどれだけハルヒをネッシーへの意識から遠ざけさせるか、それが今回の勝負の分かれ目だ。
「さっさと行くわよ。ネッシーは待っててくれるかわからないんだからね」
 待ってるよ、湖でな。
「早速だけどこの辺の水辺を調査していきましょう」
 食いつき早ぇ。入れ食いか。
「ハルヒ、そう結論に急がんでもいいだろう」
 路線を変更する活路を見出さなくては、せめて湖に直接行くのは避けながら行動したい。万が一ということもあり得るし。
「はぁ?何よ、文句でもあるわけ?」
 大いに
「そういうわけじゃないさ。ただネッシーだってこんな強い日差しで行動するわけでもないだろう。それに湖が正解だと決まったわけじゃない」
 ハルヒが俺の考えたネッシー説を信じているなら、これほど好都合なことはない。ネッシーは海底にいるものだから日光にあまり当たらない生物なのだと、そういう刷り込みがすでに出来上がっているからだ。
「へー、意外にあんたも考えてるのね」
 本当に入れ食いだな。食い付きが良い。
「そういうわけだ。だから俺の提案としては、こちらの体力を温存し、英気を養いつつ、尚且つネッシーの居場所に見当をつけることができるような場所に行くのが好ましいと思えるんだが?」
 眼をぱっちりと開いて俺を見つめるハルヒ。確かに、これほどまでに俺が積極的になったことはないだろう。それともまさか、さぼりたいだけだと勘違いされたか?
「どこに行くの?」
 すでに策は練ってある。練込は足りないが、悪くない選択だと俺は自負するね。
「すぐそこだよ」
「ん?」
 そしてさっきの俺の口から出まかせ提案にもぴったり当てはまっている、休憩しながら高台から町を見下ろせる、駅近くの施設とは
「まぁ、つまるところ駅ビルなんだがな」

 
 
 

 というわけで駅ビルに入った俺達。入って早々の駅への道をガン無視して、一路服飾売り場への道を辿る。
 この駅ビル、もはや巨大デパートと言っていいほどの商店数を誇る建物なのだ。若者共がこの周辺で待ち合わせするのも、駅ビル目当てであることが多い。今の今まであるのは知っていたが、このビルの近くで待ち合わせをしても俺達はほとんど立ち寄っていない。数えるほどしか来たことがないんだ
「へー、このビルこんな感じだったんだ」
 俺の隣でハルヒはきょろきょろと周りを見ながら言う。こいつもそんな感じらしい。
「ふーん、お前ここは初めてなのか?」
「そうね、どうせここに集まるのはつまらない奴らばっかりだと思って見向きもしなかったわ」
 へぇへぇ、ハルヒ様らしい理由ですこって。まぁこいつはこういってはいるが、断言しよう、きっとこいつはこの駅ビルに過去一度は来ている。しかし入り口で引き返しているのだ。なぜそんなことが断言できるのかは、谷口が言っていた言葉を思い出したからだ。一時期男をとっかえひっかえしていた時期があったそうだな。当然面白くないのでサクサク切り落としていったそうだが、おそらくその中で一度はデートという名目でここに訪れた猛者もいたことだろう。そして当然の如く、入り口でハルヒはこう言う。
『こんなつまらない所に連れてくるなんてあんたもつまらない男ね』
 そこで打ちのめされるのが普通だろう、うん。
「早く上に行きましょう!」
 しかしそこでこの生き物の習性を考えると話は別だ。こいつの不思議を徹底的にひっかきまわすという性質を知ってさえ入ればこのように、駅ビルさえ彼女の踏み台となり得るのだ。まぁ恐らく全人類の中で俺一人だろうな、ハルヒを駅ビルに連れ込むことのできた男というのは。

 
 
 

 さてさて、ここは最上階。駅ビルの最上階に望遠鏡などの展望施設があることは既知の事実なので、俺はエレベーターの扉が開くとそれを指さして見せた。するとハルヒは意外にもそこに一直線には向かわず、俺が歩き出すと少し遅れてから歩きだした。
 この最上階は全体が展望施設となっていて、八方がガラス張りとなっていて、かなり広い範囲を見渡せるようにできている。
「へぇー」
 そして感嘆の声を洩らす。流石に展望施設までは見たこともないだろう。俺だってここに来るまではこの建物は偉い人があくせく働いているビルの一つだと思ってたんだからな。
 よくみると、そこにはあるある、立派な自販機さんが。あー、これは、ねだられる前に買うが吉だな。
「ハルヒ、なんか飲むか?」
「あら、気が利くのね」
 なにも言いださなければ余計面倒になるだけだしな。
「遅刻分を自力で清算しようなんて良い心がけだわ。団員としての自覚が芽生えてきた証拠ね」
 自覚ねぇ……団員としての自覚というよりは世界の生態系を守っている自覚のほうが強いんだがね。
「さて、じゃあネッシーの散策と行きますか」
 ああ、あんまり大声で叫ぶなよ。白い目で見られるのは慣れたとはいえ辛いものがあるんだからな。と、そう思いながら俺は自販機のコーラのボタンを押すのだった。というか、見つかってくれるなよネッシーの野郎。万が一ってこともあるしな、一応願うだけ願っておく。
「まずはありきたりな可能性から潰していくとしましょうか」
 言って、ハルヒは四方八方見渡した。やがて陽光にきらめく水面に目を付けると、その方向にある望遠鏡をのぞきこむ。そして数秒ぐりぐり動かしたあと、目を離す。
 実はこの望遠鏡、有料なのである。それに今気付いたハルヒは近づいてきた俺をじっと睨む。ああ、次に出る言葉はわかっているともさ。
「キョン」
 はいはい、と、言いながら俺は財布を取り出そうとした。
「両替してきて」
 その言葉は意外だったよ。
「りょーかい」
 余計な金を払わずに済んだぜ。俺はそそくさと両替機に走る。そしてさりげなーくあたりを見回し……今ハルヒがいるところの反対側のガラス越しに見えるその光景。その中に存在する件の湖に目を向けた。おうおう、誰の目にも何ともないただの湖にしか見えないはずなのだが……俺にははっきりと見えるぞ。文字通り首を長くして待っているネッシーの姿が。
 おそらく、あの生物はハルヒが作り出したとはいえ、結局俺の想像通りの生物なのだろう。それならば、あの生物がなぜ湖から出ていかないかの説明が俺にできる。前から気になっていたのだ。ネッシーが食べ物を探して湖から出てしまう可能性はないのかどうか。しかし俺がそうだと思えばきっとその通りの理屈で、彼女はあの湖から出ることはないのだろう。
 彼女はおびえているのだ。弱肉の立場である自分は湖から出た途端に陸上の生物に食い殺されてしまうのだと、知っているからこそ湖からは出ようとしない。それに今彼女が眠っていたのは実に紀元前からつい先日までなのだ。周りの景色が緑と荒野ではなく、灰色だらけになってしまった今彼女はむしろ困惑していることだろう。尚のこと、湖から出ようなどとは考えまい。
 これで理由はできた。つまり彼女が外に出る可能性は今0に近くなった。ならばあとは彼女があるべき姿になってもらうだけだ。言わば、自らが存在するべきでない世界からの解放である。
 そのためにも、できるだけのことはやる。今日一日ハルヒを楽しませることができれば、俺の勝利と言ってもよい。ネッシーの意識はきっと……薄れる。
まずはできることその一!俺はネッシーがいるであろう方向を向いている望遠鏡に誰も触れていないことを確認すると、ハルヒから受け取った英世さんを両替し、ハルヒの元へと戻る。金を渡して、さて俺はその反対側の望遠鏡へ。そしてそこから遠くを眺めているふりをして、無銭で独占。しかし我ながらなんと大人げない光景か、せめてハルヒの隣にでもいておとなしくしていればそれこそただの遊びにきた若者で済むのに……だが、この望遠鏡をのぞかれて万が一ハルヒがネッシーを見つけたいという衝動に駆られてしまったら困るのだ。可能性は可能性のうちに摘んでしまえ。サーチアンドデストロイだ。二人で来ているのに離れた場所で外を眺めている男女という謎の光景を公にさらすことになっても、俺はこれを続けなくてはならない。
「さて……」
 と、言っても、流石に何も見えない状態で見ているふりを続けるのも難しい、というかつまらん。ポケットから財布を取り出し、そのまた中から百円玉を取り出すと、俺は望遠鏡の硬貨投入口にそれを入れた。
 チャリン、と硬貨の跳ねる音が聞こえ、望遠鏡の中に見える黒が急に明るくなった。外の光景である。そうだったな、今日は晴天だった。真っ青な空を見上げている状態で止まっていた俺は、すぐさま視点を下に傾けた。
 おお、見える。見えるぞ。湖周辺にいる人たちの様子が結構見える。昨日アイスを売っていたおばちゃんも見えるな。そのばあさんから視線をずらすと……湖が見える。そして俺の目にだけ、巨大な首長の生物の姿も確認できる。見たところ何も問題はないだろう。湖を囲む柵を背もたれに話をするカップルも、ベンチで休憩している外回りのサラリーマンも、アイスを買っているハンサムボーイもその存在を見ているわけではなさそうだ。
 ん?ハンサムボーイ?
 あの野郎……古泉じゃないか。ってことは?いたいたいた。朝比奈さんと長門も確認できた。あいつらあそこで何やってるんだ?と、そこまで見ていると、古泉の野郎がこっちを見てきた。まさか……、な。あ、手を振りやがった。あいつ、気づいてるのか?ってことはやっぱりあいつらがあそこにいるのは理由があるってことなんだろうな。すると朝比奈さんも古泉から話を聞いて手を振り始めた。ああ、可憐だ。長門もこちらを見ている。そしてうなずいて見せてくれた。
 あいつらが湖で何をするか、ネッシーをどうにかできるというわけでもないだろう。そしてどこにいても長門の不可視の術は届くという話だ。では、何故あいつらがあそこにいて、俺の視線に気づけるのか……あいつらなりの意図があるのか?
 わからん……だが、これで湖から遠ざかる理由はできた。もしかしたらそれが狙いなのかもしれないが、とにかくこのラッキーを生かさない手はない。

 
 
 

「どぉ?それっぽいところはあった?」
 可もなく不可もなくといった様子のハルヒ。こいつ、もしかしたら何かに目星をつけたみたいだな。
「ああ、あったにはあったが」
「へ〜、どの辺?」
 そういうハルヒに対して、おれはガラスの外を指さしながら言った。
「湖と池があったが、その周辺に古泉達がいた。きっとあいつらはあいつらで探しているんだろう」
「ふーん、今日はみんなやる気まんまんね」
 ああ、やる気を起こさないと湖にいる彼女が帰れなくなるんでね。俺も珍しくやる気になっているってわけだ。と、心の中で悪態を吐きつつ、ぐるっとまわりを見回す。
「さぁて、それじゃあ、手分けして町中を探し回りましょう!今日は何か見つかる気がするわ!」
 見つかってくれるな!
「お、お〜!」
 あと大声で叫ぶなっ!小さなお子様が望遠鏡そっちのけで見ているだろうがっ!

 

 てな訳で古泉達とは真逆の方向に来る俺達。池とか川とか、そんな所を求めて歩いてみている。一応、さっき展望台で見て行き先をあらかた決めてはいるのだが、いかんせん、いないと分かっている俺にとってはこんなの徒労以外の何物でもない。
「ねーキョン、ネッシーっていったい何色なのかしら。不思議な生物名だけに肌の色も見たことがない色だったりして」
 今は高額迷彩色だがな。
「ありきたりに茶色とかじゃないのか?土に擬態しているわけだし」
 というか、俺がそう望めばそうなる。
「詰まんないわね。不思議な生物なんだから不思議な色でもいいんじゃない?たとえば、擬態は擬態でも水中の植物に擬態して、緑色のとか」
 でっていう?
「他にも赤とか青とか黄色とかがいて」
 まてまてまて
「火を吐いたり飛んだり地面を揺らしたり」
 と、こんな調子で、俺達がやる気を出していることがそんなに嬉しいのか、ハルヒのネッシーへの期待は高まるばかり、これはちょっとヤバいかもしれない。
 あー、この作戦、うまくいくのかなぁ?

 

 今、俺達は商店街を通過しながら向こう側の大きくはない池に向かっている。俺はちらほら脚に違和感を覚えてきたところだ。この道はいくつかベンチが置いてあり、小さな服屋やアクセサリーショップなどが立ち並びゲーセンもある、ちょっとした遊び場だ。同じ向こうの湖とは違うアイス売りのおばちゃんが、この辺にいる若者たちを標的に商売して儲けが出る程度の賑わいはある通りである。
 ここに来るまで三か所の怪しい場所を探索してみたが、当たり前のようにそこにネッシーはいない。居たとしても超自然的にネッシーがそこにいたという事実でないと説明がつかない。俺が望むネッシーはあの湖だけに存在する臆病ものなのだから、それを望んでさえいればハルヒの妄想の具現化によりネッシーが移動することはないし増えることもない。
 しかしハルヒ自身がネッシーの増殖を望んだら?それは大変なことになる。それを防ぐためにも俺は何とかしてこの状況をネッシー以外のもので盛り上げないといけないわけだが……
「あーもう!遠いわねぇ!」
 この調子である。ハルヒはプンスカとすねながら、アヒル口で文句を言っている。
 もう、ネッシーしか見えていない。やばい、やばいぞこれは、もしかしたら「ネッシーがポーンとここに表れてくれないかしら」なんて考えだしかねない。
 常識的観念を持っているから、非常すぎる出来事は望みはしない。古泉はそう言ってはいたが、今のこいつならやりかねない!
「ハルヒ」
「何よ?」
 にらむなよ……
「休憩していこう、そこのベンチで」
「えぇぇ?もう疲れたの?」
「疲れてるのはお前だ」
 言葉を返されて不機嫌になるハルヒ。閉鎖空間レベルではないが、こいつの不機嫌には肝が冷やされる。
「あの、だな。イライラしているのは余裕がない証拠だ。そんな状態で不思議に出会ってもおまえはきっと見逃してしまう」
「そんなことな」
「の、割には、自分の靴の紐がほどけていることにも気付けていないようだが?」
 言って俺はハルヒの靴を指さした。そこでようやくハルヒはさっきから俺のすねをピシピシはたいていた靴ひもを見て、あわててそれを直し始めた。その隙に、俺はベンチに近寄ってどっかりと腰を下ろす。
「正直俺も疲れたんだがな。いいだろ?」
 ハルヒは結び終えるとすっと立ち上がって俺を見下ろした。そしてチラッと商店街の奥をみると、小さくため息をついた。そこでようやくアヒル口がにやりと笑みを浮かべる。
「まぁ、いいわ。今日はあんたも頑張っているみたいだから休養を与えてあげる」
「ははっそうかい」
 偉そうな言い方だが、ここは甘んじてそれを受けよう
「その代わり」
 言いながら座るハルヒ
「あ、そうだハルヒ」
 入れ替わりで立ち上がる俺
「え?」
「アイス奢ってやるよ。お前も食べるだろ?ただぼうっとしてるのもつまらないしな」
 おばちゃんには昨日も今日も世話になるぜ。どっちも違うおばちゃんだけど。
「……あ、ありがと」

 

 アイス売りのおばちゃんに『彼女連れてデートかい?いやぁ若いねぇ』なんてことを言われておちょくられながらもアイスを二つ頂いてきた。おしゃべり好きだねえ。
 この調子でこの辺で何か普通な面白いものを見つけて、それをハルヒに見せて楽しませてやることができれば少しはネッシー欲も薄れるだろうになぁ。とりあえず、今はアイスをもって戻ることが先決。街路樹二本とすれ違いながら俺はハルヒの元へと向かった。
 でそこで普通にベンチに座ってくだらないことを言って罵られながら会話できれば、何事もなく済んだんじゃないかと思う。だが、そういう風にすまなくなってしまうようにこの世の中はできているらしい。
俺がハルヒのもとにもどると、見知った顔がハルヒを取り囲んでいた。
「あら、SOS団の下部組織のコンピ研じゃないの」
 取り囲まれているほうのハルヒは足を組んで腕を組み、さも偉そうな態度で男たちを見ていた。男は三人。ああ、見覚えがある。哀れなあの、コンピ研の部長氏と部員たちだ。
「いつそんなレッテルをはったんだ!そんなこと認めないぞ!」
「あら、敗者は勝者に絶対服従よ。勝負ってのはそういう風にできているものなの」
 なんという、なんというぬるぽ……誰かガッしてくれ。とかコンピ研風にぼけている場合じゃない。いったい何で彼らがこんなところにいるんだ?若干引きこもり気味な部長氏が外にいるってのも不可解だ。……あ、いや、そうでもないか……
 頭を抱えた俺はふとあることに気づき、顔をあげた。するとそこには、扉が開く度に中の騒音が漏れ出てくる建物、ゲーセンがあった。そうか、部長氏はここにゲーセン目当てで来ていたのだ。しかもあのいでたち、なめられないようにそれなりにおしゃれをしているところからしてゲーセンには通いなれているようだ。そしてそこから出たところでハルヒと遭遇した。積年の恨みのある彼が食いつかないわけがない。
 きっと彼はまた禁句を発そうとしているのだ。ハルヒが不思議の次に食いつきやすい、その一言を……
「その勝敗を、今日で引き分けにしてくれるさ」
「いい度胸じゃないの、その喧嘩かってあげるわ」
 やめてくれハルヒ……いいながら俺は彼らに近づこうとした。
「勝負だ!」
「勝負よ!」
 べちゃ……
 あ……
 不用意に近寄った俺の手に、部長氏の手が勢いよく衝突。そして不快な音が聞こえるとともに俺の胸に冷ややかな感触。それはだんだんと広がっていき、服にも染みが出来上がっていく。
「……あ、君は……って、うわぁぁ!」
 要するに、俺の持っていたアイスは俺の胸板がおいしく頂いたってことだ。はぁぁ……災難だっぜ。

 

 勝負、と言って部長氏は俺たちをゲーセンに連れ込んだ。ちなみに俺のシャツは部長氏が持ってきたタオルで丹念に拭き、一応は染みが目立たなくなっている。しかしハルヒはこれをネタにさっきからとんでもないことを連呼している。
「あんたたちが負けたら私と私の団員の服を買ってあげること、いいわね?安物はだめよ」
 そこまでしなくてもいいさ。部長氏は何度も謝ったし、クリーニング代の心配までしてくれた。それだけで十分さ。
 だがこの部長氏、ハルヒには好戦的な態度を崩さない。
「くっ……まぁいい」
 いいのかよ!
「だが、僕たちが勝ったら、君に奪われたパソコンを回収させてもらう」
 ははぁ、そういうわけか。っていっても、あのパソコンはもともとコンピ研のものだ。ハルヒがいなけりゃ俺が勝手に返品しただろうに……哀れだよ、ほんと。
「ふふん、いいわよ。敗者らしい要望ね」
 ハルヒは余裕ぶっこいてるが、俺は若干の不安があった。
 このゲーセンは、俺達のフィールドじゃない。誰でもできるゲームもあるが、ほとんどがとても専門的で、どのゲームも奥が深く経験がものをいう。先日の射手座の日のように猶予も与えられない俺達が同行できる場所ではないのだ。しかも長門も古泉もいない。勝負をうやむやにしてくれそうな朝比奈さんもいない。時折ゲーセンに連れ立っていた谷口も国木田もいない。つまるところ、今ここにいる味方は、凡人と不思議探求万能少女のみだ。しかもこいつ、戦術がまるでなっていなく、肉体的なアクションしか期待できないのでゲームに関する期待はするだけ無駄なのである。
 射手座の日もこいつのせいで何度練習の機会を失ったことか……
「君には悪いが、協力してもらうよ。本当に申し訳ないとは思っているが、それとこれとは話が別だ。そこの涼宮ハルヒと共闘してもらおう」
「?タッグ戦なのか?」
 てっきり格ゲーか何かかと思ったんだが、部長氏が選んだのは意外なゲームだった。
「そう。われわれと勝負してもらうのは、このゲームだ」
 タンっ
 部長氏が軽やかに手を置いた台、それは……
「エアーホッケーか?」
「そうだ」
 意外にも、わかりやすいゲームだった。
エアーホッケーなら俺達にも勝機がある。俺だって何度も経験したし、流石のハルヒもルールくらいは分かっているだろう。
「我々の得意種目はほかにもあるが、専門的すぎるゲームでは勝負にすることもできない。だから僕たちは、この一般的かつアグレッシブなスポーツ、エアーホッケーを勝負に選んだのだ!」
 グッとガッツポーズをとる部長氏。ああ、その申し出は本当にうれしい。だが、部長氏、貴方は甘すぎる……本当ならハルヒはもっと打ちのめされてしまっていい存在なんだ。
 とまぁ本当に別のゲームでぼこぼこにされても困るので、今は部長氏の言うことを素直に聞く。
「エアーホッケーねぇ」
「ルールは簡単だ。この円状のパックを、スマッシャーを使用して相手側のポケットに入れる。ただそれだけのゲームだ。この機種では20点先取したほうが勝ちとなっている」
 ご丁寧に解説までしてくれた。ああ、あの手に持つ器具はスマッシャーと呼ぶのか
「準備がいいなら始めさせてもらう。安心したまえ、ここの経費は我々が持とう。そのコイン一枚でパソコン五台が元に戻るならそれで十分だ」
 どうやら、かなりの自信があるらしい。部長氏が百円を取り出すと、後ろの二人のうち一人が腕まくりをする。どうやら彼がパートナーらしい。
「上等、ひねりつぶしてくれるわ!」
「油断するなよハルヒ」
「ええ、徹底的にたたきつぶしてやるわ。こんな奴ら余裕よ」
 だから、油断するなって……
 なんだかんだで百円が投下され、俺とハルヒもスマッシャーを手に取った。部長氏とその部下もすでにスタンバイしている。
「パックが来たらすぐ私に回しなさい、そのポケットとやらにぶち込んであげるわ。攻撃あるのみよ」
「防御も忘れんなよ」
 といっても、ハルヒが聞くわけもないだろう。俺は独自のスタイルを崩し、防戦に徹底することとした。王を守る騎士ってのはこんな気分なんだろうか、非常にやり辛い。
 パックは俺達のほうにきた。専攻は俺たちらしい。ほらよ、と、俺はパックをハルヒのほうに流した。
「いっくわよー!!!」
 勢いよくハルヒのスマッシャーが動く、そして……!まずい、そのコースは!!
 ガツン!ガガンガン!ガコン!
 ハルヒの一撃でパックは三度壁にぶつかって見事ポケットに入った。その速度はすさまじい、が……入ったポケットは俺達のほうである。
「あれ?」
「自殺点だ、馬鹿者」
 先行きは、とてつもなく不安だ。
「おやおや、僕たちが何もする前にやられないでくれよ」
 本当にな。俺も何もしていない。
「チッ、次行くわよ!」
 点を取られた側である俺達にまたパックが巡ってきた。一応、俺はハルヒにパックを譲る。するとこいつはまたしても全力でパックを打ち返しやがった。考えも何もないように見える。
 ガッ、と音がして、ハルヒの放ったパックは部長氏に止められてしまった。あの速度をとらえるとは、部長氏の動体視力は結構のつわものらしい。そして部長氏も結構な力をこめてパックを打ち放……つかと思いきやすぐに部下にパックを流し、部下は壁でパックを反射させるように俺達のポケットを狙ってきた!
 防戦に回っている俺は当然それに反応し、パックをスマッシャーではじいて止めた。その後、パックはゆっくりとハルヒの元へ。
「たぁっ!」
 考えて打てー!四隅に打っても何にもならんぞ!
 二度目の部長氏の攻撃には流石に反応できず、ハルヒの無鉄砲な弾丸の反撃で俺達はさらに一点先取される。
「ふっ」
 部長氏が自慢げに笑みを浮かべた。
「くぉんのぉぉぉ!」

 
 
 

 結果、20対6で、部長氏チームの勝ち。
 経過は報告するまでもなく、だ。むしろ6点どうやって入ったのか覚えてない。
「約束通り、パソコンは明日回収させてもらう」
 予定外だった。部長氏がここまで強いとは……せめて俺達の攻撃が10回でも成功していればそれなりに通用しただろってことでハルヒをなだめることもできるが、この惨敗状態では全く欠ける言葉も見つかりませんってもんだ。
「……」
ハルヒは黙り込んでいる。
「ははは!これでようやく、パソコンが我々のもとに帰ってくる!」
「やりましたね部長!」
 ハルヒの能力がなければ、部長氏おめでとうと心の中で言ってやりたいもんだ。だが、今の状況は確実にやばい。黙り込んでハルヒの顔は、誰がどう見ても外人が見たとしてもわかりやすい三文字を的確に表現している。The Nonstop不機嫌。
「お、落ち着けハルヒ……もともとコンピ研のものなんだから、な?」
 ピピピピピ!
「おわぁっ!?」
 俺の携帯が鳴り響く。ハルヒは不機嫌で無言、部長氏たちは気づいていないようなので、無遠慮に俺は携帯を取り出した。とぉぉぉぉっても嫌な予感がするからだ。
「古泉か?」
 頼む、古泉ではないと言ってくれ!
「ええ、そうです。今何をしているんですか?」
 オーマイガー
「ああ、それが……」
 事の次第を簡潔に説明する。すると古泉はため息をついてこう言ってきた。
「まずいですね。その勝負に負けたことは、とてもまずいです」
 ああ、俺もわかってるさ。
「まさか、出たのか?」
「ええ、閉鎖空間です。とびきりのがね」
 嘘だろ!?
「いいえ、本当です。今の敗北は、どうやら涼宮さんにとってとても屈辱だったようです」
「たかがゲームに負けて、もともと盗品だったものを取り返されただけでか?」
「問題はそこじゃありません」
 なんだと?
「涼宮さんは失望しているんです」
「誰に?」
「貴方に」
 ……はぁ?どういうこった。意味がわからん。何で俺が失望されなくてはならないんだ?ハルヒが無鉄砲なもんだからそのしりぬぐいをしているっていうのに、何で……
「おっわ……すみません、また連絡が来ました。僕はこれからバイトのほうに行かなくてはなりません!」
「待て古泉、どうしたら解決できる?」
 ああ、俺はなんて無力なんだ。尋ねることしかできないなんて……かっこわりぃな。
 なんて嘆く暇なく俺は古泉の返答を待った。すると古泉は若干考えてから、思い出したようにしゃべる。
「そうですね、野球の時を思い出してください。勝負というより、あの方が執着しているのは何か、です」
 は、はぁ?
「では、できれば神人が暴れだす前に決着をつけてくださいね」
 決着って、お前……ちょ、おい!
 切れ、やがった。
 どういうことだ?ハルヒが俺に失望している?俺は善戦したつもりだったぞ?それでも何か足りないのか?いやまぁ、俺は俺のスタイルを崩したことによって全力を出せなかった部分もあるが、それをハルヒは知らないはずだ。
 ていうか野球の時?ってなんだ?あの時負けモードに入るとハルヒが不機嫌になっていって、その時俺が言われたのは何だった?思い出せ、思い出せ俺の脳みそ……記憶しているはずだぞ。涼宮関連はいやがおうにも刻み込まれているんだからな。
 朝比奈さんは、短いスカートで走り回っていたし、長門はホーミングブースととか何とかでバットに細工をしてくれた。古泉は何と言っていた?そうだ、そこが問題だ……
 確か……涼宮さんが望んだからあなたは4番となった。みたいなことを言っていたな。そして、エースの働きができていない俺に失望しているとも……ってことは何か、ここは俺が努力しなくてはならない所なのか?
 ゆっくりと部長氏を見る。……強い、とても強い、こいつを俺の手で打ち負かす?手助けもなく?あっても力馬鹿のハルヒ様のみ?冗談じゃない!神頼みでどうにかなる勝負じゃないんだぞ、エアホッケーは。知略と動体視力と力加減、極めれば奥が深いスポーツなんだよこれは。
 俺のホッケーのスタイルを元に戻したとて、部長氏に対抗できるかはわからない。さっきの勝負はそれほどまでに印象的だった。印象というのは強いもので、一度ついたものはなかなかぬぐえない。……印象……印象!?
 珍しく働いた俺の脳みそ。ひらめきの脳波が駆け巡り、見る見るうちに考えがまとまっていく。このときばかりはナルシストばりに言ってやりたくなったね。俺頭いい!
 もしかしたらこの効果さえ、ハルヒが望んだことかもしれない。何か逆転の糸口がないか、そう考えたハルヒが作り出した脳波なのかもしれない。だが、知ったこっちゃない。今はこのひらめきに感謝だ。そう、古泉のヒントと、今の状況、そしてハルヒの能力があれば、答えが……

 

 出た。

 

「部長氏」
「え?なんだい?」
 俺はポケットに手を突っ込み、反対の手を台に置き、精一杯の取り繕った笑みを浮かべて部長氏を見た。その時ちらっと横のハルヒを確認する。よし、見ているな。
「ああ、なんだ。俺から提案なんだが、こちらからのリターンマッチを受けてもらえないか?」
「な、なんだって?」
 予想だにしない申出に、部長氏はうろたえている。よし、よし。
「ここで俺達が勝ったら、今回の勝負は引き分けとする、敗者の要望にしては妥当だろ?」
 ポケットから百円取り出し、俺はそれをすでに空気の出ていない台に打ちつけた。
 そしてさっき考えたばかりのセリフを脳から引き出してつむいでいく。
「もし負けるようなことがあれば、今後一切コンピ研に手出しはしない。何ならパソコンを一台進呈してもいい」
「な、なにぃぃぃぃ!?」
 今部長氏は困惑しているはずだ。当然だ。さっきぼこぼこにした相手が、すぐさま再戦を申し出て、しかも敗北条件までちらつかせているのだ。対して俺は余裕の笑みで部長氏を見ている。この構図が必要だった。
「しかし、君たちはさっき14点も差をつけて……」
「ああ、負けたな」
 だが
「だが、俺達はまだ本気を出していない。ハルヒは腕もこなれてルールも理解したことだろうし、俺は俺で独自のスタイルでの戦いをしていない」
「本気じゃなかっってことか!?」
 部長氏のうろたえは続いている。そこで俺はハルヒを見やった。
「な?」
 確認を取る。するとハルヒは、若干戸惑い、俺と部長氏を見比べた。そして、台をキッと見つめると、先ほどまで不機嫌でしかめていた眉を吊り上げ、口はへの字から快活な笑みへと変化した。
「そういうことよ。私たちにこれで勝ったと思わないことね!このまま2連勝して、最終的に服代まで払わせてやるんだから!」
 そこまでは望んでいないが、そのいきだハルヒ!
「くっ……仮にも僕だってエアーホッケーを極めた男だ。仕掛けられた勝負を蹴るつもりは毛頭ない」
 部長氏はこの展開にのりのりのようで、腕を大きく振るって高らかに叫んだ。
「その勝負受けて立とう!コンピ研の誇りにかけて!」
 針に魚が掛かった。後はこれを引き上げるために、網を用意するだけだ。

 

 勝負の方法は改めさせてもらった。一対一、俺対部長氏だ。部長氏も本調子で繰るらしく、上着を脱いで腕まくりをして、やる気満々の顔だ。
 意外にも部長氏の腕は筋肉らしい凹凸があり、こうしてみるとコンピ研らしくは見えない気もしないでもない。
「ちょっと」
 後ろのハルヒが話しかけてくる。激励だったら嬉しいんだかがね。
「あんた大丈夫なの?さっきだって、来る玉来る玉、防いでばっかりだったじゃない」
 お前のせいだとは敢えて言わないでおこう。そう、俺はこの質問を待っていた。ハルヒに俺の力を印象付ける、この一言が網を用意するキーワードとなるのだ。
「防戦は俺の趣味じゃない。こんな俺だが」
 スマッシャーを握り、俺は言ってやった。
「攻め手のほうが調子がいいんだ」
 網の用意は、できたんだろうか……
 若干不安に思い、振り返ろうかとも思った。今更逃げ道でも考えようかと思った。しかしその時だ。信じられないくらい俺の心境に変化が訪れた。先ほどまで考えていた、パソコンを用意するためのバイト先のことなどいつの間にか頭から吹っ飛び、今の俺には目の前にあるエアホッケーのパックしか見えていない。考えているのは、そう、勝つことのみ。
(視界を狭めろ。見ていいのはパックとポケットのみ、攻めはすなわち最大の防御だ)
 俺の頭の冷静な部分はこう判断する。網は、用意できた。ハルヒへの印象付けは完全に成功したのだ。そこで、このからくりを戦闘風景とともにお送りしようと思う。
 パックが俺のほうに来る。どうやらこっち側にパックが来る仕組みになっているようだ。まぁそれはさておき、俺はパックが来ると同時に素早く先手を打った。しかし部長氏も場馴れしているつわもの、それをまんまと弾き、一手おいてから反撃に移ってきた。壁にバウンドしてポケットに向かってくるパック、俺はそれをはじくでもなく止めるでもなく、打ち返した。
「なに!?」
 部長氏が声を上げる。すると彼も同じようにパックを打ち返してきた。しかし軌道は乱れている。バウンドを忘れたただの一直線を描いてパックはポケットを狙ってきた。この球はチャンス以外の何物でもない。俺はスマッシャーを横にずらし、向かってくるパックを絶妙な角度で打ち返した。両側の壁に二度バウンドしたパックに流石に部長氏も対応できず、俺の攻撃は成功に終わる。ポケットの奥にパックが打ちつけられる音がした。
 これが俺のスタイルだ。スタイルは確かに俺のものだ。だが、実は今俺にはそれ以外にも強みが存在する。それが先ほどの魚をとらえる網。それはつまり、俺の後ろにいる厄介超人の能力なのだ。
 俺が好戦的な態度で再選を挑んだのには、印象付けという目的があったのだ。ハルヒが俺に期待しているというのなら、期待と同時に希望を持たせてやりたかったのさ。俺の積極的態度にハルヒは失望を、期待と希望に変えてくれたはずだ。先ほどの勝負と違うのは、ハルヒが希望を持っているということ。そう、ハルヒは願ったのだ。
 俺に勝ってほしいと。
 俺の印象付けによって、俺が勝つことが不可能ではないことのように思わせること、それが俺の狙いだったのだ。そしてその結果、俺は今までにないエアホッケーの能力を得ている。
戦いは僅差で長引く。現在7対9で俺がリードしている状態だ。
「こんな闘いは、初めてだ!まさかこの町にこんなつわものがいたなんて」
 悪いが部長氏、俺は教師過去の力を発揮できないんだ。早めに決めさせてもらう。
 部長氏の攻撃、直線で攻めてきた部長氏のパックを俺は横にはじいた。パックは右に左に何度も壁を往復し、部長氏の目を惑わせる。そこで俺は冴えわたった動体視力でパックの位置を見極め、すかさず打ち放つ。一直線に伸びたパックは部長氏のスマッシャーの真横を通過してポケットへ……
 この、異常なまでに冴えわたった動体視力と戦術、これは俺のものではない。俺はこんな闘いをした覚えはないし、谷口や国木田とやった時はもっと平凡な戦いをしていた。これこそがハルヒへの印象付けの結果だ。ハルヒは俺が強いと思い込んでいる。まだ力が出せると信じている。だから俺はその力を出せるわけだ。思い込みってのはおもしろいものだな、本当に。
 さて、試合は最終局面へ。試合?いや、ゲームだけどな。
部長氏はそれでもハルヒの能力をも上回る力で押してきた。19対19、デュースは無しなので事実これが最後の戦いとなる。
「これで決まりだ!」
 決めぜりふっぽく部長氏が言い放って、パックがこれまでにない速度で俺に襲いかかる。俺はスマッシャーでいったん弾くと……って、つよっ!!
 パックははじかれた勢いで再び部長氏の元へ。あの腕力はこのために培われてきたというのか。歴戦の証がその腕だと、そういうことなんだな。
「タイピングで鍛え上げられた僕の腕力をなめるなよ」
 前言撤回。
 部長氏はめくるめく攻撃で俺を押してきた。打ち返しても、部長氏は最後の粘りとばかりに攻撃を返してくる。俺はそれに何度も対応して、ついにチャンスを得た。
「そらっ!」
 部長氏が打ってきたパックの軌道はコンマ数秒前に読んでいた。だからこそ対応できる、ほぼ絶対に勝利をつかむために……俺は勢いよくパックを打ち返した。
 ガツン!俺が放ったパックは相手ポケットのすぐ横にあたった。
「なにをしている!」
 部長氏はそれをミスショットだと思ったらしい。姿勢は崩さないが慢心が生まれた。俺は、そこに付け込む。
 反射したパックは壁に一度バウンドして、俺にとって最も打ちやすい位置へと戻ってくる。これこそが俺の狙いだったのだ。
「狙い通りだっ」
 ちょっと部長氏に調子を合せて、俺も決め台詞らしく声を上げる。そして、パックを、打ち放った。
 ガツン!―――パックが……
「なんだと!?」
 再び部長氏のスマッシャーによってはじかれる。しかし、強すぎた勢いのパックは跳ね返ることなく、跳ね上がって宙を舞ってしまった。しかも部長氏の微妙に力加減により、パックはものの見事に俺の顔面へと飛んでくる。早い、ものすごく速い。
 しかし、きっとこの状況もエアーホッケーの能力が有り余っている俺ならなんとかできるだろう。ハルヒドーピングを信じて俺は右手が動くのを待った。
 ……が、どうしたことか先ほどまでの動きのキレがない。ホッケーを見て、『勝つ』という意識が湧いていないのだ。何故だ?ハルヒドーピングのおかげで俺はエアーホッケーの腕が底上げされているはずだ。それなのに……、ん?
 エアーホッケーの能力は底上げされている。それは確かだ、だが、今この状況で必要な能力は、エアーホッケーの能力ではない。ということか?今この状況は、エアーホッケーで言うところの不測の事態であり、俺の危機だ。
 ああ、よくわかったよ。今必要なのはエアーホッケーの能力じゃないんだ。俺が試されているのは、『危機回避能力』なんだ。それなら納得だ。
 ―――あぶねっ!
 ガァン!
 ものすごい音がした。
誰しも想像したことがないだろう。俺は、パックを、空中で打ち返していのだ。俺自身そんな芸当ができるなんて思ってもいなかった。
その軌道は真っすぐにポケットには向かわず、滑り込むようにして台の床に接触し、パックは一秒も置かずして台の元へと戻る。そしてそのままセンターラインを通過し、呆けている部長氏のスマッシャーを通過し……
ガコン……

 
 

 その後、タッグでもう一戦した俺達。
 結果?聞くまでもないだろう?今度は調子に乗ったハルヒが俺の隣にいたんだぞ?
「さーて、洋服代ももぎ取ったし、今度は服でも見に行きましょっ!」
 言うまでもないだろ。俺達はこうして、洋服屋へと向かう途中なんだから。
「それにしてもよくやったわキョン。初めは失望したけど、やればできるじゃないの!」
 こいつに褒められるのは本当に珍しいことだな。
「んー、まぁ、お前のおかげだよ」
「え?なに?」
「や、なんでもない。ただ、谷口や国木田と遊んだことがあるから慣れてただけだよ」
 前者の返答も後者の返答も、真実だ。ハルヒのおかげで勝てたようなもんだし、その土台となったのは以前の経験だからな。
「なんにせよ。よくやったわ。それでこそSOS団員よ。ご褒美に私がこれから買う服を選ぶチャンスを与えてあげるわ」
「へいへい、それはありがとうございます」
 しかし、くたびれた。思わずハルヒに気のない返事をしてしまうほどに。そもそも事の発端となったのは部長氏だ。とまぁ憎まれ口でもたたいてみたが、実際俺は部長氏には感謝している。なぜなら……
 ピピピピピ!
 携帯が鳴る。俺はハルヒに二三言声をかけてから、電話に出た。相手は古泉のようだ。電話に出ると向こうからは何人かの話声とともに古泉の声が聞こえてくる。
「やぁ、解決したようですね」
 ということは、
「神人は、先ほど消滅しました。我々が手を下す以前にね」
「はぁぁぁ、良かった……」
 これでなにも憂いはない。完璧、ミッションコンプリートだ。
「詳しいことはいずれ聞くことにします。ですが、今のうちに報告しておきたいことがあります」
 なんだ?もう何も問題はなかったと思うが……ネッシー以外はな。
「ええ、そのネッシーなんですが……」
「ん?」
「長門さんからの報告によれば、ネッシーは完全に消滅したそうです。時系列に存在したという証拠も、一切が消滅しました」
「あいつが、消えた?てことはつまり」
「そう。本当に、貴方はよくやってくれました。涼宮さんは、ネッシーよりも今この時を楽しもうとしています。たぶん、いえ、きっと貴方のおかげです」
 ……本当に思い通りに事が運びやがった。
 部長氏がいざこざを持ち込んでどさくさにまぎれてハルヒの興味をそらしてくれたおかげで、ネッシーへの興味が薄れたのだ。よって、今日の任務は終了したも同然。俺は電話を手に持ちながら、暫時棒立ちすることとなった。
 そして、考えがまとまったところで脳内で次の一言を反復する。
 ネッシーは―――消えたんだ。

 
 
 
 

「っへーい!お待ちぃ!」
 翌日、放課後。超がつくほどの満面の笑みで涼宮ハルヒ閣下は部室にご登場なさられた。
 どうやら、昨日の勝利が効いているようだった。
「いやぁーほんと気持ちいいわ!コンピ研の奴らもう私を見るだけですごすごと退散していくものね。やっぱ人生勝ち組よ勝ち組!」
 ではなく、ついさっきまで部長氏たちをいじめていたのか……そうか……大変だな、部長氏。
「え?どうしたんですか?」
 話がうまくつかめていないのか、朝比奈さんが問いかける。するとハルヒはお茶くみの途中の朝比奈さんを捕まえて、まくしたてるように説明を始めた。
「昨日の話なんだけどね。またあのコンピ研の奴らが……」
 朝比奈さんはあまりの勢いのよさにおびえ気味だが、ハルヒがとても機嫌が良いことを知るとにこやかに対応した。だが、その、釈然としないな。ハルヒが喋っていることは俺の活躍がほとんど省かれている。確かに俺はハルヒの力を借りて勝ったようなもんさ。だが、少しくらい俺も活躍したようなことを言ってくれても……
「いやぁ、まったく。団長閣下はご機嫌のようです」
 カツン、と、古泉の手がキングを逃がしに動かす。そしてチェス盤を挟んで対面する俺に向かってお得意のスマイルを向けた。
「ああ、そうだな」
 きっと、古泉のことだから俺が今考えていることだって読んでいるのだろう。エスパーなのか、それとも俺のことを理解した上での予察なのか……どっちにしてもなんだか気に食わん。
「そんなにふてくされなくても、わかっています。貴方が活躍したことは、僕も朝比奈さんも長門さんもご存じです」
 ほれきた……が、今は感謝しておこう。それなら少し俺も報われる。それに結果として俺は服を一枚儲けることになったしな。
 なんてことを話しながら俺はナイトで攻め込む。
「それはうらやましいですね。いや、正当な代価と呼ぶべきでしょうか。世界の生態系を守った報酬にしては安いかもしれませんが、エアーホッケーの勝負に賭けるものにしては妥当かと思われます」
 それは確かにそうだ。
 古泉がキングを再び動かすが、そこはすでに俺の術中にある位置だ。次の一手を繰り出し、俺はチェックメイトとささやいた。今回も最後に動かした駒がルークだと、古泉は気づいているんだろうか。
 ま、なにはともあれ、今回は一件落着。ネッシーもいなくなり、ハルヒは上機嫌。俺も損をせずに終わったし、部長氏は部長氏で、更なるエアーホッケーの技術向上に燃えていたらしいし、これほどまでに大団円なのは久しぶりではないだろうか。
 古泉は肩をすくめて、参りましたとか何とか言ってチェス盤を片づけ始めた。おや、てっきり時間もあるからもう一戦、とでも言うかと思ったんだが。
「すみません、長門さんと貴方にお願いしたいことがあるんですが」
「長門と俺に?」
「はい。ちょっと、話を聞いてきてもらいたいんですよ」
 なんだなんだなんだ?不穏な空気だな。
 俺はちらっと長門を見る。長門はまだ本を開いている。だが、その眼はしっかりとこちらを見ていて、古泉の話を聞いているようだった。
「SOS団に依頼のようです」
 おいおい、こちとら事件を一つ解決したばかりだって言うのに……また事件が舞い込んでくるって言うのか?
「仕方ありませんよ。我々の使命ですから」
 そう笑顔で言ってくれるがな……
「依頼?そうね、聞いてくるだけならキョンにもできるでしょうし、有希もついているなら聞き洩らしも心配ないしね。行ってきなさい」
 おあー!追い打ちかよ!ハルヒまで食いついてきやがった。
 一難去ってまた一難、ってか?しかしつい昨日までハルヒが退屈していなかったことを知っている古泉たちが何も言わないってことは、どうやら一般人の依頼らしい、それなら大ごとにならずに解決できそうだ。なら聞くだけ聞いてできることならちゃっちゃと終わらせる。それが一番妥当だろう。どうせハルヒが聞いているのだから拒否権は無意味だ。
「わかったよ。場所はどこなんだ?」
 俺がすっと立ち上がると、長門も本をしまいながら立ちあがった。
「この屋上です。話しづらい内容だそうなので」
 屋上、か。
 仕方ない、行ってみるか。
 なにはともあれ、平和に近い状態に戻ったことは喜ばしいことだ。そう思うと足取りも軽い。長門と肩を並べて俺は屋上へと向かった。

 

 その先に、苦悩が待ち受けているとは微塵も気づかずに……

 
 

 吹き抜ける風、そこには金網以外に風を妨げるものはない。
そう、人影すらも。屋上には誰もいなかった。
「なんだ?いやがらせか?」
 それならそれで別にいいんだがな。冷やかしはお断りしません。相手をするのは面倒だが、それ以上の面倒を持ち込まないはずだしな。
「長門、誰かいそうか?」
 尋ねると、長門はふるふると首を横に振った。
 そうか、いないのか……と、嬉しいやら虚しいやら感じながら、俺は肩を落とした。だが、そう落ち込んでもいられない一言が、長門の口から発せられる。
「わからない」
 わからない?長門らしくない。今の質問のノリで行くと、きっと長門は校舎内全員の生徒の位置を把握した後で、『屋上に訪れている生徒の生命反応はない』とか何とか言ってくれると思ったんだが……
「今の私にはわからない」
 しかも意味深い発言までついてきた。
「長門?どうしたんだ」
 らしくないぞ。等と言おうとすると、長門はおもむろに今入ってきた扉に手をかけた。そして、俺にも聞こえるようにカギをかける。
「お、おい」
「話がある」
 話がって……いったいどういう……ああ、そういうことか。古泉の野郎、変に気を利かせやがったな。つまりこう言うことだ。俺達は二人揃って今誰からかの話を聞きに来ていることになっているが、これは実は長門が話したがっているのを察した古泉の計らいである、ということなのである。
と、俺がハンサムボーイの憎たらしい微笑みを思い浮かべたところで、長門は俺に向きなおった。じぃっと、見つめられる。そんなに直視するなよ。穴があく。
「問題が発生した」
 だろうな。長門がわざわざ話があるというくらいだし、それに
「最近、なんか調子悪そうだったもんな」
 不可解な行動や言動があったので、俺も何となく察してはいた。やはりまたバグの蓄積なのだろうか。
しかし、なにはともあれ彼女がこうして俺に相談してくれているということは何となくうれしいものだ。こんな俺でも少しは信頼してもらえているらしい。不謹慎だがな。
長門の肩に手を置き、その顔を覗き込みながら俺は言った。
「で、どうしたんだ?どこか調子でも悪いのか?俺にできることなら言ってくれ。何だったら古泉も朝比奈さんも手伝ってくれるはずだ」
 沈黙する長門。そして俺。
「……」
 やがて、長門の口が開いた。そこで俺は合せるように言葉を紡ぐ。
「うまく言語化できない」
「うまく言語化できない」
 このときばかりは長門の表情が動いた。わかりにくい変化ではなく、動きが見られたのだ。無表情から少しだけ驚いたような顔つきになっている。なんだかその顔は新鮮、というか表情の変化自体が新鮮に思えた。
 おっと、そんなことを考えている場合じゃない。
「自分がどうして調子が悪いのかわかりかねているってところだろ?」
 そしてまだ驚きの表情は続く。どうやら図星のようだ。これを何とかして言葉で伝えようとしていたんだな、長門は。
 さて、そこでだ。長門が自己解決できない問題として、一番考えられるのは……
「また、なんかの感情が芽生えてきているんじゃないか?」
 データでも言葉でも表わしにくい、感情。新しい感情に、長門は戸惑いを覚えているんじゃないのだろうか。それが俺の見解だ。まぁ、だとしても今の質問にイエスかノーで答えられるわけもなく、長門はまたも曖昧な答えをする。
「わからない」
 ……ある意味、明確な答えではあるがな。
 予測はしていたが、対策を講じていなかった俺は現在いささか不安なところもある。まぁとりあえずは、話を聞くしかないな。もしかしたら、いや長門に限ってなさそうではあるが、話したらすっきりするということも、ないとは言い切れないし。
「こう、なんだ。何かおかしいところはないのか?抽象的でもいいから、今の異変を表せる言葉を探してみてくれ。この際言葉じゃなくてもいい」
 そこから先は俺が何とか考えるさ。伊達や酔狂で人間を17年もやってないし、理解力もそれなりにあるつもりだ。それに、長門についてはこの一年ほどでかなり理解することができた気がする。そりゃあ全部を理解したわけではないが、SOS団の中で長門に関しての知識は俺が一番有していることだろう。
 俺が言うと、長門はいつも通りのうなずきを見せた。
「試みる」
 いつも通りじゃないのはそこからだ、おもむろに長門は近づいて、俺の腰に手をまわし始めた。身長差的に長門の顔は俺の胸部からやや下にあたり、腕が軽く俺を締め付けるとともに長門の顔も押し付けられた。
「長門?」
 先日は接触でもないのにあの近距離でドキドキしていた俺。しかし今はどうしたことかそんな感情よりも優先される不安と心配で、割と落ち着いていた。
「エラーチェック開始」
 すこし、腕の力が強まった。このちっこい体にもそれなりに力はあるんだな。なんてことを考えてしまいそうになるが、情報統合思念体の情報端末である有機ヒューマノイドインターフェイスとやらにはその常識が通用するのだろうか。
 やがて長門は腕の力を緩めると、俺からゆっくりと離れた。
「終了、通常モードに移行する」
 で、何がわかったんだ?と、問いたげな表情をしているだろうな、俺は。それに長門が気づき、受けこたえる。
「検証の結果、この動作が現在観測しうる異常のなかで最も過大だった」
「異常、だと?」
 俺に接触することが原因でおこるものなのか?いったいぜんたいどういうことだ。チンプンカンプンだ。と、それを口にすると異常を観測している本人である長門を不安にさせてしまうような気もする。ここはうろたえずに説明を促そう。
「説明、してくれるか?」
 すると、まずは長門が最近の状況について語ってくれた。
「あなたとの接触による身体の異常を観測するようになった」
 身体の異常?
「最近ではあなたと行動を共にすることでもその症状がみられる」
 俺と一緒にいるだけでか、そいつは、困ったな。
「SOS団にいる以上、同時刻に行動を共にするのはやむを得ないことだぞ。大丈夫なのか?」
「この変化が今後どのように私の動作に関係してくるかは予測することができない」
 わからないか。悪いかどうかもわからないのは、逆に怖いな。
「お前自体はどうなんだ?いやな感じか?」
 いや正直ここでうなずかれると少し傷つくわけだが。答えはNOだった。首が横に振るわれる。珍しく大きな否定だ。
「蓄積過程において、嫌悪感が感じられない。高揚感、安心、などが感じられる」
 ほう……それは、また。悪い気はしないな。少し恥ずかしい気もするが。
「しかしその異常が過剰に蓄積すると、肉体的ではない……苦痛……嫌悪感のようなものを感じるようになった」
 げっ
「あくまで物理的変化とはいえない。だが、胸部を締め付けられるような感覚が付きまとうようになった。あなたとの接触の重ねる度にその感覚がリフレーンされる」
 リフレーン、繰り返しか?よくわからんが。
「気胸か?」
 胸膜腔に空気が入った状態になる症状らしいが詳しいことは知らない。しかしそれを問いかけると長門はまた自らの体を検証するかのように一旦間をおき……
「内科的疾病には該当しない」
 ふう。わからずじまいってことか?
「今も苦しいか?」
 とりあえず今どんな状態なのか聞いてみる。すると長門はふるふると首を横に振るった。
「あなたとの接触、近接中は症状の進行が遅い。貴方との距離がある時の私の思考にあなたが含まれた時に症状の進行が早まるようになる」
「そうか……」
 ……
 ……
 ……
 ふぅ、まぁ、なんだ。自分が鈍いという認識は、周りの反応からして気付いてはいたが、この状況には、流石の俺でもまさかと思ってしまう。
 長門は、俺のことを考えると胸が苦しくなる病気にかかっているのだ。おそらく、それは、そういうことなんだろう。自分で判断するのは気が引けるが……自意識過剰みたいで凄く断定しにくいが……
 ハルヒなりに言わせてもらえば、一時の気の迷いとやらだ。そう、信じられないことに、長門は恋している模様なのである。それは、誰に?

 

 はぁ?まて。そりゃいくらなんでも、なぁ?

 

 脳天をスチールボールが殴打したかのような素敵な轟音が響き渡ったような気がした。そして乗り物酔いのひどいときに感じられるようなあの立ちくらみもセットで割安価格のご提供となっております。
「……」
 長門がじっと見つめてくる。その顔はやはり無表情だ。
 なんか、恥ずかしい……ぞ。ふざけんな、何で俺が恥ずかしいんだ?元来告白シーンってのは告白する側がドキドキしながら言うもんじゃないのか?長門相手にそれが通用するわけがないので酷な話ではあるが……って、ん?
 告白、したのか?長門は。実はそういうわけでもない様な気がしてきたぞ。遠まわしな告白に聞こえた気もしたが、これは、違う。これは重大な事実だ。
 長門は、これが恋愛感情であると、気づいていないのだ。
 長門が言っているのはただ異常についてだけだ。好きとか切ないとか言う言葉すら出ていない。長門が悪いわけじゃないが、この状態はたちが悪い。
 俺に言えと?
 冗談ではない。誰がそんなナルシストな言葉を言うものか。やってられん。そんなセリフは谷口にでも吐かせてればいいんだ。ではこの状況はどうする?長門は真剣に悩んでいる。そしてその悩みの答えを俺は知っている。だがそれを一言で表すには、無理がある。嫌気がさす。というか遠慮こうむりたい。いえたもんじゃない。
「あのな……」
 どうにかして気づいてもらった方がいいのか、気づかないでもらった方がいいのか、俺には分からない。だが、ここで何とか誤魔化そうとした俺の言葉は俺の思考によって遮られた。
 長門の奇行、長門の涙、蓄積されるエラーと思われている感情。最悪の場合、あの悪夢が、SOS団の消失という悪夢がよみがえる可能性もありうる。あの時でさえぎりぎりで解決したのに、今回も長門がそんなことをしたら、ぎりぎりじゃすまない事態に陥るかもしれない。
 冗談じゃない。俺はこっちの世界がようやく気に入ってきたってのに……それに俺はあっちの長門じゃなくてこっちの長門が大好きだ。
 ……教えた方がいいんだろうか?
「……」
 黙して沈む二人。静寂の空間に吹き荒ぶ風。長門のやわらかな髪が揺れると、距離が近いだけあって一昨日のシャンプーの香りが俺の鼻腔をくすぐった。実際にはそんな時間も経ってないだろうが、とても、とても長い時間が過ぎていったような気がする。
 先に口を開いたのは、頭を垂れてしまった長門だった。
「……ごめんなさい」
 ……落ち込んでいるようだ。
「どうした?」
「嘘……」
 へ?なにが?
「この感情が理解できないということが……だから、ごめんなさい」
 ……は、はぁ?
「な、なんだってまた。ていうか、本当に分かってるのか?」
「わかっている」
 下にそれていた視線を上げ、長門は俺を見つめる。ほほに赤みがさしているかどうかはともかく、その瞳が揺らいでいるように見えるのは気のせいではないだろう。
「私はあなたが好き。恋愛対象として好意を抱いている」
 その言葉には、唖然とした。よもや、長門からそんな告白をされる日が来るとは思ってもいなかったのだ。例の手紙の騒動の時に朝比奈さんからの告白を妄想したことならばあるのだが……
「……で、その、なんだ、じゃあ、何でまた、さっきのような質問を?」
 一番不可解なのはそこだ。長門自身気付いたのならば、さっきのような質問をする意味はないんじゃないか。それも、俺に嘘までついてだ。いや、この際嘘についてはおいておこう。
「先日の貴方とのデートは最終確認だった」
 そこから話が始まるのか
「デートすることで、貴方へ抱いた心情を事細かに分析する必要があった。この星の文学に存在する恋愛小説から得た総合知識により、恋という状態とそれを比較したところ私の症状と条件は一致した。故にその時点で恋という状態に気付いた」
 だが……と言って、長門は俺に背を向けてゆっくりと歩き出す。
「そこで欲望が湧いた」
 長門らしからぬ単語だ。
「欲望?」
 問いかけると、長門はちらっと俺を振り返りながら言う。
「性欲」
 思わず噴き出すところだった。長門らしくないというか、なんというか……
「あなたとキスしたいと、そう思った。運よく睡眠していた貴方の顔に接近したところまでは良かったが、そこでまた感情が発生した」
 そこからあの構図につながるわけか。
 そこまで語った長門は、屋上を囲むフェンスに辿り着く。そしてそのフェンスに手をかけ、遠くを眺めながら続けた。
「その感情は、『切ない』」
 キシ……フェンスが揺れる。
「私は、そのまま接近し、キスすることもできた。しかしそれをする前に感情はオーバーフローした。涙腺は弛み、理性による緊張を施すことができず、落涙した」
 センチメンタルとか言う言葉を正確に理解しているわけではない。そこまでご立派な恋愛もしたことない。だが、長門の言うことはとても説得力があり、そして彼女が話すことにしては珍しく、現実味を帯びていた。
 先ほどから俺は、圧倒されまくりながら彼女を見つめるばかりだ。
「ただ、あの時キスしても、今ここで触れても、意味はない」
 フェンスに寄ってからというもの、長門は微動だにしない。わずかに口の動きに合わせて髪が揺れる程度で、こいつが本当にしゃべっているのだろうかという錯覚さえ覚える。
「私はあなたと結ばれることはできない。それは絶対」
「そりゃまた、なんでだ?」
「涼宮ハルヒ」
 ……結局のところそいつか
「ハルヒとお前の気持ちは関係ないんじゃないのか?」
「……残念ながら、ある。だけど、言えない。」
 どういうことだ?
「それに、どちらにしろ今のままでは私の心はあなたに届かない」
 ……その言葉には俺は何も言えなかった。
「挙句、貴方と涼宮ハルヒがデートすることを妬ましく思った。」
 好きという感情もそうだが、こいつが妬みとかいう言葉を使うと違和感を覚えるな。
「故に情報操作を誤ってしまった。このままではいつか多大なミスを犯しかねない。私はそう考えた、そこで、貴方に私の気持ちを否定してほしかった」
 俺に、お前の気持ちを?そんなことできるわけ……
「そこで私は自らの気持をどう整理すればいいのか相談した。貴方は別な言い方を探そうと、誤魔化そうとした。きっとあなたならそうすると思ったし、貴方の思考回路ならそれが至極当然の結果」
 たしかに、そうしようとしたな。うん。
「そのままその否定の言葉をかけてもらえれば私はその言葉に従ってこの感情を整理するつもりだった。しかし、貴方の反応を見て私はその言葉を待つことができなくなった。貴方を困らせるのは本意ではなく、望ましくないことだから。だから私は嘘を暴露した」
 淡々と言ってくれるが……なぜだ?そのまま待てば、お前は望んだ答えを俺に言ってもらえたはずだ。
 その質問の答えは、振り向きざまに先ほども聞いたある一言によって片づけられた。
「好きだから」
 しかも即答。目をそらしもせず、一直線にこちらを見つめながらだ。
 その言葉に俺が反応しかねていると、彼女の視線はそのままに顔だけ俯き加減になった。
「……迷惑?」
 そんな質問にどこの男子高校生が胸を張って迷惑だと言える?言えるわきゃない。と、そういうのも簡単だが、しかしここで長門の好意を受け取ることは容易にはできない。そうすると、涼宮閣下が大変なことになりかねないのだ。
そうだろう俺?考えてもみろ、あいつは、恋なんて一時の気の迷い、病気の一種って考えてるんだぞ!?し・か・も・だ。SOS団のなかで恋愛事情が進展なんぞしてみろ、団内交際禁止とか言ってくるに違いない。神人も大漁だ!
というか、何より、そんなことよりも重要なことがある。
「迷惑じゃない、だけど……俺は」
 俺には、長門の好意にこたえることができない理由は、もっと単純なところにある。
「わかってる」
 また、長門は振り返った。
「その事例も一昨日の検証で明らかになっている」
 家に連れ込んだのはその確認でもあったんだな?
「貴方の思考回路であれば、恋愛的好意の対象から積極的な行動をとれば応えるはず。でも、一昨日の一件であなたは私の行動に性的反応すらしなかった」
 それだけで、十分。長門の声は小さくなる一方で、最後のほうはもはや聞き取りにくいほどの声量だった。
 沈黙。長門の言うことは的中しているだけに、俺は何も言えなかった。
「今後の行動如何については、現在対策を検討中。これ以上のエラーの蓄積を最小限に抑えるよう、努力する」
「あぁ、そうか……」
 どうやら、踏ん切り?はついたのか……長門はそう言ってフェンスから手を離した。
 ギシッ……フェンスが軋む。
「……戻るか」
 あんまりここに長居してもハルヒに怪しまれる。俺はそう思い、身をひるがえした。正直、この空気に耐えきれなかったという理由もある。そこで俺はそそくさと扉に向かって歩き出したのだが……
 どうしたことだ。数歩歩いて行くうちに、その意思が殺がれていく。
この違和感……まさか……
またもや振り返った俺は長門を見る。ここから去ろうとする意思を奪ってしまうなんて芸当、長門以外にできるわけがないのだ。
俺が視線を向けた時には既に長門はこちらを向いていた。その顔は涙にぬれてはいない。表情もいつも通り……ではなかった。悲しそうな、そんな印象を受ける。そして手の甲はまさに今涙を拭いたと物語っていた。やがて彼女は口を開く。
「一つだけ、聞きたいことがある」
 コツコツ、ゆっくりと、俺は長門に歩み寄る。
「なんだ?」
 そして、かなり近いところまで歩を進めるとそこで立ち止まって長門を見下ろした。長門もこちらを見上げてくる。……少しだけ、目が赤いように見えたのは気のせいではないだろう。少し間をおいて、長門は質問を繰り出した。
 妙に、その言葉は耳に残った。

 

「出会いが、世界が違っていれば、貴方と私は……結ばれる可能性もあっただろうか」

 

 答えなんざ決まっている。この世界には馬鹿げたハルヒがいて、にやけ面の古泉とおっちょこちょいな朝比奈さんと、そして無口なアンドロイドがいて人知れず世界をひっかきまわしている。そんな世界なんだぞ?世界が違えばなんて……そんなこと

 
 
 

「それが俺の知ってる長門であれば、な」

 

 どんな世界だろうが、重要なのはそこだけだ。長門に対する気持ちははっきりしない。だが一つだけ言える。俺はきっと、あの時の、もう一つの世界の長門を好きになることはないだろう。俺の知っている長門は、今目の前にいる寡黙で、涙を流すのも不器用で、表情の変化が乏しい―――
それでこそ、我等がSOS団の長門有希なのだから。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

エピローグ

 

 翌日以降もSOS団はいつも通りの活動をしていた。全く、代り映えしなくなってそろそろハルヒが退屈するんじゃないかと言えるくらいにね。
「平和、ですね」
 部室棟に向かう途中。俺は偶然古泉と遭遇してしまった。行先は同じなので一緒に歩いていると、奴はそんなことを言い出した。
「平和、ねぇ?」
 先日の件、こいつは何かと感づいている。何よりこいつは長門の一件の後に、「正しい選択だったと思います。世界を見ても、貴方を見ても、この結果が最良であると思います」なんてぬかしやがったからな。
 それと、あれ以来長門の奇行は見られない。とりあえず今のところは問題はないようだ。
ただ、思われ続けているということを知ってしまうとこれはことのほか辛いものである。
「心苦しいですか」
 多少ね。ただほかに選択肢はなかったと思うよ。
 最近はもう、自己を正当化するようになってきた。たぶん長門のそれは、兄を敬愛しすぎた妹みたいなものだろう。今後いろんなことがあれば、きっと彼女もいろんな視野を持てるようになる。俺はそう考えてこの悩みを打ち切ろうと考えている。長門自身も変に意識されるより楽でいいだろう。たぶん……
「そうでしょうね。ただ、少なくとも涼宮さんの能力があるうちは、長門さんとよい関係になるのは得策とは言えません」
「だろうな。あいつの嫌いな恋愛沙汰だ」
「それは、ちょっと違うんですが……」
 何かいいたようだが、残念ながら古泉のその一言は俺の耳に届いてはいなかった。
 階段を登り切り、廊下を進むと我らがSOS団の部室に到着。
「さて、参りましょう」
 それでも、もし涼宮ハルヒの問題が解決して、もし、もしも長門がその時でも俺を望んでくれるというなら、そんときは……なんてことも、考えたりはするさ。長門のことは嫌いじゃないし、少なくとも好意は抱いているんだからな。

 

 どうなるだろうな……全く。
 その日から、俺はほんの少しだけ読書する機会が増えるようになるのだった。

 
 

#br                                   -fin-

 


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Last-modified: 2012-06-17 (日) 03:01:17 (2710d)